2008年10月01日
07-08シーズンからフリップとルッツに限ってエッジ判定が厳しくなったことは記憶に新しい。当ブログでもこの点については、きちんとまとめた形で考察しよう、と予告していた。そこで今回はシニアクラスの08-09シーズンが直前に迫ったプレシーズン企画として、このエッジ問題を総括し、08-09シーズンの展望の一助としよう。
まずは、フリップとルッツというのはどういうジャンプでどう違うのか、簡単におさらい。(右足が利き足で反時計回りにジャンプする場合で説明)
フリップとルッツの共通点
バックスケーティング(後ろ向きの助走)で、左足のエッジと右足のトウで踏切り、右足のアウトエッジで後ろ向きに着氷する。両者ともエッジだけではなくトウも使う「両足踏切り」のため高さが得やすい。
ちなみに、サルコウやループは片足エッジだけで踏切るので高さはあまり出ない。(回転数を上げるには、高さではなく回転速度を必要とする)
フリップとルッツの相違点
左足エッジの、インサイド(右側のエッジ=身体の内側)を使うのがフリップ。アウトサイド(左側のエッジ=身体の外側)を使うのがルッツ。
ちなみに、フリップ(Flip)は「はじく、はじき飛ばす」という意味の一般動詞。対してルッツ(Lutz)は、考案者の Alois Lutz というスケーターの名前が語源。
また、基礎点はルッツの方が高い。左足インエッジから反時計回りに回転するフリップは自然に回転しやすいのに対して、ルッツは不自然で回転しにくいからだ。左足アウトエッジから反時計回りに回転しようとするのは「逆方向」に無理やり回ることになるのでルッツはフリップよりも遥かに難しいとされているわけだ。もっともその割にはトリプルの場合で言うと基礎点は0.5しか違わないが(3F=5.5、3Lz=6.0)。そして、比較的跳躍力の劣る女子選手ではルッツを正確に跳べないため、ルッツと申告しておきながら実際はフリップで代用(=フルッツ)してしまう選手が多いと言われている。ちなみに、本来インエッジで跳ぶフリップをアウトエッジで跳んでしまう ジャンプを「リップ」と呼ぶ。(いずれも造語)
というわけで、簡単に言うと、フリップとルッツの跳び方の違いは踏切りエッジがインかアウトだけだ。(厳密に言うと、アプローチの仕方も異なるが、本章では割愛)
ここまでは理屈と定説の話。では、実態はどうなのか?
今回は07-08シーズンの実績を集計し、巷言われている定説を事実に基づいて検証しようという酔狂な試みである。
検証の条件(検証の対象)
1. 競技会はシニア、カテゴリーは男女の各シングルを対象とする。
(ジュニア選手でもシニア競技会での試技であれば対象とする)
2. ISUスコアが認定される、ISUチャンピオンシップとGPシリーズを対象に集計。
(世界選手権、欧州選手権、四大陸、GPシリーズ6戦+ファイナル1戦)
3. 対象となるフリップ&ルッツは、トリプル以上とする。
(男女とも条件を揃えるため、男子で実施の少ないダブル以下を除外)
4. 技術審判がエラー判定したジャンプのみを「リップ&フルッツ」
としてカウント。(私見の排除)
5. 対象競技会に2回以上出場し、フリップとルッツの両方を2回以上
実施した選手で集計。(偶発性の排除)
検証の結果
男子
◆フリップ&ルッツ実施選手:42名
◆フリップ実施回数:延べ236回
「リップ」判定回数:延べ56回(エラー率23.7%)
◆ルッツ実施回数:延べ347回
「フルッツ」判定回数:延べ4回(エラー率1.4%)
女子
◆フリップ&ルッツ実施選手:33名
◆フリップ実施回数:延べ218回
「リップ」判定回数:延べ38回(エラー率17.4%)
◆ルッツ実施回数:延べ256回
「フルッツ」判定回数:延べ52回(エラー率20.3%)
ちょっと意外な結果ではないだろうか。
男子ではルッツを正確に跳べる選手が多いのは予測できたとして、ルッツよりも易しいはずのフリップがリップになってしまう選手が多かったのは予想外だった。延べ回数で言えば、4回に1回はリップになってしまっているという結果だ。
女子ではフルッツが多かったのは予想通りか。しかし、男子ほどではないもののリップも意外に多かった。大雑把に言えば、女子ではフリップとルッツが両者とも5回に1回は不正確に跳んでいた計算になる。
巷の定説には実はもうひとつある。フリップが得意な選手はルッツが苦手、ルッツが得意な選手はフリップが苦手という定説だ。
難度の理屈で言えば、ルッツが跳べるのであれば、より易しいフリップは問題なく跳べるはずだと考えがちだが、実態はそうではない。選手には癖や相性というものがあり、理論通りにはいかないということだろう。ルッツの習得過程でアウトエッジで踏み切ることに慣れてしまって、フリップまでもがアウトエッジになってしまったということもあるようだ。
一方で、フリップがリップになってしまう選手がエッジを矯正することは比較的可能だと言われている。フリップの後にルッツを習得した選手であればフリップは「元に戻す」作業だからだ。
これに対して、ルッツがフルッツになっている選手のエッジ矯正は相当に困難だと言われている。なぜなら、その選手は実はルッツをまだマスターできていないからだ。フリップは習得したが、ルッツが未習得の状態で「フリップでルッツ風に跳んでいる」に過ぎないから、ということらしい。アプローチだけはルッツ風に行ない、ジャンプ自体はフリップで跳ぶ、換言すれば「代用」しているだけということになる。ルッツの習得を途中で止めて「代用ジャンプ」で誤魔化すことを続けてきたため、正確なルッツの「習得前」に変な癖がついてしまっているというわけだ。
なぜ女子選手にフルッツが多いのか?
それは同一ジャンプの実施回数を制限した通称「ザヤック・ルール」と、より基礎点の高いジャンプを跳ぶことが有利になる新採点方式の影響ではないか、と小生は思っている。ルッツをまだマスターしていないのに、回数制限をクリアしながら高い基礎点が欲しくて「代用ジャンプ」を使い続けてしまった代償なのではないか。技術審判が今まで看過してきたこともこれに拍車をかけただろう。より高い基礎点のジャンプを少しでも多く入れる・・・そんな点数稼ぎにこだわったプログラム作りがしっぺ返しを喰らったと言っては言い過ぎだろうか。
次に、選手個々の判定状況を検証する。
男子
◆1回もエラー判定されなかった選手:19名(男子全体の45.2%)
*実施回数によるTOP5:
1位 マイケル・チャン/延べ23回(Flip11回、Lutz12回)
2位 高橋大輔/延べ22回(F12回、Lz10回)
3位 クリストファー・ベルントソン/延べ19回(F11回、Lz8回)
4位 ステファン・ランビエール/延べ17回(F7回、Lz10回)
5位 エヴァン・ライサチェク/延べ12回(F4回、Lz8回)
◆フリップが半数以上「リップ」判定された選手:10名(23.8%)
*フリップがすべて「リップ」判定された選手:2名
マニュエル・コール(フリップ実施回数3回)
アレクサンダー・カザコフ(同2回)
◆ルッツが半数以上「フルッツ」判定された選手:1名(2.4%)
*ルッツがすべて「フルッツ」判定された選手:0名
女子
◆1回もエラー判定されなかった選手:15名(女子全体の45.5%)
*実施回数によるTOP5:
1位 カロリーナ・コストナー/延べ25回(Flip15回、Lutz10回)
2位 金妍兒/延べ20回(F8回、Lz12回)
2位 ジョアニー・ロシェット/延べ20回(F8回、Lz12回)
4位 安藤美姫/延べ17回(F7回、Lz10回)
5位 レズリー・ホーカー/延べ12回(F6回、Lz6回)
5位 金羅英/延べ12回(F6回、Lz6回)
◆フリップが半数以上「リップ」判定された選手:5名(15.2%)
*フリップがすべて「リップ」判定された選手:1名
サラ・マイアー(フリップ実施回数8回)
◆ルッツが半数以上「フルッツ」判定された選手:6名(18.2%)
*ルッツがすべて「フルッツ」判定された選手:4名
アシュレー・ワーグナー(ルッツ実施回数12回)
浅田真央(同9回)
キャロライン・ザン(同9回)
浅田舞(同4回)
1回もエラー判定されなかった=パーフェクトに跳び分けていた選手は、男女とも5割弱。これもやや意外。女子はともかく男子はもっと多いイメージがあったが、男女に大差はなかった。パーフェクト・ジャンパーには男女ともトップスケーターが名を連ねているのは納得するところ。
問題は、すべてエラー判定された=跳び分けがまったくできていなかった選手、である。男子の2名はいずれもトップクラスとは言いがたいのでまだいいとして、女子の5名がいずれもトップスケーターであったことは驚き以外の何物でもない。アシュレー・ワーグナーとキャロライン・ザンはジュニアから上がってきたばかりということで目をつぶるとしても、浅田真央選手は「ジャンプの名手」としても知られてきた世界チャンピオンのはずであり、サラ・マイアーにしても欧州を代表する実力派スケーターだ。これはどうしたことか。1シーズンでは間に合わないほど矯正が困難だったということか、それとも1-2点程度の減点であれば他でリカバーできると高をくくったか・・・・、よもや矯正は不可能とあきらめたわけではあるまい。
いずれにせよ、両選手とも他の範となるべき選手であるだけに今季は是非ともエッジ矯正に本格的に着手し、その成果を篤と拝見したいと願うばかりだ。
エッジ判定方法の構造的欠陥
公式記録によるエッジ・エラーの実態検証は以上の通りだが、小生は当ブログにおいて、しばしばその判定に疑問を投げかけてきた。プロトコルを鵜呑みにせず、あくまでも自分自身の目視を大切にする小生の判断と、プロトコルに記載された公式記録が一致しないことが少なからずあったからだ。言うまでもなく、小生はISUの技術審判ではない。「専門家が下した判定になんでイチャモンをつけるのか?」と訝しがる向きもあろうが、たとえ専門家と言えども人間のやることに完璧はないものだ。必ずそこには限界があるし、さらには非合理的であることを承知で強行するという「権威の乱用」さえ存在する場合がある。新採点方式になってからは一見、採点の透明性・客観性が向上しているようには思われるが、一方で「強引な判定」も存在するように見受けられる。特に、このエッジ判定については判定方法に「構造的欠陥」があることを承知で強引に行なっていると思わざるをえない部分がある。
そこで、このパートではエッジ判定方法の欠陥を検証し、知見を高める一助にするための考察を試みる。
エッジ判定は技術審判の裁量だが、彼らの判定方法のポイントを以下に簡潔に整理する。
