2008年05月13日

■ 異端ものの問題

 かつては英国のみが、プロ・サッカーの大きく発達したところだったようです。三人オフサイドを二名に変えて客足を戻し、第二次大戦前にはさらにいっそう発展したらしい。
 悪循環を断ち切った感のあるプロ・リーグですが、次のような課題もあった模様です。

————以下、引用————

 もう不必要だ。チームがうまくプレーするためには。
 選手たちは得点を挙げなければならず、どんなことがあろうとも勝ち点である。彼らの技量水準は、ほんとうにリーグ戦成績表の順位で判定される。・・・三十年前は芸と技巧を発揮する免許皆伝を携えて、試合に向かったものだ。今はシステムに貢献しなければならず、個性はチーム・ワークに従属せねばならない。・・・戦いが厳しいため、抱けるかもしれない夢の断念を余儀なくされる。これがわれわれにとっての得点勝ち点問題だ。ときには何ら問題はないと信じている者もいるのだが。
 … 飛ぶ? …
 試合の結果が最重要でなくなるなら、プレーの平均的水準が目立って向上するだろう。敗北や、勝ち点を落とすことへの怖れが、選手の信念を蝕んでいる。
 状況がよければ、プロ選手は、考えられているよりももっと遥かに有能だということであり、優れたフットボールをするためには、勝利の重要度と勝ち点の値打ちを極小化する、そんな道を探し出さねばならないようだ。リーグ戦機構のたいへんな成功に連れて環境も変わっており、そして状況も改善されるとの見通しを持てる。

————以上、引用終わり————

 こういった態度はサッカーで報酬を得るプロの厳しさに向かないもので、無垢すぎるとの見方もありそうです。プロは結果第一であり、ましてビッグ・クラブともなれば中小零細クラブとは立場が違う、なかば勝利は義務…
 しかしプロのコーチにはあのような考えを持った人が、かなりいるみたいです。

● かの遺作がクサいのか?

 このころのアーセナルは世界でも有数の富裕クラブで、優勝も重ねました。引用文はその時点のアーセナル監督で、クラブを初優勝から三連覇へと発進させた、ハーバート・チャプマンの見解だと伝わります。

 チャプマンは守備重視のサード・バック・ゲームを開発して、アーセナルの黄金時代の扉を開いた人。それ以前、すでにハダーズフィールドで、イングランド史上初の三連覇も手がけてきた、勝ち点収集家の中でも筆頭格のコーチでした。
【「ナポレオンズ」や、続く「サードバックゲーム」、そこにリンクを貼らせていただいたウェブ・ページなどでも略歴を概観できます】

 ところが1934年正月に急逝してしまいます。その年に遺作として「Herbert Chapman on Football」という本が出版されたはずです。それが2007年に再版されていました。ここはぜひ、どなたかに解読していただきたいものだと願います。この手の本にはがっかりするような噴飯ものがあったりしますが、どうなのかは見てみないとわかりませんね。
 この中に冒頭の引用が記されているということは、グランヴィルが述べていました。どういう脈絡なのかは不確実ですが、「チャプマンズ計画」で引いた会話に呼応しているかに思えます。

Herbert chapman on football

● 謎ぞな…

 チャプマンは大陸事情を相当に承知していたらしく、ふたりオフサイド化の後も、サード・バック・ゲームがすべてではないことを、充分に知っていたに違いない。まだまだ続くはずだった物語は、没後封印されてしまい、謎のままに残りました。もしかすると、新世紀に古いスタジアムの壁が取り壊されると目覚めたとか…?
 フーゴ・マイスルの方は、ビットリオ・ポッツォと並んでサード・バック・ゲームを採用しない、大陸サッカーの旗手でした、たぶん。マイスル監督のオーストリアがWMをいち早く採用したとする見方も、ウィキペディア日本語版ほかにありますがね。

 オーストリアは1930年代にイングランドと対戦して、まず1930年のウィーンでの引き分けから始まり、双方が地元で勝利を挙げる、一勝一敗一分けで終わりました。これを旧式と新型の衝突だと受けとる向きもあったようです。
 ロンドンでの対戦のときはチャプマンも存命中で、試合になんらかの関与をしていたかもしれないですね。


posted by ports |18:33 | コメント(0) | トラックバック(0)
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