2008年06月02日
【イングランド黄金時代 終了】● 再び讃ふ
この図ではグラフに文章を重ねたので流れが見づらくなってしまいました。お手数ですが前回冒頭の図を並べてご覧願います。
当初想像したハーフコート決戦のシーズンは、少し早すぎたようです。上が訂正版で、下は発表時のもの。(2009年7月16日追記)![]()
十九世紀中に守備を整えながらサッカーを洗練させてきて、二十世紀からはその守備を打ち破っていく積極的な攻撃の時代に入る。ゴールが挙げづらくなってきたために攻めを工夫するようになったわけです、大雑把には。そこからがシャープのいう黄金時代です。 負けないように点を取らせないよりは、勝とうとして攻撃に力を入れるムードの方が強かったのでしょう。それで複数のクラブが最盛期を迎え、平均ゴール数も漸増していきます。 そのさなか、1904-05シーズンくらいからはニューカッスルが、結果以上に最も精緻なスタイルだということで賞賛を集めました。成績にしてもリーグ優勝三回、FAカップでは優勝一回と三度の準優勝、それに準決勝敗退が一回。 一方、名手たちの攻撃サッカーを防ぐためにオフサイドをいっそう活用した守りの探求も進んで、相手陣内でオフサイドをとってしまうような戦術も、例外的に現れた気配があります。 1907年に半面オフサイド化でそれを禁じ手としたものの、ノッツ・カウンティ、あるいはもしかしたらほかのチームでも、オフサイド戦術を研究し続ける。 そしてノッツに代表されるそのやり方をニューカッスルも取り入れ始め、その結果ハーフコート・プレス対決に及びます。 おそらく毎試合そうしたプレーをしていたのではなく、この時点ではほかに採用しているチームもほとんどない。またテレビもないために、全国的に周知されてもいない状態だったか、と思います。 それが、1910-11シーズンから複数のチームが使い始めてゴール数が減る。しかしまた攻撃の工夫でゴール数は漸増。 この間に、名手たちの世代が衰え出してきて、さらにスピード重視の傾向が強まりつつ戦争へ向かう。 戦後はいわゆる谷間の世代で、頂点のスターを除くと選手の水準が落ち、オフサイド戦術は逆に洗練され効果的になった… 振り返って、ニューカッスルの細かい成績をご覧ください。 「ニューカッスル 優勝と優勝の間。と 訂正」 ● 下降、こーか? ノッツ・カウンティは、あまりに先鋭化したハーフコート・プレスでは逆手にとられると感じたため、臨機応変のオフサイド・トラップへと移行していったと考えられます。そのため、1913-14シーズンにシャープのリーズ・シティと対戦したころにはありふれたオフサイド戦術をとることが普通になっていた? ニューカッスルは相手陣押し込め戦術を磨く方向をとったものの、それはニューカッスル自体の凋落につながりました。 ハーフウェイ・ライン近辺で相手をせき止める理論の相棒たる得点への方途、それは相手陣内で奪ったら素早くシュートへ持ち込むというもの… いわゆるニューカッスル・スタイルとは反するようなサッカーに傾斜していくわけです。「みなもを波立てない、ほとんど無比」だったプレーから、とにかく素早く、と。あまり極端でもないだろうと思いますが、攻撃面のイマジネーションは比較的いらなくなっていきます。そこへ主力の名手たちの衰えが重なる。 この点は相乗的というのか、攻撃力の低下が、ニューカッスルの変節を加速させていく原因にもなります。 そして戦後は逆のスタイルになってしまう。おかげでニューカッスルの栄誉が増えました。1926-27シーズンの優勝、そしてさらに… 「センターフォワードに手錠をかける『ポリスマン』の始まりはどちらなのだろうか。ニューカッスル・ユナイテッドのチャールズ・スペンサーか、チャプマンのアーセナルの『巡査部長』ロバーツか。たしかにフォワードのプレーを厳しくする結果にはなった」 以前つくったグラフにニューカッスルのリーグ戦順位を重ねてみました。 