2008年04月30日

● 総統のオリンピック

 フットボール・アソシェーション(イングランド協会)の物語が、アソシェーション・フットボール(サッカー)の物語である。
	 —「フットボール・アソシェーションの歴史(1953)」—


 ベルリン・オリンピックは、日本が、サッカー強国に成長したスウェーデンを破った大会としても知られています。中国も出ていました。
 このときの日本代表主将が、当時の英国を厳しい目で観察した竹内さんでしたね。スウェーデン戦の次で日本はイタリアに大敗し、その後に竹内氏の視察が始まったわけです。

 優勝したイタリアは、ビットリオ・ポッツォ監督のもと、主要なメンバーをプロフェッショナルの一部リーグから選抜したように見えます。
 右ウィングのフロッシはこの年にインテル・ミラノ、当時はムッソリーニの意向で名称をアンブロジアーナに変えていたクラブへ移籍。ハーフのロカテッリも同じくアンブロジアーナ。このロカテッリは二年後の1938年ワールドカップ優勝イレブンでもあり、ほかの選手でも五輪代表、フル代表、両方に出てくる人がいたようです。
 アマチュア契約なのかどうかは、さて?

 準優勝のオーストリアはジミー・ホーガンが監督で、選手はマイスル監督指揮下の驚異のチームとは別枠、アマチュアのみだったといいます。
 銅メダルがノルウェー、四位がポーランド。ほかには、強力だったペルー、ドイツなど。
 ペルーは延長戦の末にオーストリアを破っています。しかしサポーターの乱入事件中の勝ち越し点が問題とされて早々に無効、再試合と決まったが、それを不服としたペルーはボイコット、敗退となります。

 ドイツはプロフェッショナルが、いわゆる正式には公認されておらず、逆に一流クラスに匹敵するセミ・プロ的選手を揃えたものと思われます。たぶん現代語に訳せば、ネルツ監督以下、ほぼフル代表と同等のチームが出場した、となるんではないでしょうか。
 シフリンク、シェパン等を擁していた1934年イタリア・ワールドカップでのドイツは、三位決定戦でオーストリアを退けています。

 1933年に首相となったヒトラーは、生涯一度しか本格的なサッカー観戦をしなかったとの伝説があります。
 そのヒトラー、ゲッベルスほか、政府・党の幹部が臨席している前で、ドイツ代表チームはほぼ完全なアマチュアだというノルウェーに敗れました。

イタリア代表
「Bruno Venturini, Alfredo Foni, Pietro Rava, Giuseppe Baldo, Achille Piccini, Ugo Locatelli, Annibale Frossi, Libero Marchini, Sergio Bertoni, Carlo Biagi, Francesco Gabriotti, Giulio Capelli, Alfonso Negro, Luigi Scarabello」

オーストリア代表
「Eduard Kainberger, Ernst Künz, Martin Kargl, Anton Krenn, Karl Wahlmüller, Max Hofmeister, Walter Werginz, Adolf Laudon, Klement Steinmetz, Karl Kainberger, Franz Fuchsberger, Franz Mandl, Josef Kitzmüller」

 このオリンピックは後につながる聖火リレー、国旗国歌の慣習を生み出しています。五輪組織委員会事務局長がカール・ディームでしょうかね。聖火リレーを案出したのはこの方らしいです。

● ベルリン体育大学

 ディーム博士は一九二九年、日独対抗競技のドイツ選手団団長として来日しています。たしかそのときに日本見聞記だかを残したという話です。日本語訳が刊行されたり、どこかに公開されているのでしょうか?

