2008年07月29日

北京五輪を前にして

北京五輪が始まる。明日はついに最後の総仕上げとなるアルゼンチン戦が待っている。
 神戸でのオーストラリア戦は華やかな得点シーンとは裏腹に、守備陣の連携不足が背筋を凍らせた。青山(直)を外し、今シーズン安定したディフェンスを見せる吉田召集の賛否。
 日々取り上げられるFWの可能性より、勝ち点を計算する材料はむしろ守備陣にある。細貝の負傷も含め、結局、最後の最後まで懸念は広がりを見せる年代である。

五輪の操縦
その北京五輪だが今回もマスメディアの壮絶なタイム・コントロールは、もはや純粋とは言えない多くの競技を蹂躙する。

 アメリカのNBCは早々に莫大な放映権料を支払い、五輪競技の中でも圧倒的な人気を誇る体操と競泳をゴールデンタイムに行うよう要求した。
 もちろん、日本のJC(ジャパン・コンソーシアム)も黙ってはいない。IOC側に女子マラソンの放送日程を15日(金)から17日(日)に変更を伝え、サッカー男子決勝もグループリーグや決勝トーナメント準決勝までの夕方開催から一転、決勝は残暑が色濃く残る12時のキックオフになっている。
 気がつけば、ほとんどの反発は存在せず、キラーコンテンツと呼ばれる多くの競技が放送局側の都合のいいように変わっている。

 選手は、敗戦の言い訳を口が裂けてもメディアとは言わないが、要因となった欠片にそろそろ気が付く時期なのかもしれない。その瞬間から、彼らはもう一人の「相手」を意識するようになる。

2年前だが、状況は変わらず
ドイツW杯でも高騰する放映権料に見返りを求めるために、メディア側は日本代表の戦いに横槍を突き付けた。
 日本の時差の関係上、グループリーグで指定された真昼の2連戦は確実に選手の身体に影響を及ぼし、最終的には昼間に二試合を戦った日本を含む3チームはどこもグループリーグを突破していない。
 当時、現地で感じる強烈な暑さが、三戦目のブラジル戦を迎えると、どことなく落ち着いて観戦できたことを覚えている。

 あの日から数日後。人を伝って聞いたのは日本代表が用意したIDカードは何も23枚ではなく、50枚あったということ。残りの27枚は当然スタッフに分けられるが、その中には練習場の広告ボードをチェックする広告代理店のスタッフも多数存在していた。
 逆に、開催国のプレッシャーを乗り越え準決勝までたどり着いたドイツは、50枚のカードでも選手のメンタルをケアするキリスト教のカトリックとプロテスタントの聖職者までIDを配っている。もちろん、そのほかにも全体を統括するカウンセラーもいる。

 この差は、やはり大きいと言わざるを得ない。

もう一つの視点
IOCは当たり前のように政治的な圧力を否定しているが、今回に始まったことではないだけに、不都合な現実は北京でも繰り返されようとしている。

 だが、こうも考えられる。

 1948年、イギリスのBBCがIOCに払った五輪の放映権料は21万円。幾多の時を重ねて、バケツにまで広告を付けた84年のロサンゼルス五輪で新しいスポーツビジネスは産声を上げ、北京では2600億円にも達するという。

 メディアの大幅な拡張は弊害だけではなく、新しい価値観を私たちに与えてくれている。
 そもそも、このような議論さえも、リアリティの末端を感じるのはテレビという媒体が主になる。
 
 衛星技術の発達によって全世界の人々が五輪を共有できるようになったメキシコ大会。
 走り高跳びのアメリカ代表、ディック・フォズベリーの背面跳びは、当時、ベーリーロールというスキルのみに侵食されていた陸上界、いや、全世界に衛星放送を通じて人間の想像力を超越して見せた。
 この大会ではその後、あの有名な男子200メートルでのブラック・アフリカンの二選手(トミー・スミスとジョンカルロス)の抗議が生々しく伝えられている。特にトミー・スミスはインタビューの中で、新しく誕生したメディアの存在を確実に意識し、高らかに語っていた。