1. まずは「目視」で判定。
2. 審判専用カメラで撮影されたビデオ映像でも確認するが、その再生速度は標準。
(回転不足判定のようなスロー再生は行なわない)
3. 審判専用カメラは1台、設置位置は審判席の横。
(即ち、審判の目視と専用カメラの撮影方向はほぼ同じ角度)
4. 踏切る瞬間だけではなく、アプローチでのエッジの傾きも参考に判断する。
(「間違ったエッジを使っている時間」の長さも考慮に入れる)
上記1-2に象徴されるように、エッジ判定は曖昧さを相当に孕んで判定されていると思っていいだろう。回転不足に対する異様なまでの厳格さとは雲泥の差だ。ISUはエッジ判定を回転不足ほどには問題視していない、と考えていいだろう。(減点方法もそれに比例している)
上記4点で最も注目していただきたいのは、3番目の審判専用カメラの台数と設置位置である。
フィギュアスケートリンクの国際規格は、長辺60m×短辺60mの長方形(四隅は角丸)で、面積は1800平方メートルとなっている。技術審判3名(TC、TS、ATS)とジャッジ10-12名(競技会により変動)は、長辺側のリンクサイドに陣取るのが基本。他の技術要素同様、エッジ判定は技術審判が判定するのだが、問題は彼らの「席位置」にある。当然ながら座席は固定されていて、選手の演技中に自由に動くことができない。当然、審判席からでは「見えにくい角度」が必ず生じる。しかも「目視」をサポートするはずの専用カメラもほぼ同じ角度からしか撮影していない(目視の死角を補完していない)。
エッジの傾き角度(イン/アウト)は、ブレードの正面または真後ろからがもっとも見分けやすい。即ち、選手が技術審判に対して縦方向に向かってジャンプするときが最もエッジ角度が見やすい。逆に、技術審判の前を横切る方向で選手がジャンプすると最も見えにくい。エッジ自体の角度が見えにくい場合は、(アプローチ時の)膝や足首の曲がり具合などを参考にせざるをえないという。つまり、選手がリンクの長辺方向に滑ってフリップやルッツを跳ぶと、技術審判からはエッジが見えにくいのだ。しかも厄介なことに、他のジャンプに比べ長い助走を必要とするフリップ&ルッツは長辺方向(審判の前を横切る方向)に実施されることが多い。
こんなことは素人の小生が指摘するまでもなく、ISUの技術委員会では百も承知のはずだ。専用カメラをリンク長辺側だけではなく、短辺側にも設置し、ダブルアングルで確認するのであればこの構造的欠陥を少しでも改善できようが、それも行なっていないようであれば「無理を承知で強引に判定している」と言わざるをえない。
一方で、こちらはTV中継のマルチアングル映像やスロー再生など、現場の技術審判よりも遥かに厳密にエッジを確認できる。このことが判定に疑義を生じさせる温床となっているのではないか。
小生がコリオグラファーだったら、フリップやルッツのエッジに自信がない選手のためには、フリップやルッツは必ず長辺方向に行なうように構成したプログラムを作る。技術審判の目を盗める公算が大きいからだ。
金妍兒の「リップ疑惑」
エッジ判定のテーマでもうひとつ避けて通れないのが、金妍兒の「リップ疑惑」の件だ。当ブログでもしばしばその「疑惑」について触れてきたことをご記憶かと思う。本章では、その疑惑について結論を出したいと思う。
但し、本章を進める前に予め書き添えておきたいことがある。それは、本章の目的は金妍兒の弾劾にあるのではなく、ISUの判定方法及び技術委員会の運営に問題があることを指摘することにある。当ブログでは特定の選手だけを賞賛することは極力避けたいのであまり触れたくないことだが、小生は金妍兒を非常に高く評価している。さらに告白すると好意的にすら思っている。順番は申し上げにくいが、5本の指に入るくらいお気に入りの選手である。よって、この問題は金妍兒に非があるのではなく、寧ろ金妍兒はISUの曖昧さの被害者であるとさえ思っている。金妍兒ファンの方がいらしたら、どうか冷静に本章を読んでいただきたい。
先述のように、プロトコルに基づく検証では金妍兒は一度もエラー判定を受けていない。パーフェクトに跳び分けができている選手ということになる。しかし、小生が見る限り、(ビデオの助けを借りなくても)どうしても彼女のフリップはアウトエッジに見えて仕方がない。
彼女のフリップはリンクの長辺方向に行なわれる。先述のように踏切りエッジは審判席からは見えにくいだろう。それでも、踏切り前の左膝の開き具合、左足首の曲がり具合は「目視」でも確認できるはずで、インエッジで踏み切っているとは到底見えない。百歩譲って「フラットエッジ」(インにもアウトにも傾いていない垂直に立ったエッジ)がいいところだ。そうは言ってもISUが認定していることも事実なわけで、ISUの基準では金妍兒のフリップは「セーフ」ということになる。
ひとつ盲点があるとすれば、彼女はフリップを必ずコンビネーションで跳んで(3F+3T)、ソロでは跳ばないということだ。彼女のコンビネーションは本当に素晴らしい。助走スピード、高さ、距離、回転軸、着氷姿勢・・・どれを取っても申し分ない。GOEで+2の加点が付くことも珍しくない。コンビネーションジャンプとしての全体の出来栄えがフリップのエッジを忘れさせてしまうほどだ。実際、たとえフリップのエッジで減点されても、コンビネーション全体の出来栄えがエッジの減点を上回り、トータルではGOEが加点になっていると考えることもできる。3Fをソロで跳んだらどうなるか?「e」マークは付くのか?GOEは減点されるのか?実際に彼女がソロで跳んで見せてくれない限り、それは憶測の域を出ないだろう。コーチのブライアン・オーサーさんは金妍兒の3F+3Tを見て、その全体の出来栄えがあまりにもいいので、細かくエッジ指導をする必要はないと思ったのではないか。エッジを気にしてコンビネーションが崩れてしまうよりは、このままの状態で跳んだ方が得られるものは大きいと考えたのではないか。つまり、弱点の矯正ではなく特長を生かす、ということ。勿論これは小生の大胆な想像ではあるけれども、もし本当にそうだとしたらオーサー・コーチの大英断だったと思う。
まあ、このような仮説を立ててみたところでプロトコルの事実はシンプルに「認定」を示しているだけだ。
しかしそれでも釈然としないのは、金妍兒のフリップにISUがお墨付きを与えているという「オフ・アイス」の問題だ。
07-08シーズンが始まる前にISUの技術委員会は各国協会の役員を招き、その場でフリップ&ルッツの「模範映像」が上映されたという。その映像が金妍兒のものだったと報道されている。この報道の通りだとしたら2つの点で問題がある。
まず1つ目は、ルッツはともかく金妍兒のフリップは模範演技としては不相応ではないかということだ。理由は上述の通り。彼女のフリップは「可」かもしれないが「優」とは言えないだろう。模範というのであれば、カロリーナ・コストナーやジョアニー・ロシェットの方が遥かに相応しいのではないか。ルッツはともかくフリップに限定すれば村主章枝選手のだってかなりいい。
2つ目は、現役選手の映像を模範映像として採用するのはアンフェアだということだ。公平を期さなければならないISU自身が特定選手のエッジ判定について審判に予断を与えることになるからだ。模範映像は引退した選手のものにするべきで、現役選手の映像しか入手できなかったというのであれば、選手を特定できないようにその映像を加工・編集してから上映すべきだった。上半身にモザイクをかけるとか、下半身だけをアップにするとか、いくらでもできたはずだ。
実は、ISUがこのようなアンフェアなことをするのは今に始まったことではない。かつて、渡部絵美さんが現役選手だったころ(約30年前)、彼女の2Aを模範演技として技術委員会で取り扱っていたことがある。流石に当時は現在ほど細かい採点基準はなかったので、実際にジャッジに与えた影響は微々たるものだったのかもしれないが、現役選手の演技を模範として扱うことが採点競技の審判にどれだけ影響を与えるかということについて、ISUは昔から無頓着だということだ。
金妍兒のフリップは、07-08シーズンのISU基準では合格ラインに達していて、減点対象にはならない。但し、合格点(可)はもらえるかもしれないが、「優」、「良」がもらえるかというと厳しいかもしれない。これが結論だ。
金妍兒は誠実で自分に正直なだけではなく、どこか内省的な志向がある選手だ。それが彼女の魅力でもある。金妍兒はとても聡明な女性だ。彼女は自分の長所も短所もすべて自覚できている。であればこそ、ISUのお墨付きに浮かれることなく寧ろ冷淡なくらいに受け止めているのは、他ならぬ彼女自身ではないだろうか。
08-09シーズンのルール改正
エッジ判定の厳格化が昨季から行なわれ、今後はさらにその厳しさが増すものだと予測していた。ところが、過日発表されたルール改正は拍子抜けするものだった。既にISUのアナウンスをご覧になった方も少なくないだろうから以下に簡潔に記す。
1. エッジ判定は2段階で判定する。
2. 重度の間違ったエッジで踏み切った場合、技術審判は「間違ったエッジ」であったことをジャッジに通知、且つGOEを必ずマイナスにするようにジャッジに指示(強制)。プロトコルには “e” マークを記載(edgeの意)。
3. 上記2よりも軽度の「間違ったエッジ」の場合は、GOEの減点はジャッジの任意(減点してもしなくてもよい)。プロトコルには “ ! ” を記載して(Attentionの意)、上記2と区別。
エラーの度合いにより減点の幅を持たせたことは理に適っている。但し、上記3は実質的に「目をつぶる」余地を追認したことになる。この改正で今季はエッジで減点される選手が減少すると予測される。昨季のエラー判定された選手の中で「より軽度」の選手は「減刑」されることになるわけで、「軽度」と判定されるとGOEはマイナスにならない可能性が出てきたからだ。
一方で、昨季は「クロ」とは断定されず「灰色」に留まり、結果的には減点を免れていた選手の中で、今季は「軽度」と判定される可能性も出てきたとは言える。但し、ISUが昨季に「灰色」と睨んでいた選手がどの程度いたのかはまったく情報がないので予測がつかない。
とにかく、ISUがエッジ判定の減点を厳格化しようという方向でルール改正をしたとは思えない。厳格化するのであれば、エラーの度合いに限らずGOEは必ずマイナスにする。重度のエラーは-3、軽度は-1。これくらいにしないと厳格化したとは言えない。マイナスにしなくてもよい、という余地を作ったことは、エッジ判定を緩和したことになる。
なぜ緩和したのか?
