2008年02月25日

我那覇和樹を見つめて

 我那覇問題の金銭的協力支援が未だ300万円程度しか集まっていない。スポーツ仲裁裁判に対して仲裁を求める際には、1000万円以上の費用が必要となることは周知の事実だが、果たして現実にそこまで届くのかという不安が最近頭をよぎっている。
 
タイムカプセルのように
一か月ほど前、読売新聞の一面には「自民党はスポーツへの国の支援を強化するため、スポーツ振興法を抜本的に改正する方針を固めた」と大々的に報じられていた。現在のスポーツ振興法は1961年の東京五輪開催を前に制定されている。47年前の中身は現代社会と乖離され、スポーツへの価値意識は古びた骨董品のようなものだ。
 この国のスポーツ偏差値の向上を妨げ続けた不条理な時代が終わろうとしている。そう、思った矢先、自民党が提案したマニフェストはいかにもプロパガンダの臭いがするものだった。
 2016年の東京五輪開催を見こみ、トップアスリートのみにスポットライトが当たる環境設定に傾き、極めて少数のスポーツ関連予算は国民がスポーツを通してQOLを育む可能性すらない。
 何を目指しての改正なのか。スポーツ振興は「国の責務」だといういかにも美辞麗句だけが並ぶ結果となりそうだ。

Bridging the Gap 
そして、最大の憤りの矛先は反ドーピング精神も盛り込むという表向きの明記にある。我那覇問題が解決の糸口さえ見つからない中で、与野党、そしてアンチ・ドーピング活動を積極的に支持していると高らかに宣言している文科省(JOC、日本体育協会、JADAと連絡協議会を開催している)も、今のところ有効なリアクションは感じられない。
 今回の問題に変化を付けてくれるであろう元愛媛の友近参議院議員は「Jリーグ側の対応は、検察官が裁判官も務めているようなものだ」と言うものの、次の一手は乏しい。
 
 我那覇問題はあくまで一人のアスリートの事情ではなく、この国のスポーツの未来さえも左右する問題である。
 本当に見るべき、介入すべき問題が現在も進行中にある。だが、発展性が感じられないのはスポーツに対する軽視、そして自らの位置の確立のために、スポーツを使用する庇護者の意図が透けて見えるのは私だけではないはずだ。

川崎の我那覇として
数日後のJリーグ開幕を控え、我那覇の状態はトップフォームに戻りつつある。今シーズンの川崎は浦和より面白く、新しくも成熟する土台は整っているだけに懸ける想いは人一倍だ。
 確かにフッキやテセはいる。それでも笑顔でいられるのは、ドーピング問題に対して、愚直に、自分なりの解釈を信じているからだろう。
 今回の仲裁によって、FIFAやWADA(世界アンチドーピング機構)から我那覇に独自の追加処分(出場停止1~2年)が下される可能性も否定できないという。
 そこに光は見えない。だが、我那覇は戦っている。この事実は果たしてどこまで届くのだろうか。

posted by 奥間店長 |22:21 | OKINAWA |
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2007年12月04日

サポーターとクラブの狭間で

 現在、今年の総括以上に焦点になっているのはFC琉球が11人を突然に大量解雇した問題だ。以前、沖縄では似たような騒動が他クラブで起きたこともあり、感情論も交えた非常にデリケートな部分が焦点となっている。
 
 サポーターの間で功労者の存在はJクラブより大きい。昔から、とは言わないまでも、シーズンを通して戦った選手が突然解雇を受けるのは理解しがたい部分は確かに私もある。

 しかし、横河武蔵野FC戦で感じたのは決定的な「質」の違いだった。石井(雄)は高さはあるものの、ビルドアップ能力や押し込まれたときの状況判断は決してレベルが高いとは言えない。
 ボランチに入った佐藤(拓)はトータル的にはJ2で戦う素質はあるのかもしれない。この日の佐藤は局面では全力でプレーしていた。だが、玉際での激しさは全くといっていいほどなかった。
 
