2008年06月14日
貘が夢を見るとき~2008世界選手権レビュー(女子シングル篇2)
ISU世界フィギュアスケート選手権大会2008 ISU World Figure Skating Championships 2008 カロリーナ・コストナー Carolina KOSTNER (ITA) SP:64.28(1位)、FS:120.40(3位)、総合:184.68(2位) 昨季の東京大会ではSPで驚かせ、FSで落胆させる結果で、2日間続けて演技をまとめることの難しさを身を持って示してくれたコストナーだったが、今回は2日間まとめて見事に結果を出して見せてくれた。内容的にはジャンプのミスが多かったためSP首位を守りきることができず、惜しくも欧州選手権との2冠達成というスルツカヤ以来の快挙は1点差未満の僅差で逃したが、FS&総合点でPBSを更新。SPはいいけどFSで崩れるという「SP&FSでキス&クライ」の不名誉なパターンを打ち破った。 彼女のSPは今季を通して本当に安定している。全選手中のベストTES(36.34)をマークし、PCSも平均7点台の高スコアとなればSP首位は当然で、これでルッツのステップアウトさえなかったら昨季マークしたSPのPBS(67.15)に並ぼうかという出来だった。長い手足はダイナミックさよりも寧ろエレガントさを感じさせ、エッジワークはスムースで「よく滑るスケート」を見せてくれる。そのエッジワークをいかんなく発揮しているのがステップとスパイラルで、今大会でも見せてくれた深いエッジワークにはいつもながら惚れ惚れするものがある。 FSはジャンプで細かいミスが連続したのが勿体なかったが、全体的に破綻することなくまとめて、見事PBS。今季の彼女のFSは序盤にジャンプを4回続けて入れるというユニークなものだが、プログラムの構成としてはちょっと損しているような印象がある。せっかくスピード感のあるスケーティングをもった選手なのに、序盤のジャンプ4連発の間の「つなぎの滑り」が単調に感じられるのだ。この辺の印象が評価を分けたのだろうか。PCSのTRは6.00~8.00とバラつきが出た。ジャンプの配分もあまり得策とは言えない。FSのプログラム後半(2分以降)のジャンプは「体力を要するので難易度が上がる」と評価され、基礎点が1.1倍される。このルールを活かして、有力選手の多くは一般的に「前半3回+後半4回」のジャンプ配分にすることで、少しでも基礎点を上げる工夫をしている。それに対して彼女のプログラムは「前半4+後半3」だ。これは得策ではない。例えば、(得意の)前半の3Fのソロジャンプを後半に移動させるだけでも基礎点は自動的に5.50から6.05に上がる。もっともこのルールについて言及するのは釈迦に説法なわけだし、昨季のプログラムでも同様の配分になっていたことから察すると、もしかしたら彼女にとって「前半3+後半4」のジャンプ配分は体力的に難しいということがあるのかもしれない。 コストナーは今回で6回連続の出場で、表彰台は3シーズンぶり。そのポディウムも前回より1段上がり、スコア的にも昨季より大きくアップした(+15.76)。他のメダリストが前回よりもスコアダウンしている中、ミスが少なからずあったとは言え、この成績は立派だと思う。なにせミスをしながらPBSを出したのだ。彼女のスケートは着実に向上していると評価されていると見ていいだろう。但し、私自身はスコアもリザルトも今回に及ばなかったものの、前回の東京大会の演技の方が未だに印象深いことを否定できない。それは前回は会場で生で見られたという臨場感の影響もあるかもしれないが、何と言っても前回はSPの素晴らしさと「日本」をテーマにしたFSの演出の記憶が色褪せないからだろう。 キーラ・コルピ Kiira KORPI (FIN) SP:60.58(4位)、FS:85.15(17位)、総合:145.73(9位) まるで「以前のコストナー」のような結果に終わってしまったのがコルピだった。即ち、SPは良かったがFSが・・・・。 SPはパーフェクトな出来。PBSをマークした60.58の内の34.22というTESは、3+3のコンビネーションを持っていない選手としてはほぼ満点に近い出来と言っても過言ではない。キスクラでスコアを確認するまでもなく、演技終了直後のガッツポーズで達成感あふれる笑顔を見せられれば、こちらもつられて笑みがこぼれようというものだ。 