2009年12月15日
柏レイソル社長、河西晋二郎様はじめフロントの皆様方、
ネルシーニョ監督および選手の皆様
敬具
まずは皆様、本当にお疲れ様でした。心身ともにギリギリのところで戦っていたことでしょうから、たとえ選手の誰かが、スタッフの誰かが違う色のユニフォームを着ることになっても、今はしっかりと体を休めて、来季のために備えて頂ければ、と思います。
1シーズン戦い終えた皆様にぶしつけながらこのようなものを送りつけますこと、まずはお詫び申し上げます。三十路過ぎの1サポーターのただのぼやきと応援として、お聞き下さったら幸甚です。
今年はチーム戦術を前年から変えようとした上に、開幕前にはけが人が続出しましたね。しかも今シーズンは下位3チームが入れ替え戦なしの自動降格が決まるとあっては、スタートダッシュで躓いたチームにとって、非常に難しいシーズンだったことは察することができます。
ただ、J2に再び降格してしまったという事実は、事実です。これを直視しない限りは何も変わらないし、これからも同じ過ち(御チームの戦力から言って、過ち、とあえて書かせて頂きました)を何度も繰り返します。
2007年、2008年。石崎前監督の下、レイソルのサッカーを暴力的にくくるのなら、高い位置から素早いプレッシングを仕掛け、相手ゴールへの最短コースへのパスを紡ぐ堅守速攻サッカーでしたね。正直他の強豪チームよりも戦力が見劣る一方、ピッチで見せるサッカーは徐々に無駄をそぎ落としましたね。またボールの軌道とオフ・ボールの動きは、前への推進力を常に意識する「柏のサッカー」のベースが出来ていました。心強かった。
そんな中での、2008年オフシーズンでした。
理解に苦しみました。なぜ、ここに来てのポゼッション・サッカー、アクション・サッカーなのか。加えてフランサ中心のチーム作りを、石崎監督を事実上解任してまで推し進めるのか。
イエローハウスなどに参加できない身であるために、フロントの方々のご意見を直に聞けず、報道にたよることしかできませんでしたが、それを差し引いても、疑問符ばかりが頭に残りました。納得できる説明は、残念ながら得られませんでした。
フランサは当時既に32歳。経歴を見ると怪我も多い。そんな彼を中心にしてのポゼッション・サッカーは、たとえ彼の才能溢れるプレーを考慮に入れても、心中するにはリスクが大きく、中・長期的に見るとレイソルの利益に反する動きなのではないかと、一人ウェブでの報道を見ながら案じておりました。
そして監督の選出。どうしてもポゼッション・サッカーを推し進めるならば、それに応じて一番適した監督を監督市場からさがしてスカウトしてくるのも、強化の一環でしょう。ところが石崎前監督のヘッドコーチ、高橋真一郎氏を監督に指名したことに対しても、どうしても納得がいかなかったことも事実です。突然振って沸いたような「ポゼッション・サッカー」。なぜ柏レイソルは、チームとしてその戦術を嗜好するのか。どこまでそれを取り入れるのか。しっかりとした議論がなされないまま、その新しい標語の下でどこかドタバタした感じたままの開幕でした。
つまりは一貫性が全てにおいて見えてこなかったのです。こうありたい、こうなりたい、という気持ちはあったのは理解できます。石崎前監督が築き上げた土台、その基礎の上に更なる発展を目指してのことなのでしょう。ただ、そのお気持ちはどれだけのものだったのですか?どうして今、チームの戦術変更に取り組んだのですか?その戦術・嗜好に伴った監督、コーチ、選手の選出・入れ替えは徹底して行いましたか?現状の選手にシーズンオフという短期間の間に、チームはそんな劇的に変わるとお思いだったのですか?