 あるシーンでは、中盤でボールを意図的に厳しく「奪わない」場面があった。その後横河に左に展開され、ゴール前にクロスボールが入る。ライナー系のクロスにボールを奪われた佐藤がヘディングでクリアする、というシーンだ。
 ある意味「よく戻ってクリアした」といえるのかもしれない。だが一つ間違えれば、得点に直結するシーンでもある。上のレベルでは全くもって通用しない価値意識だった。
 
 厳しく言えば、そういった細かい部分の積み重ねがチームの衰退に大きく響いてくる。當間にしても、高校時代から彼を見ている身としてはフィジカルの衰えは確実に見て取れる。
 「戦える選手」の定義は人それぞれだが、ゲームで結果を出していない選手が現実に抗うことはまずないだろう。この世界に足を踏み入れた以上、逡巡する理由など存在しないからだ。それと同時に、秦や栗田、三好、佐藤(真)、そして野田レベルの選手を望まない限り、JFLの頂はいつになっても見えてこない。

 こういう状況になって思い出す言葉もある。東北でサッカーを画期的、いや劇的に広めた小幡忠義氏の一言だ。「地域密着というけれど、あんたらいつまでここにいんだ?契約切れるまでか?俺たちは死ぬまでここにいんだぞ」。

 多くのサポーターは代表と話し合いを持ち、今回の件について議論を交わすだろう。11人が解雇された理由は、上記した部分だけではもちろんない。シーズンの入り方、選手補強から始まる現場のマネジメントも一つ。そして、県民の神経を逆撫でするような解雇を実行したフロントの方向性も揺れている。
 
 今年はシーズンを通した具体的な総括をクラブとして、サポーターズミーティングで発表して欲しかった。曖昧な状況がまた繰り返されるだけの未来は受け入れたくない。クラブの歴史は自然に積み重なるものではない。お互いの価値観を見せ合って始めて、次がある。

posted by okumastore |02:37 | OKINAWA |
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2007年11月09日

かりゆしFCが犯した犯罪の種類

 今朝、かりゆしFCが当然のように選手全員に対してゼロを提示したという情報を耳にした。前科を繰り返しながら存在し続けていたクラブだ。常に似たような判断の可能性は、なきにしもあらずだったように思う。
 
 今年からどちらかというと私に近い選手が数人、かりゆしFCに加入している。入団発表を見たとき、絶対にやめるべきと言うつもりでいた。だが選手としての根源的な動機は、そう簡単に崩れるものではない。結局、連絡すらしていない。

 與那嶺社長の下でプレーを続けるということにリスクはあったはずだ。これまでチーム方針を巡って数々のゴタゴタがあった。2002年にはラモスが解任されると同時に選手の一斉離脱があった。その後は加藤久が「クラブ」を引き継ぐも、またもやフロントとの様々な齟齬が横たわり、突然、選手たちへ配慮の欠片もない解雇通告が出された。

 今回の選手たちは以前の実績を踏まえて入団を決意した。その点に関しては、リスクマネジメントを軽視しすぎたと言っても誰も否定できない。なんせ、三回目の首切りである。クラブ側の軽率かつ整合性のない運営もそうだが、かりゆしFCを選択した選手にも今回ばかりは同情の余地は薄れている。

 日本では東京Vや湘南。海を渡ると、かつてFAカップを制したウィンブルドン、2001-02シーズンにチャンピオンズリーグで大旋風を起こしたリーズ・ユナイテッド、フランスの名門マルセイユ、創立100周年を迎えたフルミネンセ。そのどれもが人々の営みの中にあるサッカーを、横暴なまでに乖離した負の歴史を持っている。
 だが、どんなに凋落の激しいクラブでも「三度」も陳腐な理由で、選手や関係者がある瞬間を境に路頭に迷うクラブは存在しない。
 クラブに対する暗澹たる想いはもう消えた。サッカーを「手」で扱い、それも愛情の無い汚れた「手」で沖縄を汚す。それは事実だ。

 そして上記したクラブは各々が異なる新陳代謝を繰り返し、昔の姿に戻ろうとする。リーズは未だに日の目を見ない位置にいるが、フルミネンセは自前のトレセンを充実することで強豪に返り咲いた。
 違うアプローチはある意味目標を持ちやすい。かりゆしFCがこの先、どのような手段にでるのか。騙し合いの先にあるものは今のところわからない。噂される他のクラブとの統合でさえ砂上の楼閣といえるのだ。沖縄県のサッカー協会はそれでも動かないつもりなのだろうか。

