2007年11月28日

あるフットボーラーの引退

 FC琉球の仲里航が引退を決めたという。中学、高校と攻撃的なポジションでゴールを重ね、堂々と前線で戦える選手として神戸に乗り込んだ。彼と対峙した多くのゲームは未だに濃厚な思い出の一つであり、同じ時間軸の中から生まれたJリーガーに、後輩ながら尊敬の念は持っていた。

 きっかけになる一つのゲームは、選手権前に行われた大分ビックアイカップでのパフォーマンスだったように思う。それまで大学進学を選択肢として持っていた彼は、当たり前のようにトライアウトも受けた。だが結局、ビックアイカップの活躍、そして選手権での印象は、神戸首脳陣を動かした。
 
 ヴィッセル神戸一年目のある日、現在のように整備されていない、いぶきの森へ足を運んだ。今、手元にあるのは近くにいたサポーターが撮ってくれた彼との写真だ。仕事の場所は違えど、当時お互いにJリーグで生き残るということの意味は、まだ未知数の世界だった。
 練習後は岐阜工業から同じく入団したGKの荻と、黙々と用具の片付けをしていたのが、なぜか印象に残っている。 
 
 神戸を去ろうとしていたとき、気が付けばポジションは守備的な責任を負うものになっていた。かつて、選手権沖縄県大会決勝で40メートルのFKを意図的に突き刺した彼はもういない。その代わり、沖縄に還元するだけの経験は誰よりも、矜持として保持していた。
 FC琉球に期限付きで移籍した全国地域リーグ決勝大会。宿舎近くで話を聞くと「ここに来たからにはFC琉球をJFLへ上げる」と語っていた岡山の夜。プロの意識と郷土への想いが混在する顔は、間違いなくこれまでの沖縄のサッカー界には無い部類のものだ。年齢は関係ない。ただ、その重要性に気付いた彼がいるというのが、たまらなく誇らしかった。
 
 個人的には、このタイミングでの引退はベストだったと思う。ケガはもちろんあるだろうが、今季のパフォーマンスに限界は見え隠れし、焦りや苛立ちさえ、見ているこちら側は感じ取ることができた。遠くない未来、この世界で同じように生きていくためには何かドラスティックな変化をしない限り、選手としての成長はない。そう、私は思っていた。

 数少ない地元出身選手という環境の中で、ごく自然に数年間プレーする要素は有り余るほどあった。しかし彼は徒手空拳の決断と共に、違う場所への方向転換を示す。引退宣言から数日後、彼からの電話は「やはり次のステップを踏みたい。また近々お話しましょう」というもの。
 年末、できることなら聞いてみたい。選手としての魅力はどこで消え去ってしまったのか。そして、沖縄の未来についてどう思っているのか。

 何度も言うが、これから先、私達がイニシアチブを取る瞬間は必ず来る。そのとき、近くに彼のような人間がいるというのは、私達が持たない「何か」を持つ人物と位置づけられる。

 フットボーラーは人生で二度死ぬ。未来に、これまで以上の充実感を得られることを。
 

posted by 奥間店長 |00:03 | FC琉球 |
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2007年11月24日

ちょっとした質問の奥底に

 ゲーム後の記者会見で興味深い場面があった。ジャーナリストの湯浅健二氏が日本選手の「個」について反町監督に意見を投げかけたのだ。

 サウジアラビアや李を例にして日本の課題の外堀を埋めていったが、反町監督の答えは「いかに運動量を多くして数的優位を作っていくか」ということだった。
 前回、このブログでサイドでの数的優位の実用性について述べたが、反町監督はワイドの局面だけではなく、アタッキング・サードの真ん中でも数的優位を作り出すことで、日本の独自性を出していくということにも言及していた。
 