 後のワールドカップ優勝監督ゼップ・ヘルベルガーを、ベルリン体育大学で学べるよう便宜をはかったのが、このディーム博士だともいわれます。一九二〇年代から三十年代初頭にかけては副学長を務めていたんですね。

 戦争でベルリン体育大学は消え、戦後の西ドイツではケルン体育大学が創立されます。大学とは言わずに単なる学校と称するのかもしれませんが、カール・ディームが初代学長になったらしいです。

● サッカー地図

 ベルリン五輪敗退後のイングランドの報告書では、他国が旧式サッカーをしており、それが優れているとしていました。ふたりオフサイド規定なのに三人オフサイド時代のようにプレーをしていたという意味ですね。
 図式的にすれば、英国がオフサイド変更以前の段階ですでに変更後に適した、現代的で進歩的なスタイルをとっていて、それが変更後に先鋭化・発展してそのまま続く。かたや進歩が遅い外国は、旧オフサイドに適合していたやり方を変更後もだいたい保って、それで新オフサイドに対応してしまった、と。

 ブラジルやドイツなど一部を除けば、主要サッカー強国はサード・バック・ゲームに同調しなかったのでしょうね。おそらくは伯・独もWMのかたちを採用したとはいいながら、プレー内容では英国から相当に遅れていたのではないかと思います。
 つまり第二次大戦までは英国とほかの一部だけが先鋭的なモダン・タイムズで、世界の主流がWMとはいえないはず…?

 ベルリン五輪での主な旧式国はたぶんイタリア、オーストリア、ペルー。さらにポーランドも同類ではないでしょうか。ノルウェーは違うかなという気がしますが、よくわかりません。
 とりあえず、当時はドナウ・ラプラタ・ファッションという旧モードこそがほんとうの主流だろうと思います。その伝統的装いの変奏によって新オフサイドにも対応し、ということは、たぶんある程度は守備固めにも成功、そのため少なくともオリンピックの水準では圧勝気味だった、と。そして英国四協会不参加のワールドカップでも、きっと同様だろうかと想像します。

● 報告書の問題意識

 ナチス・ドイツの1936年五輪用英国代表チームは、ベルリンでメダルを誇示する狙いがあったものと見ましょうか。優勝を目指した代表だと。
 それが、接戦とはいえポーランドに敗れたことで、報告書に連署した幹部二名にはかなりの危機感があったみたいですね。報告を読ませる主要な相手は評議会なのかと考えておきます。
 そしてこの報告の背景には、単にオリンピックのショックだけではなく、もっと切迫した怖れがあったものと思えます。

 アマチュア五輪に触れた報告書なのに、プロのリーグの方を問題にしている。まあたぶんアマチュア代表選手もプロ・クラブでプレーする人たちだったんでしょうがね。そして頂点から転換せねばならないという意味では、ごく一般的考え方でもありますけどね。
 が、おそらくそれ以上に、この時点では数えるほどしか敗戦を経験していないフル代表も、やり方を変えなければ弱体化していくと予期していたのかなと思います。

 1929年にアウェーながらもスペインに負けてしまい、不敗のイングランド代表神話は手直しを迫られて、このときには地元での無敗伝説へ切り換えられています。
 それは戦後まで守られるとはいえ、このオリンピックの年はすでにフル代表の方が、驚異のチーム、オーストリアにウィーンで敗れ、さらにベルギーにまでも負けてしまいます。振り返れば二年前もハンガリーとチェコスロバキアに連敗していました。もはや、地元でなければ負けてもおかしくない。それは極端かもしれませんが、そんな感覚に近いものを持っていたのだと推測します。

● 「フットボール・アソシェーションの歴史」

 この本はサッカー成立九十周年の1953年、 The Naldrett Press から出たFAの出版物で、ジェフリー・グリーンの支援のもとに、J.R.ウィッティ、H.V.ユーシルという人が中心になって編集した大冊です。700ページ近くあり、口絵モノクロ写真はFAの当時の Patron だという、若き日のエリザベス二世。ガーター勲章をつけて王冠をかぶって載っていました。

 これはひと月くらいかけたところでとても読み切れるものではありませんね。ざっと見せてもらったところでは、例の報告書はやはりなさそうでした。
 マイスルは報告書をどこで見つけたのかを記していません。この本のことを「再刊された」と述べていますので、同種の本が以前にあって、そこで発見したということでしょうか。
 もしそうなら…、ベルリン大会が1936年ですから、1943年のFA創立八十年記念出版とかかもしれないですね。そうではなく、書類の山の中からマイスルが報告書を見つけ出したんでしょうか…

● 総裁?

