2008年05月28日
【真相 オフサイド騒ぎ】● 歴史か? 明かしきれ !
ゴール数が減ったのはオフサイド・トラップのため。そこで、オフサイド・トラップをやりづらくすればゴールが増えるということで、今に続くオフサイド規定へ変更。ゴールが急増して大成功でした… 〔イングランド 一試合あたり平均ゴール数推移〕一部リーグのみ 三人オフサイド規定を、1925年6月、ふたりへと変えました。いっときはゴールが急増します。 しかし攻撃側有利に抗して守備の強化が一気に進展、まずは守りきって少ない得点を狙う、二十一世紀にまで連綿とつながる方向性が鮮明化し、新オフサイドはモダン・サッカーの礎石となりました。
「オフサイド戦略はノッツ・カウンティのモーリーが導入し、ニューカッスル・ユナイテッドのマクラッケンが完成させるが、まだリーグ中に広まってはいない。のちには、それがゲームの土台をむしばむオフサイド規定の変更強いる」 これは後の人ではなく、前々回から続けて取りあげてきたイバン・シャープによるもの。サッカーの黄金時代に触れた際の文章に、これもありました。 ルール変更の原因になったオフサイド・トラップとはどういうものなのか、いろいろ想像を重ねてきましたが、当時の選手による記述が見つかりました。 ● ウぐぅ、遭遇… ノッツ・カウンティはFAルールのサッカーのクラブとしては世界でも最古だそうで、ニューカッスルはオフサイド・トラップを学ぶ以前に、まず白黒ストライプのユニフォームを真似しています。トリノのユベントスもノッツ・カウンティを真似たといいます。 シャープはノッツ・カウンティと試合をしたことがあり、オフサイド・トラップも体験しているそうです。このときは三人オフサイドなので、ゴールキーパー以外に守備者が二名残っていなければオフサイドです。 ノッツ・カウンティはあえて相手が利用できるオンサイドのスペースを空けておき、走り込んでくるアタッカーに対応する守備者をひとり残し、ゴールラインからふたり目のフィールド・プレーヤーが上がる。そして片手を突き上げて「オフサイド!」と叫ぶのだそうです。 長身で痩せたモーリーと小柄だがやや太り気味のモンゴメリー。彼ら二名がノッツ・カウンティの旧式フルバック・コンビ、つまり真ん中、センターバックでした。分担がほぼ決まっていて、たいていはモンゴメリーが残り、スイーパー役。モーリーの方が機を見て上がりシャウトする役割だったといいます。 これが盲点を突いた巧妙な戦略で、三人オフサイド規定に内在していた欠陥、それを明るみに出したのだとする後の人は多い。 しかしシャープに言わせれば、単にこうした戦術もあったと、ただそれだけのことにすぎないそうです。 実際にノッツ・カウンティとの試合に出場してみても、特に困難はなく、サッカーをすることに、ウィングとしてゴール・チャンスを狙うことに、なんら問題はないようです。 しかし、このオフサイド・トラップにだって、引っかかることは誰にもある。とまあ、この程度のことだそうです。 オフサイド・トラップが、ノッツ・カウンティ型の策略としてだけ続いたのなら、別段なにも騒ぐことはなかったはずだとシャープは述べていました。 どうやらニューカッスルが問題のようです。ノッツ・カウンティ型のオフサイド・トラップに遭遇しても、シャープにとっては特に意外なことでもなかった感じの書き方をしていました。 これまで再三ここで想像してきたように、ノッツ・カウンティと似たオフサイド・トラップは昔から存在しただろうと考えます。だからこそオフサイド・エリアを活用したゾーン・ディフェンスが完成したのでしょう。ノッツ・カウンティはそれを頻繁に、戦術的に行って評判になっただけ? ● 改善から完成か? シャープがニューカッスルの偉大な時代だとしたのは1905年から1911年まででした。そして「マクラッケンがオフサイド・ゲームを発展させたことで、そのスタイルが後退し…」とも記していました。
- 1893-94 ノッツ・カウンティ二部リーグに加入(6月3日訂正)
- 1888-89 ノッツ・カウンティはリーグ発足時の12クラブの一つ - 1892-93 ノッツ・カウンティ一部14位、二部降格
- 1896-97 ノッツ・カウンティ二部優勝、昇格 この後、ノッツ・カウンティはずっと一部にとどまり、そして1912-13シーズンで19位となり陥落。そこからは一部と二部を行き来するエレベーター生活の時代に入っていきます。 第一次世界大戦で全国リーグが中断するのは1915年から。 ノッツ・カウンティは戦争よりも前からオフサイド・トラップを多用し始め、マクラッケン等によるニューカッスルへの導入も戦前だということでしょうね。1911年までがニューカッスルの絶頂期で、そのスタイルが後退したのは「マクラッケンがオフサイド・ゲームを発展させたこと」による、というのに従えば、1910年から1912年くらいのことだったかもしれません。 すると、グラフをながめると気になる1910-11シーズンのゴール数の急な落ち込み、やはりそれと対応しているかのようです。 しかしシャープ自身がリーグ全体の状況を把握できていたかどうかも疑問がありますね。テレビがなく、伝聞によって情報を収集していたわけで、同時代であっても別の場所で起きていることをつかみきってはいなかったでしょう。 そして、シャープ自身がノッツ・カウンティのありきたりなオフサイド・トラップを実体験するのは、もっと後のことだと思えます。 ● 見こみ込み… ここからはシャープがノッツ・カウンティといつ試合をしただろうかという点だけです。 対戦が非公式試合などであるならば、それはいつのことなのか不明です。FAカップでぶつかってはいないようなので、リーグ戦だけにしぼって調べます。 第一次大戦後のシャープは一試合しか出場がなかったらしい。そのときでは遅すぎるし、なんとなく、最後の一試合で遭遇というのもなさそうな気がします。ただの妄信ですけど。 そうすると戦争前の1913-14シーズンである可能性が高いかなというのが仮の結論です。 シャープは、ダービーではリーグ戦出場がなかったらしく、チャプマン監督が率いる二部のリーズ・シティへ移ります。 この時点ではリーズ・ユナイテッドが存在せず、リーズといえばシティでした。戦後のリーズ・シティ消滅にあわせて、代替クラブとしてリーズ・ユナイテッドができたのでした。 リーズ・シティでのシャープは、第一次世界大戦までの2シーズンにわたってほぼフル出場、十七得点したようです。 以下はシャープとノッツ・カウンティの関係を、シャープが移籍するあたりから延々と並べただけのものです。 1912年夏 - シャープが五輪で優勝、ダービー所属 1912-13(シャープもノッツも一部リーグ) - ダービーもノッツも一部、シャープに試合出場なし - ダービーは7位でノッツは19位降格 - シャープはシーズン後に二部のリーズ・シティに移籍 1913-14(シャープもノッツも二部リーグ) - シャープは二部のリーズ・シティでほぼフル出場 - リーズ・シティは二部4位で昇格ならず - ノッツは二部で優勝して昇格 - ちなみにダービーは一部20位降格 1914-15(シャープは二部、ノッツは一部) - シャープは二部でほぼフル出場、二部15位 - ノッツは一部16位 - ちなみにダービーは二部で優勝して昇格 第一次世界大戦 戦後、一部も二部も22チームへ拡大 シャープとチャプマンのリーズは、スキャンダルで解体 1919-20(シャープはチームなし、ノッツは一部リーグ) - ノッツは一部21位で降格 - リーズ・ユナイテッドが創立され二部加入が認められる - シャープは翌シーズンからリーズ・ユナイテッドと契約 1920-21(シャープもノッツも二部リーグ) - シャープは二部のリーズ・ユナイテッドで一試合出場 - リーズは二部14位、ノッツは二部6位 1921-22(シャープもノッツも二部リーグ) - シャープは二部のリーズだが出場なし - リーズは二部8位、ノッツは二部13位 - 以後シャープは1923年までリーズ在籍のよう、しかし不出場…
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一部リーグのみ
三人オフサイド規定を、1925年6月、ふたりへと変えました。いっときはゴールが急増します。
しかし攻撃側有利に抗して守備の強化が一気に進展、まずは守りきって少ない得点を狙う、二十一世紀にまで連綿とつながる方向性が鮮明化し、新オフサイドはモダン・サッカーの礎石となりました。
このときは三人オフサイドなので、ゴールキーパー以外に守備者が二名残っていなければオフサイドです。
ノッツ・カウンティはあえて相手が利用できるオンサイドのスペースを空けておき、走り込んでくるアタッカーに対応する守備者をひとり残し、ゴールラインからふたり目のフィールド・プレーヤーが上がる。そして片手を突き上げて「オフサイド!」と叫ぶのだそうです。
長身で痩せたモーリーと小柄だがやや太り気味のモンゴメリー。彼ら二名がノッツ・カウンティの旧式フルバック・コンビ、つまり真ん中、センターバックでした。分担がほぼ決まっていて、たいていはモンゴメリーが残り、スイーパー役。モーリーの方が機を見て上がりシャウトする役割だったといいます。
これが盲点を突いた巧妙な戦略で、三人オフサイド規定に内在していた欠陥、それを明るみに出したのだとする後の人は多い。
しかしシャープに言わせれば、単にこうした戦術もあったと、ただそれだけのことにすぎないそうです。
実際にノッツ・カウンティとの試合に出場してみても、特に困難はなく、サッカーをすることに、ウィングとしてゴール・チャンスを狙うことに、なんら問題はないようです。
しかし、このオフサイド・トラップにだって、引っかかることは誰にもある。とまあ、この程度のことだそうです。
オフサイド・トラップが、ノッツ・カウンティ型の策略としてだけ続いたのなら、別段なにも騒ぐことはなかったはずだとシャープは述べていました。
どうやらニューカッスルが問題のようです。ノッツ・カウンティ型のオフサイド・トラップに遭遇しても、シャープにとっては特に意外なことでもなかった感じの書き方をしていました。
これまで再三ここで想像してきたように、ノッツ・カウンティと似たオフサイド・トラップは昔から存在しただろうと考えます。だからこそオフサイド・エリアを活用したゾーン・ディフェンスが完成したのでしょう。ノッツ・カウンティはそれを頻繁に、戦術的に行って評判になっただけ?
● 改善から完成か?
シャープがニューカッスルの偉大な時代だとしたのは1905年から1911年まででした。そして「マクラッケンがオフサイド・ゲームを発展させたことで、そのスタイルが後退し…」とも記していました。


