2011年12月31日

ご挨拶

読者各位



今年もお世話になりました。

今年は正に未曾有の年となり、様々に考え、行動することが求められた一年となりました。
来年はどんな一年が待っているのか予想することはかないませんが、今年が決して忘れることができない一年になったことだけは確かです。

読者の皆様におかれましては、来年も引き続きご厚誼のほどを賜りたくよろしくお願い申し上げます。

なお、私事ですが、この年末に想定外に喪中となりましたので、新年のご挨拶を控えさせていただきたます。
悪しからずご了承ください。



2011年12月31日

pbq1447

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2011年12月25日

Bitter and Sweet ~ アデリナとエリザベータ

今、当ブログを読み始めたあなたがフィギュアスケート女子の世界勢力図を日本選手を基準にして見ているのであれば、私はあなたにいきなり喧嘩を売ることになる。

準備はよろしいか?


2014年ソチ五輪のフィギュアスケート競技の女子シングルで、金メダルを獲るのは日本選手ではない。


金メダルどころではない。表彰台に日本選手は一人もいないだろう。


ほら、今、あなたは憤怒の情にかられているのではないか。ははは、愉快、愉快・・・・

失敬した。
自分からけしかけておいて「愉快」はないな。
しかし、怒ったり、笑ったり、泣いたり、自らの激情に翻弄されている自分に気づかないと、赤っ恥をかくことになる。
まあ、先は長い。ゆっくり始めようか。




ツァーリの果実



女王不在の今季の女子シニア界で、ファン、関係者の双方からの注目と期待を独占している二人の選手がいる。共に今年15歳になったばかりの、まだジュニア年代の選手だ。


アデリナ・ドミトリエフナ・ソトニコワ
Аделина Дмитриевна СОТНИКОВА
Adelina Dmitrievna SOTNIKOVA
1996年7月1日生

エリザベータ・セルゲエフナ・トゥクタミシェワ
Елизавета Сергеевна ТУКТАМЫШЕВА
Elizaveta Sergeevna TUKTAMISHEVA
1996年12月17日生

*読者の閲読環境によってはキリル文字(ロシア文字)が文字化けしている場合があります。
*Tuktamishevaの日本語表記はまだ確立していないが、当ブログでは現時点でメディアで最もよく見かける「トゥクタミシェワ」を便宜的に採用します。この表記には議論の余地があることは承知していますが、当ブログはその議論には参加しません。


今季からシニアGPに参戦しているのになぜ「ジュニア年代」なのかというと、二人ともまだ今季のシニアの世界選手権(2012/3/26-4/1、ニース)には出場できないからだ。今季出場できるのは世界ジュニア(2012/2/27-3/4、ミンスク)なのだ。

Reminder:
In ISU Senior Championships and the Olympic Winter Games only Skaters may compete who have reached at least the age of fifteen before July 1st of the current season.

シニアの年齢規定について漠然と「7月1日に15歳になっているかどうか」と解釈していると首を捻るかもしれない。トゥクタミシェワはまだいい。この12月で15歳になったばかりだから分かりやすい。分かりにくいのはソトニコワだ。

7月1日生まれというISUのリーガル・カレンダーに合わせて生まれたソトニコワの誕生日は、彼女が「生まれながらのスケーター」であることにお墨付きを与える出生証明書だ。しかし、証明書というものは時として不利に働くことがあるのも世の常だ。皮肉にもソトニコワの場合もそうかもしれない。
ISU規定の ”before July 1st” に照らし合わせると、当該シーズンの「7月1日より前に」15歳になっていることがシニア資格となる。7月1日は含まれないのだ。還元すると誕生日は6月30日までが有効だ。6月30日までが「先シーズン」で、7月1日から「当該シーズン」が始まるという規定なのである。ちなみに、もし7月1日を含めるとなると “by July 1st” という表記になっただろう。
ソトニコワはわずか1日の差で、いや実際には数時間の差でひとつ下の年代に組み入れられることになったのである。もし、父親がISUカレンダーのことを知っていたら、出生届に記入する出生日を7月1日にするのか6月30日にするのか大いに迷ったかもしれない。生まれたばかりの我が子の足に羽が生えているとはお釈迦様でも、もとい、イエス様でも気がつかめえ。
なに?イエス様であれば足に羽が生えていたら気づかぬはずがあんめえ? いやいや、イエス様の目に留まるのは、羽が背中に生えていたときでござんすよ。



早熟のジェーバチカ〜アデリナ・ソトニコワ


最初にアデリナ・ドミトリエフナ・ソトニコワの名前を目にしたのはちょうど3年前のこと。2008年12月にロシア連邦タタールスタン共和国の首都カザンで開催されたロシア選手権でのことだった。正確に言うと、このとき目にした名前は “SOTNIKOVA” のみであってフルネームではなかったが、その女子シングルのリザルトの一番上にその名前はあった。(このニュースについては当ブログでも2009/3/12付けのエントリーで簡単に紹介している)
私は普段あまりジュニアクラスを気にかけていない。その理由のひとつは、ついこの前まではジュニアは情報がほとんど流通しておらず、大会リザルトですら入手するのが一苦労だったことがある。今でこそ日本国内でもジュニア年代に関心が集まり始め、インターネットで情報が入手しやすくなってはきたが、長年の習慣でジュニアまでフォローする余力が私にはなかった。さらに女子に至っては「女子ジュニアにそんなに熱を上げてもどうよ?」みたいな感覚があった。
なぜ女子ジュニアは「どうよ?」なのか。それは体形変化の問題だ。女子ジュニアは儚い存在だ。ジュニア時代にどんなに輝いても、その輝きを維持することは不可能だ。輝きを失うというのではない。輝き方が変わるのだ。その変化を成長と捉えて成熟していく過程を楽しめない選手やファンは悲劇だ。大人になることを、成熟していくことを心待ちにできないような人生には絶望しかない。
話を戻そう。
ロシアン・ナショナル2008の女子優勝者が12歳だと知ったときは驚きよりも憂鬱になった。ジュニアならまだしもノービスの選手がナショナルチャンピオンになるとは、そこまでロシア女子は危機的状況にあるのかと勝手に憂慮したのだ。私はそのときリザルトを見ただけで演技映像は見ていなかった。私は今でもインターネット動画というのが苦手で、よほどのことがない限り見ることはない。PCの15インチかそこらの小さなモニター画面で低画質の映像を見るのが苦痛なのだ。

最初にソトニコワの名前を見つけてから2年近い歳月が過ぎ、私がその名前を思い出す機会を失っていた2010年の冬、ソトニコワは突然私の前にその姿を現した。そして、その姿は子供のそれではなかった。


PLAY BACK Part 1
ISU Grand Prix of Figure Skating 2010/2011 - Cup of Russia 2010 ROSTELECOM CUP
18-21 Nov. 2010
Sports Palace MEGASPORT, Moscow

女子シングルで安藤美姫選手が2連覇した昨季のGPロシア杯。そのエキシビションでソトニコワはホスト国の特別招待選手として演技を披露した。その演技が日本の電波に乗ったのは2010/12/8。ロシア杯のエキシビションの日本国内での放送はCS放送のテレ朝チャンネルのみ。ゆえに、ソトニコワの演技が日本の電波に乗ったのはこのときが初めてだった。(地上波、BSは未放送)
このときソトニコワは14歳。初めて見たソトニコワに、私の2年前の憂鬱は吹き飛んだ。
ソトニコワが演じたEXプログラムは『白鳥の湖』。後に東京の代替開催となったあのモスクワ・ワールド2011のEXでも披露されたそれである。チャイコフスキーの三大バレエ『白鳥の湖』はフィギュアスケートでも定番の楽曲であり、これまでも多くのスケーターが演じてきた。ゆえに選曲自体に驚きはない。しかし、タラソワが振り付けたのは白鳥ではなく、黒鳥だった!14歳の小娘に黒鳥を与えたのだ。しかし、もっと驚いたのは14歳のソトニコワが黒鳥を踊れたことだった。
可憐で清純な白鳥であれば14歳の少女でも役作りはイメージしやすいだろう。しかし、黒鳥は難しい。毒気がなければならない。男を惑わす媚態も見せなければならない。そして、何と言っても禍禍しさを美しく表現できなければ黒鳥になれない。そんな表現が14歳に果たしてできるのか?

まっ先に気づいたのはリンクに登場して開始のポーズを取った時の存在感。既にほのかなオーラが漂う。伏し目がちに構えた横顔は14歳のそれではなかった。
この子は持っているものが他の子と違う・・・・単純にジャンプがどうのとか、姿勢がきれいとか、スケーティングがうまいとかそういう「もの」が優れているとか勝っているとかいうのではなく、適切な言葉が見つからないが・・・・空気感が違う。他と違う。
滑り出す前に直感的に伝わってきた印象は今も鮮烈に思い出される。そのファーストインプレッションは実際に滑り出して更に鮮烈さを増した。
シャーロットからそのまま跳ぶアクセルパウルゼン、ウィンドミルをミックスしたコンビネーションスピン、音楽と完璧に調和したストレートラインステップ、足元から指先までつながった身体全体で滑るようなスケーティング、リンクを広く使った演技、そして、それらのエレメンツと楽曲の展開に合わせて絶妙に変化させる豊かな表情!(唯一難点をつけるとしたらこのときのコスチューム。白と黒のツートンカラーはない。もっともその後は黒一色に変更されたが)
フィニッシュのポーズが決まったときにはゾクッとした。なんだ?この子は? 所詮、小娘だろとタカをくくって見ていたオヤジの喉元に短剣を突きつけてくるような、その眼の輝きは何だ?

もちろん、技術的には完成されているわけではなく、これからもっと正確さと洗練さを追求していくだろう。なにせまだ14歳(当時)なのだから。しかし、一番大切な「誰にもない、誰とも違う個性」を持っていることがソトニコワの最大の魅力だろう。その源にあるのは彼女の育った家庭環境にあるのか、ロシアという文化にあるのか、それはよく知らないが、「技術の練習」を積み重ねるだけでは持ち得ないパーソナリティを弱冠14歳の「小娘」が持っていたことに驚愕したロシア杯2010。ソトニコワとの出逢いがシーズン中盤のGPシリーズを特別な記憶に変えた。

後日談。
ロシア杯EXで初見となったソトニコワの「黒鳥」は、ジュニアGPファイナル、年末のロシアン・ナショナル、世界ジュニア、そして最後は世界フィギュア(ホスト国の特別招待)での各EXで披露されたが、見るほどにプログラムが成熟し、黒鳥はその翼をさらに大きく広げた。世界フィギュアで舞った「黒鳥」は、会場の照明演出が素晴らしかったこととも相まって、ソトニコワの演技はもはやシニアのそれと遜色ないないほどに仕上がっていた。プログラムを成長させる力も併せ持っている14歳に私は遂に歓喜の声をあげることをためらわなかった。


2011/2012シーズンのソトニコワは苦労している。その主たる要因はオフシーズンの怪我のための調整遅れと体形変化だろう。
怪我の方は詳細をつかんでおらず特段言及することはできないが、出場予定だった試合を欠場したくらいだから軽微なものではなかったはず。この怪我の回復度合いも不明だが、シーズンインのコンディショニングが万全でなかったことは確かだろう。問題は2つ目の要因。体形変化である。
私が初めてTVでソトニコワを見たとき(およそ1年前)の彼女の身長は155-6cmくらいだったと思われる。それがシニア初参戦となった今季のGPシリーズでは162-3cmくらいになっているように思う。これらの身長のソースは、正確な身長が分かっている他の選手と彼女が並んだ写真である。ISUの公式バイオグラフィーに載っている身長は当てにならないので、この写真を見比べての推定の方がより正確だろう。この1年で6-7cm伸びた身長が彼女のジャンプを狂わせている要因のひとつだろう。幸い体形変化は身長の伸びに留まっていて、身体のシルエットは維持しているように見える。怪我を完治させ、コンディションが整ったときのソトニコワが見たい。

最後に、ひとつだけ付け加えておきたいことがある。彼女が注目を集めた(特に日本での)最大のハイライトは3Lz+3Loだろう。ただこれには首をかしげたくなることが起きている。
今季のGPで彼女のこのコンビネーションは最初のルッツがフルッツと判定されている。昨季まで認定されてきたのに今季になってから軒並み不正エッジ判定の連続だ。これが疑問なのだ。何が疑問なのかと言うと、今季の判定が正しいことが疑問なのだ・・・・と書くと、あなたはますます私が何を言いたいのか分からなくなってしまうだろう。
私が疑問なのは今季の判定ではなく、昨季の判定なのだ。実はソトニコワのルッツは昨季から変わっていない。昨季からフルッツだったのだ。それが昨季は見逃されていて、今季シニア・デビューした途端にフルッツ認定されていることが疑問なのだ。ジュニアは育成年代である。育成時期にこそ、技術判定は厳格に行なうべきではないだろうか。育成時期に大甘に見て、悪い癖が習慣化され、シニアに上がったら急にその悪癖を糾弾するというのはいかがなものか。育成時期の悪癖を見逃してきた責任の一旦は技術審判にもあるはずだ。確かにジュニア時代には萎縮しないように演技させたいというのは理解できる。しかし、伸び伸び演技させることと悪癖を放置するということは別問題であろう。


青い果実は香りが良くてもまだ酸味が強い。果実は熟れて初めて本物になる。しかし、その熟成を誤れば果実は青いまま朽ちることもある。プーチン首相が見初めた果実が2014年にどう熟成しているかによって、ロシアが女子シングルで獲得できるメダルの色が決まるだろう。

このまま一気にトゥクタミシェワまで書き上げようかと思っていたが、全日本の男子が気になっているので今回はここまで。トゥクタミシェワは次回の登場。



Silent Night Holy Night


すべての生が等しく祝福されるように、すべての死もまた本来は等しく尊いものだ。すべての生が平等であるように、すべての死もまた本来は分け隔てなく敬われるべきだ。
ただ、死には生前の軌跡が重ね合わせられるので、「死に方」によって印象が異なるだけだ。
繰り返すが、死は生と同様に本来はすべて平等なのだ。

私は最近決意したことがある。今後しばらく、少なくともソチ五輪が終わるまでは、フィギュアスケートの日本国内放送に関しては、地上波放送はすべて見ないことにした。放送はすべてBSとCSで見ることに決めた。現在の放送契約で言えば、GPシリーズはテレ朝チャンネルで、全日本、四大陸、世界フィギュアはBSフジとJ SPORTS、フジテレビONE/NEXTで見るということだ。なぜか?


もう地上波放送の中継を聴きたくないのである。


BSやCSでは副音声で会場音だけを聴くことができる。会場音であれば会場の生観戦により近い状態でTV観戦することが可能であり、地上波放送で繰り返される煽りやポエム、お涙頂戴の浪花節を聴かずに済むのだ。会場音だけの放送であれば、純粋に選手のスケートだけを楽しめるのだ。(問題はNHK杯だ。NHKはBSでもまだ音声多重放送をやってくれない。NHK杯はネット配信の公式動画で我慢するか。そうすれば刈屋アナの中継は聴かずに済む)

よって、今、放送中の全日本も、BSフジ、フジテレビONE(再放送はフジテレビNEXT)の放送を待つことになる。結果を知ってから見ることになるだろうが、私はそれでもいいと思っている。鬱陶しい中継でイライラしながら観戦するよりは遥かに精神衛生上好ましいことは確実だからだ。


聖夜は静夜であってほしい。

Violent Night Folly Night

私はこの12月、地上波テレビを筆頭に、新聞、雑誌、インターネットで繰り返されるプロパガンダに目眩がしている。



DATA
第80回全日本フィギュアスケート選手権大会
2011年12月22-26日
大阪府門真市・大阪府立門真スポーツセンター(なみはやドーム)

TV観戦において純粋にフィギュアスケートを楽しみたい方には、アナウンサーの中継、ゲストの解説が入らない「会場音」だけの音声で視聴できる音声多重放送がお薦め(特に日本選手が出場する女子シングルの試合)。フィギュアスケートに限らずスポーツ観戦は会場観戦がベストですが、TV観戦の場合は「副音声は会場音のみ」の音声多重放送がモアベターよ^^;(by おばちゃま)


◆フジテレビONE
CATV経由で視聴する場合は音声多重放送で視聴できない場合があります。ご契約のCATV局にご確認ください。

2011/12/30
10:00-12:00 男子SP
12:00-14:00 男子FS/ペアFS
14:00-16:00 女子SP
16:00-18:30 女子FS/アイスダンスFD/
         世界フィギュア2012日本代表発表セレモニー
18:30-20:30 エキシビション Medalist On Ice 2011

(再放送は2012/1/14-15。フジテレビNEXTでも別途放送予定)


◆BSフジ

2012/1/1 14:00-15:55 男子SP
2012/1/1 17:00-18:55 男子FS/ペアFS
2012/1/2 15:00-16:25 女子SP
2012/1/2 16:30-18:55 女子FS/アイスダンスFD/
                世界フィギュア2012日本代表発表セレモニー
2012/1/3 16:30-18:55 エキシビション Medalist On Ice 2011

(再放送予定あり)

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2011年11月21日

特別な季節の挽歌

いきなり私事ですが・・・・


テッサ・ヴァーチュとスコット・モイアに会いそこねた!!!!


千載一遇のチャンスを逃した!
当然ながら、握手も、記念写真も、サインも、(片言の)会話も、もしかしたら会食も(さすがにそれはないか^^;)・・・・、すべて幻と消えた!
すべてはふだん職場の同僚に私がスケオタであることを積極的に公言してこなかったツケである。自分の正体を隠してきた背徳の日々を呪うしかない。しかも口惜しいことに、私の同僚はちゃっかり会っているのだ。

 同僚「えっ?スケート好きだったの?」
 小生「知らなかったの?俺いつもスケートの話してるだろ?(本当はあまりしていない^^;)」
 同僚「でも、好きと言っても、アンドーとかタカハシでしょ?ペアとか知らないでしょ?」
 小生「んん?ペア????」
 同僚「ほらね。知らないだろ。去年のペアの世界チャンピオンなんだって!すごいよね」
 小生「・・・・・・・・」

私はこれ以上彼とこのテーマで会話を続けることを止めたのは言うまでもない。ペアとアイスダンスの区別がつかないような ヤ カ ラ に握手を強要された(であろう)テッサとスコットが不憫になったからだ。彼らに日本が「スケート後進国」と思われたのではないかと気が気でならない。(まあ、確かに「スケート文化」は低いけど>_<)
ついでに言えば、昨季の世界チャンプはデイヴィス/ホワイトだ。ヴァーチュ/モイアが世界タイトルを取ったのは2シーズン前だ。もっとも彼が言った「去年」とは「昨季」のことではなく「昨年」のことだとすれば辻褄が合う。まあ、その辺は大目に見ようか。

しかぁーーーーーしっ!

バンクーバー五輪ゴールドメダリストにしてトリノ・ワールドチャンプのダブルクラウン・アイスダンサーを前にして、「ペアの世界チャンピオン」は、

ぬぁいっ!

断じて、ぬぁいっ!!

まさか彼らにジャンプの話とかしてないだろうか。本当に気が気でならない。
ああああ、こんな ヤ カ ラ がテッサとスコットに会えて、ぬぁんでスケオタ歴うん十年のオレが会えないのだっ!!!!


この世の不条理を今更ながらに味わった晩秋の東京。
切歯扼腕、滅私沢庵とはこのことか(爆)



閑話休題



ちょっと趣向を変えようと思う。モデルチェンジである。これまで4年間続けてきたスタイルを改めようと思うのだ。ちょっとマンネリを感じ始めているのである。
試合のたびにそのレビューを書き、余裕があれば次の試合のプレビューも書く。そうして、一区切り付いたら総括する・・・・。そういう繰り返しにモチベーションを感じなくなってきてしまった。私はフィギュアスケートの魅力をブログに表現できているだろうか。試合の結果を書き留めているだけではないだろうか。それが私のやりたかったことだろうか。自問自答しているうちに時間だけが怠惰に過ぎていく。
もっと自分自身の思いを大切にしようと思う。私は評論家でもなければ、ジャーナリストでもない。一介のファンに過ぎない。そのファンが成しうる最大のことは何か。自分自身の思いをこれからの指針にしていこうと思う。



この世で一番美しい人間、それは「裏切り者」である。

posted by pbq1447 |11:24 | コメント(8) | トラックバック(0)
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2011年11月21日

お知らせ

読者各位


現在、ブログがアップできない状態が続いています。
事務局の指摘通りに修正しても一向に解決せず、アップ不能の状態が続いています。
読者各位にはご不便をおかけしますが、今しばらくお待ちください。
(現在、事務局からの再再再返信待ちです)


pbq1447

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2011年10月21日

再起動

TIME


すべての事実と結果には、背景と原因がある。
強者に盲従することで自分の弱さを忘却しようとするあなたは、事実と結果だけに目を奪われ、背景と原因に目を背ける。
弱者を嫌悪するのは自らを直視することを恐れているからに他ならず、やがてあなたは背景と原因に目を閉じ耳を塞ぐことが日常となっていることにすら無自覚となる。

光は陰に対して輝くのではない。
光は自らも陰をもって初めて輝くのだ。
陰を持たない光は仮初めに輝くだけの相対性の光だ。
陰を自らに内包することで光は絶対となる。

あのモスクワで見た春の光は、モスクワの光ではない。
モスクワが輝いたのは、日本の陰があったからだ。
日本の陰が海を渡ってモスクワの地で光となったのだ。
相対の光はモスクワの厚い雲に飲み込まれ、絶対の光がモスクワの空で輝いたのだ。



故あって、長らく惰眠を貪ってきた。
この六月(むつき)の間に私の前にぶら下がっていた時計は、今も無表情にその時を刻む。

時計は止まるためにある。
時計は止まるために時を刻む。
オンタリオ、ミシサガ、上海、札幌、パリ、モスクワ、ケベック、門真、
そして、ニース・・・・

世界中の時計を止めるために、私は今、時を刻もう。




怠惰な一日を刻む時の音を聞きながら あなたはただ無為に時間を貪る
慣れ親しんだ街で漫然と過ごしながら あなたは導師が現れるのをただ待つだけ

あなたはまだ若く この先もまだ長い
しかし あなたの背後に十余年の歳月が横たわり
あなたの眼前にあったはずの一年余の時が失われたことに気づいても
次に進むべき道を示す者は誰もいない


そして あなたは 一人カーテンコールに遅れる


あなたは光に追いつこうとひた走る
光は翳りを見せたかと思うと また再びあなたの背後で輝きだす
絶対の光はその輝きを失わないが 相対の光はやがて色褪せる

一年一年が短くなり 好機がいつ訪れるのか誰も教えてはくれず
昨夜見た夢はすべて朝の露とともに消え
希望は絶望に名前を変える


時は過ぎ
歌が終わり
ショーが幕を降ろしたとき

もっと歌いたい歌があったことに気づくあなたがいる



There is no dark side of the moon really
Matter of fact it's all dark

posted by pbq1447 |20:04 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2011年04月29日

『安藤美姫物語』 最終章

アカウンタビリティ


昨年のエントリーで私は安藤美姫選手の今季(以降)について以下のように書いた。

安藤選手はモロゾフに師事している限りは、過去の競技成績を上回ることはもはやないだろう。

この趣旨はモロゾフ・コーチの作るプログラムや指導方針に疑問を投げかけるものであり、決して安藤選手を批判し、揶揄するものではなかった。幸いにもこの趣旨は、本ブログに訪問する安藤選手のファンには概ねご理解いただいたと見えて、誤解による反論は寄せられなかった。GPシリーズまでは・・・・
しかし、GPファイナルのFSを起点に、全日本、四大陸選手権と続くビッグイベントで安藤選手が好演を連発すると、風向きが変わった。私にアゲインストが吹き出したのだ。
まず最初に噛み付いてきたのは私の悪友だ。「お前のブログを読んだが、全日本の圧勝をどう説明するのか?まさか敵失で転がり込んだ僥倖だと言い訳するんじゃないだろうな」と私の眼前で中指を立てて見せた。私はその中指を見て、逆剥けには保湿が大切であることを教えてあげようと思ったが、彼はすぐに指を引っ込めたので私も言葉を引っ込めた。
もちろん安藤選手の全日本優勝は「棚ぼた」などではない。全日本史上に残る快演だった。6年ぶりのタイトル奪還について、元・格闘技選手の魔裟斗さんがTVで、「私はスケートのことはよく分からないけれど、6年ぶりにタイトルを取ったということその間にどれほどの苦労と努力があったのかは想像できる」と言っていたが、私はその言葉を聞いて、魔裟斗さんという人がアスリートとしても人としても一流なんだなと感心した。
次に私をたしなめてきたのは私の妻だった。「あなたは普段自分でよく口にするアカウンタビリティを実行しなければいけないのでは?」と。四大陸選手権の J sports のLIVE中継を一緒に観戦し、表彰式の余韻に浸っているときだった。「あなたのあのブログは何様かと思った」という皮肉も込めて・・・・。




競技選手としての活動環境


安藤選手は小塚選手と同様、その所属先は「トヨタ自動車」となっている。このことを誤解している人が一部にいるようなので事実を書いておこう。
トヨタ自動車には多くのアスリートが在籍している(ほとんどがアマチュア選手。ラグビー等は一部プロ選手)。言うまでもなく同社は自動車製造会社であり、スポーツは事業項目の中には入っていない。あくまでも従業員の福利厚生として従業員の活動を支援している。どういう支援かというと練習環境の提供、練習・試合のための就業時間調整などである。企業の狙いは主にふたつ。主たる狙いは、福利厚生の充実が従業員の会社へのロイヤリティを向上させ、就業に良い影響をもたらすため。もう1つは最近よく言われるようになったCSR活動の一環である。企業の社会的責任を果たす一環として「生活者の文化・スポーツ支援」をすることだ。企業イメージアップや企業宣伝とは似て非なるもの。スポーツ支援をして商品が売れるなどと能天気なことを本気で思っている企業は今や1つもない。
トヨタに限らず「企業スポーツ」を抱える企業は、従業員との契約形態は2つに大別される。働きながら時間外にスポーツ活動をする「社員選手」と、社員として籍を置きながら通常の就業を免除され専らスポーツ活動をする「嘱託社員選手」の2つだ。安藤、小塚の両選手は後者だ。共に同社の「人事部スポーツ強化室」という部署に在籍する形を取っている。競技選手を引退した後は嘱託契約は解かれるので、一般社員として再契約して社会人の道を進むか、退社して別の道(プロスケーター、プロコーチ等)を進むことになるが、それは本人次第だ。就業義務がないとは言っても「TOYOTA」を所属先として活動しているので、年に数回出社し、活動報告をすることは義務付けられているようだ。

前置きが長くなったが、主旨は、両選手ともトヨタ自動車と「スポンサー契約」をしているわけではないということだ。同社は選手の「身元照会」の窓口であり、「保証人」になっているにすぎない。安藤選手の実母が同選手の自著の中で「トヨタさんに助けてもらってます」というのは、海外試合に派遣されたり、長期滞在・移動する際に同選手の保証人となり、海外での行動・生活に支障ないように「身元保証」をしてくれていることを指す。
但し、嘱託社員選手は会社に在籍しながら、他社と独自に「広告スポンサー契約」を結ぶことができる。そういう意味では「セミプロ」と言えなくもない。例えば、女子柔道の元・世界チャンピオンの谷亮子さんもかつてトヨタ自動車に嘱託社員として契約、在籍していたが(所属部署は「グローバルマーケティング部」だったが、所属部署としては珍しい)、個別に広告スポンサー契約をしていた。安藤選手が今季、広告スポンサー契約をしているのは伊タイヤ・メーカーのピレリ・ジャパンくらい。同社の広告は自動車専門誌にしか出稿していないから安藤選手の契約金は推して知るべしだ。バンクーバー五輪のとき、安藤、小塚の両選手の試合映像の一部がトヨタのキャンペーンCMに使われたが、あれはトヨタがJOCスポンサーの権利としてとしてJOC傘下選手の肖像(試合映像)を広告に二次利用したのであって、両選手に広告出演料が支払われているわけではない。確かに、自身の所属企業がスポーツ活動に理解がなく肩身が狭い思いをしているような選手から見れば、安藤、小塚の両選手の環境は恵まれているかもしれない。だからと言って、両選手とも豊富なスポンサーマネーを得ているわけではなく、まして所謂「スポンサー風」を吹かして、両選手が有利になるように連盟やメディアに対して働きかけるなどということは微塵もない。両選手の(特に安藤選手の)メディアでの採り上げられ方や露出量を見れば一目瞭然のこと。両選手にとってメディアが追い風になってくれたことなど一度もないだろう。(トヨタという会社は所属選手の対外的対応については意外と淡白だ)




スーパースコアの真実(1) ~ 全日本選手権


さて、本題に入る。

安藤選手は今季、5戦4勝。FSは全戦1位。唯一優勝を逃したGPファイナルでもFS1位。同SPを「普通に」滑っていれば同大会でも優勝していただろう。つまり全戦全勝。同大会の優勝スコアを見れば、十分考えられたと断言できる。それだけにあのSPは「大ポカ」。なんじゃそりゃ?という感じだったが、まあ、他の選手のファンからすれば大本命がこけてくれたので笑いが止まらなかっただろうが、安藤選手のファンはオール orz
もちろんSPで大ポカやらかしたからこそ、FSでの発奮があったと見ることもできよう。即ち、GPファイナルまでは安藤選手の「変化」は顕在化していなかった。

GPファイナルで新SP『ミッション』に変更されたことからも分かるように、実はGPファイナルは修正途中だったということが分かる。だからこそ、それからわずか2週間後の全日本に間に合ったのだ。ロステレコム杯終了直後からPGの修正に取り掛かり、4週間後の全日本に照準を合わせてピーキングを行なったのだ。但し、そのピーキングは「日本代表権」を得るための「シーズン前半のピーク」であり、最終的なピーキングは3月下旬の代々木体育館に合わせていた。

まずは、シーズン前半のピークとなった全日本を検証する。
安藤選手は2007年の全日本で当時の「国内最高スコア」をマークしているが(FSと総合点)、あまり報道されなかったが実は今回の全日本では、2007年に自身が記録したFSの国内最高スコアを更新している。私は通常、過去のスコアを比較するのは意味がないと思っている。ルールが毎年変わるからだ。ところが、例え参考に過ぎないとは言っても、今回の最高スコアの更新は価値がある。今季は点が上がりにくくなるようにルール改訂がされているからだ。(構成要素等のプロトコル詳細は各自で確認されたし)

2007年 : 204.18
SP : 68.86
  TES : 38.24 (平均GOE 0.86)
  PCS : 30.44 (平均 7.61)
FS : 135.50
  TES : 72.70 (平均GOE 1.02)
  PCS : 62.80 (平均 7.85)

2010年 : 202.34
SP : 64.76
  TES : 33.40 (平均GOE 1.64)
  PCS : 31.36 (平均 7.84FS : 137.58
  TES : 71.50 (平均GOE 1.68)
  PCS : 66.08 (平均 8.26)

注目していただきたいのは朱書きの部分である。GOEとPCSが上がっているのだ。GOEはSP、FSで、PCSはFSで顕著に上がっている。特にGOEの上昇は注目すべきだ。今年は、トリプルジャンプを中心にGOEのスコア換算率が下げられ、以前のようには上がりにくくなっているからだ。その逆風の中、以前と同価値のGOE加算を実現するためには、1.4倍以上のGOEを得なければならない。以前は、GOE+1はそのまま1.00にスコア換算されたが、今年からGOE+1は0.70にしか換算されなくなったからだ。
そして、FSの国内最高スコア更新を決定的にしたのはPCSだ。5コンポーネンツの平均が8点を超えたのは安藤選手にとって初めてのことである。特にTRが8点に達したことが象徴的だ。

全体的に「スケートの質」が上がったのだ。但し、(安藤選手も常々発言しているように)そうは言ってもこれは「国内記録」に過ぎない。ISUスコアではない。ISUジャッジにどう評価されるか。ワールド前にそれを占う方法はひとつしかない。四大陸選手権である。




スーパースコアの真実(2) ~ 四大陸選手権


日本選手が出場できるワールド前の最後のISU公式戦は四大陸選手権しかない。ワールド出場予定の選手にとって、四大陸に出場する最大の価値はそこにある。全日本の8週間後、ワールドの4週間前、という開催時期に意味がある。一方で、その開催時期が問題でもある。
ワールド代表に選ばれた選手は当然ワールドに最後の照準を合わせて、シーズン最高のピーキングをする。そのため、全日本の後に通常は意図的にコンディションを一旦下げるのだ。四大陸にピークを作ると、またそこからワールドへ向けてのピーキングをしなければならない。これが厄介なのだ。ワールド前に四大陸でISUジャッジの評価を確認したいのに、その四大陸でピークを持ってくるわけにはいかない。つまり、調整途中のコンディションで、どの程度の評価を得ればいいのかが判断が難しくなる。ただ単にジャンプが成功したか云々というのはジャッジ評価に関係なく、選手自身の感覚である程度納得できよう。

問題は、審判の裁量対象となる要素認定とそのGOE、そしてPCSである。コンディションを落とした中での評価になるから、評価があまり高くなくても気にしなくてもいいとも言えるが、それではピークのときの評価が予測できない。理想的には、「調子がイマイチ」なのに良い評価を受けることだ。調子が上がれば評価ももっと上がると期待できるからだ。そんな都合の良い話は滅多にない。しかし、その滅多にない結果を安藤選手が出した。それが四大陸での「200点超え」である。

以下に安藤選手の四大陸でのスコアをレビューするが、普通にレビューすると雑誌『Number』の二番煎じとなる。もちろんそんなことをしても価値がない。同誌のレビュー(Number On Number)では、単純に安藤選手の四大陸のスコアと金妍兒のバンクーバー五輪のスコアを比較して「安藤選手のスコアはすごい」と評しているのだが、それでは安直だ。バンクーバーのスコアと台北のそれとを比較するには条件を合わせなければ意味がない。つまり、2011年の世界選手権に向けてスコアの価値を検証するのであれば、今季のルールに照らし合わせて検証しなければ意味がない。よって、金妍兒の五輪でマークしたPBを10/11レギュレーションで換算して仮計算。その金妍兒の「仮PB」と安藤選手の四大陸でマークしたPBとを比較し検証する。
但し、1点だけ難題がある。それは金妍兒は昨季のFSで2Aを3回跳んでいることだ。周知の通り今季からFSでは2Aは2回まで。そこで便宜上だが、昨季FSで最後に実施した2Aを3Loに置き換えて換算する。なお、3LoのGOEは1.40に設定(同じエッジ系ジャンプの3SのGOEを代用)。もちろん、金妍兒が苦手の3Loを今季マスターしたと仮定しての架空の設定なのだが・・・・。

①金妍兒の昨季PB、②金妍兒の今季ルール適用版PB、③安藤選手の現PB(全選手のSB)の順で列記する。


①金妍兒の昨季のPB (バンクーバー五輪)

Short Program :  78.50
実施要素 : 3Lz+3T、3F、2A、CCoSp4、FSSp4、SlSt3、LSp4、SpSq4
TES : 44.70 (GOE平均 1.60)
PCS : 33.80 (平均 8.45)

Free Skating :  150.06
実施要素 : 3Lz+3T、2A+3T、2A+2T+2Lo、3F、3Lz*、3S*、2A*、CCoSp4、FSSp4、SlSt3、FCoSp4、SpSq4
(*は後半実施)
TES : 78.30 (GOE平均 1.73)
PCS : 71.76 (平均 8.97)

Total Points : 228.56


②金妍兒の仮PB  (五輪スコアの10/11ルール適用版)

Short Program :  71.04 (昨対差 7.46減)
実施要素 : 3Lz+3T、3F、2A、CCoSp4、FSSp4、SlSt3、LSp4
TES : 37.24 (GOE平均 1.54)
PCS : 33.80 (平均 8.45)

Free Skating :  146.21 (昨対差 3.85減)
実施要素 : 3Lz+3T、2A+3T、2A+2T+2Lo、3F、3Lz*、3S*、3Lo*、CCoSp4、FSSp4、SlSt3、FCoSp4、ChSp
(*は後半実施)
TES : 74.45 (GOE平均 1.73)
PCS : 71.76 (平均 8.97)

Total Points : 217.25 (昨対差 11.31減)



③安藤美姫選手の今季SB=PB (10/11ルール稼動後の世界最高スコア)

Short Program :  66.58
実施要素 : 3Lz+2Lo、3Lo、2A、CCoSp4、FSSp4、SlSt3、LSp3
TES : 35.69 (GOE平均 1.88)
PCS : 30.89 (平均 7.72)