所詮、私は外側から物事を見ていません。けが人が続出し、計算がたたなかったのもわかります。懸命に動いても結果が出ないこともあるでしょうから、正直心外と思われるかもしれません。ただ、そこ突き詰めが甘かったのが、今年レイソルが不振に陥った原因の一つであると考えることは、そこまで間違っていないとも思います。
ただ、チームの皆さんには、感謝も感心もしています。
いよいよ降格が現実味を帯びてきてからの、フロントの決断、つまりは監督の人選、補強は納得の行くものでありました。李忠成選手の完全移籍容認の決断は少し驚きましたが、それでもフロントの方々の勝ちたい気持ち、残留への熱い思いは伝わりました。
また残った選手の頑張りには心打たれ、誇りに思いました。彼らは戦い続けた。実力は劣っていても、少なくても気持ちでは誰も負けていなかった。プレーの一つ一つに、強い気持ちを、画面を通じながらはっきりと見ることが出来た。負けがこみ、落ち込んだときに、でもまた信じる気持ちをくれたのは、一番つらい選手一人一人が諦めず走る姿でした。浦和レッズが今シーズン示したように、勝ちながらチームを代えることがいかに難しいことか、理解しています。ですからサポーターは降格しても、ある程度納得がいったのだと思います。「俺たちはチャレンジして、やることはやった。来年もう一度一緒に頑張ろうぜ」と前向きになれたのだと思います。
来期、レイソルはここでもう一度、自分たちのアイデンティティーを振り返り、どのようにチームを運営していくのかをきちんと見つめなおす、良い時期なのだと強く思います。
チームはこれから、岡田監督時代のFマリノスのような手堅く守り、しぶとく勝ち残るサッカーをするのか。それとも現広島のような華のあるサッカーを目指していくのか。それをフロントは、ネルシーニョ監督と喧々諤々の討論をして、その結論をホームページを含む場で、サポーターにきちんと説明していかなくてはいけません。そのために、ネルシーニョ監督と袂を分かつのであれば、それは毅然として行うべきです。
戦力的には1年で上がってこなければいけない戦力です。ただ、今年は学ぶべき一年でありました。来期以降確固たるプランがあり、「柏のサッカーって、すごく面白いよね」と他チームサポやサッカーを全く知らない人にも言ってもらえるようなチームを作りたいならば、そしてその浸透にもし時間がかかるならば、J2で2、3年我慢してほしいと私たちサポーターに言い、説得して下さい。今一番避けなければいけないことは、反省も検証もそこそこに、将来のビジョンを描かないままに来期に突入することです。
また、古い体質の考え、甘えはチームに巣くっていやしないか。考えにぶれはないか。育成システムは先細っていないか。また選手はあそこまで応援してくれるサポーターの声援を当たり前だと思ってはいないか。これらもきちんと見直さなければいけません。2006年のJ2は、柏を強くしました。現場・フロント・サポーターの距離はギュッと縮まり、魅力的なチームになりました。その事実にあぐらをかいていなかったか。常に前進しようとする強い気持ちは持っているか。プレー一つ一つを大切にしているか。
バルセロナやマンチェスター・ユナイテッド、Jリーグでは鹿島はこの点がしっかりしているんですよね。チームのDNA、つまりはこう有りたいという熱意とブレのなさが確りとそのチームのベクトルを作り出し、サポーター、地元地域を巻き込みながら凛とした空気を醸成していく。それが伝統につながるのです。柏もその伝統が正直、欲しい。「J2つらかったけど、この2010年のシーズンがあったから、今のレイソルがあるんだね」って3年後、5年後言えるような第一歩を踏み出せるような、そんな前向きな一年にして欲しいな、と心から願っております。
こんな大それた、長々としたメールを書きましたが、結局来シーズンも私はレイソル・メルマガで速報をチェックし、広報日記で連日微笑み、Youtubeでアップされたハイライトを一喜一憂しながら見て、週末を過ごす、ただの一サポーターです。来年、皆様にとって、堅固たる地盤作りとすばらしい飛翔の一年でありますよう、遠い彼の地から心より祈願申し上げて、筆を置かせていただきます。
敬具。
米国在住 一サポーターより。
最後に全国を飛び回るレイソルサポーターの皆様へ。皆さん、今年もレイソルを応援してくださって有難うございます。事情があって日立台に来年もいけないと思いますが、皆さんのチャントは、ここまで届いています。来年も一緒に頑張りましょう。とにかくお体だけは気をつけて。
posted by nysports |12:51 |
