2008年04月28日
◆ FAが考えた対策は
オフサイド改定で攻撃側が優位に立ちゴールは急増、しかし結局は守備的で雑なサッカーが蔓延してまたも得点が減り、おまけに英国は弱くも(?)なった。「次の動き」はどうあるべきか。それをFAはとっくの昔に理解していたとのことでした。いったいそれは… ————以下引用———— かつてわれわれがプレーしたゲーム 読者にとって最優先の疑問であろうことにここで回答を試みる。英国サッカーを荒廃させることになった第三のバック、これなしで、どうやって他国が長足の発展をなし得たのか … 中略 … まだ二十年ばかり前のこと、オーストリアがグラスゴーでスコットランドに2—2と引き分けた試合で、頭が固い地元のサッカー経営者たちは気づき、誇らしげに嬉し涙を浮かべたものだ。 「あれは二十年前の、俺たちがやってた試合だぞ」 なんと真っ当な見方であろうか!
英国は安全第一へ、相手にゴールさせまいとする方へ歪められた。大陸諸国はゴールを挙げようとした。 … 中略 … … 中略 … … 中略 … 「安全第一」サッカーの世代は「安全第一」精神を創出した。あたかもフランスで「難攻不落」の要塞が(言うなれば)「マジノ線」気質を生み出したように。 【マジノ線は仏が対独国境沿いへ連続的に敷設した塹壕や要塞群】 政治や戦闘と同様に、サッカーにおいても「安全第一」は主導権の放棄を意味し、受動的役割を選択するということである。これは退廃と弱体化へと導いてしまうものだ。 この発見に私は著作権を主張したりはしない。さらに言えば、英国指導者の幾人かが同時期に同じことに気づいていたこと、そしてその時点でそれに対する批判さえもしていたこと。このことを知り、自分が後押しをされたように感じる。診断のみならず処方についても正しいと充分に証明された感じである。 一九三六年ベルリン・オリンピックの強力な全英代表チームは、ポーランドに双方合計で九点目となるゴールを決められて敗れてしまった。 … 中略 … 遠征チームは帰国、「選手選考委員会・事務局レポート」が提出され、 … 中略 … 「〜、われわれのプレー・スタイルに対するいくらかの敬意はあれ、 … 中略 … 好意的な見方をしていなかった。そして一般的には、守備よりも攻撃を目的とする旧式の方が、彼らにとってはより効果的であり、間違いなく見ていて遥かにおもしろいことも証明した。 われわれのプロフェッショナル・チームはこのシーズンからでも、長きにわたって行われてきた形態のサッカーに立ち返っていくべきだろう。そう信ずるいくつかの理由がある。 オフサイド・ルールの変更でもたらされた状況がまずあり、かつての変化は、単にそれへ対応しようとする考えによるものである。もしそれを元に戻せば国際試合の結果が好転していくだろう。 … 中略 … 代表選手選考委員 G・ウレフォードブラウン 事務局 S・F・ラウス 」 … 中略 … 〜、この報告は真に最高級の賞賛を受ける価値がある。再刊された「フットボール・アソシェーションの歴史」の中にはこの報告書を見出せず、かなり私は失望してしまった。わがプロフェッショナル・チームが「今シーズン」にも改善されるという予言は、もちろん過度に楽天的で … 後略 … — 「サッカー・レボリューション」(ウィリー・マイスル)— ————以上、引用終わり———— なんだ、昔へ戻れ、と… ● スコットランド対オーストリア 2—2 1954年から二十年くらい前。おそらく1933年11月29日の試合かと思います。スコットランドが前後半ともに先制して追いつかれる。 さらりと書いてありましたが、スコットランドの相手はフーゴ・マイスルの驚異のチームといえそうです。ウルグアイ、アルゼンチンを無視すれば実力世界一かとも噂された、至高のポジション・チェンジのオーストリア。 1931年2月にミラノでイタリア相手に1−2と惜敗してから後、1934年ワールドカップで同じく地元イタリアにミラノで0−1と敗退するまで、この間は21勝6分2敗。二つの負けは伝説的なイングランド戦と、ウィーンでうっかりしてしまったチェコスロバキア戦。この時期とその前後を含めた十何年かが、たぶんオーストリアの黄金のときです。 もとは一緒の国だったハンガリーのプレ黄金時代とあわせて、つかの間のハプスブルク帝国復活が祝福されました。 すでにイングランドは1929年、スペイン戦で歴史上初めての敗北を喫しましたが、スコットランドは1931年まで無敗だったんではないでしょうか。 