2008年04月18日
◆ オフサイド変更 検証グラフ
三人オフサイドをゆるめて二名とした結果、攻撃優位に大きく傾いたと感じられ、失点を抑え込もうとする強烈な意志が働きました。単にルール変更などで外形的に得点しやすくしてもだめなようですね。 再生を試みたグラフの前に、まずはそれに関する文章。 三人オフサイド・サッカー自体の質・内容を述べた文はなかったので、そこは想像するしかありません。 ————以下、引用———— 結果 FAが出した一九四八 — 四九年の年鑑にたいへん興味深いグラフがある。一九二六年からの数年間、ゴール数が急上昇したのを示し、それからは少なく少なくなっていくのだ。 一部リーグは短期間の復活を寿いだが、得点の減少は再び始まる。安全第一のゲームがオフサイド規定変更の効果に打ち勝った。またもやフォワードは愚かになり、ディフェンスは覇を唱えた。第二次大戦期に小さな上昇を見せるが、しかし…。しかし、FAの説明文自体に語らせるのがベストだ。
「リーグのそれぞれのディビジョンで、多年、ゴールが量産されたことをこれらグラフが示している。一九二五 — 二六シーズンに導入したオフサイド規定変更の効果を立証し…… 変更の効果で攻撃側には得点機会が多々提供された。これに対抗して守備的なセンターハーフが導入され、この『サード・バック』ゲームは一部リーグから三部にまで漸次広まり、得点数の増大をせき止めることになった」 「戦争直前期に、ウィング攻撃で『サード・バック』を破る手をフォワードが学んでいき、その結果得点数の上昇が生じる。だが守備的なゲームが非常に強調され、一九四七 — 四八シーズンには、ゴール数がオフサイド変更前を下回った」 「次の動きは何になるだろうか?」 この疑問に私が回答を試みようというのは遅きに失している。そしてFAは、われわれがクラブと呼んでいるものよりも遥かに先見の明があることを再実証している。 答えはそこにあった。誰にでもわかるほど明白に書いてあった。ところがわれわれの多くはそれを無視することを選んだ。一九五○年ブラジル・ワールドカップにおける壊滅の後も、われわれは無視し続けている。書類を読むだけで充分だ。答えを理解するに足る試合の当事者たちが記した書類を。 とはいえ、われわれは一気に先まで飛躍すべきではない。「ストッパー」センターハーフという役回りを、第三のバックを、誰がもたらし、完成させたのか。それはわれわれが自身のために答えねばならない第一の問いである。 — 「サッカー・レボリューション」(ウィリー・マイスル)— ————以上、引用終わり———— ● たいへん興味深いグラフが再生できません! 数字があわないようで。 とりあえず間違ってそうだけど興味を持てるグラフを。 信じずにチェックしてください。きちんと映るでしょうか。 第一次世界大戦の後から「1954年」まで。 一部リーグのゴール数です一試合毎ゴール数換算、少しかたちが変わります (一部リーグ&それを含むプロ全体、数値は一部リーグのみ)
● 数字 イングランドの最上位リーグは、第一次世界大戦後から二十二チームが462試合をするかたちで長く続きました。今は二十チーム380試合に減ってますが。 言及された肝心なシーズンは、一部だけでなく三部南北まで入れてみましたが少し違う。各ディビジョンって、セミプロの地域リーグもきちんと鳥瞰してるんでしょうか、さすがFAです。 下記は一部リーグだけです。 シーズン 総得点 一試合平均 1923-24 1,143 2.47 1924-25 1,192 2.58 1925-26 1,703 3.69 1947-48 1,343 2.91 ● ちなみに近年はいかがでしょうか 二十チーム380試合の昨季プレミア。462試合換算も最後におまけ。 2006-07 931 2.45 1,132 同じ構成の他国最上位リーグ、まずはイタリア。 2006-07 969 2.55 1,178 同、スペイン・リーグ 2006-07 942 2.48 1,145 さらに十八チーム306試合のドイツ・リーグ。 2006-07 837 2.74 1,264 ついでにドイツと同じかたちの日本。 2007 867 2.83 1,309 こうしてみると今の世は、三人でなく、ふたりオフサイドに改定せねばならぬほど退屈だったころのイングランドとほぼ同様です。