手前味噌のようで気が引けるが、当ブログの検証でも指摘したように、ISUもエッジ判定の困難さと選手の実態に気づいたということではないだろうか。審判席からは見えにくい死角があること、女子選手はともかく男子選手にも多くのエラーが見られたこと。エッジ判定を厳格化していくことは混乱を招くだけで非現実的だと判断したのかもしれない。その結果が今季のルール改正(緩和)の背景にあったのではないか。まあ、それもよしとしようか・・・・。
但し、このようなルール緩和は昨季まじめにエッジ矯正に取り組んでいた選手にとっては梯子をはずされたのも同然だろう。得意のルッツの調子を崩してまでもフリップのエッジ矯正に真面目に取り組んでいた選手やコーチはどのような思いでこのルール改正の説明を聞いただろうか。一方で、エッジ矯正を先送りにして延命を図ってきた選手やコーチはこっそりと安堵しているかもしれない。正直者が馬鹿を見たのだとしたら、猫の目のように変わるISUのルール改正は何とも罪作りなことをしたものだと思うのである。
08-09シーズンのプレシーズン企画の第1弾として、今回は「エッジ判定の検証とルール改正」についてまとめた。次回、第2弾は「ジャンプの回転不足の検証とルールの欠陥」についてお届けする予定だ。ジャンプの回転不足の判定については、現行ルールがほとんど死文化しているとしか思われないからだ。その点について検証と指摘を試みる。
それはいつになるか? GPシリーズ開幕までには間に合わせないと「プレシーズン企画」にはならないのだが・・・・(汗)
posted by pbq1464 |22:49 |
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2008年09月01日
世界選手権の出場枠
ファンというのは通常、自分が応援している選手の演技や成績が関心の中心だろうが、複数枠を保有している国/地域の協会関係者や指導者らにとっては選手個々人の成績と並んで、この出場枠数は大変な関心事である。少しでも多くの自国選手を出場させ、選手育成に役立てたいと考えるからだ。ここで簡単にこの10年間の日本の例で見てみよう。
男子シングルでは、長らく日本の第一人者として活躍していた本田武史さん(現・プロスケーター)の成績次第で日本の出場枠数が1-2名の範囲で増減を繰り返す時代が続いていたが、前回の東京大会で高橋大輔選手(2位)と織田信成選手(7位)が揃って活躍、合計9pt.を獲得し、08年イエテボリの出場枠として3枠を得た(私の記憶が正しければ日本男子勢の3枠獲得は初めて)。だが、そのイエテボリでは3枠獲得の原動力の一人であった織田選手不在の中、高橋、小塚、南里の3選手で再び3枠を確保できるかどうかについて、JSFが相当気を揉んだのは想像に難くない。
一方で女子シングルの場合は、2001年バンクーバー大会までは1枠だったが、この大会で村主章枝選手が7位と健闘し2枠獲得。翌02年長野では村主(3位)、恩田美栄(5位)両選手の活躍で合計8pt.を得て初めて3枠獲得。以降はこの2名に加えて、荒川静香、安藤美姫、中野友加里、浅田真央の「野辺山世代」の選手が次々に出場。日本女子勢は毎回2名以上が好成績を連発し、03年以降は連続して3枠を維持している。
こうして見ると複数枠獲得のためには、国内1強ではなく2強以上で競い合う層の厚さがいかに重要かが分かろう。それは長らくJSFが推進してきた育成計画のひとつの到達点であり、私のようなオールドファンの夢だった。こうして08年イエテボリで初めて男女揃って3名ずつ出場できるという状況になったのである。新聞の片隅にしか載らずTVでもついでに紹介される程度だったが、男女揃って3枠を獲得した07年東京大会は、そういう意味でもエポックメイキングな大会だったのだ。
そこで今回は世界選手権のエピローグとして、次回09年ロスアンゼルス大会の出場枠数について記しておこう。出場枠数を見れば、各種目での勢力図も分かりやすくなる。
世界選手権では当該大会に出場した選手の「順位ポイント」により次回の各国/地域の出場枠数が決定される。翌季に五輪を控えている場合は五輪の出場枠数にも適用される。簡潔に説明すると以下の通り。
選手に与えられるポイント
1-15位の選手: 順位をそのままポイント化。 (例)1位=1pt.・・・・15位=15pt.
16-24位の選手: 全員16pt.
25位以下(FNR)の選手: 全員18pt.
大会にエントリーしていたが故障等で最初から棄権した選手(今回では男子シングルのプレオベール)、FSで途中棄権した選手(今回では女子シングルの安藤美姫選手)も「FSの成績が記録されなかった選手」であり、FNR扱いとなり25位以下の選手と同様に18ptとなる。
次回複数枠を獲得する条件
どの国/地域でも最低1枠はエントリー枠として与えられ、最大は3枠。出場選手の順位がポイント化されるので、合計ポイントは少ない方がよいというシステムだ。2枠以上獲得する条件は以下の通り。
3枠獲得の条件
今回3名(組)出場した国/地域: 3名(組)のうち上位成績2名(組)合計ポイントが13pt.以下。
今回2名(組)出場した国/地域: その2名(組)の合計ポイントが13pt.以下。
今回1名(組)出場した国/地域: その1名(組)の獲得ポイントが2pt.以下。(=2位以内の成績)
2枠獲得の条件
今回3名(組)出場した国/地域: 3名(組)のうち上位成績2名(組)の合計ポイントが14-28pt。
今回2名(組)出場した国/地域: その2名(組)の合計ポイントが14-28pt。
今回1名(組)出場した国/地域: その1名(組)の獲得ポイントが3-10pt。(=3-10位の成績)
上記条件に合わなければ、次回はすべて1枠になる。例え今回3枠持っていた国でも、出場選手の上位2名(組)の合計ポイントが28pt.以下に収まらなければ、次回は一気に1枠に激減してしまうこともありうるわけだ。
08年大会の獲得ポイントと09年大会の出場枠
それでは、各種目別に次回ロスアンゼルス大会で複数枠を獲得した国・地域のポイント数、イエテボリ大会からの枠の増減を見てみよう。
表記内容は以下の通り。
国・地域 / イエテボリ大会での有効獲得ポイント(ポイント内訳) / 枠の増減数
アイス・ダンス
3枠獲得
フランス / 8 (1+7) / 増1
米国 / 10 (4+6) / 増減0
2枠獲得
英国 / 8 (8) / 増1
イスラエル / 9 (9) / 増1
ロシア / 16 (3+13) / 減1
イタリア / 15 (5+10) / 増減0
カナダ / 18 (2+16) / 減1
今回3枠を持っていたブルガリアは1枠に激減してしまった。カルガリーに続き東京も連覇した大立者、デンコワ/スタビスキー組の偉業で今回のイエテボリでは3枠を獲得していたのだが、スタビスキーの不幸な事故により彼ら自身が07-08シーズンの活動を停止。イエテボリも欠場したため、今回のブルガリアは出場枠をフルに使えずデミレワ/クラーキン組のみの出場だった。そのデミレワ/クラーキン組がFDに進めず(FNR)18pt.に留まったため、次回は1枠に戻ってしまった。
それにしてもスタビスキーはどうしているのだろうか。不幸な事故だっただけに軽率なことは言えないが、東京大会の後には引退を撤回し現役復帰の意志を見せていただけに残念でならない。今となっては、レセプションパーティでお会いしたときのユーモラスなお人柄が偲ばれるだけなのだが・・・・。
ペア
3枠獲得
ドイツ / 1 (1) / 増2
中国 / 7 (2+5) / 増減0
カナダ / 9 (3+6) / 増減0
ロシア / 11 (4+7) / 増1
2枠獲得
米国 / 21 (10+11) / 増減0
ウクライナ / 27 (9+18) / 増減0
現在、ペアの2強、中国とカナダが3枠を維持したのは流石だが、特筆すべきはドイツ。ドイツから唯一出場したサフチェンコ/ゾルコーヴィ組が優勝、ドイツは2枠増の大躍進となった。但し、ドイツは次回何組出場してくるかがポイント。せっかく3枠獲得しても今回同様1組出場だと2位以上の成績を挙げないと3枠は維持できないのだが。
男子シングル
3枠獲得
カナダ / 10 (1+9) / 増1
日本 / 12 (4+8) / 増減0
米国 / 13 (3+10) / 増減0
2枠獲得
ベルギー / 6 (6) / 増1
ロシア / 7 (7) / 増1
フランス / 18 (2+16) / 減1
スイス / 21 (5+16) / 増減0
スウェーデン / 27 (13+14) / 増減0
カナダの3枠獲得はもちろんバトルの戴冠なくしては成しえなかったわけだが、チャンの初出場にして9位の健闘も光る。日本は高橋選手の失速に肝を冷やしたが小塚選手のこれまた初出場で8位の大健闘が窮状を救ったと言えよう。米国はライザチェックの欠場で3枠維持に危機感を抱いていたはずだが、そこはフィギュア王国USA。キャリエールが奮闘し層の厚さを見せたと言えようか。
むしろ今回失速したのは欧州勢。フランスはやはりプレオベールの棄権(=FNR)が響いた。ジュベールの孤軍奮闘では減枠も致し方ないところ。それよりも皮算用が大きく狂ったのはチェコだろう。欧州覇者ベルネルを擁して臨んだイエテボリで2枠維持は堅い、あわよくば3枠も、と見込んでいたかもしれないが、蓋を開けてみればまさかの大失速。1枠に減ってしまったのは大誤算以外の何ものでもないだろう。そして、ロシアはヴォロノフの活躍で増枠の2枠。帝国復活を目論む皇帝プルシェンコは、この増えた1枠を利用してロスアンゼルスで現役復帰を現実のものにするのだろうか。どちらにしても新旧の世代が群雄割拠する男子シングルの来季はますます楽しみだ。
女子シングル
3枠獲得
日本 / 5 (1+4) / 増減0
2枠獲得
イタリア / 15 (2+13) / 増減0
フィンランド / 17 (8+9) /
米国 / 17 (7+10) / 減1
韓国 / 19 (3+16) / 増減0
カナダ / 19 (5+14) / 増減0
スイス / 24 (6+18) / 増減0
女子シングルは地殻変動が起きた。フィギュア王国の名を長く牽引してきた女子シングルで米国が2枠に減ってしまったのだ。記録を丹念に調べれば正確なところが分かるだろうが、私の記憶では米国女子勢は3枠が当たり前であった。それくらい2枠の記憶がない。マイズナーの低迷はもう少し辛抱が必要だろうが、全米選手権の勢いに期待していただろうワーグナーの不出来には全米協会(USFSA)の面々も落胆したのではないか。これで3枠は日本だけになってしまった。安藤選手の負傷には日ス連(JSF)の方々も心臓の縮む思いがしただろうが、中野選手が安定した力を発揮したことには心強い思いがしただろう。浅田真選手も含めて日本の女子陣はこの3強が揃って崩れない限りは3枠は安泰と思わせるほど全盛期を迎えている。
一方で惜しかったのはイタリア。3枠獲得まであと一息だった。13位のマルケイが11位になっていれば、2位コストナーのポイントと合わせて3枠獲得だった。13位マルケイと11位セベスチェンの差はわずか2.24だったのだから。
各国とも出場枠数を維持した中、フィギュア王国・米国が1枠減らしてしまったことは別な視点でも興味深い。というのも、ただでさえ米国内ではジュニア勢の台頭が著しく、USFSAは誰をシニアに移行させるかに腐心しているだろうから、この減枠状況ではUSFSAの苦悩ぶりが想像されるからだ。
とは言え、USFSAでは選手の格付けが明文化されているので、イエテボリの閉幕後1ヵ月も経たずに来季の陣容が早くも発表されているので、米国女子シングルの08-09シーズンの陣容をご紹介しよう。USFSAでは選手を前季の成績により3チーム(+予備1チーム)に格付けしていている。JSFで言うところの「強化指定」のランクに近いものだと見て差し障りはないだろう。
Team A (いわゆるAランク)
◆選定基準:
全米1位、世界選手権10位以内、GPファイナル3位以内、四大陸1位、のどれかに該当すると無条件でAランクに指定される。(この条件を満たさなくても、直近3年以内に世界選手権3位以内の実績がある選手はコンディション次第で考慮)
◆08-09指定選手:
ナガス(全米1位)、マイズナー(世界選手権7位)、B・リャン(世界選手権10位)
◆派遣大会のレベル(出場資格を与えたわけではない):
ISUチャンピオンシップ大会(世界選手権、冬季五輪、四大陸選手権、世界ジュニア選手権)
Team B
◆選定基準:
四大陸2-3位、シニアのGPファイナル出場者、世界ジュニアまたはジュニアGPファイナル3位以内、全米2-4位、全米ジュニア1位
◆08-09指定選手:
