2007年10月19日
試合終了後の挨拶が終わり、ベンチへ振り向いたその姿は泣き崩れていた。
駒大の榊原浩司と4年生は、一度も優勝の味を知らぬまま名門を巣立つこととなった。「絶対勝って、明日につなげたかったけどできなくて、悔しい」榊原主将の言葉は、明日という希望を最後まで頑なに信じていたようだった。
小椋監督の1番起用という期待にも2安打1打点と十分に応える榊原。だが、通算奪三振を始め数々の金字塔を打ち立てた、東都の最強右腕が立ちはだかった。大場翔太。春に続いて駒大はこの男1人にねじ伏せられた。9-2で迎えた9回。2死から3打数無安打の森山和之は、代打・古橋を送られた「最後は出たかった」。古橋は空振り三振で、東洋大スタンドからは紙テープがグラウンドへ降り注いできた。ここで、冒頭の場面。榊原は、同級生の小俣慎司マネージャーに支えられて、神宮のグラウンドから下がった。
チームは4年間で最下位も経験し、昨年までの定位置はBクラス。しかし、冬の大分からスタートした新生・駒大は、辛酸をなめ続けた4年を中心に駆け抜けた。最後まで悲願の実現は叶わなかったが、先輩の見せた意志は確実に後輩にうけつがれる。副将・山田将斗は言う。「3年と下のやつにはこの経験をバネにがんばってほしい」と。榊原の姿をはじめとした、去る者たちの熱き思いには、来年心地よいやまびこが返ってこよう。
posted by 齊藤太一 |23:52 |
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2007年09月05日
「今日の1勝ちは大きかった。ナイスゲーム!」
小椋監督は、珍しく上機嫌だった。
開幕の1週間前。書類を見つめながら、割合淡々と質問に答える小椋監督とは違った。もちろん、開幕1戦目をとったことからの笑顔だろうが、具体的なポイントがあったように思える。
1つは、小椋監督が「最強打者」と公言する、福井亮太郎の衝撃。1回表、先頭の上田が倒れる。それからおよそ10秒後の、ランニングホームラン。真ん中よりの球をとらえると、右中間へ打球はのび、右翼手が処理で前後する間に、快足は一気呵成にホームへ駆けた。ホームインの瞬間、丸くない福井の顔は笑みを浮かべていた。三塁ベンチも、選手が飛び跳ねたり、両手を突き上げたりのお祭り騒ぎだった。「福井が打つと盛り上がる」(森山)。先制点に、亜大は普段とひと味違う苦痛を味わったはず。
もう1つは、5番、遊撃手、主将の重責を担う榊原浩司の面目躍如だ。4打数で3安打。9回表には5-5、同点からブースの147キロを打ち返し、犠飛を放った。結局、これが決勝点となり初戦を勝利。榊原は、喜怒哀楽をあまり表さない。人前では緊張した面持ちでいることが多い。しかし、夏頃から変わった。8月2日から12日まで行われたオランダ遠征では「東都の代表の選手たちと一緒にやれたということで、まだ自分もいけるな」と自信を取り戻した。笑顔で語る榊原は、春とはまた違った。
亜大2回戦で駒大は、結果・内容ともに強者の取り口を見せた。
前日、小椋監督はメンバー表の先発に「河村」と入れた。埼玉栄高出の3年生右のオーバーハンド。甲子園の実績もある強豪私学にいながら、高校時代の最高成績は春の関東大会が最高。3年の夏は、エース番号を今はチームメイトの三戸貴正(2年)に譲っていた。
「中継ぎで登板してたけど、先発は初めてで緊張した」。言葉とは裏腹に、
低めに直球、変化球を集め、5回を無失点に抑えた。打線の援護は長打2本にかかわらず、8点と十分すぎた。小椋監督は「ウチの秘密兵器ナンバー2でした」と得意満面。春や昨年のような皮肉(例「ウチには視力検査が必要な選手がいる」等々)は、もう影を潜めていた。
試合後、河村は、観戦に来ていた両親と言葉を交わした。「成功してよかった。また先発できるなら、がんばってほしい」と安堵の表情で、両親は球場を後にした。エース左腕・海田が一時離脱している中、河村も「次は長いイニングを投げたい」と決意を新たに、先発としての自分を築いていくのだろう。
第1週を終わって駒大は青学大と同率で首位。無論、戦国のご時世、乱はいくらでも起こりうる。だが、オールドファンにとって、心躍る秋になるのは間違いなさそうだ。勝ったから、強い。榊原が次の国学大戦の課題を明かしてくれた。
「国学戦なので、村松に対してどう打っていくか」
明快な回答に、期待の実がふくらむ。
posted by 齊藤太一 |15:27 |