Thoughts |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月23日
2点を追いかけていたペンシルバニア大学は、タイムアウトの後、急いでシューターのケビン・エジーにボールを渡した。彼は、決して綺麗とは言えない、少し苦し紛れなシュートフォームから3ポイント・シュートを放った。手からボールが離れた次の瞬間、試合終了のブザーが鳴り、そのボールはネットを揺らした。
ブザービーター。ペン大の選手は喜びを爆発させ、コートの中を飛び回った。あと1.4秒を凌げなかったコロンビア大学から勝ち星がするりとこぼれ落ち、アイビーリーグの2008-09シーズンは終わった。ベンチで座っていたKJは、目の前で今起こったことを何とか把握しようと一生懸命、そんな表情をしていた。
僕がKJ、松井啓十郎と初めて会ったのは、コロンビア大学での彼の練習初日だった。緊張からか、表情は少し硬かったけど、目は生き生きと輝き、真剣にコーチやトレーナーの話を聞いていた。彼からは気後れとか気負いとか、そんなことは全く感じられず、まるでもう何シーズンもコロンビア大でプレーしていたかのように、すっとチームに溶け込んでいたのを覚えている。
日本人初―KJが切り開いてきた道には、いつもその言葉がついて回ったけれども、彼にとってはそんなことどうでもいいことだった。そのプレッシャーはもちろんあったけど、それをいつも自然体で自分のモチベーションに変えることができた。自分の好きなものは何で、それで人より上に立つためには何が必要なのか。14歳の時にアメリカに来て挑戦を続けるKJは、はっきりとそれがわかっている。彼は僕よりも7つ年下だけど、その口から発せられる言葉は大人のそれで、話しているといつも僕が年下みたいだった。それは出会ったときから今も変わらない。
いつも自分らしく、しっかりとしていて、そしていつも柔らかい、素直な笑顔を見せるKJが、一度だけイライラしていた時期があった。2年生のときだ。コーチが取ってきた1年生の選手を頻繁に使い始めたからで、好調だったKJはその理由がわからなかった。
1年生の初めからコンスタントに試合に出場し、一試合平均6.5点を決めたKJは、コロンビアの重要な得点源だったにもかかわらず、彼は多くの時間をベンチで過ごさなければいけなかった。前シーズンより一試合平均6分以上も出場時間を削られ、平均得点が1.4点下がった2年目のシーズンが終わった後、彼は足にメスを入れた。
でも自分をもう一度見つめるために、よりいい選手になるために、その辛い時間はKJに必要だった。彼はちょっと弱音を吐いたけど、決して言い訳をしなかった。負けること、そして負けたままでいることがKJは何よりも嫌いだった。守備力が足りないから出場できない、とコーチから説明を受けて、徹底して守備の練習をした。体のバランスを崩さないように慎重に筋トレをして、当たり負けしない体を作っていった。
それは孤独なチャレンジで、まだまだ弱い自分自身との戦いだったと思う。何度もへこたれ、悩み、下を向いたけど、その度にKJはまた顔を上げ、黙々とリハビリと練習を重ねた。その真摯な姿勢は頑固なコーチの考えを改めさせ、信頼を再び勝ち得た。そして3年目のシーズン、彼は名門ビラノヴァ相手に19点を上げるなど大活躍を見せた。そして4年目、最後のシーズン。KJは559分に出場し、215点をたたき出し、過去最高のシーズンを送ることになる。そして最終戦のあの瞬間。コロンビア大でのKJの挑戦は、終わった。
KJがこの地に残したもの、それは数字では色々語れる。大学4年間で、計105試合1912分出場。696点(うち3P419点)獲得。高校バスケの名門、モントロス高でスタメンを張った時は、一試合平均15点、3P 成功率51%の記録を残した。でもその数字の裏には、数字以上に大切なもの―悩み苦しんだ一秒一秒、自分の力と存在を証明するために流した汗、そして自分から逃げずに戦い続けた強い気持ち―があり、それらは日本のバスケ界に絶対還元されなくてはいけないものだ。
切り開いた道を振り向くことなく、ただその経験を自分の糧にして、KJはこれからも自分の信じた新しい道を、自分の力で切り開きながら歩み続ける。
posted by nysports |03:10 |
Thoughts |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月13日
クライフェルトは天を仰ぎ、リバウドは首を左右に振り、ゼンデンはつまらなそうな顔でベンチに座り、デ・ブールは険しい顔をしながらピッチの上で何かを叫び続け、レイナは腰に手を当て、うつむいていた。その様子を監督のセラ・フェレールは腕組をしながらじっと見つめていた。
