2008年04月23日

◆ ラッキーアーセナル

「マーサーは6番のシャツを着てセンターバックとレフトバックの間のポジションでプレーした。私が4人のフラットバックシステムを見たのは、このアーセナルが最初だった」
                 — エリック・バッティ —

 1947-48シーズンを回想した文章で、ジョー・マーサーは前シーズンにエバートンから移籍してきた選手。もともとが6番の人、ウィングハーフとして当時の最高峰のひとりだったみたいです。
 ボール扱いの達人とされ、フェイントが得意な将軍タイプだといいます。得点すること以外はなんでもできるとか。しかし戦争前からの選手(1914年生)で、すでに運動量がなかったらしいです。

 このアーセナルのことを4−2−4のかたちだとして、1958年のブラジルより十年前には、このような並びがあったとしています。さらに続きます。

「彼らはどうやら、戦前もこのやり方でプレーしていたようだ。当時、アーセナルは『ラッキー・アーセナル』と呼ばれていた。ほとんど攻められっぱなしなのに、カウンターでアタックで5−0のスコアで勝つようなチームだったからだ」

 アーセナルは4バック化を遂げていたようですね。4人のフラットバックシステムといわれると二十一世紀によく見かける感じもします。考え方に差があっても、案外結果としての見え方は大きく違わなかったかもしれませんね。
 これをほかのイングランドのクラブがすぐに真似したかどうかはわかりません。詳しい方、教えてください。

 攻められっぱなしで5−0で勝つとは誇張、しかしアーセナルの戦後初優勝、1947-48シーズンは、得点81の失点32となっていますよ。二位のユナイテッドが同じ得点数で失点が48、一番得点が多かった五位のウルブズが83得点で70失点していました。
 振り返れば、戦前のチャプマン時代も得点は多かった。

 アーセナルはいわゆる「カウンタ・サッカー」の元祖というか、そのかたちの一方の旗手だったわけですね。反転逆襲のスタイルをチャプマンが一度完成させ、戦後もその流儀をはずれることなく変化を続けたみたいです。

 エリック・バッティは「どうやら、戦前もこのやり方で」としています。これは逆襲型であることよりも四人の最終ラインについて。
 が、戦争前どころかすでにチャプマン時代、4バックまがいだったとする見方もあります。ま、数年の差しかありませんから同じことかもしれませんね。
 自分たちが攻撃しているときの備えまでも厚く考慮しており、相手による逆襲向けの対策として、ウィングハーフの片方をバックライン近辺に残しておくことを励行させていた、と。

● 初期から4−2−4だったアーセナルのWM?

 アラン・ウェイドの「The F.A. guide to training and coaching」はFAの公式手引書として1967年に出ました。それの和訳がサッカー・マガジンに「ウィニング・サッカー」として連載され、その後単行本の「イングランド・サッカー教程」になりました。1969年に検見川で何か月か続いた、クラマーさんなどのFIFAコーチング・スクールの教科書にも使われたそうです。
 図版が多い本で、試合中のWM配置変化図も何種類か載っていました。

 その中で、レフト・ハーフ(6)が最終ライン近くに退き、インサイド・ライト(8)がフォワード三名を支援、中盤にはインサイド・レフト(10)とライト・ハーフ(4)ふたりが残る図と説明があります。つまり4−2−4と「共通点が見出されるのは、興味深いことである」と述べています。

 チャプマン存命中からこうだったとのことですが、どうなんでしょうか。ウェイド氏が1928年、もしくは30年代初めから観察していたのかどうかはまったく知りません。
 まあ、チャプマン時代からその傾向があったんでしょうね。もはや不明ですが、オリジナルは見栄えがWM風に見えたり宣伝されたりしながらも、しかし気分的には4−2−4にずれる感じも内在していたということかも。
 そうだとすると後の4−2−4とは少々異なる、当時風の中盤軽量型スタイルかと思いますが、ウェイド氏の見解は違います。

● 中盤重視

 この本ではWMが中盤を重要な地域としていたとも書いています。
「攻撃の動きのほとんどは中盤から始まるので、中盤を支配することがきわめて重要になってきた」
 それでウィングハーフとインサイドフォワードで四角形をつくるようになったとしています。
 中抜け気味なのか密な中盤が基本だったのかどちらでしょう? さらにこの四角と、4−2−4的な並びにもなったということは…