青と赤がニューカッスルの一試合あたり平均の得点、失点。黒が順位。 上方の紫色は一部リーグ全体の一試合あたりゴール数。緑の点線はその二分の一。戦争前の得点力低下ははっきりしています。戦後はオフサイド戦術をさらに進化させ、攻撃面では水面に飛沫が上がるようなものになっていき、そうした下地が、1925年のオフサイド変更後のサッカーに合致して四度目の優勝… ● 歳、と 以下、イバン・シャープが列記した、黄金時代ニューカッスルの記憶に残る選手たち五名を並べました。 第一次世界大戦後もプレーしたのは、オフサイド・トラップで名をなしたマクラッケンだけでした。エイトケンはすでに1906年にはニューカッスルを離れます。ラザフォードはアーセナルに行って活躍するみたいです。 史上最高のチームの末路でしょうか。このほか、イェーツ氏が審判をした話に出てくるアルバート・シェパードは、1908年にニューカッスルへ加入、1910-11シーズンに得点王、そして戦争を機に引退のようです。 まず生年。 次が1910年の年齢。 そしてニューカッスルを出ていく年です。 〔ディフェンダー〕 ビリー・マクラッケン 1883 27歳 1924 〔ハーフバック〕(サイドバックに相当するウィングハーフ含む) コリン・ビーチ 1881 29歳 1914 ビリー・エイトケン 1877 33歳 1906 ピーター・マクウィリアム 1880 30歳 1911 〔アウトサイドフォワード〕 J.J. ラザフォード 1884 26歳 1913 ● カロージ氏 濾過 オフサイドの変遷はジュリアン・カロージ氏が整理・記述なさったオフサイドの歴史に依拠しています。ほとんどそれだけを材料に、画期となりそうな事項を並べただけです。 しかしハーフコート・プレス戦術の始まりの時期は、カロージ氏の所説と大きくずれてしまいます。 「1920年代初頭、ほぼ確実にアタッカーをオフサイドにする方法をフルバックが開発したのだ。彼ら二名がほとんどハーフウェイ・ラインに位置し、一方は少し背後にずれ … 中略 … 〜、ビリー・マクラッケンは相棒と連れ立ち、できるだけハーフウェイ・ライン近くまで上がっておいて、素早く、タイミングよく動いた。それでたいてい二、三名の相手フォワードをオフサイドにしてしまった」 これには反してしまいますが、まあ… ● 知らぬらし… しかし当時の証言者、イバン・シャープはどうなのよと、そんな疑問もあります。いくらテレビがないとはいえ遅すぎないか。 1911-12シーズンには一部リーグのダービーと契約しています。するとその前シーズンから一部で流行したはずの、ハーフコート・プレス含みのオフサイド戦術にも、一年遅れで立ち会っているはずではないか…。リーズ・シティに移籍した後に、実地でノッツ・カウンティの穏健化したやり方に逆ビックリ(?)するまでもない、と思えます。 そのあたり、単に知らないのだしておきます。実際に著書でシャープ自身がイェーツの手紙を引用していました。つまりシャープは真に先鋭化したハーフコート・プレス戦術同士の対決を見ていないらしい。 他チームの試合をよく見るようになったのは戦後、ハーフコートのとんがり具合がやや丸くなったころのオフサイド地獄らしい。 当時の選手がどれほど熱心に相手チームの試合を見学したか、それには疑問があります。さらにシャープの場合、ジャーナリスティックな仕事と掛け持ちでプロ選手をしていたかもしれません。まあ、その方が他クラブの試合を見る機会は多いことになりますが。 一部のダービー在籍中、残念ながらリーグ戦出場はなさそうです。ダービーの遠征に帯同しないことの方が多かったのかもしれず、だからニューカッスルほか、先鋭的チームを目にするチャンスがなかった? シャープが主に見たニューカッスルは、プロ選手になる以前、高校生年代くらいまでの無比のスタイルと、第一次世界大戦後のオフサイド戦術ばかりが目立つチームだったということか… ほかの論者の場合でも、これと似たことがあったかもしれません。そのせいで、当時の史実を記したもの、特にオフサイド地獄期を述べたもの同士に差異が生ずる結果になっている? どうも説明しきれずに終りました。さほど単線的に解説できるものでもないのか、と。 素のままの見やすいグラフは「歴史か? 明かしきれ !」をご覧ください。 もう少し今につながるまでを見わたす際は「イングランド百一年」を推奨します。