 「フットボール・アソシェーションの歴史」にはアスローン伯爵が序文を寄せています。この方が1953年当時のFA会長ですが、そう呼ぶのが一般的なのかどうかわかりません。
 President としてアスローン伯、Chairman はA.ブルック・ハースト卿、Secretary が例のスタンリー・ラウス卿でした。それぞれ会長、理事長、事務局長とかにしていいんでしょうか?
 さらに Hon treasurer という肩書きの人は、名誉財務理事みたいな感じですか、それとも実質的な財務責任者になるんでしょうか?

 あとは名誉副会長が当時は七名いますね。残念ながらウレフォードブラウンは1951年に亡くなっています。それから五年ほど経つと、クリフォード・ブラウンが25歳という若さで没します。

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● 総統のオリンピック

コメント投稿者ID :

第二次世界大戦に入ろうとするこの時期、サッカーに関わる者は不安に感じていたのだろうか?とか、ふと考えてしまいました。

オフサイド改正の話を聞きに柳田翁よろしく、フットボール・フォークロアを採取するなんて想像するとワクワクするんッスがもう存命している人もほとんどいないでしょうね。20年前だったら別だったんでしょうが・・・。で、タイム・マシーンって?かなり面白かったんッスが、理論的には可能みたいですね。それがらみで思ったんですが、ジョン・タイターって知ってますか?なんか彼の予言のせいでこのベルリン・オリンピックと今度の北京を重ねてみてしまいました。今、世界大戦を現実視するにはあまりにも世相と離れているような気もしますが、ベルリンに参加した選手たちはその当時大戦の予兆を感じていたんでしょうか?

サッカーから離れちゃいましたが、イングランドのサッカーへの弱体化への恐怖ってこの時代、今の柔道以上だったのかもしれませんね。ちょっとあれ?って思ったのが次のロンドン五輪もそうなんでしょうが、建前はこの英国代表って4協会の混成チームですよね。選手選考の基準ってどうだったんでしょう。今だったらイーブンとかなるのかな?
イングランドは宗主国であるがゆえの不安・恐怖っていうのが最強と周囲に思われた頃でもあったんだろうか?その視点も加えてオフサイド改正をみるのも面白いですね。

クリフォードって考えたら大戦を経てデビュー、かたやローチは去年まで生きてた。人生ってなんでしょうね。お気楽なのかもしれませんが、戦争を経験せずにサッカーをずっと楽しんでいきたいですね。

posted by ブランク | 2008-04-30 18:58

返.● 総統のオリンピック

コメント投稿者ID :

ブランク さんへ

> ジョン・タイターって知ってますか

ノストラダムス世代なものでまったく…
超能力者が、科学者でなく奇術師に弱いように、予言も占い師さんに解説していただくのがいいでしょう。
マジックは松田道弘氏とかの本がおもしろいですね。

> 今、世界大戦を現実視するにはあまりにも世相と離れて

ヒトラーたちも選挙で勝っているし、日本だって下々は普通に行楽してたようですよ。一般人は治安維持法なんて気にしません。特別な世相だから戦争するわけでもないと思うんですがね。

> ベルリンに参加した選手たちはその当時大戦の予兆を

漠然とした予期はあったんでしょうね。
でもまだ理想が生きてたんじゃんないでしょうか。
モスクワ、ロサンゼルスのころでも、まだ政治とスポーツは切り離そうって正論があって、その主張は、なにも稚拙で恥ずかしいだとかナイフだとか、馬鹿げた連中にそんな批判を許すもんでもなかったような。
今、中国問題はどうなってるんでしょうか。不可分にしちゃってるんじゃないですかね、配文くすジャーナリストなんかが。

> 今の柔道以上だったのかもしれませんね

でしょうねって、柔道の人がどうなのかよく知りませんが。

> 建前はこの英国代表って4協会の混成チーム

違うんじゃないでしょうか。イギリス五輪委員会の代表だけど、各協会はイングランドを派遣するってことで話がついたのかなと想像します。
混成だったら、それこそ選考とかおおごとでは?
逆に、混成が可能なら、ほかの大会予選でイギリスから四つも参加させることにはならなかったんじゃないでしょうか。そこらへん、当事者も意識充分だったり?