SPで上位につけ期待されたFSだったが、結果は残念の一言。7回試みたジャンプの内、クリーンに降りられたのは3Loのみ。残りの6回はコンビネーションがソロになったり、着氷で手を付いたり、回転不足でダウングレードもあった。これだけジャンプを失敗してしまうとスコアは大きくダウンしてしまう。本来予定していたプログラムではTESの基礎点合計が57.92のものだったが、終わってみると40.98。TESだけで17点も失ってしまっては挽回のしようがない。PCSも欧州選手権に比べると抑えられた感じで平均6点台前半に留まってしまったのは致し方ないところか。結局、TESで失ったスコアがそのまま自身のPBSとの差となってしまった。今回のトータルスコアは東京大会並みだったが、直前の欧州選手権で叩き出したPBSを16点以上も下回っては、その美しい唇に笑みが浮かぶことは遂になかった。 FSではジャンプの失敗だけが目立ってしまったようなコルピだったが、彼女の演技を救ってくれたのは観客の応援だった。彼女にとって、スウェーデンは同じ北欧ということもあり準ホームリンクのようだった。地元観客からも熱い応援があり、最初の2つのジャンプを失敗した後に彼女を励ます拍手が起きたのを聞いたときは私自身もうれしくなってしまった。失敗しても励ますような拍手に観客の質の高さと選手への敬愛を感じてならなかった。その直後に決めた3Loでの爆発するような歓声は、彼女のスウェーデンでの人気をよく物語っている。 金 妍兒 Yu-Na KIM (KOR) SP:59.85(5位)、FS:123.38(1位)、総合:183.23(3位) 韓国国民が熱望していた四大陸を断腸の思いで欠場して臨んだ世界選手権は、結果的には前回と同じ3位にこそ終わったがその内容はやや趣を異にするものだった。順位的には、SP5位と出遅れながらもFS1位で挽回するという展開は前回の浅田真央選手のそれを思い出させるものだったが、FSでも思わぬミスを繰り返してしまっては、コストナーがPBSを出しただけに前回のメダルの色を変えることは叶わなかった。 前回同様、大会前に再発した腰痛をおして出場したわけだが、SPの冒頭のコンビネーションは前回同様「腰痛は三味線か?」と思わせるほどの相変わらずのスピード感溢れるもので舌を巻いた。ところが、「コンビネーションの後に腰痛がぶり返した」そうで続くルッツでよもやの転倒。腰痛の影響か、踏み切りの入り方がずれて軸が傾いてしまった。さらに着氷で重心が後ろにかかってしまったのに加えて、実は回転不足だった。今季の厳しい判定では当然ダウングレード判定されるものと思っていたが、なぜか技術審判がこの回転不足を見逃してくれたのはラッキーだった。ダウングレードされていたら更に2.10も失っていたのだから。それでも彼女のSPで個人的に注目すべきことがひとつあった。楽曲の中盤のワルツでステップを踏むパートがあるが、GPシリーズの頃よりもだいぶワルツらしくなったことだ。以前にも書いたことだが私はこのオペレッタ『こうもり』が大好きなので、だからこそ世界選手権の大一番できちんとワルツを滑ってくれたことに嬉しくなったという次第。 FSはもったいないの一言。3Sが回転不足だったにも関わらずダウングレードを免れ、GOE減点だけで済んだのは幸運だったが、ルッツがシングルになって6点近くも失ってしまったことが順位を決定してしまった。GPで平均9点以上という驚異的なスコアを稼ぎ出したTESのGOEは今回は6.31に留まったが、それでも全選手中のベストスコア。最後の世界選手権でも彼女らしい持ち味を見せてくれた。前回は腰痛がFSでも災いし2回の転倒を喫してしまったが、今回はなんとか持ちこたえたようだ。多少は不安を抱えながらの演技だったかもしれず、GPで見せた疾風のようなスピード感は影を潜めていたものの、本人としては全体的に何とか間に合わせることができたという思いだろう。表彰台の表情がホッとしたように見えたのは気のせいだろうか。 実は全米と欧州選手権の終了段階では、私は金妍兒が優勝候補の最右翼だと思っていた。浅田真央選手の安定感や安藤美姫選手の復調という比較材料はあったが、GPシリーズ2戦の圧倒的な内容、GPファイナルでのミスをしてもハイスコアを叩き出すレベルの高さ、そして3戦通して見られたコンディションの良さ(体力の向上)に、(多くの人と同様に)流石に今回は金妍兒の大会になるのではないかと予想していたのである。