2008年04月15日

◆ オフサイド改悪 糾弾

 前回に続いて、三人からふたりへのオフサイド変更を糾弾する話、英国批判ですが、…厳しい。

————以下引用————

 土曜日が来るたびに、英国のサッカー場の多くではオフサイド・トラップが酷使された。それは事実である。
 … 中略 …
 ディフェンスが呪わしいまでの狡猾さをもって、フォワードをオフサイド・トラップにかけたと思われるに違いない。
 … 中略 …
 ところがそれは、英国のアマチュアではさほど当たり前でもなかった。そして外国ではこれに類することなど生じなかった。
 他国のフォワードは、英国ほどには想像力を欠いていなかったのか。それゆえディフェンダーにしてみれば、自分自身の罠につまずくリスクが大きすぎたということなのか。
 そうではなく、フルバックが英国のようには熟練していなかったせいなのか。それは私には言い難い。だがサッカーが外国で見事に進歩していき、そして成功していることは、

 … 中略 …
 ディフェンダーによるオフサイド作戦が成功を収めた結果、英国民衆の広い層が反感を持つようになり、ある種の「購入拒否」が巻き起こった。オフサイドによるフリーキック、またフリーキックといった試合を、観衆は見に行かなかった。反対方向へのキックを、ゴールへのキックを見たいのだ。
 … 中略 …
 だが、ほかのどこでもなくここでさえも、ゴールの欠乏がいっそうゴールを求めさせる地、ここ英国の世論でさえも、問題の主たる原因をオフサイド・トラップだとする合意形成には程遠かった。
 これは、不器用なフォワードが狡猾なフルバックに出し抜かれたのだと、そう論じていたものだ。
 … 中略 …
 フォワードは教わるべきだ。ボールを保持しているのは自分たちだ、そうでなければあの罠は成立しないのだということを。そしてボール保持とは主導権の掌握であり、
 … 中略 …
 〜、すべてはオフサイド規定の欠陥だとされた。
 … 中略 …
 私が力説しておきたい点は、その属するものに責任を負うというだけではない。警鐘を鳴らす奉仕をもすべきだと強調したい。もしスポーツを完全に商業主義へ明けわたしたなら、いったいなにが起こるのか。商業主義の背後の意図が善であるとしてもだ。
 このサッカー教義の変更は大逆罪に相当する。
 … 中略 …
 〜、そしてあらゆる点を熟慮すれば、常識に対してさえも異端の邪説である。
 経営陣は大勝利を収めた。
 … 中略 …
 〜、奇跡の回復はだんだんと薄れゆく。そして残ったものは旧来の慢性症。それはなお悪化していた。小さな変更がゲームをひっくり返し、そしてほとんど殺したのだ。

  — 「サッカー・レボリューション」(ウィリー・マイスル)—


「王統の権威に由来する、国王による法律の停止または施行という非実体的権限は、議会の同意なしにはこれを違法とする」
          — 「権利の章典」(イングランド議会) —

————以上、引用終わり————

● 英国プロ・リーグだけの特殊問題?

 殺人未遂ですね、今は危篤状態のサッカーを楽しんでいることになります…?

 外国とアマチュア、彼らにはオフサイド地獄が存在しない、と。
 最新戦術オフサイド・トラップを英国だけが知っていて、それは自国のアマチュア選手にも見せず、外国人にはその存在すらわからないように…
 でもそのためには、土曜日が来るたびに酷使しちゃだめです。反感を持つほど見せつけられた観客が、サッカーをしない人ばかりだなんてことは、…あり得ますね、いや?

 英国以外の1920年代の試合、そこでのオフサイドの動向などについて、具体的な記述はマイスルの本にはありませんね。どなたかご存じないでしょうか。
 1925年といえば、イングランド代表は創設以来の対外国戦完全無敗、負けるときは英国他協会相手だけっていうのを続けてますよ。
 スコットランドだって…、負けたことありますか?
 そんな強国はリーグだってそこそこの水準のはず。つまり、他国やアマチュアは低水準だからオフサイドをとれないのでは?