Free Skating :  134.76
実施要素 : 3Lz+2Lo、3Lo、2A+3T*、3Lz*、3S*、3T*、2A+2Lo+2Lo*、FSSp4、CCoSp4、ChSp、SlSt3、FCCoSp4
(*は後半実施)
TES : 73.03 (GOE平均 1.74)
PCS : 61.73 (平均 7.72)

Total Points : 201.34


金妍兒のバンクーバーでマークしたスーパースコアは、今季のルールを適用すると10点以上も下がることが分かる。これは別段不思議でもなんでもない。そういうルールになったのである。他の選手でも同様のことが起きる。ゆえに、今季にPBを更新することは至難の業なのである。それでもPBを更新するには方法が2つ考えられる。1つは高基礎点の要素を新たに習得、PGに加えること。但し、要素数には制限があるから実際には「加える」のではなく、低基礎点の要素と「入れ替える」ことになる。もっとも、入れ替えた効果を大きくするには大幅な入れ替えが必要だ。例えば、2A(3.3)を3A(8.5)に入れ替えるような荒療治だ。3T(4.1)を3F(5.3)に入れ替える程度では追いつかない。もう1つは、GOEとPCSの向上である。安藤選手のPB更新、200点超えの原動力もそこにある。

顕著なのがGOEである。
安藤選手の四大陸の平均GOEはSP、FSとも金妍兒の五輪スコアを上回っている。五輪のような「インフレ」の追い風が求められるような大舞台でもなく、来場者を集めるために無料招待券をばらまかざるをえなかった、ISUチャンピオンシップの中では最も格が低いと見られている大会で、ISU自身もそれほど大きくPRすることもなかったワールドまでの日程上の隙間を埋める「ツナギの大会」で、ISUジャッジは安藤選手の演技に金妍兒を上回るGOEを与えた。これは掛け値なしに安藤選手の演技要素の「質」がジャッジに評価されたのだ。最も分かりやすいのはスピンだろう。肩を負傷してビールマンスピンを断念してから安藤選手は(SPでの)LSpを御座なりにしていたようにしか見えなかったが、今回はしっかり対策を採ってきた。姿勢変化を強調し、姿勢変化時に回転速度も上がるようになった。これは回転軸が改善されたからだ。これまでレベル2止まり、下手するとレベル1に終わることすらあった評価が、レベル3+GOE1.72(スコア換算0.86)を得るようになった。これは実質的にレベル4+GOE1.12(スコア換算0.56)に相当する。十分なレベルアップである。

そして最も賞賛されるのは、太田由紀奈さんもTVで賞賛していたFSでの演技後半の「ウィンドミル」である。このスピンは上半身を上下に大きくバンキングさせてフリーレッグを風車の如くぶんぶん振り回すダイナミックなスピン。太田さんも解説していたように上半身を大きく動かすために回転軸を保つことが難しいのだ。実際、全日本のときはまだ軸がぶれていてトラベリングを起こしていた。それがビシッと決まっていた。地道な練習を繰り返してきたのだ。太田さんの言葉がその様子を連想させる。
「安藤さんはジャンプは超一流だが、スピンは人並みだった。それがジャンプに見合うスピンになった。穴のないオールラウンドな選手になってきた。とてもよく練習してきたのだと思う」

しかし、それでも金妍兒のスーパースコアには到底追いつかない。今季ルールに当てはめると10点以上も下がるとは言え、まだまだ金妍兒のPBは安藤選手のそれを大幅に上回っている。その差はSPで4点以上、FSで11点以上、トータルで約16点だ。
それを埋める方策は明確である。3Lz+3LoをSPとFSの両方に入れることと、PCSをSPで8点以上に、FSで8.5以上に乗せることである。その両方が必要だ。

コンビネーションジャンプは可能だろう。もともとは出来ていたのである。それがセカンド3Loが目の敵にされるように回転不足を取られまくり、今は再投入を躊躇している状態だろう。例えばバンクーバーのSPでもセカンド3Loはダウングレードされたが、あれは流石に気の毒だった。あれはオーバーターンであって回転不足ではなかった。着氷で止め切れなかったために「グリ降り」と誤認されダウングレードされたのだ。それくらいセカンド3Loは厳しい目で見られてきた。それが今季少し緩和されてきた兆しがある。ジュニアでも認定されるようになってきたのだ。URで済むケースも多い。再挑戦する機会が来たと見ていいのではないだろうか。後は「安全策好き」のモロゾフ・コーチを翻意させるほどに練習を繰り返し、ジャンプの質を上げていくしかない。これは本当に練習しかない。

ここまでは計算できる。問題はPCSだ。長くなるとじれったいだろうから結論を先に書くと、安藤選手のPCSがモスクワで平均8点以上の評価をジャッジからもらうことは相当難しいと言わざるをえない。これも四大陸の結果から言えることである。
SP、FSともPCS平均は7.72である。少数第2位までぴったり同じスコアになることは偶然とは言え、ある懸念を想像せざるを得ない。それは安藤選手のPCSは「8点弱」というのがジャッジ間の定評になってしまっているのではないか、ということだ。
あの大会ではSP、FSとも安藤選手の演技は全選手中一番の出来だった。(点差はともかく)これに異論を唱える人はいないだろう。順位としては文句なく2日間とも1位だった。TESがそれを物語っている。問題はやはりPCSだ。要素数が減っているのにTESがSPで35点以上、FSで70点以上取るのは並大抵のことではない。それだけのTESに見合ったPCSが与えられていない。これは安藤選手の滑走順に問題があると思われる。

四大陸での安藤選手の滑走順は、SPでは有力選手の中でも最初の登場であり、FSでは「PCSで安藤選手を上回るポテンシャルを持っている」と予想される選手よりも前の滑走順だった。つまり、安藤選手の滑走順が有力選手よりも早かったためPCSは抑えられていた可能性がある。これは最近起きたことではなく、昔からジャッジにはそういう傾向がある。旧採点方式時代の遺産と言ってもいい。10点満点方式のPCSには相対評価の「文化」が残っているからだ。
換言すると、安藤選手のPCSは他の選手の出来次第と言えるかもしれない。他の選手がどんな演技をしようが揺ぎない評価が確立しているとは言えないのだ。安藤選手のPCSはまだ評価が上がっていない。それが四大陸のPCSが示していたと言えよう。

モスクワで安藤選手のPCSが伸びるには滑走順が鍵を握っていると私は見ている。彼女の後にまだ有力選手が控えているような滑走順を引き当てた場合は、安藤選手は髪の毛ほどのミスも許されない。PCSで救済してくれないからだ。




自立への覚醒


安藤選手の今季のPGはシーズン初めよりもだいぶ良くなってきた。コーチも振付師も変更していないのにPGが良くなってきたのはなぜか。それはモロゾフ・コーチの改心ではなく、安藤選手の成長にあると見るのが妥当だろう。それは安藤選手の言葉からも明らかだ。

「英語で円滑にコミュニケーションが取れるようになってきたので、今は言われたままに滑るのではなく、自分の意見も言って、自分のアイデアも入れるようにしている」

つまり、今季から与えられたPGを忠実にこなすだけではなく、自分で工夫を加えていると言うことだ。モロゾフの振付けの最大の欠陥である「マイム」は目立たなくなり、要素間のつなぎの滑りにも工夫が見られるようになった。モロゾフ・コーチの提示する振付けは幹と大きな枝があるだけだ。そのままではスカスカの樹だ。そこに枝を付け足し、葉を生い茂らせ、花を咲かせることを安藤選手が自分の意志でやっている。そういう変化が今季後半のPGに見られる。コーチの言いなりではなく自分の意志で自分のスケートを滑る。自己表現とは最終的に自己責任である。その自覚が芽生え始めているのではないか。
いつもは演技終了後に「ドヤ顔」を見せるモロゾフ・コーチが、全日本のFS終了直後は涙を見せた。単に演技に感動したからではなく、安藤選手が自分の教えを超えようとしていることに感極まったのではないか。モロゾフ・コーチは感激屋の側面もあるという話も聞いたことはあるが、少なくとも安藤選手の演技の後はいつもドヤ顔である。彼が予想外に見せた涙が安藤選手の自立の覚醒を予感させるものだとしたら、それこそが安藤選手のこれからの最大の伸び代になるだろう。

安藤選手は1年遅れで中京大学を卒業した。今年は「卒業」の年なのかもしれない。
尾崎豊が亡くなったのは19年前の1992年、4月25日。あれから間もなく20年になろうとしている。




最終章


安藤選手は今季がシーズンインする前から、「東京ワールドの後は休養したい。ソチを目指すかはその後で考える」と公言していた。モロゾフ・コーチも「トウキョウの後は休養させる」と言っていた。私が目にした翻訳が正しければ、彼の「~させる」という使役動詞を使った発言には思い上がりを感じざるを得ない。安藤選手はあなたのペットではないだろう。休むか、休まないかは選手が決めることだろう。鶏が先か卵が先かという問題はあるが、とにかく安藤選手は今季終了後の休養を考えていたことは事実だろう。
そして、恐らく休養からそのまま復帰しないでコーチに転進することは十分に予想できる。休養から戻ってきてトップクラスを争えるほど今の女子は甘くはない。今ちょうどジュニアからシニアに上がってくる世代は才能の宝庫だ。この中からさらに絞り込まれた選手がソチ五輪の中心となるだろう。その主役は正に今ワールドが開催されているロシアから出てこようとしていることは、既にスケート界の常識になっている。そういう中で競技に復帰することは相当の覚悟がいる。そして一番の問題はその覚悟を支えるモチベーションにある。達成感があった後の競技復帰を実行するには強いモチベーションが必要だろう。
自己表現に目覚めつつある安藤選手に、休養明けで競技会に戻ってくるモチベーションは残っているだろうか。

そんな空想や危惧も、3.11がすべてぶち壊してしまった。すべてが無に帰してしまった。
母国開催のワールドで納得する結果を出し、休養するというシナリオは根底から崩れてしまった。日本で再度ワールドが開催されるのは早くても2015年であることをISUが明らかにしている。


私が今回のエントリーのタイトルに「最終章」という言葉を入れようと考えたのは、実は3.11よりも前のことだった。そのシナリオが崩れた状況でもなお私は「最終章」という言葉をタイトルに入れることを決めた。
それはモロゾフ・コーチに心酔し、同コーチに従う関係の中から生まれた「安藤美姫物語」から卒業し、自分自身で描く「新・安藤美姫物語」を安藤選手自身が語り始めてほしいと言う思いからなのである。




Epilogue


四大陸選手権では表彰式まえに優勝者インタビューが行なわれた。髙橋大輔選手のインタビューはBSフジでオンエアされたが、なぜか安藤選手のインタビューは放送されなかった。日本語で答えた髙橋選手と違って、安藤選手が英語で流暢に答えているので翻訳テロップをつけるのが面倒だったというわけでもないだろう。理由の詮索はしないが、J sports ではきちんと放送していた。安藤選手のインタビューは大変ウィットに富んでいて、チャンピオンにふさわしい受け答えだったので、その大要を最後に紹介する。(J sports LIVE より)


MC 「それでは優勝者インタビューを行ないます。四大陸選手権、女子優勝の安藤美姫選手です」

安藤 「你好(ニイハオ)」

MC 「おめでとうございます。演技はいかがでしたか?」

安藤 「会場に応援に来てくれてありがとうございました。謝謝(シェーシェー)。少し疲れていて完璧ではなかったけど、初めての台湾での大きな大会で良い演技ができたと思います。応援ありがとうございました。皆さんが大好きです」
(アドリブで中国語を混ぜている。地元観客は大喜び)

MC 「初めての台北はいかがですか?」

安藤 「台湾はとても暖かくて、台湾の方も素敵で、快適に過ごせました。台北と台湾がとても気に入りました(わざわざ台湾と付け加えている:筆者註)。今度は試合ではなく遊びでも台湾に来たいです」

MC 「それはいいですね。最後に台北のファンにメッセージを」

安藤 「また台湾で、別の試合とかアイスショーとかでお会いしたいですね。また近いうちに会いましょう。ありがとうございました」


私はこのインタビューを聞いて、世界中のオーディエンスに向けてインタビューに答える選手として、今、日本で最も相応しいのは安藤選手だと確信した。是非とも代々木体育館でまた安藤選手のインタビューを聞きたいと思った。その望みは3.11を境に実現することは叶わなくなったが、会場がモスクワになっても、優勝者インタビューは行なわれるようだ。安藤選手であれば、今度は英語だけではなくロシア語も混ぜてインタビューに答えてくれるだろう。

それが叶ったときに、安藤選手には一つだけお願いがある。
今度は是非日本語でも答えてほしい。遠く日本から復興の希望を託して声援を送り続けてくれる被災地にも向けて・・・・。

posted by pbq1447 |21:53 | コメント(9) | トラックバック(0)
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2011年04月27日

AROUND THE WORLD ~ MOW VIA TYO

TVの嘘


ようやく世界選手権が始まった。「東京直行便」のはずが、「東京経由モスクワ行き」というトランジット付きのスケジュールとなったのは仕方ない。無事開催にこぎつけられただけでもありがたいのに、TV放送もLIVE中継されるということで関係者の努力には本当に感謝以外の言葉がない。但し、CS放送(スカパー!/CATV)の J sports では男女シングルとエキシビションを完全LIVE中継するが、地上波放送のフジテレビは「擬似LIVE中継」なのでご用心めされよ。

既にお気づきの方もおられようが、ロシアは今回の代替開催に当たり、大会運営面だけではなく商業面でも大変日本に配慮してくれている。商業面での配慮とは、日本のTV局とスポンサーのマーケティングに寄与するため、TV中継に合わせた競技日程を組んだことだ。
競技日程はホスト国における各カテゴリーの人気が影響する。カナダでは男子とアイスダンスが人気なのでカナダで開催されていたら最終種目は男子かアイスダンスになっただろう。中国だったら間違いなくペアが最終種目になる。しかも開催時間は自国TVのプライムタイムに合わせるのが通例。で、今回はどうか。TV中継がある本選の日程をレビューしよう。
注目点は各カテゴリーの実施順と開催時間だ。(  )内は日本時間だ。


世界フィギュアスケート選手権2011 競技スケジュール

4/27(水) 1330-1755 (1830-2255) 男子SP 
        1930-2310 (2430-2810) ペアSP

4/28(木) 1300-1705 (1800-2205) 男子FS
        1800-2055 (2300-2555) ペアFS

4/29(金) 1330-1755 (1830-2255) 女子SP
        1830-2220 (2330-2720) アイスダンスSD

4/30(土) 1330-1725 (1830-2225) 女子FS
        1830-2150 (2330-2650) アイスダンスFD


一目瞭然。日本の人気カテゴリー(男女シングル)を日本のTVプライムタイム(1800-2400)に収まるように日程を組んでくれたのだ。通常であればペアの後に男子、アイスダンスの後に女子が組まれるはずだ。それを逆にしてデイタイムに男女シングル、ナイトタイムにペアとアイスダンスを入れたのは、すべて日本の視聴者・ファンに配慮してのこと。
ワールドカップの市場は欧州が支配している。よって、欧州以外の国でW杯が開催される場合、人気カードは間違いなく欧州のプライムタイムに合わせて現地の競技時間が決められる。TV放送料を支払うスポンサーがどこの国か。それによって競技時間が決まるのだ。今回の世界フィギュアでも同じ法則が適用されたということだろう。日本開催で決まっていた日本のスポンサーを失うことは大損失なので、何とかそのままスポンサー契約を有効にするため、日本のスポンサー、即ち日本国内のTV視聴率を最優先して日程が組まれたのだ。ロシアの日本への最大の配慮という美談はそういうビジネスが背景にあってこそ生まれたというわけだが、例えそれが「大人の事情」と揶揄されようが、TV観戦をする者としては素直に、プーチンありがとうございくまぼんじゅーーーる! じゃなかった、スパシーーーーバ!!!!v(^o^)v

そこで、日本国内のTV放送予定が実際はどうなっているか、ということなのだ。
CSの J sports は完全LIVE中継なのは昔からだが、フジテレビでは男女シングルについてはLIVE中継するかのような番宣をしているが、これは誇大広告だ。4年前の東京大会ですらフジテレビは録画放送した「前科」があることを忘れてはならない。フジテレビが発表した放送予定時間と実際の競技時間のズレ、過去の番組放送実績から判断すると、男女とも「収録~追っかけ編集~30分後に放送」という放送が行なわれるようだ。つまりディレイ放送である。一部編集も入るのでノーカットでもない。但し、皆さんが愛して止まない「ポエム」はしっかり入る(爆)
実際のディレイ時間が30分になるかどうかは当日を待ってみないと分からないが、恐らくディレイ時間は数分という程度の短い時間では間に合わないだろう。最低でも10分のディレイが発生すると思われる。よって、もしあなたが当日、フジテレビで地上波観戦を予定しているならば、ご自身の友人に J sports 加入者がいるかどうかをチェックしておいた方があなたは携帯電話を買い換えずに済むだろう。
あなたがLIVE中継と錯覚してフジテレビの放送を手に汗を握って「○○たん、がんばーーー!」と応援しているところに、正に演技が始まるその前に、その友人から「○○たん orz」なんてメールが携帯電話に入ってきたら、あなたは即座にその携帯電話を叩き割ってしまうだろう。もしもあなたに J sports に加入している友人がいたら、友人宅で観戦させてもらうか、さもなくば当日は連絡を一切断ち自宅に引きこもって「ヲ タ観戦」する方が無駄な出費を抑えられる。(EXについては心配ご無用だ。フジテレビでもLIVE中継するし、そもそもEXは録画でも問題なかろう)




開幕前夜 ~ 全日本から四大陸まで


とっくに片付けておかなければならなかったが、昨年末の全日本選手権から四大陸選手権までを「世界フィギュア前哨戦」の視点でレビューする。世界フィギュアを占う意味で重要な選手、私の関心の対象になった選手だけを記録しておく。世界フィギュアには出場しないが記憶に値した選手についてはまた機会を見て記録しよう。




第79回 全日本フィギュアスケート選手権 2010
2010年12月23-27日
長野市若里多目的スポーツアリーナ(ビッグハット)


男子:

ワールド切符を手にした3人のFSはそれぞれにミスがあり、結果的にはSPの出来が順位を左右したことになったが、全体的には初戴冠した小塚崇彦選手の圧勝だった。ミスは挑戦してのミスだった。不調によるミスではない。ゆえにこの日の出来であれば、三者ともノーミスだったとしても小塚選手の初優勝は揺るがなかっただろう。それほどに小塚選手は良いコンディションで試合に臨めていたと言える。
織田信成選手も良い出来だった。もともとジャンプもスケーティングもいいのだ。安定感だけだ。安定してスケートができるようになればPCSも8点台が狙えるようになるだろう。コーチをスイッチした成果は出てきていると思う。私は秘かに彼がやってくれるのではないかと期待している。今季は波が少ないからだ。家族を持ったことも安定感の源だろう。ピーキングを合わせられればワールドの初表彰台は十分に狙える。

心配なのは髙橋大輔選手だ。ジャンプが安定しない。今季ずっと安定しない。ジャンプと言ってもクワッドのことで3A以下はそれほど不安はない。本気でワールド2連覇を狙っているのだとしたら、クワッドなしで臨む作戦も彼ならありえるだろう。それくらい彼の課題はクワッドだけだと言ってもいい。しかし、2つの意味で彼はその作戦を取るつもりは毛頭ないだろう。1つは、彼は結果に関係なくクワッドを跳びたいと思っているだろうということ。もう1つは、クワッドなしでは確実にパトリック・チャンのワールド初優勝を許してしまうだろうということだ。今のチャンに死角はない。ワールドに「香車落ち」で臨むのは不戦敗を宣言するようなものだ。
羽生結弦選手については後日。


女子:

これまた記憶に残る素晴らしい大会になった。それは表彰台に乗った3人だけの功績ではない。ジュニア世代の充実が目を引いた大会だったからだ。但し、今回はワールド代表に選ばれた選手について言及する趣旨なので、そのジュニア世代についてはまた後日(again)。
村上佳奈子選手がいい。これだけプログラム冒頭のトリプルのコンビネーションジャンプが安定していれば、演技に余裕ができる。私見としては、これほどあからさまに衣装や振付けを「幼児趣味」で見せられてしまうと眉をひそめてしまうが(SP)、それも今季限りの限定仕様らしいから我慢しよう。山田満知子コーチは「シニア・デビューシーズンはジュニア上がりの勢いを印象に残したい」という戦略なのだそうだ。戦略の狙いは分かるが、その戦術が水玉模様のフリフリスカートと人工着色のような笑顔だとすれば、山田コーチはジャッジをロ リコン集団だと思っているのだろうかと疑ってしまう。もっともフジテレビはまんまと山田コーチの戦略にはまっているようだ。彼らが村上選手につけたキャッチフレーズは「氷上のあやや」だ(爆)

全日本を起点にして、浅田真央選手は復調著しいという論調が盛んだが、果たしてそれは真実だろうか。復調はしてきているとは思うが、それは「著しい」だろうか。私は部分的に復調している、或いはゆっくりと復調してきているという程度に見るのが妥当だと思う。私はあのスコアを真に受けるほどお目出度くはない。復調して見えたのはプログラムが修正され、楽曲と良く調和するように振付けが修正されたからだ。これだけでだいぶ見栄えが良くなる。恐るべきはローリー・ニコルである。
良くも悪くも浅田選手の調子のバロメーターはジャンプ、それも3Aである。3Aのチェックポイントは回転が足りているかかどうか。踏切り前にブレードが横向きになり、ほとんど後ろ向きに踏切る癖はプレローテーションを取られやすい。踏切りを厳格に見るようにルール改訂が行なわれたため、その踏切りの癖を佐藤コーチになってから初めて修正しているわけだが、これは時間がかかるのは当然のこと。改善は多少見られる。わずかではあるが前向きに近い踏切りになってきている。但し、プレローテーションが少ないと着氷でアンダーローテーション(UR)になりやすく、URをなくそうと意識するとまた踏切りが元に戻ってしまう、というのが今の状況だ。ジャッジカメラの映像に写る足元がどの角度から写っているかによって回転不足の判断は分かれるだろうから、試合ごとに判定が変わっても不思議はない。今の浅田選手の3Aはそういう微妙な状態だ。ルッツに関しては今季も矯正は断念したようだ。思いっきりインエッジで踏切っている。気にして跳べなくなるよりはいいかもしれない。GOEで減点されても他で稼げばいいという考え方だろう。サルコウも頑張っている。どう見ても不恰好なサルコウで苦手なのが素人目にも分かりやすいが、それでもきちんと着氷できるときがある。佐藤コーチの指導方針なのだろうが、苦手なジャンプにも取組んでいることは感心だ。
とにかくジャンプ、ジャンプ、ジャンプ。ジャンプ良ければすべて良し、という姿勢はコーチが変わっても変わらない。それが自分のスケートだと本人も思っているのだろうし、ファンもメディアもそれを支持しているようだから、このまま突き進んでいけば自ずと道は開けるはずだ。

なお、6年ぶり(!)3度目の全日本女王となり、ワールド出場権をトップで獲得した安藤美姫選手についても書かないと、それこそ画龍点睛を欠くことになるのは百も承知だが、ここでは敢えて書かない。安藤選手について別途まとめて書くので、期待していた読者がいたとしたらご容赦賜りたい。


ペア/アイスダンス:

高橋成美/マーヴィン・トランは、今季、ジュニアとシニアのダブルエントリーで戦い続けている。ジュニア&シニアの両GPシリーズ、ジュニアGPファイナル(JGPF)、全日本、四大陸、世界ジュニア、そして世界フィギュア。震災で中止になっていなかったら国別対抗戦(WTT)にも出場していただろう。シニアのGPファイナル(GPF)だってもう一歩のところで出場できたのだ。もっともGPファイナルはジュニアとシニアを同時開催するので、もしシニアでもファイナル出場していたら相当のハードスケジュールになっていた。3日連続出場になるからだ。特に3日目はFSを1日に2回(ジュニア+シニア)滑らなければいけない。その間のインターバルはわずか5時間しかなかった。さらに、ジュニアペアの優勝に加えて、シニアでも4位以上に入っていたら、エキシビションでも2回滑ることになるところだった。
「たられば」の話なのだが、ジュニア&シニアのダブルエントリーで出場可能な試合にすべて出場し、EXまですべて出場したというスケーターはかつていたのだろうか。その想像を逞しくするほど今季の二人は大車輪の活躍だ。

さて、彼らの全日本に話を戻そう。彼らは今、壁を乗り越えようとしている時期だと思う。ジュニアからシニアへ移行しようとする際の壁だ。その壁は身体的な要素が影響しているのだろう。それは高橋選手の小柄な体形にある(公称146cm)。
もともとペアは男性ががっしりしていて、女性が小柄、もしくは華奢、という組合せが多い。スロージャンプやリフトなどのペアに特有の演技要素がそうさせるのだが、そういう中でも高橋選手は小柄だ。小柄な体形のままジュニア時代の延長で演技を見せても、どうしても小さくまとまった演技に見えてしまう。1つひとつの要素、振付けが小さく見えてしまう。プログラムにスケール感が出ない。シニアの試合にエントリーしてそのことに気づいたから、今はいかに演技を大きく見せるかに腐心しているのではないか。それがジャンプにも影響しているように見える。力んで跳んでいるように見える。今季ジャンプが不安定なのはそういうことが影響していると思われる。
今は試行錯誤のとき。いっぱい苦しんで、たくさん悩んで、そして小さな体で大きな演技ができるペアに成長してほしい。だから、初出場となる(シニアの)世界選手権はもちろん経験の場だ。シニアで最高峰の大会の中では萎縮もするだろう。緊張もするだろう。でも、それは大きな経験となる。久しぶりに誕生した日本のペアである。できれば五輪出場も目指せるようなペアになってほしいと思うのはファンの我がままだろうか。(トラン選手が日本に帰化、JSF登録選手にならないと、このペアの五輪出場は不可能なのだが・・・・)

キャシー&クリス・リードは今季、ハイストレスのシーズンを過ごしている。キャシーは腰(脊髄)、クリスは足(古傷)に故障を抱えながら、(元)コーチのニコライ・モロゾフの都合で世界中を放浪させられた(練習拠点を転々とした)。しかも試合には帯同してくれないし、法外なほどに高額のコーチ料を払っているのに練習すらまともに見てくれない。これではシーズン途中でコーチ変更するのは至極当然のこと。ただ、その決断が少々遅かった。プログラムを作り直して出来上がったのが全日本の直前だという。通し練習もままならない中、全日本を迎えたというわけだ。それでも代表権を得たのは、国内が無風状態だからなのは言うまでもないが、問題はJSFが彼らをどう育成しようとしているのだろうかということだ。
フィギュアスケートの世界はけっこう保守的で、コーチと選手の関係は徒弟制度に近いものがあって、その間に連盟関係者が介入することは微妙な問題だろう。しかし、本気で日本にアイスダンスを根付かせようとするのであれば、現場任せでいいのだろうか。競技人口が多く、指導者もそこそこいるようなシングルは確立しているからいいかもしれないが、アイスダンスやペアの場合は多少は連盟サイドがリードしなければならない状況もあると思う。リード姉弟をリードするのは憚れる、などと言ってる場合だろうか(そんなことは誰も言ってないか^^;)




2011 カナダフィギュアスケート選手権
2011 Canadian Figure Skating Championships
Jan 20-23, 2011
Save-On-Foods Memorial Centre


何はなくともパトリック・チャンである。なんてったってパトリック・チャンである。取り合えずパトリック・チャンである。問答無用パトリック・チャンである。男は黙ってパトリック・チャンである。そこのけ そこのけ パトリック・チャンが通る、である。要するに、天下無双のパトリック・チャンである。
まずは四の五の言わずに下記のプロトコルを見ていただきたい。

Short Program :  88.78
実施要素:4T、2A、CCoSp4、3F+3T、FSSp4、CCSp3、SlSt3
TES 44.48 (GOE平均2.09)
PCS 44.30 (平均8.86)
Deduct. 0.00

Free Skating :  197.07
実施要素:4T、4T+3T、3Lz、SlSt3、FSSp4、3A、3Lz+1Lo+3S、CCSp3、3F、3Lo+2T 、2A、ChSt、CCoSp3
TES 103.41 (GOE平均2.26)
PCS 93.66 (平均9.37)
Deduct. 0.00

Total Points : 285.85


カナダでは、昨年も国内選手権で五輪前の景気づけとばかりにド派手に椀飯振舞した「前科」があるだけにスーパースコアが出ても、もう驚かない。いや、正確に言うと、驚かないはずだった。つまり、正直に告白すると今回も驚いた。しかし、今年は昨年と驚きの「質」が異なる。
何が驚いたかというと、パトリック・チャンの演技内容が本当に驚愕の内容だからである。性質の悪いジョークではない。本当に驚愕のスケートをやってのけたのだ。
昨年は五輪シーズンということもあって J sports ではカナダ選手権も放送してくれたが、通常シーズンの今年は流石に放送してくれなかった(ファンの要望がなかった?)。プロトコルは入手できるが、やはり映像を見ないとないとどうしようもない。そこで「投稿動画」の登場となるわけだが、私はこの「投稿動画」でスポーツ観戦をするというのがどうも苦手だ。ストリーミング動画もそうなのだが、PC画面に再生された動画を私はじっくり見る気になれないのだ。PCからDVDにコピーしてTVで再生する、或いはTVをネットに接続して動画サイトを直接TV画面で見るという方法が存在することも知っているが、今のところそこまでして「違法な投稿動画」に時間と金をかける余裕は私にはない。
よって、仕方なくPCで見ることになったのだが、しぶしぶ見たその動画は驚愕のものだった。

先述のプロトコルは椀飯振舞ではなかった。少なくともTESは妥当だろう。各要素の平均GOEが2.00以上になっているが、それも頷ける内容なのだ。4Tなんか完璧だ。踏切り前にステップも入れて難しい入り方をしているし、空中姿勢もきれいで、高さと幅も十分。そして、きれいにアウトエッジで着氷し回転不足も微塵もなく、着氷後もきれいに流れがあるとなれば満点GOEが出ても当然だろう。4T+3Tはソロの4Tよりも着氷の質が少々劣っていたのでGOEも少し下がっていたが、これはジャッジもきちんと見ていたという証しだ。
プログラムの構成も難度を上げてきている。金太郎飴をやっているわけではない。GPファイナルのFSでは4Tは1本だけでコンビネーションは3A+2Tという月並みのものだったが、今回は4Tが2本、しかもコンビネーションは4T+3Tだ。「チャンはクワッドを跳ばないからチャンピオンに相応しくない」と揶揄していた人たちがいたが、彼らはこの演技を見た後は自分の過去の発言を忘れてしまうしか手がないだろう。
最後にオマケのような形で2Aを跳んでいるが、これは全種類のジャンプを跳びきったので(基礎点が高いジャンプが)2Aしか残っていないからである。全種類を無理なく使い切っている証拠だ。誠にバランスがよろしい。

細かい部分でも工夫を凝らしている。今季のルール改訂を活用し、細かい部分でも点数を稼ぎ出している。それは「ハーフループ」の活用だ。見逃しがちでメディアでもまったくと言っていいほど無視されているが、コンビネーションジャンプのルールで次のような改訂があった。

「コンビネーションジャンプの中のハーフループはシングルループと見なす」

これは誠に奇怪なルールだ。ご存知のようにループジャンプというのは(利き足が右の場合)RBOで踏み切ってRBOで降りるジャンプ。つまり踏切りと着氷が同じ足、エッジなのである。ところがハーフループはRBOで踏み切ってLBIで着氷するのだ。確かに1回転回っているのだが、踏切りと着氷の足が入れ替わるので半回転のように見えるので「ハーフループ」という名称がついているらしい。あくまでも「つなぎのジャンプ」で足を入れ替えるためのステップみたいなジャンプで正規のループジャンプではない。しかし、コンビネーションで使う場合はシングルループと見なす、というルール改訂なのだ。で、このルールをうまく活用したのがチャンの今季のFPだ。
3Lz+1Lo+3S というコンビネーションジャンプがそれだ。これは昨季までであれば、3Lz+3S+SEQ という「ステップを間に挟んだジャンプシークエンス」に判定された。基礎点も8割(2割減)だ。これが今季は基礎点がフルマーク認定される上に1Lo分(0.5)が加算されることになった。今季の基礎点で換算すると、前者が(6.0+4.2)×0.8=8.16 なのに対して、後者は 6.0+0.5+4.2=10.7 となる。基礎点だけで 2.54 も増える勘定だ(もちろん3連続コンビネーションはこれだけになるが)。
もっともこの点についてはチャンよりもPGを作ったローリー・ニコルに焦点を当てるべきだろうが、それにしてもローリーは相変わらず計算高いである。日本でのメディア露出が多いので、策士と言えば日本ではニコライ・モロゾフを連想する人が多いと思うが、本物の策士とはローリーのことだ。PGの作り方はもちろん、オフアイスでのポリティカルな行動は、ISU内での彼女の地位と名声を不動のものにしている。それに比べればモロゾフの策士ぶりはママゴトに過ぎない。

さて、こうなってくるとチャンのスケートは本当にパーフェクトで穴がない、ということに思えてくるだろうが、そうでもない。
そもそも今回のカナダ選手権でミスと言えば、SPの3Aが2Aになったくらいで、他の技術要素はほぼパーフェクトだろう。敢えて探せばフリップくらいか。チャンのフリップの踏切りエッジは完璧ではない。アウトにかかっているとは言わないが、フラットでありインには乗っていないだろう。厳格なジャッジであれば「!」を付けるかもしれない。また、コンビネーションジャンプもやや甘いかもしれない。第一ジャンプの空中姿勢(軸)がバランスを崩すときがあって、第二ジャンプで詰まるときがある。しかし、他の部分がいいのでGOEはトータルでマイナスになることはないだろう。その程度の小さい穴しかない。ステップはレベル3に留まっているがGOEは常に2.00以上だ。何と言っても、つなぎのスケーティングが常にディープエッジなのが素晴らしい。脚力だけではなく体幹の筋力が相当にあるのだろう。重心のかけ方が絶品だ。

一番の問題は「表現」だろう。カナダ選手権では確かにPCSでもスーパースコアが出ているが、この部分だけは椀飯振舞だったと思う。
SSは9点を与えてもいいと思う。TRも目をつぶろう。しかし、PE、CH、INについては9点台、ましてや満点はないだろう。8.00~8.50くらいが妥当ではないか。なぜかと言うと彼のパフォーマンスは淡白なのだ。或いは曲に乗っていない、と言ってもいい。特に、FP『オペラ座の怪人』でそれが顕著だ。
高難度のジャンプが続く前半が淡白だ。曲に乗っていない、というか曲を聴いていない。曲と一体になって滑っているのではなく、曲をBGMにして滑っているという感じだ。これはPG構成と彼の技術力の関係だろう。高難度のジャンプが連続するパートでは、まだ曲を聴いて滑る余裕がないのではないか。曲に乗って流れるようなスケートが彼の真骨頂なのだが、その流れが前半にない。後半に入ると流れを取り戻し、音楽とスケートの一体感が増してくるのは流石で、後半の印象が前半の淡白さを忘れさせてくれている感じだ。PCSは印象評価だから、後半の好印象がPCSを押し上げていたと思われる。換言すると、後半でしっかり印象を残し、演技全体の印象を決定付けるように要素構成と振付けを考えているローリーのPG作りのしたたかさの勝利だ。ジャッジの心理特性までもPG作りに活かすローリー・ニコルこそ、現在(のルールで)最強の振付師である(というよりもジャッジは皆、ローリーの生徒だと言った方が適切か)。世界のトップスケーターが授業料と受講時間をたっぷり用意して、ローリー・スクールの入学許可を得るために校門の前で順番を待っているのは頷ける。ローリーにPGを作ってもらい、さらに振付けも見てもらえれば、金メダルは半ば約束されたようなものだからだ。

ロシア選手権では選手だけではなくコーチも表彰するという。それに倣って、ISUは世界選手権ではコーチや振付師も表彰してもいいのではないか。フィギュアスケートは選手とPGが一体になって美を生み出すスポーツだ。どちらも欠かせない。であれば、世界選手権という最高の舞台では、最高の演技をした選手だけではなく、最高のPGを作った振付師、最高の選手を指導したコーチも表彰されていい。そのためのスモールメダルを追加してもいいのではないか。但し、そうなると全カテゴリーでローリーが金メダルを独占してしまうかもしれないが、それはそれで「裏側の真実」を白日の下に晒しだすという効果もあって見ものではないか。
なお、カナダは、世界選手権の男子枠を3枠持っている。モスクワに行くのはパトリック・チャン、ジョーイ・ラッセル、ケヴィン・レイノルズとなっているが、東京に来る予定だったのはこの3名ではなかった。もともとは国内2位に入ったショーン・ソウヤーが代表入りしていた。それが大会日程が変更になったためアイスショーと重なり、アイスショーを優先するため、モスクワ行きを諦めたということだ。ワールドを袖にするほどのアイスショーとはどんなものなのか興味深いが、私個人的には大変落胆している。実は現在の海外男子スケーターの中でもソウヤーは屈指のお気に入りだからだ。(ソウヤー辞退により、4位のレイノルズが繰り上がりモスクワ行きのチケットを譲り受けた)



