2007年08月31日
スルヤ・ボナリー Surya Bonaly
1990年代に活躍した、当時フィギュア界で唯一と言っていいアフロ系選手だった(国籍はフランス)。
他にアフロ系と呼べる選手は、88年カルガリー五輪でヴィットと「カルメン対決」を演じたデビ・トーマスくらいだろうか(トーマスの場合、あまりアフロ系の印象は強くないが・・・)。それくらいフィギュア界でアフロ系選手は少ない。その理由は憶測の域を出ないのでこの場では止めておく。
彼女は98年長野五輪にも出場しているので覚えている若いファンもおられるだろうが、多くの人と同様に「ジャンプのスペシャリスト」として私の記憶にも残っている。しかも4回転に初めて「挑んだ」女子選手として。彼女の4回転は最も難度が低い(その代わり最も挑戦しやすい)トーループだったが、私が記憶している限り一度も成功したことがない。回転不足だったのだ。ISUでは「ISU公式競技会でクリーンに着氷した場合」のみ公認しているので、彼女は遂に「女子選手で初めて4回転ジャンプに成功した選手」として記録されることはなかった。(仏国内大会等では「成功」していたかもしれないが、残念ながら私はそれを知らないし、4Sにも挑戦したらしいがやはり見たことがないのでコメントができない)
ここで余談だが、周知の通り「女子初の4回転成功選手」の栄えある称号は安藤美姫選手に与えられている。しかも安藤選手の場合はトーループを飛び越えて、ひとつ上の難度のサルコウだ(この辺の詳細は後日)
07年8月時点で、ISU公式競技会で成功している最高難度のジャンプはこの4S。女子では安藤選手のみ。現役の男子で最近見せてくれるのはブライアン・ジュベールとセルゲイ・ドブリンくらいか。最初に4Sを成功させたのは男子のティモシー・ゲーブルだが、本田武史さんも現役時代に成功していたと思う。男子は4回転時代再来という状況だが、そのほとんどは4T及び4Tのコンビネーションまで。但し、ニコライ・モロゾフ・コーチによると、高橋大輔選手は練習で4A(!)を成功させているということだ。この勢いでは、男子ではゲーブル以来の、ひとつのプログラムの中に数種類の4回転を入れる時代が近々復活しそうだ(それにしても4Aとは恐れ入る)
なお、男子では3Tから4Tまで1回転増えるのに24年を要している。3Sから4Sに至っては43年もかかっている。やはりサルコウの方が難しいということか。
これに対して、女子は記録がはっきりしない。まず4Tは公式に成功した選手はいないことになっているので、4回転の公式記録は安藤選手の4Sになる。ところが3Sの公式記録が不明だ。参考までに挙げると、ぺトラ・ブルカという選手が62年にカナダの国内大会(ISU非公式大会)で3Sを成功させたという記録が残っている。彼女は64年の世界選手権に出場し3位になっているので、このときに3Sに成功していた可能性がある。どちらにしても安藤選手の4Sが男子よりも短期間で達成されたことは間違いなさそうだ。
ここまで書いたら他のジャンプも気になるところだろうから、私が知りえた範囲で挙げておこう。(単なる雑学として見ても興味深い)
下記のジャンプの括弧内は最初に成功した年。面白いことに、必ずしも(現在の採点基準で)難易度が低い順に達成しているわけではない。(現在の基準では、T<S<Lo<F<Lz<A の順)
対象としている大会は、世界選手権(ジュニア含む)、五輪、GPシリーズ(ジュニア含む)、欧州選手権、四大陸選手権。
■男子
3Lo(52年)、3S(55年)、3Lz(62年)、3T(64年)、3A(78年)
4T(88年)、4S(98年)
*3Fの成功年は不明。
■女子
3S(64年)、3Lz(78年)、3A(89年)、4S(02年)
*3T、3Lo、3Fの成功年は不明。
なぜわざわざこのようなジャンプの歴史に触れたかというと、口さがない批評家やファンが揶揄するような「ジャンプの回転数を増やそうとするのはジャンプマニアの選手だけ」などでは決してないということ。