ザン(シニアGPファイナル4位/世界ジュニア2位/全米4位)、フラット(世界ジュニア1位/全米2位)、ワーグナー(全米3位)、ジル(全米ジュニア1位)
◆派遣大会のレベル:
ISUチャンピオンシップ大会以外の国際大会(GPシリーズ等)、米国内の各種大会
Team C
◆選定基準:
ジュニアGPファイナル4-6位、シニアまたはジュニアのISU公認競技会3位以内、全米のシニア5-7位/ジュニア2-5位/ノービス1-3位、(その他実績も考慮)
◆08-09指定選手:
E・ヒューズ、ハッカー、他13名
◆派遣大会のレベル:
米国内の各種大会
ISUチャンピオンシップの成績で考えるとナガスはフラットに譲ることになるが、米国内のタイトルを優先させるところは米国らしいとも言うべきか(なにごとにも「全米一=世界一」と考えるのが米国らしさ?)。
ともあれ、フラット、ザン、ナガスのジュニア3人娘(死語?)は来季はいよいよシニア資格を得る。この3人にマイズナー、ワーグナー、B・リャンも絡んで、世界選手権出場の2枚のチケットを巡る米国内の争奪戦は熾烈を極めるのではないか。しかも来季の世界選手権はバンクーバー五輪の出場枠数をも賭けた重要な大会だ。USFSAとしても何とか3枠に戻したいだろうから、次回の出場者選考は相当慎重になることは想像に難くない。もしかしたら、地元LAで開催される09年世界選手権に出場する米国勢の顔ぶれは今季とはまったく違うものになるかもしれない。
ついこの前まで「日本は世界で最も代表争いが熾烈な国」と喧伝されていたが、どうやら来季はその称号が太平洋を渡ることだけは確かなようだ。
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2008年08月05日
ISU世界フィギュアスケート選手権大会2008
ISU World Figure Skating Championships 2008
高橋 大輔 Daisuke TAKAHASHI (JPN)
SP:80.40(3位)、FS:139.71(6位)、総合:220.11(4位)
私は彼のイエテボリが終わった直後にすぐに思い出したのが、一昨年のサッカーW杯ドイツ大会での日本代表だった。
異種競技を比べること、ましてや個人競技と団体競技を比べることがナンセンスであることは百も承知。優勝候補に挙げられていた選手と決勝トーナメント1回戦の突破(ベスト8)を目標としていたチームでは競合環境がまったく異なり、比較すること自体が各々のコンペティターに対しても失礼だろう、という声は私自身の中にさえある。それでも私の眼には高橋選手と日本代表が重なって見えてしまったのだ。なぜか?・・・・私がこの2者に共通に感じたのはコンディショニングの問題だった。
私は一昨年、わざわざドイツくんだりまで我が代表の応援にかけつけ、試合はもちろんのこと彼らの公開練習までつぶさに見てきた。その練習から試合までの様子をリポートするのは本編の趣旨とは異なるので割愛するが、結論を言えば、あのときの日本代表のピークは大会2週間前に行なわれたドイツ代表との親善試合のときだったのではないかということだ。当時の日本代表の目標から見れば、ピークは本大会序盤のグループリーグ戦に合わせるべきで、予想外に早期に迎えたピークをそこから2週間維持するのは難しかったと思うのだ(戦術、選手個々の基礎体力、1-2戦の開催時間の問題云々についてはここでは言及しない)。
翻って、高橋選手はどうであったか。間違いなく彼も四週間前の四大陸でピークを迎えていたはずである。四大陸での彼の演技は彼自身のベストだったし、スコアもそれを十二分に表わしていた。四大陸での成功、その後の十分な調整期間、(ブライアン・ジュベールや安藤美姫選手のように)イエテボリ入りする前に体調を崩していた、故障を抱えていたという話も聞かない。準備万端でイエテボリに乗り込んだ勢いは浅田真央選手に勝るとも劣らないものだったろう。しかし、結果は既報の通り、失速・・・・。即ち、彼もまた、あのときの日本代表チームと同様に、ピーク後の調整・維持が難しかったのではないか。シーズンを通して選手には必ず調子の波が多少なりともあるもの。波を繰り返しながらも全体的には上向きにしていきながら大一番を迎えるというのが理想的だろうが、一度迎えたピークを4週間も維持するのは並大抵のことではなかっただろう。ピークは必ず下降するものだからだ。ピークにあるときの選手のコンディションとは実は心身両面とも微妙な状況にあるようだ。肉体は疲労が蓄積し、怪我(肉離れ等)だけではなく、(抵抗力の低下により)ウィルス性の風邪等の感染症のリスクも高まる。メンタル面では、モチベーションの維持をしなければならないし、慢心が生じることもあれば、逆にピークが下降することへの不安も顔を覗かせることもある。ピークを早く迎えてしまうことはそれだけ複雑な状況なのだ。
高橋選手が試合前の公式記者会見で「金メダルを一番欲しがっているのは自分自身だ」と自ら発言したことをビッグマウスだとは思わない。それだけの力があることは誰もが認めている。しかし、「前回は銀だったので、今回はその上を狙いたい」というような一般的なコメントではなく、「欲しがっているのは自分自身」とわざわざ「自分」を強調したコメントにどこか違和感を感じながら私はその会見を見ていた。彼は割りとハッキリとした物言いをする選手なのは知られているが、この会見での発言は自信の表れというよりも、むしろ自分が設定したはずの目標に逆に急き立てられているように感じた。余裕の発言というよりもどこか自分に言い聞かせているような独り言のようにさえ聞こえた。彼は試合後、「結局のところ緊張しすぎていたのだと思う」と語ったようだが、私にはピークの作り方、即ち(メンタル面も含めた)コンディショニングの問題だったように思えてならない。
SPは奇妙な印象だけが残っている。ジャンプはコンビネーションがうまくいったと思うが、得意の3Aで珍しくお手つき。プロトコルを見るとGOEで2点以上減点されているので両手を着いたのだろう(片手だけなら-1かな?)。四大陸で10点以上も荒稼ぎしたTESのGOEは今回はわずかに3点強。『白鳥の湖~ヒップホップ・バージョン』は上体の激しい動きと本来スケートにはない複雑な動きを要求するハードなPGだ。四大陸ではそのハードなPGを完全に自分のものにしていたように思えたが、今回は冒頭の3Aを失敗して焦りが出たのか、(変な表現だが)全体に身体は動いているのだが気持ちがシンクロしていないように見えた。身体もさることながら心が疲れているような、そんな奇妙な感じだけが残った。それでも、全選手中ただ一人39点台に乗せたPCSでTESの減点をリカバーし、SPで僅差の3位につけたことはむしろ怪我の功名で、FSでは自ら課した重荷から解放されてのびやかな演技ができるのではないかと秘かに期待していた。
そのFSではSPよりも落ち着きを見せていたと最初は思われた。確かに冒頭の2つ目の四回転は失敗してしまったが、後半の5連発ジャンプに入る前のつなぎの滑りでは思い入れたっぷりの表現も十分入り、落ち着きを取り戻したかに見えたのだ。しかし、5連発ジャンプの最初の3A+2T+2Loが失敗したことで、彼の脳裏にトリノの悪夢が甦った。彼はGPファイナルのFSでコンビネーションを2回しか入れられなかったために僅差(0.16!)でランビエールに逆転されたことが脳裏をかすめたのだという。そこで咄嗟に頭に浮かんだのが「もう1回コンビネーションを入れなければならない」ということだった。その結果が5連発ジャンプの最後の3Lzに2Tを加えることだった。これが先述のパトリック・チャンと同じ結末を呼ぶことになった。即ち、4回目のコンビネーション=無効、キックアウトである。これで予定していた6.60の基礎点が丸ごと無くなってしまったのだ。
その後のステップ、スピンが良かっただけに何とも惜しまれる。今までGOEで稼いできたのが彼の特長でもあったのだが、今回の彼のFSでは基礎点が65.20と低迷しただけではなく、ジャンプミスが響きGOEでの減点が多く、TESは64.15と基礎点よりも下がってしまった。これではいくらPCSで稼いでも表彰台は苦しい。
最終滑走グループの選手が滑るリンクの上には、選手たちが刻んだ激闘の痕さながらに無数のブレードの軌跡が描かれている。高橋選手の滑った後の軌跡は、まるで07-08シーズンの旅が目的地に辿りつく前に飛翔を終えた Dark Swan から抜け落ちた羽根のように見えてならなかった。
ステファン・ランビエール Stephane LAMBIEL (SUI)
SP:79.12(5位)、FS:138.76(7位)、総合:217.88(5位)
ランビエールは結局、シーズンを通してジャンプが安定しなかった。その安定しないジャンプでも昨年のGPファイナルで239.10というPBSを出せたのはジャンプ以外の要素と5コンポーネンツの評価が高いからだが、イエテボリではジャンプの失敗が多すぎた。ザグレブの欧州選手権ではSPの出遅れをFSでリカバーし表彰台に上れたが、イエテボリでその再現はならなかった。
彼の真骨頂はFSにあると思っているが、それは彼の楽曲の理解と表現力が存分に発揮されるのはFSのロング・プログラムにおいてこそだからだ。彼の饒舌な表現力が発揮されるためには、短時間で必要な技術要素を詰め込まなければならないようなSPは少々窮屈なのだ。もう少し要素が少なくてもかまわないのであれば短い時間でも豊かな表現が可能なのだろうが、今のルールでは要求される要素が多すぎる。彼もまた技術偏向時代にアジャストすることに苦心している選手の一人なのではないだろうか。
残念ながら彼のSPはあまり印象に残っていない。ジャンプにミスがあったことは記憶しているが、全体的に精彩を欠いているというか、何かパッションを感じなかった。スピンの名手と謳われるだけあって、スピンですべてレベル4を取っていたのは流石だが、私にはそのスピンでさえあまり印象がない。全体にスピードやメリハリに欠けた演技だったのかもしれない。
FSではジャンプに精彩を欠いていたのはSPの出来から予測されるものだったかもしれないが、それでも果敢に4回転を2回入れてきた。2つ目の4Tはトウでランディングしてしまったために引っかかりステップアウトしてしまったが、回転自体は足りていたと思う。もっとも回転不足の判定は気の毒だったとはいえ、計8つのジャンプで5つものジャンプがGOEで減点されてしまっては4Tの回転不足など些細な話かもしれない。SPと違ってFSではスピンに鬼気迫るものさえ感じた。踊りきってやるというような気迫。彼のスピンはその姿勢の工夫、クリエイティビティ溢れるコンビネーションにいつも酔わせてくれる。特にこのFSのPG『ポエタ(フラメンコ)』では気迫が違うような気がする。彼はこの『ポエタ』に並々ならぬ思い入れがある。07-08シーズンを振り返ってのコメントで「フラメンコとお別れをしなければならないのが寂しい」という言葉が聞かれたが、そのフラメンコはイエテボリのリンクに深く刻むことができただろうか。
演技終了後の彼の横顔には、ただ単に4年連続の表彰台を逃したアスリートの悔恨だけではなく、フラメンコで北欧のリンクを熱く溶かすことができなかったバイラオールの情念の残り火が垣間見えた。燃え尽きることができずに燻ぶり続けているかのように・・・・。
ブライアン・ジュベール Brian JOUBERT (FRA)
SP:77.75(6位)、FS:153.47(2位)、総合:231.22(2位)
よく戻ってきたなあというのが第一印象。ウィルス性の感染症でGP仏大会を欠場した後、なかなか復調できず、先の欧州選手権でもヘロヘロの状態だったことを考えれば、よく間に合わせたなあという思いが強い。見る方としてもディフェンディング・チャンピオンがいるといないとでは緊張感は違うし、だいいちチャンピオンシップという大会の格式にも相応しいというものだろう。もちろん、万全の状態とまではいかなかったのだろうが、逆にそのことがディフェンディング・チャンピオンの闘争心を強くしたかもしれない。先述の高橋選手とは真逆の状況だったとも言えるわけだが、少々不安や課題を抱えているほうが緊張感や集中力を増すこともあるようで、ジュベールの場合はむしろコンディションが上向きの状態でイエテボリ入りしたとも見ることができようか。
SPは果敢に4回転のコンビネーションを入れてきた。J-sportsの中継で解説者が「高い!」と叫んでいたことを覚えているが、私も高さのある豪快なジャンプだったと記憶している。その後のジャンプで転倒したのはルッツだったようだが、同録で確認できない現状では詳細はコメントしようがない(汗)。TESの基礎点はランビエールと並ぶものだが、スピン、ステップがレベル2~3に留まったのは惜しい。ルッツの転倒と合わせてTESで3点くらいは損している。それよりも今回のSPでは不可解な点がひとつあった。それはディダクションでミュージック・バイオレーション(PGの楽曲違反=減点1)があったことだ。