● しかしマイスルは

 英国プロのフォワード陣に欠けている点がある、自分たちから餌食になっていたとしてますね。
 彼らは不器用で想像力に欠けるプレーをしてたのでしょうか。そう示唆してますが、しかしです。逆にイングランドに勝てなかったころのほかの国々のリーグが、高度なサッカーをしてたんですか。

● 批判した本は

 イギリスで出た古いハードカバーで、プラティニやルムメニゲが生まれた1955年が初版。
 翌年、1956年版として、本文が同じで写真が一枚少ないものが別チャネルから。さらに1957年にはペーパーバック化され、違う会社から発売されました。英国では非常に評判だったことが偲ばれます。まあ部数とか知りませんけど。
 オフサイド改定は1925年で、東京六大学野球が始まった年。その三十年後に出た批判。著者はこのころすでに名高い大物評論家です。

● 懐旧の思いか

 選手時代のマイスルはゴールキーパーで、オーストリア代表歴は一度しかないものの一流選手だったそうです。そして伝説の名コーチ・名審判だったフーゴ・マイスルの弟。
 ところが早めに引退し、コーチや審判も三年くらいやったものの、1924年、ベルリンに転居して新聞記者になってしまいます。そして後に世界的な批評家として名声を得る。

 つまりトップ・レベルのゲーム体験は1925年よりも前のことです。三人オフサイドの時代しかありません。自身が活躍したころへのノスタルジーがあって、そのため三人オフサイドが優れていると感じるかもしれない…

● ひどすぎる?

 それにしても、最後のあたりはかなりの言い様、最大級の非難だと思います。まさに断罪です。
 そういえば関係ないけれど…

「You must live, you must...」
 たしかこんな台詞だったか…。クララという母親が生まれたばかりの男の子のために祈りました。すでに子供を二、三人出産していて、しかしその全員を早々に亡くしてしまい、新たに生まれた赤ちゃんに望みを託す。
 つぶやいたクララはアロイス・ヒトラー氏の奥様。生き続けて欲しいと願うその子の名前を、夫妻はアドルフにしようと思っている。こんな短編がありました。

 このお母様や介助した人にはなんら罪がありません。が、改定オフサイドを生み出した人々、阻止しようとしなかった人たちには罪がある。よく考えてみればわかるはずのこと、それを思わなかった、その罪は免れない?
 彼らにも悪意はなく、サッカー事業体を生き延びさせ、繁盛するようにと願っていたのでしょうが、…厳しいですね。

 いや、そもそも変更は悪いことか? 仮に英国プロ選手が下手だったとしても、それはまた別に見ていいでしょう。オフサイドがふたりになったのがなぜ悪いのか。

● 考える匪徒?

 豊臣秀吉が没して一年も経たずに、前田利家は慶長4年(1599)三月に亡くなりますが、これは閏三月、ユリウス暦のイギリスは4月ごろ。グレゴリオ暦は1582年からですが、しかしイギリスは十八世紀になってから採用したようですね。

 利家病没と相前後して、歴史に残るフットボーラーが誕生します。
1863年のFAルール・サッカーからすると、かなり異なる競技だったはずですが、後の護国卿オリバー・クロムウェル、彼はフットボール好きだったと伝わります。

 ウィリー・マイスルは別の章でクロムウェルの言葉らしいものを引いていました。
「神の御心をもって、諸君、熟考されよ。御身自身が間違ってはいないのか …」
 マイスル自身は熟考したのでしょうかね。

posted by ports |19:35 | コメント(10) | トラックバック(0)
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◆ オフサイド改悪 糾弾

なんか前エントリーはかなり勘違いしていたようでお恥ずかしい。

オフサイドルールがなかった頃と三人制オフサイドの頃を一緒くたに考えちゃいました。

改めて考えると、待ち伏せは嫌だけど、ゴールが少ないのも嫌だから現行のオフサイド・ルールが残っているってことなんでしょうね。ゲームへの楽しみ方とすると元々ゴールへのプロセスの評価が重視されていて、それにゴールの魅力がより強調されたって感じッスかね。
そうするとオフサイド改変後のサッカーをマイスルが「安全第一」って言ってるのはナンなんですかね。何を殺したかっていうのがよくわからない。ロングボールが増えて中盤の競い合いがなくなったとか、ドリブルをしなくなったとかそういうことですかね。

三人制オフサイドもまだ発展途上だったのにって思ってたのかも。オフサイド・トラップを破る方法を見つけぬまま変えるなんてずるいとか思ったんじゃないですか(笑)妄想ですけど。

