2008年07月12日

● エリック・バッティ による考究

		— 序 —

 1953-54年シーズン、ハンガリーが、ウェンブリーでイングランドを6−3と降した。この本の始まりは、実はそこからである。

 1953年から1956年の間、際立って抜きん出たハンガリー・チームを見て、彼らがテレパシーを開発するにいたったのだと、人々は考え始めた。プシュカシュ、ヒデクチ、コチシュ、ボジク等は、すばらしい理解協調ぶりを披露してみせた。それには非常にさまざまな素地があるが、最も一般的な結論というのは、選手個々が偉大であること、そして、長期間にわたり一緒にプレーしたことで、自ずから相互理解が発展したというものだ。

 しかし一握りの世界的指導者たちにとって、ことは自明だった。ハンガリーは、新たな手法を開発したのである。選手たちのボールなしでの動きを観察することで、しばしば繰り返されるパターンの連鎖が見いだされた。しかし、大多数の観戦者はそのような動きに着目しない。ボールを追い、そのほかのすべてを見落としてしまうという基本的なミスをした。

 私も同様に、1953年のハンガリーが何をしていたのかわからず、理解し損なった。
 … 中略 …
 これから紹介するパターン・プレーは、ハンガリーの卓越が生み出した進展を理解できたコーチたち、彼らの手になるチームに拠っている。それを過去数年間にわたって、見続けてきた折にわかったのだ。

 アルベール・バトゥー(スタッド・ランス【1950-63】、フランス代表【1955-62】)、ベラ・グットマン(ベンフィカ【1959-62、1965-66】)、エレニオ・エレーラ(CFバルセロナ【1958-1960】、FCインテルナツィオナーレ【1960-68】)、そして西ドイツ代表監督ゼップ・ヘルベルガー【1949-64】、このような人たちのチームである。

 そうしたチームを観察することを通じ、加えてアントン・マラチンスキィ(スパルタク・トルナバ【1956-60、1963-68】)、ロン・グリーンウッド(ウエスト・ハム・ユナイテッド【1961-74】)と話すことで、私はパターン・プレーに気づいた。

 だが観察したパターンを書き留めるのは、単にそれだけのことで、それをコーチングする方法を具体化するのは遥かに難題だった。しかし、何か月にもおよぶ少なからぬ実地試行の後、ついにこの本で提示するものに到達した。

 1967年の春、この本の執筆を前にして、私はポーランドへ旅立った。ハンガリー人コーチで、ゴルニク・ザブジェ監督のドクター・ゲザ・カロチャイに、アイデアと方法を開示してみるためだ。
 書面での問い合わせに対し、すでにカロチャイ博士はほのめかしていた。陰にあるもの —— ある種のコンセプトが、組織的で厳しい守備に抗する、成功の鍵なのだと。

 彼の見解を聞くのはふたつの理由で重要だった。第一に、ゲームのあらゆる側面を率直に議論し合ってくれるトップ・クラスのコーチは、私にとっては、彼とロン・グリーンウッドだけしかいなかった。
 … 中略 …
 第二に、同じように肝心なこととして、1953年ころのハンガリー代表チームの、グスターブ・シェベシュ監督のもとで働く三名のコーチのひとりが、カロチャイ博士だったという点がある。

 私はカロチャイ博士にアイデアの細部を略述し、本書のコーチング法を説明し、そしてこう話した。偉大だったハンガリー・チームで育まれたテレパシーのような相互理解、そのように見えたのは、実はコンビネーション・プレーだったのだと。

 カロチャイ博士によれば、上席コーチだったマールトン・ブコビ、彼が1951年にコンビネーションのアイデアを生み出した。当初のコンビネーションは、ふたりの選手間に限ったものと、単純な壁パスだったが、後にはより全面的・複雑なものに発展したという。

 カロチャイ博士はつけ加えた。
 この、ある種のコンセプト、そしてプレース・チェンジング(入れ替わり)。その流れを受け継いで、自分も1962年以降、監督を続けている。これはきつい仕事だが、実におもしろい。そして体験上、選手に、見ることと考えることを教え込むのには、この方法しかないのだ、と。

							1968年1月 エリック・バッティ




 前記の序文と下の図は、「Soccer Coaching the Modern Way」からの引用です。

 図の④は、サード・バック・ゲーム慣習の背番号から来るもので、実はボジクを想定しています。ヒデクチ、プシュカシュ、コチシュとボジク、この四名コンビネーションの、a パターンの簡略図が下記だということです。

  20080712-03.jpg

 同系統の動きは、たとえば2008年のロシア代表などにも見出せますね。

● Soccer Coaching the Modern Way

 Faber and Faber Limited 1969年初版(ハード・カバー)
 (のちに、ペーパー・バックなども出ているはずです)

 この名著は、かつてのハンガリーを解剖する内容ではありません。ゲーム発生からの発達を略述し、ポジション概念の分化と守備の進化を鳥瞰、これに対してどのような攻略が適切かということで、ハンガリー型とされるコンビネーションを説きました。そしてあとは、大部分をその具体的トレーニング方法に割いています。
 第5章は "The 'Whirl' " とし、ウィリー・マイスルの啓示にちょっと言及しています。

 アマチュア・コーチやユース・クラブの指導者、学校の教員などを念頭に置いた著作だったそうですが、イタリアのサッカー協会は、自分たちのコーチング・ハンドブックに、このコンビネーションを盛り込む権利を買い、また、講演会の講師に招聘したといいます。
 この本のおかげでソ連にも、同国協会の招きで講演旅行にいったそうです。あわせて五か国語に訳されてもいる、とのこと。

