2010年02月26日
「ディナモB」ことロコモティーヴァを牽引するニーノ・ブーレ
2月25日、82日間ものウィンターブレイクが開け、「ロコモティーヴァvs.ヴァルテクス・ヴァラジディン」戦を皮切りにクロアチア・リーグが再開しました。 基本は土曜日開催なのですが、マクシミール・スタディオンをディナモ・ザグレブとロコモティーヴァが共同使用し、今節はそれぞれがホーム開催のため、ロコモティーヴァがディナモより2日早く試合を行うことになったのです。今年のクロアチアの冬は厳しく、予定よりも一週間遅れの試合開催となりました。先週は一日中気温がマイナス、今週になって最低気温がようやくプラスに転じ、昨日はいきなり日中が17度まで上がる春の陽気となりました。私もそんな陽気に誘われるかのように、カメラを背負って今年最初の撮影取材へと行ってきました。 ロコモティーヴァが一部になってからの試合は初めて。取材パスを申請してなかったのですが、ディナモのシーズンパスですんなり入ることができたのです。観客は300人ほどと少ないものの(それでも普段のロコモティーヴァのカードよりも観客は多いようですが)、長く待ったシーズン再開に高揚感が湧いてきます。そして3ヶ月ぶりに会うジャーナリストやカメラマン、スタッフらと親交を深めたのでした。 さて、ロコモティーヴァはその名前が示す通り、鉄道員のチームとして1914年に設立された由緒あるクラブです。第二次大戦後は長くユーゴラスビア一部リーグに属し、1952年にはハイドゥク・スプリト、ツルヴェナ・ズヴェズダに次ぐ3位という好成績を残しました。しかし、その後はディナモの陰に隠れるように没落し、1955年に二部リーグに転落。翌年は一部に上がったものの、その一年後に再び二部リーグに転落したあとは一度も表舞台に出てくることはありませんでした。 クロアチアが独立したあとも常に下位リーグをうろうろし、2006年には4部リーグまで転落。そこで浮上したプランが、ディナモとの提携でした。ディナモの育成における悩みは、ユース学校を経てきた選手達に出場機会をどう与えるかというもの。国内では常勝を求められ、欧州カップ戦では1970年以来の冬越えを目指すクラブだけに、18歳~20歳辺りの経験の浅い選手が出場機会を得て、簡単にレギュラーを取れるわけではありません。18歳まではユース・カテゴリーのリーグがあるのですが、それを越えると成長の場がなくなってしまいます。そのためにレンタルという手があるわけですが、将来を嘱望されながらも芽で出ずに消えていく選手が多いのが実情です。 かつてディナモの選手を頻繁に受け入れていたのが、インテル・ザプレシッチでした。FWエドゥアルド・ダ・シルヴァ(現アーセナル)、MFルカ・モドリッチ、DFヴェドラン・チョルルカ(共にトットナム)、DFデヤン・ロヴレン(リヨン)、DFフルヴォイエ・チャレ(トラブゾンシュポール)といった選手は、いずれもディナモの主力になる前、インテル・ザプレシッチにレンタルされることで経験を積みました。 しかしその後、インテルはディナモと提携を結んでBチーム化されることを拒否。そんな中、イリヤ・ロンチェレヴィッチ(元ディナモ、ロコモティーヴァ監督)のアドバイスの下、4年前に新たな提携先として浮かんだクラブが4部のロコモティーヴァでした。 インテルのケースと違うのは、ロコモティーヴァにコーチ陣も送ることで、ディナモ(・ユース)と同じたコンセプトでサッカーを行うことです。また、若い選手の模範となるようなベテラン選手も加入させます。そのベテランの代表格の一人がエディン・ムイチンです(2007/08シーズンにプレー)。 ロコモティーヴァは2006/07シーズンを四部リーグを1位で終えて昇格を決めると、2007/08シーズンは三部リーグを2位で終えて目標だった二部昇格。そして昨シーズンは二部を3位で終えたわけですが、一部リーグが12クラブから16クラブに拡大されたこともあり、昇格対象になりました。事実上の「ディナモB」が本家ディナモ・ザグレブと同じリーグでプレーしていいのか?