2010 全米フィギュアスケート選手権
2011 U.S. Figure Skating Championships
Jan. 22-30, 2011
Greensboro Coliseum, North Carolina


悲喜こもごも・・・・、これが今季の全米の感情だ。
ジェレミー・アボット、アダム・リッポン、ミライ・ナガスが代表漏れした。アボットとナガスはFSで失墜し、リッポンはSPの出遅れを取り戻せなかった。アイスダンスはベルビン/アゴストが引退してスターを失ったと思われたが、デイヴィス/ホワイトは今やすっかりそのことを忘れさせてくれるほどの全米を代表するアイスダンサーになったし、新星のシブタニ姉妹の登場が全米フィギュア界の未来像を豊かなものにしている。
女子シングルは仕方ない。選手層が薄いわけではない。ナガスが代表落ちしたのは実力がなかったからではなく、代表枠が2つしかなかったことが不運だ。ワールドに出場する実力があることは後の四大陸で証明している。ナガスの後にもアグネス・ザワツキーやクリスティーナ・ガオといった魅力的な選手が控えている。10代の体型変化の時期にあって苦しんでいるアシュレー・ワーグナーやキャロライン・ザンだって、ある意味でこれからが楽しみだとも言えよう。
問題は男子だ。代表入りした3名の成績にイチャモンをつける気はさらさらない。全米選手権の成績を最優先するUSFSAの方針は揺ぎない。それはそれでいい。但し、選ばれたライアン・ブラッドレー、リチャード・ドーンブッシュ、ロス・マイナーの3名で現行の3枠を守れるだろうか。そこが危惧される。まあ、個人的にはリッポンが見られないのが大変寂しいということに尽きるのだが。(彼も屈指の「お気に入り」だ)
ライサチェックもウィアーももうコンペティションには戻ってこないだろう。彼らがいない米国勢で世界選手権のメダル争いに加われる選手はそうはいない。その数少ない候補者の中で可能性がある筆頭はジェレミー・アボットだと認めていただけに、彼の代表落ちは米国に暗い影を落としている。

今回の全米で最も感激したのはアリッサ・シズニー。SP、FSともベストを揃えて、特にFSの演技などは終了する前から泣き出しそうになってしまった。ジャンプのスペクタクルがなくても感動させられるスケートとはシズニーのそれを言う。それだけに、彼女と東京で4年ぶりに再会できるという思慕が裏切られてしまったのでは、もはや血の涙を流すしかない。(白髪三千丈か^^;)
また、代表争いには絡まなかったが、男子で原石を発見した。その名は ジェイソン・ブラウン Jason Brown 、全米9位になったジュニア選手だ(SP11位、FS7位)。滑走順が早く、ジャッジにスコアを抑えられてしまった感じがするが、オーディエンスは良くわかっている。熱狂的なスタンディングオベーションがスコアに表れない評価を物語っている。私は早くも来季のジュニアGP、全米選手権が楽しみになってしまった。この選手についてはまた時期を見て書くことになろう。




ISU 欧州フィギュアスケート選手権 2011
ISU European Figure Skating Championships 2011
Jan. 24-30, 2011
PostFinance Arena, Bern, SUI


今年の欧州選手権は “Hello Goodbye” だった。
“Hello Goodbye” とはもちろん The Beatles であり、我が導師 Sir James Paul McCartney が若かりし頃に一夜にして書き上げた稀代のポップ・チューンである。柏原よしえ(後に芳恵)ではないので間違えないように・・・・。
いきなり脱線気味だが、要するに出会いと別れである。
まず “Hello” の代表が、フローラン・アモディオである。初優勝で欧州タイトルを引っさげてモスクワ入りする。彼の魅力は説明がいらないだろう。映像を見れば簡単だ。全身から迸る躍動感。疲れを知らないスタミナ。漲る若さ。そして褐色の肌が漂わす官能性。そのキャラクターは新しいスターが誕生する予感で満ちている。フランスはこれで2つの星を手にした。1つはブライアン・ジュベールという巨星。そしてもうひとつが新星、アモディオである。アモディオは面白い。しかし当然まだ青い。今は若さと勢いが勝っていて、大向こうを唸らせるような巧みさは見られない。どこかドタバタしていて忙しい。よく動いているように見えるのはせわしなく動く手の振付けのせいだろう。欧州ジャッジのステップに対する評価は高く、レベル3だがGOEは満点も出ている。
若い選手にありがちな課題はアモディオも例外ではなく、PCSはこれからだろう。SPのTRが6.50~7.75、FSのINが7.25~8.50と大きなバラつきがあるのは、ジャッジの間でも彼の評価が定まっていないことを示している。

但し、その評価はコーチと振付師を変えることで改善していくだろう。その両方を兼ねているのが、言わずと知れたニコライ・モロゾフ、その人であるが、彼が「傑作」と自画自賛しているFP『マイケル・ジャクソン・メドレー』が、アモディオの評価を分かれさせていることにモロゾフ・コーチは関心がないようだ。アモディオのパフォーマンスを評価するジャッジはPCSを高くつけるだろうし、振付けを認めないジャッジはPCSを下げるだろう。なにせあのPGで一番良く動いているのはアモディオの手と顔(特に唇)なのだから。肝心のスケートが滑っていない。止まったままで盛んに動いて見せてもそれはスケートではない。しかしそれはアモディオのせいではない。そういう振付けを「傑作」と自賛しているコーチに問題がある。このブログをモロゾフ・コーチが目にした後でバーで私を見つけたら、彼は間違いなく私に殴りかかってくるだろう(爆)
それは冗談で済んでほしいが、ただひとつ間違いなく言えることがある。欧州のジャッジが仕切る欧州選手権で、ロシア人コーチに師事するフランス人スケーターが評価されても不思議でもなんでもないが、これが北米やアジアのジャッジも入ってくる世界選手権では、欧州のように評価されるとは限らない。プロフェッショナルの一流のコーチ・振付師であれば、そういうことも見越して選手を指導し、PGを作っていかなければならないということではなかろうか。

付け加えておくと、優勝したアモディオを微笑ましく見つめる2位のジュベールの表情が気になった。「フローランを見ていると僕の若いころを思い出す」と公言したジュベールだが、確かにアモディオを見つめる眼差しの優しさは息子の成長を見守る父親のようであった。単純にジュベールはアモディオを好きなだけ、というのであればいいのだが、その眼差しはコンペティターのそれではなかった。その柔和な眼差しが今のジュベールの心情を表わしているのであれば、私は少し複雑な気持ちになってしまうことを隠せない。

次に “Goodbye” の代表が野村義男ではなく、サラ・マイアーだった。
マイアーについてはくどくど書くのはよそう。ただ、フィギュアスケートにはこういう巡り合わせというか、何かが降りてきて選手に刹那の力を与えてくれるということが本当に起きるのだ。「スケートの神様」という言葉を聞くことがある。満身創意で体が最後まで持つかどうかさえ分からないというコンディションで、母国開催という舞台で現役最後と公言し、最大の注目とプレッシャーのかかる状況で、長年夢見ていたビッグタイトルを、それも最終滑走でノーミスの演技で逆転奪取するという、幾重にも重なったストーリーがすべて直列でつながった、というのは神様が許してくれなければ起こりえないと思っても罰は当たらないだろう(すごい長いセンテンスだ^^;)
スケーターなら誰しもが夢見たファイナルファンタジーをTV中継とは言えLIVEでその瞬間に遭遇すると、流石に全身総毛立ち、涙腺は完全に決壊する。この録画は永久保存版である。
なお、J sports は完全LIVE中継だったので試合後の優勝者インタビューまで中継してくれた。このインタビューでは、お先に引退していたランビエールがインタビュアーを務めていたが、マイアーと二人でカメラの前で並んだその御姿は、正に美男、美女の絶景であり、誠に麗しかった。

「サラの奇跡」の後に世界選手権の予測を書くのは少々興醒めだが、男女シングルの欧州勢は世界選手権では少し厳しいかもしれない。
モスクワの男子のメダル争いは250点以上だろう。女子は190点以上か(優勝スコアは男子が270点以上、女子は200点以上になるかもしれない)。そうなると欧州勢がメダルに届くためには、男女とも20点以上の上積みが必要になる。この時期はまだ各選手とも調整途上なので、欧州選手権のスコアを鵜呑みにできないのも確か。しかし、男子はともかく女子の場合は2月に行なわれた四大陸選手権の優勝スコアが200点を超えた。しかも優勝者は「まだ調整中で修正が必要」と納得していない中での高得点である。もちろん、東京からモスクワに日程が1ヶ月延びたことでの状況変化はある。それでも私はメダル争いの基準点は大きく変わらないだろうと思っている。

欧州勢でメダル争いの主役になりそうなのはペアだろう。特に、カワグチ/スミルノフには初優勝の期待がかかる。今季は故障もあって出遅れていて出場試合が少ないことは気になる。この欧州選手権では総合2位だったが、FSでは1位だった。スコアも200点を超え、メダル圏内に入ってきたと見ている。優勝にはあと10点前後必要だろう。SPで出遅れないように細部をつめることが大切で、そういう意味では皮肉にも練習時間はできた。東京からモスクワへ代替になって日程が延びたことを寧ろ追い風にして臨んでほしい。東京とモスクワを結ぶのはユウコ・カワグチ、いや川口悠子ほど相応しい選手はいない。




2011年ISU四大洲花式滑冰錦標賽
ISU Four Continents Figure Skating Championships 2011
Jan. 15-20, 2011
Taipei Arena, Taipei City, TPE


男女シングルについては今年の四大陸の方が世界選手権よりも見応えがあるという声が大会前から聞かれた。もちろん比喩なのだが、そう思わせるだけの根拠はエントリーにあった。
男女とも日米のトップスケーターが顔を揃えたからだ。その功績はかなり米国勢にあると言っていい。即ち、世界選手権でその演技を見たかったと落胆の声が上がった、アボット、リッポン、ナガスの三選手が四大陸に出場したのだ。日本も羽生結弦、鈴木明子の各選手が顔を揃えたことによって、大会は俄かに「プレ世界選手権」の様相を呈したわけである。男子についてはチャンの不出場がやや物足りなさを感じないわけでもなかったが、女子については申し分ない顔合わせとなった。日本が安藤、浅田、鈴木の五輪代表組。米国がシズニー、フラット、ナガスである。日本からも多くのファンが台湾に渡ったのは頷けることだ。しかも観戦無料だった(驚)

ちょっと全体が長くなってきたこと、そしてこの大会が直近のものであったことを考え、ポイントを絞ってサマることにする。
私が面白いと思ったのは皆さんが期待していたナガスではなく、レイチェル・フラットだ。
GPシリーズではコンディションが整わず精彩を欠いたに見えたフラットだったが、全米から四大陸にかけて着実に調子を上げてきているのが分かった。滑り込みが進んでいると見えて、音楽によく乗って滑れているところがしばしば見られた。もっともそれはローリー・ニコルの振付けがいいからそう見えただけと言う人がいるかもしれないが、フラットにはFP『十番街の殺人』のようなミュージカルナンバーが良く似合う。フラットには「古き良き時代のアメリカ」の匂いがする。まるでDNAに擦りこまれているかのようだ。ミス・アメリカなのだ。
驚いたのは 2A+3Lo という超高難度のコンビネーションを入れてきたこと。彼女はセカンドジャンプにはトウループを付ける一般的なスケーターだと思っていたのでびっくりした。 2A+3Lo というと最近の話題では大庭雅選手が思い出されるが、ある意味それ以上の驚きである。大庭選手の場合はもともとループを得意にしている選手だからだ。フラットの 2A+3Lo は惜しくも3LoがUR判定になっていたが、彼女はモスクワでも披露してくれるのだろうか。新しい楽しみができた。

フラットの難を言えば、スケーティングか。要素と要素のつなぎのところで、突っ立って両足でフラットエッジで滑っているときがままある。名前がそうさせているわけではないだろうが、体力的にまだ追いつかないところがあり、つなぎの滑りでは呼吸を整えているのかもしれない。もっとディープエッジで滑っている時間が長くなれば、PCSの評価も上がってくるだろう。彼女はモスクワに着くころにはもっとゴージャスになっているかもしれない。

ところで、今年の四大陸と言えば、安藤選手の200点越えが話題になった。それについては触れないのか、という声もあろうが、それについてもまた後日。まとめて書くことにしよう。(別に意地悪しているわけではない。安藤選手についてはまとめて書こうと思っているゆえ、悪しからずご了承賜りたく)





ISU世界フィギュアスケート選手権2011
ISU World Figure Skating Championships 2011
Apr 25 - May 1, 2011
Ice Palace MEGASPORT, Moscow, RUS


本稿が上梓されるころ、男子のSPが始まる。この時点(4/27、19:00JST)で分かっている滑走順は、男子SPの最終滑走が織田選手、ペアSPの最終滑走がカワグチ/スミルノフだ(ラス前は高橋/トラン)。両方とも最終滑走者は日本人だ。偶然と言うのは面白いもので偶然が重なると僥倖が訪れるかもしれない。「サラの奇跡」のように。

今回は柄にもなく少しだけ予想を立ててみる。
ペアとアイスダンスは、現在のワールドスタンディングの上位勢がそのままモスクワでも上位を占めるだろう。ペアはサフチェンコ/ゾルコヴィ、龐清/佟健、カワグチ/スミルノフを中心にメダル争いが繰り広げられるだろう。特に、龐清/佟健は大会後の結婚&引退を表明しているから、優勝して花を添えることになれば、申雪/趙宏博に続く「優勝&寿引退」である。初出場の高橋/トランは思い切って自分たちを表現してほしい。
アイスダンスはペアよりも混戦か。上位5組くらいは拮抗しているのではないか。それでも中心となるのはヴァーチュ/モイア、デイヴィス/ホワイトだろう。リード姉弟はPBを目指して順位も過去最高を上げてくれたらうれしい。自分たちの選択が正しかったことを証明してほしい。「今ほど人のために滑りたいと思ったことはない」と語ったクリス。その気持ちだけで十分だ。今は自分のために、自分を表現するために滑ってほしい。その滑りは必ず日本に届く。

男女シングルはワールドスタンディング通りにはならないだろう。上位者に引退、復帰があったからだ。
男子は何も起こらなければチャンの圧勝だろう。2位以下を日本選手が争うという構図だろう。これは仕方ない。下馬評ではそうならざるをえない。しかし、下駄はモスクワにもきっとある。何の下駄か?勝負を左右する下駄である。
女子は分かりやすい。安藤、浅田が優勝候補。3位以下をシズニー、フラット、コストナー、村上、コルピと言ったGPシリーズで活躍した選手が争う。金妍兒?流石に復帰初戦で優勝できるほど世界選手権は落ちぶれていない。SPはこなせてもFSではどうか?体力がもたないだろうと見るのがスポーツの常識だ。彼女の仕上がりはまったくの未知数だ。もちろん上位がこければ金妍兒にもチャンスは出てくる。2日間ノーミスで演技できたらそれだけでも表彰ものだ。

と、ここまでは普通の予想。問題は、今回は異例の日程になったことがどう影響するかだ。
3月にむけて順調に調整が進んでいたと思われる選手には不利に働くかもしれない。安藤、村上、シズニー、フラット、チャン、織田、アモディオ当りの選手はピーキングが難しくなってしまったのではないか。
逆に1ヶ月ずれて時間ができたことで調整が遅れ気味になっていた選手には有利かもしれない。浅田、金妍兒、コストナー、髙橋大、小塚の各選手がそうだ。
この日程変更という要素がなければ、私は男子がチャン、女子は安藤選手が順当に優勝するのではないかと思っていたが、最早その予測は当てにならなくなった。今回の日程変更はそれほどまでに予測を難しくするファクターだ。
結局は、蓋を開けてみなければ分からない。下駄を履くまでは分からないのである。




Around The World

私はあなたを追いかけて世界を旅した
世界中を ありとあらゆる国を あちこちの街を

いつでも どこでも
私はあなたの笑顔見たさに 世界の街を旅した
ペキンか モスクワか あるいはナガノか タイペイか

でも もうこれ以上 私は旅をしない
世界の街を旅する必要はなくなった

間もなく あなたの笑顔に会えるから
あなたのとびっきりの笑顔の中に 「世界」があるから

posted by pbq1447 |20:05 | コメント(6) | トラックバック(0)
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2011年04月24日

We Are the World.

先日のエントリー後、公私ともに慌しくブログ管理を失念していた。前回のエントリーでは、中止か続行かに揺れる世界フィギュア東京大会に言及するショートメッセージをエントリーしたわけだが、思いのほか反響が大きく、どどどっとコメントが寄せられていた。が、その反響に気づいたのは一つひとつのコメントに返信するタイミングを逸してしまった後だった。

そこで、例によって、この場を借りて謝辞を述べるとともにまとめてご返信を差し上げる次第。それが本エントリーの主旨。但し、今回は震災がらみの記事になるので、通常のエントリーとは様相が異なることを予め申し上げる。当ブログの本来のテーマからは多少乖離するが、これも未曾有の事態ならではのこと。被災地に住む私としては書き留めておきたいことがあるのだ。




幻と消えた “World 2011 Tokyo”


震災のあった3.11の日は都心の全電車が止まってしまったので、私は勤務地から自宅まで徒歩で帰ることになった。2時間半も都心を歩き続けたのは初めてだった。いや徒歩による帰宅だけではない。すべてが初めて経験することだった。不思議な夜だった・・・・

前回私は、世界選手権東京大会について震災直後の混乱と憶測が交錯する中、開催に向けての努力を続けるべきだという私見を敢えて書いた。3.11の2日後、3月13日のことだ。
拙宅は、会場となるはずだった国立代々木競技場第一体育館がある渋谷区の隣の区にあり、職場もまたその隣接区にある。そういう「現地」に近い地区で毎日生活している者としては、すぐに諦めの結論を出してしまう空気があっという間に支配的になっていることに疑問をぶつけたかった。まだ、未確認情報が圧倒的に多いタイミングで、なぜそんなに簡単に結論を出してしまえるのか?「現地」に生活している者の実感としては納得がいかなかったのだ。その気持ちを率直に書いた。
しかし、そう書いた私ですら「これはまずいな」と思わざるをえないニュースが、件のエントリー直後に飛び込んできた。

「輪番停電」

初めて耳にするその言葉は重かった。万事休す。流石に観念した。福島第一原発の被災により、東電が首都圏に供給する電力が決定的に不足しているというのだ。それも来夏まで続きそうなほどに深刻な状況だという。
屋内スポーツというのは電力なしではまともにゲーム運営ができない。ましてや屋内リンクという「人工的に造った環境」を必要とするフィギュアスケートでは電力不足というのは致命的だ。屋内リンクを造るには大量の電力(と水)を必要とする。いや、リンクを造るためだけに電力が必要なのではない。それを維持するためにも電力が必要だ。昼夜を問わず館内の冷房を連続運転させなければリンクは維持できない。想像してみるといい。1万人を収容する巨大な冷凍冷蔵庫を都心に作るようなものなのだ。それも映像・音響・照明システムも内蔵した特注の冷蔵庫だ。加えて世界選手権となれば、それを約2週間休まず通電、稼動させなければならない。(リンク製造5日間+大会運営8日間)
これは厳しいと直感した。電力不足で首都圏に住む、働く人々すべてに節電を強いておいて、世界フィギュアだけは特別に電気をたっぷり使わせてね、というわけにはいかない。JSFの公式発表では「海外からは原発事故が一番心配された」ということだが、仮に原発事故がなかったとしても電力不足がこれほど深刻であれば、暖房のための電力がまだ必要な3月下旬の東京での開催は無理だっただろう(実際は電力不足の原因が原発事故なので別々には考えられないのだが)。

ところで、今回の電力不足事情で最も世論の反感を買ったのは、同じく3月下旬に公式戦開幕を強行しようとしていたプロ野球のセ・リーグだろう。その矛先の中心は、東京ドームでのナイター開幕を譲ろうとしなかった読売巨人軍に向けられていたことは既報の通り。東京ドームで1試合開催するために必要な電力は約5万kWhで一般家庭の5千世帯分(1日当たり)に相当するという。これは莫大な電力量だ。
この件の顛末は既報の通りであるのでこれ以上言及しないが、ひとつだけメディアでほとんど報道されていなかったことがあるので記しておこう。それは東京ドームはその存在自体が「浪費家」だということだ。
実は、東京ドームは何にもしなくても、試合やコンサート等の催事がなくても、毎日1万5千kWhも消費しているということだ。あの独特の空気膜構造の屋根は、屋内の気圧を屋外の気圧(1.0気圧)よりも高くすることで膨らませて維持している。風船のような構造だ。その気圧を保つためには送風ファンを24時間回し続けなければならないという。グラスファイバー製の屋根の総重量は400t。送風を止めてしまうと内気圧は外気圧と同じになってしまう。そうすると屋根は自重で潰れてしまうのだ(風船の空気が抜けた状態と同様)。400tの屋根を気圧で押し上げているわけだが、これを24時間365日、休みなく続けている。東京ドームは存在するだけでも電力を消費している。これを「浪費」と言ったら言い過ぎだろうか。
東京ドームはバブル経済の真っ只中、1988年に竣工した。東京ドームは最早、「飽食の時代」の遺物なのかもしれない。「(電力が)あることが当たり前ではなく、あることはありがたいと思える生き方を」とつぶやいたのは我が師匠の宇多田ヒカル女史だが、師匠は昨年12月9日に自ら活動を停止する前に東京ドームでコンサートを行なうことはついになかった。(あまり関係ないか^^;)

閑話休題。
流石に、代々木第一体育館での世界フィギュアの電力消費量が東京ドーム並みとは思わないが、もし開催を断行していたら世界フィギュアも読売巨人軍同様に槍玉に上がっていたのかと思うとぞっとする。もちろん、電力消費量の試算は実際は様々なファクターも考慮しなければいけないので上述の数値は参考に過ぎないだろう。ただ、どんなに数字で釈明しても治まらないのが「国民感情」というもの。スポーツが「反社会的」というレッテルを貼られてはいけない。社会にとってスポーツは「健全」のシンボルなのだから。

なお、電力不足による屋内スケートリンク運営の危機については、地震直後に私が危惧したよりはかなり回避されてきているようで、新横浜スケートセンターで開催されるゴールデンウィーク恒例の「プリンスアイスワールド横浜公演」や日本のトップスケーターが勢揃いする6月下旬の「ドリーム・オン・アイス」も予定通り開催されることが決まった。首都圏の節電努力と暖房需要の減少で、4月に入ってから首都圏の電力不足が一息ついていることも奏功しているのだろうか。どちらにしても紆余曲折を経て開催に漕ぎ着けたようであり、関係者の尽力の賜物であろう。
とは言え、夏場の電力事情は相変わらず予断を許さない状況であることに変わりはないが。(4/6、経産省は「計画停電(輪番停電)を原則終了」の方針を表明。夏季対策は詳細は関連報道・発表を参照のこと)



経済活動としてのスポーツ


前回のエントリー後の反響は思いのほか多かった。もちろん本ブログへのアクセス、コメント投稿は被災地外からのものだろう。ゆえに、基本的には被災地や被災者を慮ってのコメントや被災地外の生活者としての率直なコメントが大勢を占めたようだ。
大勢は「世界選手権開催は無理だろう」と予測する声だった。但し、そう予測する理由、根拠はいくつかに分かれた。
一番多かった声は、「そんなことやってる場合じゃないだろ」という声。「被災地の映像を見たら、そんな気になれない」とか、中には「スポーツというのは平和なときにしかできない。今は有事だ」という声もあった。総括すると「自粛すべき」ということだろうか。なお、宇多田師匠によると、自粛を呼びかけるのは「他粛」だそうな。なるほど言いえて妙。流石は師匠。自宅にひっきーこもっていても機知に富んだボキャブラリーは健在だ。
次いで多かったのは選手のことを慮った声、というか推測。
「選手が集中できないだろう」、「海外の選手は日本選手以上に不安なのでは?」、「余震で揺れたら演技に影響するのではないか」と言った声だ。つまり、選手自身がトップコンディションで試合に臨めない状況だろうし、そんなコンディションで強行開催したら最高峰であるはずの世界選手権の競技レベルが下がってしまうという声だ。
私としては意外だったが、エントリー直後では電力不足を指摘する声はまだなかった。電力不足とスポーツの関連性については先述のプロ野球の件に報道が集中したことも影響したのかもしれない。電力不足については代々木体育館は東京ドームの陰に隠れた格好になった。
ここまでは私の想定内の反響だったが、想定外というか、思いのほか共感するコメントもあった。それは「経済活動を継続しよう」という冷静で力強い意見だった。

私が記憶する限り、阪神・淡路大震災のときには「経済活動の維持」とか「経済を回す」みたいな言葉は被災後すぐに聞かれることはなかったように思う。メディアの環境が16年前とは異なることも一因にあるかもしれない。インターネット、特にSNS等のネットワークで情報が短時間で拡散する現代では、マスメディアで採り上げられない情報、或いは採り上げられる前の話題が一気に飛び交う。その辺の情報拡散スピードと量は16年前とは桁違いだ。
未曾有の大惨事なのだから、まずは救助、そして救援、支援となるのは当然のこと。復興はその後であり、まして日常の経済活動の回復はまたその後と考えられても非難はされない。しかし、今回は「戦後最大の危機」と言われるほどの被災規模であるにもかかわらず復興の動きが被災後すぐに始まったのは心強かった。その動きの表れのひとつとして「経済活動を維持させるためにも何でもかんでも自粛するのはいかがなものか」という声があったのだと見ている。

今できることを精一杯する。

これがすべての人に言えるのではないかと思う。生きている者は精一杯生きる。それが生きている者の使命だ。自分ができることをきちんとやる。東北地方を中心とした直接の被災地と首都圏のような間接的な被災地では被災規模に差はあるけれども、それぞれの環境において、それぞれができることを精一杯やることが大切だと痛感している。その考えの延長線上に立てば、こういう状況にこそスポーツを続ける価値があるのだという夢想は確信に変わる。ただ単に、トップスケーターが演技を見せれば被災者が勇気付けられる、と言っているのではない。スポーツをすることが経済活動につながり、復興支援の一助にもなるはずである。経済が回らなければ復興のスピードは加速しないのだ。

ところで、ある有名なプロ野球選手が「僕は野球しかできないですから」と言って、黙々と練習をしている様子がTVで報道された。私はこれはちょっと寂しいなと思った。確かにその選手が「一般人と比べて秀でている」のは野球しかないのかもしれない。だからと言って「野球しかできない」ということはないだろう。いろいろ事情はあるかもしれないし、もしかしたらシャイな性格でメディアの前では寡黙になってしまう選手だったのかもしれない。だからこれ以上は詮索はしないが、一般人だって「自分に出来ること」をいろいろとやっているのだ。
日本のスポーツ選手は米国の選手に比べて公共心、社会意識が不足がちだと言う声をよく聞く。また、政治や宗教に対するオピニオンを明確に示さないという声も聞く。スポーツ選手はスポーツに専念していればいいと考えている選手は日本では少なくないだろう。フィギュアスケートでもスケート以外に、それも試合や練習以外にほとんど関心を示さず、「スケートの虫」に徹している選手が見受けられる。だからこういう選手からは耳を傾けたくなるような発言は聞こえてこないし、スポーツの異能に対して感心はしても決してリスペクトの対象にはならない。こういう選手に意見を求めてもその答えには総じて失望させられてしまうか、下手するとその知性を疑ってしまうときすらある。昨今は「天然」という言葉が持てはやされているようだが、それは単なるごまかしだ。単に、頭蓋の中に大脳の代わりに筋肉が詰まっているだけで社会的に幼稚なだけだ。

また、日本のメディアやファンも、スポーツ選手が「職人気質」でいることを歓迎する傾向がある。「スポーツ選手は(現役中は)脇目も振らずにスポーツに専心してほしい」と図々しく要求する。選手がバラエティ番組に出ることを不快に思ったり、番組出演がきっかけで芸能人と交友関係を結んだりしようものなら「勘違いしている」と揶揄し、スポーツ以外の話題(広告・イベント出演、本の出版等)がメディアに載ると「そんな暇があったら練習していろ」と説教する始末。日本の女性アスリートが一般女性よりも「女性的魅力」に欠けて見えることが少なくないのは偶然ではない。「おしゃれをするのは練習に身が入っていないから」という妄言が日本の女性アスリートの輝きを鈍くしていることをファンも関係者も認識すべきだ。
そんな雑音が選手の耳にも入るのだろう。選手はますます「自分の仕事」に黙々と打ち込み、自分の世界に引きこもる。自分の得意な領域だけに専念しているのは安全だからだ。ファンは贔屓の引き倒しをやっていることに気づかない。
トップアスリートは「異能の人」であり「一芸に秀でた人」でいい、と言うファンも大勢いる。マルチに才能を発揮し、様々な領域で活躍するよりも「スポーツ ば か」の選手にシンパシーを感じるファンが多い。私は「スポーツ ば か」自体を否定するわけではないが、知性を持ち合わせていない「スポーツ ば か」は「スポーツしかできない ば か」と同義だ。日本のメディアが自国のトップアスリートをゲイノージンのように扱うことがしばしばあることを憂慮するファンの声が跡を絶たないが、果たしてそれはメディアだけに原因があるのだろうか。メディアはその国の文化度を映す鏡でもある。文化を支えているのは他ならぬ国民(ファン)である。一方的にメディアにその罪を着せるのは不実だ。

日本ではメディアに頻繁に登場する人気アスリートでも概してその社会的地位は高くない。それは自分の世界から出て、社会人としての顔、行動を能動的に示すトップアスリートが少ないからではないか。
フィギュアスケートにおける美は、技術の難度や様式美(端正な姿勢等)といったアスレチックな部分に、選手個人の感性や人生観(ときには死生観も)といったパーソナルな部分が融合して生まれる、と私は思っている。フィギュアスケーターは競技者でありながら表現者でもなければならない。そのためにはスケーターはアスリートとしての鍛錬を重ねるだけではなく、(アスリートである前に)一人の人間としての成熟、成長が欠かせない。
「スケート ば か」のままでは “Excellent skater” にはなれても、“Great skater” にはなれない。


なんか書いているうちに情けなくなってきた。思い入れが強すぎて鬱陶しい文章になっているような気がして自己嫌悪気味になってきた。脱線気味である。
まあ、それでも削除せず上梓を選んだのは、今は「一つひとつの今」を大切に、忘れないようにしたいという思いの方が勝ったからだが・・・・。

本日3回目の登場となる宇多田師匠の言葉を紹介して、この支離滅裂なパートを締め括る。


人間さ、得意なことばっかりやってても成長ってないんだよね。その人が特殊な能力を持っていたり向いていることがあったら、それだけをやってればなんか自信とかついていいのかもしれないけどさ。実際さ、できない事もやっていかないともうフンづまりだよね。いくら得意なことができてたって、それだけじゃその人の世界は発展しないんじゃない?
(2010/11/28放送、TOKYO FM『ON AIR MUSIC CHART』より)



スケート・チャリティ


今、スポーツ界でもいろいろと被災地支援の動きがあるのは既報の通りだが、私はフィギュアスケート界に目立った動きが少ないことが気になった。それはフィギュアスケートも「被災者」の立場にあることと、3.11の時点でフィギュアスケート界はまだシーズン中であり試合を控えている選手がまだ少なからず残っていることが影響しているのだろうか。
確かに、被災地のスケートリンクは被災した。拙宅に最寄りの明治神宮外苑アイススケート場でも施設の一部が損壊し、今も休業中だ(再開目標は6月とのこと)。世界選手権だけではなく、国内外の競技会もまだまだ残っており、出場が近づいていた選手は練習時間を無駄にしている暇はないし、大会関係者はその準備の真っ最中だったろう。或いは当日被災地にいた選手・関係者は当然のこととして、直接の被災を免れた選手・関係者でさえショックでその思考と行動は停滞したであろう。
ただ、同じ状況の中でサッカー界は行動が早かった。

Jリーグは3/5にシーズンインしていたし、代表チームの場合はそのオフシーズンはなきに等しい。J1クラブでも仙台、鹿島のスタジアムが被災した。被災地の選手は練習どころではなくなった。「食べることにも苦労した」という。それでもサッカー界の「被災地支援」の行動は早かった。スタジアムが被災したこともあってJリーグ自体は中断せざるをえなかったが、日本のサッカー界は自粛ではなく、すぐに被災地応援、復興支援の道を選択し行動した。
3/25-29に予定していた「キリンチャレンジカップ2011」の2試合を電力不足等の理由で中止することを震災5日後の3/16に発表。しかし、その翌3/17には早くも「日本代表 vs. Jリーグ選抜」のマッチメイクで「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」を3/29に代替開催することをアナウンスした。震災から1週間も経っていないという迅速さだ。流石だと思った。サッカーは、真にパブリックなスポーツだなと再認識した。サッカーは、サッカーがファンや社会と一体となって存在し、成長するのだということを自覚している。だから、本来は自らも被災者であるサッカー自身が、寧ろ率先して先頭に立って被災地を応援し、復興支援に寄与しようと言う動きがすぐさま自発的に起きる。協会、選手、関係者が一斉に動き始める。選手にも自覚がある。「サッカーには人を動かす力がある」と選手の誰もが口にする。自分たちの影響力を自覚し、それを言動に活かすこと、それがトップに立つ者の矜持だ。

翻ってフィギュアスケート界はどうであったか。被災した状況はサッカーと大差なかったが、予定していた試合の格式や商業面の影響がサッカーよりもシリアスなものだったことが決断を逡巡させただろう。余震がどの程度発生するかとか原発事故は収まるのかということは、震災直後の時点では未知数の部分もあっただろうが、電力不足が明らかになった3/13の時点で世界フィギュア2011東京大会の開催は不可能と判断できたはず。それなのに「10月延期案」がJSFからISUへ打診され、それをISUも期待してJSFの正式回答を待っているという報道が出たときは驚いた。そして失望した。驚いたのは、最高格式の世界選手権をシーズン冒頭に開催しようという案が真剣に検討されたことであり、失望したのは、その検討理由が競技よりも商業面を優先したこと以外に考えられなかったことであった(この10月延期案から東京大会中止、1ヶ月繰り下げてモスクワで代替開催へと至った経緯は割愛する)。しかしもっと失望したのは、ISU、JSFの両者からチャリティ演技会のような話がひとつも出てこなかったことだ。出てきたのは「お見舞いの言葉」と「赤十字社を通じての義捐金募集のご案内」だけである。ISUはともかく、JSFにとっては世界選手権をどうするかが最大の関心事だったのだということを知ったとき、私は正直寂しい気持ちになった。確かにJSFにとって世界選手権を中止することは大赤字であり、翌シーズンの予算大幅減につながる営業損失である。もちろんそれは理解できるが、一方で被災地に対して何ができるかということを義捐金以外にも同時に発想、行動してほしかった。JSFからは「金銭」のことし聞こえてこなかったことが寂しかった。

しかし、選手と地方連盟が動いてくれた。
震災から3週間近く経った3/30、兵庫県スケート連盟が「慈善演技会」を4/9に神戸ポートアイランドで行なうと発表(いちおう後援はJSF)。「復興の街、神戸から勇気を」という趣旨だ。出演は被災地の仙台・東北高出身の田村岳斗さん、本田武史さん、荒川静香さんの3名と太田由希奈さん。現役選手では東北高在学中で3.11当日仙台で被災した羽生結弦、髙橋大輔、田中刑事、村元小月、國分紫苑の各選手(私が知りえているのはここまで。他の出演者は不明)。被災地出身の田村さんと本田さんらのスケーターが中心となって企画が立ち上がったという経緯が頼もしい。四大陸選手権を終えた後で公式戦は残っていないとは言え、直接被災して練習どころか避難所での生活も余儀なくされた羽生選手自らが出演したことに誰もが心打たれただろう。そして、世界選手権も控えて少しでも練習時間が惜しいであろう髙橋選手がわざわざ時間を割いて神戸に来てくれたことにも頭(こうべ)が垂れる。彼はスケートリンクの閉鎖問題のときにも立ち上がったり、以前からトップに立つ者の矜持を身を持って示してくれている。
演技会では募金やオークションも行なわれ、入場料収入(全額)と合わせて義捐金として被災地に送られたという。このチャリティには参加できなかったが織田信成選手も募金活動に協力し、練習拠点のカナダへ立ったということだ。その他に名前が出ていない世界選手権代表選手を始めとしたトップスケーターもシーズン終了後にはそれぞれにチャリティに参加する予定だという報道が出ている。