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2007年05月30日
野球では、点を取られることは良くないこととされる。点を取られないことを生業とする投手のなかで、最もその能力に長けた者。それがエースだ。勝ち点なしで迎えた青学大戦。今年の、KOMAZAWAエースが誕生する。
海田と小林。駒大と青学大の両先発は、らしからぬ投球を露呈してしまう。海田は3回まで1人の走者も許さない。しかし、4回に突如安打を浴び、四球を出すという悪循環に陥り試合を台無しにする6失点。その後も投手陣の崩壊は止まらずに計11失点で大敗した。打線は石川の代打ツーランを始め、小林から5点を奪うが、ほとんど意味を成さなかった。「ファーストストライクの入りが甘かった。明日も投げるんで頑張ります」と海田。少ない言葉の中にも、主戦としての責任感を感じさせた。試合後の小椋監督は海田について、「怖いものを知っちゃって、おとなしいピッチングになっている」。昨秋は防御率2.01の男も、2年目のジンクスか。ただ、その後に続けた
「(真の)エースになって欲しいからね」
雨で1日流れての2回戦。大分・佐伯キャンプから発掘された原石が、遂に光を放った。
一言でいえば「落とせない試合」。連敗での勝ち点奪取失敗となれば、選手の戦意は一気に萎えてしまう。優勝はほば絶望的になる。
先発は鳥取・境高出身の石黒基輝。甲子園出場はない。その名を知っている野球ファンはよほどな物好きに違いないが、この投手は駒大の今季の流れをも変えた。
1回から低めへの制球がさえ渡り、縦スライダーに速球を投げ込んで青学打線を手玉に取っていた。連打を許さず走者を出したときには「落ち着くために」、大空を見上げた。森山の先制打などで3点の援護をもらい、結果114球、三振7、四死球2、被安打3での完封を成し遂げた。6回の榊原の好守備も光る。
「嬉しい。前回は、球が高めに浮いていたので低めに投げた。完封は意識していなかったが、試合を壊さないように投げていた」
言葉の端々から、飾らない人柄がにじみ出ていた。一方、「石黒は秘密兵器だった」としてやったりの小椋監督。右のエース石黒、ここにあり。ただ、お「明日勝たなければ意味がない」と指揮官は手綱を締めて引き揚げていった。
1勝1敗での3戦目、冷静な海田が燃えていた。「(1回戦の)リベンジさせて欲しい」と石黒に語り、打者に向かっていった。初球はストライクから入り、ボール球は見せ球にした。同学年の林の左翼への先制弾を皮切りに、4点を奪った。この日の海田には十分すぎる得点。
9回、青学大の4番長島を空振り三振に斬ると、海田は両手を握ってガッツポーズ、同時に雄叫びを上げた。「エースの風格が出てきた」と林は海田を讃えた。
青学大から勝ち点1をもぎ取り、二本柱も確立した。エースとは、相手に愚直なまでに点を与えることを嫌い、与えない、絶対的な存在。
駒大の反抗が本格化した。
posted by 齊藤太一 |00:17 |
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2007年05月26日
純白のユニフォームに身を包んだ選手たちは、軽快に神宮のグラウンドへ飛び出した。空は真っ青に染まっている。一歩一歩かみしめるように、キャッチボールをする榊原。真剣な眼で投球練習をする海田。いつものようにおもむろな仕草の小椋監督。全力疾走の亜大の選手。
駒大のオーダーは、三塁の笠間以外はほぼ順当なもの。笠間は「緊張していた」と言うが無理もない。緊張をひた隠して守備についた。
1回表、海田の1球目は131キロのストレート。1番今村がファールする。駒大の本当の春が幕をあけた。試合は海田と、亜大先発・小山の投手戦となる。2回に海田は工藤のスクイズ、本間の適時打で2点を失う。緊張でやや、制球が乱れていた。その裏、すぐさま味方が海田を援護する。笠間の大学初安打、山田の二塁打などで2点を取って海田を沈静化した。海田は最速138キロながら好投を披露し、9回まで無失点に抑えた。
9回裏、上田貴典がフルカウントから四球を選び、続く福井亮太郎の犠打で1死二塁となり、大島の打席になるが2球目に死球。4番の森山は「自分で決めてやろう」と意気込み、直球を狙う。
読みは当たり、3球目を右中間にサヨナラ安打。初戦を取った。「初戦勝ててよかった。(今季は)どっしり構えていきたいと思います」丁寧な口調の小椋監督。笠間については「サードの競争に勝ったから使いました」とあっさり。当に隠し刀だった。