ところが、あの腰痛である。多くの報道では単に腰痛とか、中には股関節炎と報じられていたが、母国メディアの報道によると正確には「仙腸靱帯損傷」だそうである。整形外科の義兄に教示してもらったところ、(分かりやすく言うと)脊髄の末端の仙骨と腸骨(骨盤の一部)の間の靱帯が損傷しているということだ。この症例の多くは「骨盤の歪み」に因るものだそうで先天性のものと後天性のものがある。金妍兒の場合はどちらのものかは憶測の域を出ないが、問題はこの症状は慢性化するということだ。昨季もシーズンエンドの世界選手権前に発症し、今回も同様だった。懸命の治療でイエテボリに間に合わせ、何とか前回並みの結果を残すことはできたが、彼女としては内心無念な思いがあったのではないか。2シーズン連続で同じ故障を同時期に発症させたという事実は、この症状が慢性化していることを強く示唆している。ある程度のレベルのスポーツを継続的に行なってきた経験がある人なら実感としても分かると思うが、捻挫や(単純)骨折と違って、靱帯損傷や肉離れ、脱臼というのは反復性が高いため、リハビリを根気よく丁寧にやらないと持病・古傷になりやすく、所謂「爆弾を抱えている」状態になる。これはトップアスリートにとっては致命的な弱点にさえなりうる。どんなに才能があり、どんなにハードワークをこなしても、肉体がついていかなければ元も子もない。慢性化しているとすれば、今後は持病と折り合いをつけながら長期的なコンディショニングを図るのはもちろんのこと、世界選手権や五輪に照準を合わせるのであれば、アイスショーだけではなく競技会の出場も厳選していくような年間計画の見直しも必要になるのではないか。幸い彼女のサポート体制は国家レベル(?)で充実しており、フィジカル面でも専属トレーナーに加えて複数のスタッフが「チーム妍兒」を構成しているという。複数のスタッフがついているということはセカンドオピニオンという点でも有効だろう。 前回の東京大会で見せてくれたSP『ムーラン・ルージュ』の鮮烈さは、未だに私の心を捉えて離さない。願わくはその鮮烈さが記憶にしまいこまれることなく、むしろさらに輝きを増して銀盤を疾風のごとく駆け抜けんことを・・・・。 浅田 真央 Mao ASADA (JPN) SP:64.10(2位)、FS:121.46(2位)、総合:185.56(1位) GPシリーズでは今ひとつ本調子とは言えなかったかもしれないが、四大陸できちんと調整し、加えてライバルの相次ぐ故障と不調の僥倖も得て、満を持して望んだ世界選手権。大会前の練習中に足首を捻挫し1週間ほど氷上の練習を中断したとのことだが、このアクシデントが四大陸の直後だったことは不幸中の幸いだった。イエテボリ入りする直前だったら・・・と想像したらぞっとしたことだろう。順位で見れば、東京大会の安藤美姫選手とまったく同じ、SP2位+FS2位=総合1位、という結果だったがその内容は大いに異なる。前回の安藤選手がベスト+ベストで自ら勝ち取った栄冠であったのに対し、今回の浅田真選手の場合は自らベストを出さずとも、(中野友加里選手を除く)他の有力コンペティターが自滅していった結果転がり込んできた優勝だったと言えなくもないからだ。ただ、結果的には薄氷の勝利で内容的にも100%満足のいく出来とは言えなかったかもしれないが、誰よりも激しく熱望し、それこそ喉から手が出るほどに欲していただろう世界チャンピオンの称号をもぎ取った彼女の演技は「アスリートとしての強靭さ」を感じさせるものだった。 SPの技術面では3+3がきちんと入ったことが大きい。SpSqが姿勢保持時間が短くてレベル1に留まったのは勿体なかったが、当ブログで繰り返し書いているように彼女の今季の強みは5コンポーネンツ。今回のSPでも全選手中のベストPCS(28.88)をマークし、TESで多少取りこぼそうがPCSで挽回できるところを証明した。たとえコストナーにTESで1点後れを取ろうが、PCSで逆に1点近く上回り、結果、僅差で2位につけることができたことがFSでも生きた。 そして、FSでも彼女の「勝利の方程式」は有効だった。TESで稼げなくてもPCSで凌ぐ・・・・。とは言っても、当の本人はそれどころではなかっただろう。冒頭の3Aの不発・転倒ではそれこそ心臓が止まるような衝撃だったのではないか。であればこそ、よくぞ堪えた。