 相反するアンビバレントな空気が漂う五輪という舞台。
かつてニーチェは
「主人公は陽気である。これこそ悲劇の作者たちが見逃してきたことである」
と語った。
 
 最終的に選手が満足できればそれでいい。
 
 多少、両方の心情を理解できる私にとって、五輪の期間は矛盾する生活の真ん中にいることになる。

posted by okuma店長 |00:31 | SOCCER |
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2008年06月20日

フットボールの中にある、動かしがたい矛盾

shingo02の新しいアルバム「歪曲」を聞きながら、色々あってしっかり見れなかったEUROをチェック。このアルバム、友人がギターで参加しているが、shing02は異なる次元に足を踏み入れたようだ。クラシックになる要素が満載。

 残念なのはやはりフランス対イタリア。個人的には「サッカーを見る」ということに特化した場合、局面でのファウルに対しては寛大な方だと思う。内的要因に左右されるメンタル・コントロールの延長線上にファウルはある。

あの場面を今想う
このゲームもそうだった。しかし思うのである。前半24分のエリック・アビダルがトニを倒したシーン。確実なファウルだった。だが、このゲームの重要性、影響力、波及効果を考えてみる。

 一発でレッドカードに値する後方からのアプローチだが、イタリア共和国を除き、果たして全人類が望んだジャッジなのだろうか。行為そのものはファウルでいい。PKに対しての判断は頭を垂れて従う。
 それでも、追い詰められた二強の舞台をそう簡単に解体させていいものだろうか。せめて警告を促して、ヒリヒリするような緊張感をもう少し世界に届けて欲しかったというのが、やっぱり私の意見である。

ナスリとアビダル
引導を渡す感触はあった。「事件」の10分前、リベリーが負傷のためピッチを去った。出てきたのはサミル・ナスリ。輝かしい未来を約束された若者だと断言できる。
 しかし、限られた人間に与えられる才能も、ある瞬間のブレイクスルーを経験しなければ次の段階へ進めない。投入直後のフランスは混乱の極みだった。
 「たまたま」巡ってきた経験の機会だったが、イタリアを相手にナスリがどのような変化を魅せるのだろう。結果以外のところで、焦点は出来上がるはずだった。

 EURO2000では守備をベースに圧倒的な成熟を魅せたフランスはその断片すらない。あの栄光に眩しかった夜を忘れられない匂いは今もDFラインに残る。そのすべてを払拭させる「何か」がフランスには欲しかった。今シーズン、バルセロナで深い印象を与えられなかったアビダルがサイドバックではなく、センターバックでどこまでできるか。フランスの新しい血を感じるはずだった。

当り前の選択
それもこれも、一つのファウルで消えてしまった。あのファウルを取らなければ逆にジャッジの基準や「線」が曖昧になりゲーム自体が破壊される恐れがある、とも言える。
 だが、サッカーに多少の想いを馳せるなら、残りの66分を「プレー・オン」の延長にしてほしかった。最高のプレーがジャッジの軸を元に戻してくれると信じたかった。この対決が必然に周期してきた機会とは思えないだけに、本当にそう思えてきた。

 ミスジャッジではない。当り前の退場劇だった。しかし、完璧な判断ではなかったと思う。

posted by okuma店長 |23:59 | SOCCER |
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2008年06月10日

高校サッカーの向こう側に

この時期、多くの都道府県がそうであるように、6月7日には沖縄でも埼玉総体の県代表が決まった。群雄割拠の戦乱を制したのは知念高校。昨年も決勝の舞台に進んでいたが、総体は初の優勝である。
 
