2008年05月09日
● しかし、しかし、
このせっかくのハーフコート・プレスですが、優勝できなかったわけですね、たぶん駆使しただろうニューカッスルは。失点の少なさ競争で一位になりはしましたが。ノッツ・カウンティも同種のことを始めていたとして、結局は二部と一部を行き来しています。 おそらくこのころのニューカッスルは、繊細優美に織りなすパターンを失っていたものと想像します。いくら失点を減らしても得点を増やさないことには無理だったんですね。
平凡なチームと対戦したときは、ハーフコート・プレスで相手陣でのボール奪取、そこから素早くシュートまで持ち込むというかたち、リアクション攻撃によってもかなり勝てたんでしょう。が、押し込んだ結果スペースは不足してしまい、床の上に保ちきれてないボールは割と相手に奪い返されたのかなと思います。 一方、優勝できそうなチームはゴール・アベレージが高い、得失点差が大きいです。ま、それは結果ですが、ゴールを挙げることにそれなりの工夫があり、いい選手がいたものと思えます。 とりあえずハーフコート・プレス自体に戻れば、存在していたのは確からしい。しかし、しかし、前回のピースの当てはめ方は間違いのようですね。ハーフコート・プレスには正答らしきものがありました。 ● 過ろーで、ろー化 あのありがたい、カロージ氏の向う側史では、第一次世界大戦後の再開シーズンでハーフコート・プレス風になるとしていました。残念、ハーフコート・プレス自体はOKでしたが時期は不正解ということで。 グラフの傾きに傾きすぎてしまったようです。疲れか歳で頭がぐるぐるなのもいけませんでした。 「1925-26: This was an important phase/1925-26: これは向う側法の歴史と開発で重要な」の次の段落です。 「ディフェンダーはこの規定を見事に利用する。1920年代初頭、ほぼ確実にアタッカーをオフサイドにする方法をフルバックが開発したのだ。彼ら二名がほとんどハーフウェイ・ラインに位置し、一方は少し背後にずれ … 中略 … 〜、ビリー・マクラッケンは相棒と連れ立ち、できるだけハーフウェイ・ライン近くまで上がっておいて、素早く、タイミングよく動いた。それでたいてい二、三名の相手フォワードをオフサイドにしてしまった」 これが他のバックス・コンビより速かったのだとしています。 戦後再開時、1919-20シーズンからニューカッスルの失点の少なさを見ていくと、1位から始まり、3・4・3・13・4位という失点水準で推移、そしてオフサイド改定を迎えます。例のニューカッスル・グラフでも、かなり低そうなのはわかりますね。 どうやら益西都先生はお休みらしく、念のため原文とご参照を。訂正ご指摘をお寄せ願います。 ● 逆さ ともかくもイングランドそしてたぶん英国全体が、2バック的だったらしく思えませんか? ウィングハーフがかなり前進した守備をしていても、ロング・ボール蹴り込まれ時なら、オフサイド・トラップとあわせて2バックでかなり対応できそうです、三人オフサイドなら。 こうしてサード・バック・ゲームにたどりつきます。2バック化した慣習思考と技巧低下・高速礼賛状況の英国にあっては、1925年のふたりオフサイドへの変更による攻撃側優位に対し、三人目の最終守備者によるマーク強化が合理的、「そしてチャプマンが、おそらく真の解決法を探り当てた」ということがいえる、と。 たった数年で2バック思想から抜けられなくなるのも変なので、すると2バックは4バックになったということ自体も疑えます。が、そこまで回転木馬はいたしません。 逆さま進化論はこの程度です。スレプトコフ氏は別枠棚上げにしておき、それ以外で、こんなことはあるわけがないというコメントを期待したいですがね。2バックだけが下がれないなんていうのも半分近く嘘だったりしそうです。 オフサイド地獄は戦後だけと見る。あるいは戦前のゴール数急落期になって、初めて稚拙な組織的オフサイド・トラップが出現したのだとか、そこらの論考はお願いします。 二十世紀後半の戦術に似たハーフコート・プレスは、今から九十年くらい昔には存在していたというのが事実。まあそれっぽく思えますね。すると三人オフサイドというのは、二十一世紀人に好まれそうですよ? ● 記 前々々回に使った古いタイムズの記事ですが、ブランクさんに教えていただいた出どころはキャッシュ。すでに消えたようですが、そのもとのページが見つかりましたよ。あらためて、ありがとうございました。 ca はなんの意味でしょうか。 Plus ca change: 1925 and the Off Side Rule ? More Than Mind Games この最初にもハーフコート・プレスの文が引用されてますね。 さて机論空理楽と好古楽会が自ら称する論考ですが、それによる大陸はどうだったのでしょうか。そっちが正常進化だっていうことですがね。 どうやら生きのいい素材が不足がちだったようです。ドナウ情報が少ないんですね。イギリスをながめてちょっと時間を稼ぐかという線もありか。大陸の旅では思慮深くあらねば、なんていう話もありますし。