その後はほぼクリーンな演技。昨季までであれば、勢いで滑りきったときは圧倒的な強さを発揮するが、冒頭で失敗するとその後は焦ってミスを繰り返すというところが見られた。それが今大会では見事に払拭して見せた。今にして思えば、3Aの後のコンビネーションを3F+3Tにしたのが結果的には正解だったかもしれない。これがセカンドを3Loにしていたら連続してミスしたかもしれない。この辺のプログラム構成はアルトゥニアン&タラソワ両巨匠の大英断だったと思う。今季不安定だったコンビネーションを成功させたことで落ち着きを取り戻せたのではないかと思うからだ。そして、5コンポーネンツ。60点台のベストPCSが初優勝の直接の原動力だったのは言うまでもない。「今季の彼女の強みはPCS」と再三指摘した私としても納得のいくスコアだった。 ここで敢えて大胆な自論を披露しよう。今大会は客観的に見れば「終わりよければすべてよし」といったところで、特にFSは前回に遠く及ばなかった。しかし、この先バンクーバーまで見越したスパンで捉えた場合、浅田真選手にとっては今回はターニングポイントになった大会と言えるかもしれない。それは、彼女が現代のトップアスリート(競技選手)としての理想的な域に達しようとしているように思えるからだ。ポイントは3つ。 「真央の体力が羨ましい」 (金妍兒) まず1番目がフィジカルの強靭さ。これは天賦の才と言えるし、(ご本人は自覚していないかもしれないが)最大の武器である。私は技術を習得するセンスというものは、トップクラスの選手であればそれほど大きな差はないと思っている。選手には各々癖と言うか個性があって、同じ技術でも得手不得手が異なり、習得速度には差が出ることもある。浅田真選手とて例外ではなく、すべての技術をそつなく、簡単に身につけてしまうということはない。ルッツが不完全なのは周知の通りだし、比較的難度が低いはずのサルコウに至っては未だにダブル止まりだ。先日のジャパンオープンで実に3年半振りのサルコウにトライしたがやはりダブルになってしまった。ちなみに、このサルコウの失敗について彼女は「小学生以来跳んでいなかったので・・・」と弁解していたがこれは明らかに事実と異なる。最後にトライしたのは04年ジュニアGP第3戦米国大会のことだから中2のときの話だ。話を戻そう。高度の技術を習得するためには当然ハードワークが必要だ。このハードワークに悲鳴を上げないフィジカルの強さ、高度なエレメントを多数組み込んだプログラムを滑りきれるタフネスが彼女には備わっている。あの伊藤みどりさんでさえ3A習得の過程では骨折をして回復に時間がかかったことがあるし、安藤選手や金妍兒が技術面では浅田真選手と同レベルにありながら、肝心の大一番では故障で実力を発揮しきれないことがままあるのに対して、浅田真選手は少なくとも故障が主因で実力を出し切れなかった、或いは重要な大会を欠場したということはまったくと言っていいほどお目にかかったことがない。トップクラスの選手であれば基礎的なフィジカルトレーニングがベースにあるのは当然のことだが、それに加えて彼女の場合は怪我をしにくい身体を持っている。間接の可動域の広さと筋肉の柔軟性の高さが怪我をしにくい身体を支えているのだろう。そして、こればかりは天性の要素が大きいという。金妍兒がイエテボリ大会の後に「真央の体力が羨ましい」と語ったらしいが、その一言が浅田真選手のアドバンテージを雄弁に物語っている。 「新採点方式の申し子」 (読み人知らず) 2番目は、ルールのトレンドが彼女の特長に合っているということだ。彼女はジュニアからシニアへ移行する際に「新採点方式の申し子」と謳われていたことがある。それは新採点方式の開始が04/05シーズンからだったということと関係がある。中野選手や安藤選手らの1989年以前に生まれた選手はジュニア時代には旧採点方式で育ち、シニア移行後には新採点方式に合わせた修正が求められた。それに対して浅田真選手のような90年以降に生まれた選手の場合は、ジュニア時代から新採点方式で育成されたためシニア移行がスムースに進んだことに由来する(浅田真選手は90年生まれ)。さらに浅田真選手の場合はそれ以外にも「申し子」と称される点がある。新採点方式の大革命の主眼は採点基準の客観性の向上にあったが、その具体案のハイライトが、演技内容を要素別に分解しその難易度を数量化すること、そしてそれらを絶対評価で採点することの2点だった。