そのスコットランドが海外チームに史上初の敗北を体験するのは、たぶんこの驚異のオーストリア相手だったろうと思います。1931年にウィーンで0−5。ついでに史上二度目の敗戦が、続くローマでのイタリア戦の0−3。【追記(5月19日);この遠征メンバーには、レンジャーズとセルティックの選手が含まれていなかったようです】 そして1933年、グラスゴーに乗り込んだオーストリアは、地元でスコットランドを大破したときのメンバーが半分。攻撃陣はほぼそのまま。前年にイングランドをロンドンで破りそうだったと噂されたチームと四名しか違わない。 スコットランドは、イングランド対オーストリアを見たでしょう。全員を入れ替えて地元敗戦だけは避けようと? しかし最強時代のオーストリアとしては、おそらくこのころはかなり調子を落としていた時期だったのかと見えます。十二月にアムステルダムでオランダを破るまで、結局この秋は三戦三引き分けでした。 引き分けに終ったわけですが、相手のオーストリアは「旧式」に見えるプレーをしていて、それはスコットランドが昔やっていたことだという。 1933年から二十年前だと、第一次世界大戦が始まっていないころ。スコットランドのオフサイド地獄もこのころかと思えますから、「俺たちがやってた試合」がリーグで見られたのはもう少し昔なのかなという気もします。実態はどうだったでしょうか。 スコットランド オーストリア James Kennaway 1 Peter Platzer Andrew Anderson 2 Anton Janda Peter McGonagle 3 Karl Szestak "Sesta" David Meiklejohn 4 Franz Wagner Philip Watson 5 Josef Smistik George Brown 6 Walter Nausch Duncan Ogilvie 7 Karl Zischek Robert Bruce 8 Josef Bican William MacFadyen 9 Matthias Sindelar Robert McPhail 10 Anton Schall Douglas Duncan 11 Rudolf Viertl ● 三人オフサイドに? 報告書にはルール自体をもとに戻せと明記してはいません。だから、あるいはルールよりも試合の中身、サッカーのやり方を昔のようにやれとの趣旨かもしれない。しかし上流階級的な過小表現だった気もしますね。 当時はルールを変えることも比較的やりやすく、報告を読む側もそれを少なくとも念頭に置いてはいただろうと思います。二十一世紀とは違いますからね。 1958年までは、もし英国四協会のうちの三つが決意すれば、ほかの数十か国がどう考えていようとも、好きなようにルール変更はできたはず。イングランドのみでは無理でしたけど。 これは三人へ戻そうという意図があっての報告書だったかもしれません。でもそれは英国内の多数派とはならず、無事に現行のふたりオフサイドが守られ… ほとんど余談で終ってしまいました^^;
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◆ FAが考えた対策は
いつの間にどんどん話が進んでしまっている(涙)
この文脈で見ると、オフサイド改正以前のやり方=「旧式」・・・パス主体のサッカーってことなんですよね?
「安全第一」が面白くないから「旧式」を懐古?で、また元に戻したかった・・・。
んー、じゃー、オフサイド改正って一体なんだったのかって感じですよね!!って、憤ってもしょうがないですが・・・。
サード・バックが英国を荒廃させた・・・だけど、チャップマンはその先を見ていた。んー、面白いですね。何がやりたかったんでしょうね、チャップマンは。
このオーストリアのチームは5番はWMと同じような役割をもったセンターハーフだったんですか?ゴールデンチームも5番はセンターハーフだったようなんですが、ロラントの動きって実際どうだったんでしょうか・・・。誘導されてしまっていますが、気になりますね(笑)
posted by ブランク | 2008-04-29 00:42
返.◆ FAが考えた対策は
ブランク さんへ
どうもありがとうございます。
いつの間にかどんどん話が戻ってしまっていますよ。
> オフサイド改正以前のやり方=「旧式」・・・パス主体のサッカーってことなんですよね?