> かたやローチは去年まで

そうなんですか! 最近なにがどうなってるのか全然知らないです…。
ロリンズも健在?

posted by コリバノフ | 2008-04-30 20:13

● 総統のオリンピック

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SFが好きなもんで、タイムマシーンで来た未来人って背景が(笑)ただ、昨今の状況をみると気になって・・・気に障るようでしたらご勘弁を。

勉強不足でした(涙)英国代表は混成じゃなかったですね。他の協会同意のもとでのイングランド派遣でした。とすると混成チームができるなら、初めてってことになるんですね。スコットランドがWCにも影響するってんで反対のようですがどうなりますか・・・。

ロリンズは健在ですね。バップ期だとあと誰がいるでしょうかね。ジム・ホールとロイ・ヘインズですね。まだまだ現役っていうのは驚きです。

posted by ブランク | 2008-04-30 21:21

返.● 総統のオリンピック

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ブランク さんへ

ありがとうございます。

> SFが好きなもんで

詳しく知らないんですが、タイターさん的なのはかなり古いパターンじゃないでしょうか。つまり、古典だから規範?
でもどうせなら…、オーバーロードがついに飛行体で現れて、ちらりとのぞいたらオシム氏に見えた、なんてことにつながる大河ドラマをつくってみてはどうでしょうか。そこには予言も入れられそう。

> 気に障るようでしたら

なにも気に障ってませんし気に障るコメントでも勝手でかまいませんよ。
オフサイド・トラップは試みたけど、横浜ららばいみたいのでも基本的にけっこうなんです。

> 他の協会同意のもとでのイングランド派遣でした

なにに書いてありましたか?

> ジム・ホールとロイ・ヘインズ

よく聴いてませんがビル・エバンスとデュオとかアランフェスなんかは覚えてますね。ロイ・ヘインズもモンクとかと一緒だった人ですよね。いまだに!
けっこう世代は混乱しちゃってわからなくなったりします。

posted by コリバノフ | 2008-04-30 22:06

● 総統のオリンピック

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夏への扉、幼年期の終わり・・・んー、確かに古典ですね。どっちかというとターミネターのパクリだと言われてるんですが、自分としては夢とも現実ともつかないディック的なリアリティーを感じるんですけどね。オシムさんはSFよりも推理物のほうがいいような。マープルみたいに椅子に座っててもらって、世間にぶつくさ文句をいいながら人に解決させる。まあ、事件に関係なくオリンピックの頃とか昔話をしてもらってそれを楽しむみたいな。予言者だと当たらなかったら「そういう見方もある」って言われそう(笑)

オリンピックのはいつものWikipedia(笑)
ソースを見ると1971年のチームの例から類推してということですね。http://en.wikipedia.org/wiki/United_Kingdom_national_football_team
http://www.thefa.com/TheFA/NewsFromTheFA/Postings/2004/03/Wembley_Olympic_bid.htm

自分も90年代前半まではなんとか理解できるんですが、今はさっぱり。アンダーカレントはお気に入り(笑)、ジム・ホールは10年ぐらい前に一度聞きに行って「まだバリバリやれるんだ」って驚きましたがまだ新譜出してますからね。ホント驚き。

posted by ブランク | 2008-05-01 00:33

返.● 総統のオリンピック

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ブランク さんへ

> SFよりも推理物のほうがいいような

マープルでなくポアロの象は忘れない?
今ごろになって意味がわかって殺意が、という、Whydoneit 風味の地味な傑作があったはず。サッカーのやり方も案外そんな、いわれてみればみたいなところがあるのかも…