- 共通ジャンル:
posted by ports |08:32 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/ports/tb_ping/104
コメントする
「他サービスID/メールアドレス」で投稿する場合は、そのID/メールアドレスは表示されず、当サービス専用の固定のコメント投稿者ID「英数+連番」に変換され表示します。
- Yahoo! JAPAN IDでコメント投稿
- mixiアカウントでコメント投稿
- Googleアカウントでコメント投稿
- Hatena IDでコメント投稿
- Biglobeアカウントでコメント投稿
- ログインしてコメント投稿
- メールアドレスでコメント投稿
※新規のメールアドレスによる投稿IDご利用は停止しました。
※コメント投稿手順
(1)上記リストから希望のIDを選択する。
例: Yahoo! JAPAN IDでコメント投稿
(2)Yahoo! JAPAN上の本人確認画面でIDとパスワードを入力する。
(3)スポーツナビ+blog側のコメント入力画面が表示される。
(4)コメント本文を記入し、投稿ボタンをクリックする。
(5)コメント投稿者IDとコメントが表示される。
詳しくは以下2ページをご覧下さい
・【仕様変更】PCからのコメント投稿について
・ブログ利用マニュアル「コメント投稿方法」
※コメント投稿手順
(1)上記リストからログイン/メールアドレスのどちらかを選択する。
例: ログインしてコメント投稿
(2)plus-blogのアカウントとパスワード/メールアドレスを入力する。
(3)コメント入力画面が表示される。
(4)コメント本文を記入し、投稿ボタンをクリックする。
(5)コメント投稿者IDとコメントが表示される。
詳しくは以下2ページをご覧下さい
・【仕様変更】PCからのコメント投稿について
・ブログ利用マニュアル「コメント投稿方法」

この図ではグラフに文章を重ねたので流れが見づらくなってしまいました。お手数ですが
戦争前の得点力低下ははっきりしています。戦後はオフサイド戦術をさらに進化させ、攻撃面では水面に飛沫が上がるようなものになっていき、そうした下地が、1925年のオフサイド変更後のサッカーに合致して四度目の優勝…
● 歳、と
以下、イバン・シャープが列記した、黄金時代ニューカッスルの記憶に残る選手たち五名を並べました。
第一次世界大戦後もプレーしたのは、オフサイド・トラップで名をなしたマクラッケンだけでした。エイトケンはすでに1906年にはニューカッスルを離れます。ラザフォードはアーセナルに行って活躍するみたいです。
史上最高のチームの末路でしょうか。このほか、イェーツ氏が審判をした話に出てくるアルバート・シェパードは、1908年にニューカッスルへ加入、1910-11シーズンに得点王、そして戦争を機に引退のようです。
まず生年。
次が1910年の年齢。
そしてニューカッスルを出ていく年です。
〔ディフェンダー〕
ビリー・マクラッケン 1883 27歳 1924
〔ハーフバック〕(サイドバックに相当するウィングハーフ含む)
コリン・ビーチ 1881 29歳 1914
ビリー・エイトケン 1877 33歳 1906
ピーター・マクウィリアム 1880 30歳 1911
〔アウトサイドフォワード〕
J.J. ラザフォード 1884 26歳 1913
● カロージ氏 濾過
オフサイドの変遷は

