2008年06月12日
◆ ヨハン・クライフ・スーパー・スター
下記にある動画は二十一歳のころのプレーのようです。クライフはのちにミッドフィールダーになりましたが、1960年代から70年代の最初あたりでは、どうやら流動的な万能ゴールゲッターですね、素晴らしい。 Johan Cruijff; De voetballer van het jaar 1968 攻撃タイプのサッカーとは、ボールを奪いとったら、選手たちは、自由奔放に攻撃に加わってプレーするということである。 — リヌス・ミケルス — クライフのようなオールラウンダー選手の判断を活かすサッカーを、ウィリー・マイスルは未来のスタイル、「渦巻き」だとしていました。
———— 以下、引用 ———— 渦巻きは十人すべてのフィールド・プレーヤーを包含した止まらないスイッチである。つまり高速ランニングの連なり、連綿としたスイッチ、本来のように全方位同時ランニングだ。 … 中略 … 常にスピードは、正確さよりも重要性が遥かに落ちる。スピードは予測に比すれば圧倒的に優先度が低い。しかしなお明日のゲームというのは非常に高速となろう。 そうであっても、そのことはスピードを目的として一呼吸の間にどこかへ急ぐというのではまったくない。 ボールなしでのプレーこそが渦巻きにとって重要である。それは偉大なサッカーの戦術家がいつも認定証と見ているものだ。ボールをキープする際には、事実上あらゆる瞬間において、せめて味方のひとりがフリーでなければ、望ましくは二、三人がフリーでなければ、それは「渦巻きプレー」とは言えない。 フルバックは前方にスペースを見いだしたら躊躇なくチャンスを活かさなければならない。ウィングハーフやウインガーは、必要とあればオールラウンダーとして下がってくるし、そのことを重荷だとか場違いだなどとは感じない。自らが有能なフォワードだとの意識があれば、そうした自覚が、障害を押しのけて抗する役を買って出るようにさせるものだ。 誰かが自分の(後方の)任を引き受けるという認識があれば、好機到来時にその選手は、そうあるべき質の高い働きをするだろう。不当な性急さや心労なしにそのアクション(意外性ある攻撃)を続けせしめることになろう。 … 中略 … そのほかの入れ替わりも同様になる。めまぐるしい連続のうちに互いをフォローしあうのだ。チームのフォーメーションはほとんど絶え間なくローテーション化し、 … 中略 … 積極的、建設的、能動的な渦巻きのためには、好選手を揃える必要がある。さもなくば相手の術中に陥り、掌上で踊らされる、いやむしろ足もとでということか。 … 中略 … すべての選手同様、どんなチームでも、スピードは頭脳に源を発する。足の速さではない。 ハンガリーやFIFA選抜のスターたち、彼らにしてもまだ渦巻きを実現してはいないが、にもかかわらず、それに近いかのようなアイデアは伝わってきた。 ときにはウエスト・ブロムウィッチ・アルビオンやマンチェスター・ユナイテッドが、そしてポーツマスや以前のトッテナムが、来るべきサッカーを垣間見せた。 … 中略 … 〜、もしもわれわれが彼らに、サッカーとはどのように、そしてどこまでマスターし得るものなのかを示すならば、 … 中略 … われわれの成長中のサッカーを枷から解放せねばならない。かつてのような、指示どおりに線路に沿って(定型の)プレーをするという束縛から。 — 「サッカー・レボリューション」(ウィリー・マイスル)— ———— 以上、引用終わり ———— ● 似たもの マイスルはダニューブ・フットボールの流動的なポジショニングによる攻め方を、さらにいっそう拡大するかたちで渦巻きを考えていました。古いアタッキング・センターハーフの柔軟性をフルバックにも、そのほかゴールキーパーを除く全員にと思っていたわけです。イングランドにも似た例があったようですね。 そして不定形の攻撃と対になる守備は、やはり誰もが状況に応じてディフェンダーになることで成立するとしています。それがあってこそ、ディフェンダーが心置きなくアタッカーになれます。 しかしポジション・チェンジ自体を目的としてはいないので、けっして「自身のポジション以外でプレーすることを奨励する意味合いではない」ということでした。 まさに1970年代にいえそうなことで、変幻自在なポジション取りで成功するチームがいくつもある一方、単に動きまわっているだけに感じられる判断の悪い流動サッカーもあり、それこそ勘違いの好例でした。 さらにマイスルは原初のサッカーだと記していました。