 アーセナルにはジェイムズがいてチャンスを生産しており、ひと工夫あったはずだと思えます。しかし重視したとしても、スペースを埋めるよりは空けておくかたちで中盤を使っただろうという気がします。もちろん見たことはありませんが。
 そして1936年ころには、竹内氏が観察したような形式の、離れすぎた速い攻撃、中長距離ボールを多用するようになったんでしょうかね。ジェイムズ引退は翌1937年のようです。

● 本質

 ウェイド氏は同書の中で1950年代、最強時のハンガリーを、このアーセナルと同じ型だとしています。散らばり具合が4−2−4的である時間帯が多いということです。
 両者の違いとしてはこんなことを述べていました。

「ハンガリーのほうがアーセナルよりもポジション・チェンジを多用したことであり、また、ハンガリーが攻撃において技術とスピードに頼ったのに対して、アーセナルは、力とスピードによる直接的な攻撃に頼ったことである」

 4−2−4自体を、ウェイド氏が解説した部分では、「戦術的なバリエーションはいくらでもありうる。多くの国で守備のフォーメーションには4人の守備者による二重の堤防をつくっている」としています。
 これをひっくり返し、守備のフォーメーションの4−4−2のかたちを基本だとしてしまって、攻撃時には両翼がアウトサイド・フォワードになると言えば、二十一世紀のチームにも見られたりする形式ですね。

● 図式

 アーセナルを模倣したチームがどれほどあったのか知りませんが、その多くは核心を逃していたと、あとでマイスルは書いています。その意を雑に解釈すれば、人を欠いたチームがアーセナルのやり方を真似すると単に失点を防ぐ狙いだけ、ほんとうにただそれだけの消極的なものになりがち、こんなことだと思いました。

 それに、図式がどうであれWM風のすがたで攻撃重視にもできるわけです。実際にそうしたチームもあったようですからWMの布陣がすべて守備的だともいえませんね。
 竹内氏の観戦時は六チームすべてがステレオ・タイプだったようですが、別の地域や別のチーム、あるいは少し時期が異なりさえすれば、また違ったものも生じていたでしょう。

 4−3−3だといってもどうにでもなりますね。そのなかの3やら4に含まれる個々がどう機能するべきかの細々とした決まりなど、けっして普遍的ではない。決めごとを基礎にプレーしなければなりませんが、その決めごとの細部は環境次第でどうにでもできるもので、さらに骨子もある程度は換置可能でしょう。

 しかしチャプマンがどうであれ、この後はカリカチュアライズした人員配置図を検討することが流行になっていき、4−2−4とかいろいろでてくるようになります。4−4−2が普遍モデルだとされたりもします。

 平均的な選手とかスタンダードな戦術フォーメーションはこうだと論じた場合、普通はどういうことでしょうか。だからシステムがこうなったのだと変化を説明した場合は?
 多くは、今こうだよということに逆接ぎ木をしただけであり、スタンダードの指すものが規範や普遍であることは、ほとんど皆無ではないでしょうかね。

● 締めは引用で…

 英国は安全第一へ、相手にゴールさせまいとする方へ歪められた。大陸諸国はゴールを挙げようとした。得点を多くとって勝つにせよ、相手より失点を抑えて勝利するにせよ、
 … 中略 …
 算術的に同じではあっても、その点がサッカーの魂の差異すべてを生み出すのだ。
 … 中略 …
 もし一ダース以上の優れた選手を有していれば、私は「ストッパー」でもアタッキング・センターハーフでも、どちらも可能だ。スイス「ボルト」にせよ、ブラジル「ダイアゴナル」にせよ、いずれでもこなせる。つねに効果的で、適切な準備があればほとんどの試合で勝つに違いない。
 だがよい選手が少な過ぎる、あるいは全くいない場合、前記のようなシステム群から自分たちに適合するものを選び、それでもなお悪いサッカーをするだろうし、
 … 中略 …
 弱者の側はネガティブなサッカーをして壊すことに専心した方が、よりうまく運ぶのは疑いない。その方が楽である。
 … 中略 …
 サッカーにおいて「安全第一」は主導権の放棄を意味し、受動的役割を選択するということである。これは退廃と弱体化へと導いてしまうものだ。

