2008年04月25日

ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

 ブラジル伝統の背番号の割り振り方、そしてその移り変わりについて、およその見当がつく方、詳しくご存知の方はいらっしゃいませんか?
 以下、適当な印象を書きますので、もっと実情に近い話を教えてください。


 ブラジル代表チームはワールドカップなどに臨む際、事前の登録背番号でレギュラー選手を暗示する伝統があったように思えます。ま、準備試合でどうせ予測されちゃうのだし、暗示というよりはあらためて明示といった感じですが。
 基本は1から11までをレギュラー格に与えることにしていて、番号割り振りの理屈も、そのときそのときの習慣に応じて大切に守っていたなという気がします。

 今では考えづらいことですが、1930年代末から50年代にかけてはWMを採用していたそうで、両サイドの守備者に3番・2番を与える流れもあったようです。ふたりの名高いサントスも一時はそうしていたでしょうかね。

   6 4
 3  5  2

 ただ、5番をストッパー・センターハーフで統一してもいなかったかもしれませんね。4番をストッパーに据えるという独自のパターンもあったようです。そしてさらにもうひとりを下げて4バック的になるかたちが「ダイアゴナル」時の3+1ディフェンスでしょうか。

 このあたり、WMによる新英国式番号と、ウルグアイ型旧英国式番号の折衷具合がよくわかりません。初優勝のワールドカップでは、くじびきみたいにして番号を決めたようです。
 ほかに独自のこんなパターンがあったみたいですが、一時は標準になった背番号割り振りなんでしょうか?

					4ジト
6N.サントス 3マウロ 5ゾジモ 2D.サントス

● 伝統回帰はザガロ監督のときだけ?

 しかし中途からはウルグアイ型、6・3・2・4+5に回帰したとも見えますが、ここらの事情も不明です。ま、回帰といっていいのか不確かですが、一時期は最終ラインのモデル配置が6・3・2・4の並びでしばらく続いていたようです。

    5
 6 3 2 4

 たとえば1970年、イタリアとの決勝戦でペレのアシストから四点目をたたき込んだ右バック、主将のカルロス・アルベルトは4番でした。このときはサッカーだけでなく番号もきれいでした。
 当初左バックに想定されていただろう6番マルコ・アントニオに代わり、どうにも不安を覚える16番のエベラウドが左に入っただけで、あとは1から11までが並んでいました。ブリト、ピアッザのセンターバック陣は2番・3番。そして4から11までは全員が神々しい伝説ですね。

 マルコ・アントニオは次の西ドイツ・ワールドカップでは初めから16番になり、6は金髪のマリーニョ・シャーガス、というよりも日本ではフランシスコ・マリーニョ。
 敗退したブラジルの中でも注目された名選手、アタッキング・センターバックのルイス・ペレイラは2番で、相方のマリオ・マリーニョが3番。右バックはネリーニョがいましたが、本来レギュラーだったゼ・マリアにはちゃんと4番が与えられていました。
 つまりザガロ監督の好みなんでしょうか?

 1978年アルゼンチン大会になると、レギュラー格に本来のポジションの番号をという傾向に変わりはなさそうでしたが、当時は若手の3番オスカールとともに中央を守るディフェンスの中心、アマラウは4番でした。2番のトニーニョが右バックだったか?
 このあたりの事情はどんなものなんでしょうか?
 こちらが古い伝統なのか、1970年代後半からの新しい風習からなのか、2番が右バックというのがその後は標準になったようです。見事だった1982年スペイン・ワールドカップでも、疾風の右バック、レアンドロが2番を着ていたと思います。

    5
 6 3 4 2

 どんな理由からなんでしょうか。今もその慣習が引き継がれているみたいです。このもとになった由来とか、なにか伝説・憶測はありませんか?

● ふたたびアルゼンチン

    5
 6 3 2 4

 アルゼンチンも上記基本型から派生型に移ってますか?
 4・6・2・3はあり得ないでしょうが、3・6・2・4が常識になったという情報は事実でしょうか?
 どうして変わっていったかという理由が見当つきませんか?