リヌス・ミケルス監督はプレッシング主体でしたが、やはりほぼ同じところもあります。 「コーチにとって、もう一つ、やっかいなことがある。それは"ボールなしで動け"というと、たいていのプレーヤーは、いつも同じような調子で走りまわることである。 このような考えは、まったく間違っている。ボールなしの動きは、効果的に動いたときのみ意味がある。これが核心である。 いいかえれば、プレーヤーは、正しいタイミングで、 … 中略 … 本当は、このようなことは、少年のころに身につけてもいいはずのものである。しかし、今日では、それは事実上不可能なことのように思われる。これは困ったことだと思う。 というのは、現代の社会はすっかり変わってしまって、多くの国では子供たちが、町の通りでボールをけって遊びながら可能性を見出していくことが、できなくなっているからだ。 … 中略 … ごく若い少年たちにやらせるトレーニングは、 … 中略 … すなわち、私たちが子供のころに、いつも町の道路でやっていたようなサッカーである」 — リヌス・ミケルス — ミケルス監督の論考は下記で閲覧可能です。 117 ワールドカップへの準備(上) 103 ワールドカップへの準備(中) 103 ワールドカップへの準備(下) 43 アヤックスで起きたこと(上) 41 アヤックスで起きたこと(中) 43 アヤックスで起きたこと(下) 39 WM74をいかに戦ったか(1) 39 WM74をいかに戦ったか(2) 39 WM74をいかに戦ったか(3) 45 WM74をいかに戦ったか(4) ● 監督クライフの美しいサッカー 流動的なサッカーが栄えた1970年代の中でも、1974年のオランダ代表チームはその筆頭格でした。しかしコーチとしてのクライフは、そうした自在のポジション・チェンジを否定しにかかったと見えます。 広く散開してボールを回し、味方同士の相対的な位置関係を崩さない「美しいサッカー」をさかんに宣伝しました。 これが人気を博し、さらに守備ゾーンを壊したくないという守備意識の高まりにも合致したようです。役割分担化に拍車をかける一助になったのではないでしょうか。「トータルよりも分業が正しいという結論もすでに出ている」というスペシャリスト化意識も関係しているでしょうか。 味方同士の三角形を保ち、微妙に位置取りを移すことが喧伝されます。これは能動的にトライアングルを壊して再生していく流動的なサッカーとは反対のものです。 実際のところ、クライフ監督の指揮した試合では、状況に応じて自在にポジションを変えていくUEFAカップ戦や、完全に位置取り固定のリーグ戦など、バリエーションがあったやに見えます。 しかし独歩する理屈は一面だけを強調するかのようで、混沌感のない「美しさ」ばかりが論じられる感じがします。 選手としては自在な流動性の一つの象徴、コーチとしては固定的な役割分担の進歩人。このようにクライフをとらえれば、古きニューカッスルが黄金時代の比類なきサッカーを確立し、のちにオフサイド戦術で反立を広めたことに似ているかもしれません。 ● 逆転? 一つの様相だけで全体をとらえられはしませんが、総体をまるごと漏れなく表現することもできず、なにかを抽出するしかないのは確かです。だからクライフが選手だった1974年のオランダ代表チームと、その後の散開固定型「美しい」オランダを、オランダ王国のナショナル・チームだとして同系統だと見ることも、あるいは可能なのかもしれません。 しかしぼんやりとながめた限りでは似ても似つかない。どんなやり方でもいい選手が積極的に攻めればそれで普通はけっこうですが、教条的な美しさ主張には首を傾げるものがあります。 なにをどのように表現するかは表現の自由のようです。無料の日本語 Wikipedia では興味深い二十一世紀的見解がたくさん発見できます。 「昔の4-3-3のウイングは攻撃専門で守備は行わなかったが、現在の4-3-3の場合はウイングは守備も行い、ウイングというよりサイドのMFに近い」 チームや選手の個性によって様々だったかとは思いますが、対人マーク意識が強めだった時代を昔というならば、ウィングの選手がオーバーラップするディフェンダーをマークするのはセオリーでした。 おもしろいものです。あまり考えることはやめて、「渦巻きを実現してはいない」とはいえ高く評価された、絶頂期のハンガリー代表、1974年のオランダに似たチームをながめてみましょう。 まず詩を一首、 妄想もまた強いて滅せず 真如も何ぞ必ずしも希求せん・・・ — 「西遊記」(呉承恩) —