ほとんどのメディアではこの神戸の慈善演技会を震災後のスケート・チャリティとして初めて報道した。しかし、実は神戸よりも先に動いた県連と選手がいた。
神戸よりも2週間ほど早くアクションがあったのは福岡だった。3.11のわずか3日後の3/14、正にISUが世界選手権を予定会期では行なわないことを発表したその日に、企画はスタートしていたと言う。そして、震災の9日後の3/20にはそのチャリティは実施された。
福岡県立総合プールスケートリンク(アクシオン福岡)で開催された「東北関東大震災被災者応援滑走会」だ(東日本大震災ではなく、東北関東大震災と称されるところも震災直後の開催であることを物語っている)。
3/19-20に開催された「2011全九州フィギュアスケート競技会 兼 日本スケート連盟新人発掘合宿中四国九州ブロック選考会」という競技会の最終日にチャリティエキシビションとしてそれは行なわれた。主催は福岡県スケート連盟(後援・JSF)。出演は全18選手(ゲストスケーター:安藤美姫、中庭健介、南里康晴、無良崇人の4選手。全九州競技会優勝者:郡山智之、藤澤亮子らノービス~シニアの14選手)

行動を起こしたのは、世界選手権の準備でたまたま合宿地として福岡に滞在していた安藤美姫選手だった。
たまたま福岡で合宿していた安藤選手が、これまた郡山選手らの振付けのためにたまたま福岡入りしていたコレオグラファーの宮本賢二さんに相談して企画が急遽動き出したというから、偶然の連鎖が生み出したチャリティということになろうか。ここに現役最後の演技を披露するということで、全九州のエキシビションのゲストスケーターとして呼ばれていた南里選手らも加わり、一気に出演選手が決まっていったという。「自分にできることをすぐにやろう」という安藤選手の行動力、宮本さんの献身的なサポート(この滑走会の振付けも急遽作った!)には頭が垂れっぱなし。(神戸でなくとも頭は垂れる)
この選手たちの手による心温かい、手作りのチャリティが震災後最初のスケーターのアクションだった。私はこのチャリティを知って誇らしい気持ちでいっぱいになった。フィギュアスケートだってやるじゃないか。サッカーにだって負けてないぞ(別に競争しているわけではないが^^;)。そして、誇らしい気持ちの後には、私の胸は希望で満たされた。安藤選手を始めとして、このチャリティで行動を共にしたような選手たちがどんどん増えれば、フィギュアスケートは特定の人気選手による一過性のブームに終わることなく定着していくだろうと、私の胸は希望で膨らむ。

ただひとつ大変残念なことがある。それはこれだけ誇らしいチャリティがほとんど報道されなかったということである。
私がチェックした限りでは、全国放送・発行・配信したメディアは、TBS、テレビ朝日、フジテレビだけだった。これだけパブリシティ性の高いイベントだったにも関わらず新聞や通信社は皆無だった。スポーツ紙すら採り上げていない。新聞・通信社が記事にしないとインターネットでも配信されないのでネット上でも見かけることがなかった。これは間違いなく、主催者側が何らかの事情で取材を制限したのだ。新聞・通信社にプレスリリースを出していないと思われる。メディアというのは「初もの」が好きだ。まして今注目のフィギュアスケートとなれば必ずと言っていいほど食いついてくる。場所が福岡だったということも問題ない。3/20は昼に駅前でも女子プロゴルファーによる募金活動が行なわれ、そちらは全メディアで採り上げられている。取材スタッフは大勢福岡入りしていたのだ。しかも滑走会は夜の8時過ぎに行なわれたのでゴルファーの募金活動と重なることもない。両方取材できたはずである。大変もったいないことだ。
急遽行なわれた滑走会だったので、会場整理やら取材対応やらのスタッフが不足しているとかいろいろ事情はあったかもしれないが、通信社くらいは呼んだほうが良かった。目的は被災者応援であり、募金とメッセージを被災地に届けることである。募金は金融機関を使えばいいが、メッセージはメディアに載せないと遠方へ届けることができない。メディアが限られると報道量が少なくなる。報道量が少ないと効果が半減してしまう。実にもったいないことだ。
この滑走会では観覧方法についても情報が錯綜したようだ。大会出場選手とその家族、大会関係者が対象だとか、入場制限があるかのような情報が事前に流れたが、実際に見てきた人によると入場制限はなかったとのこと。選手はイベントに出演する立場であり、イベント運営の経験はないだろう。それだけに運営面は主催者の福岡県連の方々にもっとサポートしていただきたかったところだが、急遽決まったチャリティということで間に合わなかったのかもしれない。この辺が「手作り」の限界ということなのだろうか。

ところが、このチャリティには後日談があった。パブリシティ活動が不足していてマスメディアの報道が少なかったと書いたが、主催者は現代的なパブリシティ活動を追加した。
3/30、主催者は “FSFbenefitshowmovie” のHNで YouTube に滑走会の動画を公式配信した。この動画を見ると、これは最初からネット配信を目的に撮影、制作されたものであることが分かる。アップされている動画はプロカメラマン(或いはハイアマチュア)によってハイビジョンカメラ2台を使って撮影され、きちんと音声の同期を取って編集されているからだ。TV局がニュースで放送した映像は各局のENGなので、この動画はまったくの別物である。公式動画配信を最初から考えていたのである。

マスメディアを介さずに、独自に自らの手でファンに対して直接メッセージをノーカットで発信する・・・・、その意図と行動から私の脳裏には “FSFbenefitshowmovie” の横顔が浮かび上がってくる。その横顔が誰のものかについて言及する気はないが、この勇気あるスケート・チャリティのメッセージを真摯に受け止め、今回は特別に下記にURLを紹介して本エントリーを締めくくる。まだご覧になっていない方は是非ご覧いただき、既にご覧になった方には選手たちの行動に参加してもらえたら私も本望だ。

http://www.youtube.com/user/FSFbenefitshowmovie


東北関東大震災被災者応援滑走会
Benefit Figure Skating Show in Fukuoka

日時 : 3月20日(日) 20:00-20:30
場所 : 福岡県立総合プールスケートリンク(アクシオン福岡)
主催 : 福岡県スケート連盟
後援 : (財)日本スケート連盟
内容 :
1番滑走 藤澤亮子『Mary Poppins』
2番滑走 郡山智之『Riverdance』
3番滑走 無良崇人『La Califfa』
4番滑走 南里康晴『Quasi una Fantasia “Moonlight Sonata”』
5番滑走 中庭健介『Leyenda』
6番滑走 安藤美姫『Why do people fall in love?』
フィナーレ 群舞『みんな空の下』(振付:宮本賢二)
安藤美姫、中庭健介、南里康晴、無良崇人、郡山智之、藤澤亮子
南里美羅、筒井晴香、山中陽菜、御供田亜也、有松希佐子、石橋佳歩、小山 茜、
川原 星、早川晃太郎、長池 潤、森 温徹、村島脩登 

(敬称略)

動画はフィナーレの『みんな空の下』を収録。
フィナーレはこのチャリティのために安藤選手が選曲し、宮本さんが現地で振付け、特別に制作されたショープログラム。
前半をソロパートのトリを務めた安藤選手がアンコールに応える形で再度ソロで滑り、後半からソロで滑った他の5名が合流し、6名で群舞を披露。最後には競技会の各カテゴリー優勝者12名も加わり、総勢18名で整列、観客に挨拶して終了。(収録時間 3:30)




次回から通常営業再開です。

posted by pbq1447 |10:00 | コメント(1) | トラックバック(0)
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2011年03月13日

今できること

今 このブログを読んでいるあなたは
今 どこにいるのだろう

今 フィギュアスケートを心配しているあなたには
今 何ができるのだろう

スポーツは ただ純粋にスポーツのためにある
フィギュアスケートは それ以外の目的では存在しない

されど スポーツは あなたの心を動かす
フィギュアスケートは あなたを虜にする

スポーツは スポーツの中でしか存在し得ないが
スポーツは ときにスポーツ以上の力を発揮する

悲しみの中にあるときこそ スポーツが躍動する
光を見失っているときこそ フィギュアスケートは輝く

今 このときこそ 私は敢えて言おう
世界フィギュアは 今こそ開催してほしい

がんばれ 日本
甦れ 日本の力

フィギュアスケートは 止まらないっ



(註)
本来は、全日本~北米のナショナルチャンピオンシップ、欧州~四大陸のインターコンチネンタルチャンピオンシップをレビューしながら、「世界フィギュア前哨戦」をテーマとしたエントリーの予定でしたが、予定を変更してメッセージのエントリーとしました。
一人でも多くの命が救われますように。
一人でも多くの人の心に光が差しますように。

posted by pbq1447 |02:54 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2010年12月13日

再エントリーのお知らせ

読者各位



昨日(2010/12/12)お知らせしました、「フィギュアスケートは止まらないっ(3)」の著作権侵害に関する一連の問題について諸問題が解決され、無事に「完全な形」で再エントリーすることができましたことをお知らせします。

ブログ管理人としては不本意ながらも、結果的に読者各位にご不便をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
また、スポーナビ+サポート事務局の迅速かつ誠実な善処に対し、この場を借りて御礼申し上げます。

なお、一連の問題の経緯につきましては、昨日アップした「お知らせとお詫び」のコメント欄に事務局より説明のコメントが届いておりますので、そちらをご覧くださいますようお願いします。

それでは引き続き、『スポーツの誘惑と憂鬱』~「フィギュアスケートは止まらないっ(3)」をごゆっくりとお楽しみください(爆)



『スポーツの誘惑と憂鬱』 管理人
pbq1447

posted by pbq1447 |18:29 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2010年12月12日

お知らせとお詫び

読者各位


昨日(2010/12/11)アップした「フィギュアスケートは止まらないっ(3)」が、現在「不完全」な形でアップされています。
スポーツナビ+サポート事務局より、文中の一部に「著作権侵害と判断した」箇所があるということで、事務局により当該箇所を削除された形でアップされています。

現在、事務局に事実確認と善処方法について相談中です。善処方法を確認、決定し次第、修正したものを再エントリーする予定です。
読者各位には現在の「不完全な形」での閲読を強いることになり、誠に申し訳ありません。
今しばらくお待ちください。

なお、修正後に再エントリーとなったときには、改めてお知らせしますので、よろしくお願いします。


2010/12/12

『スポーツの誘惑と憂鬱』管理人
pbq1447

posted by pbq1447 |21:27 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2010年12月11日

フィギュアスケートは止まらないっ (3)

10/11シーズンの誘惑と憂鬱


今回は10/11シーズンで(私が)注目する選手、気になる選手への期待と不安を書く。(私的雑感)
「10/11シーズン」とは書いたが、既にGPシリーズも6戦終了で本稿がアップする頃にはファイナルも結果が出ているだろう。国内でもブロック大会が消化済みで、シーズンは前半戦終了という趣だ。そこで本稿はあくまでも選手そのものにスポットを当てる。特定の大会やそのときの演技のレビューを書くのが目的ではないのでご了承を。(もちろん文章の流れ上、試合内容・結果に触れることもある)



パトリック・チャン Patrick CHAN

既に押しも押されもせぬトップスケーターの地位と名声を得ているチャンだが、実はまだ弱冠19歳(1990/12/31生)。なにせこの1-2年で常に注目と話題の中心にいたものだから、20代の成熟したスケーターのような錯覚すらしてしまう。もちろんそう感じさせるのは話題性だけではなく、彼のスケーティングにあることには異論がない。彼の氷に吸い付くようなスケーティング、楽曲の流れと一体となり途切れることなく自然に流れていくスケーティング。もちろんその技術をいかんなく発揮させるために開発されたプログラムと振付けがあればこそのスケートでもあることは当然のこと。
恐らくチャンのスケートはISU技術委員会が理想とするスケートを代表しているのだろう。それは理解できる。ISUはトリノ五輪以降ますます「スポーツ・フィギュア」への舵取りを強めている。狙いは分かる。私自身は「スポーツ色」、「アスリート性」が強まっていく傾向には無条件で賛同するというものではないが、スポーツ色やアスリート性を強めることのベネフィットは理解できる。
ただ、スケーティングスキル(SS)とトランジション(TR)を重視するというジャッジトレンドは、(TVの前にしかいない)一般ファンにはなかなか理解・支持が得られないだろうなあと少々心配している。SSとTRは専門的な知見や相当量の観戦経験がないと分かりにくい技術だからだ。誤解を恐れずに言うと、「TVウケ」しない技術だ。TVウケするのはジャンプとせいぜいスピンだ(それゆえジャンプの成否がTV中継の中心となる)。TVウケしないスポーツというのはいつまで経ってもマイナースポーツだ。「チラッと見ただけでも分かる」ようでなければメジャーにはならない。採点競技が概してマイナーなのは「分かりにくさ」と無縁ではない。マイナーかメジャーかを議論する気はないが、特定のアイドルスケーター(=TVウケするスケーター)だけを目当てにTV観戦(しかも地上波放送)しかしない一般ファンが急増したフィギュアバブルのご時世にあっては、この「分かりにくさ」が様々なノイズを発生させていることも確かだ。
実はこの「分かりにくい技術」がチャンの持ち味で、(厄介なことに)試合ではそれが高く評価されているというところが、彼の「日本のお茶の間での人気」を難しいものにしているとは言えまいか。「なんであのお兄チャンはジャンプで転んだのに点が高いの?」と無邪気に質問してくる子供たちにパパとママは返答に窮する。そりゃそうだ。パパとママもジャンプしか見てないんだから。ISU、特に日ス連はもっとメディア(特にTV)と協調して、フィギュアスケートの技術の多様さと魅力の奥深さを啓蒙していくことに真剣になった方がいいだろう。

そのチャンも今季はクワッド(4T)に取組んでいるようで、対応が早いというか、機を見るに敏なところを見せている。彼のポリシーに従えば「昨季まで4Tを入れなかったのはリスキーだったから。今季はリスクが減ったからやる価値が出てきた」ということなのかもしれない。ルールにスケートを適応させていく―この取組み姿勢は、競技の勝敗を行動指針にするのであれば理に適っている。明快だ。それは競技スポーツに邁進するアスリートとして真摯なスタイルとも言える。一方で、ルールがどう変わろうが自分のやりたいスケートをやるというスタイルを貫くスケーターもいるが、チャンはそういうスケーターとは異なるだろう。どちらを選択するかは競技会に向き合う価値観次第だ。

チャンのスケートはとにかくよく滑る。ただし、よく滑るのはスケートだけではないらしい。スケート同様、口もよく滑るようだ。今や彼のリップサービスを期待して、イエロージャーナリズムは彼のスケートよりも口が滑るのをスクープしようとしているかのようだ。弱冠19歳で世界の頂点に立とうかという勢いだ。いわゆる「生意気」な発言もあるだろう。それもいいだろう。だいたい私は若い人は生意気なくらいでちょうどいいとすら思っている。判で押したような「優等生発言」には人間臭さが感じられない。優等生発言どころか「沈黙は金」とばかりに寡黙を賛美するような風潮に至っては言葉を失ってしまう。私は「自分の言葉」できちんと話せるアスリートが増えてほしいと思っている。
若いときには生意気でも、実るほどに頭を垂れる稲穂のごとく、成長と共にその言動もまた相応しいものになっていく・・・・そこに人生の味があり、それは絶対にスケートに滲み出てくる。その味わいがスケートに美しい彩を与える。若いうちから優等生で、自分の言葉を持たずに、或いは発する機会を逸したまま、ステレオタイプの優等生のままで終わる選手がいるとすれば、それはまたなんともつまらないことか。

ところで、最近の彼に関して興味深い話が出ていたので、このパートの最後に触れておきたい。それはチャンが「ジャッジと一緒に仕事をしている」という話だ。
記事の原文を読んでいないので「仕事」という訳が正確かどうか不明だが、普通に考えると「ジャッジに練習を見てもらっている」とか「試合後に評価の詳細を教えてもらっている」ということだろう。これだけでも噛み付く人もいるようだが、ジャッジに練習を見てもらったり、試合後に直接アドバイスをもらったりするのは昔からよくあることだ。旧採点時代を知る者としては驚くことではない。寧ろ熱心な選手だと関心するくらいだ。一方で、新採点時代になってジャッジが匿名制になってから、「ジャッジに教えを乞う」ことができなくなったという話を現場のコーチの方々から聞くことがある。選手やコーチはジャッジのアドバイスが欲しいのだ。これは何も特別なことではない。皆やっていることだ。
もしかしたらチャンのこの発言に眉をひそめる人は、ジャッジからアドバイスをもらうことを不正行為だと誤解しているのかもしれない。もしそういう誤解があるのだとしたらこれも「ジャッジの匿名制」がもたらした弊害のひとつだろう。匿名であるはずのジャッジが選手と接触するなんてもってのほか、みたいな解釈か。もちろん、この「選手とジャッジの接触」が特権的な行為で、しかも報酬が発生しているとしたら問題だろうが、(昔と変わらず)フリーで開かれたものであれば問題ない。要はその機会の公平性だ。
まあ、この話はこれ以上の情報を持っていないのでここまで。

なんかチャンのことを書いていたら話が広がり過ぎてしまった。
私は他のスケーター同様にチャンも「よいスケート」をしていると思っている。だから、彼のスケートや試合での得点に対して揶揄する人が少なからずいることをとても残念に思っている。彼は単に現行ルールに「最適化」したスケートをしているだけだ。そのルールがつまらないと思うのは個人の嗜好の問題だが、ルールに適応したスタイルをもつ選手を非難するのはお門違いだ。ルールに適応できるか否か、それもまたスポーツなのだから・・・・。




ブライアン・ジュベール Brian JOUBERT

私の友人(女性)にジュベールの大ファンがいる。
今季のGPシリーズでも彼が出ると出ないとでは観戦のモチベーションが天と地ほどにも違う。ジュベールが登場するとTVの前で両手を合わせて祈るし(何を祈っているのかは聞かないことにしている)、ジャンプする度に「ひゃっ」と歓声とも悲鳴ともつかない声を上げる。腰でもふろうものなら「きゃあ」と少女のような(マジか?)嬌声を上げて、しまいには白目をむき出して呪文ともうわ言とも判別つかないようなことをブツブツ言う始末だ(尿検でもさせるか^^;)。ジュベールは彼女のマイケル・ジャクソンなのだ。
そんな「猟奇的な彼女」だが、数多あるポップスターの中でもジュベールにご執心なのは、もちろんフィギュアスケートが好きだからだ。ゆえに、多少なりともフィギュアスケートの競技ルール、技術、採点方法について知っている。ただ、知識はあってもその知識に縛られずにジュベールのスケートそのものを楽しんで見ているところが彼女の美点だ。だから演技終了後にジュベールがガッツポーズをして笑顔を見せてくれるときに彼女の歓喜は頂点に達する。逆に、ジュベールが不満顔だったり、意気消沈してたりすると彼女も泣きそうになってしまう。
でもって、かなり前の話だが、ジュベールのどこが好きなのか彼女に訊いたことがある。
ちょっと憂いのある目(なるほど)、広い背中(背筋か?)、ユーモラスな仕草(?)、そして全体の雰囲気だそうだ。そのジュベールのスケートはどんな印象なのかと尋ねると、一言「セクスィー」(欧米か?)。もう少しいろいろ話してくれたとは思うが、当時のことで私が覚えているのはこれだけ。まあ、これだけでも十分で、要はひとつひとつの技術やプログラム云々ではなく、スケーターのパーソナリティが重要なのだろう。

バンクーバー五輪の頃、NHK-BSハイビジョンで『ミラクルボディ』というサイエンスドキュメンタリー番組を放送していた。シリーズ3回目の放送だったが、そのタイトルは「フィギュアスケート・4回転ジャンプ “0.7秒” の美しき支配者」。
番組ではジュベールの4回転ジャンプ(4T)にスポットが当てられていた。番組の趣旨は4回転ジャンプを運動力学的に解析すること。そのサンプルとしてジュベール(の4T)が起用されたという訳だが、番組のカメラは当然ジュベール個人やオフアイスにも向けられる。但し、ジュベールのオンアイス部分は4回転ジャンプだけにフォーカスされていて、彼のスケーターとしての他の魅力については触れていない。番組の趣旨は、ブライアン・ジュベールというスケーターの魅力を掘り下げることではなく、「4回転ジャンプを科学する」ことにあるので、ジャンプ以外のことに触れていないのは仕方がない。ただ、あまりジュベールのことを知らない、五輪の注目競技だから見てみようか(放送は五輪の時期)という程度の視聴者には「ジュベール=4回転ジャンプ」という単純な記号が摺り込まれてしまいそうで心配だった。同番組では髙橋大輔選手のクワッドも採り上げられていたが、髙橋選手の場合はジュベールほどには心配しなかった。日本国内では(当然だが)髙橋選手の演技を見る機会は遥かに多いし、髙橋選手の場合はクワッド以外のイメージも定着している(なんてったって「ステップ王子」だ^^;)。それに対して、ジュベールの場合は「クワッド・ジャンパー」のレッテルを貼られやすい環境が日本にはある。それをこの番組が助長しそうで危惧したのだ。
もっとも当の本人がクワッドには確固たる信念があるのはファンなら誰でも知っていることで、本人もそれを公言して憚らない。ただ、まずはスケーターとしてのジュベールがいて、その上でのクワッドなのだということが認知される機会がもっとあればいいのにと思ってしまった。

誤解を恐れずに、端的に言えば、ジュベールはチャンとは対極の位置にいるスケーターだろう。それについては無機的な言葉しか持たない私よりも、先ほどのジュベールマニアである友人の言葉の方が遥かに生き生きと解説してくれる。
彼女の言葉を要約して書く。先日のGP中国杯を一緒にTV観戦した後のことだ。

「ジュベールのスケートはまずジャンプかな。ジャンプはやっぱり見応えがある。特にクワッドは高さも回転速度もトリプルとは別格なのでとてもスリリング。ジャンプ、特にクワッドが決まれば演技全体がさらに生き生きしてくる。ジュベールのスケートはシンプル。分かりやすいの」

「ジャッジの評価は低いかもしれないけど、ステップもかっこいいし、私は好き。エッジはフラット気味で、あまりディープエッジという感じはしない。トランジションも工夫がなくただ移動しているように見えなくもない。(中国杯で優勝した)小塚君に比べるとスケーティングの密度みたいなものが薄いのは分かる。だからPCSもあまり上がらないんだろうなと思っている」

「でも恐らくジュベールもそれは分かってるでしょ。彼はルールに合わせるようなスケートをする気はないんじゃないかな。自分のスタイルが大事だと思ってるよ、きっと。そこがまた彼のいいところだし、もちろん私もそのスタイルが好き。試合では勝てなくてもね・・・・」


私は彼女と一緒にフィギュア観戦をするのがとても好きだ。




髙橋 大輔 Daisuke TAKAHASHI

彼は今や私にとって恩人である。髙橋選手は昨季、フィギュアスケートの理想像を身を持って示してくれた。フィギュアスケートの真髄を鮮やかに具現化してくれた恩人なのである。(もちろん、コーチや振付師への感謝も忘れてはならない)
彼の代名詞となったステップはもちろん、スピン、ジャンプ、MIF等のつなぎエレメンツ・・・・、力と美、闘争心と探究心、スポーツとアートの共存。私が彼のスケートに見たのは、そのどちらも減ずることなく高次元で融合した「パフォーミングアート」としてのフィギュアスケートだ。
それを実現させているのは「踊りたい」というパッションだろう。ここで言う「踊る」というのは単に「舞踏」という様式のことではない。肉体による感情表現と言ったほうが近いかもしれない。ゆえに、彼のジャンプ、スピン、ステップの一つひとつは言葉を持っている。観る者に語りかけてくるのだ。
単に技術的に難しいことをしているとか、上手だとか言うのではない。単に姿勢がきれいとか、所作が美しいというだけでもない。ワールドチャンピオンとなった彼の演技を「磨かれた技術の上に、観客と感情を一体化させる芸術」と評したのはトリノのTVキャスターだが、そのためには「すべての動作がテーマに合わせて音楽を追いかけている」ことが必要だ。もちろん、この境地を実現させるためには選手の技量とパフォーマンスだけでは不可能で、選手が音楽と一体となれるプログラムが欠かせないことは言うまでもない。

彼にとって昨季の心残りと言えば、やはりクワッドが成功していないということにあったのではないか。怪我の功名で膝の可動域が広がったために、逆にジャンプの踏切りのタイミングが微妙にずれて合わせるのに苦労していたと言う(膝が以前より曲がるので踏切りの感覚が変化したらしい)。クワッドさえ決まっていれば「パーフェクト」だった。もちろんクワッドが決まらなくてもあれだけの演技をしてくれたのだから私自身は何の不満もなかったのだが、そこは彼もアスリート。前はできていたこと(4T)が今はできていないというのは悔しいものだ。そういう意味でワールドでの4F(4回転フリップ)は異例の挑戦だったのかもしれない。同じ失敗でも一度も成功したことのない4Fであれば悔いはない。挑戦しての失敗なのだから、ということだったのかもしれない。もちろん、舞台裏では周到な計算もあったのかもしれない。ダウングレードされたとしても4Tより4Fの方が少しでも点を稼げるからだ。(DGされた場合の基礎点は、4Tが3T相当の4.0、4Fが3F相当の5.5、即ち1.5点お得。09/10シーズンの基礎点)

昨季は、SPとEXが宮本賢二さん、FPはパスカーレ・カメレンゴが髙橋選手のプログラムを作った。今季もFPは引き続きカメレンゴが担当するが、SPはシェイ・リーン・ボーン、EXは(ぬぁんと)ステファン・ランビエルという、共に元ワールドチャンピオンとのコラボレーション。昨季のプログラムで、ひとつの理想像に近づいたと思っていただけに、今季のプログラムはその延長線上、もしくは発展型になるのかなと勝手に予想していた。昨季を土台にしてクワッドを仕上げ、昨季果たせなかった「パーフェクトプログラム」を完成させる、それが今季の彼の方向性なのかなと勝手に予想していた。
ところが、今季の彼は見事に私の予想を裏切ってくれた、もちろんいい意味で。
それはSPにあった。そう「マンボ」だ(実際は3曲で構成したメドレー)。あの「ウーッ!」というブレイクがたまらない!国内で初披露されたのは8月の"Friends On Ice"(FOI)だったが、私はもちろん会場全体がその瞬間爆笑した。爆笑と言ってもおかしくて笑ったというよりも、歓声を上げるような爆笑だったのだ。直後に周りを見渡してみたら誰もが幸せそうな顔をしていた。うれしくて仕方ないというような笑顔がはじけていた。昨季の『Eye』や『道』で見せてくれた胸が締め付けられるような、熱い感情がこみ上げてくるようなものとは違う。コンペティションという緊張感を忘れさせてくれるほどに観客を幸せな気持ちにさせてくれるような、とにかく終始笑顔を抑えきれないハイな感情に押し上げてくれるプログラムだ。氷上の髙橋選手は「滑る」というよりも「踊る」という表現のほうが適切で、2分50秒の間ひたすら踊っていると言っていい。イタリアの某キャスターは「見ていてこちらも踊りだしてしまった」と絶賛していたが、さすがラテンの血は素直だ。しかし、本当に舌を巻くべきは髙橋選手。彼は海外のプレスから「日本人の君がなぜマンボを踊れるのか?」と驚きと敬意をもって質問されたというから、彼の踊りは本物なのだ。
彼は間違いなく当代一の「踊るスケーター」なのだ。(なんかどこかのTVドラマのタイトルみたいだが^^;)

チャンもジュベールも「スポーツフィギュア」に軸足を置いているスケーターだ。ただ軸足は同じピッチに置いているかもしれないが、視線は同じ方向を見ていない。チャンは360度全方位に視線を向けているのに対して、ジュベールの視線は1点に定まっている。実際は1点のみということはないだろうが、ジュベールは全方位というよりも特定の方向に絞っているだろう。ジュベールには哲学があるからだ。
では、髙橋選手はどうか。彼は「スポーツ」だけに軸足を置いていない。同時にアートにも軸足を置いているように思う。或いは、スポーツとしてのフィギュアスケートを意識していても、自らの内なるパッションがスポーツに留まることを許さず、自然とアートの領域に入り込んでしまうと言った方が相応しいかもしれない。彼の今季の「マンボ」は教えられたことを忠実に滑っているというスケートではない。滑っているうちに踊り出しているような、そんな “natural born dancer” が彼の本質だ。
スポーツに留まらない彼のスケートは「パフォーミングアート」と言ってもいいのではないだろうか。
この匂いを漂わせている他のスケーターと言えば、すぐに思い出されるのはランビエルか。今季の髙橋選手のEX『アメリ』はそのランビエルの振付けだ。髙橋選手が「憧れのスケーター」と公言するランビエルとのコラボレーションは、お互いの鼓動が共鳴して生まれたのかもしれない。




浅田 真央 Mao ASADA

私は何も心配していない。
完治が難しい怪我や疾病を抱えているわけではない。経済的、或いは政治的な事情で競技活動に支障を来たしているというわけでもない。私生活でトラブルを抱えていて競技生活に集中できないという話も聞かない。彼女が今、トップコンディションの状態にいないのは、純粋にスポーツ的な事情に因るものだ。しかもそれは誰かから強制されたわけでもない、自ら望んで掲げた「技術的な目標」だ。
何も心配は要らない。騒いでいるのは事実を直視、理解していない外野の人間だ。

浅田選手の今季はオフシーズンから話題沸騰だった。オフシーズンにもメディアを賑わせるところが彼女のバリューを示している。そのバリューを裏付けるのは彼女をサポートする圧倒的な支援体制だ。
スケート界史上最高のスポンサーマネーに支えられた活動資金の豊富さ(しかもJOC通しではなく直接契約)、競技活動に支障がないようにオフシーズンだけに限定・集中させてもらえるスポンサーの広告・プロモーション活動、慣れない海外生活を回避し国内に拠点を固定させた練習環境、苦手な外国語を使うことなく日本語で直接コミュニケーションできる日本人コーチの獲得、オフアイスのアスリート生活を科学的&組織的に支える専任スタッフの充実(スポンサーから派遣されるフィジカルトレーナー、栄養管理士等)、(高校時代から)出席・単位取得に極めて寛容的で競技に専念させてくれる学校側の特別な配慮、プライバシーを侵害しない節度あるメディアの取材・報道姿勢、不調時にも手の平を返すことなく復活を信じて静観に徹するメディアとファンの暖かい論調・・・・、数え上げれば切りがないほどの順境の数々。そして、その順境を無駄にすることなく、誠心誠意、スケートのことのみを考え、雑念を排し、掛け替えのない時間をすべてスケートに捧げる。
これだけの順境に甘んじることなく、ストイックに自分を追い込んでいくところが浅田選手の真骨頂だろう。しかも、他の選手なら「青春を犠牲にしてきた」とか、「私生活での逆境を乗り越えて」みたいな哀切感が漂うところだが、彼女の場合はそういうストーリーとは無縁の次元でこなしているように見えてしまうところは「超人的」ですらある。恐らく彼女にとってスケートはすべてであり、自分自身そのものであろう。スケートをすることが生活であり、生きること。だから「スケートで青春を犠牲にしている」ということは一瞬たりとも頭の片隅に浮かぶことすらないだろうし、スケートの内容で悩むことはあってもスケートをすること自体に悩んだことなどないのではないか。彼女の容貌、言動、(わずかに伝えられる)プライベート情報からはスケートに関係ないものは見えてこない。すべてがスケートに集約されている。

もちろん私が知る範囲でのことを言及したに過ぎないが、要するに彼女ほどすべてをスケートに集中させている選手はいないだろう、ということだ。それが彼女の強さの正体だ。ただ単に天賦の才に恵まれただけではない。優秀な指導者に出会っただけではない。スポンサー、メディア、ファンに恵まれただけではない。彼女は誰よりもスケートをしている。誰よりも氷の上に乗っている時間が長い。誰よりもスケートのことを考えている時間が長い。「スケートの虫」なのだ。だから私は何も心配していないのだ。彼女はまったくぶれていない。
彼女は純粋にスケートで悩んでいるだけだ。しかも技術的なことで。それも更に上を目指して、前向きに悩んでいるのだ。純粋にスケートだけに悩むことができるのは寧ろ幸せなことだろう。今、彼女が取組んでいるテーマは、誰から言われたわけでもなく、自ら発案、計画し、挑んでいるものだ。彼女は山中鹿之助なのだ。
唯一、懸念されたのは、コーチ選びに迷いがあったことであり、徒らに時間がかかったことくらいか。もっともそれも自ら選んだ道でもある。というのは、コーチ選びがスムースにいかなかったのは彼女が希望する人選の条件が極めて厳しいものだったからだ。
まず、チャンピオンメーカーであること、日本語で指導してくれること、練習拠点は日本国内であること・・・・、各種報道で伝わる人選条件の大要はこの3点だ。1番目の条件はまだいい。世界に目を向ければ選択肢は多い。他の2つ、「日本」という条件である。日本にいて日本語で指導してほしいとなると、それは必然的に日本人のコーチということになる。この条件が厳しいのだ。日本人コーチで「ワールドチャンピオンメーカー」と言えるのは3人だけだ。山田満知子氏(伊藤みどりさん)、佐藤信夫氏(佐藤有香さん)、長光歌子氏(髙橋大輔選手)の3人だ。もちろん、ジュニア時代に指導したことがあるとか範囲を広げればもう2-3人ほどいるだろうが、チャンピオンを直接生んだことがある日本人コーチはこの3人だけだ。
自ら注文した厳しい人選条件の下に、先に長久保裕氏と契約(ジャンプだけの指導?)した後に、開幕直前(9月)になって佐藤氏にスイッチした経緯と事情については週刊文春の報道以上のことは知りえていないが、ドタバタだったことは確かだろう。

これだけコーチ契約が二転三転した上で、ジャンプの「フォーム改造」に取組むというのは時間がかかって当たり前のことだ。
程度にもよるだろうが、一度身に付いたフォームを矯正するというのは相当難しいことは様々な方面からも言われている。その難しさはフィギュアスケートに限った話ではなく、他の競技でもよく言われている。野球にしても、ゴルフにしてもそうだが、フォーム改造がシーズンオフの数ヶ月で完了できたら奇跡的ですらある。1-2シーズン要して当たり前なのだ。中にはフォーム矯正がうまくいかず、かと言って後戻りもできず、そのままトップコンディションに戻らずに第一線を退いてしまった選手もいる。それくらい難しいことをやっているのだ。(私は「フォーム改造」というと、「逆C型」のダイナミックなスイングで一世を風靡したプロゴルファーのジョニー・ミラーをいつも思い出してしまう。彼はその代名詞的なフォームを改造しようとしたのだが、上手くいかず、第一線に返り咲くことはついになかった)

それでも私は心配していない。メディアが喧伝するような「スランプ」だとも思っていない。なぜなら「調子を崩して成績が低迷」しているのではなく、「練習中のコンディションのまま試合に出ている」ようなものだからだ。例えば、オフシーズンに試合に出場したらどうなるか、ということを想像してみよう。フィジカルもメンタルもトップコンディションにない時期に試合に出ても成績がついてくるわけがない。繰り返すが、浅田選手は今「練習中」なのだ。それも時間がかかる難しいことを練習しているのだ。私は、いっそのこと今季を休んでひたすら「練習」に当ててもいいとさえ思っている。もちろん一年間休んでいたらワールドスタンディングが下がって翌季以降のシード権に影響してしまうので、一年間の不出場というのは現実的ではないが、それくらい長期計画で臨む覚悟が必要だとは思う。
彼女の目標は2014年のソチ五輪ではなかったか。であれば、目先(今季)の全日本やワールドを目標にする必要はない。プログラムに無理に3Aを組み込むこともない。まずは新しいフォームを身に染み込ませること、新しいフォームでジャンプが自然と無意識に跳べるようになること、それを目標にすべきだろう。結果は自然とついてくるはずだ。今こそ、結果や順位を目標にすべきではない。浅田選手ほどの選手であれば、目先の結果にとらわれてほしくない。もっと先の高みを見据えて、自分が納得のいく理想のスケートを極めてほしい。そういう求道的で孤高の姿勢こそが浅田選手の真骨頂なのだから。
そういう意味では、「全日本がラストチャンス」とか、「全日本までに短期集中で合宿する」という言葉が彼女自身から出てきているという報道に接すると首を捻ってしまう。特定の記者が心配し過ぎているだけだと信じたい。