、という倫理的な問題が浮上したものの、ティン・ドリチュキ会長の強い主張もあって、一部リーグに加わることを決めたのです。 ロコモティーヴァを活用するプランは、ここ10年のディナモで一二を争う成功例です。この4年間、1988年生まれ以降でディナモからロコモティーヴァに送られたユース選手は実に33人。既にディナモで活躍している選手にMFミラン・バデリ(1989年生)、MF/DFイヴァン・トメチャク(1989)、DFトミスラフ・バルバリッチ(1989)、FWアンドレイ・クラマリッチ(1991)が挙げられます。そして今季前半をロコモティーヴァでプレーし、後半にディナモへ戻されたのが、MFドマゴイ・アントリッチ(1990)とDFシーメ・ヴルサリコ(1992)。とりわけヴルサリコは、18歳ながら冬のキャンプでディナモのレギュラーを勝ち取りました。
さて、今季のロコモティーヴァですが、リーダーとなるベテランは二人います。一人は昨季からプレーするMFジェリコ・ソピッチ(35歳・写真左)。ボルシア・メンヒェングラートバッハをはじめ、ドイツで何年間もプレーし、中盤のハードワーカーとなる主将です。 そしてもう一人は今季から加入したFWニーノ・ブーレ(33歳・写真右)。2000~2002年にガンバ大阪で活躍したことでお馴染みの彼は、この10年間で数多くのクラブを渡り歩きました。昨年6月にパンセライコス(ギリシャ)を退団したのち、ブーレは最初に打診してきたロコモティーヴァのオファーを受け、2年契約を結んだのです。 しかしながら、開幕戦はリエカに0-6の完敗。続くイストラ戦は1-3、ヴァルテクス戦も1-3と三連敗を喫し、一部の洗礼を味わされます。その頃のブーレはこう語ります。 「若いチームだけにシーズンを通して何度も揺らぐことだろう。本当のサッカー選手になるためにもっと練習せねばならない未熟な選手はたくさんいる」 ロコモティーヴァはそれから二連勝。ブーレ自身も牽引役となり、開幕5戦でゴールランクトップに並ぶ5ゴールを記録します。第9節は兄貴分のディナモと対戦。0-1で敗れはしたものの、手を抜くようなことは一切なく、堅いディフェンスと鋭いカウンターでディナモを手こずらせたのでした。ウィンターブレークまでの18節を終えて、8勝1分8敗の勝点25。降格争いどころか、中位の8位につけました。ブーレもまたゴールランク3位の8ゴール、アシストランクも3位の5アシストをマークし、若者に囲まれながら「第二の青春」を謳歌しています。
前置きが幾分と長くなりましたが、試合は両者のチーム事情が反映されたものとなりました。ロコモティーヴァはこの春から1991~92年生まれの6人のユース選手が新たに送り込まれ、そのまま彼らが初めてトップチームのベンチに座るほどの若々しいチームです。逆にピッチ上の選手は半年間の一部リーグの経験を積んでおり、「来季こそは俺がディナモのトップチームに」と張り切っています。時にアピールに度が過ぎるばかり、周囲を無視したドリブルやパスを選択する選手にはブーレやソピッチが声を荒げて叱ります。これだけ観客が少なく、サポーターの応援もないと、そんなベテランの怒鳴り声がよく聞こえてきます。 そんな中、前半20分にMFマルティナッツ(26)の左CKからブーレ(写真右)が腰を屈めながらのヘディングシュートを叩き込み、ロコモティーヴァが先制。前線で身体を張ってボールをキープし、またルーズボールを真剣に追っかけ、そしてパスやプレスキックでも非凡な才能を見せるブーレは、Jリーグに戻ったところでもガンバ時代以上の実力を発揮できることでしょう。 ヴァルテクスは前の記事に書いたように、チーム消滅の危機にあります。ドラジェン・ベセク監督は冬に上海申花へ去ったため、新たにユースコーチからダミール・ヤガチッチが昇格したものの、システムから選手まで入れ替えたこともあり、チグハグなプレーが目立ちます。それでもベテランの主将ムムレクが声を張り上げ、若い選手達を鼓舞しました。セットプレーから打開を図るものの、ロコモティーヴァのゴール前には身長202cmのDFバガリッチ(21)が立ちはだかります。また出場機会を求めてディナモからロコモティーヴァに移ってきたGKケラヴァ(22)も身長195cm。普通のクロスボールではあっさりと止められてしまいました。