積み重なる時間
今年度の我が母校は新人戦でベスト4に入り、NIKKEI杯招待サッカーでは遠野や滝川第二といった名門と対戦。総体はシードされ、今年はイケるのではないかと思った矢先、宜野湾高校に0-1で敗戦。結局、宜野湾は決勝まで勝ち名乗りを上げたが、仕事中に結果を聞いて多少のショックは確実にあったと思われる。

 当時私が見ていた一年生は今大会の中心選手。というか、あのチームはほとんどが三年生だったので、一年生はベンチにさえいなかった。
 時は必然に流れ、新人戦ではU-18JFA選抜に選出された上里率いる宮古高校に敗れるまで、負けていない。驚くべき進化。

 ゴールデンエイジは目に見えて成長する段階だが、この年代もまた、ある意味精神的な変化に富んだ時期といえる。

 そして人間的な厚みが増すと、なぜかサッカーは上手くなる。異なる切り口をサッカーに対して持つことで「面白み」は違う次元に高跳びするのである。

 高体連やクラブユースなど関係なく、全てのカテゴリーにある輪廻の中で、また一つの時代が終わり、もしくは未来に目を閉じてまでも選手権出場を選択する今。
 背を向けたくとも向けらない現実は、日を増すごとに大きくなり、自身の座標軸もこれまでとは違った形でサッカーを受け入れていく。

次の世代へ
東京に選手権のイスは二脚もいらない。ここ数年はずっとそう思ってきた。高校サッカーの歴史に燦然と輝く帝京高校の足跡よりも、それ以外のチームが激戦区、東京を戦い抜いてきた価値を全国で証明できない時代が続いていた。
 ベスト8に駒を進めたのは1990年度の暁星高校が最後。国立も1988年度の暁星まで歴史を振り返る必要がある。西が丘を目指した東京代表は、どこかバーンアウト気味に選手権を去って行った。

 だがこの悩みが杞憂に変わるのは、昨年の大会まで待つ必要があった。都立の星、三鷹高校の登場である。都立勢としては史上初のベスト8だった。
 
不確実な時間を越えて
三鷹高校は準決勝で藤枝東に敗れるまで、グラウンドの面積や部員数、そして進学校という環境がありながら、ハンデとして位置づけられる数々の要素を軽々と飛び越えているように見えた。
 しかし、山下監督に聞くと、ベスト8までの道のりは極めて綿密に整理されたプロセスが存在した。普段のトレーニングはもちろん、体重移動際、踏み込む指先までも徹底的に鍛える。勝つ理由は、どこの場所に行っても必ず見つけ出せる。
 
 そういった華々しい時間も、レギュラーのほとんどは浪人を余儀なくされた。リアルな高校生像が浮き上がる。
 だが、彼らの歩いた道のりは、山下正人という強烈な個性の下、気がつけば次のステップへ移行するだけの確実な助走を取っていた。

「最近、(選手権出場チームのロッカーにカメラが入った)ああいうDVDがあるけど、私は最後の試合が終わっても感動する言葉なんて掛けたくない。それなら日頃の練習で言ってるよ。まあ、これから先もサッカー続けろよ、とは伝えますけどね」

 成長の起伏と、幅が大きい中でサッカーが隣にあるということは、時間の流れを迅速に、そしてときに緩やかに促す効果がある。彼らの時代の変遷は、あまりに濃厚に進んでいく。

 そう思ったのは、高校時代のチームメイトに子供が生まれたから。どう考えても信じられない。時代は変わり、俺たちも変わる。
 

posted by okumastore |01:15 | SOCCER |
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2008年02月13日

30分に収まらない福田健二と心からの嫉妬

 数日前の情熱大陸。福田健二。この種のドキュメンタリーは毎回確かに楽しませてくれるが、今回ばかりは見る姿勢が違った。寝ながら見ることは最後まで出来なかった。それは、被写体があまりにも美しいから。抑えきれない人生の枯渇感が、直球で伝わってくるから。あふれ出る情熱とは対照的に、渇き切る時間も存在する。そこに魅力はある。
 