佐野稔さんも言っていたように「選手は跳びたいのです。難しいジャンプを跳べたということは選手にとっては無上の喜びです。でも1回転増やすことは本当に至難の業なのです。このわずか1回転増やすのに何十年もかかっている歴史的事実を見れば明らかなこと」。
(佐野さんはジャンプの回転数が重要だと言いたいのではなく、フィギュアスケートの技術の中でジャンプは最も難しく、その技術への挑戦と進歩がなければスポーツではなくなってしまう。そして、その高難度の技術に挑戦する選手の努力やチャレンジングスピリッツをリスペクトしてほしい、と言いたかったのだと思う)
閑話休題。
スルヤ・ボナリーのもうひとつの代名詞が「バックフリップ」、いわゆる「宙返り」だ。もちろんいまだに競技会では禁止技。やったところで高得点がもらえるどころか減点されてしまう。ISUはバックフリップを禁止している理由を明らかにしていないが、諸説はいくつかある。
1つ目は、危険だから、という理由。どう危険なのかは容易に想像がつくだろうから割愛する。
2つ目は、根本的に異質なものだから、という理由。詳細は別の機会に譲るが、フィギュアスケートのジャンプというのは本来、ターンやステップ等のスケーティングの延長線上に発生する「装飾的な演技」。その延長線上に発生するジャンプは必ず「横回転」になるのであって、「縦回転」は本来発生しない、という考え方だ。
恐らくはフィギュア界では後者が本音で、それに前者の建前を後付し、一般の理解も得ようとしている、というところではないだろうか。
私は彼女のバックフリップを94年に千葉・幕張で開催された世界フィギュアのEXで見たことがある。しかも彼女は片足で着氷してしまったのだ。なんと強靭な足腰であろうか!私は唖然呆然としてしまったものだ(同年のリレハンメル五輪のEXでも披露したかな?)
彼女の体型はフィギュアスケーターというよりも体操選手のようだった。逆三角形のマッチョな上半身に小さなヒップ。バックフリップのようなタンブリング系の回転はお尻が小さくなくては跳べないという話を聞いたことがあるが、彼女の体型はそういう意味では理想的だったと言える(女子体操選手の体型を思い出そう)。彼女の練習風景の映像も見たことがあるが、やはり体操選手のそれだった。トランポリンを使ってポンポンとタンブリングを繰り返していた(後年、もともとは体操選手だったということを知って合点がいった)
先述の通り、カタリナ・ヴィットはプリンセスでクイーンでディーヴァだ。セクシーでアーティスティックで徹底して「女」だ。滑りはもちろん全身から匂う色香は、私も含めて多くの男性ファンのみならず女性ファンにとっても憧憬の的だった。
それに対してボナリーは、黒い肌、エスニックなコスチュームとヘアスタイル、マッチョな体型、そしてエレガントというよりはパワフルでスリリングな男性的な演技。そのどれもがカタリナ・ヴィットとは対極にある。
それでも私は彼女のチャレンジングなスケーティングに拍手を送った。歴史と伝統がある世界には必ず格式と規律を重視する保守的な人々が住んでいるものだ。スポーツの世界とて例外ではない。しかし、スポーツだからこそ挑戦する姿勢は尊い。採点が不服でキス&クライから早々に退席しても、表彰式でポディウムに中々上がらず駄々をこねても、観客や自分の家族、コーチングスタッフに見せる人懐こい笑顔が好きだった。
06年3月、トリノ五輪日本代表選手の凱旋報告会を兼ねて開催されたアイスショー Theater On Ice 2006 (有明コロシアム)でボナリーに久しぶりに再会した。94年の幕張から10年以上経ち、体型はすっかりオバサンになってしまったが、バックフリップは健在だった。でも健在だったのはバックフリップだけではなかった。演技終了後に見せてくれたあの人懐こい笑顔に私の時計は一気にタイムスリップし、気がつけば夢中になって拍手している私自身がそこにいた。
posted by pbq1447 |19:14 |
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2007年08月30日
渡部 絵美
