2008年04月22日
◆ サードバックゲーム
「… 三、四、十二。 三、五、十五。 三、六、十七、えっ?」
— ?? —
新オフサイドによって攻撃の方が優位になってしまった、そのことを忘れてはならない。守備を強化するべく何かをなさねばならなかったのだ。ある程度の監督や選手たちは試行を進めていて、そしてチャプマンが、おそらく真の解決法を探り当てた。三人目のフルバックはセンターハーフの呼称を見せかけとして引き継ぎつつも、他のふたりの前というよりはむしろ背後でプレーした。
… 中略 …
新しいオフサイド規定は攻撃スタイルの標準化をもたらした。前線への大部分のパスが中距離。あるいは中ではなく開いたウィングに向かい、ウィングはかなり高いパスを入れる。とうとう三人のフルタイム・フォワードしか残らず、インサイド・フォワード二名は戦術的に守備とも関係するハーフ・フォワードになり、しばしばディフェンダーそのものになった。
… 中略 … … 中略 … … 中略 … チャプマンの戦術では、相手のウィングをマークしタックルを仕掛けるのは、もはやウィングハーフではなかった。サイドに移動したフルバックの任務だった。そしてストッパーに加えてウィングハーフ、インサイドフォワードの一方、または両方が中央をカバーし、彼らすべてが守備システムの部分、一区画となった。 … 中略 … 安全第一精神が瞬く間につくりだされたことは二つの大戦間の英国の象徴的悲劇である。 戦略、戦術、体系、方法などの代わりに、精神面の言葉をわたしは使う。それは敢えて考えた上でのことだ。 — 「サッカー・レボリューション」(ウィリー・マイスル)— ● 2バックからWMシステムに 9 Centre-forward 11 Outside-forward 7 Outside-forward 10 Inside-forward 8Inside-forward 5Centre-half 6Wing-half 4Wing-half 3Full-back 2Full-back ↓ 9 Centre-forward 11 Outside-forward 7 Outside-forward 10 Inside-forward 8Inside-forward 6Wing-half 4Wing-half 3Full-back 2Full-back 5Centre-half アーセナルはニューカッスル・ユナイテッドとの試合で、相手センターハーフが最終ラインに下がってセンターフォワードをマークしてくるのに接し、それを契機にWMの企画を始めたともいいます。 アルセーヌ・ベンゲル監督で最近評判をとるまでは、アーセナルというのは相対的に保守的というか比較的消極的というのか、強いシーズンでも割合につまらない、そんな心ないことを言われてしまったことがかなりあった気もします。ある意味ではチャプマン以来なのかもしれない。まあチャプマンは革新派ですから、意味が通らない「ある意味」ですけど。 ともかく名選手たちを買い集め、彼らのポジションを変更させたのがチャプマンで、彼が天才と呼ばれたりもする人だったことを過小評価はできないでしょう。 おそらく当時のアーセナルは強固な守りと鋭い得点力を兼備して、それなりに興味を惹くものを見せたことと思います。 以前に普遍的なグッド・バランス布陣、つまり一種狭義のシステム的なものだと思われてきた伝統的2バック型ゾーン・ディフェンスに対し、マン・マーク基調の考え方を強く押し出したWMシステムのサード・バック・ゲームが、英国では1930年ころからスタンダードになっていったようです。 ● WMの中身 図式的には中盤に人を増やして固めるかたちにも見えます。 3−4−3フォーメーションともいえそうなWMですが、雰囲気としては中盤空き気味の5−2−3に近い感覚がオリジナルなのかもしれません。ここから派生したチームでは7−3フォーメーションなどもあったかも。 サード・バック・ゲームの本質は、相手センターフォワードに密着マークをつけたことだけでもないんですね。「ウィングハーフ、インサイドフォワードの一方、または両方が中央をカバー」する、統合的な守備戦術だということ、そして前線を支援するはずだったインサイドフォワードが「ハーフ・フォワードになり、しばしばディフェンダーそのものになった」ということ。 最終ラインが三名なのかどうかよりも、通常は五、六人から七名で一体の守備をするのがWMで、マン・マークに釣られてフォーメーションの見栄えは随時変わったでしょうね。それにチーム次第で、また時代を経るに連れ、地域の伝統にもより、さまざまに変奏を見せたものと思います。 