 今はもう、その名前を忘れるための努力だけしか、したくない。サッカーはあなたたちだけのものではない。もちろん私だけのものでもない。この島のサッカーを、これ以上汚さないで欲しい。

posted by 奥間店長 |22:25 | OKINAWA |
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2007年10月09日

沖縄のサッカーを巡る一つの事件

そう、今日の高円宮杯。楽しみはそれだけではなかった。

 後半途中から流済大柏がリードしているにも関わらず、さらに攻撃的な選手を二人投入した。田口と久場。共に沖縄が生んだ新しい才能である。そして11人の中で左サイドバックの比嘉も含め、県出身3選手が同じ時間を共有することになった。
 
 これまで国体や総体の決勝に沖縄県勢が足を踏み入れたことはあっても、Jユースも参戦し、高校レベルを超越する高円宮杯や、成熟したチームが出来上がる時期の選手権にはベスト4にも進めていない。
 さらに真の日本一を決める今回の高円宮杯で、熾烈を極める流済大柏のポジションを掴み取ることは困難を極める。だが、彼等の躍動する姿は、県民が持つ過去のネガティブな思想(つまり本土のチームには勝てる要素がない)と決別するに十分な材料を持っていた。沖縄から生まれた県産品の選手は独自のスタイルを発揮し、チームに新しい「色」を付け加えていた。
 
 FC東京の赤嶺以後、沖縄の選手へ求める部分は細分化されつつある。「高い身体能力と、独自のスタンス」。県内の高校が独自性を持ちえなくとも、選手は高いポテンシャルを身に纏い、個人では全国と対等に戦える時代になった。ここ数年の躍進と、今日の三人のパフォーマンスを見ても、そう言いきってもいいだろう。
 また、いつの時代も議論になる県外への才能の流出は極めて野球的な考えであり、世界基準を常に掲げるサッカーにとって、早い段階で才能に見合ったプレー環境を与えるのは自然な原理ともいえる。野球とは基準を置く場所が違う。
 逆に、目に見える形でレベルの高い選手がいなくとも、ある程度のスキルがあり、その場所の土壌や文化、県民性で「差」を埋められることが出来るのがサッカーという競技が持つ特性でもある。
 
 順番から言って、今度は沖縄県代表校が魅せる時期だ。我々にしかできないことをぜひ全国の舞台で。他のスポーツではそれが具現化されている。沖縄のサッカーは未だ、アイデンティティーを持っていない。答えに形はないが、挑むべき志は常に持っていたい。

posted by 奥間店長 |00:00 | OKINAWA |
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2007年02月02日

純沖縄産をこの手に

 喜名のロッソ熊本への移籍に対し、悲壮感に苛まれ、自己を否定されたような感覚に襲われた人間は果たして何人いるだろうか。空虚な気持ちの矛先には喜名はいない。彼の最終的な判断は第三者が論ずるものではないからだ。それよりも、喜納を振り向かせることが出来なかったFC琉球というクラブ、関係者、サポーター、そして沖縄県民がどれだけ今回の彼の決断に対し、重みを感じているのか。現状ではその温度を感じる機会はやってこない。
 
新しい時代の幕開け
私が小学生の頃、喜名を中心とした那覇西高校が県勢初の選手権ベスト8へ駒を進めた。当時は沖縄の高校が一回戦を突破することは非現実な時代。Jリーグの波にのまれていた私達は、彼らの活躍に文字通り一喜一憂した。
 その後名古屋でデビューし、喜名の躍動する姿に感化された同年代の選手は数知れない。彼は確かに沖縄のサッカーを代表する初めての存在だった。
 
 それから月日は流れ、喜名は5クラブを渡り歩き、Jリーグでは162試合も出場した。
 その時間は彼をオフェンシブな選手から、中盤の底でゲームをコントロールし、ワイドのポジションをとっても常に逆サイドとのバランスを考える役へと変身させ、膝には慢性的な怪我も目立つようになってきた。
 昨シーズンは東京Vで16試合に出場したにも関わらず、ついにJの舞台から去る宣告を受けた。
 