後半に入って直ぐの48分、ロコモティーヴァは追加点を奪います。決めたのはFWハヴォイッチ(21・写真右)。マルティナッツのスルーパスに対応し、ドリブルで持ち込んでの左足でのシュート。既に2年前にディナモのトップチームでデビューしてますが、一年前の時点で「22歳になれば本物の選手になるだろう」と彼を育てたコーチが明言している逸材です。 その後はゴール前をしっかりと固め、中盤でボールキープすることで相手をじらしながらゲームを殺していきます。ロイ・フェレンチナ監督(39)は、この試合がデビュー戦となるモルドバ人MFアンドロニク(18)、MFフラニッチ(18)を投入する余裕も見せ、若いチームの割に大人びた勝利をもたらしたのでした。 (試合のニュース動画はこちら) これでロコモティーヴァは暫定ながら勝点でハイドゥク・スプリトと並びました。ロコモティーヴァの戦い方は一貫しています。ディフェンスでは激しく当たり、オフェンスでは連携を重視しながらも最後は個人技にモノを言わせて得点を奪いに行くもの。これはディナモ・ザグレブと限りなく似たコンセプトです。フェレンチナ監督(写真左)は試合後、
「勝利には値したものの、まだまだ決定力という問題を解決せねばならない。そして完璧にしなければならないポイントも幾つかある。何もないところから選手を作り出すという仕事は楽じゃないんだよ」 と若手を指導する難しさを口にしました。それでも将来のスターを次々と生み出すような遣り甲斐ある仕事には間違いありません。 ディナモはこれから無駄な外国人補強をとりやめ、育成重視に方向展開することを明言しました。ユース出身の選手が続々とディナモのトップチームで活躍する現象に「ベビーブームが来た」とさえ表現する記者もいます。そんなベビーブームの陰にはロコモティーヴァというクラブがあり、また若い選手達を牽引する機関車となるべきブーレやソピッチのようなベテランが頼りにされているのです。 p.s. 前半が終わって選手達がピッチからドレッシングルームに向かう途中、ゴール裏にいる僕に近づいたブーレが「オゲンキデスカ」と挨拶をしてくれました。遡ること9年前、私が最初にインタビューをした選手だけに、こうして今でも交流を持てるのは嬉しいものです。
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今年のクロアチアの冬は厳しく、予定よりも一週間遅れの試合開催となりました。先週は一日中気温がマイナス、今週になって最低気温がようやくプラスに転じ、昨日はいきなり日中が17度まで上がる春の陽気となりました。私もそんな陽気に誘われるかのように、カメラを背負って今年最初の撮影取材へと行ってきました。
ロコモティーヴァが一部になってからの試合は初めて。取材パスを申請してなかったのですが、ディナモのシーズンパスですんなり入ることができたのです。観客は300人ほどと少ないものの(それでも普段のロコモティーヴァのカードよりも観客は多いようですが)、長く待ったシーズン再開に高揚感が湧いてきます。そして3ヶ月ぶりに会うジャーナリストやカメラマン、スタッフらと親交を深めたのでした。
さて、ロコモティーヴァはその名前が示す通り、鉄道員のチームとして1914年に設立された由緒あるクラブです。第二次大戦後は長くユーゴラスビア一部リーグに属し、1952年にはハイドゥク・スプリト、ツルヴェナ・ズヴェズダに次ぐ3位という好成績を残しました。しかし、その後はディナモの陰に隠れるように没落し、1955年に二部リーグに転落。翌年は一部に上がったものの、その一年後に再び二部リーグに転落したあとは一度も表舞台に出てくることはありませんでした。