若いファンの方々には、JSF(日ス連)に対し筋違いの批判を繰り返す、太ったオバハンくらいにしか思われないかもしれないが、とんでもない! 渡部絵美さんこそはアイドルスケーターの先駆けであり、しかも世界に通じる実力も兼ね備えたトップスケーターだったのだ。現役当時、国内では敵なし(全日本8連覇)で、日本女子選手で初めて世界選手権でメダルを獲得したのも彼女だ。加えて、フィリピン人の母をもつハーフ(死語?)特有の美貌とあってはメディアが放っておくはずがない。斯く言う私もその手合いの一人だったことを告白しておく(汗) 男性週刊誌(『週刊ポスト』、『週刊現代』など)が競技とは別の話題や視点で採り上げた最初のスケーターでもあった。どのような「話題」や「視点」で採り上げたかはご想像にお任せする(ここでご披露できるネタではないことは確かだ)
彼女の演技で印象的なのは、まず笑顔(笑)。でも、この笑顔はとても大事だ。演技中は常に「笑み」を絶やさない。名前も「エミ」だから、ダブルミーニングで「エミ・スマイル」というキャッチフレーズが付けられたと記憶している。技術的には2Aが得意で質も高かった。レイバックスピンの姿勢も美しく、リズミカルでスピードに乗ったスケーティングは(私の主観に過ぎないが)アメリカの女子スケーターに似ているような印象を持っていた。そう言えば彼女もショートカットだ(まだ私はショートカットの女の子に夢中になっていた)
彼女の全盛期は70年代後半。79年に日本女子選手として初めて世界選手権のメダリストとなり、翌80年のレイクプラシッド五輪ではメダル獲得の期待が高まった。例によって、景気づけに煽ることしか知らない日本のマスメディアはメダル獲得を確実視するような論調が渦巻いていたが、当時のメダル争いはトリプルジャンプの成否に懸かっていた。彼女のトリプルは3Tと3Sだったが、SPで出遅れた上にFSでは3Sに加えて、得意の2Aでも失敗してしまい、メダル獲得の期待には応えられなかった。
6位という結果に号泣している彼女の顔が、当時大きく報道されたけど、私も悔し涙を流すことを隠さなかったことを今でもよく覚えている。
伊藤 みどり
ジャンプ!ジャンプ!!ジャンプ!!!
伊藤みどりさんはとにかく跳びまくったのだ。そして、そのジャンプで世界を制したのだ。余計な比喩は要らない。とにかくそのジャンプは圧倒的だった。また、今や世界に誇る日本女子陣営の源流となったのは間違いなく、彼女だとも言えるだろう。彼女の技術面のことはもちろん、そのコーチングスタッフ、育成方法にも脚光が当ったのも彼女からだったと言っても過言ではないからだ。
技術的にはもちろん3A。伝家の宝刀だ。安藤美姫選手が4S成功の最初の女子選手として知られているが、彼女はそれ以前に「3A成功の最初の女子選手」として記録されている。
もう一度言う。圧倒的だ。何が圧倒的かと言うと、ジャンプの高さだ。(YouTubeあたりで)一度でもいいから彼女の3Aを見てみるがいい。驚異的なジャンプ力なのだ。どこかのメディアで他の選手の3Aと比較したのだが、他の選手の3Aが50-60cmくらいなのに彼女はナント70cm前後も跳んでいるのだ!彼女は身長が145cmくらいだから身長の半分くらいを跳んでいることになる。しかも、女子選手にとって3Aのソロジャンプでさえ驚異的な時代にあって、彼女は3Aをコンビネーションで跳びさえした。彼女の演技全体やトータルのキャラクターは決して私好みとは言えなかったけれども、ここまで圧倒的なジャンプを見せられると、畏敬の念を抱かざるをえない。
彼女の戦績はWikiあたりでその詳細を知ることができるだろうから、ここでは詳らかにしないが、初出場の88年カルガリー五輪では、3Aこそ跳ばなかったが、5種類のトリプルを次々と決めて、地元メディアからは「ジャンピング・ウーマン」とか「フライイング・レディー」とか驚嘆の声が挙がったと記憶している。正に「跳ぶ」と言うよりも「飛ぶ」と言った方が彼女の形容としては相応しかった。その昔、陸上のカール・ルイスの往時の走り幅跳びを「空中遊泳3歩半」と表現した広告があったが、彼女の場合はさしずめ「空中遊泳3回転半」と言ったところだろうか。
