2008年07月24日

日本代表、世紀の決戦?

 日本と韓国の名高い対決!!

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 前回http://www.plus-blog.sportsnavi.com/ports/article/175 では、ここ四十年の運動量が倍増、あるいはそれ以上に増えたかのような激変説に対し、常識的な疑問を投じました。その際に、増加の割合はもっと小幅だろう例証として、この試合の走行距離データを引用したのですが、これをもう少し見てみたいと思います。
 テレビや会場でご覧になった方が、内容をご教示してくれればありがたいな、と。


 これは1968年のメキシコ・オリンピックを目指す予選。このころのアジアでは、移動経費の問題があってか、ホーム&アウェイという方式よりも、どこか一国での集中開催方式が一般的でした。メキシコ五輪の予選開催地の一つが日本。
 集まったのは、日韓両国と、南ベトナム、フィリピン、台湾、レバノン。合計六か国による総当たりリーグ戦一回りで、首位の一つだけがメキシコへ行けます。

 ここに、当時の潜在的なアジア最強チーム、北朝鮮がいないのは、残念だったり、まあ、複雑だったりしますね。一年ちょっと前に、ワールドカップでイタリアを破った北朝鮮にとっては、もはやオリンピックなど眼中になかったのか、あるいは、政治的になにかあったかな?
 翌年のオリンピック本大会、韓国との国名問題などで、北朝鮮は選手団を送らなかったようです。サッカーの予選も、もともと不参加でしたかね。
 事情は知りませんが、北朝鮮がいないということで、このときに集まった全チームが、ワールドカップのクラスからは遠そうです。

● でもワールドカップが、今とは異なる

 この当時のワールドカップは、少数精鋭で開催されていました。本大会は16か国という伝統が、1978年ワールドカップまで続きましたからね。アジア・オセアニアから、一つだけが出れるんだったか? 出場枠が少ないとかで、アフリカがボイコットしたり、アジアでもそんなことが、あったかもしれません。

 今のようにアジアから四か国もワールドカップに出れるなら、当時の日韓両国の一方か両方が、本大会に行けた可能性は高かったのではないでしょうか。
 1968年前後の日本、韓国、どちらもが、世界で中位程度の実力を秘めていたのではと思います。アマチュアでは上位クラスに近く、プロフェッショナルも含めると、中位だろうかなと。この予選を勝ち抜いた日本代表は、翌年のメキシコ五輪で、優勝したハンガリーに準決勝で大敗したものの、銅メダルで本大会を終えました。

● 概略の数字は

 日本と韓国は、ともに三連勝後の四戦目として、1967年10月7日に、国立競技場で対戦しました。小雨の夜の試合で、芝の状態は悪かったでしょう。
 監督は長沼さんと李さん。得点したのは、得点順に、宮本輝紀、杉山、李会沢、許允正、釜本、金基福の各選手でした。

  日本  3−3  韓国
     (2−0) 
     (1−3) 
	14 	 シュート	 14
	  6 	 コーナー	   5
	  8 	  GK	 16
	18 	  FK	 21

 この試合は、テレビでも見たことがありません。得点シーンの抜粋映像などの、ぼんやりした記憶があるだけです。たぶん冒頭の図のフォーメーション概念には間違いがあるでしょう。ご存じの方に、ご指摘をお願いしたいと思います。
 プレーぶりのイメージが残るのは、横山・森・小城・杉山・釜本・宮本輝紀・李会沢の各選手といった程度。山口選手は、どうも動きが浮かんでこないんですよね…

● 試合内容

 Web上で無料閲覧できる、サッカーマガジンの1967年12月号に、当時日本代表のコーチの任にあった岡野さんによる、この日韓戦の図解戦評が載っています。現場の当事者の視点による論考で、とても参考になると思います。さらに、その号には、ほかにもこの試合に関する記事が載っています。
 サッカーマガジンに掲載された、岡野さんの図解戦評シリーズのリンク目次を、以前、下記につくっておきました。その中ほどに、1967年12月号の「メキシコ五輪予選の失点」へのリンクがあります。

 http://www.plus-blog.sportsnavi.com/ports/article/162

 大雑把には、日本が4−3−3、韓国が1−4−3−2的な布陣だったそうですが、アナウンサーの方は、双方ともに4−2−4と実況なさっていたらしく思われます。

 日本の宮本輝紀選手が、最前線の四人目だと見れば、アナウンサーの方が仰るように、4−2−4とみなせそうです。そうではなく、中盤選手の一角だと考えれば、岡野さんの記す4−3−3になります。
 森選手と片山選手の位置取りは、逆でしょうかね。

 韓国では、徐允賛選手が、かなり下がった位置から前線近くまで、広く動き回る中盤選手だと受けとめれば、4バック。中盤選手と考えずに、本来は守備陣の一角で、そこから組み立て・攻撃に参加していくと見れば、5バックです。(金禎錫選手がSWの1−4)
 そして両ウィングを下がり加減のアタッカーだとすれば、四名攻撃陣で4−2−4とも考えられ、ウィングというよりは、広がり気味のミッドフィールダーだととらえれば、1−4−3−2にも見えます。

 非常にいい試合だったそうですね。ご覧になった方はいらっしゃるでしょうか…

 続きは、「日韓対決 後追い検証」へ…

posted by ports |07:05 | コメント(4) | トラックバック(0)
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日本代表、世紀の決戦?