クロアチアが独立したあとも常に下位リーグをうろうろし、2006年には4部リーグまで転落。そこで浮上したプランが、ディナモとの提携でした。ディナモの育成における悩みは、ユース学校を経てきた選手達に出場機会をどう与えるかというもの。国内では常勝を求められ、欧州カップ戦では1970年以来の冬越えを目指すクラブだけに、18歳~20歳辺りの経験の浅い選手が出場機会を得て、簡単にレギュラーを取れるわけではありません。18歳まではユース・カテゴリーのリーグがあるのですが、それを越えると成長の場がなくなってしまいます。そのためにレンタルという手があるわけですが、将来を嘱望されながらも芽で出ずに消えていく選手が多いのが実情です。
かつてディナモの選手を頻繁に受け入れていたのが、インテル・ザプレシッチでした。FWエドゥアルド・ダ・シルヴァ(現アーセナル)、MFルカ・モドリッチ、DFヴェドラン・チョルルカ(共にトットナム)、DFデヤン・ロヴレン(リヨン)、DFフルヴォイエ・チャレ(トラブゾンシュポール)といった選手は、いずれもディナモの主力になる前、インテル・ザプレシッチにレンタルされることで経験を積みました。
しかしその後、インテルはディナモと提携を結んでBチーム化されることを拒否。そんな中、イリヤ・ロンチェレヴィッチ(元ディナモ、ロコモティーヴァ監督)のアドバイスの下、4年前に新たな提携先として浮かんだクラブが4部のロコモティーヴァでした。
インテルのケースと違うのは、ロコモティーヴァにコーチ陣も送ることで、ディナモ(・ユース)と同じたコンセプトでサッカーを行うことです。また、若い選手の模範となるようなベテラン選手も加入させます。そのベテランの代表格の一人がエディン・ムイチンです(2007/08シーズンにプレー)。
ロコモティーヴァは2006/07シーズンを四部リーグを1位で終えて昇格を決めると、2007/08シーズンは三部リーグを2位で終えて目標だった二部昇格。そして昨シーズンは二部を3位で終えたわけですが、一部リーグが12クラブから16クラブに拡大されたこともあり、昇格対象になりました。事実上の「ディナモB」が本家ディナモ・ザグレブと同じリーグでプレーしていいのか?、という倫理的な問題が浮上したものの、ティン・ドリチュキ会長の強い主張もあって、一部リーグに加わることを決めたのです。
ロコモティーヴァを活用するプランは、ここ10年のディナモで一二を争う成功例です。この4年間、1988年生まれ以降でディナモからロコモティーヴァに送られたユース選手は実に33人。既にディナモで活躍している選手にMFミラン・バデリ(1989年生)、MF/DFイヴァン・トメチャク(1989)、DFトミスラフ・バルバリッチ(1989)、FWアンドレイ・クラマリッチ(1991)が挙げられます。そして今季前半をロコモティーヴァでプレーし、後半にディナモへ戻されたのが、MFドマゴイ・アントリッチ(1990)とDFシーメ・ヴルサリコ(1992)。とりわけヴルサリコは、18歳ながら冬のキャンプでディナモのレギュラーを勝ち取りました。
さて、今季のロコモティーヴァですが、リーダーとなるベテランは二人います。一人は昨季からプレーするMFジェリコ・ソピッチ(35歳・写真左)。ボルシア・メンヒェングラートバッハをはじめ、ドイツで何年間もプレーし、中盤のハードワーカーとなる主将です。
そしてもう一人は今季から加入したFWニーノ・ブーレ(33歳・写真右)。2000~2002年にガンバ大阪で活躍したことでお馴染みの彼は、この10年間で数多くのクラブを渡り歩きました。昨年6月にパンセライコス(ギリシャ)を退団したのち、ブーレは最初に打診してきたロコモティーヴァのオファーを受け、2年契約を結んだのです。
しかしながら、開幕戦はリエカに0-6の完敗。続くイストラ戦は1-3、ヴァルテクス戦も1-3と三連敗を喫し、一部の洗礼を味わされます。その頃のブーレはこう語ります。
「若いチームだけにシーズンを通して何度も揺らぐことだろう。本当のサッカー選手になるためにもっと練習せねばならない未熟な選手はたくさんいる」