> いつものWikipedia

英語版はけっこう正確らしいですね。
なんだ、スコットランドって1929年まで海外と試合をしてなかったんですか。それなら間違いなく1931年まで負けてない…
イングランドは1908年からだと書いてある。正式にはオーストリア戦から始まる6月のハプスブルク帝国四連戦が、たしかに最初の外国戦とされてるらしいですね。
でも非公式のは以下だとのこと。

「大陸の相手との初国際試合は一八九九年十一月二十三日、ベルリンでドイツのイレブンと対したときだった。後になって厳密には公式国際試合ではないとして抹消され、あれはドイツ・チームだとは認められていない。しかし開催された事実は残った。ヴァルター・ベンゼマン(後の、週刊サッカー誌「キッカー」の編集者兼経営者)と、エルヴィン、イフォのシュリッカー兄弟からなるドイツ国際試合委員会は、イギリスを代表する招待されたチームとドイツ・チームとの対戦だとした。イフォ・シュリッカー博士は後年のFIFA事務局長である。【ベンゼマンはこの試合のドイツ監督、シュリッカー兄弟は出場選手で、イフォ・シュリッカーが主将】
 二十三日の対戦ではイングランドのイレブンが十三対二で勝ち、すぐ翌日にも十対二で勝利した。そのままイングランドは対外試合を続け、二十八日にはシュリッカー兄弟のホーム・チーム、カールスルーエにも七対○で大勝した。【この間、二十五日か二十六日にも、イングランドは非公式とされる試合をした。相手はオーストリア・ハンガリー帝国の選手たち。プラハとウィーンのクラブから選抜され、やはりベンゼマンが監督、結果は八対○でイングランドの勝利。(チェコスロバキア独立宣言は一九一八年、そしてスロバキア分離が一九九三年)】」

> ソースを見ると1971年のチームの例から類推

そのときの監督 Charles Hughes が、ダイレクト・プレーなる言葉を押し出して本を書き、それを直行型とかでなくダイレクト・プレーと日本語訳したんですよ。ノー・トラップ、またはワン・タッチと区別が混乱して困ってる。なんて言うのは誰でしょうかね。
一部で名著だとされてるそうです。
このヒューズさんは本やビデオが好きで、もっと前に岡野さんが訳した本も出てました。

おお、アンダーカレントでしたね!
謎めいた湖中の女

どうもありがとうございました。

posted by コリバノフ | 2008-05-01 06:37

アンダーカレント 湖中の女

コメント投稿者ID :

アンダーカレント

ビルエバンス&ジムホール 1962

1961 スコット・ラファロとの「ワルツ・フォー・デビー」「サンデイ・アット、、」
→「アンダーカレント」
→1962 チャック・イスラエルとの「ムーンビームス」

写真は Toni Frissell

小川で溺死した オフィーリア。
PRBのミレーは エリザベス・シダルを浴槽に
浮かべて 描いた。




posted by ひよこ組 | 2008-05-03 00:28

ホワッツ・ニュー かわいい女

コメント投稿者ID :

ひよこ組 さんへ

フルートのも、BGMっぽいかと思ったらけっこう鋭いというかおもしろいものでした。

ここ何年か、図書館のCDで昔のをAACとかにしており、エバンスもいくつか入れたと思いましたが、まだ「ムーンビームス」ほか、もろもろありますね。表に出ても裏に回っても、オールラウンドにプレーできる選手でしょうか。
別方向もかなり興味深く、ニーベルンクの指環が公共図書館で数セット集まったりして、そっちの方にけっこう貧乏に喜んでました。でもその手のは非圧縮にしたりしてしまい、いくらなんでも膨大で、自粛せざるを得ませんよ。

お、ありがとうございます、湖面の女ですね、あれは。
どうもありがとうございました。

posted by コリバノフ | 2008-05-03 08:30

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