ご教授願う立場ゆえ、こちらにやってまいりました。
一連の運動量に関するデータ、たいへんなことになってますね。
数字に弱い当方は目がチカチカしそうです。
見づらいんじゃありません。本能的に拒否反応が出るんです。
わたしが感じたのは、データは客観的な数字を与えてくれるが、それをあつかうのはいつも人間であると。そこを意識せにゃならんかなと思いましたね。
それにしても7と11がCBコンビというのは…この並びははじめてお目にかかりました。

ブラウン神父にディクスン・カー。初見でした。幅広く読まれてるんですね。
わたしはホームズも半七も、あまり推理ものとしてはとらえてないんです。
(綺堂は怒るかもしれませんけど。)
中学のころに完訳本を読んで以来、わたしにとってホームズの魅力とは破綻した性格にありました。
モルヒネの常用をワトスンにとがめられた際、ホームズが言いますよね?
だって世の中は退屈なんだ。モリアーティがいたころはよかった。おもしろい事件が次々とあったんだから!って。
こういう反社会的な発言に、ガキは心躍ったのでありました。

江戸の量刑について三田村鳶魚がなにか書いていないか見てみたのですが、どうにも見つけられませんでした。いや、どっかには書いてると思うんですけど…。
そこで山本博文さんの本を見てみたところ、次のような文面に出くわしました。
『江戸を楽しむ―三田村鳶魚の世界』中公文庫 です。

「ふとした出来心や窃盗未遂の場合は、入墨のうえ敲というのが相場である。
御定書では、「昼夜に限らず、戸明きこれある所、又は家内に人これなき故、手元にこれある軽き品を盗み取り候類」は、「入墨のうえ重敲」としている。判例では、「軽き品」とは十両未満で、それ以上なら死罪である。」

綺堂はこのあたりを参考にしたのやもしれませんね。
もっとも、いつもそうとはかぎりませんが。
というのは綺堂と鳶魚は親交があったようなのですが、「捕物帳」なるタイトルには鳶魚が故障を申し入れていますから。

posted by 由比彰紀 | 2008-08-10 21:20

日本代表、世紀の決戦?

データからは、ほとんど何もいえませんよね。仮説を補完するのに使うくらいが関の山かもしれません。「スペインよりもチェコ ! 」はそういったシニシズムで…

> 7と11がCBコンビ

確かめてませんよ。きっとこうだろう、という程度です。
たぶんこれは、イタリア型に属すのではないかと感じます。上選手はストッパーですが、森選手は中盤。しかし、最終ラインへ下がったということかもしれないな、と。
このあとは崩れたんじゃありませんかね。たとえば釜本選手は、持ち番号的に15番が普通になり、17番の場合が1シリーズあっただけのような気がします。

なるほど、はっきり十両以上死罪であった時期があるわけですか。わかりやすい基準ですから、かなりの人々の口の端に上り、岡本綺堂はそれを聞いていたかもしれませんね。
どうもありがとうございます。

> 「捕物帳」なるタイトルには鳶魚が故障を申し入れ

自分の命名を、勝手に使ってくれるなといった意向なんでしょうか?

posted by コリバノフ | 2008-08-10 22:44

日本代表、世紀の決戦?

三田村鳶魚著 朝倉治彦編『捕物の話―鳶魚文庫』中公文庫 から引用します。

「ついでだからここでいっておきますが、この捕物帳というのは、奉行所から捕物のために出動した記録であります。近頃は何の某捕物帳というわけで、同心や目明しどもまで、何か記録していることがあったように思われているらしい。…昔の捕物帳というのは、そういうものではないのです。」

これに対し、綺堂が半七に語らせた捕物帳とは次のようなもの。「石灯籠」から引きます。

「捕物帳というのは与力や同心が岡っ引きからの報告を聞いて、更にこれを町奉行所に報告すると、御用部屋には当座帳のようなものがあって、書役が取りあえずこれに書き留めて置くんです。その帳面を捕物帳といっていました。」

どうも上が主体的に記録したとする鳶魚に対し、下からあげられてきた報告書とする綺堂とのあいだには、“捕物帳”なるものに対する認識にズレがあるようです。

もっとも、鳶魚が綺堂を意識してかの文章を書いたのかはわかりません。時期もずれてますし。
綺堂が「石灯籠」を「文芸倶楽部」に発表したのが大正六年。
対して『捕物の話』が早稲田大学出版会から出たのは昭和九年。
ざっと十七年の開きがありますからね。
大正から昭和にかけてはあまたの時代小説が出版され、鳶魚はそれらをボロクソにいってますから、そちらに対するイヤミともとれます。
ただ…そうしたブームの嚆矢となった半七に、鳶魚はチクリといったんじゃないかな?
わたしはそんな気がするんです。

なおこの件についてはこちらもどうぞ。
http://kaiki.at.infoseek.co.jp/contents/han7list.html

posted by 由比彰紀 | 2008-08-11 00:03

日本代表、世紀の決戦?

素晴らしいですね。そういう意味でしたか。どうもありがとうございます。
やはり半七がビッグ・ネームですから、念頭にあったでしょうね。

半七っつぁん、じゃなくて、半七アン(?)。
ベーカー街のパン屋さんで、シャーロッキアンの向うを張ってる方がいました。

http://www.alz.jp/221b/hanshichi.html

奥が深いというか、造詣の深い方がたくさんいらっしゃるようですね。

posted by コリバノフ | 2008-08-11 23:51

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