蛇足かもしれないが、ひとつだけ心配事というか不快に思うことがある。ロッテ「クランキー」の広告における浅田選手の扱われ方である。
ひどい。ひどすぎる。思わず「orz」を入れたくなるほどの出来の悪さだ。まずCMのセリフがひどい。

  「大人の真央を見せちゃうぞ」
  「なめんなよ!」

ひどい。ひどすぎる、ひどすぎて怒りを通り越して悲しくなる。どうして日本のTVCMというのはこうも「バラエティ的な演出」が多いのだろう。
まず、「大人の真央」はないだろう。「大人の」の後に「真央」はおかしい。大人と言うのは言葉遣いが大切だ。大人は自分のことを一人称で言うものだ。名前で言うのは子供だけだ。浅田選手は仮にも世界チャンピオン&五輪メダリストだ。その日本を代表するトップスケーターに「大人ぶった子供」みたいなセリフを言わせているのは大変失礼だと憤るのは私だけだろうか。
それから「なめんなよ!」というセリフもひどい。1974年の発売以来、定番チョコレートとして親しまれている長寿ブランド「クランキー」のCMで「なめんなよ」とはどういうことか。どうして浅田選手にこんな粗野なセリフを言わせるのだろう。彼女の容貌とのギャップが強調されて、いかにも「言わされている感」が強く、彼女が滑稽にしか見えない。ひどい、ひどすぎる orz
そして、トドメは同商品のグラフィック広告(雑誌広告、電車の窓ヨコ広告等)だ。わざと不快感を煽るように作ったのかと疑いたくなるほどの劣悪さだ。もっといい写真があるだろう。コマーシャルフォトというのは一般のスナップ撮影や記念撮影と違い、1ポーズにさえ何十枚というカットを撮影する。スタイリストだってメイクだってついている。土台が・・・・という言い訳は通用しない。それを「メイクアップ」するのがクリエイターの仕事だろう。撮影後に加工、修正だってできる。なのにあのカットはないだろう。
あの人を見下したような、上から目線のアングルで仕上げたカット、そして「なめんなよ」のコピー。ひどい、ひどすぎる orz

これらの広告を見てクランキーを食べたくなる人などいるのだろうか・・・・。
もちろん広告と言うのはマーケティングが目的で広告表現(出演者)はその手段でしかない。だから選手をどう扱おうがマーケティング効果が上がればそれでよし、ということは理解している。フィギュアスケートに興味がない消費者にとっては浅田選手のことなどどうでもよいかもしれないが、フィギュアスケートファンとしては例え広告の中であろうが選手の「見え方」というのは大変気になるのだ。


HM


浅田選手には焦らないでほしいと思う。(もちろん佐藤コーチにも)
今季の彼女のFPはリストのピアノ曲『愛の夢』だ。3シーズンぶりにローリー・ニコルが作ったプログラムだ。ローリーは浅田選手の魅力を引き出すのがうまい。浅田選手ほどピアノが似合う選手はいない。それも放課後の音楽教室から聞こえてくるような、誰もが一度は聞いたことがあるようなスタンダードな独奏曲が似合う。ローリーにはそのことがよく分かっているのだろう。
この2シーズンは浅田選手にとってはチャレンジングな曲が与えられてきたと私は感じていた。それは彼女の演技の幅を広げるためには必要なことだったのだろうが、「似合っている」或いは「自分のものにした」とはどうしても思えなかった。正直に言えば、五輪シーズンとなった昨季では彼女の真骨頂を示す「鉄板プログラム」で滑る姿を見たかった。
今季の『愛の夢』は遅れてやってきた鉄板だ。『愛の夢』でバンクーバーを滑っていたら彼女のメダルの色は違うものになっていたのではないかとさえ幻想してしまうほどだ。それくらい『愛の夢』は浅田選手との相性の良さを直感した。
私は今でも彼女のベストプログラムは06/07シーズンのSP『ノクターン』だと思っている。放課後に音楽教室から聞こえてくるピアノの練習曲・・・・、そんな誰もが持っているような子供のときの記憶。それが『ノクターン』には散りばめられている。その『ノクターン』に迫る名プログラムに仕上がるポテンシャルを『愛の夢』は持っていると直感したのだ。
但し、(極論すると)『愛の夢』にはジャンプは要らない。少なくとも3Aを無理に入れる必要は感じない。2Aで十分だと思っている。流れるようなスケーティングとシルエットのきれいなスピン、軽やかなステップがよく合う。ジャンプは「流れ」がきれいなものに限る。3Aは彼女の代名詞となっているが、彼女の本当の武器は流れるようなスケーティングにあるのではないか。今季、ジャンプが決まらずTESが伸びなくてもPCSは常に7点台をマークしていた。それを支えていたのがスケーティングだ。このスケーティングが生きるプログラム、それが『愛の夢』なのだ。
今季、『愛の夢』は完成しないのかもしれない。もし、そうなったとしても、いつの日か本当に大人になった浅田選手に『愛の夢』を滑ってほしいと思う。
人は遠回りするほど成長する。『愛の夢』は急いではいけない。愛は急ぐと夢に終わる。





カロリーナ・コストナー Carolina KOSTNER
アリッサ・シズニー Alissa CZISNY
安藤 美姫 Miki ANDO

失礼なことを承知で書くが、私は昨季が終わった後、この3人の演技を再び競技会で同時に見ることができるとは思っていなかった。
まず、なぜこの3人なのかという問いに対して答える必要があるだろう。ヒントは3人の誕生日にある。

  カロリーナ・コストナー 1987年2月8日
  アリッサ・シズニー 1987年6月25日
  安藤 美姫 1987年12月18日

正確に言うと誕生日ではなく「誕生年」がヒントだ。そう。この3人は「華の87年トリオ」なのだ(華=ハナ、87=ハナの語呂合わせ^^;)。
同じ87年生まれの3人はこの世界ではいわば「同世代」だ。同世代というのは、ジュニアデビュー、シニアデビュー等々の数々のイベントを共有する。しかも国際大会で度々顔を合わせてきたとなると「戦友」みたいな感覚をお互いに持っているようだ(時節柄「戦友」はちとキナ臭いか^^;)。戦友というか仲間意識みたいな感覚はやはり世代が近い選手同士に特有なものらしく、例えば、太田由希奈さん(86/11/26生)は現役時代のインタビューで「美姫ちゃんとはいつも(試合が)一緒なので会うのが楽しい」と言っていたし、その安藤選手は自著でジョアニー・ロシェット(86/1/13生)とは「長い付き合い」と書いている。
この世代は採点方式の変革期とシニア移行期が重なった(ほとんど)最初で最後の世代でもある。ジュニア時代を旧方式で戦い、シニア移行後は新方式で戦う羽目になった世代だ(つまりシニアデビューが2004年頃)。特にこの世代のトップランナーだったこの3人は、当然シニアデビューも他の同世代選手よりも早かったため(コストナーが15歳、安藤選手が16歳、シズニーは17歳でシニアデビュー)、女子選手特有の「体形変化時期」とも重なってしまった。つまり、ルール大改革、シニアデビュー、体形変化という難しい時期が3つとも重なってしまったのだが、自身の早熟さが寧ろ仇となったと言ったらこの3人には失礼か。早熟な女子選手であれば、シニアデビューと体形変化の時期が重なるのは間々あることだが、さらにルール改革時期まで重なったのはこの世代だけだ。シニア移行に当たってはこの3人が、90年以降に生まれた世代よりも人一倍苦労したことは想像に難くない。

同時代を共に戦ってきた戦友は、バンクーバーを境にそれぞれの道を歩むのではないかと思っていた。安藤選手は2回目となる五輪を集大成と捉え、昨季を「節目」と考えていることを示唆していた。個人的にはもったいないなとは思いつつも、それはまた十分理解できることでもあった。コストナーは失意のバンクーバーの後、母国で相当バッシングに会ったようで心配されたが、地元トリノで開催されたワールドで挽回し「ケジメ」をつけた。そして、2009年に全米を初制覇したシズニーが最も心配だった。練習環境が不安定で、その不安定さがそのまま成績にも表れていたから。前年の全米チャンピオンが五輪出場を賭けた全米2010で10位と敗退し、五輪行きのチケットを獲り損ねたときには彼女も「区切り」をつけるかもしれないと恐れていた。
それが、今季、3人ともいい意味で裏切ってくれた。
今季も現役を続行してくれただけでも感謝の気持ちで胸がいっぱいになるのだが、この3人は私の思考を遥かに超えてみせてくれた。今季のGPシリーズで優勝、3人が揃ってファイナルに顔を揃えてくれたのだ。


ISU Grand Prix of Figure Skating 2010/2011 Standings

 順位 選手名 ポイント合計(内訳) ISUスコア合計(内訳)
1位 安藤美姫 30点(1位15点+1位15点) 346.68(172.21+174.47)
2位 アリッサ・シズニー 26点(1位15点+3位11点) 332.17(172.37+159.80)
3位 カロリーナ・コストナー 26点(1位15点+3位11点) 319.48(164.61+154.87)
4位 村上佳菜子 26点(3位11点+1位15点) 315.09(150.16+164.93)
5位 鈴木明子 26点(2位13点+2位13点) 335.60(162.86+172.74)
6位 レイチェル・フラット 26点(2位13点+2位13点) 323.90(161.04+162.86)


今季のGPファイナルに出場する6名の内、ぬあんと、ランキング上位3人が「華の87年トリオ」だ。
五輪シーズンが終わり、各カテゴリーのチャンピオン、五輪メダリストが揃って引退、休養を宣言したこともあって、「次世代のシーズン」がスタートすると思っていた今シーズン。まさか、87年トリオが今季のGPファイナルで再会するとは思ってもいなかった。
「再会」と書いたが、実はこの3人が揃ってGPファイナルに出場するのは初めてのこと。つまり今回が初顔合わせとなる。ファイナル出場は安藤選手こそ今回で通算6回目となるが、コストナーは3回目でシズニーは2回目だ。


「初顔合わせ」と書いたばかりで恐縮だが、実はこの3人は過去に一度だけ「GPファイナル」で顔を合わせる。但し、それは8年前のファイナル、ジュニアGPファイナルのことだった。そう。安藤選手が女子で世界初(ISU初公認)のクワッド(4S)を成功させた、あの2002年ジュニアGPファイナルだ。少しだけ当時を振り返ろう。


ISU Junior Grand Prix of Figure Skating 2002/2003 Final

 総合順位/選手/国/総合得点* (SP、FSの成績内訳)
1位 太田由希奈 JPN 2.5 (SP3位=1.5、FS1位=1.0)
2位 カロリーナ・コストナー ITA 4.0 (SP2位=1.0、FS3位=3.0)
3位 安藤美姫 JPN 4.5 (SP5位=2.5、FS2位=2.0)
4位 ベアトリーサ・リャン USA 4.5 (SP1位=0.5、FS4位=4.0)
5位 アリッサ・シズニー USA 7.0 (SP4位=2.0、FS5位=5.0)
6位 リナ・ヨハンソン SWE 10.0 (SP8位=4.0、FS6位=6.0)
7位 シーニュ・ロンカ CAN 10.0 (SP6位=3.0、FS7位=7.0)
8位 アドリアーナ・ド・サンクティス USA 11.5 (SP7位=3.5、FS8位=8.0)
9位 ジョエル・バスティアン** NED 13.5 (SP9位=4.5、FS9位=9.0)
 *得点は旧採点方式。SP+FSの合計順位点で総合順位決定(順位点:SPは順位の0.5倍、FSは1.0倍)
 **通常、JGPFのエントリーは8名。バスティアンはホスト国(オランダ)のワイルドカード枠で出場。


太田さんはこのシーズンに世界ジュニアも制し、ファイナルとの二冠を手土産に翌03/04シーズンからはシニアへ移行したことは、彼女のファンであれば懐かしくも誇らしい記憶として刻まれているはずだ。ちなみに、02/03シーズンの世界ジュニアでは安藤選手が2位、コストナーが3位となり、コストナーは87年トリオの中では一足早く、03/04からシニア移行をしている。
参考までに他の選手の誕生日を記す。リャン:1988/3/31、ヨハンソン:88/9/26、ロンカ:88/4/23、ド・サンクティス:88/6/18 (バスティアンは手元資料なし)。あなたは太田さんと87年組以外では誰を知っているだろうか。「ベベ」の愛称で知られた中国系アメリカンのリャンくらいではないだろうか。その彼女も今春引退を表明。他の4選手に至ってはこの大会後の競技生活がどうなっているか私も知らない。
太田さんやリャンが引退した中、この世代で今季も第一線で活躍している選手は「華の87年トリオ」だけと言ってもいいだろう。 

時計を戻そう。
ご存知のように、全6戦あるシリーズの各大会はエントリー選手がバラバラなので、組合せに恵まれれば優勝することは先述の87年トリオの実力をもってすれば難しいことではないかもしれない。しかし、ファイナルとなれば「組合せの運」は通用しない。ファイナルは各大会のウィナーが集う「グランドチャンピオン大会」になるからだ。したがって、ファイナルでもこの3人が先述のシリーズランキング順のままリザルトを残すとは思えない。それでも「華の87年トリオ」の初顔合わせとなった今季のGPファイナルは、時を巡り、紆余曲折を経て、所を変えて再会した「同窓会」のようで感慨深い。
ガールからレディーになって、色褪せることなく深みを増したこの3人が一同に会するとあって、今季のGPファイナルはここ数年には失われていた「大人の香り」を漂わせている。その香りに誘われて、これまた例年になく心安らかにリラックスしている私がいる。





ニコライ・モロゾフ Nikolai Morozov

前項で安藤選手に触れたので、今回のエントリーの最後にモロゾフ・コーチと彼の仕事ぶりについて書こうと思う。文章を分かりやすく書くために安藤選手を事例として取り上げることを、特に安藤選手のファンの方にはお許しいただきたい。モロゾフ・コーチの仕事はやはり安藤選手を抜きには語れない。いや、彼女のために作ったプログラムが彼の仕事振りを象徴していると言ったほうが適切か。本項では安藤選手のプログラムを通じて、モロゾフ・コーチの仕事ぶりについて書く。
いきなりショッキングなことを書くが、それはいつもの私の常套手段だということを思い出してほしい。

安藤選手はモロゾフに師事している限りは、過去の競技成績を上回ることはもはやないだろう。

もう少し正確に言うと、モロゾフの作るプログラムではパーソナルベストを更新することは相当に難しい。付け加えると、ルールとジャッジ基準が大幅に改訂されない限りは不可能に近いと言っていいだろう。ここで、私からいきなり喧嘩を売られたと感じた安藤選手のファンがいるとすれば、そのファンは自分に嘘をついている人か、事実から逃げようとしている人だ。

もちろんパーフェクトなコーチというのはいないし、選手との相性というのもある。モロゾフにも一長一短があるのは当然だ。
彼は「ポテンシャルを発揮できずに迷いがある選手」や「自分のスケートに自信がなく、自分の良さに気づいていない選手」を指導することには長けている。換言すると、「選手の現在の力を見極め、それを存分に発揮させる」指導が彼の真骨頂だ。ゆえに、トリノ五輪後に自分を見失っていた安藤選手を復活させたのは間違いなく彼の功績だ。織田選手や村主選手、村上大介選手、アダム・リッポンなどへの指導も最初のうちはいい。最初の1年目は確かに彼らは力を出していたように見える。しかし、それは彼らが本来持っていた力を引き出してあげたのであって、彼らに新しい力を与えたのではない。彼らにモチベーションを与え、覚醒させたのだ。もちろんそれはそれで十分な功績だ。全体的な方向を定め、トレーニング全般を監督する総合コーチとしてはいいのだと思う。

問題は彼のパーソナリティと、それに起因するクリエイティビティにある。

まず、パーソナリティがエキセントリックすぎる。業界内に敵を作りすぎる。自信家で野心家であることは一見美徳のように思う人もいるかもしれないが、現場のコーチとしてはそのパーソナリティは不適格だろう。彼は選手の黒子になれない。選手よりも目立ってしまうというのはコーチには適さない。主役は選手であるべきなのに、彼は選手以上に自分を目立たせることに関心がある。選手やメディアを使ってセルフプロモーションをしているコーチなど彼以外に見たことがない。私はコーチや指導者は「無私」であるべきだと思う。哲学を持っているのはいい。独自の指導論も必要だろう。しかし、それはすべて選手のために発揮されるべきで、自身のキャリアアップのために使うのはいかがなものか。
まあ、それも一万歩譲ってよしとしようか。
問題はこういうパーソナリティの人は常に好戦的で、人の上に立とうとし、自分が他者よりも優れているということを訴えようとする行動を自分で制御できないことにある。で、どうなるか。自分に自信があり、他者よりも優れていると妄信しているので、他者の助言に耳を傾けない。他者に学ぼうとしない。助言に対する態度は常に好戦的だ。自分が抱える選手に不利に働くかもしれないのに、公然と協会批判も行なう。これは単なるパフォーマンス、メディアへのリップサービスに過ぎない。本当に協会の姿勢や行動を改善したいのであればメディア上で論戦を張るのではなく、きちんと協会と一緒に仕事をしなければ実現しない。口先だけではダメなのだ。口先だけなのは本気でないことの証拠だ。

このような彼のパーソナリティは、クリエイティビティにも悪影響を及ぼす。
彼のようなパフォーマンスをする人は自分自身が成長しない。コーチが成長しないとどうなるかと言うと、指導がすぐ限界に達する。彼のように振付けを兼務している場合は、アイデアのネタがあっという間に尽きる。引き出しがなくなってしまう。彼がコーチとして脚光を浴び始めた頃に注目された「モロゾフ・ステップ」はもうカビが生えている。ワンパターンだし、現在の採点方式では評価が低い。ジャッジ基準が新しくなり、彼の振付けのスタイルは、現在のトレンドに逆行している。かれはそのことに気づいていないか、気づいていたとしても無策なのか、或いは自己陶酔して改善する気がないかのいずれかだ。

彼のクリエイティビティの低さはプログラムに表れる。昨季の安藤選手のプログラム『レクイエム』で説明しよう。

モロゾフの作る競技用プログラムには採点上不利に働く構造的な欠陥がある。その欠陥はモロゾフの癖、好みとも言うべきもので、恐らく彼のパーソナリティはそれを修正しないだろう。その欠陥とは「何も滑っていなくてマイムだけやっている時間」が長く、しかも数箇所ある、ということだ。これは恐らく、彼がプログラムの楽曲を「パッチワーク」式に編集するのが好きだから、ということにも起因するのだと思われる。彼の個人ネットワークにそういう楽曲の編集を得意にしている人がいるらしく、楽曲と編集に関する彼のアイデアソースはほとんどそのスタッフからのものだ。
モロゾフのプログラムは一言で言うと「ツギハギ」なのだ。途中途中でブツブツ流れが切れる。「流れが切れる」というのはPCSにおいて非常に不利なプログラムだと言わざるをえない。今のISUジャッジのトレンドは明らかに「流れが途切れずに滑り続けるスケート」を理想としている。
EXのようなショープログラムでは問題ない。「つぎはぎ」が演出効果にさえなることがあるからだ(だからEXではモロゾフのプログラムが良く見える!)
昨季、『レクイエム』のEXバージョンを私は絶賛したが、一方でSPバージョンについては酷評した。競技用にアレンジしたためにSPバージョンは、ツギハギだらけのパッチワークプログラムに変わり果てたからだ。あれではPCSは絶対に8点以上は望むべくもない。7点台が関の山だ。PCSが8点台に上がらないと、安藤選手はパーソナルベストを更新できない。FPの『クレオパトラ』も同様。両プログラムとも楽曲のテーマの着想は良かったのだが、実際のプログラム作り、振付けがダメなのだ。PCSでスケーターが頑張って上げられるのはSSとPEくらい。TR、CH、INはプログラムと振付けが対応していないと上げようがない。今季、彼が指導するフェルナンデスやアモディオのプログラムでも同じような「構造的欠陥」が相変わらず見られる。しかもモロゾフはそのプログラムを「傑作」だと自慢しているというから、修正する気がないのは明白だ。かなり自信をもって言えるが、あのプログラムのままではフェルナンデスもアモディオもPCSは7点どまり。下手すると6点台だ。

昨季の安藤選手は、プログラムをどんなにクリーンに滑っても得点(特にPCS)が伸び悩むことがしばしば見られた(特にGPF、五輪、ワールド)。これは安藤選手の演技に問題があったというよりも、モロゾフの振付けに問題があったと考えると合点がいく。『レクイエム』も『クレオパトラ』も、楽曲のアイデアや所々の振付けは見応えがあるし、安藤選手自身のパフォーマンスも十分だった。ところがプログラムを通して見たとき「流れ」が数箇所切れてしまっていた。これは楽曲をパッチワーク編集し、そのツナギ目に5秒前後の長いマイムを入れて、流れを切ってしまうというプログラムの構造が災いしていたのである。安藤選手がどんなに情感を込めて演技しても、プログラムの構造的欠陥までは変えられない。昨季の安藤選手がノーミスで滑っても点数が伸び悩んだ一因はここにあったと私は見ている。
モロゾフ自身が改心しない限り、彼の作るプログラムではもう高得点は期待できないのだ。(『クレオパトラ』の原案はリー・アン・ミラーだが、モロゾフが改編し振付け指導したので、同プログラムも実質的にはモロゾフ作)

選手にとってコーチは「選択肢」であるべきだ。自身が成長、向上するための最適な手段の一つとしてコーチが選択されるべきだ。コーチを「目的」にしてはいけない。先にコーチありきで、コーチを決めてから自分の方向性を決めるのは本末転倒だ。自分の方向性に合ったコーチを探して契約すべきだ。ジュニア以下の「自分の良さを探している途中」の選手であれば、コーチを先に決めて、そのコーチに導かれていくのはいい。しかし世界チャンピオンにもなったほどのスケーターがそのようなコーチ選びをするのはいかがなものか。安藤選手は、自分が自分の限界を作っていることに気づくべきだ。コーチ、少なくとも振付師をスイッチしないと安藤選手はこれ以上(少なくとも)競技成績は上がらないだろう。
実は、安藤選手とリード姉弟はバンクーバー後に複数のISU関係者からコーチ変更を助言されたという。「更に上を目指したいのであればコーチを変えたほうがいい」と助言されたというのだ。それは不思議なことではない。それを裏付けるようなことが実際に起きているからだ。皮肉なことに、髙橋選手、織田選手、アダム・リッポンはモロゾフを離れてからまた成長している。コーチ選択とはかくあるべし、という好例だろう。ゆえに、先日、モロゾフとの訣別が決まったリード姉弟はこれからが楽しみというものだ。(リード姉弟のモロゾフ訣別が表立って報道されていないのはなぜだろう。海外はともかく国内ではニュースになるべきだと思うのだが・・・・)

コーチにもいろいろと持ち味がある。モロゾフにも彼ならではの持ち味がある。彼は、自分を見失っている選手のモチベーションを上げて、自信を取り戻してあげる「再生屋」としては優秀だ。自分を全能のコーチだと驕ってはいけない。





Epilogue:

先日、ひょんなことがきっかけで、普段は接する機会すらないだろうと思われる「若者の歌」を聴いた。
「神聖かまってちゃん」というバンドの『ロックンロールは鳴り止まないっ』というやつだ。
聞き流す程度に聴くと、よくある「多感な十代の青春パンクロック」という風に聴こえなくもないが、どうしてどうしてよく出来ている。歌詞とサウンドが「普遍性」とか「原風景」というコンセプトに集約されていて、今、正に十代という原野で叫んでいる者、既に原野から生還し叫びを記憶の中にしまいこんだ者、そのどちらの心にも響く「生まれながらの名曲」だ。
ビートルズとセックスピストルズを同列に並べて歌ってしまうところに青春の勢いがあり、さらにイントロから全編を通して貫かれているキーボードのフレーズは正に「放課後の音楽教室」だ。
皆帰って誰もいなくなったはずの音楽教室から聞こえてくる寂しげなピアノの音が、ロックの原体験という光景を通して、聴く者の脳裏にそれぞれの「原風景」を甦らせる。
この歌は「プライマリー・スクリーム」なのだ。



ロックンロールは鳴り止まないっ
 作詞:の子  作曲:の子  演奏:神聖かまってちゃん

昨日の夜 駅前TSUTAYAさんで
僕はビートルズを借りた セックスピストルズを借りた
「ロックンロール」というやつだ
しかし 何がいいんだか全然分かりません

夕暮れ時 部活の帰り道で
またもビートルズを聞いた セックスピストルズを聞いた
何かが以前と違うんだ
MD取っても イヤホン取っても
なんでだ 全然鳴り止まねぇっ

今も遠くで聞こえる あの時の あの曲がさ
遠くで 近くで すぐ傍で 叫んでいる
遠くで見てくれ あの時の僕のまま
初めて気がついたあの時の衝撃を
僕に いつまでも いつまでもくれよ もっと もっとくれよ

遠くにいる君目がけて吐き出すんだ
遠くで 近くで すぐ傍で 叫んでやる
最近の曲なんか もう ク ソ みたいな曲だらけさ
なんて事を君は言う いつの時代でも

だから僕は今すぐ 今すぐ 叫ぶよ
君に今すぐ 今 僕のギター鳴らしてやる
君が今すぐ 今 曲の意味分からずとも

鳴らす今 鳴らす時
ロックンロールは鳴り止まないっ



誰にでも原風景はある。
あなたのフィギュアスケート体験にも原風景があるはずだ。フィギュア歴の日が浅い人は今、その原風景の只中にいる。月日が流れて、応援していた選手が去り、新しい選手が現れ、リンクに映る光景が移ろい行くとき、あなたは自分の原風景を思い出すだろうか。

私にも原風景がある。
その原風景は誰にも取って代わることはないし、私も原風景の再現を求めて今の時代を生きているわけでもない。しかし、どんなに時代が変わろうとも原風景にあった輝きは今も色褪せない。

選手が変わり、ルールが変わり、スケートの楽しみ方が変わろうとも、選手が滑り、選手に声援を送るファンがいる時、

フィギュアスケートは止まらないっ


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2010年11月08日

フィギュアスケートは止まらないっ (2) ~ 10/11シーズンの雲行き

Part 2 : ルール改訂の功罪 (つづき)


前回の Part 2 で書き忘れたことがあったので追記。


◆評価が分かれるところ

3. GOEのグレード(点差)が変更
GOEの加減の幅が変更されて、全体的には整備されて、シンプルになったと評価できる。シンプルになったとは言っても、事務的・機械的に整備されたのではなく、きちんと難易度に則してGOEの幅も変化させていて、実用性を増したように思う。
ジャンプのGOEが顕著だ。

【09/10まで】
トリプルジャンプのGOE加点: +3/+2/+1 = +3.0/+2.0/+1.0
トリプルジャンプのGOE減点*: -3/-2/-1 = -3.0/-2.0/-1.0
クワッドジャンプのGOE加点: +3/+2/+1 = +3.0/+2.0/+1.0
クワッドジャンプのGOE減点: -3/-2/-1 = -4.8/-3.2/-1.6
 *3A除く

【10/11から】
トリプルジャンプのGOE加点: +3/+2/+1 = +2.1/+1.4/+0.7
トリプルジャンプのGOE減点: -3/-2/-1 = -2.1/-1.4/-0.7
クワッドジャンプのGOE加点*: +3/+2/+1 = +3.0/+2.0/+1.0
クワッドジャンプのGOE減点*: -3/-2/-1 = -3.0/-2.0/-1.0
 *4A除く

昨季までのGOEの問題点は、クワッドに限ってGOEが厳しいということだった。クワッドのGOE加点幅はトリプルと同価値しかないと見なされ、一方で減点幅はトリプルよりも大きくなっていた(1.6倍!)。即ち、クワッドはうまくいってもトリプル並みにしか評価されず、ヘタこくとトリプルの1.6倍もしっぺ返しが来た。「ハイリスク・ローリターン」のGOEだった。これでは「クワッド回避」の選手が増えても仕方なかった。
それでも結果を顧みずクワッドを跳び続けた選手の熱意が奏功したのか、今季からは難易度に見合ったGOEに改められた。クワッドのGOE加点幅はそのままに、クワッドの減点幅、トリプルの加点/減点幅が各々下げられた。これは評価できる。

しかし更に踏み込んで、ジャンプのGOEもスピンやステップのそれのように、減点は加点の6割くらいに留める、となっていなかったのが残念。
加点は「ご褒美」だ。ご褒美はモチベーションが上がる。減点は「お仕置き」だ。お仕置きが待っていると臆病になる。飴と鞭の使い分けは必要だろうが、「抑制」ではなく「向上」を目指すのであれば、飴よりも鞭の割合が少ないほうが良いのではないだろうか。
ジャンプも他の要素と同様、減点を加点の6割程度に抑えた方が選手のモチベーションアップの一助になるのではないか。だいいちその方が他の要素と足並みが揃ってシンプルで分かりやすい。
これは次回の改訂に持ち越しか。




Part 3 : 採点競技の覚悟と心得

Part 1、2の続編とも言えるが、トリノ五輪以降の、即ち「フィギュア・バブル」以降の、特にこの1-2年間で気になったことをこの機会にまとめて書いておこう。いつの日か、今日の日本のフィギュアバブルを支えたスター選手が揃ってリンクを去り、口角泡を飛ばしてわめき散らしていたTVキャスターが失業し、ジャーナリスト気取りのライターの公私混同の記事が色褪せ、見るも不快な言葉の羅列がネットから雲散霧消した頃、そんな穏やかな日常がいつか戻ってきたとき、この1-2年で起きたことをそっと微笑んで振り返られるように・・・・

すべてはCOP(Code of points)、即ち新採点方式から始まったことだ。

COPが今の事態を招いた。要するに、最終的な得点と順位が演技の印象と一致しないことだろう、「新時代の人々」の不満は。
結論から先に言うと、その「不一致感」は永遠になくならない。採点競技の宿命だ。同じ採点競技でも体操競技のように極端に演技を定型化し、技術評価に特化した採点であれば、得点と演技の印象は今よりもだいぶ近づくだろう。それは、体操競技における演技の自由度に関係する。体操競技の自由度はフィギュアスケートのそれに比べると無きに等しい。
それに対してフィギュアスケートの演技の自由度は広く、評価対象要素も多岐に亘る。技の組合せはもちろん、技術要素以外の演技も採点対象になっている。誤解を覚悟の上で言うと、フィギュアスケートの競技会は、他のスポーツの「試合」よりも寧ろバレエコンクールのような「コンテスト」に近いと言っていい(広義ではコンテストも試合だが)。
そう断言する根拠は2つある。ひとつは演技の際に音楽を使うことであり、もうひとつはその音楽をバックに技術と振付けを自在に組合わせた「プログラム」で滑るということである。もし、この音楽とプログラムがなければ、フィギュアスケートもかなり体操競技に近くなり、「技術で競われるスポーツ」として得点と見た目の印象が今より遥かに近づくだろう。

音楽とプログラムがなくなれば、各技術要素は各々単独で実施され、評価を付けることが可能になる。

例えば、ジャンプは全種類を別々に跳んで採点する。1ジャンプ×2回跳んで、良い出来の方の試技が得点集計される。体操競技の跳馬を連想しよう。あのやり方はフィギュアの技術採点でも物理的には可能だろう。純粋に技の出来が得点化される。そこに表現(=主観の印象)は入り込まない。
スピンでも同じことができる。例えば、リンク上に直径30cmと60cmの同心円を描く。この円の中で選手は指定のスピンをする。60cmの円の中でスピンが収まれば減点なし。30cmの円の中でスピンが収まれば「軸がきれい」ということで加点。60cmの円をはみ出すとトラベリングと判定、減点。スピンの回転数も正確に測れるし、姿勢の判定も容易。さらにストップウォッチで1秒間に何回転したかを計測すれば「回転速度」も評価できる。こうして評価要素を機械的に判定できるようにすれば、技術評価は得点と印象が一致する。
ついでだ。ステップのことも書いてみようか。
ステップシークエンスは、例えば40-50mのストレートラインラインを設定し、そこに指定のステップやターン(シャッセ、チョクトー、ツイズル、カウンター等々)を組合わせて試技。制限時間も設定。指定要素がどの程度入っているか、制限時間内か超過か(演技が速いか遅いか)、等々で加点、減点・・・・。

これらすべての要素の得点を合計して、最終得点とし、順位を決定する。なんだったらジャンプ、スピン、ステップを種目別競技として個別に順位決定、表彰することさえ可能になる。つまり、個人総合優勝、種目別ジャンプ優勝、種目別スピン優勝・・・・、体操競技と同じ方法で採点、評価することはフィギュアスケートでも不可能ではない。

ここまで読んでオールドファンの方であればお気づきかと思うが、実は、かつて(20年くらい前?)フィギュアスケート(シングル)にもこういう方法で採点する種目があった。「コンパルソリー」である。リンクに描かれた課題図形をエッジでトレースし、その正確さを競う種目だ。
かつてフィギュアスケートではこの「図形を描く技術」を競うコンパルソリーが競技種目として採用されていただけではなく、SP、FSよりも重視されていた(配点が最も高かった)。それが「より自由な演技」が重視されるようになってきたのは、五輪のTV中継の普及と無関係ではない。「TV受け」するショーアップが求められるようになったのだ。
コンパルソリーを実際に会場で見たことある人は限られるだろうけど、あれは観戦していても面白くも何ともない競技だ。練習着(コスチュームではない)を着て黙々と図形を描いていく選手、その周囲をジャッジが採点表を手に囲み、「一寸のズレも見逃すものか」と鬼のような形相で凝視する。会場には音楽が流れるわけでもなく、選手のエッジ音だけが無機的に聞こえるだけ。拍手や歓声もない。スタオベなんかあるはずもない。息を呑む沈黙、安堵の息遣い、或いは落胆の溜息、そして得点アナウンス、次の選手のコールがあるだけ。観客席もまばら。選手の関係者、家族、せいぜい友人くらいしかいない。ファンなんか見に来ない。どちらかというSPやFSが「本番」であって、コンパルソリーは「予選の抽選会」みたいに考えている人がほとんどで、見に来る人なんか滅多にいない。
こんな種目をTVが放送したって誰も見やしない。チケットを売ったところで誰も見に来ない。そうしてコンパルソリーはフィギュアスケートの競技会からなくなった。今は練習に取り入れたり、バッジテストに残っているくらいだろうか。一般に見る機会はまったく失われた。

これがコンパルソリーの私の記憶だ。誤解のないように付け加えておくが、選手にとってコンパルソリーが無価値だと言っているのでない。コンパルソリーは「見るスポーツ」としての魅力に欠け、熱狂と感動とは無縁のものだと言っているだけだ。
(コンパルソリーの詳細な内容について興味がある人は関連書籍、サイトでどうぞ)


印象を排して、より正確に、より客観的に技術(要素)評価を行なう競技方法に改善していこうとしたとき、このコンパルソリー的な競技方法の復活は選択肢になりえる。ジャンプを純粋にジャンプだけで評価し、ステップシークエンスを振付けを入れずにステップやターンの精度だけで判定する。音楽や振付けはなく、楽曲テーマに合わせたコスチュームもない、寧ろ印象排除という名目から大幅に制限される。コスチュームは恐らく男女とも体操競技のようなものに統一されるだろう(コスト削減にはなるか^^;)。技術ひとつひとつを個別に試技、評価していく競技形式だから「プログラム」というものも不要になる。フィギュアスケートからプログラムが消える・・・・

果たして、そんなフィギュアスケートに、人々は熱狂し、感動するだろうか・・・・。

私はそんなフィギュアスケートは見ようとは思わない。どんなに技術が正確に客観的に評価されるかもしれないが、私にとってそういう競技会は「観戦対象」にはならない。どんなに主観に左右され、正確さを欠くとしても、得点や順位に納得しないときがあろうとも、私は今のフィギュアスケートを諸手を挙げて支持する。
私が最終的に観たいのは、単なるスケート技術の競技会ではなく、音楽(アート)とスケート(スポーツ)が選手のパーソナリティによって融合し、アートであると同時にスポーツでもある、そんな不可分の人間の創造活動である。競技会の形式を採るのは、コンペティションというピッチで、その創造の限界に挑む姿を引き出しやすいという便宜的な事情でしかない。それゆえ、荒川静香さんに代表される、競技選手を引退してもなお自己の創造性の限界に挑み続けているスケーターであれば、競技会ではなくアイスショーでも十分に堪能できるのだ。

他のスポーツでは「技術による競争」がまったく問題なくマジョリティとなるが、フィギュアスケートではそうはならない。
フィギュアスケートの真髄が、競争よりも表現や創造の世界に存在しているからだ。もちろん、日本のコーチの中には「試合は戦いだ」と公言する人もいることも事実で、そういうコーチの下には必然的に闘争心満々の選手が育つのだが、そのコーチや選手も「フィギュアスケートの試合は自分との戦いだ」というのが本意なのだと私は理解している。