 数回ある中のトライアウトも積極的に参加し、もう一度Jの舞台へ戻る意志は固かったように思う。30という年齢はアスリートなら誰しもが出会う過度期でもある。戦えるフィジカルの状態、サッカー選手としての緊張感、技術的な衰えはまだJ基準だと自負している。日本のトップでやれるという情熱は、彼の場合、未だに燃え尽きてはいなかった。

喜名の決断
結局、Jのクラブからはお呼びがかかることはなかったが、「Jに近い」ロッソ熊本という場所に新天地を求めた。

FC琉球は、最終的に彼の選択肢にはなかったのだ。

 あまりにも、あまりにも寂しい結末だと思う。世界中のサッカーを現地で観戦しても、W杯という最高の舞台を経験しても、近所で開催されるJFLのゲームに内包される緊張感は、全てを凌駕する。それがサッカーに対する愛というものだ。
 沖縄のその空気、その歴史、自然。偉大なる文化は、私達が生まれる遥か昔から、アイデンティティーを約束された一つの結束でもあった。そして2003年にFC琉球というチームが沖縄に産み落とされ、新しい歴史が生まれようとしている。サッカーで人生が狂う人々が生まれようとしている。

その想いが、喜名には届かなかったのだろうか。

 サッカー界のシビアな基準を設けるのなら、フットボーラーとしての彼の判断を尊重したいと思う。Jの舞台に戻るつもりなら、Jの準加盟をすでに受けているロッソ熊本に行くのが100%正しい選択だ。
 
 用は、私達沖縄の人間にはまだサッカーを生活の一部へと誘うだけの力がなかった。成熟とまではいかないまでも、JFLを一年経験し、ある程度サッカーが身近に感じれるようになった。それだけだったのだ。社会経済的対象としてのサッカーも、現状はまだまだ成長過程。そこに価値を見出すことはできなかった。

岐路に立つ
なぜ、沖縄の人々は悔しがらないのか。はっきり言って不思議でならない。これから先、Jの頂へ近づくにつれ沖縄生まれの人間が選手の中にいなくなるのは当然のこと、と思うかもしれない。世界基準は多国籍化する一方だ。
 それでも、沖縄は特別だ。私達は特別だ。沖縄生まれの選手がピッチで躍動しない限り、そこに自身の生き様を映し出すことは難しい。極端な話、沖縄の選手が戦えないチームなんて見たくもない。

理由は簡単だ。私はうちなーんちゅだから。それだけ。

 サッカーはそれが可能な属性を持ったスポーツである。ゆえに、美しい。J2、J1に舞台を移しても、沖縄という場所にJクラブが存在するのであれば、そこで中心として活躍する選手もまた沖縄の人間でなければいけない。現在所属の選手は「失えない」選手ではない。少なくとも、石川や比嘉、仲里等がピッチ上にいなくても、ゲーム進行は滞りなく進んでいく。王様の称号が当てはまる選手は未だ、存在しない。
 この問題は極めて重要なファクターであり、これから先も理路整然と訴えていくべき事実だと思う。

サッカーとはなんぞや。愛するクラブを持つということは何か。FC琉球とは何か。喜名を獲得できなかった。その意味をもう一度考えるべきだ。

ただ勝てばいいのではない。誇れるチームが欲しいのだ。

posted by 奥間店長 |00:02 | OKINAWA |
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2007年01月28日

沖縄のサッカーとは何かパート3 -バックナンバーより-

日本人はこういうサッカー
90年代前半、JFAの強化委員会は世界中のサッカーを吟味し、日本人の身の丈にあったサッカーを探し当てる。「ムービングフットボール」は現在でも、日本人が世界と対峙するにあたり、最もイメージしやすい日本人の「形」だといえる。
 特に2001年のワールドユースからはそれが顕著に見られ、トルシエやジーコ、オシムに至るまで、各監督が持つメソッドは異なってもチームのベースとなるものは常に「ムービングフットボール」だった。
 
 しかし、これまで述べてきたように日本人が表現すべきサッカーを探求し、見つけ出したところで世界レベルに到達したという位置づけはできなかった。それはドイツW杯で完全に証明された。
 