 そう考えると、FWの運動量は当たり前のように求められるし、本当に長い距離を走って、乳酸が溜まる足元で質の高い決定機を演出する選手も必要になってくる。
 サウジアラビア戦では後半33分、前線の三人(岡崎、李、柏木)の素晴らしいコンビネーションからゴールに迫るシーンがある。
 その攻撃の最初の起点になった岡崎は他の二人よりも長い距離を走っていた。そしてフィニッシュの瞬間、全力で走りこんできた岡崎の重心は崩れ、シュートは枠の上を通過した。言葉は悪いが、デルピエロなら決めていた。そう、あのドイツW杯準決勝だ。

 シュートミスが余裕がある中で明らかなヒューマン・エラーなのか、もしくはその前にフリーランニングを繰り返した上でのミスなのか。ゴールへたどり着けなかった「負の根源」は一つではない。そこの種類分けをするのか、しないかでサッカーの深さは少々違ってくる。あの瞬間の岡崎は、クロアチア戦の柳沢は確かにそうなるべくしてそうなった。だが、結果だけを凝視してはいけない刹那的な部分も見つけ出すことは十分可能だ。

 課題は、抽出しようと思えばいくらでもある。明日のJリーグからでも。もちろん、上記したことが些細な反省点なら、平山はその場面にさえ追いついてもいない。
 明日は、今日なのかもしれない。未来は俺等の手の中。

posted by 奥間店長 |03:04 | NIPPON代表 |
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2007年11月24日

水本、青山、伊野波の勝利

北京を目指す五輪代表の初陣は去年の八月の事だった。その淡々としたゲーム内容に、過去三大会の予選とはまた違った厳しい未来が目に見えていた。フラストレーションが溜まっているのか、そうでないのか。熱を持てないのではなく、持ち方がわからない。ゲームを重ねるごとに言葉に表せない叫び声はこちら側にも届いていた。
 
変化を呼んだアンダーエイジ
しかし、やはりある時期を境にしてチームは正確なベクトルを見つけ出す。過去の五輪代表がそうだったように、下の年代がU-20W杯を経験し、誇りと自信を閉鎖的な「当事者」にぶちまける。
 チームとして完成に近づいていると思っていた「当事者」はもちろん壁を作るが、今回はいとも簡単に年代の隔たりを超えるだけのパーソナリティを持った選手が揃っていた。安田や森島、柏木は積極性が違う。現代っ子は下に行けば行くほど・・・と思っていたが、どうもそうではないらしい。下が上を凌駕することは、やはりいつの時代も起こることだ。
 
ディフェンスを高めるということ
サウジアラビアは前回同様、最後まで個人のスキルに依存せず、高い組織力を持ったチームだった。アルゴワイニムやアルダウサリは展開力に優れ、ボールを持つと全体を俯瞰できる。攻撃の起点はこの二人からだった。もちろんFWもゲームを決める力強さがある。
 
 だが、この日はサウジアラビアが悪かったわけではない。日本のDF陣が良すぎたのだ。驚きと共に、素直に素晴らしいと思う90分だった。

 3枚のDF陣はサウジアラビアの突破にも慌てず、最後まで余裕を持って対応した。なにより、ボールを処理した「後」の切り替えが驚くほど早かった。クロスへの寄せ方、そしてセカンドボールへのアプローチも早い。これはポジショニングもさることながら、水本、青山、伊野波の三人が自身のプレーエリアを意図的に広く保っていたことに起因する。
 自分が対処するべきスペースをゾーンディフェンス云々ではなく、気概を持ってカバーする。そこに責任が生まれ、考える時間の早さ、反応の速さが特徴として現れていた。
 DF陣があれだけ広いエリアをカバーすれば、ボランチが必要以上に下がらなくて済む。細貝が後半10分に決定的なシュートを放ったが、それは「そこにいた」のではなく、現実的に多少の余裕があって、ゴール前で勝負できたといっていい。全てはディフェンスラインの判断が実を結んだ結果である。