ということはつまり、ひとりオフサイドに変わるのが待たれる今日このごろという理屈になるでしょう? しかし昨今は高度な守備戦術を楽しむという観点もあるらしく、評判がよさそうなので、たったひとりにするのはまだ先のことかもしれませんね。何ごとも慣れです。 ● 地獄化は大戦前から? どうやら勘違いで申しわけないです。オフサイド・トラップ騒ぎは戦後からだろうと適当に書きましたが、ずっとながめると戦前開始の感じですね。 世界大戦期間中のイングランドは地域分割のプロ・リーグを行っていたものの、通常の全国リーグが再開するのは、第一次大戦の後だと1919-20シーズンからでした。この間のことがよくわかりません。それにもしかすると妥当な比較ができないかも。 その時期が抜けると1910年代のリーグは前半しか普通に運営してないことになります。オフサイド地獄が戦後だけだとすると六シーズンしかありません。たぶん戦争を挟んで続いていく感じです。こうなれば、イングランドが雑になってくるのは、部分的には十九世紀末からにしないと屁理屈は通らないでしょうかね。 ● FA年鑑の前方に約束の地 マイスルが執筆したのは1954年から翌年始めにかけてだと思います。すると年鑑発刊後、1953-54シーズンまでの推移を知り得る。 ゴールは増加していますよね。 それをマイスルは知っていて? どうなんでしょ。 1950年と54年はワールドカップの年ですが、50年と53年にイングランド・リーグでなにかが起きたのか? それはわかりません。 どなたか、きっと調査論考していただけるだろうなと期待です。 ● その後の道程、減るか増えるか 戦後になると短い減少期の後、増加傾向にあると見えます! 1950年代のサッカー世界は、大雑把には攻撃志向ルネッサンスの時代。そう聞かされてきました。 大勢がそうした流れなら、ほとんど誰もがそっちを向きます!? オフサイド変更のような新開発の特効薬だか劇薬だかがなくとも、気持ちが失点忌避から得点願望に切り替わるだけでゴールは増加するものです?? つまりゴールを増やすのは失点を許容することなんですよね。 ルールとか戦術やらでなく、大切なのは三つのB、そして気分であり志であり試合に臨む姿勢だろうって、はっきり言い切っては、高度にシステマチックで最先端の高水準な知識人の方々に叱られますね。 守備的傾向が支配的になっていたかもしれないイングランドでも、1950年代は時流に棹させずにゴール数が正常に増えたことでしょう。すでに上のグラフに現れてます。 マイスルにとっても50年代はさほど悪くもなかったのではないかと思いますよ。ゴールが増えつつあることは感覚的にわかっていたでしょう。 その後に来る1960年代、これが本格的な洗練の時代のはずです。戦術マニアの世界でしょうかね。このときにゴールを減らす。そして70年代以降みんなが知るサッカーは、一試合平均で合計三点を下回るのが常識です。ゴールの奪い合いは本質的にサッカーではないというムードで統一されます。 この辺、先入観でいい加減に書きました、検証等、お願いします。 あとはすぐ一足飛びにFAの先見の明、「答えはそこにあった」という、その答えを探してみたいものです。でもマイスルは飛躍すべきでないといってますね。サード・バックのことを考えてみろ、と。
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この記事に対するコメント一覧
◆ オフサイド変更 検証グラフ
十数年前ですが、私のいたチームに、日本に来て日の浅いスコティッシュが初参加したときのことです。キャプテンがポジション決めるのに「センターハーフやって」と彼に言ったらDFをやろうとして「いやいや中盤だよ」といったようなやりとりがあったのを思い出しました。和製英語との混乱だったのでしょうか。
いよいよ「サードBack」WMに突入なのでしょうか。
。。。やっぱりトンチンカンなコメントですみません。
posted by 三年B組 | 2008-04-18 02:25
返.◆ オフサイド変更 検証グラフ
三年B組 さんへ
昔はセンターハーフが死後で、仰るとおり中盤って言いませんでしたか、日本でも? あとはサイドハーフやらも、おそらく新型和製英語じゃないかと思うんですが。
WM的なのが廃れた時代でしたから、今みたいにポジションはがちがちに固定されてませんでしたよね。その「中盤」が、当時の言葉のミッドフィールダーの直訳だったんでは?