ご承知の方も多いとは思うが、アイスダンス以外の競技会では「歌」は違反である。ここで言う「歌」とは「歌詞のついたメロディー」と理解されているが、ジュベールのPG曲では「歌詞」は入っていない。入っていたのは歌詞のない「ヴォカリーズ」である。このヴォカリーズやスキャット、ハミングといった「歌詞のない声による演奏」は歌とは区別され、違反ではないはずだ。例えば、最近で言えば村主章枝選手のPG(06-07のFS?)でも「声」が入っていたが減点されていないし、昔で言えば、カタリーナ・ヴィットの伝説的PG『花はどこへ行った』でも冒頭にハミングが入っていたがお咎め無しだったはずだ。ましてやジュベールのこのPG曲は先の欧州選手権でも問題なかったのである。なぜ今回に限って減点されたのか理解できない。ヴォカリーズの一部分が歌詞のように聞こえてしまったのだろうか。残念ながら今はそれが確認できない。私が記憶する限りはそうは聞こえなかったのだが・・・・。それとも楽曲違反を判定する大会レフェリーを務めたビアンチェッティ氏は、欧州選手権のレフェリー、アボンダティ女史と反りが合わないのだろうか。演技そのものに対する判定・評価が分かれるのは採点競技ならではの宿命だが、演技前に決着しているはずの楽曲についてまで判定が分かれるのは、判定と言うよりも大会運営に問題があると言ってもよく、仏連盟はISUに抗議したのだろうか。どちらにしても選手にとってはいい迷惑だ。
FSは流石ディフェンディングチャンピオンという滑り。冒頭の4回転をクリーンに決めたときから、来たぞ、来たぞ、という早くも興奮が押し寄せてくる。現在、ほとんど彼の専売特許と言ってもいい4Sを封印したのはまだ体力的には完璧ではないのかなと思われたが、その後の演技をほぼノーミスでクリアしていく滑りには凄みさえ感じたものだ。フリップが2回ともリップになったのは見ていてすぐに分かったが、それもご愛嬌。ジュベール本人は残るジャンプはひとつのみとなったところで逆転優勝を確信したのか、アップライトスピンの後にはガッツポーズまで飛び出し、エンディングに向かう。最後のコンビネーションジャンプが2A+1Tになったのを見て少し首を捻ったが、それでも鬼気迫る演技に観客の声援も後押しし、演技終了後の歓喜のポーズに私も無心に拍手で応えた。
ところが、キス&クライで怪しい空気が漂い始めたことに私は気づいた。8点台が連発したPCSは良しとして(今回のベストPCS)、TESが先ほどの興奮とは比例せず、あまり伸びないことにすぐに気がついた。(今回はレビューを見送ったが)第2、第3グループで滑り終えているセルゲイ・ヴォロノフ、ケヴィン・ヴァンデルペレンのTESに及ばないのだ(この2選手はFSでは3位、4位と大活躍)。トータルスコアの231.22は確かにSBSで、それまで暫定1位だったウィアに10点近くも差をつけてトップに立ちはしたが、そのスコアを見てジュベールは我に返ったのではないか。氷上での歓喜の表情がすっかり冷めてしまったのは興奮が収まっただけではなかっただろう。
勝負は下駄を履くまで分からない。
“It's not over till the fat lady sings”(これは恐らく試験には出ません^^;)
これをフランス語で何と言うかは知らないが、このときジュベールの脳裏をよぎった言葉があるとしたら、正にこの格言ではなかったか。
一見、ノーミスで滑り終えた彼に唯一ミスがあったとしたら、それは彼が最終滑走者ではないことを忘れていたことだったに違いない。
ジェフリー・バトル Jeffrey BUTTLE (CAN)
SP:82.10(1位)、FS:163.07(1位)、総合:245.17(1位)
SP1位、FS1位、総合1位。FSと総合はPBS(SPだってセカンドベスト)。2位に10点以上の大差をつけただけではなく、内容も2日間ともノーミスでの優勝。こういう勝ち方を「完勝」と言う。以上!(笑)
・・・・と、簡単には片付けられないのが、今大会の男子シングルだった。その最大の立役者が、男子シングルのFS最終滑走者にして今大会の大トリを務めたジェフリー・バトルだった。FSの最終滑走者が自身のPBSをマークする天晴れな演技を披露し、その演技で自らチャンピオンを勝ち取り、しかもその最終滑走者は大会全体のファイナリスト・・・・。これだけの組合せが揃う、正に絵に描いたようなドラマチックな展開に遭遇することは奇跡に等しい。であればこそ、前回の東京大会に続き、まさかイエテボリでもその奇跡に巡り会おうとは夢にも思わなかった。東京でその巡り会わせの中心にいたのは安藤美姫選手だったが、このイエテボリではバトルだった。そういう意味において、前回が「安藤美姫の大会」として記憶されるように、今回は「ジェフリー・バトルの大会」として記憶されるのではないだろうか。
SPではとにかくジャンプが良かったと思う。スピン、ステップの安定感はもともといいので、ジャンプさえ決まればけっこういけると思っていたので、放送当日も演技終了後はすぐにトップに立つことはすぐに分かった。もちろん、この後に先の四大陸で歴代最高スコアをマークした高橋選手やディフェンディングチャンピオンのジュベールが控えていたことは承知していたが、例え彼らに抜かれようともその差は僅差だろうと予測できるほどの出来栄えだった。(後から録画でチェックすれば印象は異なったかもしれないが、放送当日に見た直後ではそのように思われた)
そして迎えたFSは最終滑走。しかもイエテボリのカレンダーは東京のときと違って、男子FSを大会最終日に組んでいたので、バトルは正に大トリの大役を担っての登場となった。
SP1位、しかし5点差以内に6人がひしめく接戦。FSでは直前のジュベールが復活を告げるSBSで暫定1位。直前選手の結果はリンク上で分かってしまうので、ターゲットスコアは否応無しに頭の中を駆け回る。ジュベールを逆転するには四大陸でマークしたPBS(150.17)に匹敵するスコアが必要だと・・・・。
舞台は十分すぎるほど整っていた。
こんな状況下では選手はひたすら自分の演技に集中し、結果を求めるのではなく、今の自分にできるベストを尽くすこと、クリーンに滑って後は採点を待つのみ。そして、男子シングルの最終滑走者にして、イエテボリのファイナリスト、大トリを務めたジェフリー・バトルは正にそのような演技を披露した。
もうこの後のFSの演技の詳細について細かく振り返るのは今となっては野暮というものだろう。もともとスピン、ステップでGOEを稼げるのが彼の強み。それに加えて今回はジャンプでの加点も素晴らしかった。トータルのGOE+9.36は今回の「ベストGOE」。3Aを2回組み込みジャンプの基礎点を上げてきたのはもちろん、4つのスピンはすべてレベル4でGOEもすべてプラス。2つのステップはレベル3に留まったが、それでも後半のSlStは素晴らしかった。オリエンタルムード満点の『アララト』に乗って刻むステップはリズム感抜群で、チェンジエッジの度にスピードが増していくようなステップに、ジャッジの多くがGOE+2をつけたのは納得の出来栄え。これだけの加点があればスコア上は実質的にレベル4と変わりない。PCSこそわずかにジュベールに譲ったが、TESが出た時点で自分のハイスコアにようやく気づいたのだろう。それまでベストを尽くして満足感に浸っていた表情がTESを見て感激の表情に一変していく映像は、遠く離れた極東のテレビ画面を通じてでさえも感動的だった。東京大会では感涙にむせんでいた安藤選手とは違い、最後まで爽やかな表情に終始したのはバトルらしいとも言えようが、それもまた北欧の清らかさに似つかわしく、「ジェフリー・バトルの大会」として記憶されるに相応しい大団円と相成った。
最後に男子シングルを総括するにあたって、なぜバトルがジュベールを逆転できたのかについて整理しておきたい。
ジュベールの演技は(リップを除くと)一見ノーミスで完璧だったように見える。しかし、彼には優勝候補の高橋選手のスコアが伸びていないことを見て、安全策に出てしまったのではないか。自分ができる最善策ではなく、逃げ切るための安全策。実はSP6位で追う立場であったはずなのに・・・・。彼は本来、4Tを2回(コンビネーション1回含む)、さらには4Sも跳べる。流石に4Sはシーズン中に成功していないのでこれは回避しても仕方ないとして、なぜ4Tを2回入れてこなかったのか。最初の4Tなど素晴らしい出来だっただけに惜しまれる。4Tを2回跳ばなかったことで、3回許されているコンビネーションも2回止まりだった。4Tを2回入れないのであれば、せめて3Aを2回入れるべきだった。結局8回のジャンプで2回跳んだのは3Fだけで(しかもリップ判定で減点)、あと1回許される同種類トリプルを跳ばなかった。これが勿体ない。例えば、冒頭の3Sを4T+2Tに、3Aを3A+2Tにして、最後の2A+1Tを単独の3Aにすれば、基礎点だけでも11.06も上積みになった勘定だ。もちろん、ジュベール本人の体力との相談になるわけで、実際には4Tを2回、3Aを2回跳ぶまでには体力が回復していなかったのかもしれない。であれば尚のこと逆転優勝を確信したかのような演技中のガッツポーズは「取らぬ狸」だったと思われても仕方なく、最後までベストを尽くす演技に集中してほしかった。その油断が最後の2A+1Tに出てしまったように思えてならない。ファットレディはまだ歌い終わっていなかったのに。
それに対してバトルはすべてのエレメンツをきちんと入れてきたわけである。コンビネーションは3回跳んで、2回跳んだ同種類ジャンプは高基礎点の3Aと3Lz。きちんと基礎点を積み上げるためのPGをこなしたのだ。バトルも4Tを跳べるのだが、07-08シーズンは一度も跳んでいない。つまり4Tは跳べるコンディションではなかったと見ていい。安全策のため回避したのではない。試合後の公式記者会見でジュベールは「自分も他の選手も4Tに挑んだのにバトルは跳ばなかった」と不満を公けにしたが、ここはジュベールに冷静になってほしかった。先述のようにバトルは安全策のため4Tを回避したのではなく、最善策として3A×2回を選択したのである。寧ろ、4T×2回或いは3A×2回を回避し、コンビネーションも2回に抑えてしまったジュベールの方が安全策に出てしまったと見られても仕方ない。なぜなら、彼こそSP6位から追いかけ逆転を狙う立場にあり、チャレンジが必要な状況だったはずだから・・・・。
貘が夢を見るとき・・・・
すべての種目で新チャンピオンが誕生し、イエテボリは閉幕した。ディフェンディングチャンピオンが去ったアイスダンスとペアでは、メダリストの顔ぶれが大きく入れ替わった。女子シングルではディフェンディングチャンピオンがドラマの途中で自ら退いてしまったが、上位陣の顔ぶれに大きな変化はなかった。新チャンピオンの浅田真央選手は実力を出し切ったとは言えないだろうが、彼女の先に開けている道筋を思い描けば、イエテボリでの戴冠はほんの序章に過ぎないのかもしれない。泥臭い勝ち方だったからこそ見えた成長の軌跡を覗けたような気がする。そして、男子シングルこそ今回のハイライトだった。バトルのクリーンな演技は、4回転時代再来かと謳われた大会前の下馬評を覆し、また再び4回転論争に一石を投じることになるのだろうか。
そして・・・・、日本男子シングル初のチャンピオンを期待されながら表彰台にさえ届かなかった高橋選手の演技をやはり忘れることができない。モロゾフ・コーチと袂を連ねて創り上げた革命的なプログラム『白鳥の湖~ヒップホップ・バージョン』。大会後にその袂を分かつことになった2人にはこのプログラムはどう記憶されるのだろうか。2人が別々の階段を上がるためのステップのひとつに過ぎないのか。それとも2人で語り合った世界チャンピオンへの夢を弔うレクイエムに終わるのだろうか。いずれにしても新しいシーズンはもうそこまで来ている。
私が世界選手権で秘かに楽しみにしていたもののひとつにエキシビション(EX)がある。世界選手権のEXはまた格別で、大会のフィナーレだけではなくシーズンエンドの後夜祭でもある。また、世界中から集った選手たちがホスト国のオーディエンスに捧げる感謝祭でもある。であればこそ、スウェーデンの地に相応しいプログラムが楽しみとなる。そこで私が秘かに期待していたのはキーラ・コルピだった。彼女のEX用のPGは「ABBAメドレー」なのだ。このPGを是非イエテボリのEXで見たかったのだが、今となってはそれもまた夢。
夢の続きは次回、フィギュア王国の西海岸、カリフォルニアの青い空の下で見ることにしよう。
貘は人の夢を食って生きる。悪夢を見た後に、その夢を貘に捧げるとその悪夢は二度と見ずに済むという言い伝えがある。そんな伝説の時代から何千年経ったのだろうか。フィギュアスケートの選手もファンもいつも次代の夢を見ながら、時代の変化の狭間に生じる悪夢とも向かい合ってきたに違いない。