 去年発売されたRUNは、年間200冊前後ほど読む本の中でも間違いなく上位に位置づけられる印象深さだった。Numberの「遺書」に始まり、RUN、そして情熱大陸。映像で表現する物体の魅力。これまた違った受け止め方があった。
 
 サッカーにだけに収まらない人生の汎用性が描かれ、夢と暮らすわけでもない日々を福田からは感じることができる。
 あのPKのシーン。尋常ではない彼の雰囲気に、実は他にも理由があるというが、いつか耳に入ってくる機会はあるのだろうか。純粋に一読者として、背景を読み取りたい。特に、これからも物語の軸になるであろう家庭環境のこと以上に、スペインでサッカーをやり「続ける」行為に興味がある。
 
 そういえば先日取材したあるJリーガーにRUNをプレゼントした数日後、わざわざ自主トレ先の沖縄から電話をもらい、やはり自己と重ね、がんばりますと力強く言葉を結んだ。私も、サッカー選手っていいなと、気がついたら言っていた。確実にこれまで以上の本気度と、嫉妬が混ざっていた。
 

posted by 奥間店長 |01:17 | SOCCER |
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2007年12月15日

高校サッカーを考える季節に君を想うということ

高校サッカーの季節は既に数ヶ月も前から始まっている。インターハイでスパイクを壁にかける生徒も多い。何も選手権だけが高校生の輝く場所でもない。 しかし、最終的な終着地点は選手権と捉えるだけの付加価値はやっぱりある。
 
選手権の流れが変わった日
今年はU-18日本代表候補の兼ね合いもあり、全国的にスーパーシードの高校が増える奇妙な構図が浮き上がってきた。
 特に群馬県予選では前橋育英の選手が結局、代表候補に召集されずにベスト4から登場となった。7月以来の公式戦となったが、試合感は鈍り、シビアな展開の流れに乗れない恐れもある中で、タイガー軍団は二年連続の選手権出場を決めた。

 そして日本中が注目した千葉県予選。同じ県に日本一は二校いらない。この二校の対戦は今季四度目。その全ての大会に千葉県代表のイスは二つあった。だが今回ばかりはそうもいかない。
 関係者には12年前、市立船橋には北島が、習志野には福田、廣山がいたあの一戦が去来するのだろう。しかし今年はそれ以上の材料が揃い、市立船橋と流通経済大柏が残してきた実績も、過去に前例の無いものだった。

ひとつの決断とひとつの制御
前半3分、少し浮いたと思われたクロスに市立船橋のFW富田が飛び込む。これはGKのファインセーブにあったが、両ワイドからリスクを冒してでも攻めるイチフナの強い気概を早い段階で感じることになる。
 流通経済大柏も高円宮杯で大車輪の活躍を魅せた大前や上条が玉離れを早くし、市船ゴールへ向かうがなかなか決定的な場面は作れない。これまで何度も相手に「サッカーをさせなかった」強烈なプレッシングも、市船のダイナミックな展開にボールを奪う場所やタイミングをつかめない時間が続いた。

 しかし、その市船の流れはある瞬間を境に突然止んでしまう。後半に入ると流経の特徴の一つでもある攻撃の選手二人を同時に代え、相手のマーキングのズレを突いてくる。
 この多様性のある変化に市船は動揺し、ボールが収まるはずの場所でなかなかキープできず、効果的な攻撃に移れない。
 
 これは高円宮杯の決勝に進んだ広島ユースにも言えることだが、相手がこれまでとは違った展開を仕掛けてきたとき、対応に時間がかかりすぎているチームが最近は目立つ。突き詰めれば状況判断の質と言うことになるが、目の前のドラスティックな変化についていけないのは、現在の高校生の特徴の一つでもある。仕掛ける側もそうだが、受ける側も状況に応じたサッカーを魅せなければ上のカテゴリーで柔軟な発想をキープすることは難しい。