FCバルセロナを想う時、僕はかならず2000-01シーズンのこんなバルサを鮮明に思い出す。どうしようもなく気まぐれで、破壊力はあるけれども致命的なミスがそれよりも多い、そんな人間くさいバルサを。選手はいつもピッチでこんな風だった。サポーターはいつも不満げに口笛を吹き、そしユニフォームの色、ブラウ・グラーナは、なんだかくすんで見えた。クライフェルトは非常識を常識にし、リバウドは一振りで負け試合を引き分けに、そして引き分けの試合を勝ちにしたけれど、選手は何だかピッチの上でどうチームとしてプレーしていいのかわからないように見えた。
そして、そんなバルサに僕は恋に落ちた。
歯車がガッチリと噛み合ったときは、この地球上で最も刺激的で、魅力的なサッカーをしていたチームの1つだったと、今でも思う。ただ、うまくいかないときは何をやっても全くうまくいかず、そしてその内容の悪い時間帯と内容の悪い試合数は、このシーズン、とても多かった。
かろうじて、そんな状況の中でも、ルイス・エンリケとセルジがカタルーニャの魂を、そしてペップ・グアルディオラはバルセロナの伝統と優雅さを、それぞれプレーで見せてくれた。パスの優雅さで言ったら、コクーのやわらかいパスも素敵だったが、インテリジェンスと風格は、グアルディオラのそれにはかなわなかったように思う。
グアルディオラはいつも背筋をピンと伸ばして走っていた。右に左に、計算しつくされていて、でもとてもやわらかい軌道を描く彼のパスを見ていたら、なんだか知らないけれども、どこか優しい気持ちになれた。彼が出場停止や怪我でメンバー表から名前が漏れたときは、バルサはガタガタになった。そんなバルサが何とか4位でシーズンを終わることができたのは、グアルディオラの功績がとても大きかった。そしてそのカタルーニャ生まれの選手は、今度は監督としてバルサを発展させていく。
そんなシーズン後半、希望も見え始めていた。才能ある若手の台頭があった。シャビがそのグアルディオラから徐々にポジションを奪い始め、そしてプジョルがカールがかった長い髪を振り乱しながら、守備に攻撃に走り続け、ついにはスタメンの一角を占めた。
その希望は、アイマールを軸としたバレンシアの煌き、策士ハビエル・イルレタ率いるデポルティーボの戦略と才能あるブラジル人が魅せる業、そしてフィーゴを獲得してからベッカム、ジダン、ファン・ニステルローイ獲得へと続く、レアル・マドリーのまばゆい輝きには全くかなわなかったけれど、でも確かなものだった。
イエロ、カシージャス、ミッチェル・サルガド、ロベルト・カルロス、マケレレ、モリエンテス、ラウル。 レアルにはバルサでプレーしてくれたらいいなぁ、と尊敬する選手はたくさんいた。彼らが着るレアルの白いユニフォームが、日に日に輝きを増していくことがとてもうらやましかった。でも同時にテレビからも伝わる、カンプ・ノウに流れる重厚な空気と、ソシオとサポーターが日々と祈りをささげ続けてきたバルサのエンブレムが、僕にはあった。
バルサはその後、フランス・パリ経由でバルセロナにやってきた一人のブラジル人と、ACミランの80年代の黄金時代を支えたオランダ人監督のお陰で、徐々輝きを取り戻し、21世紀初頭の黄金期の土台とバルサ・ブランドの再構築に成功した。それらの上にカンテラ上がりの若者が、バルサの栄光への道を、堅固なものにしていった。マラドーナの再来といわれるリオネル・メッシが、アンドレス・イニエスタが、ジェラール・ピケが続々とスタメンに名を連ねた。そしてティエリー・アンリとサムエル・エトーが、あふれ出る攻撃のエッセンスとスピード、そして前線からの献身的な守備をピッチに持ち込んだ。パスが回り、絶え間なく人が動く。美しく人とボールが交差し、ゴールネットが揺れる。笑顔と歓声で、カンプ・ノウが揺れる。それらは2000-01シーズンを知るものにとっては、ちょっとまぶしすぎて、未だに戸惑うことが多いけれど、でもなんだかいつも誇らしく見える。
バルサは僕にサッカーのすべてを教えてくれた気がする。負けてジリジリする痛みも、ピッチの上で描かれるボールのその芸術的な曲線も。この単純なゲームの持つ、恐ろしいほどの奥深さとそしてその美しさも。
でもそれだけだったら、レアルを、マンチェスター・ユナイテッドを、バイエルンを愛していても感じれることができる。なぜバルサなのか。バルサの何に、僕はそんなに心を奪われたのだろうか。 ほかのチームに、少なくとも僕が見つけることができず、バルサの中に見つけることができたもの。