(ちょっと一休み)



ここ1-2年でフィギュアスケートの周辺で発せられているノイズに対して、私は時に意見し、時に沈黙してきたが、自分自身のためにもこの機会に意見をまとめておこうと思う。もちろん今、これを読んでいるあなたとは意見を異にするものも多々あるだろう。しかし、たとえ同意を得られなかったとしても、自分と異なる意見の存在を、且つその内容をあなたに知ってもらえるだけでも本稿の目的は達成される。


1. フィギュアスケートは主観が左右する競技
いきなり幻滅させるようで申し訳ないが、フィギュアスケートのジャッジングから主観、印象、好みを排除することは不可能である。それはジャッジングが100%人間の目と耳で行なわれ、機械計測等によるジャッジングの自動化は皆無だからだ。私の知見では、フィギュアスケートのジャッジングに機械を導入することはほぼ100%不可能だろう。せいぜい時間計測にタイマーを使えるくらいか。それでもタイマーのスタート&ストップの判断は人間の目によって行なわれる。陸上競技のようにタイムを自動計測することはできない。

人間の目と耳なんて実にいい加減なものだ。ちょっと脱線するが面白い話を紹介しよう。私が洟垂れ小僧だったときに見たNHKのある科学教養番組(番組名は失念)のエピソードだ。
この番組で面白い実験をやった。ブラインドテストだ。人間の聴力がいかにいい加減で、いかに先入観と視覚情報に左右されるかという実験だ。テーマは、
「ストラディバリウスは他のバイオリンと本当に音が違うのか?」
即ち、バイオリンの音を名器と量産品とで聴き分けようという、利き酒ならぬ「利きバイオリン」の実験だった。実験に使用されたバイオリンは3本。ビギナーの練習用グラスファイバー製バイオリン(つまり安物)、国産の高級バイオリン(メーカー不明。NHKですから^^;)、そして不世出の名器ストラディバリウス(数億円?)の3本だ。この3本の音色を聞き分けられるかという実験だ。聞き分ける役の被験者席には名前は覚えていないが、プロの指揮者、ストラディバリウスマニアを自負する音楽ジャーナリスト、一般のクラシックファン、ド素人等々が並ぶ。演奏者は(当時)当代随一と謳われたバイオリニスト・海野義雄氏。役者は揃った。
実験開始。実演の順番はランダム。順番を変えて再演。もちろんバイオリンの名前は伏せられ、被験者は目隠しもする。
で、結果は・・・・、練習用のバイオリンはほぼ全員聴き分けた。グラスファイバー製ということで音が明確に違ったようだ。「金属的な不快な音」だったそうだ。問題は国産高級バイオリンとストラディバリウス。全員ハズレ。再挑戦したら当った人もいたが、さらにもう一度やったらはずしてしまった。つまり当ったのは偶然ということ。聞き分けられなかったのだ。
異なる方法でも実験をした。今度は、これから演奏するバイオリンの名前を告げ、そのバイオリンを見てもらった後に、目隠しをして聴いてもらう、という方法だ。
つまり「これから弾くのは、こちらのストラディバリウスです」、「次に弾くのは、こちらの国産バイオリンです」と提示してから、目隠しをして聴いてもらった。但し、実際にはストラディバリウスと言った後に国産品を弾き、国産品だと言った後にストラディバリウスを弾いた。つまり、ひっかけたのだ。
結果は全員ハズレ。国産品の音を聴きながら「やはり本物は違う」と頷いている始末だった。ああ、かっこわる(爆)
かくも人間とは先入観と視覚情報に左右されるものかという実験結果となった。ド素人と同じようにハズシまくった「音楽関係者」のバツの悪そうな顔が今でも忘れられない・・・・

フィギュアスケートのジャッジングに正確性や客観性を求めても限界はすぐに来てしまう。それは「ないものねだり」に等しい。
それでは選手が可哀相ではないか、と言う人もいるようだが、選手は一般ファンほどには不満を持っていないようだ。意外に割り切っている。「ジャッジなんて、その日の気分と好み次第だからねえ」とケロッと言ってのけたのは他ならぬ荒川静香さんだ。選手は概して頓着していないのだ。そうでなければ競技なんか続けられないだろう。もちろん不満を口にする選手もわずかながらにいるようだが、その選手にしたって結果については受け入れている。
そんなにいい加減なようではスポーツではない、と説教し出すファンもいるだろうが、それもけっこう。こういうスポーツもあるのだ。いや、別に他のスポーツと同様に見てもらう必要はない。フィギュアスケートはそう思っている。
そんなにいい加減では見る気が失せる、というのであれば、それもけっこう。そういういい加減さを許容できない人は、フィギュアスケートの競技会を見ていても苦痛なだけだ。体に悪いからおよしなさい。フィギュアスケートはあなたに合っていないだけで、あなたにはあなたに合ったスポーツが他にあるはずだから、そちらに行けばよろしい。

フィギュアスケートは相当にアバウトなスポーツだ。デジタル感覚では付き合いきれない、アナログなスポーツだという覚悟が必要だ。採点のいい加減さを受け入れろとまでは言わないが、点数や順位を最重視するような価値観をあなたが持っているのだとしたら、フィギュアスケートはあなたを幸せにしない。


2. ジャッジングに不正行為は確認できない
少なくとも不正行為の証拠が公表されたことは一度もない。何かしらの「不自然に見える」結果に対して、不自然な原因をジャッジの不正行為のせいだと決め付けているだけだ、他の要因を探すこともせずに一方的に。
採点競技においては、ジャッジの力量不足による「不当判定」はしばしば起きる。これは宿命的なもので受け入れるしかない。混同しやすいかもしれないが、「不当判定=不正行為」ではない。

不当判定とは何か?
単純な話だ。当事者(の関係者・ファン)がそう思っているだけで、他の当事者(の関係者・ファン)はそうは思っていないのだ。分かりやすく言うと、あなたが不当判定だと不満を強く抱くのは、あなたが応援している選手に限ってのことだ。他の選手で同じようなことが起きても気づかないか、気づいたとしても「あら、ちょっと気の毒ね」程度で済ましているだろう。これがライバル選手に起きたらあなたは快哉を叫ぶのではないか。少なくとも拳を握ることくらいはするだろう。悲しいかな、フィギュアスケートの採点は大なり小なりジャッジの主観から逃れられない。その主観があなたが応援する選手に有利に働けば「正当なジャッジ」、せいぜい「ラッキーなジャッジ」と映り、不利に働いたときに「不当、不公平」と見えるのだ。
換言すると、不当判定と思うこと自体が主観の成せる業なのだ。主観は相対価値だ。見る側によって見え方が違うだけだ。

自分が応援する選手のライバル選手に不当判定があったときに、「あの選手にも公平な判定をしてほしい。たとえ私が応援する選手に不利な結果になろうとも」と強く抗議するファンに私はついぞお目にかかったことがない。

それに対して不正行為とは何か?
ジャッジの主観のバラツキや好き嫌いの要素以外の、他の人為的な事情でジャッジが競技場の外でコントロールされることだ。代表的な例はジャッジの買収だろう。
明確な証拠により買収が立証され、関係者が処罰でもされれば私も不正行為の存在を認めるが、その情報はいつも憶測と匿名の流言飛語によるデマの域を出ない。これも実際は試合結果に納得できない「外野の人間」による不満・愚痴が発信源なのが実態だろう。
世の中には「陰謀説」が大好きな人々がいて、世の中に存在する自分の都合に合わない事物を何でもかんでも陰謀に結び付けたがる人々がいる。他人のせいにすることで自分の力不足という現実から逃避しているだけなのだが、陰謀という大きな壁を妄想の中に築くことで自分の限界に正当性を与えるという効用もあるので、この手の人々にとって陰謀説は誠に重宝する。こういう人々は「勝ったのは時の運、負けたのは相手が良かったから」とはなかなか考えない。「勝ったのは実力、負けたのは判定がおかしかったから」と言い訳をする。負けたときに敗因を自己以外の要素に求めることを「負け犬の遠吠え」と言う。
ちなみに、私は有名な「ソルトレイク五輪スキャンダル」でさえ、明確な不正行為があったとは思っていない。(詳しくは、田村明子著『氷上の光と影』をどうぞ)


3. ジャッジングの精度を上げる方法はある
ここまで幻滅、失望させるかもしれないことを書いてきたが、希望がまったくないわけでもない。私とて、演技の印象ができるだけ採点結果と近づくほうがストレスは少なくなる。

幸いにも、これまで演技に対する私の印象が採点結果から大きく乖離したことはなかった。だいたい見た後の印象と得点は一致している。演技終了後の得点予測はだいたい当たる。今の演技だったら110点くらいだな、110点後半はいかないだろう、DG判定があったら110点には届かないな、とか予測がつく。その予測のズレはだいたい5点くらいに収まっている。
面白いことに贔屓の選手に対してはうまくいかない。ズレが大きくなることがしばしばだ。贔屓の選手に対しては期待しているか、心配しているかのどっちかで、ニュートラルな気持ちで見ることが難しい。期待が大きければ得点は大き目に、心配していると小さ目に予測してしまうことが少なくない。つまり他の選手に比べて主観が大きく働いてしまうのだ。
主観が大きくなると採点が不正確になる、ということを自ら立証しているようなものだ。

さて、本題。ジャッジングの精度を上げる方法は3つある。
1つ目は、ジャッジのプロ化。
優秀なジャッジを選抜して専任させる。少数精鋭化だ。ジャッジも人の子。そのレベルには当然バラツキがある。このバラツキを少なくするには、レベルの高いジャッジだけで審判団を構成することが有効だと思う。但し、ジャッジ1人当たりの担当試合数が増える=負担が増すことが問題だ。その解決法がジャッジのプロ化だ。現在、無報酬で行なっているジャッジに正当な報酬を与え、本職としてもらうことだ。相応の報酬を得ることで買収の誘惑を断つ一助にもなろう。
問題は財源。現在のISUは大会スポンサーかTV放映権くらいしかまとまった収入がない。ISUジャッジをプロ化するには財源をクリアすることが絶対条件だ。

2つ目は、ジャッジ増員による平均化の精度向上。
どうせバラツキのあるジャッジなのであれば少人数よりも多人数で採点した方がその平均点の精度は上がる。統計的な解決法だ。この方法では「コンピュータによるジャッジのランダム抽選」が不要になる。最高点、最低点のカットも不要だ。GOEとPCSは単純に平均点を出せばよい。但し、人数はどこまで増やせば精度が上がるか、と言う問題は現実的には難しいだろう。純粋に統計で計算したら「サンプル数」は3桁必要になるだろう。それはありえない。せいぜい15-20人くらいが関の山だろうが、それとて会場で席を作るだけでも大変だ。それに何と言っても、いくら無報酬だからと言ってジャッジを増員することはコストアップにつながる。コスト削減のご時勢では時代に逆行する。
このアイデアは机上の空論に終わるだろう。

3つ目は、ジャッジの「環境改善」。
ジャッジ自身の育成・レベル向上だけではなく、ジャッジのトレーニング環境や採点現場を改善することも有効だ。いや、最重要かもしれない。
ジャッジも人の子。人間は感情の動物だ。主観、先入観を完璧に排除することは不可能。しかし、主観、先入観、感情の入り込む余地を減らし、それを誘発するような要素を予め排除することはできる。ジャッジができるだけニュートラルに、先入観を持たずに採点できる環境を整えていく努力は大切だ。
提言は3つ。

(1) 「技術サンプルビデオ」に現役選手の演技を採用しないこと。
この1-2年で確認できた事実にサンプルビデオの問題がある。ISUの技術委員会は、金妍兒をジャンプの好例、プルシェンコをTRの悪例として、その演技映像をセミナー用ビデオに採用したことがあるらしいが、これはやってはならない。ジャッジも人間だから印象や主観を完全に排除することは不可能だが、印象や主観を誘導するような材料を排除することは可能だ。そして、その努力は継続しなければならない。
以前も提言したことだが、サンプルビデオに起用するのは現役を引退したスケーターに限定すべきだ。エリジブルであってはならない。

(2) 選手の振付師・コーチがISUと直接関与することを禁止すること。
具体的には、振付師ローリー・ニコルとISUジャッジセミナーとの関係である。
彼女(ローリーは女性)のことを詳細に述べるパートではないので彼女の実績に触れることは割愛するが、フィギュアスケートが好きで、しかも振付けとかプログラムに興味がある人であれば知らぬ者はいない、という名振付師だ。いわゆるタイトルを獲った「チャンピオン・プログラム」の多くに彼女の名前が見られる。その彼女がISUジャッジセミナーの講師をしている。つまり「どういう演技にどういう採点をすべきか」ということをジャッジに教育しているというのだ。これは流石にダメだろう。選手に明らかな演技ミスがない限り、彼女が振付けたプログラムは「お手本プログラム」になってしまう。ISUはわざわざジャッジに予断を与える機会を作っていると誹りを受けても反論できないだろう。(1)と同じことが起きる。
ISUは、特定の振付師やコーチにISUジャッジに影響を与えるような仕事(ルール作成・監修、技術セミナー講師等)を依頼してはいけない。振付師・コーチから参考意見を聞くことはかまわないが、その際は必ず(相当数の)多くの振付師・コーチに聞くべきであって、特定の振付師・コーチに限定してはいけない。
ISUは中国の故事をもう少し勉強すべきだ。「瓜田不納履 李下不正冠」

(3) ジャッジは「中立国」から選出すること。
当該選手と利害関係にある国のジャッジは、その選手の採点から除外すること。例えば、バンクーバー五輪時の金妍兒で説明する。
同選手と利益関係にあったのは韓国とカナダ(同選手のコーチと振付師の母国)と米国(カナダと協調関係)。
損害関係にあったのは日本(メダル争いの浅田・安藤選手の母国)、ロシア(浅田・安藤選手のコーチの母国、北米の敵国)、カナダ(メダル争いのロシェットの母国)。
つまり、金妍兒のジャッジは、韓国、カナダ、米国、日本、ロシアを除外した「中立国」が担当した方が好ましい。利害関係は逆になるが、浅田選手の場合も同様(今季の浅田選手は、カナダと米国は味方に変わるが)。少なくとも韓国と日本のジャッジは両選手から除外すべき。また、この方法を採用すれば「ジャッジの抽選」も不要になる。
ジャッジ/レフェリーを中立国(大陸)から選ぶのはサッカーの世界であれば常識なのだが、フィギュアスケートの世界ではまだその文化がない。


4. ISUもミスを認め、ミスを訂正する行動は取るべき。
ここで言うミスとは、レフェリー、スペシャリスト、ジャッジの「ルール運用ミス」のこと。
例えば、エッジエラーで必ずマイナスGOEにしなければいけなかったのにマイナスにしていないジャッジがいた場合は、レフェリーが当該ジャッジに指示して修正させ、再集計すること。ミスの発覚が表彰式後だったとしても、ミスを隠さずにきちんと訂正すること。この行動が大切だ。(当該選手はたまったものではないだろうけど・・・・)
また、直前大会では認められていた楽曲が次の大会では違反になり、ミュージック・バイオレーションでディダクション-1、ということも起きてはならない(08年の欧州&ワールドにおけるジュベールのSP)。一度認めたものを後で覆すというのはレフェリーのミス。選手のミスではない。
レフェリーの尻拭いを選手にさせてはいけない。



長くなったので、今回はここまで。次回は「10/11シーズンの誘惑と憂鬱」だ。



(註)
しばらくお休みしているうちにスポナビの規約が変更されていたようで、コメント投稿するときは「最初に登録したID」を使用しないとHNが一致しないようになりました。
よって、今回からHNをブログ開始時に使用していた「pbq1447」に戻すことになりましたので、ご了承ください。

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2010年10月30日

フィギュアスケートは止まらないっ (1) ~ 10/11シーズン開幕

しばらく旅に出ていた。
止まったままの時計を持って私は旅に出ていた。
旅から帰ると狂った夏が待っていた。
狂っていたのは夏だけではなかったが、日常が戻ってきたと気づいたときには秋の足音が聞こえていた。

新しいシーズン、新しい希望、新しい出会い・・・・

時を前に進めよう。
時計が止まったところから、少しずつ、でも確実に。



Part 1 : 古い時計 ~ バンクーバーの総括2

昨季の総括がまだ決着していなかった。勿論それはさんざんいろいろなところで語り尽くされてきただろうから、この時期に今更昨季に触れるのは「備忘録」に過ぎないことは言うまでもない。但し今回は「あのときの記憶」を正確に残しておきたいという私自身の欲求に正直でありたいということもあるのだが。

前回の「バンクーバーの総括1」の主旨は2点だった。
1点は、フィギュアスケートの競技会は単純に技術で争われるのではなく、プログラムで競われるのだということ。2点目は、そのプログラムの真髄は音楽をスケートで表現することにあるということ。
今回は具体的に選手とそのプログラムについて書き留めることで、昨季の総括を締めくくろう。前回(総括1)からの続きという意味合いで「バンクーバーの総括」と題してはいるが、今回は五輪だけではなく世界選手権も含めて総括する。単純に大会の記録を残すことに意味はなく、昨季のプログラムの記憶を刻んでおくことに主眼があるからだ。
もっとも、その記憶は最も印象に残ったものに限定しておくことにしよう。所詮、印象深かったものしか人は記憶に残さないのだから。


PAIRS / ICE DANCE 

毎度毎度のことだが、ペアとアイスダンスの報道量や報道内容は御座なりだ。例えば、バンクーバー五輪では金妍兒の「世界最高得点」とかプルシェンコの「四回転論争」が話題になっても、ペアやアイスダンスのことについては相も変わらず寡黙だ。実はバンクーバーでは記念すべきというか、エポックメイキングな出来事がペアとアイスダンスで起きていたのだが、それを報じた日本のメディアは(私がモニターした限り)皆無だった。
それは新採点方式になってから、初の「満点」がこの2種目で誕生したのだ。


申雪/趙宏博 SHEN/ZHAO (CHN)
  SP 76.66(1位) FS 139.91(2位) 総合 216.57(1位)
申雪/趙宏博のFSで「満点」が出た。PCSのINで10.00を付けたジャッジが一人いたのだ。(競技日程上からも)この「満点」が新採点方式における史上初の快挙になった。しかし、INやこのジャッジだけが突出していたわけではなく、他のコンポーネンツも、そして他のジャッジも高い評価を付けていてPCSは9点台のオンパレード、平均9.05というウルトラスコアをマーク。その中で10.00が1つ出たということだ(INの平均は9.25。9.50を出したジャッジもいる)。
余談だが、彼らは06/07シーズン以降は競技会に不参加。そのためワールドスタンディングポイントは09/10のGPシリーズで稼いだポイントだけ。ゆえに五輪ではSPの滑走順が第1グループ、しかも抽選で1番になってしまった。ところが1番最初に滑った彼らのSPスコアを上回るペアは表れなかった。SPで1位になったのでFSでは最終グループ、しかも今度は最終滑走を引き当てた。そして優勝。即ち、SPを最初に滑ってスコアボードの1位に名を刻み、その位置を一度も譲ることなく優勝してしまったのだ。最初に登場した選手がその後の誰からも抜かれずにそのまま優勝してしまうということは、フィギュアスケートの競技会では非常に珍しい。有力選手がSPの第1グループで滑ること自体が滅多にないことだからだ。これもちょっとした記録と言えようか(但し「珍記録」だろうが・・・・)。


デイヴィス/ホワイト DAVIS/WHITE (USA)
 CD 41.47(3位) OD 67.08(2位) FD 107.19(2位) 総合 215.74(2位)

ヴァーチュ/モイア VIRTUE/MOIR (CAN)
 CD 42.74(2位) OD 68.41(1位) FD 110.42(1位) 総合 221.57(1位)

アイスダンスではもっと凄いことになっていた。
デイヴィス/ホワイトとヴァーチュ/モイアのFD、PCSで10.00が出た。前者はITで1つ、後者は2人のジャッジがPFとITで、即ち合計4つも満点を出した。(平均PCSは前者が9.27、後者が9.53)
しかも、ヴァーチュ/モイアの場合はPCSに留まらなかった。実は彼らのTESも凄まじいことになっていたのである。
ヴァーチュ/モイアが演じた3つのリフト、カーブ+ローテーショナルのコンビネーション、ストレートライン、ローテーショナルの3つリフトがすべてレベル4、且つGOE+3を得たのである。GOEは9人のジャッジ全員が+3をつけた。即ち、ヴァーチュ/モイアのリフトは「満点」を記録したということである。ちなみにシンクロツイズルもほとんど満点だった(GOE+3が8人、GOE+2が1人。もちろんレベル4)。

ヴァーチュ/モイアは他の要素の加点も景気良かった。9人のジャッジが認定した技術要素は7つなので、プロトコルに記録された全GOEは9×7=延べ63になるのだが、その約7割、43のGOEが+3=満点だったのだ!(平均+2.67!) 第2ジャッジなどはGOEオール3=満点GOEを付けていた。
GOEがオール3というのはなかったが、デイヴィス/ホワイトのTESだって「準満点」だった。彼らの獲得したGOEは半数以上が+3で、平均は2.54だった。

もともとバンクーバー五輪ではジャッジに対して「良い演技には遠慮なく加点をつけるように」というお達しがあったというのだが、それが顕著に表れたのはアイスダンスだった。FDのトップ5ではTESのGOEが気前良く付けられ、+2どころか+3が惜し気もなく付けられた。ジャッジは鼻歌まじりに採点していたのかと思わせるほどご機嫌だったらしく、PCSでも9.00以上のスコアが大量生産された。日本国内のネット上で騒然となった女子シングルの比ではないのである。競技日程上アイスダンスで先に「インフレ」が起きていたのに、それが話題になったのは最終種目の女子シングルのみだった。この現象を奇異だとか滑稽だとか思った人は果たしてどれだけいたのだろうか。

一方で、アイスダンスに限っては、この現象を五輪特有のものだとは言えないのかもしれない。アイスダンスの選手の技術、表現のレベルが現行の採点基準では飽和状態に近づきつつあることを示唆しているという見方があるからだ。実際、トリノにも出場したデイヴィス/ホワイトは、五輪でヴァーチュ/モイアが記録したばかりのFDの最高得点をすぐにブレイクしてみせた。満点PCSの数も上回って!
古い例で恐縮だが、1984年のLAで開催された夏季五輪を思い出したい。同五輪の男子体操競技では10.00の満点が頻発した。視聴率アップを期待する米TV局と大会スポンサーの「ショーアップ要求」が事前にあったという説もないではないが、当時の体操競技の採点基準が選手の技術レベル向上に追いつかなくなり、満点が続出したという説が常識的だ。体操競技では、それ以降、採点基準(主に難易度)が見直され、さらに最近では、フィギュアスケートに似通った「技術点+出来栄え評価による加点方式」に改革されたことは有名だ(?)
同様のことがアイスダンスでも起きつつあるのだろうか・・・・。



MEN

バンクーバーにおける男子シングルの巷喧しい話題は「ライサチェク vs. プルシェンコ」、はたまた「北米 vs. ロシア(旧ソ)」だっただろうか。まあ、そのテーマについては多くの方が、田村明子女史の『パーフェクト・プログラム』をお読みいただいて既にご満足、ご納得いただけているやに思うのであっさりと割愛。
私にとって昨季09/10シーズンの男子シングルには感謝の思いでいっぱいだ。フィギュアスケートのひとつの理想の姿に出会えたという感慨が昨季の男子シングルにはあった。その中心に間違いなくいたのが髙橋大輔選手と彼のプログラムだった。


髙橋 大輔 Daisuke TAKAHASHI (JPN)
 SP 『Eye』: 作曲/coba、振付/宮本賢二
 FS 『道』: 作曲/ニーノ・ロータ、振付/パスカーレ・カメレンゴ
 EX 『Luv Letter』: 作曲/DJ Okawari、振付/宮本賢二

09/10シーズンの髙橋選手のプログラムは3つともすべてメモリアルなものとなった。SP、FSはもちろんEXのプログラムまでもが珠玉のプログラムだった。昨季、髙橋選手のプログラムを見る機会はアイスショー、公式戦を通じて何度も得られた。
まず初見がDOIだったEX『Luv Letter』が胸をときめかせた。私はこの楽曲を聴くと映画『戦場のメリークリスマス』のOST “Merry Christmas, Mr. Lawrence” を思い出してしまう。いわゆる「四七抜き音階」によって、東洋的なアンニュイさがブレンドされた主旋律のピアノ(一説ではグラスベル)を彷彿とさせる美しい楽曲だ。この美しい音色を持った楽曲と髙橋選手の流れるようなスケートの調和が見事で、このプログラムがEX用に作られたことがとても素晴らしい。その理由は、実際のEXで生でこのプログラムを見たことがある人には理解しやすいと思う。競技会終了後のEXでこのプログラムを見ると、パーティが終わった後の寂寥感とも、戦いの後の虚無感とも何とも言えない哀愁感がこみ上げてくるのだ。髙橋選手のスケートは川の流れに乗って滑っていくように、そのステップは川面に浮いた枯れ葉のようにヒラヒラと流れ、その流れはまた別の流れと合流して、或いは別の支流となって移ろい行く。その流転していくような無常感が堪らないのだ。その無常感を単に寂しいと感じるのではなく、どこか安らぎを感じるのは仏教的な価値観を背景とした文化に育っているかどうかということにも左右されるのかもしれない。

SPの『Eye』は大変誇らしいプログラムだ。このプログラムは「純国産製」なのだ。選手、コーチ、振付け、作曲とすべてが “Made in Japan” なのだ。特に宮本賢二さんの振付けが素晴らしい。宮本さんは既に髙橋選手以外にもEX用プログラムで振付けをしてきたが(08/09シーズンの安藤美姫選手のEX『ボレロ』等)、この競技用プログラムで一躍注目されることになったと思う。別に私は民族主義者ではないが、世界に通用する振付師が日本からようやく誕生するということは日本スケート界において重要な意味を持つ。その意味において誇らしいのだ。
このプログラムは正に「ブレスレス・プログラム」だ。息つく暇もなく次々に要素をつないでいくハード・プログラムだ。アスリート・プログラムと呼んでもいい。しかし、このプログラムの真髄はアスリート能力を要求するところではなく、楽曲とスケートの同調性にある。リズム、ピッチ、メロディ、そしてサウンド(響き)といった音楽のもつ要素にすべてスケートを一致させている。これほど音楽とスケートが一体になったプログラムを私は知らない。そして、その奇跡的な同調性は見る者にとてつもない波動を送ってくる。

私はGPファイナルの会場でこのプログラムを見たとき、訳もなく涙が溢れてきて戸惑ってしまった。しかもその涙は嗚咽を伴った滂沱であり、私自身どうしようもなく涙流れるままに、嗚咽は最後まで止むことはなかった。傍目には感情失禁そのものである。もちろん悲しかったわけではなく、歓喜のあまりにうれし泣きしたわけでもない。なにせ演技開始後間もなく、その感情失禁は始まり、演技終了後も続いてしまった。そんな状態だから得点アナウンスなんかも耳に入らず、自分の感情をコントロールすることにひたすら苦慮する有様だった。

こうして文章に書いていても何を書こうとしているのか、自分自身いまだに整理がつかない。読者諸氏にはチンプンカンプンだろう。申し訳ない。このような経験は私も初めてで時間が経った今でもうまく説明できない自分がいる。もちろん髙橋選手の復活ストーリーが脳裏にあり、それが引き鉄となっていて演技中に無意識に自分の過去の清算をやっていたのではないかとか、単に復活した「大ちゃん」の姿を目の当たりに見て感激しただけでは?と自問自答もしてみた。でも、答えは出ていない。
ただひとつだけ言えることがある。それはスケーターのパフォーマンスと楽曲と振付けがスケーターの持つ物語りの中で融合したとき、奇跡的なパワーが生まれることがあるということ。それを教えてくれたのが髙橋選手のSP『Eye』だった。

復活ストーリーという意味では、FSの『道』の方が分かりやすいかもしれない。
涙とともにパンを食べたことがある人であれば、髙橋選手の怪我からの復活という事情を知らなくとも、このプログラムに人生の機微を感じ取ることができるだろう。このプログラムの振付けはパスカーレ・カメレンゴで、ニコライ・モロゾフの下を去ってからは継続して髙橋選手はカメレンゴに振付けを依頼している。
この『道』は映画のOSTらしく、『Eye』とは一転してドラマチックな構成を持ち、且つ抽象的な『Eye』に比べマイムも取り入れ振付けの意味も分かりやすい。それだけに感情移入しやすく、観る人はそれぞれにシーンも連想しやすいだろう。前半から中盤にかけてのコミカルだけど躍動的なパート、そして後半のスリリングなジャンプからめくるめくステップの連続で迎える胸を締め付けられるようなフィナーレ。楽曲の全編に亘って、髙橋選手の演技のすべて(技術要素、表現、構成)が意味を持ち、4分30秒のショートドラマを生み出す。言葉はなくても、説明はなくても、このプログラムを観た人は洋の東西を問わず、自分の人生を投影することができるだろう。優れた音楽は歌詞がなくても言葉は通じなくてもメッセージが伝わるように、このプログラムも普遍的なメッセージを持っていた。そして、それは髙橋大輔という当代随一の大立者によって初めて成し遂げられたプログラムなのであった。
トリノの世界選手権で髙橋選手は日本男子初の世界チャンピオンとなった。私の拙い文字の羅列よりもその名誉を讃えるに相応しいコメントを地元TV局のキャスターと解説者が残している。(抜粋)

 すべての動作がテーマに合わせて音楽を追いかけている。
 このプログラムの前ではライサチェクやプルシェンコ、ランビエールが
 いないことまでも忘れてしまうほどだ。
 磨かれた技術の上に、観客と感情を一体化させる芸術がここにある。
 これがフィギュアスケートだ。



LADIES

勘違いされたり、変な期待をされても困るので最初に牽制球を投げておく。
私はバンクーバー五輪で採点に「特別な不正行為」があったとは思っていない。4種目のどれにもだ。前評判が高かった有力選手に対しては確かに気前良く満点が出たり、GOEが投げ売りされるかのように奮発されたことは認めよう。一方で、有力選手の中には実際の演技の出来や印象の割には点数が出なかったケースがあったことも認めよう。しかし、そのどれにも説明できる理由と根拠がある。それについては気が向いたら言及しよう。
とにかく私は、我田引水やご都合主義を下地に流言飛語と伝聞の類いを根拠とした陰謀説には加担しない。したがって、本稿に陰謀説を解き明かすヒントのようなものを期待している人がいたとしたら、本稿はまったくの役立たずだ。寧ろ、ゲップでニンニクの臭いが甦ってくるような不快感を催すだろうから、思いっきり下にスクロールしてPart.1を飛ばし、Part.2に進むことを助言する。読んだ後で気分が悪くなったと文句を言われても困る。読者には「読まない自由」だってあるのだから。


金 妍兒 Yu-Na KIM (KOR)
 SP 『007メドレー』: 作曲/ジョン・バリー、振付/デイヴィッド・ウィルソン
 FS 『ピアノ協奏曲 ヘ調』: 作曲/ジョージ・ガーシュイン、振付/デイヴィッド・ウィルソン

髙橋選手のプログラムとは見た後に残る印象や感慨は異なるが、金妍兒のそれもメモリアルなものだった。特にSP『007メドレー』は「良くできた」プログラムだ。良く企画され、良く計算され、良く練習され、良く仕上げられ、良く演じられ、良く見せられたプログラムだった。換言すると「算盤尽く」のプログラムだったとも言えようか。また、それは競技会で「勝つ」ために考案されたプログラムでもあった。「点数を効率よく獲得するための戦略プログラム」と言ってもいい。

その戦略の骨子は「GOEとPCS」にあることはコーチのブライアン・オーサーが既にいろいろなメディアで種明かししているが、その戦略は新採点方式の中味が公開された2004年時点で誰しもが思いつくことだった。単純な足し算で得点が計算され、単純にその得点で順位が決定される方式になったのだから、ある意味で戦略はシンプルだ。なにせ藤四郎の私でさえ思いついた戦略(というか計算)なのだから。メディアがオーサー・コーチに取材したり、解説者に盛んに説明を求めたりせずとも誰しもが分かることだった。それをバンクーバー前後になってやたらとメディアが採り上げるようになったのは、メディアの単なる怠慢に過ぎない。フィギュアスケートの新しい潮流を理解し、浸透、普及の一助たらんとするわけでもなく、順位や結果、看板選手だけを追い求めるメディアの消費主義的な姿勢が背景にある。
もちろん単純な計算だからと言って、誰もがこの戦略を実行できるわけではないだろう。オーサーが独創性や芸術性に固執するタイプのコーチだったら、この戦略には関心がなかったかもしれない。金妍兒が習得した技術を安定して完璧に実施できるスケーターでなかったらこの戦略は採用されなかったかもしれない。ミスター・リアリストとミス・パーフェクトの出会いがなければ、この戦略は成功どころか実行すらされなかったかもしれない。
一度戦略が決まれば、後はひたすら完璧な再現を目指してハードワークあるのみ。その姿勢にまったくブレはなかった。09/10シーズンで、GP初戦から五輪、最後の世界選手権に至るまで、プログラムはもちろんコスチュームまでも一切変更せず、貫き切ったのは金妍兒だけだった。戦略に微塵の迷いもなく、まっしぐらに駆け抜けた証しだ。


ここから書くことは私の印象と想像だ。当事者に直接聞いた話でもなければ、メディアの報道やネット上の噂が元ネタでもない。私が会場やTVで観て感じたこと、思いついたことを書く。

09/10シーズン用のプログラム「オリンピック・プログラム」を作ろうとしたとき、まずオーサー・コーチはオーディエンスを味方につけようと考えたのではないか。キーとなるのは某選手も言っていたように「オリンピックではスケートファン以外の人が大勢見る」ということだ。
スケートファンやマニアではなく、もっと一般のオーディエンスを相手に「受ける」ことを念頭に置いたと思われる。その選曲がジェームズ・ボンドだった。古今東西に知れ渡り、老若男女にポピュラーな楽曲。しかも映像やシーン、ストーリーを連想しやすく(=感情移入しやすく)、テーマが単純明快な楽曲。それは「映画のスタンダードナンバー」に他ならない。それも「芸術作品」のような名画ではダメで、「大衆娯楽作品」でなければならない。その答えが『007』だった。

楽曲が決まれば、後は2分50秒の中にエレメンツと音楽が一致するように、その順番と構成を合わせるための編集を行なう。
例えば、終盤のSlStはフィナーレに向かう見せ場だが、このパートに「ジェームズ・ボンドのテーマ」を持ってきた編集のセンスは抜群だ。映画『007』のOSTの中で最も有名で最もエキサイティングで最もスペクタクルなシーンに使われるテーマ曲を見せ場で使う。エンターティメントの王道だ。このテーマ曲に乗せて金妍兒の四肢がしなやかに躍動する。ステップの途中で挿入されるフィンガースナップも小粋なアクセントになっていて、傍目には同じ動作の繰り返しに見えかねないステップをお茶の間に飽きさせない。
この「指パッチン」の振付けは立ち止まって行なうマイムなのでスケートの評価に直接影響はしない。滑っていないからだ。しかし、それをごく短時間で処理しているのでステップ後半へのブリッジになりアクセントをもたらしポジティヴな印象を与えている。もし、このマイムに2秒以上費やしていたら「スケートの流れ」を妨げていると見られて評価は下がっただろう。また、髙橋選手の言葉を借りると、ステップの途中で一瞬停止してまたすぐにステップを再開するというのは、実は体力的にきついとのこと。選手としてはステップは一気に滑り切った方が体力的には楽なのだそうだ。
このプログラムもまた「アスリート・プログラム」なのだ。金妍兒本人もこのフィンガースナップの振付けが気に入っているということだが、ステップの途中にこのマイムを挿入したデイヴィッド・ウィルソンのアイデアには脱帽だ。