選手はどれだけ獏に悪夢を食べてもらえば夢を正夢に変えられるのだろうか。
ファンはどれだけ貘の代わりに悪夢を食べてあげれば選手の夢を叶えてあげられるのだろうか。
ファンはどれだけ祈れば選手の貘になれるのだろうか。
そして、貘は夢を見るのだろうか・・・・。
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2008年08月05日
ISU世界フィギュアスケート選手権大会2008
ISU World Figure Skating Championships 2008
前回の「女子シングル篇」をやり終えて、すぐに男子シングルに取り掛かろうとしたら、トラブルが発生してしまった。男子SPの録画が消えてしまったのだ。(TV中継の場合)私は基本的には放送当日に直接見たあと、同録を見てレビューを書くのを常としている。私も放送当日は少なからずエキサイトしているので、冷静になってから見直すとまた新たな発見があったりするからだ。そのためTV放送があればできるだけ同録を録ることにしている。今回の世界選手権も昨季同様、J-sports Plusでハイビジョン録画したのだが、それを外部HDDにムーヴした際に操作を誤ったらしい。SPがまるごと消えてしまったのだ。機械に振り回されることほど苛立つことはない(汗)。
また、前回の女子シングル篇では「競技会のレビュー」という本来の趣旨から飛躍した記述にスペースを割くことも少なからずあった。オフリンクの部分にまで言及するだけの材料に恵まれていたこともあるが、そのせいで時間がかかってしまったことも事実。そして、季節は夏の真っ盛り・・・・、「7月1日」というフィギュアスケート界特有の分岐点を越えて、気がつけばカレンダー上は08-09シーズンに入っているではないか(厳密には7/1から8/末のジュニアGP開幕までの間は「プレシーズン」と呼んでもいい時期だが・・・)。
遅筆の私も流石に苦笑せざるをえない状況を認識すれば、SPの同録が消えてしまったこと、そして時間的に余裕がないことに対する苦肉の策として、今回の男子シングル篇のレビューは一気に2回連続でアップしようと思う。但し、SPの演技についてはプロトコルと拙い記憶に頼って書かざるをえないので印象中心になってしまうことを予めご容赦いただきたい。
なお、この世界選手権のレビューがすっかり私自身の備忘録以外に意味がなくなってしまった今となっては、誠に心苦しいが、ペアとアイスダンスについては別な機会に譲らせていただきたく。特に、ペアの川口/スミルノフ組、アイスダンスのベルビン/アゴースト組についてはどこかで触れておきたい。楽しみにしていた読者がいたとすれば本当に申し訳ない。ただただ私自身の自堕落さゆえであり、平身低頭の極みである。
MEN 男子シングル
今回は35の国と地域、合計46選手がエントリー(欠場1名=会場入りしてからの怪我で欠場したプレオベールを含む)。前回のエントリー数は32の国・地域、42選手。国・地域別に見ると、3名出場が仏、日、米。2名出場が勃、加、捷、瑞典、瑞西の5ヶ国。
レビューはFSに進んだ24選手の内、総合上位選手及び日本選手について触れる。(FS滑走順)
南里 康晴 Yasuharu NANRI (JPN)
SP:60.89(20位)、FS:118.99(17位)、総合:179.88(19位)
全日本で逆転3位で日本の出場枠の1つをもぎ取って臨んだ初出場の世界選手権は、良い経験の舞台となった。
冒頭の3A失敗は初出場の緊張のためか。確か踏み切りでタイミングが合わず、抜けてしまったように記憶している。プロトコルを見ると1Aすらも認定されていないのでこれだけでも7.5点失っている。大きなミスが許されないSPでこの取りこぼしは流石に痛い。プログラムの『月光』はパワフルな印象がある彼としては新境地なのかもしれないが、全体には卒なく滑れていて違和感はなかったように思う(3LzがGOE減点になっていたのは着氷でのミスかな?)。
FSはジャンプのミスが続いたのはもったいなかったが、それでもPBSをマークしたFSは初出場の演技としては納得のいくものだっただろうか。南里選手のFSのPGは安藤美姫選手と同様『カルメン』だが、安藤選手のPGと違って、中盤でフラメンコのステップのSEがフィーチュアされているのがユニークだ。ところが残念なことにこのパートのCiStが物足りない。恐らくこのPGの見せ場だと思うのだが、SEのステップとスケートのステップがどうも調和していない。楽曲(SE)とステップのテンポが合っていないのは振付の問題であり、彼の技術や表現力の問題ではないのかもしれないが、ステップにもっと力強さと鋭さがほしいと言ったら欲張りだろうか。SPとは違って見せ場をしっかり作れるFSなだけに、音楽と一体になる滑りがもっと見たかった。
パトリック・チャン Patrick CHAN (CAN)
SP:72.81(7位)、FS:130.74(11位)、総合:203.55(9位)
パトリック・チャンのSPは割りとよく覚えている。なぜなら秘かに注目していた選手だからだ。GPシリーズ、特に仏大会での滑りに好印象を持っていた。そして、1月に行なわれたカナダ選手権では弱冠17歳ながら3連覇中の王者ジェフリー・バトルを破って初優勝。今回初出場となった世界選手権ではどんな滑りを見せてくれるのかと楽しみにしていたのだ。ただ、私が好印象を持っていたのはFSであってSPではなかったことも事実。彼のSPのPGは楽曲が抑揚に欠け、彼の滑りにも起伏やメリハリが感じられず単調な印象があるからだ。今大会のSPも印象は変わらなかった。プロトコルを見ると大きなミスはなかったようで、うまくまとめた感じだ(ルッツが減点されているのは着氷ミス?)。今大会にマークしたSPの72.81というのは確かPBSだったはずだが、チャンがこのとき手放しで喜んでいる姿をキスクラで見た記憶がない。このSPでは大きなミスをしなかったという意味では十分だし、初出場の世界選手権で上位につけたのだから笑顔がこぼれてもよかったのに、と回想できるのだが、果たして私の記憶違いだったのだろうか。
FSで彼は「イエテボリ・スペシャル」を持ち込んできた。ジャンプの構成を変えて、マイナーチェンジしたPGで果敢にイエテボリに臨んだのだが、それが結果的には裏目に出てしまった。
07-08シーズンのFSにおける彼のジャンプは、2回重複して跳ぶジャンプが3Fと3Lzだったものをイエテボリでは3Aと3Lzに、3F+3T、3Lz+2T+2Lo、3S+2Tのコンビネーションのうち3つ目を3A+2Tに、各々変更してきたのだ。要は3Aを2つ組み込み、基礎点を大幅に上げる構成に変えてきたわけだが、これを初めての世界選手権で初めて試すというのは大変なチャレンジだ。なにせ国内選手権でもやっていないのだ。それくらい3Aに自信を持っていたのだと思うし、練習で手応えをつかんでいたのだろう。例え失敗しようが、大舞台での失敗であれば寧ろ良い経験になろうと判断したのは至極当然のことで、ジュニア上がりの初出場選手であれば尚のこと、そのチャレンジする姿勢が魅力でもある。そして、そのチャレンジは見事(?)失敗に終わり、さらには「キックアウト」のオマケまでついてしまった。
彼はまずPG序盤で跳ぶ予定だった最初の3Lzがダブルになり、中盤の2つ目のコンビネーションとして予定していた3A+2T(2回目の3A)が3A転倒で3A+SEQになってしまった(基礎点も2割減)。転倒後の3Lz+2T+2Loと3Loは何とか成功。この段階で実施済みのジャンプは他に3Aと3F+3Tだから、ここまでに「認定された」ジャンプはソロとコンビネーションが各3つで延べ6回。ここまでは3Lzがダブルになったことと3Aのコンビネーションが転倒してSEQ扱いになってはいたが、構成上は予定通り進んだことになる。ノーミスで順調に進んでいれば、恐らく彼の「イエテボリ・スペシャル」では、この後のジャンプは3Sと2Aのソロジャンプを予定していたと思われる。ところが予定が狂い、ミスをリカバーしようとして咄嗟に判断した演技中の構成変更が問題だった。
男子は延べ8回のジャンプが認められるので、この段階で残るジャンプ機会は先述の通り2回で、しかもソロジャンプでなければならなかった。コンビネーション(SEQ含む)は3回実施済みで「予定数終了」だったが、2回跳んだトリプルはまだ3Aのみで同種類のトリプルジャンプが後1回許されていた。実施済みの3Lz、3F、3Tは幸いコンビネーションで跳んでいたので、この中から1つをソロジャンプで跳ぶことができる。そして、ジャンプの残り1つは(この段階で未実施の)3Sとダブル以下のソロジャンプから選択。つまり、残されたジャンプ機会でできるだけスコアを上げようとすれば、残りの2回は3Lzと3Sの組合せがベストとなる。こうして試合後に振り返れば、誰しも基礎点が高いジャンプを選ぶのが定石だと思うのは単純な結果論であって、演技している選手自身にはそういう判断は相当難儀なことだろう。なにせ、ただでさえミスの焦りがある上に、その後のエレメントを次々にこなしていかなければならないのだ。連続する演技の中で、実施済みの演技を振り返って回数を計算し、選択肢を絞り込み、その中からスコアを最大化できるベストプランを選択する・・・・なんていう暇はない。で、どうなるかと言うと、シーズン中に繰り返し演技し、身体が覚えている「以前の構成」のジャンプを繰り返すことになる。それが3S+2Tと2Aだった。(2Aはいいとして)結果はコンビネーションが4回目にカウントされ採点から除外(キックアウト)、無得点。せめて3Sのソロにしておけばよかったのに、というのもこれまた結果論に過ぎないだろう。
勿体なかったのは寧ろPCSで、やはりジャンプミスが影響したのか全体の流れが感じられなかったことか。ミスの後の演技は「予定をこなす」のに頭がいっぱいだったのか、PG曲『四季』の中で自ら疾風となって駆け抜けるというよりも、強風に煽られて飛ばされないように必死にしがみついているような不安漂う印象が残った。GPでは7点台を大きく超えていたPCSが6点台に留まったのは致し方ないことなのかもしれない。チャンは外連味のない、クリーンな演技をするところが魅力的だなあと注目していたが、やはり大舞台の中でのミスに、彼らしさがスポイルされてしまったことは仕方あるまい。しかし、それもまた経験。FSはPBSから15点も低い結果とはなったが、初出場の世界選手権でカナダの新星をアピールするには物足りないということはなかっただろう。
なお、前述のような、ミスのリカバーのために演技中に咄嗟に構成変更することで、結果としてジャンプ回数を超過し無得点になってしまうということは、ときどき見られる。特にコンビネーションに顕著だ。前回の東京大会でも金妍兒が同様のミスを犯してしまった(彼女のキックアウトされたジャンプはチャンと同じ3S+2Tだったが事情は少々異なる)。どうしてもコンビネーションのセカンドが入らなかった場合に回数の計算が混乱するというか、コンビネーションの「失敗=未実施」と解釈し、「まだコンビネーションが1回できる」と錯覚してしまうようだ。イエテボリではチャンがそのミスを犯したわけだが、今回このミスを犯したのは実は彼だけではなかったのだ。
小塚 崇彦 Takahiko KOZUKA (JPN)
SP:70.91(8位)、FS:134.24(8位)、総合:205.15(8位)
小塚選手も初出場だったが、彼は緊張というよりもよく集中できていたのではないか。スピードに乗ってスケートがよく滑っていたことがそう思わせる。ジャンプも良かったのだが、スピンやステップもすべてレベル3以上だったのは私の記憶と一致している。若さ爆発!という感じで彼らしい溌剌とした演技ができたと思う(フリップがリップ判定になったようだがこれは見逃していて記憶にない)。彼もまたSPはPBS。チャンとは違って、演技終了後のガッツポーズが見られたことをはっきりと覚えている。
FSは後半のジャンプミスが大きかった。冒頭のコンビネーションのセカンドがシングルになってしまったミスを引きずらずに、直後の3A+3Tを決めたときは見ているこちらもコブシに力が入った。得意のスピンもよく、(エッジ・エラー判定にはなったが)後半最初の3連続ジャンプも決まり、後はソロジャンプだけと油断したのは私だけだっただろうか。好事魔多し・・・・。その後の3Sと3Lzで転倒したのは油断と言っては酷かもしれないが、勿体なかったことには違いない。ただ、感心したのはその後もミスを引きずらなかったようで、ステップ、スピンとも切れ味十分で見応えがあった。特に最後のコンビネーションスピンはレベル4でもいいのでは、と思えるほどの出来栄え。(スピンの回転数が不足したかな?)