ひとつになる、という衝撃
チームに一体感が生まれる瞬間に立ち会えることはサッカーだけに収まらない、人間的な達成感がある。そこに自分が携わっていなくとも、だ。
 しかし、三日も時間が経つと、北京五輪本番までに更なる大きな山を迎えることに気付いている。その一つの山であるオーバーエイジ枠は、ある意味自身に突きつけられた課題が露呈するリアルな瞬間だ。GKは特にそう思うかもしれない。彼等の、本番までの仕事はまだ終わっていない。

posted by 奥間店長 |02:58 | NIPPON代表 |
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2007年11月13日

良質なサイドバックを求めて

先週行われたドイツ・ブンデスリーガ第13節を数試合見たが、その中でも気になったのがドルトムント対フランクフルトのゲーム。

 高原は依然、トップフォームを探し続け、今シーズンはその器用さゆえかセカンドトップの役割も求められつつある。しかしその要求に対しての怪訝な態度は見え隠れし、ゴールという結果もなかなか形に表せないでいる。プレーの幅を広げ、アマナティディスをサポートするというのは聞こえがいいが、最短距離で得点に結び付けないジレンマは本人が一番自覚しているようにも見える。
 
 稲本にしても一対一の決定的な守備はドイツ人以上の鋭さを見せてくれる。だが、九月下旬に負傷した左足首のケガもあるのだろうか。ゲームの流れの中で「行くべき部分と待つ勇気」の区別があまり出来ていない。彼もまた、五里霧中のブンデスリーガと言えるだろう。

今、そこにあるヒント
日本人選手の共存が上手く見れない中で、フランクフルトが先制した後半9分のゴールに、最近のJリーグではなかなか見ることができない崩し方の一部があった。

 ここ最近は、ナビスコカップ決勝、先週末なら川崎対浦和、水曜日にはACL決勝を見に行くつもりでいる。そこで垣間見えた共通項は、サイドバック、もしくはサイドハーフの攻撃参加が効果的に得点につながっていないということだ。
 確かにナビスコカップ決勝ではG大阪の安田と川崎森のマッチアップには胸が熱くなった。サイドバックには他のポジションが持ち得ない、90分間を通した極度の「駆け引き」が存在する。隣にサイドラインがあることで、一対一にならざるを得ない状況。
 ディフェンス側の重心移動(加重)、間合いで両足がベタ足になる瞬間を見逃さないコンマ何秒の世界。あえてタテを切り中に行かせボールを奪う。その逆のプランも一瞬で思考回路を作る。姿勢、目線、その全てが相手と対峙する中で作られていく。相手に合わせるだけでは生まれない濃密な時間が安田と森には流れていた。

一対一を深く考えてみる
しかし、そこまで積極的な攻防が続けられながら、サイドアタックからのゴールは生まれない。それは浦和のゲームでもいえることだ。中央に陣取る強烈なセンターバックによって、単純なクロスではチャンスにさえつながらない現実が現代サッカーにはある。
 去年のW杯でさえ、スタッツを見れば数試合(ポーランド戦、ドイツのヌビーユなど)しかなかった。ドリブルで鳴らすサイドアタッカーも、ドリブル突破からゴールにつながる場面は殆ど無い。

 そこで今回のフランクフルトのゴールシーンを思い出して欲しい。高原がボールを持ち、右サイドに流れることで、相手DFを二人サイドに引き出す。そこで高原の近くにポジションを取っていた味方に落とし、そのクロスボールの先にはアマナティディスと中に絞ったドルトムントの右サイドバック一人だった。
 通常、人で溢るボックスの中には二人しかいない。ヘッド一閃。先制ゴールが生まれる。

起点の先にゴールへのファクターが見える
サイドで起点を作る。その創意工夫がもう少しあってもいい。一対一の状況はスリリングではあるが、数字で見てもなかなか次につながらない事実がある。 ボールホルダーがワイドで攻撃を組み立てる際にも、二人、三人の絡みがあり、相手DFをサイドに呼び込めないことにはその先(クロスの質やクロスに対しての入り方)も議論できない。もちろん、起点を作ることで、さらに一対一の選択肢が急に生かされることになるだろう。