ところで、フィナーレでピストルを撃つマイムを披露しているのはご愛嬌だが、それを中継したNHK刈屋アナの「撃ち返しました」は一言余計だったのかもしれない。

金妍兒の必殺SP『007メドレー』は計算し尽くされたエンターテイメントだ。しかも、誰もがすぐに楽しめる娯楽要素満載なのにも関わらず、競技的にも「必勝プログラム」になっているところが凄い。
これに対してフリープログラムの『ピアノ協奏曲』は、最初楽曲名を知ったときは疑問が浮かんだ。ガーシュインの曲を選んだことはすぐに合点がいく。五輪開催地が北米であることを考えれば、その地に所縁の作曲家を持ってくることは定石のひとつだ。問題は選曲だ。これが『ラプソディ・イン・ブルー』だったら納得がいく。「北米で生まれたスタンダードナンバー」、そう考えれば戦略はSPと同様だ。ところが選ばれたのは『ピアノ協奏曲』だ。難しい曲を選んだなと思った。どう見せ場を作るのか想像がつかなかった。
既にご承知のように、このガーシュインはシリアスな協奏曲で『007』のような娯楽性はない。オーディエンスはこのガーシュインに具体的なテーマやメッセージはもちろん、感情移入できるようなストーリーを見つけ出すことは難しいだろう。様式が支配するこの協奏曲ではひたすら「音に乗って滑る」ことを終始要求される。ある意味非常にテクニカルなプログラムだ。私は、SPはテクニカルプログラムで、FPはアーティスティックプログラムだと解釈している。もちろんそれぞれにTESとPCSがあるのだが、SPが技術要素中心であり、FPは表現要素が中心のプログラムだと捉えている。そういった意味では金妍兒には裏をかかれた。SPがアーティスティックでFPがテクニカルだったからだ。
実際に金妍兒の『ピアノ協奏曲』を見てみると、よくもまあこんな難しいプログラムを涼しい顔で滑れるなあ、と感心する。スケートのすべてのエレメンツが楽曲のフレーズやパートに合うように入念に計算されて配置され、しかもそれが淀みなく流れるようにつながっていく。もちろんその功績はSP同様のウィルソンにその多くを与えるべきだとは思うが、それを技術的にはもちろん「スポーツの表現」としても完璧に演じている金妍兒には舌を巻かざるをえない。
確かにバンクーバーで金妍兒は一人別次元に存在した。彼女は他の選手とは完成度が違っていたのだ。彼女のファンは歓声を上げ、彼女のライバルのファンは沈黙した。彼女が別格であることは得点がアナウンスされなくても明らかだった。ミシェル・クワンの代名詞だった「ミス・パーフェクト」を継承できるスケーターは今も現れてはいないと思うが、09/10のプログラム、そしてバンクーバーでの演技に限って言えば、金妍兒にはその資格があるだろう。(新時代の)ミス・パーフェクトの称号を金妍兒に与える同意書が私にまわって来たら私は署名してもかまわないと思っている。

しかし、バンクーバーでの演技がどんなに完璧で記録的であったとしても、私は東京で開催された世界選手権での金妍兒を忘れることができない。あのとき演じたSP『ムーラン・ルージュ』が今でも(私にとっての)金妍兒のベストプログラムだ。淀みなく終始流れに乗って滑り続けるスケートはシニアデビューのシーズンから変わらないが、演技中の無表情さが寧ろ物憂げな表情に見えてしまうアンバランスな雰囲気は今はもう見られない。
金妍兒は20歳になった。


「世界最高得点」の真実

昨季の、特に五輪(SPとFS)と世界選手権(FS)において金妍兒がマークしたスコアについて、忘れないように書き留めておく。(備忘録)
あのスーパースコアに対してメディアもオーディエンスも一様に驚いたようだ。ネット上のブログや書き込みもいくつか拝見したが、その文面からは例外なく容易に驚きを読み取れた。・・・・で、私はどうだったか?実は私も驚いた。但し、驚きの内容は読者諸兄と少々異なるかもしれない。私が驚いたのは自分自身に対してである。私自身が大会前に予測していたことがかなり近い内容で実現したことに驚いたのだ。
そう。私は金妍兒のスコアに驚いたのではなく、そのスコアが私自身の予測と近かったので驚いたのであった。

今更タネ明かしをしても「後出しジャンケンに過ぎない」との誹りを覚悟で書く。信じてくれる人が何人いるか、なんてことは関係ない。誰が何と非難しようと、事前に予測していたのは事実だ。事前公表を回避したのはそれ相応の考えがあってのことなのだけれど、金妍兒のスコアがスキャンダラスに語られることがなかったら、私も今更書くことはなかっただろう。しかし、周知のように日本国内の論調、特にネット上の論調が冷静さと客観性を欠いた「単眼的な」ものに支配されている状況を見ると、「複眼的な」見方を提示しておくことに意味があると確信し、「後出しジャンケン」の恥を忍んで敢えてここに初披露するものである。

ここからは、私が昨年シミュレーションしておいたスコア予想について書く。
もともとこれは私が遊び半分にやっていたことで昨年が初めてではない。ルール改訂がある度に「スコアにどう影響するだろうか」ということをシミュレーションするためにやっていたことが元になっている。
そもそも新採点方式 “Code of points” では細かく点数が設定されていて、しかもそれを単純に合計するだけの計算である。即ち、「得点表」があれば簡単にシミュレーションできるのだ。当ブログの読者の中にもエクセルとかを使って簡単に「試算」してみたことはないだろうか? 私のシミュレーションも恐らくそれとは大差ないものだと言えよう。


まず、現行のルールにおける「最高得点」はいったいどれくらいになるのだろうか? 机上の試算ではスコアはどこまで伸びるのだろうか? この「最高得点シミュレーション」を行なうことがスタートになる。
以下は、シミュレーションの条件。

1. ルールは09/10シーズンに準ずる。
2. 要素数はシニアクラスに準ずる。
3. 満点がある要素は満点で計算する。
   即ち、各要素のGOEは+3、PCSの各項目は10.00で計算。
4. 組合わせる技術要素は、次の基準で選択、計算。
  ・各要素とも最高基礎点で計算。(レベル設定があるものはレベル4で計算)
  ・選手(ジュニア含む)が実際にISU公式戦で成功と認定された要素、レベルであること。
   例えば、4回転ジャンプはルール上は4Aまで得点が設定されているが、実際には男女とも
   4Sまでしか成功例がないので、ジャンプは4Sを最高基礎点ジャンプとして使用。
  ・当然「ザヤックルール」も適用する。(例えば、4S×3回は成立しない)
5. FSのジャンプ配分は最も実施例が多いパターンを採用。
   即ち、男子=前半4+後半4、女子=前半3+後半4
   このうちコンビネーションジャンプは男女とも、前半2+後半1
(机上では全ジャンプを後半に入れると得点が1割増しになるが、さすがに非現実的なのでこれに限っては実施例に準じることにする)


以下に、男女シングルにおける最高得点のシミュレーション結果を記す。

◆男子シングルの「仮想最高得点」 (09/10シーズン)
SP 116.30 (TES66.30+PCS50.00)
 【エレメンツ】
 3Lz+3Lo*、4S、3A
 FSSp4、CCSp4、CCoSp4、CiSt4、SlSt4
 *2006Jr.GPでチェコのパベル・カスカが成功。
FS 227.56 (TES127.56+PCS100.00)
 【エレメンツ】
 (前半)4S+2T、4T+3T+2Lo、4S、3A
 (後半)4T+2T、3Lz、3F、3Lo
 FSSp4、CCSp4、CCoSp4、CiSt4、SlSt4、
総合 343.86

◆女子シングルの「仮想最高得点」 (09/10シーズン)
SP 96.00 (TES56.00+PCS40.00)
 【エレメンツ】
 3Lz+3Lo、3F、2A
 LSp4、SpSq4、FSSp4、CCoSp4、SlSt4
FS 190.37 (TES110.37+PCS80.00)
 【エレメンツ】
 (前半)3Lz+3Lo+2Lo*、3Lz+3Lo、4S
 (後半)3F+3T、3A、3S、2A
 CCoSp4、FCoSp4、FSSp4、SpSq4、SlSt4
 *2004NHK杯で安藤美姫選手が成功。
総合 286.37

どうだろうか。想像を絶する得点ではないか。もちろん実際のプログラムでは楽曲に合わせてエレメンツを並べていかなければならないし、何と言っても選手の体力を考慮した構成でなければ意味がない。そもそもこのシミュレーションに使用しているエレメンツは複数の選手の実施例を計算上組合わせた「仮想プログラム」でしかない。お遊びに過ぎないのは言うまでもない。ただ、現行ルールではどこまで得点可能なのかを計算上把握しておくために行なったものである。現在、「世界最高得点」と喧伝されているスコアがどの程度のものかを判断する材料を探すために私的に行なったものだ。
こうして見ると男女ともまだまだ(ルール上の)限界点までは差があるかなという印象を持ったのだがどうだろうか。ちなみにアイスダンスのヴァーチュ/モイアが持つPBSは男女シングルよりもかなり限界点に近づいている。アイスダンスが「現行の採点基準では飽和状態に近づきつつある」のではないかと先述したのは、このシミュレーションをしておいたために言及できたのだ。
なお、既報の通り、10/11シーズンでは大きなルール変更があった。男女シングルではステップやスパイラルシークエンスの数、GOEの加点幅が各々減ったために、男女とも「仮想最高得点」が各々約10点ほど下がることになる。興味と暇のある酔狂な方は、アイスダンス同様、シミュレーションしてみてはいかがだろうか。


さて、金妍兒である。ようやくこの項の本題だ。
きっかけは2009年のLAでの世界選手権だった。先述のように得点シミュレーションをしばしば試みている私は、実は昨年LAで金妍兒が「世界最高得点」を更新した(207.71)のを見て、彼女のスコアが今後どこまで上がるのか予測してみたくなったのだ。バンクーバーでは「有力選手の得点がインフレ現象を起こすかもしれない」という予感も拍車をかけた。今度の五輪は北米開催であること、即ち北米のTV局のショーアップ要求に煽られる五輪になるのではないか、という予感が少なからずあったのだ。
五輪プレシーズン(08/09シーズン)に北米で開催されたGPや世界選手権で既にその予兆はあった。しかも、ISUはそれ以前からGOEとPCSを重視することを技術セミナーで各国協会メンバーに公言していた。その点は日本国内でも何度か報道もされていて少なくとも(五輪だけの一過性ではない)スケートファンであれば、そのISUの姿勢は周知の事実だったはずである。
五輪ではGOEとPCSのインフレが起こる。そして、そのベネフィットを受けやすいのは、当然、きれいなスケートで淀みなく流れるようなプログラムを持った選手である。具体的には、男子では髙橋大輔、ステファン・ランビエール、パトリック・チャン、エヴァン・ライサチェク。女子では浅田真央、ジョアニー・ロシェット、カロリーナ・コストナー、そして金妍兒である。これらの選手はクリアな演技さえできれば得点は跳ね上がる可能性があると予測していたのである。
特に、ISUの技術委員会で「お手本」として紹介されたと出席者が語った金妍兒のスコアはどこまで上がるのだろうか、というのがLAの後の私の秘かな関心事になった。そして、09/10シーズンの初っ端、GP第1戦TEBで現実のものになった(詳細割愛)。この大会でいきなり「世界最高」のPBSを更新した金妍兒のスコア(210.03)を見て自分の予測に自信を持った私は、ターゲットを金妍兒に絞ってシミュレーションすることになったのである。
以下に、そのときのシミュレーション(09年12月時点での予想スコア)とアクチュアル(五輪での実際の得点)を併載する。比較されたい。

◆シミュレーションの条件
1. 09/10シーズンのGPシリーズで実施されたプログラム構成で計算。
2. プログラム内の各要素のGOE、レベルは「過去最高の実績評価」で計算。
3. PCSの各項目も「過去最高の実績スコア」で計算。
4. ディダクションはなし。

◆金妍兒の五輪予想スコア(シミュレーション)
SP 77.52 (TES44.80+PCS32.72)
 TES内訳: BV計34.90+GOE計9.90
 PCS平均: 8.18
FS 144.85 (TES76.45+PCS68.40)
 TES内訳: BV計61.65+GOE計14.80
 PCS平均: 8.55
総合 222.37

◆金妍兒の五輪アクチュアルスコア
SP 78.50 (TES44.70+PCS33.80)
 TES内訳: BV計34.90+GOE計9.80
 PCS平均: 8.45
FS 150.06 (TES78.30+PCS71.76)
 TES内訳: BV計60.90+GOE計17.40
 PCS平均: 8.97
総合 228.56

シミュレーションは、SPが80点に迫り、FSでは130点台どころか140点台を大きく超える、総合では220点台に乗るスコアを予想した。
「シミュレーションの条件」を再読していただきたいのだが、このシミュレーションは「実績」の組合せで行なったのだ。「期待値」は一切入っていない。即ち、最高実績を積上げていくと可能なスコアを算出したことになる。五輪のスコアは瓢箪から駒が出たものではない。彼女の実績を注意深く見ていけば十分に考えられるスコアだったのだ。
この予想スコアを事前に計算しており、しかもそれがアクチュアルとあまり差がなかったことに私は驚いたというわけだ。スコアそのものに驚いたのではなく、金妍兒が最大の勝負の場である五輪という舞台で「過去最高」の演技を「再現」してみせたことに驚いたとも言えよう。そして実際、五輪での彼女の演技はビデオを再生するかのような「最高の再現」だった。正に「ミス・パーフェクト」だ。

基礎点について少し解説を加えておく。
FSの基礎点合計がアクチュアルがシミュレーションよりも下がっているのは、五輪用にプログラムの難易度を下げたためではない。もともと彼女のフリープログラムでは後半の最初、2分過ぎたらその直後の位置に2A+3Tが入っている。後半直後に高基礎点ジャンプを入れることで体力面をクリアしながら後半実施のボーナス点を稼ぐという計算だろう。この作戦はGPシリーズでは成功していた。このコンビネーションは後半実施とカウントされてきたのだ。
ところが、肝心の五輪では前半実施とカウントされてしまった。同じプログラムを演じていたのになぜ五輪だけ技術審判が認めなかったのかは不明だが、このコンビネーションジャンプの実施時間帯が唯一バンクーバーで金妍兒が犯した「計算ミス」だったと言えるだろう。もっともそのミスは重箱の隅だろうが・・・・。

なお、五輪のアクチュアルスコアはさらにこの予想スコアを上回ったが、その差が「インフレ効果」による上乗せ分と見てもいいかもしれない。但し、この「インフレ」は何も金妍兒にだけ起きた現象ではない。表彰台に乗った他のメダリストはもちろん、 FSで4位となりSP10位から総合6位に躍進したラウラ・レピストにも、即ち上位選手にほぼ等しくインフレは起きた。
浅田真央選手はSP、FSとも「自己最高」を大幅に上回った。SPのPCSでは9.00台を連発。PEでは女子史上最高の9.50をつけるジャッジまで出現した。金妍兒ですら最高は9.25だ。スパイラルやステップでは満点GOE+3も得ている。FSではジャンプミスと体力消耗でやや精彩を欠いたところも見られSPほどには伸びなかったが、それでもPCSではやはり9.00が出たし、スパイラルとステップでは再度満点GOEを得ている。これだけ高いPCSとGOEを得たのは彼女もまたこの五輪が初めてだったはずだ。
ジョアニー・ロシェットは、SPではなくFSのPCSでやはり9.00を獲得。但し、私自身はどうせ9.00を出すのであればFSではなくSPの方がふさわしいと見ているのだがいかがだろうか。彼女のSPを見終わった直後には、金妍兒の対抗馬の最右翼は実はロシェットだったのではと思えるほどだったから。
インフレ現象はここまで来ていたか、と思えたのがレピストのFSだ。PCSで9.00が連発。GOEも2点が並び、満点の3点さえも出ていた。但し、このレピストのこの評価はジャッジ内のマジョリティではないようで、9名中2名のジャッジによる「局地的インフレ」に過ぎなかった。それもまた五輪ならではと言えるのかな、と苦笑を隠せなかった私がいたことも事実だが。



Epilogue - All the lonely people

Part 1 の締め括りに、「心寂しき人々」についてレクイエムを捧げておこう。
バンクーバーの女子シングルの結果について、特に金妍兒と浅田選手のSPの得点について次のような声が聞かれた。

  金妍兒と浅田真央の演技にはほとんど差はなかった。
  順位は仕方ないとしても、あれほどの点差がつくのは理解できない。

「ほとんど差はなかった」というのは、そうかもしれない。見る人によっては差は感じられなくても不思議はない。08年と09年の世界女王がお互いの持ち味を発揮し、2人ともあの時点での最高の演技をしたのだ。見た目の差はわずかに決まっている。実力者同士なのだから。
しかし、そう認めたとしても「あれほどの点差がつくのは理解できない」と言う人は、残念ながら採点方式を理解できていないと言われても仕方がない。
ほとんど差がない、あったとしてもわずかな差だけ。それなのに実際のスコアでは点差が明確に出る。それが新採点方式 Code of points (以下、COP)の特徴であり狙いなのだということを理解できてない。
実際のプロトコルを振り返ろう。(バンクーバー五輪2010、女子シングル、SP)

 金妍兒 78.50 (TES44.70+PCS33.80)
 TES内訳: BV計34.90+GOE計9.80(GOE平均1.23)
 PCS平均: 8.45 (女子SP係数0.80を掛けると6.76)

 浅田真央 73.78 (TES41.50+PCS32.28)
 TES内訳: BV計34.40+GOE計7.10(GOE平均0.89)
 PCS平均: 8.07 (女子SP係数0.80を掛けると6.456)

なるほど合計点の4.72という点差は「わずか」とは言えないかもしれない。心寂しき人々はこの点差に噛み付いたようだが、この点差は「わずかな差」がもたらした結果であることに気づかなければならない。
まず、基礎点の合計を見よう。金妍兒の34.90に対し、浅田選手のそれは34.40、その差0.50。
次に、平均GOEを見てみよう。金妍兒1.23、浅田選手0.89、その差0.34。
最後に、平均PCSだ。金妍兒8.45、浅田選手8.07、その差0.38。
基礎点はプログラムの要素構成の問題だから仕方ないとして、平均点を算出するとGOE、PCSのひとつひとつの差はわずかだったということが分かる。これはひとつひとつの要素を見ていくとあまり差がなかったということだ。ゆえに全体を通して見てもわずかな差しかないような印象を受ける。これが目立つミスでもあったのであれば、たったひとつのミスでも全体の印象を悪くみせてしまうこともあるが、二人ともノーミスのクリアな演技をしたので、全体の印象としても差はほとんど感じられなかったのだろう。
ところが、数字というのは残酷なのだ。例え、ひとつひとつの要素・項目で見ればわずかな差しかなくても、それが積み重なるとはっきりとした点差となってしまうのだ。これが「演技の数量化」を評価の原則としたCOPの正体なのだ。
見た目の全体的な印象がわずかな差であったのなら、合計点もわずかな差で示してほしい、というのはCOPのコンセプトそのものに反旗を翻すことになる。なぜならCOPは、主観、印象を排し、客観性の追求を目指すために、演技要素を細分化・点数化し、その合計点で評価する方式だからだ。少なくとも現行のCOPでは、全体の印象と実際の点差をピタリと一致させることはシステム的に不可能だろう。

逆のケースも起こりうる。トリノの世界選手権でのFS、やはり金妍兒と浅田選手の演技の印象とスコアの乖離現象がそれだ。
実際のプロトコルを記す。(トリノ世界選手権2010、女子シングル、FS)

 金妍兒 131.49 (TES66.45+PCS65.04-Ded1.00)
 TES内訳: BV計57.05+GOE計9.40(GOE平均0.78)
 PCS平均: 8.13 (女子FS係数1.60を掛けると13.008)

 浅田真央 129.50 (TES67.02+PCS62.48)
 TES内訳: BV計59.30+GOE計7.72(GOE平均0.64)
 PCS平均: 7.81 (女子SP係数1.60を掛けると12.496)

ほぼ同点。金妍兒が上回ったと言ってもわずかに1点しかない。しかし印象は逆だった。これもまたCOPの成せる業なのだ。

トリノでは浅田選手の演技の方が金妍兒よりも「印象的に」良かった。金妍兒には見た目に明らかなミス(ジャンプ転倒)があったので、そのミスの残像が印象に影響して金妍兒の演技の印象は良くなかった。それに対して浅田選手は見た目にはノーミスだった。2本目の3Aがダウングレードになったが、回転不足は一瞬の出来事であり、観客の眼からは分かりにくい。成功したと思った人も少なくなかっただろう。とにかく演技全体の印象は浅田選手はノーミスで、金妍兒はミスがあったので浅田選手の演技の方が良かった、という印象だ。私自身もそれに近い印象を持った。しかし、このケースでもCOPはあなたの期待を裏切る。
得点結果は、金妍兒と浅田選手は僅差だった。僅差どころか(わずかに1点だが)金妍兒のスコアが上回ってしまった。これに噛み付いた人々も残念ながら心寂しき人々である。驚いてもかまわないが噛み付いてはいけない。噛み付いてしまうと、自身のCOPに対する無理解を露呈することになる。COPを最初から否定するのであれば競技会自体を見ない方がいい。少なくとも結果に一喜一憂しない方が精神衛生上よろしい。ご贔屓の選手の演技だけを見たらTVを消すか、会場を後にした方がいい。或いは見るのはアイスショーだけにするという方法もある。とにかくルールを受け入れないまま競技を見ることほど自虐的な観戦はない。

金妍兒のプロトコルを見ると、きちんとルールに基づいて採点されていることが分かる。ジャンプはきちんと減点され、全体の印象の悪さもPCSに反映されている。五輪のときのような9点台のPCSは当然見られないし、寧ろ五輪では皆無だった7点台の評価が頻発していた。そして「五輪景気」の風も凪いでいた。それなのになぜ合計点が130点に達したのか?
それはミスした2本のジャンプ以外の他のエレメンツは良かったからである。当然良かったエレメンツのGOEには加点が付いた。特定のミスを全体に影響させず、エレメンツひとつひとつを客観的に独立して評価するのもCOPの原則としてまったく正しい。ジャッジは、あるジャンプをミスしたからと言って、他のジャンプやステップ、スピンの評価までも下げてはいけないのだ。このときのジャッジはそうしなかった。誠に正当なジャッジをしたのだ。

これに対し浅田選手の演技は破綻のないもので、快心の出来とまではいかないかもしれないが、十分な演技だったと思う。但し、ジャンプミスを除けば五輪のときの演技の方が良かったのも確かである。ミスはあったが五輪のときの方が演技に集中力と切れがあったように思う。五輪のときのような目立ったミスこそないが、全体的には五輪よりもほんのわずかだが切れを欠く演技。そして五輪では取られなかった3Aのダウングレード。結果的には、これが130点に届くか届かないかの分かれ目になった。130点弱というスコアは妥当だろう。浅田選手に対するジャッジも正当なものだったと思う。
金妍兒がSPで大ポカをやらかしていたので(ミス・パーフェクトの称号剥奪^^;)、総合点では浅田選手は十分な点差をもって逃げ切ることができた。そのため、このFSの件は五輪ほどには注目されなかった。もちろん、それは「フィギュアスケートファンしか見ない」世界選手権での出来事だからということも否定できないだろう。その他大勢の人は五輪の、しかもTV画面の中しか見ていないのだから・・・・。

残念なのは、先述の点差云々を言っている人々の中にはメディアの人だけではなく、スケート関係者、特に元選手までもが含まれていたことだ。(浅田選手本人も同様の発言をしたらしいが、それには眼をつぶろう。試合直後の選手に冷静さを求めるのは酷というものだ)
確かに彼らは現役時代にCOPを経験していないので、頭では理解していても実感としてピンと来ないということもあるのかもしれない。それも無理からぬこと。元選手の発言、感想はいつも正鵠を射るというわけでもない。だって、この件に限らず、自分の好みだけでトンチンカンな発言をする「元チャンピオン」もいるではないか。いつも冷静なのは現役の指導者・コーチの方々だろう。彼らからは不満の声は表立って聞こえてこない。あったとしても不用意にメディアに発言はしないだろう。当事者たる者は冷静な言動が求められる。
騒いでいるのは、いつも外野なのだ。



以上でPart 1、09/10シーズンの総括はお終い。(溜息)
これですべてとは言い切れないけど、この辺で止めておかないと次に進めない。
なんてったって、新シーズンは既に開幕しているのだからorz (←ちょっと若者ぶって使ってみた^^;)


次はPart 2
ようやく10/11シーズンに入る・・・・




Part 2 : 新しい期待、新しい不安 ~ ルール改訂の功罪

新しいシーズンがアナウンスされて、もっとも注目されていることはCOPがまたもや改訂されたということだろう。しかも今回の改訂はけっこう大きな改訂だ。詳細はISUや日ス連のサイトでも確認してもらいたい。ここでは観戦上のポイント、特に私が注目、或いは懸念している部分にだけフォーカスしてまとめておこう。


◆改訂で評価できるところ

1. ジャンプの基礎点が「等間隔」ではなくなった
改訂でもっとも評価できる点は、ジャンプの基礎点の上がり方が「一次関数」ではなくなったことである。
つまり、これまでシングルジャンプでは0.1点刻み、ダブルでは0.2点刻み、トリプル~クワッドでは0.5点刻みという具合に基礎点の差を等間隔に設定していたものを、個々のジャンプごとに難易度を判断して設定し直したことは評価できる。
2A~4Aの例が分かりやすい。(2A、3T、3S、3Lo、3F、3Lz、3A、4T、4S、4Lo、4F、4Lz、4A、の順)

09/10シーズンまで:
3.5、4.0、4.5、5.0、5.5、6.0、8.2、9.8、10.3、10.8、11.3、11.8、13.3

10/11シーズンから:
3.3、4.1、4.2、5.1、5.3、6.0、8.5、10.3、10.5、12.0、12.3、13.6、15.0

09/10までは機械的に0.5点刻みだった基礎点が修正されていることが分かる(アクセル除く)。トウループとサルコウ、ループとフリップの差が小さくなり、相対的に、サルコウとループ、フリップとルッツの差がそれぞれ大きくなった。アクセルは少し様相が異なる。
3Tに近かった2Aは2Lzに近づけられ、06/07以前の「2Lzと3Tの中間点」に戻されたが、3Aは逆に4Tに近づけられた。私は、基礎点は選手が実際に感じている「体感難度」に一致することが望ましいと機会あるごとに述べてきたが、今回の改訂はその考えが少しは反映されたと見ていいかもしれない。同じエッジ系ジャンプでもループはサルコウよりも、同じトウ系ジャンプでもルッツはフリップよりも、さらに難しいという評価が基礎点を修正させたと思われる。特にルッツについては女子はもちろん男子でさえ未だにフルッツが見られることからも合点がいく。
各ジャンプの基礎点の差を等間隔にしなかったのは支持できるが、基礎点を個別に見るとまだまだリアリティに欠ける部分もある。次項「改訂で憂慮する部分」で詳述する。


なお、コンビネーションジャンプの基礎点は1.1倍にするという案もあったらしいが、これはISU総会で見送られたようだ。この案の発想は支持できるが、一律1.1倍というのは実に機械的、事務的だ。
ご存知のように、セカンドに3Tをつけるのか、3Loをつけるのかでは難易度に相当の差がある。また、ファーストがトリプルかクワッドかでも難易度は変わるはずだ。どうせ加算点を設定するのであれば、その点も考慮すべきだっただろう。例えば、以下のように。

【私案1】
「1stジャンプが3Lz以下+2ndジャンプがダブル以下」の場合: 1.0倍(加算なし*)
 *即ち、2A+2T、3F+2T、3Lz+2Lo、等は加算なし。
「1stが2A~3Lz+2ndが3T」の場合: 1.1倍
「1stが2A~3Lz+2ndが3Lo」の場合: 1.2倍
「1stが3A以上+2ndが2T/2Lo」の場合: 1.1倍
「1stが3A以上+2ndが3T」の場合: 1.2倍
「1stが3A以上+2ndが3Lo」の場合: 1.3倍
3連続コンビネーションの3rdジャンプが3T/3Loの場合: 上記の組合せ倍率をさらに1.1倍

こうして書いてみると少し細かすぎるかなとは思う。2段階くらいでいいのかもしれないがその線引きは思いついていない。また、プルシェンコは「4T+4T」を練習していたらしいが、さすがにセカンドにクワッドを入れた場合の加算点をどうするかも思いついていない。読者諸兄でも一考されてはいかがだろうか。


2. エレメンツが減って演技に余裕ができるかも
男女のSP、FS、それぞれで要求エレメンツが減った。これは基本的には歓迎だ。選手も概ね支持しているだろう。時間的に余裕ができて、表現の工夫の幅が広がるからだ。以下に、注目点のみ挙げる。詳細は例によってISUやJSFのサイト等で確認されたし。

男子SPではステップシークエンスが2種類から1種類に減った。女子とペアのSPではスパイラルシークエンス(SpSq)が廃止! 男子のステップはいいと思うが、女子とペアのSpSq廃止とはISUも随分と思い切ったものだ。以前から、短い時間のSPの中でSpSqに要する時間が負担となって演技に独創性がなくなっているという声が特に女子シングルの選手から出ていたようで、今回はその選手の声を反映した形に落ち着いたようだ。もっとも「廃止」と言っても「禁止」というわけではない。SpSqはTESではカウントせず、PCSのTR(つなぎ)で評価する形に変更というのが正確な言い方だ。やりたければやってもよいのである。
ペアSPでは、スピンコンビネーションはソロかペアかはシーズン毎に指定されることになった。SPが「規定課題種目」である色彩が強まって、これはいいことだと思う。

男子FSでは、2Aの認定回数が3回から2回に削減。ステップシークエンスがSP同様1種類に削減。その代わり「コレオグラフィック・ステップシークエンス」(ChSt)が新設され、これを2種類目のステップとして行なってもよいことになった。このChStは従来のステップシークエンスのようにカウンターがどうたらとかロッカーがこうたらとかツイズルがあれやこれやとかの認定要件がなく、自由に組合わせて実施してもよいという、いわば「フリースタイル・ステップ」だ。これはFSの概念にマッチしていてとてもよい案だと思う。これは今季の見どころとして注目だ。なお、ChStはジャンプと同様にレベル判定はなく、基礎点(2.0)+GOEの評価となる。
女子とペアのFSでも似たようなエレメンツが新設されている。従来のSpSqに代わって、コレオグラフィック・スパイラルシークエンス(ChSp)が新登場。ChStと同様にレベル判定はなく、基礎点(2.0)+GOEの評価となる。但し、ChSpには認定要件が設定されていて、3秒以上の姿勢保持が2つ、または6秒以上の姿勢保持が1つ、のどちらかが必須。その要件を満たしていなければ認定されない。即ち0点。
ChSpは自由度が増したようには思えないのだがどうだろうか。今の時点では評価が難しい。実際のプログラムを見てみないと分からないかも。


◆改訂で憂慮するところ

1. サルコウとルッツの基礎点が相対的に低い__
「改訂の良い部分」として、ループの基礎点が上がること自体は納得できるが、サルコウの基礎点が下がるのはいかがか。
金妍兒、浅田の両チャンピオンとも3Sを苦手にしているし、髙橋選手ですら3Sをたまに失敗する。確かにダブルまではトウループとサルコウにあまり差がないのは分かる。ところがトリプル以上になると明らかにサルコウの方が難しくなるという話を聞くことがある。それは、回転数と跳躍の高さが関係している。サルコウやループは高さを得にくいジャンプだ。回転速度を上げないと回転数が増えないジャンプなのだ。

回転数を上げるには2つの方法がある。速く回るか、高く跳ぶか、或いはその両方を同時に行なうかである。
シニア女子の例で説明する。
跳躍の高さが45cmのときの滞空時間(離氷から着氷までの時間)は約0.6秒。跳躍の高さを50cmに上げても滞空時間は0.65秒くらいにしかならない。60cmに上げてようやく0.7秒になる。つまり滞空時間を0.1秒長くするためには15cmさらに高く跳ばなくてはならない。跳躍を15cm高くするのはかなり難しい。したがって実際には回転速度を上げることで回転数を増やそうとするのが一般的だ。回転速度を上げるためには回転軸をより細くすることが基本となる。物理的に言うと、ヨウ慣性モーメントを小さくするため、質量を回転軸に近づけることで、回転速度は上がる。これはスピンでも同様で、回転速度を上げるには手や足をできるだけコンパクトに畳んで「一本の鉛筆」のような姿勢を作るのである。誤解のないように補足すると、回転軸を細くするというのは、ダイエットして体をスリムにするということではない。回転運動時に四肢をできるだけ回転軸側に寄せてコンパクトにすることである。
但し、少しでも細い回転軸を得ようとするのであれば、できるだけ凹凸のない鉛筆のような体形の方が有利だということは言えるだろう。豊かなバストとヒップ、くびれたウェストという所謂「ボン、キュッ、パン」のプロポーションは女性としては魅力的、理想的であることに異論はないが、こと女子スケーターにとって「女の武器」は決して武器にならないのである。扁平な胸、小さな尻、寸胴な腰、いわゆる幼児体形・・・・、一般的には魅力に欠けても競技会ではそれが俄然武器となる。
ちなみに、伊藤みどりさんの跳躍力は男性並みだったことが知られている。彼女の跳躍は70cmに達する。そのため滞空時間も約0.8秒に達した。ジャンプにおける0.1秒、0.2秒は相当のアドバンテージである。彼女の3Aが余裕をもって着氷できたのはこの跳躍力がもたらす滞空時間の賜物だったのだ。もちろん、その跳躍を支えたのはスピードスケート選手並みの太腿であったことも忘れてはならない。

HM (←若者ぶってみた)

サルコウで回転数を増やすには回転速度を上げないと難しい。しかし、回転速度を上げようとすると踏切りのタイミングが難しくなる。エッジ系のジャンプが得意な選手はこのタイミングの取り方が身についているが、トウ系が得意な選手はこのタイミングの調整に苦労するようだ。選手によって得意、不得意があるので、難易度というのは一律に決められない。そこが基礎点設定の難しさだとは思うが、実際にトップスケーターですら苦労しているのだから、その現実に合わせた方が実用的だと思う。
3Sですら苦手なトップスケーターがいるのだから4Sでは尚更だ。今や4Sをまともに跳べるのはケヴィン・レイノルズしかいないのではないか。ジュベールもプルシェンコも跳べないことはないが、実際はかなり不恰好で(高さを稼ごうとするあまりか)ほとんど両足で跳んでいるし、プレローテーションも非常に多い。今その跳び方をするとかなり減点されるのではないだろうか。「サルコウ・クイーン」の安藤美姫選手は恐らく最も美しい4Sを跳ぶ一人だったが、残念ながら今はお目にかかる機会すらほとんどない。
以前にも書いたと思うが、男子では3Tから4Tまで1回転増えるのに24年を要している。3Sから4Sに至っては43年もかかっている。4Sがいかに難しいジャンプかを示唆するエピソードとは言えないだろうか。

また、今回の改訂ではルッツの基礎点が「現状維持」であることはすっきりしない。
ルッツはフリップよりも難しい、ということを基礎点に反映させるために採用した結果が、フリップの基礎点を下げてループに近い基礎点にしたのが分かりにくいのだ。これでは、フリップはもう少し易しいジャンプでどちらかというループに近い、という基礎点改訂に見えてしまう。そうではないだろう。フリップの基礎点を下げないで、ルッツの基礎点を上げるのだ。その方が改訂趣旨が明確になり分かりやすい。
例えば、下記のような基礎点の方が私は納得する。

【私案2】
2A、3T3S3Lo3F3Lz → 3.3、4.04.55.35.56.3
3A、4T、4S、4Lo、4F、4Lz、4A → 8.5、10.3、11.0、12.0、12.3、13.6、15.0

3T、3S、3Fの基礎点は元に戻し3Lo、3Lz、4Sはもっと高くするほうが私はリアリティを感じる。
流石に4Lo以上については私案を用意できなかった。なにせ4Lo以上のジャンプは一度も見たことがない。その難易度は想像すらつかないのだ。


2. ジャンプ回転不足の規定が煩雑になった
オフシーズンで一番話題になったのは、この回転不足規定の変更だろう。いきなり冷水を浴びせるようで申し訳ないが、私はこの改訂を歓迎していない。歓迎している方々には畏れながら「糠喜び」と申し上げたい。
2つの点で歓迎できない。

まず、基礎点が「三重構造」になってしまった。より細かく、煩雑になった。
おさらいする。トリプルジャンプで例示。

(09/10シーズンまで)
N≦2.75 : ダブルジャンプの基礎点にダウングレード(DG)。GOEも減点。プロトコルに「」マークが付く。
2.75<N<3.00 : 正規基礎点が与えられるがGOEで減点。「<」マークは付かない。
N=3.00 : 正規基礎点が与えられる。(回転数によるGOE減点はない)
N>3.00 : 正規基礎点が与えられるがGOEで減点。(オーバーターン)
つまり、ジャンプの基礎点は正規点とダウングレードの2つ。その基準は1/4回転。

(10/11シーズンから)
N≦2.50 : ダブルジャンプの基礎点にDG。GOEも減点。プロトコルに「<<」マークが付く。
2.50<N≦2.75回転不足(UR)の基礎点(正規点の7掛け)が与えられる。GOEで減点。「」マークが付く。
2.75<N<3.00 : 正規基礎点が与えられるがGOEで減点。「<」マークは付かない。
N=3.00 : 正規基礎点がもらえる。(回転数によるGOE減点はない)
N>3.00 : 正規基礎点がもらえるがGOEで減点。(オーバーターン)
つまり、ジャンプの基礎点は正規点と正規点の7掛けとダウングレードの3つ。その基準は1/4回転と1/2回転の2つ。

