2009年05月23日
ある日本人選手の生き様。
2点を追いかけていたペンシルバニア大学は、タイムアウトの後、急いでシューターのケビン・エジーにボールを渡した。彼は、決して綺麗とは言えない、少し苦し紛れなシュートフォームから3ポイント・シュートを放った。手からボールが離れた次の瞬間、試合終了のブザーが鳴り、そのボールはネットを揺らした。 ブザービーター。ペン大の選手は喜びを爆発させ、コートの中を飛び回った。あと1.4秒を凌げなかったコロンビア大学から勝ち星がするりとこぼれ落ち、アイビーリーグの2008-09シーズンは終わった。ベンチで座っていたKJは、目の前で今起こったことを何とか把握しようと一生懸命、そんな表情をしていた。 僕がKJ、松井啓十郎と初めて会ったのは、コロンビア大学での彼の練習初日だった。緊張からか、表情は少し硬かったけど、目は生き生きと輝き、真剣にコーチやトレーナーの話を聞いていた。彼からは気後れとか気負いとか、そんなことは全く感じられず、まるでもう何シーズンもコロンビア大でプレーしていたかのように、すっとチームに溶け込んでいたのを覚えている。 日本人初―KJが切り開いてきた道には、いつもその言葉がついて回ったけれども、彼にとってはそんなことどうでもいいことだった。そのプレッシャーはもちろんあったけど、それをいつも自然体で自分のモチベーションに変えることができた。自分の好きなものは何で、それで人より上に立つためには何が必要なのか。14歳の時にアメリカに来て挑戦を続けるKJは、はっきりとそれがわかっている。彼は僕よりも7つ年下だけど、その口から発せられる言葉は大人のそれで、話しているといつも僕が年下みたいだった。それは出会ったときから今も変わらない。 いつも自分らしく、しっかりとしていて、そしていつも柔らかい、素直な笑顔を見せるKJが、一度だけイライラしていた時期があった。2年生のときだ。コーチが取ってきた1年生の選手を頻繁に使い始めたからで、好調だったKJはその理由がわからなかった。 1年生の初めからコンスタントに試合に出場し、一試合平均6.5点を決めたKJは、コロンビアの重要な得点源だったにもかかわらず、彼は多くの時間をベンチで過ごさなければいけなかった。前シーズンより一試合平均6分以上も出場時間を削られ、平均得点が1.4点下がった2年目のシーズンが終わった後、彼は足にメスを入れた。 でも自分をもう一度見つめるために、よりいい選手になるために、その辛い時間はKJに必要だった。彼はちょっと弱音を吐いたけど、決して言い訳をしなかった。負けること、そして負けたままでいることがKJは何よりも嫌いだった。守備力が足りないから出場できない、とコーチから説明を受けて、徹底して守備の練習をした。体のバランスを崩さないように慎重に筋トレをして、当たり負けしない体を作っていった。 それは孤独なチャレンジで、まだまだ弱い自分自身との戦いだったと思う。何度もへこたれ、悩み、下を向いたけど、その度にKJはまた顔を上げ、黙々とリハビリと練習を重ねた。その真摯な姿勢は頑固なコーチの考えを改めさせ、信頼を再び勝ち得た。そして3年目のシーズン、彼は名門ビラノヴァ相手に19点を上げるなど大活躍を見せた。そして4年目、最後のシーズン。KJは559分に出場し、215点をたたき出し、過去最高のシーズンを送ることになる。そして最終戦のあの瞬間。コロンビア大でのKJの挑戦は、終わった。 KJがこの地に残したもの、それは数字では色々語れる。大学4年間で、計105試合1912分出場。696点(うち3P419点)獲得。高校バスケの名門、モントロス高でスタメンを張った時は、一試合平均15点、3P 成功率51%の記録を残した。でもその数字の裏には、数字以上に大切なもの―悩み苦しんだ一秒一秒、自分の力と存在を証明するために流した汗、そして自分から逃げずに戦い続けた強い気持ち―があり、それらは日本のバスケ界に絶対還元されなくてはいけないものだ。 切り開いた道を振り向くことなく、ただその経験を自分の糧にして、KJはこれからも自分の信じた新しい道を、自分の力で切り開きながら歩み続ける。
posted by nysports |03:10 |
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