特に前者が彼女の特性によくマッチしているのではないかと思う。 詳細は後日に譲るが、新採点方式では技術要素はまったく機械的に点数化されている。以前の芸術点の要素はわずかに演技構成点(PCS)に名残を留めてはいるが、その様相は以前とはだいぶ異なる。どうしても主観性を排し客観性を高めるというコンセプトの下では「表現」の評価視点が異なってくるからだ。「いかに美しいか」ではなく「いかに上手か」、或いは「いかに適切か」という価値観が支配的となる。PCSの中でもPE、CH、INの3項目はどちらかというと以前の「芸術点」の名残を留めていると言えないこともないが、これとて判断基準となるのは正確さ、適切さ、バランスといったものでエモーショナルなドメインには属さない。つまりPCSですら技術的な視点が評価の基盤になっていると言える。少し大雑把な言い方になるが、新採点方式に求められるのは、高度な技術力と正確な実施力なのである。そして、このコンセプトに浅田真選手の特性が非常に親和していると思われる。月並みな比喩ではあるが、私は直感的に彼女はフィギュア界における「デジタル世代」の選手なのだなあと思ったことがある。それと対比して、彼女の先輩たちは「アナログ世代」の選手だとも・・・・。欧州のメディアが彼女の演技を「ロボットのようだ」と評したらしいがこれは言いえて妙だ。「ロボット」という表現にはダブルミーニングがあったと思われるが、ポジティブな解釈をすれば、それだけ彼女の演技は常人離れした難度と精度の高さがあるということだろう。もっとも「ロボット」という表現は可愛げがない。私だったら “Clockwork Dolly” くらいには言える。 ところで、私の勝手な妄想だが、トップスケーターを一同に会して各選手とも自分のプログラムを合計10回演技するような競技会が開催されたら、彼女は十中八九、寸分違わない演技を連続して行なえるのではないだろうか。彼女のシーズン通しての安定感、破綻の少ない演技が私にそのような妄想を抱かせて止まない。 新採点方式はフィギュアスケートの「スポーツか?芸術か?」という長きに亘る論争に対して、明確にスポーツの方向へ舵を切った。今もその舵角は変わらないどころか、むしろ強まっている感さえある。しかし、その舵が切られた軌跡を彼女は忠実にトレースしようとしている。 「だって心が真っ白だから」 (浅田真央) 3番目は、競技自体からは少々離れるが、彼女はとても「記号的」だということだ。「メディア的」だと言い換えてもいい。今や彼女の存在は日本国内のフィギュアスケート界においてはアイコンとなっているのではないかということだ。 彼女の演技は初めてフィギュアスケートを見た人でも分かりやすいという声を聞いたことがある。トリノ五輪前後でフィギュアスケートファンが急増したことは有名だが、その急増ファンの多くは彼女のファンなのではないだろうか。私の周りでも最近フィギュアをみるようになったという人の多くが彼女の名を口にする。一方で、(あくまでも私の周囲にいるファンの傾向だが)彼らの「ファン気質」は特徴的でもある。関心の対象は浅田真選手に限定され、他の選手には目もくれないのはもちろん、フィギュアスケートという競技自体への関心もそれほどでもないという人が多い。ただ彼らに共通しているのは、浅田真選手に対してのイメージが一致していることだ。ファンが抱くイメージというのも十人十色だと思っていたら、彼女の場合は万人共通のようだ。彼女の登場時からの展開、話題、そして彼女自身のキャラクターがそうさせるのであろう。世間一般の見方に沿って言うと、まず彼女は彗星のごとく現れた。とにかく詳しくは分からないが「トリプルアクセル」という彼女だけの武器を持っているらしい。お姉さんたちと堂々と渡り合い、試合では常に表彰台。なのに「なぜか」五輪には出られないというのはかわいそうすぎ。そして、あの可憐で無邪気なキャラクター・・・・。彼女を語る際のストーリー、プロフィールは明快で簡潔なのだ。この明快さと簡潔さはメディアにとっては大変好都合で扱いやすい。シンボル=記号になりやすいからだ。加えて、シンボルに相応しい成績を挙げ続けてくれている。実は、このシンボルとしての存在、イメージは彼女のアスリート環境を大いにサポートすることになるのである。そのサポートの主体は企業であり、活動の実体はマーケティングである。 