改めて三人制オフサイドのルールが変更されなかったらどうなったかは興味ありますね。今じゃ見られないわけですが今よりも点が入らない分、より中盤が重視される試合展開になったかも。

posted by ブランク | 2008-04-16 00:14

◆ オフサイド改悪 糾弾

僕もオフサイドが待ち伏せ禁止というのは、分かりやすく説明するためだけのもので、実際のところはゲームを面白くするための必要悪(?)だと思います。
待ち伏せ禁止、卑怯というのはまるで日本の武士的発想な感じが。

小さい子供がサッカーの指導を受けずにサッカーをする時、ボールに群がり、ボールを持った子は味方にパスをすることなくドリブルで突き進み、そのこぼれ球を拾った子がまたドリブルでボールを運ぶという場面はよく見られます。
とすると、フットボールにおける始まりの部分は誰にも教わることなく刷り込まれているという考えもできるかもしれませんよね。

そこでフットボールがフットボールたる所以の部分において、前方へのパスが認められた。
結果論ながら、この時点において、オフサイドルールの導入は必然的だったということになるのでしょうか。それとも、初めの頃は足でそこまで上手くボールを扱えるはずがないという思惑があったのでしょうか。
いろいろと疑問が湧いてきますね。

自分自身何を言っているのか分からなくなってきましたので失礼します(笑)

posted by vincenzo | 2008-04-16 00:18

◆ オフサイド改悪 糾弾

>vincenzoさん

初期のルールを見ると、"sneaking"っていう言葉が出てるので、待ち伏せは卑怯っていう思いはやっぱりあったんでしょうね。
でも、娯楽としてどこを見るかっていうところが大切なんだと思う。
オシムさんがよく継続するプレーの美しさをサッカーの魅力として言われるけれど、今のサッカーがそこを重視して発展しているのかどうか、このエントリーでちょっと考えちゃいましたね。いいエントリーだと思います。

posted by ブランク | 2008-04-16 00:36

返.◆ オフサイド改悪 糾弾

ブランク さんへ

どうもありがとうございます。
勘違いって禁じちゃまずいと思いますよ。
それを繰り返さないと考えることもままならないですからね、とても歓迎です。

> 三人制オフサイドもまだ発展途上だったのにって思ってたのかも

その精神はある程度の期間引き継がれたというのが事実かもしれません。
そこでそれを妄想裡に再現しようじゃないかと考えてます。
マイスルが展開することに反論も可能かと思いますので、よろしければロジックの組み立てをお願いします。


vincenzo さんへ

ありがとうございます。
ご興趣乗れば、スイッチやジョニー・ケァリィなど、ご探訪いただけると嬉しいんですが…
強要する気はまったくないです(笑)

発達心理からすると子供はボールに群がるのが当然だと説明できるそうですね。
でもすでに幼児サッカーでも、仲間はずれではなくて離れる子が出てきますよね?
十数歳以上は狙ってそれをやる人がいてあたりまえでしょうね。

当初の卑怯とは、足の蹴りあいから逃れて女々しいとの感覚が、どっちかといえば強かったんではないかなと思います。
それが、前方へのパスなど現行サッカーに近づくに連れ、得してずるいといった感じにずれるんではないでしょうか。で、つまらないからやめろ、と。
そのあたり言葉足らずですいません。

> 足でそこまで上手くボールを扱えるはずがない

たぶんFAルール成立以前のゲームにも、シェフィールド・ルールのほかにも、現行サッカーに似たのはあったでしょう。
そうしたグループのうちには、おそらく今見ても大変なテクニシャンはいただろうと想像します。
まったくの妄想ですが。またよろしくどうぞ。


再びブランク さんへ

> オシムさんがよく継続するプレーの美しさをサッカーの魅力として言われるけれど、今のサッカーがそこを重視して発展しているのかどうか

ありがとうございます、横からすいません。

何の継続なのか、そのあたり、現行主流のポゼッションなんとかとは、かなり隔たりがあるかなと感じます。現行主流がなにか、よく理解できてないので恥ずかしいことですけどね(笑)
ベオグラードを抜けるドナウで洗礼を受けたかに見えてしまいます。

解説お願いできませんか?

posted by コリバノフ | 2008-04-16 00:58

◆ オフサイド改悪 糾弾

コメントさせていただきます。
たった今勉強してきたところですが、三人制オフサイドというのは、とても複雑な要素を持ったルールだったのですね。

にわかの感想ですが、引用されている文献の著者が「商業主義」を批判しているのは、ルールを明確化しすぎることによって大衆に迎合した結果、サッカーから知性を奪ってしまったという主張に思えました。