 本当に必要な強化とはいったいなにか。優秀な人材を全国からスポイルし、才能に肉付けをしていく作業はこれからも変わることは無い。だが、ここまで指導方針が同一線上にあると、結果的に選手は無個性という弊害が出てきてしまう。もしくは自分の個性に気付かず、ノーマルな選手へと変更させられることも考えられる。

スペインは違う。ではそれを歴史や文化だけのせいにしていいのか?
先述したが、この縦に広い日本列島。文化や気候、空気さえも違う場所に我々は常に同じコンセプトで、同じスタイルのサッカーの誕生を求めてきた。
 30年前の静学サッカーの誕生は確かにセンセーショナルな出来事だったと思う。ゆえに静岡の土壌が小野という稀代の天才を輩出した。では、他の県は何か特徴を持った選手が生まれたのだろうか。

 リーガエスパニョーラで見られるセビージャのお家芸は極端なまでのサイドアタック。セビージャの下部組織こそが一番とスペイン人の親友は言う。最近のセルヒオ・ラモスを見ているとやっぱり彼はサイドバックの選手だと感じるだろう。もちろんのレジェスも忘れてはいけない。

 アスレティック・ビルバオやレアル・ソシエダなどのバスク地方のサッカーはイギリスからの影響もあり(チーム名もそうだが)未だにイングランドフットボールを見せる。
 リーガの中でも異質なサッカーは、ハイボールに強いスペイン史上最高のGKであるスピサレッタや、空中戦に抜群の存在感を見せたFWサリナスやウルサイスを輩出した。

他にも、その土地の環境から生まれた選手を出したらきりがない。だが、現在の日本で「この部分では負けない」というスペシャルな能力を持った選手を輩出する特異な地域は見当たらない。

日本で広がる「スペシャル」化
静岡でさえも近年はその牙城は崩れた。と、言いたいところだが2004年から風間八宏氏を中心に静岡のそうそうたる先生方が結集し、若手を育成する「清水スペシャル・トレーニング」が定期的に開催されている。
 少し前にCXでその模様が放送されていたが、これは小学校5年生から高校3年生の選抜された選手が一同に集まり、何と一緒のトレーニングを消化するというプログラム。
 しかも一番レベルの高い選手の基準でトレーニングは進んでいく。テレビではのトラップからシュートへ移行するタイミングやスピードを当時清水東高校にいた内田(鹿島)を基準に行われていた。ここから静岡の新しい「らしい」選手が生まれようとしている。

 他にも、佐賀のVALENTIAというジュニアユースまでのクラブチームでは、「セパレート」という名目で攻撃の選手は攻撃のメニューを、DF陣は守備のメニューを、というように完全に二つに分かれてトレーニングを行う。
 ここでの最大のコンセプトは「やりきる」ことだと鈴木監督は言う。このチームは高円宮杯九州予選をトップで通過しているが、現在の選手たちが高校に進学した際に、他の地域とは違ったスペシャルな特徴を持った選手へと成長を遂げている。

オキナワの憂鬱と希望
そして沖縄県である。バスケットや、全国で圧倒的強さを誇るハンドボールはボールフィーリング、リズム、相手との間合いは他県にはない沖縄独自の個性になっている。
 今はまだ旅の途中でも、いつの日か「沖縄のサッカー」を代名詞に、無個性による頭打ちの集団になりつつある日本代表を打開する一つの「手段」になることを願っている。
 
 もちろん、その最大の担い手はFC琉球であることは言うまでもない。JFLレベルでも横河武蔵野FCは李忠成という北京五輪で日本の救世主になるであろう選手を輩出している。どんな状況に置かれても、ユース機関は必要不可欠だ。
 その中で、「琉球のサッカー」ではなく、沖縄全土を示すサッカーを展開する。他の分野では日本や世界に誇れるべき宝があるにも関わらず、サッカーは中央集権のモノマネだ。地方から日本を変えるという使命感は、どんなカテゴリーにいても保持すべき信念だと思う。

文化としてサッカーがその地に根付くことを目的とするのであれば「OKINAWANスタイル」が完全に確立したとき、私達は本当の意味でサッカーを県民と共有することになる。