 「ボランチならあと数年できるが、もうサイドで仕事はできない」。都並は選手としての晩年、福岡から平塚へ移籍した際にサイドバックへの限界を身体的に感じたという。
 少ないと頑なに言われ続けた良質のサイドバックだが、タイプに差異はあれど、ここ数年、人材は急激に増えつつある。
 特にG大阪では加地がまた一回り世界基準を感じられる選手へと成長し、安田は予想以上の成長を繰り返す。そして先日の天皇杯、山形戦で先発した下平も、ある意味安田以上の資質を魅せる。

 サイドの駆け引きは、ピッチの中でしか理解し得ない独特の空間の中にある。
 だが、タッチライン際に潜む、数秒ごとに変化する選択肢を少しでも理解できると、またゲームは面白くなる。そこをどうしても理解したいために、結局は情報量が多いスタジアムへと足を運んでしまう。
 一流の駆け引きは、身体も思考回路も追い詰められたとき、さらに一段階研ぎ澄まされる。この時期ならではの贅沢の一つかもしれない。
 それは、これまでの歴史が物語っていること。優勝争い以外にも楽しみは転がっている。

posted by 奥間店長 |00:40 | Jリーグ |
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2007年11月09日

かりゆしFCが犯した犯罪の種類

 今朝、かりゆしFCが当然のように選手全員に対してゼロを提示したという情報を耳にした。前科を繰り返しながら存在し続けていたクラブだ。常に似たような判断の可能性は、なきにしもあらずだったように思う。
 
 今年からどちらかというと私に近い選手が数人、かりゆしFCに加入している。入団発表を見たとき、絶対にやめるべきと言うつもりでいた。だが選手としての根源的な動機は、そう簡単に崩れるものではない。結局、連絡すらしていない。

 與那嶺社長の下でプレーを続けるということにリスクはあったはずだ。これまでチーム方針を巡って数々のゴタゴタがあった。2002年にはラモスが解任されると同時に選手の一斉離脱があった。その後は加藤久が「クラブ」を引き継ぐも、またもやフロントとの様々な齟齬が横たわり、突然、選手たちへ配慮の欠片もない解雇通告が出された。

 今回の選手たちは以前の実績を踏まえて入団を決意した。その点に関しては、リスクマネジメントを軽視しすぎたと言っても誰も否定できない。なんせ、三回目の首切りである。クラブ側の軽率かつ整合性のない運営もそうだが、かりゆしFCを選択した選手にも今回ばかりは同情の余地は薄れている。

 日本では東京Vや湘南。海を渡ると、かつてFAカップを制したウィンブルドン、2001-02シーズンにチャンピオンズリーグで大旋風を起こしたリーズ・ユナイテッド、フランスの名門マルセイユ、創立100周年を迎えたフルミネンセ。そのどれもが人々の営みの中にあるサッカーを、横暴なまでに乖離した負の歴史を持っている。
 だが、どんなに凋落の激しいクラブでも「三度」も陳腐な理由で、選手や関係者がある瞬間を境に路頭に迷うクラブは存在しない。
 クラブに対する暗澹たる想いはもう消えた。サッカーを「手」で扱い、それも愛情の無い汚れた「手」で沖縄を汚す。それは事実だ。

 そして上記したクラブは各々が異なる新陳代謝を繰り返し、昔の姿に戻ろうとする。リーズは未だに日の目を見ない位置にいるが、フルミネンセは自前のトレセンを充実することで強豪に返り咲いた。
 違うアプローチはある意味目標を持ちやすい。かりゆしFCがこの先、どのような手段にでるのか。騙し合いの先にあるものは今のところわからない。噂される他のクラブとの統合でさえ砂上の楼閣といえるのだ。沖縄県のサッカー協会はそれでも動かないつもりなのだろうか。

 今はもう、その名前を忘れるための努力だけしか、したくない。サッカーはあなたたちだけのものではない。もちろん私だけのものでもない。この島のサッカーを、これ以上汚さないで欲しい。

posted by 奥間店長 |22:25 | OKINAWA |
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2007年11月01日