ロコモティーヴァはそれから二連勝。ブーレ自身も牽引役となり、開幕5戦でゴールランクトップに並ぶ5ゴールを記録します。第9節は兄貴分のディナモと対戦。0-1で敗れはしたものの、手を抜くようなことは一切なく、堅いディフェンスと鋭いカウンターでディナモを手こずらせたのでした。ウィンターブレークまでの18節を終えて、8勝1分8敗の勝点25。降格争いどころか、中位の8位につけました。ブーレもまたゴールランク3位の8ゴール、アシストランクも3位の5アシストをマークし、若者に囲まれながら「第二の青春」を謳歌しています。
前置きが幾分と長くなりましたが、試合は両者のチーム事情が反映されたものとなりました。ロコモティーヴァはこの春から1991~92年生まれの6人のユース選手が新たに送り込まれ、そのまま彼らが初めてトップチームのベンチに座るほどの若々しいチームです。逆にピッチ上の選手は半年間の一部リーグの経験を積んでおり、「来季こそは俺がディナモのトップチームに」と張り切っています。時にアピールに度が過ぎるばかり、周囲を無視したドリブルやパスを選択する選手にはブーレやソピッチが声を荒げて叱ります。これだけ観客が少なく、サポーターの応援もないと、そんなベテランの怒鳴り声がよく聞こえてきます。
そんな中、前半20分にMFマルティナッツ(26)の左CKからブーレ(写真右)が腰を屈めながらのヘディングシュートを叩き込み、ロコモティーヴァが先制。前線で身体を張ってボールをキープし、またルーズボールを真剣に追っかけ、そしてパスやプレスキックでも非凡な才能を見せるブーレは、Jリーグに戻ったところでもガンバ時代以上の実力を発揮できることでしょう。
ヴァルテクスは
後半に入って直ぐの48分、ロコモティーヴァは追加点を奪います。決めたのはFWハヴォイッチ(21・写真右)。マルティナッツのスルーパスに対応し、ドリブルで持ち込んでの左足でのシュート。既に2年前にディナモのトップチームでデビューしてますが、一年前の時点で「22歳になれば本物の選手になるだろう」と彼を育てたコーチが明言している逸材です。
その後はゴール前をしっかりと固め、中盤でボールキープすることで相手をじらしながらゲームを殺していきます。ロイ・フェレンチナ監督(39)は、この試合がデビュー戦となるモルドバ人MFアンドロニク(18)、MFフラニッチ(18)を投入する余裕も見せ、若いチームの割に大人びた勝利をもたらしたのでした。
(試合のニュース動画は
「勝利には値したものの、まだまだ決定力という問題を解決せねばならない。そして完璧にしなければならないポイントも幾つかある。何もないところから選手を作り出すという仕事は楽じゃないんだよ」
と若手を指導する難しさを口にしました。それでも将来のスターを次々と生み出すような遣り甲斐ある仕事には間違いありません。
ディナモはこれから無駄な外国人補強をとりやめ、育成重視に方向展開することを明言しました。ユース出身の選手が続々とディナモのトップチームで活躍する現象に「ベビーブームが来た」とさえ表現する記者もいます。そんなベビーブームの陰にはロコモティーヴァというクラブがあり、また若い選手達を牽引する機関車となるべきブーレやソピッチのようなベテランが頼りにされているのです。
p.s.
前半が終わって選手達がピッチからドレッシングルームに向かう途中、ゴール裏にいる僕に近づいたブーレが「オゲンキデスカ」と挨拶をしてくれました。遡ること9年前、私が最初に
伝統あるクラブが消滅か。この一週間、クロアチア・サッカー界はこのテーマに揺れました。ヴァルテクスの経営陣は揃って破産を否定しているものの、郊外に住む選手の一部はガソリン代も手元になくて練習に来られなくなるほど現場は苦しんでいます。
ヴァルテクス・ユースで育ち、37歳になっても主将としてチームを引っ張るMFムリエンコ・ムムレク(写真)は、選手を代表してフロントと話し合いを持ちました。その場で最悪のケースとして"破産もありえる"と耳打ちされたのです。ムムレクは必死に訴えます。
「クラブは今の状況を隠そうとしていたけど、我々は本当の姿を外から知っていたんだ。語られているような破産については、我々選手達は決して許さない。最後まで戦うつもりだよ!