それは時の権力者に虐げられ、踏みつけられ、それでも立ち上がった、カタルーニャの人々の折れない気持ちであり、常に上を見て、信念を持ちながら日々を歩き続けた強さであり、痛みを知るもの持つ、おごりの無い、しなやかな力なのだと強く思う。またそれはバルサとカタルーニャの人々が歩んできた歴史であり、その過程で積み重ねられ生成された、誇りなのだと思う。
その誇りの大切さを、サッカーを通じて教えてくれたバルサに、感謝してもしきることはない。
posted by nysports |11:29 |
Thoughts |
コメント(5) |
トラックバック(0)
2008年03月29日
例え、バーレーンの監督が策士で向こうのサッカー引き込まれたとしても、今回のバーレーン戦ほど僕は日本代表のサッカーに失望したことは正直なかった。躍動感はまるでなく、プレーからは闘志も見られない・・・。チームとしてのコンセンサスの無さ。選手のグラウンド上の適応力の無さ。そこでは将来の可能性のかけらも見られなかった。
「ただ」サッカーをやっていた、やされていた感がとても強く、本当に久しぶりに試合途中でチャンネルを何度も切り替えていた。悲しかった。目の前にあるサッカーは、本当に日本代表がやっているサッカーなのか、正直信じたくなかった。そして、怒りがふつふつと沸き立った。画面を見ながら、「だらしねぇ」、「お前ら全員サッカーやめちまえ」と選手と岡田監督に対し、思わず汚い言葉を投げつけてしまった。
その行為に対しては一人反省しているが、あんなサッカーはもう二度と見たくない。
誤解を恐れず言うならば、まだアジア3次予選。バーレーン、オマーン、タイ。確かにこれらの国々は急成長著しいことあり、油断すると足元をすくわれてしまうのは重々承知している。でもこんなレベルでドタバタしている暇はないはずだ。僕たちのサッカーは、もっと志高く、もっと可能性に溢れ、もっとわくわくするサッカーを目指していたはずだ。
「油断」と「自信」は違う。バーレーンは確かに地力があり、選手個々の力は本当に目を見張るものがあり、Jの舞台でも見てみたい若い才能は沢山いた。が、日本代表の選手一人一人は、そのあふれ出る才能を、そしてその肉体に潜んでいる底力全て出し切るならば、もっと出来たはずだ。負けたかもしれない。けど、あんな中身の無い試合はしない。バーレーン、オマーンに戦々恐々としている、そんな自信の無い日本代表なんて、誰も見たくない。
「アウエーだから。」最近この言葉がどうもエクスキューズにしか聞こえないことが多い。アウエーで戦うことが、勝ち点を取りこぼす言い訳で使われるとしたら、そんなことはもう聞きたくもない。練習場と競技場の環境の悪さ、悪天候、敵地のサポーター・・・。タフなのは理解しているし、グラウンドの外では関係者がロジ面で大変な思いをされていることだろう。が、それで揺らぐような代表チームではいけないと強く思う。
自分たちのサッカーの構築。今後、日本サッカーは「どのようなサッカーを魅せたいのか」と「どのようにしてこの試合を醜くても勝ち残るか」という狭間で、僕たちも含め、苦しむのだと思う。
がっちがちの1-0サッカーで勝つのを美徳とするのか、たとえ勝負弱くても、パスが小気味よく繋がり、後ろから前線にドンドン走りこむ選手がいて、スピード感溢れるサッカーを支持するのか。状況に応じては、それこそカメのように、甲羅に閉じこもり、点差を守りきる戦術が、もしくはひたすら守り、虎視眈々とカウンターを狙う必要性が、時間帯、そして勝ち点差・得失点差によっては出てくることだろう。
ただ、少なくとも「こういうサッカーをしたい、日本サッカーとは、つまりこれだ」という青写真は選手、コーチ、協会、(そしてサポーターを含めて)共有し、それに向かって歩み続けれなくてはいけない。そのうち立てたものを自信が持てるように、育てていかなくてはいけない。
つまりは迷ったときに戻れる「日本サッカー指針」をなくてはいけないと思うし、そのための議論を続け、もっともっと増やさなくてはいけないとも思う。先日のバーレーン戦を見て、今はその指針さえないように強く感じる。
正直、岡田監督がここでなぜ「脱オシム宣言」をしたのかが分からない。オシムがこの地に残した土台を、壊してしまうおつもりですか、岡田さん?2010年にむけて、ご自分で土台を作りかえるのですか?自分のやり方、それはなんですか?それはどれだけ時間がかかりますか?ワールドカップは、2年後です。その時間のリスクを負った上で、どんなサッカーを魅せてくれるのですか?
オシムが残した方向性は、ユース世代を含め、今後日本サッカー界が追いつづけいく物ではなかったのですか、サッカー協会の皆さん?もしそれを無くすような日本代表監督だとしたら、それを黙認するのですか?