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この記事に対するコメント一覧
◆ ヨハン・クライフ・スーパー・スター
クライフは年をとるにつれて後に下がっていったようです
当時は今より足を蹴ったりするラフプレーに関してルールが厳しくなかった事もありますが、、、
当時ルバンスキーというポーランドの名選手は
イギリス選手に蹴られゲームのみならす
選手生命まで失ってしまったのですから
クライフというとブラジルのディフェンダー ルイスペレイラとのマッチアップが楽しみでした
ブラジル人の友人はブラジルの生んだ歴史上最高の
ディフェンダーはペレイラといいますが
特に異論はなしでしょうか
クライフはどうもペレイラは天敵だったみたいです
マッチアップというとマラドーナとブリーゲルのも
面白かったのですよね
posted by L-ken | 2008-06-12 23:50
返.◆ ヨハン・クライフ・スーパー・スター
L-ken さんへ
どうもありがとうございます。
> 当時ルバンスキーというポーランドの名選手は
残念です。オリンピックを見てませんので好調時がどうだったか全然わかりません。
> ルイスペレイラ
ブラジル時代もスペイン・リーグも見てないので、クライフというとワールドカップだけでした。
今に限らず、ブラジルのCBは頑健派が多かったイメージですが、ルイス・ペレイラはうまかったですね。中央をリズミカルに上がっていくところはスタイリッシュでした。
片方の脚が、、。最高なのかもしれませんね。
肝心な「ユーゴスラビアに見る攻撃的サッカー」、追加しました。ありがとうございました。
posted by コリバノフ | 2008-06-13 05:47
ルバンスキー
72オリンピック 優勝したポーランドの中心選手。
技術があってスピードもあり。
74WC 出ていたら ポーランドが 優勝していた、、
と思います。
posted by 杉本 | 2008-06-13 20:18
シャルマッハ
杉本 さんへ
ありがとうございます。
ルバンスキは二度とトップ・フォームに戻らなかったようですね。ワールドカップにいたとすると、下がり目に入るでしょうか、シャルマッハを外しますか?
posted by コリバノフ | 2008-06-13 20:56
◆ ヨハン・クライフ・スーパー・スター
74年のポーランドは夢のチームでした。
74年のポーランドとアルゼンチン戦
とてもスピーディな楽しいゲームでした。
このゲーム ディナが最高でした。
アルゼンチンもなかなか。好感のもてるチームでした。
若きケンペス アジャラ ハウスマン バビントン
バッティ氏によればブラジルより強いとの評でした。
ラテンの香りのする選手がいたなあ。
posted by L-KEN | 2008-06-13 22:07
返.◆ ヨハン・クライフ・スーパー・スター
L-ken さんへ
> 夢のチーム
今の世代からは想像もつかないもの。
> ディナが最高でした
憎らしいほど見えているというか…
> アルゼンチンもなかなか
バビントンは好きでした。なんかふわっとしていて、でも妙にセンスがよかった。
イタリア戦のハウスマンへ出したのもバビントンでしたか。
> ラテンの香り
アジャラ、エレディア、ヤサルデ・・・
ヤサルデが今のアルゼンチン・テイストに近いでしょうか。
ありがとうございました。
posted by コリバノフ | 2008-06-13 22:59
火事見えし
伊戦 1点目
右 カスペルチャクから クロス。
シャルマッハ ヘッドでゴール。
2点目 右 カスペルチャク
「また クロス?」と思わせて 小さく
横のディナへ。強烈なロングシュートが
ゴール右上に 決まる。
サカマガでは 「デイナ」 でいな
ダイヤモンドでは 「ディナ」 でぃな
綴りは 「DEYNA」ですが、、、。
どっちだ?
posted by 杉本 | 2008-06-14 13:39
バビントンは 蘭戦欠場。
>ルバンスキは、、、ワールドカップにいたとすると、下がり目に入るでしょうか、シャルマッハを外しますか?<
ぶっちゃけ、、トマシェフスキー ってか。(はあと)
posted by 杉本 | 2008-06-14 13:44
デイナ、書いて行かないで
杉本 さんへ
やはりポーランド対西ドイツは順延しておけば…
下がよければ、今でも語り継がれる攻撃的なゲームになって…
ルバンスキ、ルバンスキ
ルパン、留守番好き、…き!
ありがとうございました。
posted by コリバノフ | 2008-06-14 18:53