  — 「サッカー・レボリューション」(ウィリー・マイスル)—


「現代サッカーにとって、最も重要なのはプレーのスタイルであり、いかにプレーするかというアイデアだと思っている。システムといいかえることもできるだろう」
									 — アリゴ・サッキ — 

「それは、息が詰まるほどパンを食うという条件でなら喜んで乞食に1フランを与えもしようが、居酒屋で咽喉をうるおすための2スーはいつだって拒むであろうのと、同じ人々なのだ」
			— 「玩具のモラル」(シャルル・ボードレール) —

 …よーく聞いてくれ。ほら、俺のいう意識と存在のあいだにはそれらがまさに同一であるイクオールの怖ろしい標識がはさまれているのだぜ。
		光りあれといえば
		光りありき
								  — 「死靈」(埴谷雄高) —

 はじめにことばあり、ことばは神とともにあり …
										  — 「ヨハネ伝」 —

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この記事に対するコメント一覧
◆ ラッキーアーセナル

んー、なるほど、マイスルのチャプマンの評価ってこういうことだったんですか。

もっと長生きしてたら、悪影響どころかより変化していったはず。悪影響とは表面的な模倣による他者の行為に対して・・・・。奥が深いですね。
サードバックって言葉自体もステレオタイプなカテゴライズなんでしょうね。説明するための。

前にゾーンとかマークについて話されたとき、これって結局、言葉に出したことで概念が分かれてしまったって思ったんですけど、このポジションの話も同じなのかもしれませんね。
チャプマンの中では言葉にした場合はともかく、厳密に区分されているものでなく、より流動的なもの。絶えず変化するものであったんでしょうね。

posted by ブランク | 2008-04-23 23:27

返.◆ ラッキーアーセナル

ブランク さんへ

チャプマンの小話は、来週もうひとつ出しましょう。

あ、書いたこと信じずに疑ってください。

そう厳密にサッカーする人はいないでしょうね。
指導者も、一部を除けば現実的な意味で、厳密さからは自由なはずですけどね。

posted by コリバノフ | 2008-04-24 00:59

◆ ラッキーアーセナル

まずマンUの話からですが、
ボビーチャールトンはもともとウイングの選手だったと聞いたことがあります。
ダンカンエドワーズがチームの中心だったとも。
事故の後だんだんポジションを変え、ポジションを自由に動いて7 Outside-forwardから8Inside-forwardになったんでしょうか?それとも単に真ん中に絞ったり動きまくったんでしょうか?ちょうど今の7 Cロナウドがしているみたいな感じで。ただもっとミドルを得意としていて低いポジションみたいなのでジェラードと併せた感じでしょうか?

4-2-4ですと現在のアーセナルに近い気もします。4-1-4-1で中盤を密にして、高い位置からのボール奪取ですね。セスク、フラミニは重要視されていますよね。
それとも、モウリーニョのSBをあげない4-3-3ブームに近いのでしょうか?初期はウイングのロッペンのドリブルに依存、徐々にセンターのドログバへの放り込みに依存、リーグでまねをしたチームが増えたが攻撃陣に傑出した選手がいないと失点はしないが点も取れない状態になってしまうという守備重視傾向の。なんといってもギャラスが左SBでしたからね。守備は堅い。

posted by バスビー | 2008-04-24 17:26

返.◆ ラッキーアーセナル

バスビー さんへ

どうもありがとうございました。

> ボビーチャールトンはもともとウイング

わかりませんけど、その当時の話ならばたくさんあるんではないでしょうか。バスビー監督は1940年代から、わりとポジションを変えさせたりもしたようですね。
戦争後のケァリとかのユナイテッドのプレーぶりは残ってませんかね。

> 4−2−4ですと現在のアーセナルに近い

この戦前のアーセナルは、いろいろ資料や評論が散らばってるだろうと思います。そうした中にはどんな試合をしていたかが書かれたものもありそうです。
再生できるかもしれませんよ。よろしくお願いします。

posted by コリバノフ | 2008-04-24 18:28

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