それは我々の給与のためだけではない。自分達の利益のために戦うのは当然だが、給与なんて忘れることができるさ。むしろ、多くの目標のため、成長を続けるユースの子供達のために戦うんだ。クラブが破産し、下部リーグへと追いやられては、選手達が成長する機会を失ってしまう。子供達にその罪や責任はないんだ。それだけは許されないことだし、決して許してはならないことだ」
ヴァルテクスが残る道は、国家や自治体のサポートも受けながら、クラブの借金を株式に転じて私有化を図ること。ハイドゥク・スプリトはその方法で大口株主を見つけ、借金返済に成功しました。しかし、スプリトほど街の規模はなく、ハイドゥクほどの熱狂的な支持者が少ないヴァルテクスには楽な方法ではありません。
また私有化の際には、費用の掛かるユース部門を分離させ、独立採算による市民組織に変える方針であり、これに対しても激しい反発が出ています。なぜならば、クロアチア北部の才能ある選手達が集結するヴァルテクス・ユースは、国内でも定評あるセレクションと育成を行う組織だからです。現在も250人の子供が通い、それぞれのカテゴリーのクロアチア代表にも名前を連ねるほど。しかし、分離するかしないかを悩む前に、ユース選手の親御さんは破産でヴァルテクス・ユースそのものが無くなってしまうことを心配しています。
「私達の子供達にとっては、ヴァルテクスが人生の全てなの。いつかはプロ選手になろうと自分のことを信じているのよ。なのに、大人の責任を彼らが被せられて夢を諦めさせられるなんて。ユースを切り捨て、子供達をアルコールや麻薬に走らせるつもり? それは決して許すことはできないわ」
2006年までは頻繁に国内上位にあったヴァルテクス。このクラブの転落はスポンサー不足だけが原因ではありません。ユーゴスラビア時代は一部にも上がれなかった地方クラブを発展させたのは、一人の人物によるものでした。その人物の名はアンジェルコ・ヘリャヴェッツ。大学を卒業し、ヴァルテクス社に就職した彼は1989年にクラブの会長に就任。戦争という混乱の時代、自らのカリスマ性をもってしてクラブを変革・興隆させ、地元の支持を集めていくと、地元出身のブランコ・イヴァンコヴィッチを指導者として迎えることで、わずか数年たらずで国内の強豪の一角にクラブをのし上げました。1999年には実に欧州カップ戦の一つ、カップ・ウィナーズ・カップでベスト8までヴァルテクスを進出させたのです。
将来はクロアチア・サッカー協会会長の座も有力紙されたヘリャヴェッツですが、2001年7月20日、BMWを運転中に追い越しを図ろうとした際、対向車線のトラックと激突して即死してしまいます。クラブのシンボルであり、舵取りを失ったヴァルテクスは、その後は経営面で迷走を続けました。一部の選手に高額な給与を払ったり、フロントに無能な人物を連れて来ることで借金は膨らみ続け、イメージの悪さから優良スポンサーを失ったのです。誰か選手を売却して利益を得ようにも、給与未払を理由に契約解消されてしまうこともしばしば。また給与未払を巡っては、過去に在籍した選手もヴァルテクスを訴えており、30件ほどの訴訟に敗れています。
メインスポンサーとなるべきヴァルテクス社が、ビタ一文スポンサー料を払わない(払えない)のは大問題です。同社はリーバイスと提携し、生地生産も行う老舗の衣料メーカーですが、中国の安い衣料が次々と入り込んだために競争力を失ってしまいました。
スポンサー料を払わない企業の名前をクラブ名につけるのはどうか、という議論から昨年、新たなスポンサーの医薬品会社にちなんで「ヴァラジディン・ファルマル」と改名する運びとなりました。しかし、50年間親しんだクラブ名を変えることにサポーターや市民は反対。「ヴァルテクスはやらないぞ!(Ne damo Varteks!)」の落書きが、亡くなった会長の名前をつけた本拠地アンジェルコ・ヘリャヴェッツ・スタディオン(写真)にも書かれたのでした。
22日、クラブの存続を願う選手達、ユースの子供達、コーチ、スタッフ、そしてサポーターグループの「ホワイト・スートン」(写真)がヴァラジディンの中央広場に集まり、30分間に渡ってアピールを行いました。ここでも
17日、スロベニアのブレッド湖畔でUEFA代表のテオドール・テオドリスを迎え、セルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア、マケドニア、ブルガリア、スロバキアのサッカー協会関係者と会合を持ちました。若手育成やサッカーくじ、代理人に関する問題を協議するものでしたが、その中でセルビア・サッカー協会長トミスラフ・カラジッチが地域リーグの実現の可能性に言及したところ、テオドリス氏はUEFAの立場として
「サッカーに良いものをもたらすならば、地域リーグだろうが我々は関心を持っている。反対はしない。しかし、真面目に検討するからにはプロシェクトを示して欲しい。再び協議するような具体的な提案を出してくれないか」
と、予想外にもポジティブな返答を得ました。そこでスロベニア・サッカー協会代表のイヴァン・シミッチが手始めてとして、各国の優勝クラブ、もしくは将来に地域リーグに加入したいクラブを一箇所に集めてのチャンピオン大会を開いたらどうかと提案したのです。
しかし、スロベニアの具体的な提案が出た直後、地域リーグに賛成か聞かれると、マミッチは一転して否定に回ったのです。
「前回に地域リーグについて語ったのは、あくまでテーマを開いただけに過ぎない。常に話し合う必要はあるし、最高の解決策を探さねばならない。しかし、ディナモが地域リーグに参加したいと私は一度も言ったことはない!