 選手交代の選択肢もあったが、市船の石渡監督はゲーム後に「延長が頭にあった」と語ったようにタイミングを逃してしまう部分もあった。
 選手交代によってお互いのコントラストはさらに浮き彫りになり、後半ロスタイム、交代で入った流経の久場が一気に左サイドを抉り、3人を抜いた後シュートを迷い無く放つ。一旦はGKに弾かれるが、こぼれ球は上条の前に落ち、左足を振りぬくと劇的な幕切れが待っていた。

高校サッカーは君のために
「これから先、大学やプロでサッカーを続ける以外に、こんなにも多くの仲間と、こんなにも多くの時間をかけて一つのゲームに臨む事は、多分一生ない。だからこそ、これから起こる一つひとつを大切にしよう」
 
 昔、高校生を指導し、選手権予選に挑む際にこう伝えたことがある。殆どの生徒は今、サッカーを継続的にプレーしていない。
 する側から見る側へ回ったとき、溢れ出る昔の想いはどこへ行くのか。気が付けば、そういった感情を抱かない自分に出会うことだろう。それもまた、大人になるということだ。サッカーだけが人生ではない。
  
 今年も、センシュケンの季節が始まる。その時間は自分だけのものだ。

posted by 奥間店長 |00:41 | SOCCER |
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2007年10月08日

真の日本一はここにいる

 高円宮杯全日本ユースサッカー。この大会を見始めたのは国見高校の一年生だった平山が終盤、FC東京ユースを相手に豪快なボレーで全てを決めてしまった一戦からだった。
 
Jユースと高校生
その年の春先に国見と練習試合を行い、肌で感じた差に言いようのないショックを受けたものだ。
 ある日、最強の名を欲しいままにした国見を相手に、Jユースのチームが戦うという。埋めがたいその差をJのユースはどう付け加えるのか。馬場や尾亦がいるなんて知らない。焦点は、ユースの戦い方。そこだけだった。 

 FC東京ユースは全員が共通理解を保ち、後半一気に勝負に出ると幾度と無く国見ゴールを脅かした。結果的に後半30分の平山の得点が決勝点となったが、今より情報が少ない時代に、これがJのユースが魅せるサッカーなのかと質の違いを素直に感じていた。
 私が大学に進学すると、そのFC東京ユースのキャプテンは同学年になった。サッカーは、思ったよりずっと繋がる「線」を持っている。そう思う機会を作ってくれたのは、今考えると高円宮杯だった。

 そして今日。第18回大会の決勝が行われた。多少の雨は関係なく、今年も素晴らしいサッカーを見れる。昔のようなユースや高体連の括りは不必要になり、全国の情報量も中央に止まることは皆無だ。ここ数年は本当にハズレが無く、見るゲーム全てに多くの学習機会や将来への暗示が内包されている。
 だが、今大会は例年以上にバラエティーに富んだチームが多く、個人的な一つの視点では収まりきらない才能がちりばめられて存在した。

広島のダイナミズムと、流済大柏のオートマティズム
決勝は広島ユース対流通経済大柏高校。広島ユースは高校生レベルでは捕まえられない流動的なポジションチェンジを武器に次々と果敢な仕掛けを行っていた。その圧倒的な攻撃力を前に、優勝候補筆頭のG大阪ユースでさえ自分たちの形を作ることが出来ずに大会を去ることになる。
 決勝は見なくても、結果は決まりきっている。あのゲームを見れば誰もがそう感じるだろう。

 今思うと浅はかな結論だったと思う。あの日、G大阪が持っていない武器を、流済大柏は確かに保持していた。

 流済大柏のシステムはボックスの4-4-2。その特徴は今日のゲームでも見れた、ボールに対しての寄せが異常に早いということ。多いときに4人もアプローチに行く姿勢は、広島ユースの考えるスピードを奪う。攻撃の形を作らせないというより、そのイメージの原型さえ浮かばせない強烈なプレッシング。
 ボールを奪うと、スキルフルな中盤から前線の大前(大学時代の深井のようなスタイルだった)へ渡り「個人プレーが全体へ派生するゴールへの向かい方」のいい例だったように思う。後半7分に大前からのクロスを決勝で先発のイスを手にした小島が流し込み、そのまま決勝点となった。

