2009年05月13日
バルサが教えてくれたもの
クライフェルトは天を仰ぎ、リバウドは首を左右に振り、ゼンデンはつまらなそうな顔でベンチに座り、デ・ブールは険しい顔をしながらピッチの上で何かを叫び続け、レイナは腰に手を当て、うつむいていた。その様子を監督のセラ・フェレールは腕組をしながらじっと見つめていた。 FCバルセロナを想う時、僕はかならず2000-01シーズンのこんなバルサを鮮明に思い出す。どうしようもなく気まぐれで、破壊力はあるけれども致命的なミスがそれよりも多い、そんな人間くさいバルサを。選手はいつもピッチでこんな風だった。サポーターはいつも不満げに口笛を吹き、そしユニフォームの色、ブラウ・グラーナは、なんだかくすんで見えた。クライフェルトは非常識を常識にし、リバウドは一振りで負け試合を引き分けに、そして引き分けの試合を勝ちにしたけれど、選手は何だかピッチの上でどうチームとしてプレーしていいのかわからないように見えた。 そして、そんなバルサに僕は恋に落ちた。 歯車がガッチリと噛み合ったときは、この地球上で最も刺激的で、魅力的なサッカーをしていたチームの1つだったと、今でも思う。ただ、うまくいかないときは何をやっても全くうまくいかず、そしてその内容の悪い時間帯と内容の悪い試合数は、このシーズン、とても多かった。 かろうじて、そんな状況の中でも、ルイス・エンリケとセルジがカタルーニャの魂を、そしてペップ・グアルディオラはバルセロナの伝統と優雅さを、それぞれプレーで見せてくれた。パスの優雅さで言ったら、コクーのやわらかいパスも素敵だったが、インテリジェンスと風格は、グアルディオラのそれにはかなわなかったように思う。 グアルディオラはいつも背筋をピンと伸ばして走っていた。右に左に、計算しつくされていて、でもとてもやわらかい軌道を描く彼のパスを見ていたら、なんだか知らないけれども、どこか優しい気持ちになれた。彼が出場停止や怪我でメンバー表から名前が漏れたときは、バルサはガタガタになった。そんなバルサが何とか4位でシーズンを終わることができたのは、グアルディオラの功績がとても大きかった。そしてそのカタルーニャ生まれの選手は、今度は監督としてバルサを発展させていく。 そんなシーズン後半、希望も見え始めていた。才能ある若手の台頭があった。シャビがそのグアルディオラから徐々にポジションを奪い始め、そしてプジョルがカールがかった長い髪を振り乱しながら、守備に攻撃に走り続け、ついにはスタメンの一角を占めた。 その希望は、アイマールを軸としたバレンシアの煌き、策士ハビエル・イルレタ率いるデポルティーボの戦略と才能あるブラジル人が魅せる業、そしてフィーゴを獲得してからベッカム、ジダン、ファン・ニステルローイ獲得へと続く、レアル・マドリーのまばゆい輝きには全くかなわなかったけれど、でも確かなものだった。 イエロ、カシージャス、ミッチェル・サルガド、ロベルト・カルロス、マケレレ、モリエンテス、ラウル。 レアルにはバルサでプレーしてくれたらいいなぁ、と尊敬する選手はたくさんいた。彼らが着るレアルの白いユニフォームが、日に日に輝きを増していくことがとてもうらやましかった。でも同時にテレビからも伝わる、カンプ・ノウに流れる重厚な空気と、ソシオとサポーターが日々と祈りをささげ続けてきたバルサのエンブレムが、僕にはあった。 バルサはその後、フランス・パリ経由でバルセロナにやってきた一人のブラジル人と、ACミランの80年代の黄金時代を支えたオランダ人監督のお陰で、徐々輝きを取り戻し、21世紀初頭の黄金期の土台とバルサ・ブランドの再構築に成功した。それらの上にカンテラ上がりの若者が、バルサの栄光への道を、堅固なものにしていった。マラドーナの再来といわれるリオネル・メッシが、アンドレス・イニエスタが、ジェラール・ピケが続々とスタメンに名を連ねた。そしてティエリー・アンリとサムエル・エトーが、あふれ出る攻撃のエッセンスとスピード、そして前線からの献身的な守備をピッチに持ち込んだ。パスが回り、絶え間なく人が動く。美しく人とボールが交差し、ゴールネットが揺れる。笑顔と歓声で、カンプ・ノウが揺れる。それらは2000-01シーズンを知るものにとっては、ちょっとまぶしすぎて、未だに戸惑うことが多いけれど、でもなんだかいつも誇らしく見える。 バルサは僕にサッカーのすべてを教えてくれた気がする。負けてジリジリする痛みも、ピッチの上で描かれるボールのその芸術的な曲線も。この単純なゲームの持つ、恐ろしいほどの奥深さとそしてその美しさも。 でもそれだけだったら、レアルを、マンチェスター・ユナイテッドを、バイエルンを愛していても感じれることができる。なぜバルサなのか。バルサの何に、僕はそんなに心を奪われたのだろうか。 ほかのチームに、少なくとも僕が見つけることができず、バルサの中に見つけることができたもの。 それは時の権力者に虐げられ、踏みつけられ、それでも立ち上がった、カタルーニャの人々の折れない気持ちであり、常に上を見て、信念を持ちながら日々を歩き続けた強さであり、痛みを知るもの持つ、おごりの無い、しなやかな力なのだと強く思う。またそれはバルサとカタルーニャの人々が歩んできた歴史であり、その過程で積み重ねられ生成された、誇りなのだと思う。 その誇りの大切さを、サッカーを通じて教えてくれたバルサに、感謝してもしきることはない。
posted by nysports |11:29 |
Thoughts |
コメント(5) |
トラックバック(0)