流動的なのが普通だったから必ずしも左右前後が明確でないきらいもあったし、英語だとWM伝統の役割があるハーフを避けてレフト・ミッドフィールダーとかにしてたような感じです。
その後の進歩で役割固定が一般化して細かい呼び方をしたくなったときにハーフが蔵から引っ張り出されたんじゃないかなと思います。詳しい人に聞いてみていただけませんか?
どうもありがとうございました。
posted by コリバノフ | 2008-04-18 07:24
◆ オフサイド変更 検証グラフ
5部作とか!!!Σ@△@;
すんごいですね^^
ってかタイヘンでしょうね^^;
昔はオフサイドも3人だったんですか。。知りませんでした
ホントにオフサイドのルール変わってイッキに増えてるんですね^^
オモシロいお話をありがとうございます(はあと)
ちょっと調べたらもともとはラグビーとおんなじスポーツだったんですね
ボールを前に蹴ってもダメだってルールだったなんてビックリしましたよ
しかもオフサイドした人は卑怯者とか言われて殴られても仕方なかったとか^^;
コリバノフさんが書いてるよりも昔のことみたいですけど
だからアヤシイもんですけどね。どーせ誰ももうおぼえてないですもんね
だからこれからのお話もどうだかわかりませんけど、いちおうササッと調べたんでもし参考にしていただければ(はあと)
1885年にサッカーはプロとしてやっていいってことになったらしいです
で、そしたらやっぱサッカーでお金もらうわけだから必死になっちゃうと思うんですよ
選手もそうだと思うし、クラブだって選手にお金払わなきゃいけなくなりますもんね
でもそのころまだ審判ってノンビリな感じだったみたいなこと書いてますよ
副審とかいなかったみたいですけど、それどころかちゃんとしたレフェリーもいなかったみたいです
お互いのクラブからひとりずつアンパイアっての選んでたとか、抗議はキャプテンがするとか決まりあったそうです
で、観客の中からレフェリーえらんだりしてジャッジしてもらってたらしいです
ラグビーはプロでやっちゃダメってことになってたからそれでいいのかもしれないですけど、プロになったらジャッジするのたぶんタイヘンですよね?
そしたら3人オフサイドってジャッジするのかなりきつかったんじゃ?
あとやっぱ点ボンボコ入らないとお客さんこないからっていうのはクラブの人からしてみたらあったんじゃ?
どっちかっていうと選手よりもそういう人たちの考えで変更になったってのはあるのかもなーって思います
どういうルールだって選手は必死だとおもいますからね
で、そのおかげでシステムとかいろんなのが発展したんじゃないかなって思ったんですよ
じゃないとボンボコ点取られるからっていうんで
そういうシステムができてきたせいでだんだん点入らなくなってきたのかなって調べてみたらこんなコラム見つけたんですけど、知ってますか?