2戦目、早くも今季の展望に暗雲が立ちこめたのだ。その予兆のように、試合開始頃から上空は厚い雲に覆われ、中盤から雨が降り始めた。先発の石黒は人生で初めて神宮のマウンドを踏んだわけだが、4回3失点で不完全燃焼に終わる。8回表には、前原の2点適時打で同点に追いつく。
3ー3で迎えた8回裏、3四死球に、1失策、暴投までも3つ犯すというチーム全体の乱調で3点をノーヒットで献上。これでもう勝負あり。反撃する力は残っていなかった。ただ、試合後のコメントを見ると悲観的な物は見あたらなかった。
「負けたけど、同点に持って行けたし、悪くはなかった。絶対勝つので一生懸命やるだけです」(榊原)
「(明日は)絶対勝つので大丈夫です」(捕手・山本裕紀)
嫌な思いを雨で洗い流しているかのようだった。
3回戦。リーグ戦を占う上で、駒大の開幕ダッシュを成功させる上で意義の大きい試合となる。
海田は、1回戦の疲れから、序盤から3つの死球を与える。5回までは2失点で踏ん張ったが、6回に全てが音を立てて崩れた。4連打を含む5安打を食らってKO・5失点。「コントロールは悪くはなかった」という試合後の言葉がむなしく響いた。打線はさらに深刻だ。先発の小山、救援の永澤から5安打で10四死球をもらいながら無得点。スコアボードには1回から9回まで0しかなかった。
しかし、試合後の選手は自分たちの非を猛省していた。山田は「投手だけが悪いとは言い切れない。アウトがほしいという気持ちが強くて、ストライクのサインばっか出してしまった」と話す。榊原、海田、林も悔恨をはき出した後、気持ちを「切り替えて」と共通のワードを口にする。
さらに小椋監督は「監督の責任よ。青学には勝ちますよ!!選手は悪くない。悪いのは監督だけ」とぶちまけた中にも、熱意は失っていなかった。
もう、ためこんだ悪玉は消えた。他大学への逆襲には「?」がついたが、1週間の内にそれは「!」に変わるのであった…。
posted by 齊藤太一 |20:42 |
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2007年05月25日
6勝4敗2引き分けー
春のオープン戦の成績である。キャンプを終え、3月9日から他リーグの有力大学との試合で最終調整を図る。数字上は可もなく不可もなくといった12試合に、今季の駒大の縮図が見えた。それは、榊原、大島洋平、森山和之らを除き、下級生も上級生も関係なくレギュラーを競わせるという一貫した理念だ。
上村新、加茂勇作、赤木義英、石橋拓也、笠間将裕ら8人の新戦力を小椋監督は積極的に起用した。そのなかで、上級生達を焦らせるようなプレーを見せた選手が上村、加茂、山本祐、笠間である。4人とも神宮デビューを春季リーグで飾った。
上村は、副主将で正捕手の山田将斗に果敢にレギュラー争いを挑んだ。広島・広陵時代は現日本ハムの吉川光夫とバッテリーを組み、ドラフト候補にも挙がった。「僕は守備で生きていくしかない」と口にするところに職人肌を感じさせる。オープン戦では5試合に出場。本塁打も放った。加茂も新人らしからぬ「気」を前面に出した投球で石川二世(現ヤクルト)の片鱗を見せつけた。最速141キロの速球にスクリュー、カーブ、スライダーを交える投球の将来は明るい。山本祐の「目標は4番」という言葉には正直、驚いたが期待して見守りたい。
「この春にすぐに使える新入生もいるけれど、レギュラーを取ることはないね。今年1年よく練習してもらいたい」
笠間については、まず小椋監督のこのコメント抜きには語れない。結果、観客、マスコミは見事に裏切られたのだ。開幕試合、亜大との1回戦。ウグイス嬢は「7番・サード笠間君ー平塚学園高校」とコールした。オープン戦では4試合に出場も、僅か2打席のみ。皆あっけにとられたが、笠間は見事にシーズンを駆け抜けるのだった。
レギュラー確定組は林が1割を切る打率で苦戦した他は仕上がり順調。祖父がアメリカ人である前原一慶は、3割5分を超える打率に8打点をたたき出す。海田、石黒の左右のダブルエースも課題を多少見せたが、開幕への照準は定まっていた。チームは六大学との試合でも明大を12ー3と圧倒し、慶大には1ー1でドローの終わるも、オープン戦最終戦の法大戦では3ー0と完封勝ち。仕上がりはほぼ万全である。
さて、これらのことを踏まえ、小椋監督はオープン戦で何を掴んだか?