この話の中ではそうですね。
マイスルやグリーンの言い伝えからすると、中途までサッカー史の本道として扱われるイギリスの方こそが、正統ではなくなっていたということになります。後のグランヴィルなどもそれを引き継いだ話を展開したようです。
ではそのような見方を事実だと仮定することにし、そうした線で大雑把にながめ直そうとしてみると?
ひとつの鍵になるのが、やはりオフサイドのようです。
> 何がやりたかったんでしょうね、チャップマンは
柔軟な想像力や旧式実体験のほか、この人は大陸をよく見ていたという異端性があります。ホーガンとは対立していたように言われますが、表現の差よりは実質に違いが少なかったのかとも思えます。
> このオーストリアのチームは5番は
スミスティクは守備ラインから浮いて活動するロービング的な人でしょう。
戦後のハンガリーはWM式背番号を採用していると思います。
posted by コリバノフ | 2008-04-29 15:38
◆ FAが考えた対策は
戻っちゃってるんですか・・・螺旋状に話が進行するのかなって思ってるんですが・・・なんとかマーチなんッスね、きっと(笑)。
このブログを読んでいろいろ深く考えさせてもらえるようになって感謝してるんですが、オフサイド改正ってなんだったのかよくわからなくなってきました(笑)ホント、なんだったんだろう、改正した意味って。
で、5番っていうのがオフサイド改正前後の鍵なのはわかったんですが、2-3-5は改正後も大陸や南米で残ってたんですよね。コメントを読ませてもらうと、オーストリアのセンターハーフって改正以前の役割にポジション・チェンジが重視されたような感じで恐らくいいんだと思うんですが。で、他の国での発展と比べ、サードバックっていうのが突然変異ぽいっていうことはなんとなくわかったんですが、サードバックでの5番っていうのは果たして本当にチャプマンにとって守備的であったのかっていうのはやはり疑問を感じてきました。
この時代のポジションってかなりかっちりしてたんでしょうが、そうであっても5番はかなりフリーマン的な存在でもあったのかと。サードバックはマンマークが基本で、センターフォワードの役割が重要になってきたから変わったのはわかるんですが、果たしてチャプマンは単にそこにあてるために5番を下げたのか?
もしかしてスイスボルトみたいなことを考えていたのでは?と考えてしまいました。攻守の切り替えを早くするためにマークの重要さを認識させた上で、5番にはゲームメークも含めた役割に加え守備の重要さを認識させる。そして運動量豊富な全員攻撃、全員守備を最終的には目指したのかなあと。
これはちょっと穿った見方かもしれませんが、ブログ読ませていただいてなんかそんな妄想が浮かんでしまいました(笑)。ゆくゆくはそのアタリも触れられるのかと期待していますが・・・。
ベルリン・オリンピックは全くわからないので(笑)じっくり読ませてもらったからまたコメントを。
posted by ブランク | 2008-04-30 00:34
返.◆ FAが考えた対策は
ブランク さんへ
> よくわからなくなって
とりあえず近年の通念と、そうでない過去の視点を較べ、かつてのマイスルたちの見地が事実に近いとしたら、いったいどんなことが起こったかを再構成し、さらにそれに対する反論を組み立ててみればいいと思います。その際、手近な言い伝えとは別な見方をするために、タイム・マシンを製作するのが望ましいでしょう。
サード・バック自体は当然なのだと考える場合、それ以前が異形だったとするのがかんたんでしょうね。
「…ソロイストたちからなるオーケストラをつくりあげたチャプマンは、アシスタントや名演奏家たちとともに、変更されたオフサイドを最大限活用するための新たな戦術構想に没入した。
『第三のバック』が誕生し、それは後にさまざまな異名で知られるようになる。ポリスマン、バリヤー、ストッパー、ボディガード、フェンス。スウェーデンではオーバーコートと呼び、その意は、事実上相手センターフォワードをつかまえ、まといついているというほどのことだ」
スイスボルトをWMプラス・スイーパーだとする解説が行われているようですが、常識的にはあり得ないことだと思いませんか?
まあ、「フースバル」1928年版にWMが詳述されているなら、あり得なくもないのか…
posted by コリバノフ | 2008-04-30 00:58