● スターとか

 2008年になってまた引退表明をしたロマーリオは、もうほんとうに復帰しないのでしょうか。好んで11番を使う人でした。
 ブラジルの11番は、ザガロ選手やリベリーノのように、どちらかというと引き気味にもなるアタッカーが伝統的に着用していたかなという印象があります。あまり前線貼りつき型でない選手ですね。リベリーノがいるときは、ジーコも11を着ていたかと思います。
 対照的に7番の方はウィング・タイプか点取り屋的な選手だったような。このあたりはヨーロッパと少し異なる、南米三か国共通のムードでしょうか。
 しかし米国ワールドカップでは、ロマーリオを11にするため、かつての11番的役割に思えたジーニョに9番を与えていた記憶があります。ロマーリオは伝説化しそうな選手ですから、もしかしたらロマーリオ由来で、この11番の風習が変化したりということは…
 過去の背番号慣習の変遷も、有名選手の好みで左右されたりしたかもしれませんね。

● 日本化

 野球の国だからかどうなのか、古来、日本リーグでは選手ごとに通年の番号を決めて登録させるかたちが行われており、試合開始時の背番号が1から11までに揃ったことはあまりなかった印象があります。もしや、まるでなかったのか?
 各地の下位リーグでもほぼそうしたルールになっていったと思います。いつからどんな理由でこうなったんでしょうか?

 Jリーグ化当初、スターティング・メンバーは11番までとされました。なんだか世界基準に近づいた感があったものです。
 が、サッカーの歴史はあっても背番号の伝統が途切れているため、前回に書いたような外国の通念は用いられず、特定の選手は自身の持ち番号をつねに用い、ほかの選手は空いている番号にするという運用が多かった感じです。
 しかし時代の方が追いついてきて、日本的な個人持ち番号制がグローバル・スタンダードになったようですね。

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posted by ports |18:22 | コメント(10) | トラックバック(0)
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ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

勉強中…。
そうか、モンテーロの4番はむしろ例外的だったんですね。

勉強中、勉強中…。
ホント、なんでアルゼンチンの3番とブラジルの2番は両脇に出ちゃったんでしょうね。

勉強中、勉強…ん?
そういや2006ワールドカップ予選プレーオフ対オーストラリア戦で、レコバは9番をつけていたような…。
ロマーリオの11番よりさらに個性的ですが、あなたは10か20のほうがよいのでは。

posted by 由比彰紀 | 2008-04-25 23:08

返.ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

由比彰紀 さんへ

ありがとうございます、ほんとにウルグアイは整ってたんですよね。多少の影響はあったでしょうが、ほぼ完璧にWMを黙殺したんではないでしょうか。
オフサイドが改定されると世界中でWMがだなんて、あり得ないと思いますよ。

当時のウルグアイは自分たちこそが中心だと考えていたかも。
戦前のワールドカップをボイコットしたことも助けになったのか、1954年まで一度も負けなかったですからね。
でもその後はブラジルに盟主の座を譲り渡して、背番号の伝統もそろそろ消滅かもしれないですね。

> 勉強中、勉強中…

気になったときには手遅れって感じです。
昔なら日系の日本語上手な人たちに聞くこともできたんですけどね、後の祭り。

ご勉強の結果、3と2がわかったら大々的に発表をお願いします。

posted by コリバノフ | 2008-04-25 23:59

ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

ググってみたんですが役立たずでした(涙)
あまり背番号には関心もってないようですね。外国だと。

やっぱりアルゼンチンは3・6・2・4みたいですが、どうしてですかね。なんかブラジルもそうですが、2バックから移行していく過程っていうのが、よくわかりません。
結局、南米はいきなり2バックから4バックになったんですかね。(ブラジルのWMは変則3バック?)

逆に言えば、恣意的に4バックにできるともいえる訳で、そうするとチャップマンが5番を下げた意図って更に気になりますね(笑)しつこいですが・・・。
ま、表面には現れなかったけど、エポックメイキングなチームの影響で変化したって考えたほうがより妥当でしょうかねぇ・・・。

posted by ブランク | 2008-04-26 00:14

返.ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

ブランク さんへ

> ググってみた

どうもありがとうございました、お手数をおかけしちゃいました。
ご存知の方はごくあたりまえのこととして消化してて、そういう方はけっこう日本にいると思います。たぶんブログとかのぞきはしないんですよね…

> 南米はいきなり2バックから4バックになった

それが正常進化だと考えたいです。

> ブラジルのWMは変則3バック?

南米三強のうち、ブラジルのみ30年代にWM流行をみたとか。
ダイアゴナルは、個人的には2バックからの発展とも見得ると妄想しましたが、WMの変形からさらに守備者を増やしたとするのが正統らしいです。

だからごちゃごちゃっとしてて当然かなとも思いますが、あのすばらしいメキシコの、ザガロ期の、完璧な2バック・ウルグアイ型の不思議を消化できません。
広くて多様性もあり、2バック流派とダイアゴナル系統とかが共存してたとか、いいかげんに屁理屈はつけられそうですけど。

アルゼンチンは、昨日の2バック→4バック→3バック→4バック説を候補案として、それから外れる流れがないのかを探ってはどうでしょうか。

> そうするとチャップマンが5番を下げた意図

そうせざるを得ない変異があったことにしようかな、と。

posted by コリバノフ | 2008-04-26 00:42

ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

アルゼンチンにWMが流行した形跡はないんですよね?