自信と確信。
優勝には「かなりのことを思ってます。10勝がラインだよ」。
「普段通りのことを思う存分出来ればいいな。十分戦える戦力は整ったんだから」
桜の花も散っている、4・10亜大との開幕戦は目の前だった。
posted by 齊藤太一 |16:25 |
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2007年05月24日
「俺たちの頃は毎年優勝争いしていた」
Aクラス入りを確定させた今季最終戦、専大との試合。30代後半と見受けられた駒大ファンは言った。弱肉強食の戦国東都で、春秋合わせて26回ものリーグ優勝を果たし、全国制覇も10回を数える。中畑清、石毛宏典、野村謙二郎、武田久、高橋尚成…プロで名を上げたOBは数え切れない。
しかし、90年代後半からは優勝回数は伸び悩み、01年秋に最後の優勝をして以来、2部リーグ降格の苦杯をなめるなど、名門は廃れていった。05年秋には「親父」太田誠前監督が勇退。黄金時代は完全に終焉を迎え、新時代に突入した。小椋正博新監督の1年目の去年は秋、春ともに5位。入れ替え戦を回避するのがやっとだったが、徐々に実力は蓄えていた。昨秋の亜大戦で勝ち点を取った試合後のこと「春と違いは一目瞭然。(春は)青学さんには野球をさせてもらえなかった」と手応えを感じさせるコメントも。
2月の15日から27日まで大分の佐伯市で、春季キャンプが張られた。新年の余韻はなくなり、逆襲の春が早くも始まった。決してプロのように大入りの観客が見守るようなキャンプではないが、選手は適度にわきあいあい、そして真剣に各自の課題に取り組む。野球部は例年チームを2つに分けてキャンプを行っていた。主力組が大分で、あとは駒大グラウンドでの居残り組といった具合に。小椋監督は敢えて慣例を崩し、一部を除き部員全員を九州のキャンプ地へ連れてきた。「1年生を新入生扱いしたくなかった」。「(キャンプを)やったことが一番の収穫。新人をみんな連れて行って、早く見れたという意味でもね」と部員間の競争意識をフルに活用したのだ。
ダイヤモンドの原石には何回も磨きが掛けられた。4年の石黒基輝。その原石は今キャンプから、輝き始めたのである。昨年までリーグ戦での登板はゼロ。ベンチ入りさえも難しかった。が、「(他の)人にはないものを持っている」黄金時代を投手コーチとして支えた小椋監督はそう感じた。さらには、登板ゼロをプラス面としても捉えていた「良い意味で怖い物知らずかな。向かっていくしかない投手」。武器は縦に落ちる120キロ前後のスライダー、110キロ前後のドロップカーブ、140キロ程度のストレート。いずれこの投手については再び触れる。
海と山に囲まれたキャンプ地を後にした選手には、大小はあれ自信が芽生えていた。榊原浩司主将は断言した。「負ける気がしない」ー
posted by 齊藤太一 |23:25 |
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2007年04月30日
「全然出ます」。
上京してまだ日の浅い林一茂外野手は、関西弁がまだ直らない。苦笑しながら応える姿は、親しみやすさを感じさせ、取材なれしている感もあった。高校時代は京都外大西で05年夏に甲子園でベンチメンバーとして準優勝を経験。だが、けれんみもなく林は甲子園について「雰囲気が楽しかったです」と緊張もなかったという。
駒大野球部とのつながりは同校の上羽功晃監督監督が駒大出身であることから始まった。左翼のレギュラーになった昨年の選抜では、駒大・小椋監督にプレーを見てもらった。最終的に「監督がここ(駒大)を押してくれて」入部を決意する。