ディナモの参加に対しては反対だし、スロベニアの提案にも反対だ。我々はクロアチア・リーグを守らねばならない。そのためには今の16クラブによるリーグではなく、10クラブか12クラブの参加に留めるべきだ。ディナモは地域リーグがなくとも若い選手を育てていける。毎年のように欧州カップ戦もあるわけだし」
クロアチアで強烈に拒否反応を示しているのはサポーターたち。ディナモ・サポーターのバッド・ブルー・ボーイズは以下の声明を出しました。
「我々は、セルビア、モンテネグロ、(ボスニア・ヘルツェゴビナ内の)セルビア人共和国のクラブと一緒に参加するような大会や地域リーグを"決して"支持しないことをここに表明する。あらゆる手段を持ってしてディナモが参加を反対させるよう我々は戦っていくつもりだ」
ハイドゥク・サポーターのトルツィダも同じく反対の姿勢。セルビア人勢力との戦争に従軍した退役軍人が多くサポーターのメンバーにいることを考えれば、幾ら財政面でプラスになろうともリスクが大きすぎると具体的な理由を述べています。セルビアに対するわだかまりが溶けないクロアチアは、地域リーグを受け入れるのはまだまだ難しいようです。
「ハイドゥクやディナモと激しい試合をプレーすることは間違いなく最高だろうが、それではサポーターの信用を失いかねない。サポーターの難しい状況をコントロールできるかどうか心配だ。ベオグラード・ダービーですら、あるべきレベルのセキュリティを完全に維持できないというのに」
と反対の姿勢。パルチザン・ベオグラードの主将ムラデン・クルスタイッチは
「セルビア・リーグが地域リーグによって損害を被るかもしれないだけに僕は反対だよ。自分の国家でチャンピオンになることが僕の一番の喜びなんだ。例えば、バスケットボールの地域リーグが始まってから、もうセルビア・リーグに参加する全チーム名を知ることがなくなってしまった。地域リーグのアイデアの背景には、早く簡単に金を手にしたい人々の関心があるのみだ。まず自分たちのリーグのクオリティ向上に取り組むべきなのだよ」
と同じく反対の姿勢を示しています。
またスポルト・ベオグラードのジャーナリスト、ブランコ・セクロヴィッチ氏は、セルビア世論をこう述べています。
「セルビアで地域リーグに関する考えには温度差がある。世論の意見は分かれているが、賛成の意見が幾らか多いと言えるだろうか。もちろん、この大会にはコソボのチームの参加はあってならない。セルビアは決してコソボという国を認めないし、もし大会にコソボの参加を認めるのならばセルビアは決して大会に同調しないだろう」
ここのわだかまりの対象はクロアチアなどではなく、やはりコソボとなります。昨日、クロアチアのイヴォ・ヨシポヴィッチ新大統領の就任式があったのですが、セルビアのボリス・タディッチ大統領は「クロアチアはコソボを承認した国」ということで出席を拒否しています。
ビリッチ監督は、昨年まで起用してきたメンバーから更に新たな選手を加えることはしませんでした。これまでのスタンスから大きな変化を加えないものの、違うバリエーションも試していく予定です。
ちなみに代表引退を表明したのはロベルト・コヴァチのみ。FWイヴァン・クラスニッチ(ボルトン)、FWニキッツァ・イェラヴィッチ(ラピッド・ウィーン)は怪我のために外れています。またFWニコラ・カリニッチ(ブラックバーン)は、3月2日にフランスU-21代表と親善試合(開催地:ランス)を行うクロアチアU-21代表の方にピックアップされています。
メンバーは以下になります。
GK:
ヴェドラン・ルニェ (ランス/フランス)
ダニイェル・スバシッチ (ハイドゥク・スプリト)
DF:
ヨシップ・シムニッチ (ホッフェンハイム/ドイツ)
ヴェドラン・チョルルカ (トットナム・ホットスパー/イングランド)
イヴィツァ・クリジャナッツ (ゼニト・サンクトペテルブルク/ロシア)
ダリオ・クネジェヴィッチ (リボルノ/イタリア)
