2006年12月02日

ダメ虎トホホ伝説 part VII

ドラフト篇のつづきいってみよう(敬称略)


1989年 中込伸

まずは球団職員として囲い込んでおいてから
ドラフトで指名されたという阪神では珍しいケース

あの92年の確変イヤーに9勝をマークして
その後の活躍が期待されたのだが
度重なるヒジの故障により何度もメスを入れる
思うように勝ち星を伸ばしていくことはできず
積み重なるのは体重だけというトホホな現役生活
100勝には程遠いが100kgには到達することができた

体重の増加とともにガキ大将ぶりを発揮し始める
ここからはあくまでもウワサの域を出ない話だが
中谷めがけてケータイを投げつけ失明寸前に追い込んだり
イジメを受けた山村が自律神経失調症に陥ったりと
何かとダーティーなイメージが定着するハメになってしまう

結局2001年のオフに自由契約
その後は台湾球界にて現役を続行
現在は沖縄のクラブチームで監督を務めているようだ


1990年 葛西稔

「高校時代はあの大魔神の控え投手」
試合中に話題に困ったアナウンサーが
その度にこのフレーズを連呼していた
野茂英雄のハズレ1位指名として入団
同期入団のライバルたちがルーキーイヤーに大活躍
おかげで名前をもじった「クズニシ」という
なんともトホホなニックネームを頂戴するハメに

2年目には先発に定着
翌92年には開幕投手の座を射止めた
その後はリリーフに転向し活躍
「阪神のリリーフ=サイドスロー」の公式を完成させるのに貢献

そして現役生活のハイライトはやはり
「遠山‐葛西‐遠山‐葛西」のトホホな継投劇だ
ふたりはまさに一心同体
プロ野球チップスのおまけのプロ野球カードでも
2人1組にされてしまうなどホントにラブラブだった

引退後は投手コーチとして活躍
藤川球児のフォーム改造・大躍進の陰の立役者となった


1991年 湯舟敏郎

小池秀郎のハズレ1位指名として入団
ダメ虎はクジ運のなさもトホホなの
子連れルーキーとしてほんのチョットだけ話題になった

2年目の92年には左のエース格に成長
ノーヒット・ノーラン達成や2度の月間MVP獲得など
先発の柱として大車輪の活躍を見せた
だがシーズン終盤に故障した田村勤に代わり抑えを任されるが
大事なヤクルト戦で失敗するなど大誤算
これが優勝を逃した一因となってしまい
前半の活躍が霞んでしまうというトホホな湯舟さん

その後はダメ虎貧打線のあおりを喰い続ける
3年連続5勝止まりで2年連続リーグワーストの負け数を記録
「阪神にいなければもっと勝てたはずなのに・・・」という
きわめて数多い投手のうちのひとりとなってしまった

晩年はベースカバーに入った際に足を捻るなどトホホな現役生活
しかし2001年にトレードで近鉄入りして優勝を経験し
引退にささやかな花を添えることができた

その後は解説者として活躍
当初はMBSにいたはずなのに
いつのまにかABCに移ったのはなぜだろう ←関西ローカルネタ
焼肉店「牛若丸」の経営もしているそうだが
いまいちセンスのない店名はやはりよっさんに相談したのかな


1992年 萩原誠

高校時代は大阪桐蔭の4番として
全国の高校野球ファンにその名を轟かせていた
そんな彼がなんと阪神にやって来たではありませんか
ポジションはサードで背番号は31
「ミスタータイガース」の後継者として絶大なる期待を背負う

だがしかし・・・
やはり入る球団を間違えてしまったのか
その大いなる才能はプロではまったく発揮されず
挙句の果てによく知らない選手とのトレードで
近鉄へと旅立ってしまったとさ・・・


次回へつづく

posted by わたくし |22:42 | ダメ虎トホホ伝説 | コメント(4) | トラックバック(0)
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