なにせぐるぐるを考えるのが難しいもので… ● すでにどっさり・・・ザッとにです このあとはブランクさんのご尽力に向けた感謝の捧げものですので、本題とは関係ございません。 今やサッカー好古楽会の動向はかいもく不明ですが、理解ブロス分会は最近まで活動していたらしく、留園の書の謎をおよそ解決、つまり引きちぎられて残った留園の書から、主要な部分を復元したといいますよ。それはどうやらハーフコート・プレスの解説書ではなさそうで、複数の人物が書き足していきながら落款を押した巻物だったらしい。ハーフコート・プレス部分は復元できなかったみたいです。 もろもろがどうつながっているのかから、さらに世界的な行動指針までを含む遠大なもののようです。お時間あるときにはこれが有用になるかもしれませんね。理解さん、ありがとうございました(はと) これは本ブログで扱える範囲を大きく超えたものですので、あとはブランクさん、よろしくお願いします。 以下、理解ブロス分会サプライジズ留園の書 復元部分模写。 ▼FA創立の1863年あたりから初国際試合の1872年くらいまでのシステムが1−1−8。ラグビー風の絶対オフサイド制なので、集団ドリブル前進 ▼1867年、三人オフサイドが採用されてフォワード・パスが使え、ドリブル戦はキック&ラッシュに変化していき1−2−7。しかしこれはスコットランドのこと、イングランドでは 【分会の注記/次第に破損甚大、途中筆跡に乱れ発生】 ▼二十世紀になり、技術革新により選手の水準が上昇、そこでシステムが2−2−6に。キック&ラッシュ型で、体力・走力・キック ▼二十世紀になり、技術革新により選手の水準が上昇、そこでシステムは2−3−5にも。ロング・パス対応仕様の布陣だが、3の中央のセンターハーフが動きまわる。以降四半世紀、年代は不明なが 【分会の注記/竹腰さんによれば、英国では1883年にいたって2−3−5が支配的になり、以降四十数年続く】 ▼ロング・パス対応仕様2−3−5【この部分、破損】、ショート・パスも発達 ▼2−3−5のおかげでオフサイド・エリア意識が高まりゾーン守備が発達、しかしオフサイド・トラップには気づかない ▼2−3−5システム発達に拍車がかかり、正式にオフサイド・トラップが発明される。だがそれは単にロング・パスに対抗してオフサイドのフリー・キックを得るためで、二十一世紀とは異なる。 ▼1925年、ふたりオフサイドになった結果【この部分、破損】対人マークのWMシステムが1958年まで ▼WMで多様なパス攻撃が隆盛、四角い中盤魔法陣が【この部分、破損】しかし選手のポジションは固定さ ▼ウェイドの書によるアーセナル型4−2−4ピボットも盛り込 ▼1930年代WMから固定分業だという選手たちが、1950年代にまたも固定分業化を徹底され、もはや動け ▼1950年代、守備者の攻撃参加を忌避するようになり【この部分、破損】余らせるダブル・ストッパーやボルト・システム【この部分、破損】しかし最終ラインを指す人数に4だとかは ▼当時スイーパーという語は使用されず、1960年代あたりまで隠し【この部分、破損】1→2→3→4→5と最終ラインが発 ▼…のカテナッチョも1950年あたりには開発されるが、実態は、インテルと1960年になってから契約するエレーラ監督が、スペインから念【この部分、破損】イタリアにのみ密かに【この部分、破損】その結果、魔法使いと呼ばれ 【分会の注記/この前後よりさらに破損甚大、筆跡に異変】 ▼系統発生は個体発生を ▼妄沢山語録の強調する、システム各々厳然独自機能あり、峻別に学べ個々の働き、黄色兎を捕まえそうなら赤ネコも青ネコも同じ、プ ▼○と◇と△と・・・も集めて誤りを正し、順番に並べた後で実地に使い分けるなら、世界を支配で 理解 氏、いかり…? けったいな子ネコ、鳴いたっけ — 「まさかさかさま」(石津ちひろ) —
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この記事に対するコメント一覧
回文 幹部以下
「再度・オフ・サイド」では気付かず
「カロージ氏、知ろーか」で やっとです。
「マラドーナ コカイン 安易 過去 尚 ドラマ」
79WY 日本戦3試合 銀の国 準決 決勝
計5試合 観戦。
決勝の夜 国立は モヌメンタルの如き
紙吹雪舞う。
「ジーコ 迂闊に使う 浩二」
「オシム語録 加地書く ロゴ 無視を」
「シレア バレジ 捻れば 荒れし」
「くれ!ラモス」「スモラレク」
「テンカーテ バルサ去る場 諦観 て」
「
posted by ひよこ組 | 2008-05-09 21:30
返.● しかし、しかし、
ひよこ組 さんへ
どうもありがとうございます、Side・off・side は苦しいですからね。
マラドオナ、すばらしい
おー、たくさんですね。
国立の決勝は見にいこうかと思ったんですが・・
後悔しましたね、78年ワールドカップ優勝のアルゼンチンより遥かによかったですからね。くそぉ、気づき、遅く…
友達数人は練習の後に連れ立って急ぎましたね。往時は当日券が充分に買えたもの。
メキシコのブラジルみたいにビクトリー・ランというか、観客なだれこみでしょう?