posted by 由比彰紀 | 2008-06-27 13:13

返.ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

由比彰紀 さんへ

ご考察、ありがとうございます。

> アルゼンチンにWM

誰にもたしかめてませんが、あったのでは?
以下、進展なしの繰り返しですが。

「● ウィング…ハーフ?」で少し引用した、グリーンの描写による英国祭のときのイングランド対アルゼンチン、WM風の概念でアルゼンチンが試合をしていたように感じられます。
この試合は、先制されたイングランドがクロスの嵐で逆転する、といった流れみたいです。だからアルゼンチンは後の方になると、自陣に多人数が引ききって、フォーメーション並べがあまり表れていないでしょう。

でも、グリーンは、2と5が標準的ではないことを書いています(読み方があっているとして)。
するとWM本来の2を埋めるのは何番か。それを記してはいませんでしたが。
4は、WMにあって、中央にしぼった中盤選手ですが、ライトハーフの呼称を引き継いでますから、右サイドに張り出しても、3・6がそうした場合ほどには異常に感じないでしょうね。

つまり、アルゼンチン代表チームでは3バック概念化がいったん生じ、伝統的旧式とWMの折衷的な3・2・4の最終ラインになる。
そこから十年くらい(?)を経て、6が下がる英国テイストの4バック移行が起こる。
ところがワールドカップなどの、プロ野球みたいな事前固定背番号の大会では、アルゼンチン代表は「イタリア式」や「アルファベット順」などを採用した。そのため、本来の通念の変遷が読み取りづらくなっている、と。

ということにしておいて、この説の反証を探ってみる線で進めてはいかがでしょうか。
継続して、思いついたことを教えてください。

posted by コリバノフ | 2008-06-27 18:55

ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

それそれ!まさにそれです!
だとすると先刻ご承知やもしれませんね。

http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=15/teams/team=43922.html

2 Pedro DELLACHA  MF
これをどう解釈するかです。
もし彼がWMにおける5番“センターハーフ”だったとすると?
最終ラインは3・2・4になりますよね。
58年のアルゼンチン代表は3試合とも2~6をつけた選手が出場しています。
だから2-3-5でもかまわないのですが、2番がWMのセンターハーフだとすれば、次の4バック化の時代に6番が落ちてくるのをスムーズに説明できると思うのです。

そして続く62年。
http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=21/teams/team=43922.html

まず6番がすでにDFとして登録されています。
はじめのブルガリア戦、2番と8番が欠場し、かわりに13番と15番が出場。
謎のMF2番といちおうFWの8番が消え、DFである15番とMFの13番が入る…。
きわめて乱暴ですが、これは4-2-4を指しているのではないかと。
この後の試合は、控え番号が多くなってよくわかりません。

66年は三人のGKに1・2・3を与えたりしていて不明。
70年は不出場で、74年からは例のアルファベット順が行われはじめます。
ですから58年と62年から考えるしかないのですが、この二つの大会を見るかぎり、アルゼンチンの背番号はウルグアイ型からはずいぶん遠かったのではないかと思います。
南米の三強のなかでは最も後発のアルゼンチン。
彼らはまったく独自の道を歩んでいたのでしょうか?
あるいは、W杯だけ特殊な背番号をつけていたのだとしたら…それはもうお手上げなのですが。

posted by 由比彰紀 | 2008-06-27 22:50

返.ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

由比彰紀 さんへ

早速ありがとうございます。

> 2 Pedro DELLACHA  MF
> もし彼がWMにおける5番“センターハーフ”だったとすると?

http://www.national-football-teams.com/v2/player.php?id=19348
http://www.multicompras.com/MCA-111429-El-Grfico-1736--Pedro-Dellacha--Racing-MC

ラシンの試合でどんなプレーをしていたかなど、調べられればいいですね。

> そして続く62年

これは、2がストッパー・センター「ハーフ」的な選手で、しかし、2・3・4・6で最終ラインが形成されるという見立てなのかもしれないですね。
カプは、1974年の監督になるディフェンダーでしょうか。

> 66年は三人のGKに1・2・3を与えたりしていて不明

これは最も純粋な「イタリア式」ではないですか。もしくは、元来「アルゼンチン式」なのがイタリアへ三千里かもしれません。
マスやアルティメに二桁の大きい番号を付与してるのだとしたら、本来のポジションの後ろから順に番号を振っただけ、と…

posted by コリバノフ | 2008-06-27 23:34

ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

とりあえずポスターには
「PEDORO DELLACHA Zaguero del Racing Club」
と書かれていますね。
もとよりこれがプレーを証明するものにはなり得ませんが。
こういう文字を追っていく方法が文献史学なら、映像は考古学的発掘。
そんなふうに思えてきます。

Vladislao CAP 名前は一致しますね。
しかしもしそうだとすると、74年当時四十の青年監督ですか。
代表を率いるにはずいぶん若いような…。
この判断は当時を知るコリバノフさんにおまかせします。

66年はおっしゃるとおりです。
4~7番がDF登録。FWは14~22ですから。
これはイタリアが元祖なんですか?
ジェノバを出たマルコ少年はお母さんと再開できたのでしょうか?

posted by 由比彰紀 | 2008-06-28 00:28

返.ブラジルの背番号は、どう変わって今に?