 数年後に、オーストラリアから、そしてアフリカや北米のナショナル・チームの指導者から、成功体験の手紙が届いたと、別の著書でエリック・バッティは書いていました。韓国からもあったそうです。


 本旨からずれますが、アメリカでは、かなり昔からサッカーが盛んだったそうです。

 十何年か前、たまたま池袋の無国籍中華料理風飲食店で、なぜか紹興酒と炒め物をひとりで食べていました。
 まだ宵の口、広いテーブルの一辺に自分ひとり、となりの辺に、薄暗い中でも健康的に見える白人男性、四十歳前後のムードが一名。なにを飲んでいたかな? ともかく、どちらからともなく視線をあわせ、喋り始めました。

 ゆっくり、同じフレーズを繰り返してくれる方で、言ってることはかなり理解できました。あとは、発言するべく、どれだけ単語を思い出せるかで…。こうした対面の状況では、電話と違って身振りが使えます。1956年型のTバードとテール・フィンの話から、アメリカについての話題になり、そこからどうしてだか、サッカーの話になりましたよ。

「違うよ、サッカーはNo.1スポーツさ。普通の大学生にはね」

 正規のグラウンドでなくとも、キャンパス内や周辺の草地で、しょっちゅうミニ・ゲームをするんだと、そんなお話しでした。乱暴には、男はサッカー、女は体操? どこで体操してるんだとか、突っ込んだ話にはならず、どうやって別れたかも記憶にありません…
 閑話休題。

 わたしが入手した古書は、ムーアヘッド州立大図書館の蔵書バーコードが貼ってあるものでした。貸し出しカードの袋を見ると、最初に持ち出されたのは、1971年。カード方式で借りたのは八回で、あとはバーコード読み取りになったのでしょう。
 ムーアヘッド州立大は、1995年にミネソタ州立大の一部になり、二十一世紀にはミネソタ州立大ムーアヘッド校へと変わっています。その前後に放出された本なのかなと思います。アメリカでも1970年代には、サッカーが盛んだという大学などで、この本がかなり読まれていたことを偲ばせますね。


 イングランドの一部リーグ、北部のクラブのゴールキーパーにインタビューするため、その練習場を訪れたエリック・バッティは、自著のトレーニングのひとつを、トップ・チームが繰り返すのを見て驚いたことがあったとも記していました。
 ウエスト・ハムの監督、ジョン・ライアルは、カナダに遠征したおりに、代表チームのコーチから「エリック・バッティをご存じか」とたずねられた小話を、後日披露したそうです。ライアル監督によれば、当時のカナダ代表は、攻撃パターンの練習にこの本を使っていたとのこと。

 日本語訳としては、遥かに下って1990年前後(?)、学研の「ストライカー」誌の別冊付録として、抄訳と、改定された内容が盛り込まれたものが出ました。


posted by ports |18:45 | コメント(5) | トラックバック(0)
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こちら 今朝 見つけました。
「最新のエントリー」欄に 表示されないので。
>代表チームの、グスターブ・シェベシュ監督のもとで働く三名のコーチのひとりが、カロチャイ博士だったという点がある<

3名のコーチのひとり・・・。
カロチャイ ハンガリー読み
カロクセイ 英語読みと
想像されますので。

すみませんが スペル 教えて下さい。

posted by 杉本 | 2008-07-20 12:01

● エリック・バッティ による考究

申しわけない、引用ばかりだったので、内密にしておきました。
少し加筆して、公開します。

Dr. Geza Calocsai です。
当時のチームは、Gornik Zabrze。ガドーハのクラブでしたかね。

posted by コリバノフ | 2008-07-20 13:10

ゴルニク・ザブジェ

74WC ポーランドでは
あのゴルゴンとあのシャルマッハが
ゴルニク・ザブジェ所属です。

ガドーハは レギア・ワルシャワ所属。

posted by 杉本 | 2008-07-21 00:31

考究→高級→恒久

>図は、・・ヒデクチ、プシュカシュ、コチシュとボジク、この四名コンビネーションの、a パターンの簡略図・・・。<

ユーロ08 再放送されてます。
ロシアを見る時は この「3人目の動き」に 着目です。
対スウェーデン 後半10分 2点目も
この形です。

              
                   ↑ゴール
   ジルコフ ② → アルシャビン ②


         アルシャビン ① 

       ↑
     左MF?  
               ↑
             ジルコフ ①

スウェーデン 自陣ペナ左から FK。

ロングキックを ジルコフ カットして 出て行く。

ジルコフ → アルシャビンは 左MFへ 落とす。
その間 ジルコフは 中央から左へ。
アルシャビンを追い越してゆく。
「縦への長い走りこみ」=「交換」

左MF → ジルコフへ 縦パス。
更に その間 アルシャビンは 「交差」して 
ジルコフの右横へ。

ジルコフ → アルシャビン スライディング シュート!

53ハンガリーの「a パターン」と 同じ動きからの崩し。

⑧が ジルコフ
⑩が 左MF 
⑨が アルシャビン

まさに 「交換」 「交差」 「交響」 !!!
 





posted by 杉本 | 2008-07-21 09:54

● エリック・バッティ による考究

ありがとうございます。あと、ルバンスキでしたね。ということは、ルバンスキとシャルマッフは、一時はいっしょにプレーしてたわけですね。代表で同居もあり得たのか?

> ユーロ08 再放送されてます

スペイン対ロシアが、もう終わっちゃってました…

スウェーデン戦の二点目は、「奪ってから速い」とか、「アルシャービ〜ン!!」などばかりのようで

posted by コリバノフ | 2008-07-21 12:54

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