日本が3次予選で敗退するとは思っていない。ただ、バーレーン戦で見せたようなサッカーをもし続けるとするなら、2010年南アフリカにはたどり着けないだろう。むしろそうなったほうが、ゼロからスタートできて良いのかも知れない。日本代表はもっと出来る-もちろんそう思っている。ただ、今回見せ付けられた深い絶望感は、僕をそこまで考えさせてしまう。
posted by nysports |02:12 |
Thoughts |
コメント(13) |
トラックバック(0)
2008年02月22日
2月17日(アメリカ東部時間)、セルビアの自治区だったコソボが念願の独立を宣言。ニューヨークにある国連では緊急の安全保障理事会が開かれ、アメリカ、イギリス、ドイツなどいわゆる西側諸国が安保理決議1244に基づき独立を支持する一方、ロシアは「国際社会はこのコソボの独立宣言を無視するべき」であり、独立を支持する「アメリカなど勝手な見解は、ほとんど論理的ではない」(露・チュルキン国連大使)と、双方の意見は真っ向から対立した。
その後、ロシアと一緒に独立に反対していたセルビアの首都ベオグラードでは、21日、独立に抗議する国会議事堂への平和行進の最中、参加者が暴徒化し、アメリカ大使館の窓ガラスを割るなどの破壊行為に出た。何人かは建物の中に侵入し、建物に掲げられていた星条旗を燃やし、セルビアの国旗を代わりに立てた。警察の車に投石する若い男性たち、火をつけられ、燃え上がる車。
セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人、イスラム教徒、アルバニア人・・・。ユーゴスラビアという国の制度の下、緩くではあるがまとまってあった各民族は、ユーゴ崩壊後声高々に自分たちの主張を繰り返し、多くの場合で異なる民族に強い敵対心を抱きながら、それぞれ国家として独立した。
それらの国家をどう自分たちの陣営として迎え、またバルカン地域においてどう自陣営の優勢さを確立するか・・・。この数日間は国際社会の微妙なパワーゲームを見せつけられ、また今日はべオグラードでの破壊行為で群集心理の怖さを思い知らされた。
それらの様子をテレビでつぶさに見ていて、日本で闘病生活を送っているイビチャ・オシムと、重慶で必死にプレーするサッカー日本代表を想った。
ナショナリズムから来る排他的行為を何よりも嫌い、かつては各民族に配慮して選考されていた代表選手を、「必要ならば11人全員をコソボのアルバニア人で揃える」と明言した旧ユーゴ代表監督のコスモポリタンは、遠い日本でこのニュースをどう聞いたのだろうか。今日べオで起こった暴動を、どう感じたのだろうか。
人間の愚行が引き起こす数々の、口にするにもはばかれるような、いたたまれない現実の数々。オシムは、それらを心の奥底に閉じ込めて、よりサッカーへの愛を深くし、そのスポーツの追求により自らの身を投じたのだ、と勝手ながら思う。
そんな大柄のサラエボっ子が、「日本サッカーの日本化」の先に、何を一番選手や日本の人たちに伝えたかったのだろうか。
彼の著書を何度も読み返し、言動を振り返ると、それは「リスクを恐れず、自分たちの持てる可能性を信じ、一瞬一瞬をサッカーに、そして仕事に、あるいは自分の信じた道を生きなさい」ということではないだろうか。「日本でサッカー監督になるというのは本当に素晴らしい経験だ。なにしろ24時間サッカー漬けの生活が出来る」という旨の発言を、オシムは一冊の本の中でしている(イビチャ・オシムの真実 ゲラルト・エンツィガー、トム・ホーファー共著、 平 陽子 訳)。
多くの日本人は、今日砲弾に倒れて死ぬか、朝起きて「今日も一日生きて過ごせるか」という心配をせずに、自分の「これだ」という道を一生懸命追求することが出来る環境にある。だったら、やってみようよ。せっかくやれるチャンスがあるのに、やらない手は無いよ、そう言っている気がする。
オシムが病魔に襲われる前、代表の練習を温かい眼差しで見守っていたオシムの柔和な笑顔を思い出す。2005年、ジェフが初めてナビスコを制覇、試合後選手達が大柄なオシム監督を胴上げしようした時の、嬉しさと驚きと、申し訳なさが同居したオシムの表情を思い出す。日本人の可能性を人一倍信じ、それを指導を通じて感じた選手たちの「懸命に学ぼう」という真剣な眼差しと態度に、日本の将来を見たのだと思う。だから自分の身を賭してまで、代表監督に就任したのだと思う。