彼女の名誉(?)のために付け加えておくと、実は彼女は「ジャンプだけ」の選手ではなかった。私が特に印象に残っているのはスピンだった。スピード豊かにきれいな軸で回っていたものだ。また、彼女は身長に恵まれず、スレンダーでもなかったのでプロポーション的には見栄えがしなかったと記憶している方々も少なくないだろうが、実は足が不釣合いなくらいに長かったということを付け加えておくことも私は忘れない(足に比べて手は短かったが・・・)。競技選手時代はジャンプを中心としたテクニカル・オリエンテッドなスケーターだったが、プロ転向後は加齢もあって、しっとりとした表現力を身につけていたことも思い出される。
そう言えば、伊藤みどりさんもショートカットだったが、彼女は私の「銀盤の恋人」にはならなかった。彼女はフィギュア界のアイドルやクイーンというよりも「人気者」だった。リンク内外での屈託のない、今で言うところの天然ボケ気味の言動が、(邪気が無いという意味で)どこか子供っぽく、漫画から飛び出してきたような女の子だった。
八木沼 純子
じゅんじゅんです(笑)
渡部絵美さんが引退した後、アイドルスケーターの正統継承者は間違いなく、八木沼純子さんだった。
現在のように年齢制限のなかった1988年に、若干14歳(中3)にしてカルガリー五輪に出場。伊藤みどりさんの活躍の陰に隠れてしまったこともあり、五輪での彼女の演技を記憶されている人は多くないだろうが、伊藤さんとはある意味正反対の存在として私の記憶に刻まれている。
ご本人としては不本意かもしれないが、彼女を思い出すときにまず脳裏に浮かぶのは、そのアイドル然とした顔立ちだ。色白で目が大きく(ちょっと離れているところがまた私好みだが)、形の良い口元を備えた天顔は、当時「美少女スポーツ選手」の誉れを独占していた。身長こそ160cmに満たなかったが、そのスレンダーな肢体は可憐な印象を観客・視聴者に与えるに十分で、リンクに現われただけでパッと花が咲いたような艶やかな存在感があった。化粧栄えのする肌の白さがその艶やかさに拍車をかけた。
技術的には3Lzに苦労していて、インタビューの時にはいつも「ジャンプを失敗しないように」とコメントしていたように記憶している。私としては、全体的にリズム感のある、きれいなスケーティングの印象が強く、なにか特定の技術の印象は残念ながら残っていない。それでも私は彼女がリンクに登場するだけで心ときめいたものだ。彼女はショートカットではなかったが、十分「銀盤の恋人」だったのだ。当時、独身時代を謳歌していた私自身の「ストライクゾーン」が節操ないほどに広がっていたのかもしれない(汗)
現在は、フジテレビを中心にフィギュアスケート番組の解説としての活躍が目立つが、アマチュア引退後は Prince Ice World でプロスケーターとしての活動を続けている。そのショーでのエピソードをひとつ。
今年のGWに開催された同ショーの新横浜公演でのこと。ショー終了後は観客席(リンクサイドのエキサイティングシート)に挨拶にくるのが恒例となっているのだが、このとき八木沼さんは誰かと勘違いしたのか、真っ先に私のところに「どうもどうもお久しぶりです」と駆け寄ってきたのだ。確かに同ショーを見るのは4年ぶりくらいで、その時に短時間ではあるがお話をさせていただいたことはある。但し、それも一人のファンとしての会話。時間も経っているし、彼女自身も何千人というファンと接しているはずだ。私と個人的な親交もあろうはずがない。だが、私の席位置が中央付近だったこともあり、周りからはいかにも私のところに最初に挨拶に来たように見えてしまったのだ(通常は、端から順に挨拶して回る)。私は咄嗟に「相変わらずお綺麗ですね」と誤魔化して早々に引っ込もうとしたのだが、返す刀で彼女は「またまた相変わらず口がうまいですね」なんて追い討ちをかけるものだから、「このオッサン何者?」とでも言いたげな周囲の好奇の視線が恥ずかしかった。