現代のトップアスリートには個人の力だけではなく、そのサポート体制も重要な「戦力」だ。現代の国際的コンペティションの世界は、その競技のメディア露出が増えれば増えるほど、選手がレベルを向上しようとすればするほど金がかかるようになっている。大会の出場給や賞金で生計を立てる、即ち当該競技そのものを生業とすることが(建前的には)許されないアマチュア選手にとって、協会の補助金以外の活動資金は自分で工面しなければならない。それも競技以外の場で。そこで重要なのは企業のパーソナルスポンサードということになる。スポンサード契約、スポンサード料金、スポンサーズベネフィット等々のスポンサード活動を総称して「スポンサーシップ」と言うが、企業のスポンサーシップの目的はマーケティングである。特にスポーツを活用したマーケティングを「スポーツマーケティング」と呼ぶが、スポーツマーケティングが選手に求めるのは当該企業のブランドやメッセージのシンボルとなってもらうことだ。そのため、その選手がシンボルとして市場に認知され、受容されるかということが重要な選定基準になる。先述したように、浅田真選手の記号性はマーケティング、特に広告においては好都合なのである。 広告は複雑なコミュニケーションが苦手なので、単純なイメージや印象を消費者に与えることが広告の主たる目的となる。テレビの世界で言えば、実話を取材してテーマをじっくり掘り下げていくドキュメンタリー番組よりも単純明快で即時的にイメージが伝わるCMに彼女は適している。彼女が愛犬エアロと共演したネスレ・コンフェクショナリー社のチョコレート「ネスレ・エアロ」のCMを思い出してみよう。このCMの企画には広告界における「黄門様の印籠」と言われている「女、子供、動物」の要素が巧みに単純化して描かれている。この3要素は誰からも好感を持たれると信じられているのだ(もっともこの「黄門様の印籠」には広告クリエイティブの手法として安直だという戒めも含まれているのだが・・・・)。本項の小見出しの「だって心が真っ白だから」というのは、彼女が出演するオムロンヘルスケア社の電動歯ブラシ「メディクリーン」のCMでの彼女自身の台詞だが、広告にとって重要なのは実際に彼女の心が「真っ白」かどうかではない。彼女のイメージを通じて「真っ白」という記号が視聴者に残像として蓄積されればいいのである。そして選手にとって重要なのは、そのシンボルとしての価値・イメージが選手自身に多くのCMスポンサー企業をもたらし、その企業を通じて選手に多大なサポート体制が与えられるという構図だ。広告契約金だけではない。企業は選手に活躍してもらわなければならないので、広告以外でも様々に選手をサポートする。来季から彼女にはスポンサーの森永製菓から専属トレーナーが派遣されるという。私が知りうる限り、スポンサーから専属トレーナーのサポートを受けるというフィギュアスケート選手は彼女が初めてではないか。金妍兒にはサポート体制が充実しているという話は先述の通りだが、金妍兒のサポート体制はどこか東欧時代のステートアマのような印象がある。それに対して、浅田真選手の場合は現代のスポーツマーケティングらしい企業主導型のサポート体制が敷かれようとしている。 本人の実力に加えて、いよいよそのサポート体制も日本フィギュアスケート史上、最強のものになりつつあるのだ。 と、ここまでFS滑走順に進めてきたわけで、次はいよいよ最終滑走者、中野友加里選手の番となるところだが、浅田真選手のレビューが予想以上に長くなってしまった。普段、彼女のことを長く採り上げる機会がなかったので、取り合えず新チャンピオンにもなったことだし、この際だから一気に書いてしまおうと思ったら、自分でも呆れるほどに長くなってしまった。ここまでお付き合いいただいた方への感謝と労いを表わす適切な言葉を不幸にして私は知らないが、せめて、ここはブレイクを入れることでご容赦願おう。つまり、当初、2回に分けてアップすると予告した女子シングルのレビューは急遽3回に変更。中野選手と総括は次回へ、という次第。 なんのことはない。私自身の電池が切れしてしまったのだ・・・・。
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posted by pbq1464 |15:15 |
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