正直、2010年が本当に、本当に楽しみでしょうがなかった。オシムが僕たちと一緒に世界を驚かせ、かつ今後の日本代表が追求するべき道を作ってくれる、と。
僕が未だそんな無いものねだりを繰り返しているとき、ピッチに立つ選手たちは現実をしっかりと見つめ、重慶でまた逞しさを増していた。確かに中国戦は途中で没収試合やボイコットにする手も考えなければいけなかったほど、試合環境は酷かったように思える。ペットボトルは投げつけられ、バスは囲まれ、小さな日の丸は焼かれたと聞く。
ただ、選手が見せてくれた「静かに燃やした闘志」には本当に、感服した。試合後、中澤選手がチームメートを熱い気合の入ったハイタッチで称えたシーンは純粋に感動した。岡田監督の、批判するところは批判した上で、リスクマネージメントを考えた相手へのコメントに、監督の円熟された人間性といい意味でのしたたかさを覚えた。今はただ、安田選手をはじめ、怪我をした選手の大事を祈るばかりだ。
日本代表はこれから勝ち上がるにつれ、様々な難しい場面に遭遇すると思う。最後の一秒まで、諦めないで走って欲しい。常に上への渇望を忘れずに、懸命にプレーして欲しい。それが日本サッカー界のために全力を尽くし続けた一人の人間への、最低限の責なのだから。
posted by nysports |06:12 |
Thoughts |
コメント(23) |
トラックバック(1)
2008年01月29日
拝啓、ジェフユナイテッド千葉・市原様
天皇杯が終わり、もう一月が経とうとしております。今は来たる開幕戦、3月8日万博で行われる対ガンバ戦と、その前に行われるちばぎんカップに向け虎視眈々と準備していると思います。
突然のお手紙、なにとぞお許し下さい。ただの一サッカーファンのぼやき、として受け取ってくださればと思います。つい最近まで「ジェフ崩壊」、「主力流出続出」―スポーツ新聞一面、大きな見出しで御チームの実情が書かれていましたね。ウェブで検索できる限り、全て目を通した上で、落胆と悲しみ、勝手ながら悔しさと怒りを覚えました。
もちろん、新聞上に書かれていること全てが正しいとは思っていません。フロントに全ての責任があるような風潮に対しても、正直心外のことだろうと私は察しております。しかしながら、イビチャ・オシム前々監督が日本代表監督に、言わば協会に「強奪」(ここはあえて強奪と書かせて頂きました)されてからというもの、どうも御チームの、特に上層部の、動きに対して腑に落ちない部分がより膨らんだのもまた、事実です。
越権行為であり、部外者が口を出すものではないのかもしれませんが、フロントと現場が全く違った方向を向いていて、それに選手とサポーターが振り回されている、そういった感がぬぐえません。
どうして、もっとチームのために動いてくださらないのですか。
どうして、もっとサポーターに語りかけてくださらないのですか。
たとえ待遇悪くなったとしても、選手はチームと一緒の未来が、青臭いことを言えば「夢」を一緒に見れれば、「このチームのために・・・」と思うことでしょう。サポーターは毎年のように主力が移籍してしまうような寂しい現実にも、チームと一緒に頑張ろうと思えれば、一緒に歯を喰いしばって、ゴール裏で勇気を与えてくれる、力強い歌声で選手とチームを鼓舞し続けることでしょう。
でも、実際は彼らに対し、今まで何をなさってきたのですか。
どうして若くて才能溢れる水野選手をほぼ無償で他チームに渡してしまうのですか。どうしてチームのために今まで貢献してきた主力選手、羽生選手と佐藤勇人選手をもっと必死に引き止めなかったのですか。過去には、中西選手、茶野選手らもあっさりと切り、他チームへ移籍させましたね。
確かに、御チームの育成システムはガンバ大阪、サンフレッチェ広島と並び、最も成功したものの一つであり、柏レイソルのサポーターを自負する私も、そのシステムを羨望の眼差しで見つめておりました。しかしながら、どうも御チームの「若手育成」が、ベテラン選手と主力選手が毎シーズンごと流出してしまうことへの単なるエクスキューズとしてしか感じられないのです。
他チームのサポーターが、このような場を借りてわざわざ言うべきでは無いのかも知れません。ましてや浦和のような、大規模で常に完璧を目指している様なチームでもないため、他チームの事に関してとやかく言える立場では無いのかも知れません。
ただ、幕張の海浜地区で6年ほど過ごした人間として、千葉という地で一緒にサッカーという素晴らしい競技を愛するものとして、御チームの実情を見て見ぬ振りが出来ないのです。