ただ当時の趨勢を空想するに…、数字並べの二十一世紀的とらえ方から、中盤を厚くしてそこを重視するものと考えては間違いかもしれませんね、ほんものは。 現状から生ずる先見や、合理的に感じられる他人の単純理論解説を考え直してみましょう。 単純でないことは単純には説明しきれないことが、たまにはあるんじゃないでしょうか。また、単純なことなのに、先にかかげてしまった仮定にこだわるあまり単純な事象を見誤りませんか。 誰がどこで言ったとかは、論理には本質的に関係ありません。 レタスが不作だとよけいにレタスを食べたくなったり… イギリスでのサード・バック・ゲーム発展期に、完成期に、中盤の選手の評価が急に高くなったとしたら、それはおそらく中盤の選手が不在だったからだと考えた方がいいでしょう。 わたしのこんな戯言は、無論すべて疑ってかかってくださいね。 ● アーセナルのリーグ戦、とある十年(各年42試合) (表示のないA=リーグ全体平均の試合毎ゴール数÷2) シーズン 順 P 勝 分 敗 得 失 Aの42倍 1923-24 19 33 12 9 21 40 63 51.95 1924-25 20 33 14 5 23 46 58 54.18 オフサイド改定、チャプマン就任 1925-26 2 52 22 8 12 87 63 77.41 1926-27 11 43 17 9 16 77 86 75.82 1927-28 10 41 13 15 14 82 86 80.23 1928-29 9 45 16 13 13 77 72 76.73 1929-30 14 39 14 11 17 78 66 79.91 1930-31 1 66 28 10 4 127 59 82.86 1931-32 2 54 22 10 10 90 48 78.50 1932-33 1 58 25 8 9 118 61 74.77 「ここにチャプマンの伝記を書きはしないが、一九二五年から一九二八年にかけて彼が築きあげたハイベリーのスターたちの宇宙を想起して欲しい。それで充分なのである」(ウィリー・マイスル) 昨今の、勝てなければ指導者がくびという手法は、たしかに昔から掲げられはしたものの、風土によってはけっして実施されてもいませんでしたね。 ● フースバル このころのドイツ代表のネルツ監督はチャプマンの手法を信奉していたとも言われ、早々にWMを取り入れたとされています。そして日本の慶應大学がネルツ監督の著書からサード・バック・ゲームを学んだともいいます。 その書、「フースバル」は八分冊にもなる大著で、翻訳は大変なことだったろうと尊敬してしまいますね。 ただし「フースバル」の初版は1928年のようです。そのとおりだとしたら、これは何年間かで分売した書物なのか、それとも一括出版だが早々に改版されたのか、不思議な感じもしますね。そうではなく最初から試行中のWMを詳述できていたものなのか、残念ながらあっさり観念のみか? チャプマンは、1925年のシーズン後にハダーズフィールドを辞してアーセナルへ行きました。 結果の数字をざっと単純にながめれば、1928年までは試行を進め、さらに1930年にかけてチームを熟成させたかにも見えます。まずはいい選手を獲得したせいか狙いなのか、得点が顕著に増加しています。が、数字のみではやはりだめですね。 最初の「フースバル」執筆時期は1927年かなという気もします… まあ、サード・バック・ゲームの揺籃期、優勝できていないシーズンに早くも方法論は固まりきっていたかもしれないですね。 実態をご存知の方、推測を描ける方などはいらっしゃいませんか? 最後の方で、精神面が主要な問題だとマイスルは書いてますね。そういってしまうと少し腑に落ちない感じも、たしかにありますが…
posted by ports |19:06 |
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この記事に対するコメント一覧
返.◆ サードバックゲーム
3B組 さんへ
どうもありがとうございます。
ディフェンシブハーフはどうなんでしょうかね。当時はなさそうな感じですけど。ウィングハーフが使われなかったとすると…
単にハーフとか、ライトハーフ、レフトハーフなんかだったんでは?
詳しい方、身近にいらっしゃいませんか?
posted by コリバノフ | 2008-04-23 18:14
返.◆ サードバックゲーム
3B組 さんへ
削除しました。
posted by コリバノフ | 2008-04-25 04:43
◆ サードバックゲーム
ありがとうございます。
posted by 3B組 | 2008-04-25 16:20