長期的なプロジェクトであっても誇れるべきアイデンティティーがなければ、何を後世に伝えることができるのだろうか。  

posted by 奥間店長 |10:46 | OKINAWA |
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2007年01月27日

沖縄のサッカーとは何かパート2 -バックナンバーより-

今年の選手権では盛岡商業が90分間途切れない集中したハードワークを武器に優勝、準優勝の作陽はビルドアップの新しい価値観を我々に示してくれた。
 そのどれもがJのクラブユースが存在しない県から国立のイスを手に入れている。

賞賛に値するチーム
 いくらJの下部組織がないといっても、オファーがくれば少年の目は輝きを増す。多くの才能ある人材がJの下部組織へ流れる中、日本のトップカテゴリーチームが保持するノウハウが無い場所で高体連チームはこれまでの知識と新しいアイディアを混ぜ合わせながら国立を目指してきた。
 
 84回大会ではベスト4各学校に共通する事実が一つだけある。野洲(滋賀)、遠野(岩手)、多々良(山口)、鹿児島実業(鹿児島)。そのどれもがJのクラブユースが存在しない県から国立のイスを手に入れた。
 この4チームはまさにその象徴的なチームであり、あまり語られてはいないが人材の流出が加速する中で全国ベスト4を独占することは特筆すべき点である。

 逆にその現状に頭を抱えるのが東京代表のようにも見える。首都、東京の高校生は地理的には全国で一番近い場所だが、今は遥か遠くの場所に国立が見える。
 FC東京や東京Vの下部組織がプロへの近道であり、高校でサッカーをやることへの憧れは昔に比べ減少気味だ。東京代表が国立のイスを大会前から予約する時代に終止符が打たれたといっても過言ではない。
 
2つの方向性、2つの生き様
 この2つの異なった場所の育成アプローチは世界を見ても稀だ。ただ、実際のところ、Jの下部組織へ進んでも高校でサッカーを続けても突出したポテンシャル(この場合、才能はもちろん強烈なアイデンティティーも含んでいる)をもった高校生はあまり見かけることができない。
 確かに現在は技術的に優れているのはJの下部組織であり、多分この先もこの流れは変わることはないだろう。しかし、そこでも強烈な個性は生まれてこない事実がある。

 これはつまり、無個性の集団が全体の比率として多く、そこから生まれる弊害は最終的に日本A代表まで影響を及ぼすことになる。野洲があそこまで注目されたのは現代日本に突然変異として誕生したチームだったからだ。
 
W杯での惨敗を直視する
 北海道から沖縄まで、縦長の日本列島は生活環境も違えば性格も違う。本来、我々が求めるのは地域性から派生するサッカーへのアプローチである。
 トレセンという中央集権的な形のシステムがすべてにおいて正しいとされ、実際に成功を収めてきた。
 しかし、世界のサッカーはさらにその先をいっていたことは、今回のW杯で完全に証明された。成熟し、完成された選手たちと思ってはいたが本当は世界と対峙する際、無個性な集団に過ぎなかった。

 トレセンのやり方はもう、無理がある。私はそう断言できると思う。ポリバレントな選手は必要だ。だが、その中でも突出した個性、つまり何か一つでもスペシャルな能力を持つ選手はピッチの上には絶対に必要になってくる。JFAの技術委員が全てを判断し、トップダウンで下(地域)に課題や目標を浸透させる時代は終わった。それはあくまで必要最低限のことであり、これからは地域の文化を取り込んだ特徴ある育成をしなければ我が国に未来はない。

新しい育成の形
 JFAとの関係よりも、さらに重要なことは地域社会との関係を再構築する点にあるのだ。「横」や「縦」の関連はもちろん、その地域特有のサッカーを創造するためには全体を覆う「円」のようなスタンスが必要になってくる。そうやって初めて、世界との壁を打ち破ることの出来る爆発的な才能を持った選手が生まれてくる。
 そして、昔に比べ、中央の判断に依存するだけでは意味が無いという考えを持った指導者も増えてきたことも、次のステップへ進む際の重要なファクターだ。

 では、その個性を磨くスタイルや地域へのアプローチは実際にどのような形で全国各地では取り組まれているのだろうか。この話はまた次回にでも。  

posted by 奥間店長 |00:02 | OKINAWA |
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2007年01月26日