1996年、ガラガラの市原臨海競技場で、それでも頑張っている選手とサポーターを千葉テレビの中継で見て、田舎から大学進学で千葉に出てきた私に「必死に」何事も取り組む大切さを教えてくれたのは、ジェフでした。Jリーグが開幕してから、華麗だけではなく、気持ちのこもったサッカーを見せ付けてくれたのは、御チームのリトバルスキー選手であり、オッツェ選手であり、城選手であり、中西選手であり、チェ・ヨンス選手でした。
毎年のように主力が抜けたにもかかわらず、チームの方向性をしっかりと示した上で若手をじっくりと育成し、戦力を下から育った選手で補う。しかもそのグラウンドで見せるサッカーはドンドン魅力的になりましたね。イビチャ・オシム前々監督就任後は、「ジェフのようなサッカーをしたい」とJの監督に言わせるほど、美しさを感じさせてくれるものでした。個人的にもオシム監督がグラウンドで表現したあのサッカーは大好きでした。
土曜の昼下がり、美しい芝生の上で、目の覚めるようなあの鮮やかな黄色と緑のユニフォームを見るたびに、何度ワクワクさせてもらったことでしょう。サッカーの素晴らしさと、きつい現実と、その二つを私に初めて教えてくれたのは、どのチームでもなく、ジェフユナイテッド市原なのです。
だから悲しいのです。だから怒っているのです。
アマル・オシム前監督を解任しました。成績不振。何とか理解は出来ます。でもどうしてあのタイミングでの解任なんですか。開幕にチームが間に合わない、そのリスクを理解したうえでの行動ですか。どうして一時の不振を抜け、チームとしてまとまってきたと現場も手ごたえを感じた直後の解任なんですか。
挙句の果てには「脱・オシム路線」。それで、その先には何が待っているのでしょうか。私はイコール脱東欧路線かと思っていましたが、その後クゼ監督を召集。今後、3年後、5年後、ジェフ千葉・市原はどういうチームを目指し、それにどのようにして向かっていくのか。選手も、サポーターも、そこが知りたいのだと思います。
柏レイソルも、昔はかなり勝負弱く、またどこを目指しているのか、チームとしてのコンセンサスが見えず、何でも中途半端だった感がありました。2000年を頂点に、ドンドン成績は悪くなる一方で、06年にはついにJ2での開幕を迎えました。
ただ、今振り返ると、あの降格がチーム、現場、サポーター、それぞれのベクトルを一つの方向に向かわせ、みんなで一緒に頑張れたのだと思います。その3者の間の距離もぐっと縮まり、対話を重ね、「家族として」一緒に我慢し、一緒に泣き、一緒に凱歌を響かせ、一緒に笑ってこれたのだと思います。
今御チームに一番欠けているのはこの点だと思うのです。
もっとサポーターと、そして選手と対話を重ねて行きましょうよ。
もっともっと、魅力的であろうと、チームとして努力しましょうよ。
ジェフにはフクアリという綺麗で立派なスタジアムがあり、日本サッカー界をこれから担う人材を輩出する優れた育成システムがあります。もったいないじゃないですか。おせっかいとは思いますが、柏と一緒に、千葉のサッカーを盛り上げて、もっと全国にアピールしましょうよ。
選手の、特に若手の皆さん、今シーズンは本当にチャンスです。新体制になり、主力の選手も抜けました。どんどん失敗を恐れず、自分を十二分にアピールして、何事にもチャレンジして下さい。巻選手、残留してくれて本当に有難う。今、ジェフで「背中でチームを引っ張る」選手は貴方しかいません。今まで以上に泥臭く、魂のこもったプレー、期待しています。工藤選手、今シーズン貴方がチームの主軸になるのですよ。魅力あるプレー、楽しみにしています。スタジアムを沸かせて下さい。下村選手、その堅実かつダイナミズム溢れるプレーでサポーターを喜ばせて下さい。
最後にサポーターの皆さん。厳しい現実に直面する中で、明るい光りがほとんど見出せない中でさえ、ジェフに対する、サッカーに対する変わらぬ愛を示し続けるあなた方の気持ち、本当に感服しています。一緒に頑張りましょう。一緒にJを盛り上げましょう。ちばぎんカップで対戦するのを今から楽しみにしております。
駄文、失礼致しました。今シーズンの御チームの幸運をお祈りして、筆を置かせて頂きます。
敬具
一サッカーファンより
posted by nysports |06:42 |
Thoughts |
コメント(26) |
トラックバック(1)