こうして見るとDGの基準が1/4回転から1/2回転に緩和された。1/2というのは相当大きい回転不足で寧ろあまり見る機会はない。相当無理をして跳ばないとここまで大きな回転不足にはならない。最近の例で見れば、トリノ世界選手権で髙橋選手が挑んだ4Fが参考になるだろう。(ブレードが)後ろ向きに着氷すべきところを前向きに着氷、即ち180度逆の方向を向いて着氷している。これが1/2の回転不足だ。余談だが、ブレードの先端にはピックがついているので前向きに着氷するとピックが氷面にひっかかってしまう。そのため転倒することがほとんどなのだが、このときの髙橋選手が転倒しなかったこと自体も珍しいと言える。
ちなみに、1/4の回転不足では、ブレードが真横(90度)を向いて着氷していることになる。
実際は着氷のところだけを観察すると、相当大きな回転不足がない限り、だいたいは1/4未満で収まっているように見えるはずだ。ところが回転不足の判定は着氷だけで行なわれないことが、今季の改訂で公けにされた。プレローテーションのことだ。

以前、回転不足判定があまりに厳しいので、着氷時だけではなく踏切りもチェックしているのではないか、という仮説を当ブログで唱えたことをご記憶だろうか。その仮説が今季現実のものになった。回転不足は、プレローテーションも加算することが明らかにされたのだ。
実は今季からジャンプの踏切りについて、その質を厳しく問うように規定された。エッジ判定はもちろん、トウジャンプをトウではなくブレードをつけて跳ぶジャンプや、アクセルを後ろ向きに踏み切ることを厳しく見るというのである。より正確に跳びなさいということだ。選手と言うのは皆、大なり小なり癖があるものでそれは看過されてきたところがある。その癖はもう見逃しませんよ、というシグナルなのである。恐らくプレローテーションでターゲットにされやすいジャンプは、サルコウ、ループ、アクセルだろう。アクセルをきちんと前向きで踏み切っていないのであれば減点されるべきだとは思う。アクセルは前向き踏切りが最大の特徴のジャンプだからだ。それに対してサルコウとループがプレローテーションのチェックを受けると相当厳しいことになる。この2つのジャンプはそもそも踏切り前のターンをきっかけにしてジャンプする。換言すると、回転しながら踏切るのでプレローテーションが必然的に発生するのだ。これを完全に無くすのはこの2つのジャンプでは構造上不可能だろう。サルコウとループに限ってはプレローテーションを大目に見てくれないと、軒並み回転不足を取られかねない。

HM2

回転不足用の基礎点(正規点の7掛け)が新設されたことで、得点表も基礎点が2列に並んで表記されている。やたらとルールを追加して、細則が増えるというのが私はどうしても苦手だ。シンプルにできるものはできるだけシンプルにしてほしいものだ。とどのつまり回転不足とはジャンプの出来栄えに関わる問題だろう。であれば、GOEで加減するというのが本来の趣旨に適っているはずだ。毎度毎度言うようで自分自身でも辟易とするところがあるが、私は以下のようにすべきだと思っている。

【私案3】
N≦2.50 : 一律にGOE-3。プロトコルに「<<」マーク。成功と認定しない。
2.50<N≦2.75 : GOEで2点減点。合計GOEも必ずマイナスにする。 「<」マークが付く。成功と認定しない。
2.75<N<3.00 : 成功と認定。GOEで1点減点。合計GOEはマイナスにしなくてもよい。「<」マークは付かない。
N=3.00 : 成功と認定。
N>3.00 : 成功と認定。GOEで1点減点。合計GOEはマイナスにしなくてもよい。
基礎点はすべて正規基礎点で計算。即ち、単純に「正規基礎点+GOE」で評価。

どうだろうか。これくらい思い切ってやるとシンプルになるのではないか。

憂慮する2点目は改訂ルールの運用上の問題だ。
DGが減る代わりに、適用しやすいURが増えて、結果的に回転不足判定が乱発されるのではないかという懸念が消えない。
今回の改訂を「緩和」と見ている人が多いようだが、それは果たしてどうだろうか。DGは減少するかもしれないが、昨季までは見逃されてきた「ぎりぎりセーフのジャンプ」が今季は軒並みUR判定されるということも十分考えられる。もちろん実際のISU公式戦を見てみないと評価できないが、私が「糠喜び」と先述したのはそのためだ。


3. スパイラルシークエンスがもう見られない
既に触れているが、女子とペアでSpSqが廃止された。FSではChSpにマイナーチェンジされて残ったが、SPでは必須エレメンツではなくなった。必須ではなくなったということは、練習しなくなる、果ては誰もやらなくなってしまうのではないかと危惧する。
特に、これからジュニアに上がってくるような世代はもう「やらなくてもよいエレメンツ」になってしまうのかもしれない。そうなるとSpSqの経験がない世代が増えてくるわけで、それってどうよ? という疑問は消えない。
なんでここまで心配するかと言うと、私は昔からSpSqが好きなのだ。だから(珍しく)男子でもSpSqをやってくれるショーン・ソーヤーという選手が好きなのだ。彼は日本でもTake2というコンビで活躍しているので知っている人も多いと思う(爆)
ただ、女子選手の間ではSpSqの廃止は比較的歓迎されているようだ。その多くは時間的に余裕ができるということらしいが、であれば、時間制限を緩和すればよかったのであり、SpSq自体を廃止することはなかったのに、と口惜しく思う。新設のChSpから姿勢の組合せと所要時間の制限を解き、独創性を与えればいいのになあと、ぼやいてしまうのはノスタルジーなのだろうか。



◆評価が分かれるところ

1. (CD+OD+FD)÷2=SD+FD
今季一番の大改革は実はアイスダンスだろう。コンパルソリー(CD)とオリジナルダンス(OD)を合体させて「ショートダンス」(SD)という新セグメントが誕生したのだ。これにより、アイスダンスは今季より2日間で競われる競技に生まれ変わった。これはどういう意味を持つのだろう。

きっかけはISU及び各国連盟の懐事情だと思われる。GPやISUチャンピオンシップの開催・運営コストの削減が背景にある。コスト削減には競技日程の短縮が効果的だ。既に一昨季からその動きはあった。例えば、男女シングルは目玉種目だから別々の日に開催した方がチケット販売上は好都合かと思われていたが、これも同日開催して全体日程を短縮しないといけないくらいに予算は厳しいらしい。そのため一日に実施する競技が増えてしまった。リンクがハードスケジュールになり練習時間も短縮された。これでは大会の競技レベルが低下しかねない。で、どうするか。日程を短縮しながら一日当たりの実施競技数は増やさない。その方法はひとつしかない。実施競技数を減らすことである。その生贄になったのがアイスダンスだったのだ。(生贄とは言い過ぎか?)
とにかく全4種目の中で、3日間必要なのはアイスダンスだけなのである。これを2日間に短縮できれば一挙に解決するというわけだ。
こうして、お家の事情でアイスダンスは生まれ変わることを余儀なくされたのだ。

そういうわけで新しく誕生したSDは、当然CDとODの要素をミックスさせたようなセグメントだと予想される。ルールブックを見ても今一イメージが湧かないので、これは見てみるしかない。その上で評価することになろう。今のところ選手の間では評判は悪くないようだ。自由度が増したという声も聞かれる。
その一方で、FDは制限が増えたように思う。特にリフトの制限項目が増えたようだ。もっとも私自身はリフトが制限されることはそれほど気にしていない。理由は単純。実は、私はアイスダンスのリフトがそれほど好きではないのだ。
Part 1 でも書いたように、私はアイスダンスは競技的に、採点上の飽和状態に近づいているのではないかと思っている。今回の改革は経済情勢がきっかけだったのだろうが、近い将来、競技上の事情からの改革があるのではないかと予想している。


2. スモールメダルの廃止
ルール改訂の話ではないが、私個人が気になっていることを挙げておく。評価対象にしていいか分かれるものでもあるので、このパートで触れておくこととした。

世界選手権の伝統であり、美点のひとつに「スモールメダル」がある。総合順位のメダルとは別に、SP、FSの1-3位にもメダルが用意されている。総合メダルよりは二周りほど小さいのでスモールメダルと呼ばれている、見た目にも愛らしいメダルである。国旗掲揚と国歌演奏こそないが、表彰式も行なわれる。これが今季から廃止されることが決定している。(髙橋、浅田、安藤の3選手は最後のスモールメダルを手にしたことになる)

「フィギュアスケートはSP、FSの合計で競われる競技だから、個別にも表彰するスモールメダルは廃止とした」

このスモールメダルの廃止についてISUはこうアナウンスした(爆) 何をいまさら、と言わざるをえない。もちろん本音は違うところにある。コスト削減なのだ。もうISUはかつかつらしい。別な見方をすれば、スポンサー様様であり、スポンサーを連れてきてくれる選手は宝なのである。まあ、この辺はあまり詮索するのはやめておこう。人の財布の中を覗くな、と言ったのはバーニー・エクレストンだが、ISUの台所事情が苦しいことは覗かなくても十分推察できる。今、ISUはコストダウンと商品開発にやっきになっている。コストダウンは今述べた通り。あの手この手でコスト削減を画策している。商品開発の目玉は「団体戦」だろう。
今季のシーズンエンドに、またまた日本で、今度は横浜で来年4月に世界国別対抗戦(WTT)が再び開催される。この成果を検証した上で、来る2014年のソチ五輪で団体戦を新種目として開催するという皮算用らしい。私はこの団体戦なるものを冷ややかな眼で見ている。動機が不純だし、そもそも個人競技のフィギュアに団体戦は馴染まないと前回のWTTを生観戦した上でもそう思っている。だいいち何チーム揃うだろうか。シングルはいいとしても、ペアやアイスダンスは世界的にも競技人口は少ないのだ。特定国しかチームを派遣できないだろう。それで団体戦が成立するだろうか。徒にチーム数を増やそうとすれば競技レベルの低下は避けられない。
それではIOCが認めるとは思えない。五輪種目として採用されるためには競技人口と世界的な普及という実績が最低条件だからだ。あと4年で一気にその実績ができたら、それこそ臍が茶を沸かしてしまうだろう。チンクワンタ君は出ベソなのだろうか。

スモールメダルの話だった・・・・

スモールメダルには意味があると思っている。SPとFSにそれぞれ価値があるからだ。私はフィギュアスケートの技術面と表現面の両面が健全に成立させていくためには、今後ますますSPとFSの位置づけが重要になってくると思っているのだ。本稿の最後にこの点を書き留めておこう。

まず私はフィギュアスケートはスポーツとアートが共存するところに生きていると思っている。スポーツだけだと「氷上の体操競技」になってしまうし、アートだけだと「氷上のミュージカル」になってしまう。その両方があるから独特の魅力がフィギュアスケートにはあるのだ。誰が何と言おうと私はそう思って何十年も見続けている。
この考えがベースにあるので、SPとFSの意味づけが重要になる。私は現在の「SPのFS化」、「FSのSP化」とも解釈できるルール改訂の動きに憂慮している。例えば、女子SPで3Aが認められるようになったのはSPのFS化の兆しだ。3Aが出来る選手がいるのだからSPでもやらせろというのはSPの趣旨を台無しにしている。また、FSでの要素数や所要時間の制限はSPとの違いを分かりにくくしてしまっている。演技時間の差しかないように見えてしまう。つまりFSはフリープログラムではなく、ショートプログラムに対するロングプログラムでしかないと。

もっとSPとFSの位置づけを明確にした方がフィギュアスケートの魅力が生きてくると思うのだ。SPとFSを統合した方がスポーツとアートの両面を分かりやすくできると思うかもしれないが、統合すると恐らくどちらかに偏る。寧ろ、スポーツ寄りの面とアート寄りの面を別々に見せることの方がお互いが生きてくると思う。その方がフィギュアの多様性が分かりやすいと思う。そこで、本稿最後の私案を以下に示す。


【私案4】
(女子シングルで例示)
●SPは「テクニカル・プログラム」にリポジショニングさせる。
基本は指定エレメンツを全選手に課し、その成否と出来栄えを競わせるものとする。SPでは選手の技術力の差を明確にする競技とする。
課題曲をシーズン毎に指定。楽曲はカテゴリーで指定。選曲の違いによる印象差が生じることを極力排除。

【必須要素】 Required Elements (RE)
ジャンプ: 全種類×1回のみ
 ・T~Lzはトリプル以下。Aはダブル以下。
 ・全種類入らないとディダクション-1。(Ded.-1)
 ・コンビネーションは2連続まで×2種類。2種類実施しないとDed.-1。
  (セカンドジャンプがダブル以下の場合は重複可)
 ・回転不足の「7掛け基礎点」、ダウングレードを廃止。(GOE減点のみ)
 ・転倒は無得点+Ded.-1。(基礎点もGOEも0)
スピン: 単独×1種類、コンビネーション×1種類
 ・種類はシーズン毎に指定。
 ・要素認定されないと、無得点+Ded.-1。
ステップ: 1種類
 ・種類はシーズン毎に指定。
 ・要素認定されないと、無得点+Ded.-1。
スパイラル: 1種類。
 ・姿勢と保持時間を指定。
 ・要素認定されないと、無得点+Ded.-1。

【特別要素】 Special Element(SE)
REのジャンプ、スピン、ステップ、スパイラルの中から任意の要素を1つだけ追加できる。(「得意技」の追加)
 ・追加SEはREと同種類可。異種類を追加したときは基礎点1.1倍。
 ・ジャンプは3A以上可。但しソロのみ。(基礎点加算なし)

【採点方法】
TESは基礎点+GOE。
PCSはSS、TRのみ、各10点満点。PE、CH、INはSPでは廃止。
演技時間は3分20秒。(FSと同時間にする)

【SP順位決定方法】
TES+PCS+Ded.の合計点で決定。
同点の場合はTESが優先。TES同点の場合はDed.が少ない方が上位。それも同点なら同順位。


●FSは「アーティスティック・プログラム」にポジショニング。
制限を無くし、自由な表現を認める。
技術要素はあくまでもプログラム表現のツールと解釈し、技術要素に直接点をつけない。(TES廃止)

【PCS】
従来の5コンポーネンツに1項目追加、6コンポーネンツとする。
新コンポーネンツは Program Impression (PI)。「プログラム全体の出来栄え」を評価。

【構成要素】
すべてのエレメンツの実施回数制限解除。(ザヤックルール廃止)
禁止技解禁。(バックフリップ、4連続以上のコンビネーション等)
楽曲は自由。(ボーカル曲は、歌詞内容のチェックのため事前承認必要)
演技時間は3分20秒。(SPと同時間にする)

【採点方法】
SS、TR、PE、CH、INは各10点満点。PIは20点満点。
転倒、演技時間超過等はDed.各-1。
TESは廃止。(従来のTES要素はSS、TRの中で評価)

【FS順位決定方法】
PCS+Ded.の合計点で決定。
同点の場合はPIが優先。PI同点の場合はDed.が少ない方が上位。それも同点なら同順位。


●総合順位はSPとFSの「順位点」の合計点で決定。
従来の「SP得点+FS得点」の合計点で決定していた方法を廃止。
「SP順位点+FS順位点」の合計点で決定。

【順位点】
SP、FSの各順位をそのまま点数化。(1位=1点、2位=2点・・・・)
SPとFSは同格と考え、FS優先は廃止。(旧採点方法のSP=0.5倍、FS=1.0倍、はなし)

【総合順位決定方法】
SP順位点+FS順位点の合計順位点が「より少ない点数」が上位。
合計順位点が同点の場合は、少しでも順位点が少ない点を持っている選手が総合で上位となる。
例)A選手:SP1位+FS3位=4点、B選手:SP3位+FS1位=4点、C選手:SP2位+FS2位=4点 の場合、
  総合1位=A選手・B選手 (SP、FSは同格のため同点優勝)
  総合3位=C選手 (AはSP1位、BはFS1位のためCより上位)
  *この場合、総合1位が2名のため、総合2位はなし。


●SP、FS、総合の3セグメントで表彰。
SPとFSの1-3位には各々スモールメダルを授与(スモールメダル復活^^)
総合1-3位は従来の大きさのメダル。
SP1位は「ベストパフォーマー」、FS1位は「ベストクリエイター」、総合優勝者が「チャンピオン」と称する。



いやあ、今回はかなり妄想たくましく遊ばせてもらった。これだけ妄想すればもうお腹いっぱいだ^^;
随分と遊んだのでかなり疲れてしまった。
今回は Part 3 まで予定していたのだが、ちょっと体力も知力も尽きたので、Part 2 まででお終い。
Part 3 はまた次回に。
次回は、今季注目の選手について、私の期待と懸念を思いつくままに書く予定だ。
試合のレビューではないので悪しからず。

posted by pbq1463 |06:14 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2010年05月31日

バンクーバーの総括1 ~ プログラムこそはすべて

アベック・チャンピオン?


フィギュアスケート界の09/10シーズンエンドの話題と言えば世界選手権での日本男子初優勝、初の男女アベック優勝ということになろうか。それにしてもスポーツ記者というのは平均年齢が高いというか、高齢化しているのかもという錯覚に襲われた。いったいいつ以来のことだろう、「アベック」という言葉をスポーツ報道で目にしたのは。
その古色蒼然とした言葉がスポーツ報道で使われ始めたのは、恐らく当ブログの読者のほとんどの方が生れる以前に遡るのではないか。

その昔、日本プロ野球界に「ON」と称された二人の英雄がいた。ONである。OFFではない。ゆえにONと書いても「オン」とは読まない。オン読みしないのならクン読みかというと、英雄に「クン付け」は失礼だろうし「サマ」にならん。サマにならんからと言って安直に「O」に「サマ」を付けると「オーサマ」になってしまう。そうすると日本プロ野球界では少々具合が悪い。なにせ日本ではオーサマが球界入りする前に神様と仏様が神仏習合して大暴れした伝説がある。神様、仏様の後にオーサマが現れるとややこしくなってしまうので、メディアはONのお二方をごくフツーに「オーさん」、「ナガシマさん」と呼ぶに至った。
また、ONは身近な仲間内からは「ワンちゃん」、「チョーさん」と呼ばれるときもあったが、テレビが公けに「チョーさん」と呼ぶには別な問題があった。チョーさんも人間。神様、仏様ではない。体はひとつしかない。ゆえにチョーさんは土曜の夜8時に後楽園球場(現・東京ドーム)でヘルメットをかぶっていることはあっても、同時刻にTBSホールで捻り鉢巻をしていることはない。「8時だよ!」と号令をかけても全員集合できないのであれば「チョーさん」のリーダーシップが疑われる。それではまずかろうということで、「チョーさん」と呼ぶテレビは自然となくなった。(なんのこっちゃ^^;)

閑話休題。

要は、ONの「アベックホームラン」が最初だろう。王貞治と長嶋茂雄が同じ試合の中で一緒にホームランを打ったときに使われた言葉だ。もちろん造語。アベックの原語は仏語の前置詞 avec で本来は「~と一緒に」という意味で英語の with に相当。日本では「男女カップル」の意味で使ってきたが、スポーツ界でアベックの先駆けとなったONは男性同士だ。男女カップルでなければアベックにならないというのであれば、ONは「オトコ」と「ナオン」ということになってしまう(勿論そうはならない^^;)。
そういえば「ナオン」も黒縁の伊達メガネで「はっぱふみふみ」と一笑して生れた言葉なわけで、世紀が変わるより遥か昔に死語になったようだ。「ナオンがヤオンで暴れた」のも今は昔。つわものどもが夢の跡だ。

HM
シニアだけではなくジュニアでもアベックチャンピオンが誕生していることをメディアはお忘れか? もっともジュニアのアベックチャンピオンはシニアよりも一足早く2005年に誕生しているが、このときも「アベック優勝」とは誰も騒がなかった。まだフィギュアバブルが到来する一年前のことだった。


言葉遊びも尽きた。世界選手権の話題から脱線してしまったが、見出しにもある通り本稿のテーマは五輪の総括篇。世界選手権が終わり、喧騒のオリンピック・シーズンが閉幕して、巷の熱もようやく冷めただろうから、ゆっくりと歩く速度でかたづけることにしようか。



フィギュアスケートの真骨頂


フィギュアスケートはやはりプログラムなのだなと思った。
五輪を見終わって改めて思ったことは、フィギュアスケートはやはりプログラムで競うスポーツなのだということ。具体的に言うと、ジャンプ、スピン、ステップ、MIFなどの各エレメンツはスケーターの個性を構成する要素ではあるけれども、競技として競うのはそれら個々のエレメンツではなく、それらを駆使して調和させたプログラムで競うのだということ。それゆえ、フィギュアスケートの競技会はプログラムの出来がその勝敗を決する。そういう意味において、今回は各カテゴリーでフィギュアスケートの真骨頂を見せてもらえた、これぞフィギュアスケート!と醍醐味のある大会だった。
もちろん個々に見ていけば、注目の選手の結果が期待していたものとは違い、切歯扼腕、憤懣やるかたなしという御仁もおられようが、まあ、勝負は時の運。ましてフィギュアスケートは採点競技。そもそも、機械測定して、100分1秒、100分の1mmのミクロの世界の精度で競うスポーツではない。ジャッジも人の子、間違いはあるし、主観や先入観も影響しよう。されど、そういう部分まで受け入れることができなければ、人間が見た目で得点・勝敗を判定するような採点競技は存在できなくなってしまう。

最初に私の旗色を明らかにしておこう。
私はフィギュアスケート競技の判定に「ハイテク」を導入することには断固反対である。

他競技の話で恐縮だが、これに関連したエピソードをご紹介しよう。今、最も旬なサッカーの話だ。

ご存知のようにサッカーは、相手ゴールマウスにボールを入れれば得点が与えられ、その得点を競うボールゲームだ。実にシンプルなスポーツなのだが、その得点は審判が判定する。ボールがゴールラインを通過するところを機械が自動判定するわけでもないし、機械を使って確認するわけでもない。あくまでも審判の「視認」によって即時に行なわれる。主審と副審が時間をかけて協議して判定結果を出すなどと悠長なことは皆無とは言わないが極めて稀だ。主審が「入った」と判断したらそれで決定だ。だからゴールライン上のクロスプレーのときは判定に揉めることもある。それでも審判のジャッジは絶対で過去に判定が覆ったことは一度もない。チームも選手もブーたれながらも受け入れる。その曖昧さもまたサッカーの一部なのだと皆分かっているからだ。
では、FIFA(国際サッカー連盟)は判定技術向上の努力・研究を怠っているのかというと、そんなことはない。ボールの中にマイクロチップを入れてその発信信号を拾って機械判定するとか、いろいろな研究を行なっている。このマイクロチップを組み込んだハイテクボール「スマートボール」は公式戦でもテストされて、実際、前回のドイツW杯でも採用を検討されたほどだ。しかし、採用されることはなかった。
その理由を説明するブラッターFIFA会長の言葉は実に啓示的だ。

「サッカーは審判員の目のもとに成り立つもので、誤りも受け入れなければならない。サッカーという競技の宿命だ。あまりにもハイテクになりすぎるとゲームの魅力が失われてしまう。サッカーの持つ人間臭い側面は残されるべきだ」

私はブラッター会長のこの言葉を報道で目にしたとき、とてもうれしくなってしまった。サッカーの文化の真髄を理解し、それを正しく継承しようとするその姿勢に感銘したのだ。曖昧さ、いい加減さ、不正確さ、気まぐれ、主観的、感情的・・・、それら負の要素もすべて人間らしさとして受け入れる度量。その度量がサッカーにはある。換言すると、サッカーはルーズなスポーツだ。アナログなスポーツだと言ってもいい。そのルーズでアナログゆえに世界中に広まり、世界最大のスポーツになったのだと私は確信する。

翻ってフィギュアスケートに当てはめてみよう。
フィギュアスケートは採点競技だ。サッカー以上に競技結果が審判の裁量に委ねられる。但し、今日のフィギュアスケート競技会ではサッカーよりは多少ハイテクを導入している。近年はエレメンツの判定にビデオ再生による確認作業を取り入れている(ビデオ再生くらいで「ハイテク」というのは大袈裟か^^;)。しかしそのビデオ確認も「視認」で行なうだけ。分度器で1度単位で角度測定をすることはないし、ビデオタイミングシンクロナイザーで100分の1秒単位で時間計測することもない。審判が「見た目」で判定する。今でこそビデオ確認が加わったけれど、旧採点方式時代は完全に審判の「その瞬間の見た目」で判定してきた(はずだ)。
フィギュアスケートは長いことそういう判定を是として成り立ってきた競技だ。簡単に言うとサッカーと同様、フィギュアスケートという競技も元来は極めてアナログなものだ。

それをおかしなことにしてしまったのが、現在の新採点方式 “Code of Points” だと私は思っている。どこをどうおかしくしてしまったのかを詳述するのは別の機会に譲るが、(これまた簡単に言うと)一方で新採点方式は「新製品」だということも確かだ。
新製品には「初期不良」が付き物だ。それを改良しながら製品はワインさながらに熟成する。改良を重ねて工業製品の完成度を上げていくことを業界用語で「玉成」(ギョクセイ)と言うことがあるが、新採点方式はまだまだ玉成の途中だとも言える。毎年のように細部に変更を加えていることを見ても試行錯誤の繰り返しだ。
03/04シーズンのGPでのテスト導入を経て、04/05シーズンから本格導入された現採点方式は09/10シーズンでようやく6季目だった。この間、五輪を二度迎えている。この6シーズンの間にはマイナーチェンジが幾度も施されているが、採点の行方を大きく左右するような改訂は行なわれていない。敢えて挙げれば、08/09シーズンに基礎点の見直しがあったくらいか(3A以上の多回転ジャンプの基礎点アップ等)。

バンクーバー五輪の影響もあるのか、この1-2年は特に採点方式に巷の注目が集まったような気がする。トリノ五輪はまだ旧方式の残像が残っていた大会だった。出場選手のほとんどが旧方式で育ってきために「新方式への対応」に苦心している様子がまだ残存していたからだ。それがバンクーバーでは一掃されたと言ってもいいだろう。旧方式経験者はまだ一部には健在だったが、新方式時代の申し子たちが大挙勇躍した大会となった。


どうも今回は脱線が多い。採点方式について書こうとしているわけではない。プログラムの話だ。そうだ、元に戻そう。
フィギュアスケートの真骨頂はプログラムにあり、今回のオリンピックではそのことを再認識させられた、そういうことを書こうと思う。

まず初めにはっきりさせておきたいことがある。
フィギュアスケートの競技会はフィギュアスケートの技術だけで競っているのではないということだ。

スポーツ競技会=技術競争、と短絡的に解釈してフィギュアスケートの試合を見てしまう人は恐らく観戦後に肩がこっていることが多いだろう。試合中に度々首を捻ってしまうからだ。さらにフィギュアスケートの技術をジャンプだけで見ている人に至っては試合後に顎が痛くなっているだろう。試合中に悔しさで頻繁に歯軋りをしてしまうからだ。
フィギュアスケートの試合観戦後に肩を揉んだり顎をさすっている人を見かけたら、その人は技術、とりわけジャンプの成否だけでフィギュアスケートを見ていた人だと思っていい。
もちろん当ブログの常連さんであれば、ジャンプはフィギュアスケートの技術の一部でしかなく(もちろん重要な技術だけど)、フィギュアスケート=ジャンプ競技会、ではないことの説明は不要だろう。それを踏まえた上で今回はプログラムの話をしようと思う。



プログラムが生れるまで


ここからは少々プログラムのことを書くが、そのソースはメディアを介して得られた知見だけではなく、個人的に接点のある某現役選手にお聞きした話も含まれる。家族ぐるみで親交のあるご家庭のお嬢さんで、どういう選手かと言うと、インカレや地方ブロック大会が主戦場の現役学生スケーターだと言えば、そのレベルは凡そ想像できるだろう。

フィギュアスケートの競技用プログラムは簡単に言うと、音楽とエレメンツと振付けの要素で構成される。コスチュームや(アイスダンスの)小道具もプログラムの要素と言えなくもないが、それらは演出要素であっても本質要素ではない(ショープログラムでは演出要素がもっと重要になるだろうが)。音楽が必須要素だというところが、フィギュアスケート競技会=技術競争、と単純にならないことの証しだ。音楽の存在が他のスポーツとは一線を画すフィギュアスケート競技会の最大の特徴だと言っても過言ではない。というよりも、競技会では音楽の使い方が判定を左右する。なにせ「音楽の解釈」や「音楽に合った動き」などが採点対象になっているのだから。
ちなみに、「音楽を使う採点競技」として他に思い浮かぶのは新体操やシンクロナイズドスイミングくらいか。体操競技の女子床運動にも音楽は使われるが、この場合の役割は演技の伴奏程度で採点を左右するほどの要素とは言えない。

音楽をスケートで表現すること、それがフィギュアスケート・プログラムの正体だ。

したがって、プログラム作りにおける選曲は大変重要だ。但し、選手自身が先に希望曲を伝えたり、コーチや振付師が探してきて選手に薦めたり、その選曲過程は一様ではないようだ。振付師とコーチが分業してプログラムを作る場合は、振付師が選曲して基本形を作り、コーチが選手(の技量)に合わせて微修正、仕上げ、演技指導を行なう(振付師が演技指導に助言を与える場合もある)。コーチが振付師を兼務している場合は、コーチがすべてを行なう。

エレメンツ構成は選曲前にほぼ決まっているようだ。今日のフィギュアスケート競技会は「得点競争」となっていて、いかに得点を稼ぐかというシミュレーションが必要になるため、コーチは楽曲が決まる前にエレメンツの「組合せ」を決めておくことが少なくない。トリプルが入った2連続コンビネーションジャンプを2本、3連続コンビネーションを1本、ソロジャンプを4本、足換えコンビネーションスピンを1本、単一姿勢のスピンを1本、ステップシークエンスを1本・・・・というようなエレメンツの組合せは楽曲に関係なく事前に選択しておくことができるからだ。

楽曲が決まると、エレメンツの「組合せ」に「順列」をつけていくことになる。曲調や曲の構成に調和するようにエレメンツを並べ替えるのだ。また、逆にエレメンツの実施順を優先させて、それに合うように原曲を編集・再構成する場合もある。例えば、体力を消耗する4回転のコンビネーションジャンプのようなエレメンツは演技の前半に入れたいと考える。ところが原曲の前半はスローで静かなパートになっていてジャンプのリズムと合わないし、選手もタイミングがつかみづらいことが分かった。そのため、エレメンツの実施順に合わせて原曲を分解、編集して、ジャンプのタイミングに合うパートを別のパートから移植するような曲構成に編曲することもある。

曲の構成を並べ替えるだけでは済まない。競技用プログラムにするには、原曲を制限時間に収まるように「尺」を合わせたり、選手が滑りやすい(会場で聴き取りやすい)ように音圧レベルを調整したりする。原曲がヴォーカル曲しかなければ、歌を抜いて「カラオケ」に作り変えてしまう。さらには、サンプリングが普及した今日では、原曲にはない部分をサンプリングで補う「補作曲」までやってしまう。曲中の特定パートだけを単純につまんでつないでしまうもの、複数の曲・パートを抜粋・つなぎ合わせて一つの曲としてまとめてしまうもの等々、編集作業も様々だ。

もちろん編集もここまでくると専門職の仕事であり、振付師の領域を超えている。フィギュアスケートの世界でも楽曲の編集・音響調整を手がけるスペシャリストがいるそうだ。もっとも編集のスペシャリストにもピンキリはあるらしく、音響的な知見はあっても音楽的な知見に欠ける「音工屋さん」の場合は、過度の編集で原曲をスポイルしてしまうこともあるらしい。もし、あなたが競技会を観戦していて、原曲では感じられなかった「流れの悪さ」をそのプログラムに感じるようなことがあったら、そのプログラムは原曲の編集をやり過ぎたのかもしれない。

もちろん、ここまで凝った編集をするには時間もお金も相応に必要となる。フルオーダーメイドのプログラムはトップクラスのスケーターの場合の話だ。それに比べて、件の学生さんなどの場合はレディメイドとは言わないが、そのプログラム作りはもっと簡便だ。先生(コーチ)が用意してくれた何枚かのCDを聴いて自分の好みを伝えて、あとは先生にお任せというパターンが多いとのこと。彼女の技術レベルでは構成エレメンツのレベルも種類も限られているので、その組合せは至ってシンプル。曲に合わせてエレメンツを並べていくだけでプログラムが出来上がるということだから、時間も金もトップスケーターほどにはかからない。
そもそも彼女はその先生にとって、その他大勢の生徒の中の一人にすぎないので、先生が彼女を直接指導する時間も1レッスン当たり30分もないとのこと。でも、それは彼女のレベルの選手では普通のことらしい。
私たちがTV中継で見かけるキス&クライの風景から、選手とコーチは常に二人三脚で緊密な関係にいるように錯覚してしまうが、それはほんの一握りのトップスケーターとプロコーチに限った話で、エリートだけに許された特別な世界の話ということだ。

かように音楽が重要な要素となっているというたったひとつの事実だけでも、フィギュアスケートの試合が単純な技術競技会ではないことを雄弁に物語っていよう。換言すると、それゆえにフィギュアスケートは「スポーツか?芸術か?」の論争が尽きない。もっともその論争を仕掛ける人は私に言わせればフィギュアスケートを表層的にしか見ていない人と言える。スポーツ?芸術?・・・・、いや、そのどちらでもない。それら両者の融合したところにフィギュアスケートの真髄がある。そこに気づかない、或いは魅力を感じない人がやたらと肩が凝り、顎が痛くなるのだ。



おまけ・・・・

コーチの話をひとくさり。
コーチは大別すると2つのタイプに分かれることは先述した。プログラム作り・振付けは専門コレオグラファーに発注し、自分は演技全体を仕上げていくという「外注コーディネイト型」と、技術・演技指導からプログラム作り、振付けまでコーチが一人で行なう「内製ワンマン型」の2タイプだ。

プログラム開発という視点に限って言えば、前者の方が後者よりもフレキシビリティがあると言えよう。目指す方向性、狙うテーマ、ほしいイメージに合わせてコレオグラファーを選べばいいからだ。
一方で後者の場合はリジディティを孕んでいる。プログラム作りが一人のコーチの引出し・感性・判断にすべて委ねられるからだ。
後者では、選手は首尾一貫した指導を受けやすいというメリットがある反面、この体制を続けていくとプログラムが毎回似たような選曲・振付けになりやすくマンネリ化のリスクも負う。そのコーチのアイデアの引出しがなくなってくるからだ。こういうコーチにつくと選手も最初のうちは世界観を作りやすく自己スタイルの確立にもつながるかもしれないが、その後は手詰まりとなりやすい。安心して見られる反面、変わり映えがなく面白みのない演技に陥ってしまうこともしばしばだ。それは定食のようなものだ。
定食は安心して食べられるが強い印象は残さない。わざわざ好んで毎回同じ定食を選ぶ人がいるとしたら、その人は食事に変化を求めていないか、然もなくばその定食の依存症になっているかだ。

次のステージへ行きたい、或いは自分の殻を破りたいと欲する選手であればコーチを変更することは有効な手段だろう。少なくともプログラム開発、振付けは外注した方が未来が開けてくる可能性が高いのではないか。チームに新しいスタッフが入ってくることのメリットは大きい。外部の人の方が自分の長所も短所も客観的に見てくれる可能性は高い。外注コーディネイト型コーチの場合はプログラムごとに振付師を変えられるので「新鮮な風」が入りやすい。換気は適宜必要だ。

一方で、内製ワンマン型コーチに長く師事する場合は要注意だ。長く二人三脚を続けていればコミュニケーションも深まり居心地はいいかもしれない。しかし、師弟関係が緊密になればなるほど排他的になり「外の声」に耳を貸さなくなるものだ。そうなると選手はコーチの技量と自分との相性を客観的に評価する目を失うだけではなく、「外の声」の中に核心的なメッセージが含まれていても聞き逃してしまう恐れがある。

栄光と成功に胡座をかいているコーチ、或いは自分の不振の中で他人に不信を抱いてしまった選手。
成功は人を保守的にする。
火傷した子供は火を恐れる。
彼らはシェルターの中にいれば安全だと信じているが、シェルターの外で新しい風が吹き始めていることはシェルターから外に出てみなければ分からない。



さて、次回はバンクーバーで見た「プログラム」について、具体的にレビューする。

posted by pbq1463 |20:16 | コメント(1) | トラックバック(0)
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