マラドーナ触ったという友達が、翌日の練習で、死ぬまで手を洗わないといってました。
その日も転んでましたから、長くても一日弱の決心だったことと思います。
posted by コリバノフ | 2008-05-09 22:08
● しかし、しかし、
そうでした、カロージさんのところに書いてあったの失念してました。
これ読むと、戦後トラップかけるために確かに2バック主流だったんでしょうね。合わせて前がかり気味だったと想像できる。でも、コンパクトにしてプレスをかけるという意図よりも単にトラップのためと考えたほうが自然では。チームによってはハーフコート・プレスと表現できるような有機的なサッカーを見せてたとは思うんッスが、多くは自陣よりも相手陣内でポゼッションすること、相手側のトラップ戦術にひっかからないためにであって、かなり消極的な理由から前がかりなポジショニングをとったように思うんッスが・・・。
FAファイナルのマッチレポート見ても具体的な記述がないんではっきりしたことは言えないんですが・・プレスとはちょっと違うんじゃないかと。
あと気になるのはニューカッスルの順位の浮き沈み。マックラケンが入ったのは1904年ですが、1910年代に得点が減り、戦後増えているところ。
単にプレイヤーの成長や質の問題かもしれないですが1900年代から通して「keep it on the carpet」を志向していたとしたら、戦後の得点増はやっぱり気になりますね。
留園の書の復元を開陳していただきありがとうございます。知識はないのでおこがましいですが、異論はないッスね。更なる希望としてはもう少し復元を(笑)確かにこれ調べるのは大変ですね。自分としてはもうちょっとルール変更整理ですね。まだ、ごちゃごちゃでやってないッスけど(笑)
留園ってオフサイドトラップ?気がつかなかったです(笑)
最後はハンフリー・ボガードですよね。恐らくマルタの鷹。
posted by ブランク | 2008-05-09 23:18
● しかし、しかし、
忘れてました(笑)ここのサイト、面白かったので参考までに。ファイナルのマッチレポートとプログラムが面白かったです。
http://www.fa-cupfinals.co.uk/index.htm
posted by ブランク | 2008-05-09 23:55
返.● しかし、しかし、
ブランク さんへ.
ありがとうございます。
> 消極的な理由から前がかりなポジショニング
中身は異なるのかもしれませんが、守備的な理由から前がかりなポジショニングをとってリアクション攻撃っていうのは、二十一世紀にももてはやされる考え方かなと感じますよ。攻撃的な守備という言葉に乗せられて、守備型の選手の配置を喜ぶ人が多くなったのでは?
> 具体的な記述がない
文字にするのは難しいだろうし、布陣や得点経過で足りる人がほとんどだったんじゃないでしょうか。
> プレスとはちょっと違うんじゃないか
ふふふ
気になるのは、戦前のゴール数急落ですね。
マックラケン本人は、オフサイド・トラップうんぬんなしに、かつての偉大な選手のひとりみたいですよ。
> 留園の書
竜煙から、これじゃ留年かもな、と。
復元してみてください、お願いします。
> ここのサイト、面白かったので参考までに
重ねてありがとうございます。またよろしくどうぞ。
posted by コリバノフ | 2008-05-09 23:59

このせっかくのハーフコート・プレスですが、優勝できなかったわけですね、たぶん駆使しただろうニューカッスルは。失点の少なさ競争で一位になりはしましたが。ノッツ・カウンティも同種のことを始めていたとして、結局は二部と一部を行き来しています。
おそらくこのころのニューカッスルは、繊細優美に織りなすパターンを失っていたものと想像します。いくら失点を減らしても得点を増やさないことには無理だったんですね。