優勝の向こうに
優勝した流通経済大柏は初の全国制覇。名将、本田監督はまた胸の星を一つ増やした。
 そして選手権の千葉県予選では今年の総体を制した市立船橋が待っている。どちらも確固たるスタイルを持ったチームであり、今年は八千代高校も良いと聞く。
「千葉を制するものは全国を制す」と言われた時代から数年。
 久しぶりに選手権の県予選を見にいかなくては、と表彰式を見ながらスケジュールをチェックした。

posted by 奥間店長 |21:47 | SOCCER |
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2007年06月13日

The Beautiful Game

 最近読んでいる本の中に「ビューティフル・ゲーム」がある。著者はイギリスのスポーツ科学者ケン・ブレイなのだが、なんと解説者に浅井武氏が参戦している。
 浅井氏の名著「ベッカムのボールはなぜ曲がるのか」に代表されるように、スポーツバイオメカニクスが専門外の我々を気付いたら虜にさせる魔力を持った先生だ。現場の人間には筑波大学蹴球部総監督といったら思い出す方も多いだろう。
 
 この「ビューティフル・ゲーム」から得られる感覚は、やはりサッカーは人間がやるスポーツだということを、どうしても考えさせられる。
 私は陸上競技や体操、競泳といった個人競技はボールゲームとは対極に位置していると思ってきたが、人間が身体を懸けて表現することに差異はないのではないかと感じるようになってきた。
 少し前に体操の塚原光男氏が「体操競技は不可能に挑戦しているのではなく、人間が出来ることの発見を繰り返すことに意味がある。身体をどのように動かせばどんなことができるのか。それを発見するのが体操です」と話していた。このコメントを聞いたときかなりの衝撃を受けたが、サッカーを科学し、突き詰めていくと人間の身体運動というより、人間がどう生活していくのかを理解できる部分が多い。

 やはりスポーツは人間が創造していくもの。その焦点がブレなければ、メディアリテラシーを保持しなくともスポーツは十分楽しめる。怠慢な戦術論が机上の空論と感じてきたら、ぜひ「ビューティフル・ゲーム」を手に取ることをおススメしたい。サッカーは私達が思っている以上に深層の中に未だ存在し続けている。

 さて、最近はJリーグやJ2、五輪代表からA代表までかなりの時間を現場で過ごすことが出来ている。やはりこういう時間は貴重ですね。明後日はプロ野球の現場で神戸だが、土曜には仙台に入り久しぶりのJFL。FC琉球がどこまでよくなっているのか楽しみですね。

posted by okumastore |00:17 | SOCCER |
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2007年04月23日

Nakamura's lob left keeper standing!!!

 信じられないフリーキック!あの角度は触ることも不可能!!

posted by okumastore |00:19 | SOCCER |
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2007年03月18日

サッカークリニック4月号

 サッカークリニック4月号で私の尊敬する友人が「サッカーを通して子どもをはぐくむ」というテーマでレポートしています。彼は、元体操選手ですが要点にまとまりがあり、読みやすいと思います。講演のレポートはなかなか話を広げることが難しいですが。
 クリニックのような一部の人々向けの雑誌だと、内容も他の媒体とは異なった追求を余儀なくされる。私が体操の記事を急に書けと言われたら焦るだろうし、ましてやクリニックの目線は完全に専門者を向いている。
 その中で他のスポーツを噛み砕き、そして伝えるというのはある程度パワーがいるね。
 みなさん、お時間があればぜひ!
 