http://www.soccerdays.com/reading/football_columns/2005/0804.html
posted by fujiko | 2008-04-18 19:39
◆ オフサイド変更 検証グラフ
これはすごいデータですね。
こっちを先に出してくれればよかったのに・・・。
これを見ると管理人さんの言うように「意識」の違いが得点にあらわれているように感じますね。ルールよりもむしろ。
そう考えると元々、キック&ラッシュだったわけだから、オフサイドルールが浸透してロングボールを避けるようになったかもしれないけど、すぐにショートパス戦術に切り替わって主流になるっていうのは確かにおかしいですもんね。それよりもロングボールへの志向性は三人制の時も多くのチームで持ってたけど、上手くいってなかっただけでオフサイド変更後に得点の増加として顕在化した・・・ってみた方がやっぱり妥当ですかね。そうすると「方法は変わってない」っていう記事の意味がなんとなく理解できる。
1人オフサイド・・・・それはないんじゃないですか(笑)
やるとしたら、PA内、オフェンスは頭しか使っちゃいけないとか、ワンタッチしか認めないとか付帯条件があってでしょうね。まあ、俺は守備戦術を見るのも楽しみのうちなので、まだ今のままで満足ですけど。
次はいよいよサードバックですか。ますます楽しみです。
posted by ブランク | 2008-04-18 20:56
返.◆ オフサイド変更 検証グラフ
fujiko さんへ
いやぁ、どうもありがとうございます、まだどうするかは未定だけど、早速リンクしたいですよとメールを送りましたよ。
なにかで行き当たって拝見したことがあるデザインだったですが、よく探検もせずにとおりすぎただけで、教えていただいた文は初めて見ましたよ。ラッキーです、アドレスを入れてここを見てくださいってすれば自分で書かずにすみますね、ありがとうございます(はあと)
> お金もらうわけだから必死になっちゃう
それなんですよね、お仕事になっていって。
「選手は指示どおりにプレーするよう育てられる。彼はなにか違うことをしてみたいだろう。しかしリーグのチームに居場所がなくなってしまうのは嫌なことであり…」
こういう空気の調合ぐあいによっては「独自性、個性」がほんとうに否定されちゃったりとか、「機械化、ロボット・スタイル、「安全第一」」だけしか残らなくもなるんでしょう。
ここらは真実上手にできる人が少ないだろうから、どっちかに傾け加減でバランスとるわけですね。その塩梅次第ではやる方も指導側も見る方も真剣になって、それがかえって具合悪かったりもするはず。まじめにやれよって、それでなにが悪いかわからないもんですよね。
> 3人オフサイドってジャッジするのかなりきつかったんじゃ?
案外いま程度には間違えながらもできたかもしれないですね。どのみち三人審判だとだめ、というよりも正確にだとビデオ・レフェリーでしょうし、要求する側によるのかも。
いやはや的確な調査力にびっくりです、ごいすーです、継続探検をお願いします。
ありがとうございました、調査、お願いしますよ、重ねて。
posted by コリバノフ | 2008-04-18 21:01
返.◆ オフサイド変更 検証グラフ
ブランク さんへ
> こっちを先に出してくれればよかったのに・・・
申しわけない・・・
おまけのグラフも追加しますので。
> そうすると「方法は変わってない」っていう記事の意味がなんとなく理解できる
いやはや英語がすらすらわからないもんで、自分で勝手に誤訳変換したりして混乱しちゃいますよ。素直に読めばいいだけかっていうこともたびたびです。
では方向性が同じっていうのもあらためて触れましょうかね。
どうもありがとうございます、調査よろしくお願いします。
posted by コリバノフ | 2008-04-18 21:25

一試合毎ゴール数換算、少しかたちが変わります
(一部リーグ&それを含むプロ全体、数値は一部リーグのみ)
● 数字
イングランドの最上位リーグは、第一次世界大戦後から二十二チームが462試合をするかたちで長く続きました。今は二十チーム380試合に減ってますが。
言及された肝心なシーズンは、一部だけでなく三部南北まで入れてみましたが少し違う。各ディビジョンって、セミプロの地域リーグもきちんと鳥瞰してるんでしょうか、さすがFAです。
下記は一部リーグだけです。
シーズン 総得点 一試合平均
1923-24 1,143 2.47
1924-25 1,192 2.58
1925-26 1,703 3.69
1947-48 1,343 2.91
● ちなみに近年はいかがでしょうか
二十チーム380試合の昨季プレミア。462試合換算も最後におまけ。
2006-07 931 2.45 1,132
同じ構成の他国最上位リーグ、まずはイタリア。
2006-07 969 2.55 1,178
同、スペイン・リーグ
2006-07 942 2.48 1,145
さらに十八チーム306試合のドイツ・リーグ。
2006-07 837 2.74 1,264
ついでにドイツと同じかたちの日本。
2007 867 2.83 1,309
こうしてみると今の世は、三人でなく、ふたりオフサイドに改定せねばならぬほど退屈だったころのイングランドとほぼ同様です。ということはつまり、ひとりオフサイドに変わるのが待たれる今日このごろという理屈になるでしょう?