ラストパスを受けた後、なお二人のDFをかわさなければならないサッカーが、どのような進化を遂げる可能性があったのかは想像するのが困難です(審判の負荷が今よりも高い事だけは想像できます)が、歴史の重要なポイントとして1925年にルール改正があり、今のサッカーはそのときから始まった、ということを学べました。

御礼を申し上げます。

posted by Tadahide | 2008-04-16 01:07

返.◆ オフサイド改悪 糾弾

Tadahide さんへ

お礼申しあげるのはこちらです、ありがとうございます。

> 三人制オフサイドというのは、

> どのような進化を遂げる可能性があったのかは想像するのが困難

たぶん、その方向で継続進化した傑作が、伝説のハンガリーだろうと考えてます。
たぶん間違ってますけどね。
またご見解をよろしくお願いします。

posted by コリバノフ | 2008-04-16 01:17

◆ オフサイド改悪 糾弾

継続ですか・・・オシムさんはいわゆるプロフェッショナル・ファールを嫌ってるんですが、これは今のサッカーだとしょうがないって思うんですよね。

で、これは妄想ですけど恐らく現行のファールの規則自体に疑問を感じてるのかなって思いました。

恐らく、いかに切れ目なくボールと人の動きをつなげていくかってところに面白さを感じてるって思うんですよ。自分もそこが面白いところだって思うんですよね。バスケットはコートが狭い。アメフトはぶつ切り。野球なんてぶつぶつですよね。そういう見方で言うとですけど。それぞれは面白さはあるにせよ、その点でサッカーっていうのは広い範囲で継続したプレーが他のスポーツに比べて魅力的なのかなって。ラグビーもそういう目から見れば同じですけど、ちょっと複雑すぎる。

答えになってないかもしれないですけど、流れるようなプレーというのがあって、それがゴールという終点にたどり着くっていうのがサッカーの面白さの核にあるのかなって。まあ、勝手に思ってるんッスけどね。

posted by ブランク | 2008-04-16 01:22

返.◆ オフサイド改悪 糾弾

ブランク さんへ

早々にありがとうございます、そういう継続ですか。
それはつい何十年前かは、意外にも言われたものです。
かなり乱暴なプレーもあったころ、暴行度合いではなく、意図を毛嫌いする一派は間違いなくいました。そうした方はしょうがないって思わなかったんですね。

> 恐らく現行のファールの規則自体に疑問を感じてるのかな

初めて知りましたが素晴らしいと感じます。いや、中身がわかってからでないとアレですが。

ほかにですね、、
オフサイド・トラップは好まない、なぜなら頻繁にプレーを切ることにつながりうるからだ、こんな主張もありましたけどね。
またよろしくお願いします。

posted by コリバノフ | 2008-04-16 01:37

◆ オフサイド改悪 糾弾

うーむ、バスケのラスト1分あたりからのファールゲームにかける姿もなかなかどきどきしません・・・か?

狙われる相手はフリースローの下手そうな選手でしょうが、5回までのルールがあるのでやっぱりラスト限定。
でも、それまではいったいなんだったんだとの思いも・・・あり複雑。

前にベッカムが、イエローの清算にわざとファールするのはフリーキックより難しいとか何とか言って批判されてたけど、ユニ脱げば簡単ジャンと思ったのは僕だけでしょうか?

プレーが切れてもそこからロベカルやチラベルトみたいなスローインやFK職人が出てくれば面白い気もします。

posted by コパ | 2008-04-16 09:43

返.◆ オフサイド改悪 糾弾

コパ さんへ

どうもありがとうございます。
バスケットボールなどはそういうのを含め、時間制限、多めのゴール、多めのシュートで区切りが入るなど、途切れるのがもともと想定された競技であるかのようです。
交代も最初から前提にしてたんでしょうか。
おもしろいゲームですが、よく見てないのでわかりません。

バスケットボールのプレーがサッカーの目標だともいわれます。
将来は乱暴なファウルが消えて、軽度のプロフェッショナル・ファウルが連続し、選手交代いくらでもOKなサッカーになる可能性だってありますね。
またご考察をお願いします。

posted by コリバノフ | 2008-04-16 18:42

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