寮生活の第一印象は「厳しい」。「厳しいっていうイメージしかないです」と少々戸惑いもちらつかせた。「西下(一昨年の京都外大西・主将)さんからも話は聞いていたので」。駒大の野球部から西下は1年で準硬式へ転部。林は寮の厳しさをある程度予想していたが、どうやら想像以上だったようだ。しかし、立ち止まって入られない。尊敬する選手には「新庄選手。あとは、ベタですけど、イチロー選手」と希代の名外野手をあげた。「野球に対する考え方とかが凄い参考になる」。イチローと新庄の共通点は、タイプこそ異にするものの「チームリーダー」。林にも駒大ハンカチ世代をまとめる力が宿るに違いない。現在野球部には同姓で「裕也」という大きな存在がいるが、神宮のスコアボードに「林一」と点る日は、近い未来にあることだろう。
posted by 齊藤太一 |00:27 |
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2007年04月03日
「うっら」
ボールを放す瞬間、小柄な左腕加茂は気持ちを球に注入する。くりくりした目で普段はおとなしそうな雰囲気。だが、カーブ、スライダー、スクリューにノビのある最速137キロの速球は高い将来性を感じさせた。
小学3年からスポーツ少年団に入って本格的に野球に打ち込み始めた。静岡・掛川西ではエースとして、昨年の夏にベスト4まで勝ち進む。聖地が見えかけた。準決勝では県大会で優勝し、甲子園でも「ほほえみの貴公子」として注目を浴びた大野擁する静岡商と対戦。加茂は9回を1失点完投。ほぼ満点の投球なはずだが、打線の援護なく敗戦。結局、全国の野球ファンにその実力を披露することはなかった。
「高いレベルの中で野球やって上(プロ)目指したいなあって」駒大に入学した。この春リーグ戦でも出番がありそうな加茂。憧れの選手は石川(ヤクルト)と工藤(横浜)。青学大出の石川も170センチに満たない体でツバメのエースとして君臨している。170センチ62キロの体が跳ね、気炎を上げるとき、駒大のエースは加茂勇作かもしれない。
posted by 齊藤太一 |19:32 |
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2007年04月03日
取材なれしていない感じで、頬の反ったクールな顔立ち。昨年のドラフト候補で、玄人筋の評価が高かった上村新は、もしかしたら斎藤佑樹とバッテリーを組んでいたかもしれない。名門・広陵で遠投110メートル、巧みなキャッチングを引っさげて早大のセレクションを受けた。しかし、「WASEDA」のユニフォームを着ることはなかった。今治西・宇高、岐阜城北・尾藤など甲子園組は入部を果たす。この現実。「やっぱりショックで・・・これからどうしようかと思った」。
そんな折、中井哲之監督に駒大を薦められた。かつては現中日の新井良太が広陵―駒大という道を歩んだ。上村は「KOMAZAWA」を着た。早くも、オープン戦では4試合に出場して正捕手の山田を脅かす存在になってきた。「正直あまり自信ないです(苦笑)」という打撃でも本塁打を放って、衝撃を与えた「落ちたってことで早稲田を見返してやろうと、そういう気持ちです。僕は守備でで生きていくしかないと思うんで。大学で1番の捕手といわれるようになる」。神宮で、同級生の甲子園ボーイに否が応でも刻ませるつもりだ。「上村新」その名を。
posted by 齊藤太一 |19:28 |
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2007年03月25日
昨夏の甲子園は「敢えて見ませんでした。中学校の時の知ってるやつとかもいたので」。駒大に進学、野球部に入部した北畠俊也は目を細めながら語った。無名の佼成学園で高校通算42本を記録した長打力は、一部の間では評価が高かった。中学では、早実の優勝メンバー・小柳とチームメイト。自信がある打撃は、入部してまもなく矯正を余儀なくされた。守備は捕手志望だったが、同期の上村新の存在もあり、ショート、サードの練習をこなす。そうはいっても「やはり自分は打撃が持ち味なので、神宮でホームラン打ちたいです」この言葉は、北畠の打撃への自負が込められていた。「ハンカチ世代」への号砲一発。スタンバイはできている。
posted by 齊藤太一 |01:03 |
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