FSは大変な緊張の中で滑ったように思う。演技終了後の大きな溜息はミスがあったことに対する落胆だけではなく、長い緊張から解放された安堵のものでもあったように見えた。そして、それは見ているこちらの安堵でもあった。なにせ、彼は総合8位となり、来季の日本男子出場枠を維持する原動力ともなったのだから。
ジョニー・ウィア Johnny WEIR (USA)
SP:80.79(2位)、FS:141.05(5位)、総合:221.84(3位)
もともとどちらかというと女性的で繊細な演技を特長とするウィアだが、今大会のSPでは力強さも加わっていたように思う。ジャンプの切れがそのような印象を抱かせたのだろうか。ウィアは全米で繰り広げたライザチェックとの激闘の後、四大陸を欠場しコンディションを整えてイエテボリに乗り込んできたのだが、このSPではその調整がうまくいったことを表わしていたように思う。全体の流れるようなスケートはスピード感もあり、ミスがない演技で見事にPBSをマーク。初の表彰台がかかるFSが待ち遠しくなるほどの出来栄えだったと記憶している。
FSは一にも二にもジャンプの出来栄えがスコアを決めてしまった。
冒頭の4Tはスリリングだった。両足着氷だったのはすぐに分かったが、後でプロトコルを見ると回転不足の判定だったのは首をひねった。両足着氷ということはキャッチの姿勢が遅れたということであり、それも影響して回転不足に見えてしまったのかもしれない。しかし一番大きかったのはコンビネーションジャンプ。まず3回認められているのに2回しか入れていない。そして予定していた3A+3Tのセカンドがダブルになり、3Lz+2T+2Loのサードが入らず2連続に留まってしまった。これでは基礎点自体が上がってこない。ジャンプに細かいミスが連発しGOEも減点が多く、ジャンプ以外のエレメンツで稼いだGOEを相殺してしまった。彼のジャンプの質が低いというのではない。彼のジャンプはランディング後の姿勢やスケートの伸びがきれいで、本来の出来であれば、たとえ4回転を跳ばなくてもGOEで稼げるジャンプを持っている。ただ、今回は軸が傾いていたり、高さがないせいかランディングの乱れも少なくなかった。それが惜しい。
ウィアはステファン・ランビエールと並んで、アーティスト気質の選手だと思っている。彼にとってのジャンプはエレメンツのひとつに過ぎず、むしろPG全体での表現に拘りを見せるところが魅力のひとり。そのウィアにしても、やはりジャンプの出来栄えがPG全体のそれに影響することは意識しているのであって、演技終了直後に自分の頭を小突き、天を仰いだのは不満の表れだろう。キス&クライで暫定1位になっても、それはSPの貯金のお陰であって、それを使い果たした状況を理解しているからこそ心中穏やかではなかったはずだ。彼の目の前でウォーミングアップを開始している選手が、SPで3位に甘んじながらも、韓国で帝王プルシェンコのスコアを博物館送りにしてきたばかりの、優勝候補の筆頭 “Dark Swan” だったからだ。
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2008年07月03日
ISU世界フィギュアスケート選手権大会2008
ISU World Figure Skating Championships 2008
中野 友加里 Yukari NAKANO (JPN)
SP:61.10(3位)、FS:116.30(4位)、総合:177.40(4位)
今季安定した演技を続けていた中野選手はきちんと世界選手権にコンディションを合わせて来たのではないか。シーズン最後の大一番にピークを持ってくるコンディショニングができたのは、シーズンイン前からの入念なフィジカルトレーニングの賜物だろう。彼女は今季見事なアスリートぶりを発揮してくれた。
SPは正に彼女のベストの出来。苦手のルッツもうまくアウトエッジで跳べたし、得意のスピンは軸が安定していて回転も速く見応え十分。コンビネーションに3+3を入れるのは来季へ持ち越しとして、今できるベストをやり遂げたと言っていいのではないか。課題のPCSもシーズン前半から比べると確実に6点台の後半を獲得できるようになっている。本人も滑りながら手応えと充実感を感じるのだろう。演技中の表情は柔らかく、むしろ笑みを湛えるほどのエレガンスさえ漂わせ、失敗が許されないSPで最も余裕を感じさせたのが彼女だった。欲を言えば、柔らかさだけではなく楽曲のイメージに合わせてもう少し情熱を感じさせるメリハリがあれば、PCSでも7点台を付けるジャッジが増えたように思うが、これは彼女の技量というよりも振り付けの問題もあるかもしれない。
FSもほぼベストの出来。
結局、上位選手の中でSPと合わせて2日間ベストの演技を揃えられたのは中野選手だけ。ロシェットやマイアーも2日間安定した演技だったがベストの出来とは言えなかったと思う。
冒頭の3Aは惜しかった。確かに回転不足気味だったけど、それも1/4回転以下に収まっていたように見えた。しかし現在の基準では残念ながらダウンレードに判定されてしまった。キャッチの姿勢を取るのが少し遅れて見えたのも判定に影響したのかもしれない。興味深いのは彼女のGOE。そのほとんどをジャンプ以外のステップやスピンで稼ぎ出している(ジャンプのGOE合計は-1.22、ジャンプ以外のGOE合計は+4.57)。それにもまして注目すべきことはPCSだ。彼女がこの日叩き出したPCS59.32は、FS1位の金妍兒の58.56を上回り、浅田真選手の60.57に次ぐセカンドベスト。特に、各選手が苦労するTRの7.21というスコアは立派だ。中野選手のスピンはそのバリエーションの豊富さ、姿勢・軸の美しさ、回転の速さはピカイチ。本人もスピンにはこだわりがあるのだろう、ひとつひとつのスピンを丁寧に、時間もたっぷりかけて回っているように思う。ジャンプ以外のエレメンツに余裕を感じさせることが「つなぎの滑り」に奏功しているのではないだろうか。「つなぎの滑り」というと要素間に目いっぱいステップや振付を詰め込んでいるのが評価されると思っている人が私の周りにもいるのだが、決してそういうことではないことを中野選手のTRが示してくれているとは言えまいか。そして、このゆとりある「つなぎの滑り」が美しさを引き出していると感じたことも付け加えておこう。ちなみに、彼女のGPシリーズ3戦の5コンポーネンツの平均は6.72だったのに対して、今大会のそれは7.41。合計のPCSではGP平均53.73に対して今回は59.32だったからPCSだけで5.59も上積みしたことになる。今大会を機に彼女の5コンポーネンツの評価がジャッジ間で定着すれば、PCSは今後の彼女の武器になるだろう。
氷上で繰り広げられたドラマの鮮烈な記憶やその大会全体のイメージを決定付ける、最終滑走者の演技はその重要な役割を担うことが多い。まして、世界選手権のような「シーズン全体の大トリ」を務め、ベストを出し尽くせた選手は幸せだ。前回の東京大会での安藤美姫選手などはその好例だろう。余談ではあるが、昨年、その安藤選手を「日本一幸せな気持ちにしてくれた選手」に選出したアウォードがあった。あまたあるアウォードの中でもなかなか粋な企画をする人がいるものだなあと感心した次第。今回、女子FSは大会最終日ではなかったので、中野選手は「大トリ」というわけではなかったが、女子シングルの最終滑走者を務めた彼女の演技には「トリ」に相応しい感動があった。ただ、その感動は東京大会の魂を揺さぶられるような激情の迸りとは違った、どちらかというと静かで優しい、でもどこか気持ちが救われるような柔らかな光に包まれるような感動だった。中野選手のキス&クライで見せた清々しい笑顔に、この日一番のスタンディングオベーションをしてくれたオーディエンスとフィギュアスケートの神様への感謝の気持ちだけではなく、共に集い闘ったすべてのスケーターへのエールを垣間見たのは、すっかり夜が明けた日本の早朝に眠気を催した刹那に見た白日夢ではなかったはずだ。
夢の途中・・・・
どんな競技でもチャンピオン不在の大会というのはどこか一抹の寂しさを感じるものだ。まして注目度の高い女子シングルで女王不在となれば、その寂しさは一入だ。2005年のモスクワでは荒川静香選手(当時)が極度の不調で女王は存在感を失くし、06年はチャンピオン(スルツカヤ)と五輪ウィナー(荒川静香)が揃ってカルガリーに姿を見せなかった。それでもモスクワではスルツカヤの復活があったし、カルガリーでは新星マイズナーの逆転劇が女王不在を補ってくれた。続く07年の東京でもマイズナーは意地を見せて女王健在を示してくれた。では、今年のイエテボリはどうだったか?