沖縄のサッカーとは何か1-バックナンバーより-

2010年のインターハイ夏季大会が沖縄で開催されることが去年の12月8日、正式に決定した。念願といえば、そうともいえるが、本当に4年後に帳尻を合わせることができるのだろうか、心配でもある。

 2001年に沖縄開催となる予定だったが、財政難という理由から辞退し、結局全国で最後に開催することになった。当時私は高校生だったので、もしあのタイミングで開催されるとなると私達年代の選手がまた一つレベルアップできた可能性もあっただけに、残念でならなかったことを覚えている。もう少しJリーガーの数が増えていた可能性は無きにしも非ず。

国体優勝のストロング・ポイント
タイムスの記事によると、ハンドボールの第三種ではサッカーをモデルにした「ナショナルトレーニングシステム(NTS)」を採用し、2種までの一貫した強化が成功しているという。その他の競技も次の学年へ上がる為、「横」の関係が必要不可欠になるとの意見が多数あった。

しかし、サッカーの場合、そういった「横」の関係で収まりきらない現実が近づいている。

 今年、沖縄県は国体少年の部で優勝を果たした。全てのカテゴリーにおいて全国大会で優勝することは初であり、非常に革命的な出来事といえる。
 
 そのU-16世代の方向性はリトリートを第一選択肢として、カウンターを狙うチームだった。このベクトルに関してとやかく言うつもりは毛頭ない。
 他県よりも早い段階からチームを立ち上げ、そして選手が自分の能力を最大限に表現できる環境を山城監督や加藤コーチ、他のスタッフが整えていった。

 実際、現場でゲームを観戦した人からは「千葉や埼玉のようにチャレンジする姿勢が見当たらない」というコメントを聞いたが、参加チームが32から24チームへと激減した中で、決勝までゲームをこなすことにもまた意味がある。
 
那覇西高校から得るヒント
その守備的なコンセプトを保持し優勝した県選抜に対し、沖縄県2種の王者、那覇西高校は守備ブロック形成の強い意識や全体のバランスを常に意識する。
 
 だが二年前に全国で本当に通用したのは、バランスを崩してでもチャンレンジし、カバーが上手く入ることで生まれる一対一での徹底した仕掛けや、気持ちの入ったシュート、フィジカルで劣ろうとも高い技術でポゼッション「し終わる」意思だった。
 当時と比べると今は明らかに技術は劣る。しかしやっていることは変わらないはずだ。私は沖縄の理想系はまさに那覇西にあると思っている。

翻って国体の山城先生も「沖縄らしいサッカーを追求している」とコメントしている。

 このコンセプトの差は何かジーコのA代表と、トルシエの流れをそのまま受け継いだ山本アテネ五輪代表の構図に似ている。二つの対照的な方向性は結局の所、最後まで融合することは無かった。 そして今の沖縄でも2010年の中心となるであろう二種のトップチームと、全国制覇を達成した国体チームとの戦い方の質に明らかな相違が見られている。

「沖縄のサッカー」とは
どちらがいいということではない。2010年を目前に控えた今、本当に必要なことは沖縄独自の誇りをもって県外、または世界へ向けて発信できるサッカーを展開していかねばならない。
 全体の共通理解は他競技と比べサッカーの場合、すでに整っている部分はあるのかもしれない。
しかし、現在突きつけられている問題は、サッカーのベクトルを今後どうするのかという根本的な問題である。今のままだと世代間の融合、組織として昇華するタイミングは見当たらない。

我那覇が生まれたのはいつの話だ。次世代の代表レベルの選手はどこにもいない。

 沖縄県民にしかできないサッカーは果たしてどこにあるのだろうか。これまで現場が目を背け続けてきた本質を今、解き明かしていかなければ沖縄の発展はない。

 というのは、先述したトレセン制度。今年のドイツW杯で惨敗を喫した我が国において、トレセンでは育成に限界あるという意見が多数を占めてきた。本当に必要なのは中央組織を中心としたトップダウン型のシステムではなく、各地方にイニシアチブがある育成システムなのではないか、と。

その話はまた次回にでも。

posted by 奥間店長 |10:31 | OKINAWA |
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