天皇杯の煌めき-ジュビロ磐田対順天堂大学-

 1999年12月15日に行われた天皇杯三回戦、ジュビロ磐田対順天堂大学のゲームリストを見ている。

時代に生きる選手たち
磐田のメンバーは現在と比較してもそこまで驚きはないが、好きだった選手の一人である安藤正裕がスタメンに名を連ねていたり、二年目の高原がいる。
 もちろん、順大4年時の天皇杯で鹿島と戦った際、その強烈なタテへの突破が磐田首脳陣を唸らせ、契約に至った川口信男もスーパーサブとしてベンチに入っていた。
 翻って順天堂大学はというと、ノスタルジックに浸る、というより今でも最前線で活躍する選手は多い。面白いのは横浜FCのセンターバックを確固たるものにした早川が、当時10番を背負っていたことだ。青葉(徳島)や石原(甲府)もいれば、サブには先週FC琉球相手に得点を決めた竹谷(佐川急便)もいる。

 激戦の末清水を下したチャンピオンシップから数日後のゲームだったが、中山の二得点で順大を振り切っている。その後磐田は準々決勝で敗退するのだが、それから数年の時を経て、今年もまた同じカードが私達の前に揃ってしまった。

順大と磐田のパワーバランス
注目すべき素材は多い。まずは元磐田、順大一年生の岡本の存在。磐田ではGKの松下太輔がレンタルで静岡産業大学(当時JFL)に移籍したことはあったが、岡本は二年目で退団し、本格的に大学生という道を選択した。
 このような選手は大学サッカー全体を見ても稀といえる。前職がプロという肩書きはフィジカルに現れ、彼が前線にいることでチーム全体が一つの太い線になる。 
 GKは松本が代表選出のため出られないと聞くが、中盤にはJ2には引っ掛かりそうな島嵜や、最終ラインには柏に内定した村上もいる。そして未だその才能を開花することができないFW、福士も忘れてはならない。
 
 磐田は前節の新潟戦で、今シーズンあまり見られなかった種類のゲームを残して見せた。共通理解として全員がハードワークの高い意識を持ち、ゴールに迫る最短距離を常に探していたのだ。
 もちろんそれは新潟の鬼気迫る攻撃への姿勢が、お互い刺激しあう形で前のめりにさせたのだが、決定的なシーンを決めれない時間はあれど、ここにきて磐田はまた一つ調子を取り戻している。
 天皇杯を軽視する材料など、今の磐田には無い。内山監督の続投を考えると、ゲーム数を増やすことで来季へ向けたベース作りの機会をそうやすやすと手放すことはないだろう。磐田は天皇杯で大学生と当たる回数はこれまでも多かった。戦いの線引きを持つチームは、やはり強い。

ヤマハスタジアムでサッカーをするということ
11月4日は順大の学生が数台のバスを貸しきり、大挙してヤマハスタジアムに乗り込むという。彼等にはゲームはもちろんだが、ヤハマスタジアムが持つ時代の変遷にも注目して欲しい。

 ヤマハ発動機サッカー部が保持していた東山サッカー場を磐田のJリーグ参入に伴い、そのままグレードアップしたのが今のヤマハスタジアムだ。
 当時は現在の南側ゲート付近にはゴルフの打ちっぱなし打設があり、土手の下では馬を飼育する場所もあったと聞く。打った後、ゴルフボールが転がる傾斜はバックスタンドの基礎となり、前列のコンクリートは東山サッカー場の時代から存在したものだ。
 自治体のサポートを得られず、様々な環境問題もスタジアム建設を阻む原因となった。だが、多くの人々の情熱は黄金時代を到来させ、アジアを制し、今ではサッカーだけではなくラグビーもヤマハスタジアムを使用している。

 大学生がそのスタジアムでプレーできる幸せ、そしてこの素晴らしいカードを見れる愉しみを噛み締めながら、J1のチームと堂々と戦ってきて欲しい。後輩の勝利をひそかに求めて、日曜の夕方を迎えたい。

posted by okuma店長 |01:23 | Jリーグ |
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