周知の通り、ディフェンディングチャンピオンは劇の途中で自ら舞台を降り、復活を期した元女王やベテランのリベンジもなければ新星も現れなかった。先述のように選手個々には見所があったのは確かだが、今大会の女子シングル全体を俯瞰して見るとシーズンエンドに相応しい華やかさをそこに見出すことは難しかった。それはやはり今大会が「本年度のオールキャストが総出演するフィナーレ」にはならなかったことと無縁ではない。
そうであれば、本稿の最後にやはりディフェンディングチャンピオンについて触れておかなければならないだろう。
安藤 美姫 Miki ANDO (JPN)
SP:59.21(8位)、FS:WD(DNF)
今季の初頭、私は「安藤選手の今季はケガとどう付き合っていくかに腐心するシーズンになるだろう」と予想したが、その私ですらこのような幕切れは夢にも思わなかった。全日本でモチベーション問題に決着をつけ、四大陸では4Sにトライしつつ、スピン&ステップのレベルアップに成功し、紆余曲折を経た今季の中、なんとかイエテボリには「闘える」状態に間に合わせられるのではないかと思っていた。
安藤美姫という選手は感性の人である。全日本で魅せてくれたように、のってくると唯一無二の存在感を示すことができる稀有なスケーターだ。自ら怪我を忘れてしまうような圧倒的な演技を見せてくれる。全日本でも「演技後に激痛が走って自分が怪我をしていることを思い出した」というくらいだ。一方で、このようなメンタリティは安定感に影を落とすことにもなる。競技選手に求められるのは安定した心身のコンディショニングだというのであれば、彼女のメンタリティはコンペティション向きではないのかもしれない。彼女はアスリートというよりもアーティストに近い気質をもった選手なのだと思う。であればこそ、惨敗したNHK杯の4週間後に蘇生した全日本のときのように、韓国からスウェーデンまでの4週間で再び気を充実させることができれば、あのミシェル・クワン以来の世界選手権連覇も可能なのではないかとさえ思っていた。
しかし、メンタルはフィジカルと表裏一体なのもまた事実である。今や肩の脱臼は彼女にとって(不名誉な?)代名詞にもなろうかというくらい慢性化していることは知られているが、私にはそれ以外にも気がかりなことがもうひとつあった。それは昨年のNHK杯、FS直前の6分間練習で負った右太腿の損傷だ。始め、それはブレードによる浅い裂傷かと思われた。しかし、負傷後2ヶ月以上経った四大陸でも彼女の右太腿からテーピングが取れていなかった(結局イエテボリでもテーピングは残ったまま)。世界選手権前に分かったことだが、ブレードは筋肉にまで達し、内転筋の一部が切れていたのだという。片方の脚を怪我していると無意識にその脚をかばってしまい、結果としてもう片方の脚まで故障するということはよく知られている。彼女の四大陸から世界選手権までの4週間は、そのような綱渡りの状況でハードトレーニングを積んでいたことになる。ハードトレーニングに怪我は付き物だと言ったら本人には酷だろうが、彼女の場合はそれに時間的な不運が重なった。浅田真選手も四大陸後の練習で捻挫したらしいが、四大陸直後だったことは幸いだった。練習再開後にまだ3週間ほど時間が残されていたからだ。負傷が捻挫だったことも浅田真選手の強運のひとつだろう。現代のテーピング技術というのは素晴らしく、(腫れが引いた後)適切なテーピングを施せば、かなりの負荷にも耐えられる。(サッカー選手などは足首の捻挫は付き物で、テーピングして試合に出ることは日常茶飯事)
不幸は単独ではやって来ない。Misfortunes never come singly. (これも試験に出ます)
安藤選手の不運も単独では済まなかった。内転筋損傷の右脚をかばいながら(?)のハードトレーニングが左腓腹筋断裂(左ふくらはぎ肉離れ)を引き起こした。しかもイエテボリ入りする直前に・・・・。ただこのときの肉離れは比較的軽い部分断裂だったと見え、アイシングで腫れを抑え何とか滑れる状態にまでは一時的に回復したものと思われる。事実、SPではテーピングは見られなかった。しかし、直前に肉離れを起こしているという情報は当時メディアでは一切報じられていなかったので、イエテボリ入りした彼女の生気のなさを見て首をひねった。練習でジャンプが決まらない。表情が冴えない。四大陸に続いて4Sに挑むのかという問いには「そんな状態ではない」。当初、この回答(怪答?)に対しては、今季成功率が下がっている(本来得意の)3Lz+3Loの精度向上を優先させているのではと推測された。実は本当にそれどころではなかったのである。公式練習や6分間練習でもいつもの彼女らしさは当然見られない。延々スケーティングを繰り返すだけで、ジャンプは確かめる程度にしかやらない。それも無表情なままで。
迎えたSPで異変の一端が明らかになった。緊張というよりも無力感漂うような生気のない表情。コンビネーションのセカンドはダブルに抑えただけではなく、他のジャンプにも切れがない。FSSpはダイナミックさに欠け、踏ん張りも利いていない。昨季魅せた激情がほとばしるようなSlStは緩慢にさえ見えた。とにかく足が動いていない。初日のSPで既に疲労困憊のように見えてしまった。それでも大きな失敗はなくPCSも平均7点近く取れたことは、今から思えば彼女にわずかに残された最後の幸運だったのかもしれない。上位陣も伸び悩み、トップとの差は5点に収まっていたのだから・・・・。
これから先のFSについては周知の通り。改めて多くを語ることはないだろう。何とか怪我をおしての強行出場には賛否両論もあろう。ただ、「トップを目指す選手」の経験がある人でなければ分からないだろうが、選手とは怪我をおしてでも試合に出たいものだ。まして、シーズン最後の目標にしていた大会であれば尚更だ。それを冷静に引き止めるのはコーチや関係者の役目だが、今回はコーチ陣も含めてぎりぎりの選択をした結果があのFSだったのだろう。また、安藤選手の名誉のためにもひとつ注釈をつけておきたいことがある。「元・選手」と自称する人が「直前の6分間練習でルッツを跳べたのだから演技は続けられたはず。肉離れしていたらバックスケーティングすらできない」と某掲示板で疑問を投げかけたのを見かけた。これはまったく「自分の物差しと経験だけ」でしか物事を見ることができない人の浅知恵だ。肉離れもその症状は一様ではない。「元・選手」が言うような「バックスケーティングすらできない」肉離れとは重症のもので、筋繊維のほとんど、もしくは全部が断裂した場合だ。これであれば筋肉内の出血も激しく、歩行もままならない。軽い部分断裂であればアイシングとテーピングで歩行はできる。但し肉離れは再発率が高く、運動を中止しないと断裂箇所が広がるのだ。モロゾフ・コーチがさかんに棄権を促していたのは当然のこと。では、痛みがある中、なぜ途中まで滑ることができたのか。それは患部に局所麻酔をしていたからだ。私には似たような経験がある。捻挫している足首にスプレーでアイシングして一時的に痛覚を麻痺させ、サッカーをしたことがある。痛みは感じないのでプレーはできたが、感覚が麻痺しているので思うようなボールコントロールはできなかった。彼女が「筋肉が動かなかった」と唇を噛んだのはこのことに他ならない。ディフェンディングチャンピオンがサルコウの母国の舞台から自ら退いたのは、「自分にとってはなんてことのないほど簡単」で最も得意だと自負していたはずのトリプル・サルコウを跳べる感覚すら残っていなかったという事実を受け入れた後だった。
安藤選手が再発の危険を顧みず、そこまでしてFSに臨んだモチベーションは何だったのか。彼女にとってイエテボリ大会は何だったのか。
シーズンを通して変わらず応援してくれているファンの前でどうしても滑って謝意を示したかったという気持ちには一点の曇りもないだろう。ここは最初から棄権して早々にリハビリに努めるというアスリートとしての合理的な判断よりも、自らの感性に従って行動してしまうところが彼女らしいと言ってしまえばそれまでだが、その行為を訳知り顔で愚行だとか蛮勇だとか言うほどの厚かましさは幸か不幸か私には備わってはいない。
必死に涙を堪えながら自ら棄権を申し出た彼女に耳を傾ける大会レフェリーのモナ・ヨンソン女史の、その優しく諭すような穏やかな表情に後押しされ、ただただ「ありがとう」の一言を遠く離れた日本のテレビの前で小さく呟くことが私にできるたったひとつの彼女へのエールだった。
posted by pbq1464 |23:24 |
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2008年06月14日
ISU世界フィギュアスケート選手権大会2008
ISU World Figure Skating Championships 2008
カロリーナ・コストナー Carolina KOSTNER (ITA)
SP:64.28(1位)、FS:120.40(3位)、総合:184.68(2位)
昨季の東京大会ではSPで驚かせ、FSで落胆させる結果で、2日間続けて演技をまとめることの難しさを身を持って示してくれたコストナーだったが、今回は2日間まとめて見事に結果を出して見せてくれた。内容的にはジャンプのミスが多かったためSP首位を守りきることができず、惜しくも欧州選手権との2冠達成というスルツカヤ以来の快挙は1点差未満の僅差で逃したが、FS&総合点でPBSを更新。SPはいいけどFSで崩れるという「SP&FSでキス&クライ」の不名誉なパターンを打ち破った。
彼女のSPは今季を通して本当に安定している。全選手中のベストTES(36.34)をマークし、PCSも平均7点台の高スコアとなればSP首位は当然で、これでルッツのステップアウトさえなかったら昨季マークしたSPのPBS(67.15)に並ぼうかという出来だった。長い手足はダイナミックさよりも寧ろエレガントさを感じさせ、エッジワークはスムースで「よく滑るスケート」を見せてくれる。そのエッジワークをいかんなく発揮しているのがステップとスパイラルで、今大会でも見せてくれた深いエッジワークにはいつもながら惚れ惚れするものがある。
FSはジャンプで細かいミスが連続したのが勿体なかったが、全体的に破綻することなくまとめて、見事PBS。今季の彼女のFSは序盤にジャンプを4回続けて入れるというユニークなものだが、プログラムの構成としてはちょっと損しているような印象がある。せっかくスピード感のあるスケーティングをもった選手なのに、序盤のジャンプ4連発の間の「つなぎの滑り」が単調に感じられるのだ。この辺の印象が評価を分けたのだろうか。PCSのTRは6.00~8.00とバラつきが出た。ジャンプの配分もあまり得策とは言えない。FSのプログラム後半(2分以降)のジャンプは「体力を要するので難易度が上がる」と評価され、基礎点が1.1倍される。このルールを活かして、有力選手の多くは一般的に「前半3回+後半4回」のジャンプ配分にすることで、少しでも基礎点を上げる工夫をしている。それに対して彼女のプログラムは「前半4+後半3」だ。これは得策ではない。例えば、(得意の)前半の3Fのソロジャンプを後半に移動させるだけでも基礎点は自動的に5.50から6.05に上がる。もっともこのルールについて言及するのは釈迦に説法なわけだし、昨季のプログラムでも同様の配分になっていたことから察すると、もしかしたら彼女にとって「前半3+後半4」のジャンプ配分は体力的に難しいということがあるのかもしれない。
コストナーは今回で6回連続の出場で、表彰台は3シーズンぶり。そのポディウムも前回より1段上がり、スコア的にも昨季より大きくアップした(+15.76)。他のメダリストが前回よりもスコアダウンしている中、ミスが少なからずあったとは言え、この成績は立派だと思う。なにせミスをしながらPBSを出したのだ。彼女のスケートは着実に向上していると評価されていると見ていいだろう。但し、私自身はスコアもリザルトも今回に及ばなかったものの、前回の東京大会の演技の方が未だに印象深いことを否定できない。それは前回は会場で生で見られたという臨場感の影響もあるかもしれないが、何と言っても前回はSPの素晴らしさと「日本」をテーマにしたFSの演出の記憶が色褪せないからだろう。
キーラ・コルピ Kiira KORPI (FIN)
SP:60.58(4位)、FS:85.15(17位)、総合:145.73(9位)
まるで「以前のコストナー」のような結果に終わってしま