しかし昨今は高度な守備戦術を楽しむという観点もあるらしく、評判がよさそうなので、たったひとりにするのはまだ先のことかもしれませんね。何ごとも慣れです。
● 地獄化は大戦前から?
どうやら勘違いで申しわけないです。オフサイド・トラップ騒ぎは戦後からだろうと適当に書きましたが、ずっとながめると戦前開始の感じですね。
世界大戦期間中のイングランドは地域分割のプロ・リーグを行っていたものの、通常の全国リーグが再開するのは、第一次大戦の後だと1919-20シーズンからでした。この間のことがよくわかりません。それにもしかすると妥当な比較ができないかも。
その時期が抜けると1910年代のリーグは前半しか普通に運営してないことになります。オフサイド地獄が戦後だけだとすると六シーズンしかありません。たぶん戦争を挟んで続いていく感じです。こうなれば、イングランドが雑になってくるのは、部分的には十九世紀末からにしないと屁理屈は通らないでしょうかね。
● FA年鑑の前方に約束の地
マイスルが執筆したのは1954年から翌年始めにかけてだと思います。すると年鑑発刊後、1953-54シーズンまでの推移を知り得る。
ゴールは増加していますよね。
それをマイスルは知っていて? どうなんでしょ。
1950年と54年はワールドカップの年ですが、50年と53年にイングランド・リーグでなにかが起きたのか? それはわかりません。
どなたか、きっと調査論考していただけるだろうなと期待です。
● その後の道程、減るか増えるか
戦後になると短い減少期の後、増加傾向にあると見えます!
1950年代のサッカー世界は、大雑把には攻撃志向ルネッサンスの時代。そう聞かされてきました。
大勢がそうした流れなら、ほとんど誰もがそっちを向きます!?
オフサイド変更のような新開発の特効薬だか劇薬だかがなくとも、気持ちが失点忌避から得点願望に切り替わるだけでゴールは増加するものです??
つまりゴールを増やすのは失点を許容することなんですよね。
ルールとか戦術やらでなく、大切なのは三つのB、そして気分であり志であり試合に臨む姿勢だろうって、はっきり言い切っては、高度にシステマチックで最先端の高水準な知識人の方々に叱られますね。
守備的傾向が支配的になっていたかもしれないイングランドでも、1950年代は時流に棹させずにゴール数が正常に増えたことでしょう。すでに上のグラフに現れてます。
マイスルにとっても50年代はさほど悪くもなかったのではないかと思いますよ。ゴールが増えつつあることは感覚的にわかっていたでしょう。
その後に来る1960年代、これが本格的な洗練の時代のはずです。戦術マニアの世界でしょうかね。このときにゴールを減らす。そして70年代以降みんなが知るサッカーは、一試合平均で合計三点を下回るのが常識です。ゴールの奪い合いは本質的にサッカーではないというムードで統一されます。
この辺、先入観でいい加減に書きました、検証等、お願いします。
あとはすぐ一足飛びにFAの先見の明、「答えはそこにあった」という、その答えを探してみたいものです。でもマイスルは飛躍すべきでないといってますね。サード・バックのことを考えてみろ、と。