 蛇足だが、この4月号に掲載されているヴァンフォーレ甲府のトレーニング内容と、昨シーズンの戦術の構成過程は今の五輪代表に通ずるものがある。
 特にバレーと茂原の関係。平山がなぜ上手く生きないのか。そしてなぜ前の3枚はチーム全体にダイナミズムを与えられないのか。結構ヒントが隠されています。

posted by オクマ店長 |02:04 | SOCCER |
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2007年02月13日

日本サッカーと大化の改新

 最近、スポーツの歴史の紐を解く作業が多いのだが、この国のスポーツへの温故知新はあまりにも少ないような気がする。古きをたずねて新しきを知るという小難しいスタンスは抜きにしても、歴史の事実と現実に相違が見られたり、驚愕の事実を個人的な範囲で見つけてもそれはそれで楽しい。

歴史の重要性を説く
サッカーを批評する場合にも、そういった歴史を紐解く作業能力というのが十分問われてくる。サッカーの本質、ゲームの本質を相手に伝える為には、単純に文章能力や分析能力だけあればいいというものでもないし、また、選手の名前を知っているだけでは明瞭な文章は書けない。というかなかなか相手に伝わらない。

 もちろん上記の能力は必要不可欠だが、日本のスポーツジャーナリズムには歴史から学ぶことの重みを理解していない部分が多々見られる。特にそれは私を含め、若い世代に方向が向けば向くほどなのかもしれない。

 私も現場の人間なので、個人的に戦術マニアを自負しているが、それでサッカーの全てが語れるとは到底思えない。情報が散乱する現代社会において、サッカー論議といえばシステムへの討論が中心である。4バックか、3バックか、1トップか等など。確かにゲームの中で重要なファクターではあるだろう。

事実が述べられない批評家
しかし、現在の日本のサッカー界にはあまりにも情報の質が悪い、というか中途半端な戦術論が蔓延りすぎている。
 ならば、戦術を司っているルールにおいて、「ルールブックの一番最初に出てくるルールは何か」という質問に答えられるトップジャーナリストはどれだけいるのだろうか。
 そしてそのルールの根源、つまり歴史認識はどれだけされているのだろうか。ルールには全て歴史の意味がある。そのルールの中で行える最大公約数を追求すると、戦術という場所に行き当たる。歴史的認識が欠如した中での議論は少々狭すぎやしないか。
 
 全てを理解し、そして明確なポイントを絞って相手に伝えることがプロフェッショナルの流儀である。その点で日本のスポーツジャーナリズム界はあまりにも歴史を無視しすぎているとも言える。

サッカーを論じること
サッカーの魅力は多面的な角度から物事を議論できることに尽きる。戦術然り、選手の個々のポテンシャル然り。
 日本ではサッカーに対する議論の方向性がある程度定まった感があるが、そこに歴史認識というカテゴリーが確立されれば、さらにサッカーへの造詣は深まり、楽しく会話に華をさかせることができる。
 選手の過去や武勇伝を聞いたりするとシビれるでしょう。それをサッカーという競技の歴史に特化すれば、新しいサッカーの見方が確実に生まれてくるのではないだろうか。

最後に、美しい話を一つだけ。

「日本最古のサッカーの記録」は何か。その答えは日本書紀にあるのだが、「打毬(ちょうきゅう)」(蹴鞠、もしくはホッケーのようなもの)をやっていた中大兄皇子(後の天智天皇)の靴が脱げ、中臣鎌足(後の藤原鎌足)がそれを拾って差し上げたのがきっかけで知り合ったと記載されている。

 または、中臣鎌足が靴を拾うふりをして、中大兄皇子に近づきクーデターを決行しようという話をしたという説も確かに存在する。
 そのクーデターの内容こそ、645年に蘇我氏を暗殺した「大化の改新」である。
 これがもし本当に「日本最古のサッカーを行った記録」の後の事実だとしたら、これほどロマンチックなことはない。都市伝説としてもインパクトはある。みんな知っていたら意味ないけどね。
 

posted by 奥間店長 |15:57 | SOCCER |
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