コメント投稿者ID :

由比彰紀 さんへ

ありがとうございます、これだけで当座はよろしいのかもしれませんね。
戦争前後には、どうやらWMがある程度広まり、3バック概念一般化時期があった、それが2から3というよりも、2≒4から3なのだ、と。

ブラジルがヨーロッパから正規品を購入して、それをコパカバーナ風に変えたらしいのに対し、アルゼンチンは並行輸入みたいな感覚なのかも…
旧式の伝統により、どちらかというと攻撃的2バック≒4バック風になっていたところで、三名を守備専従にと変化することになり、2は、旧式からくるセンターバックそのまま。4も同様。そして、4バック的2バックの、番号が一番大きい6が弾かれた、とか。

それと、5が、ウルグアイのバレーラみたいな伝統アタッキング・センターハーフ風味の攻撃支援型ではなく、守備的に固定するディフェンシブ・スクリーン化が起こっていた?
だから最後尾三名と、その前の5に加えて6も混ぜた守備ブロック形成に、あまり抵抗感がなかったことも考えられそうです。
例の、一番の選手がセンターハーフ、センターハーフはセンターフォワードやウィングと入れ替わる、などといった観念が、希薄化していたということはありませんか。

戦争期アルゼンチンのプレーぶり、≒WM受容(?)を調べれば、だいたいのところは確かめられそうです。
戦争期といっても、末期に参戦・派兵があったにせよ、戦場という意味では南北アメリカに第二次世界大戦はないわけで、ブラジル、ウルグアイの精強ぶりは、そのあたりから解説されて来たかもしれませんね。

ついでに、ウルグアイ凋落の契機・主因は、牧畜経済の低迷に関わるもろもろで、そこから技巧低下→守備偏重→勝敗主義→残ったのは敢闘精神だけ、とか。
こう単純化したら失礼ですが、乱暴にはこんな線でしょうか。人口だけでブラジルとの大差を説明すると、日本や中国やデンマークなど、ほかの例外が多すぎることになりますからね。


さらに延々と恐縮ですが…

> もとよりこれがプレーを証明するものにはなり得ませんが
> こういう文字を追っていく方法が文献史学なら

好古楽会ではそうした手法とイマジネーションの組み合わせにより、かつての実態を再構築していたようです。特に昨日分会では、「デダクティブよりディテクティブ」を標語に、説明論理的ではない予想、まあ過去のことですから推理でしょうか、そうやって本質抽出に勤しんでいたようです。

行為のさなかでは、エッセンスを正確に具現化していなかったり、あまり意識していないことが多い。個別のことへの対応ですからね。
そういうのは、事後にあらためて想起すると、核心がはっきりするということになりますね。結局は正史纂述風の考えでしょうか。
しかし、たった今進行中の試合についても、微分していけば同じこと、みたいに強弁できるかもしれない。つまり過去は今、とはならないにしても、考える部分では連続だということで。

> 映像は考古学的発掘

ヒョウタンのパイプで一服しながらという段になったとき、連続的に本質を適用していくか変異分断的なのか、等により、そして本質がどこにあると見ているかで、出てくるものは違っちゃうわけですね。
発掘されたもののとらえ方は、ずいぶんと多様なようですから。

> 代表を率いるにはずいぶん若いような…

メノッティ監督も三十いくつだったはずですからね、あまり特異なことともされなかったのかなと思います。
当節喧伝される大舞台での経験うんぬんが、見抜けないことの化粧なのかもしれませんね。

> イタリアが元祖なんですか?

それはもう、体験的憶断にすぎません。個人的記憶に残った背番号群の中で、イタリア代表は後ろから順番に、というのが印象づけられていただけのことでして。
影響しあうのかなという仮説をおくと、とりあえずリヒテンシュタインとかカナダのチームは除外でしょうね、きっと。1・2・3がゴールキーパーとすると、アルゼンチンから逆輸入の線もあります。
でも三千里をものともせず、ではあっても、番号については単にイタリア系的発想であって、別途無関係に並行発生したものかもしれません。そのへんは、推断でまとめておくのが吉ではないでしょうか。

posted by コリバノフ | 2008-06-28 17:48

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