彼女は見た目の品の良さ、アイドル然とした容姿とはまた違った、気さくというか人懐こいというか、ちょっとオッチョコチョイな一面も垣間見せるチャーミングなレディになっていたのである。
荒川 静香
ついこの前まで現役選手だったので、(皆さん自身も)記憶も鮮明であり、現在も(現役選手を除けば)最もメディア露出の多いスケーターなので、ここでわざわざご披露できるほどの目新しいネタはない。
現役時代はスケールの大きい、オールラウンドな選手という印象があった。04年世界選手権(ドルトムント)の技術点で(旧採点法で)6.0の満点を出してチャンピオンになったことからテクニカルな印象が強いかもしれないが、表現も含めて万能型で欠点の少ない選手だった。但し、どんなスポーツでもありがちなように、彼女の場合も何でもこなす反面、「器用貧乏」に陥るところがあって、下の世代でテクニカルな選手が次々に登場する中、強み・特長が見えにくい選手のように映ったこともあった。現在は武田奈也選手が長身で有名だが(約170cm)、彼女の現役当時は150cm台が中心の日本女子選手の中にあって、166cmという外国選手さえも上回る長身はとにかく見栄えがしたものだ(実際にお会いすると168cmくらいはありそうだったが)。他の競技では欧米の女子選手はアジア系選手に比べて概して大柄だが、ことフィギュアスケートに限って言えば、欧米の選手でも170cmに届こうかという選手は少ない(その他に長身選手が少ない競技と言えば、体操あたりが双璧か)。
彼女は6種類のジャンプを跳び分けることのできる数少ない選手でもあった。4Tや3Aも跳ぶことができた。敢えてリスクを犯してまでも跳ぶ必要性を感じなかったのか、遂にプログラムに組み込むことはなかったが、実現していればさぞかしスリリングなプログラムになったことだろう。但し、意外と知られていないことだが、(プログラムに入れてはいたが)3Fは恐らく苦手にしていたはずだ。彼女のフリップはアウトエッジで踏み切ってしまう「リップ」になることが多かった。ルッツを得意としている選手にしばしば見られる現象で、現役では安藤美姫選手にも同様の傾向がある。
多彩な技術とスケールが大きく優雅な表現とを併せ持っていた一方で、とにかく「笑わぬ姫」でもあった。海外メディアが “Cool beauty” と称したらしいが言いえて妙ではある。06年全日本~トリノ五輪の頃から見たというファンの方には晴れやかな笑顔の印象があるだろうが、ジュニア時代や初出場となった98年長野五輪の頃から覚えているファンには、とにかく「笑わぬ姫」のイメージが強いはずだ。失敗しても何があっても常に微笑み続けた渡部絵美さんとは対照的に、荒川さんはとにかく笑わなかった。どこか求道者のような雰囲気さえ漂わせ、理想が高いというか、決して自分の演技に満足することなどないのだなあ、と感心して見ていたものだ。もちろん、そういう部分もあるのだろうけれど、実は彼女は常にスケートを続ける自らのモチベーションと闘っていたのだ、ということをトリノ前後に知ることになる。そのモチベーションをしっかりと持ち、目標を見据えることができたからこそ、06年全日本以降は晴れやかな表情を度々見せることができるようになったのだと思う。
トリノ五輪の凱旋アイスショーとなった06年3月の Theater On Ice 2006 (有明コロシアム)で、EXナンバー “You Raise Me Up” を間近に見ることができた。楽曲の良さもあるのだが、彼女の演技は「神々しい」という表現が大袈裟ではなく、本当にスピリチュアルな「祈り」にも似た体験だった。興奮というのではなく、静かな感動が私の胸の奥で湧き上がり、気がつくと私の眼からは自然と涙が流れていた。技術力と表現力の高次元での融合、というひとつの理想形がそこにあった。
但し、その理想形は競技会の中ではもはや実現しえない、というのが荒川静香さんが至った結論でもあるのだろうが・・・・。
posted by pbq1447 |20:27 |
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