デヤン・ロヴレン (リヨン/フランス)
フルヴォイエ・チャレ (トラブゾンシュポール/トルコ)
MF:
ダリヨ・スルナ (シャフタール・ドネツク/ウクライナ)
ルカ・モドリッチ (トットナム・ホットスパー/イングランド)
ニコ・クラニチャール (トットナム・ホットスパー/イングランド)
ダニイェル・プラニッチ (バイエルン・ミュンヘン/ドイツ)
オグニェン・ヴコイェヴィッチ (ディナモ・キエフ/ウクライナ)
ニコラ・ポクリヴァチュ (レッドブル・ザルツブルク/オーストリア)
トミスラフ・ドゥイモヴィッチ (ロコモティーバ・モスクワ/ロシア)
イヴァン・ラキティッチ (シャルケ/ドイツ)
ドラゴ・ガブリッチ (トラブゾンシュポール/トルコ)
FW:
イヴィツァ・オリッチ (バイエルン・ミュンヘン/ドイツ)
エドゥアルド・ダ・シルヴァ (アーセナル/イングランド)
ムラデン・ペトリッチ (ハンブルガーSV/ドイツ)
マリオ・マンジュキッチ (ディナモ・ザグレブ)
マテ・ビリッチ (スポルティング・ヒホン/スペイン)
予備召集
GK:
マテイ・デラチュ (インテル・ザプレシッチ)
お知らせですが、今日発売された
どのクラブも抱えている問題が慢性的な財政不足です。それに加えてこのところの世界不況が追い打ちをかけ、新たなスポンサーがつかないどころか既存のスポンサーが契約通りに支払ってくれないケースも見受けられます。
また、各スタジアムを多元生中継で結ぶことで人気の高かったクロアチア国営放送の番組「Volim nogomet」(僕はサッカー好き)も打ち切りが決定。それまで脚光を浴びなかったクラブや選手の知名度がこの番組を通して上がったのにもかかわらず、各クラブが番組制作の経費を半分被らねばならない現状を渋り、全クラブが加盟する一部リーグ協会が一方的にクロアチア国営放送との契約を破棄してしまいました。各クラブに配給される放映権が年間380万円しか配られないのに、この番組の存在で客足が伸びず(シーズン前半で前年比35%ダウンの平均1950人)、各クラブの財政も逼迫。選手に毎月きちんと給与を払っているクラブも稀であります。
(写真は、広告となるクロアチア一部リーグのロゴタイプ)
となると、残された道は選手の売却。しかしながら、ある外国のクラブが一人のクロアチアの選手に関心を抱くと、ハイエナの如く代理人(もしくは代理人を偽る人物)が何人もしゃしゃり出てしまい、混乱のまま移籍話そのものをパーにするクロアチア"定番"の問題が生じてしまいます。ならば、クラブ間で直接交渉だ、と試みたところでも、ディナモを除くクラブのフロントはどこも交渉下手。市場価格を無視した移籍金の要求にあっさりと外国から袖にされるのです。
例えば、シベニクが3位で終える原動力となったFWエルミン・ゼッツ(21・写真)。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表に名を連ね、昨季は14ゴール、今季は前半だけで8ゴールを決める俊足FWですが、昨年夏に続き、この冬も移籍話がまとまりませんでした。
シュトゥットガルト、ヴェルダー・ブレーメン、ハンブルガーSV、ハノーバー、アヤックス、PSV、フルハム、ポーツマス、レッドブル・ザルツブルク…。関心を持つクラブは枚挙にいとまがないものの、どれ一つも正式なオファーが届かず。シベニクが要求する移籍金は、小クラブとしては法外と言える300万ユーロ。ディナモは適正価格の150万ユーロでオファーを送りましたが、シベニクはこれを拒否してしまいました。
ウィンターブレイク直前の試合をお別れムードで終え、年明けの合宿にも参加する予定のなかったゼッツ。2010年になってからシャフタール・ドネツクの移籍寸前と報じられましたが、シャフタールが補強対象を長身FWに急遽転換したことから流れてしまいました。
「もう移籍話なんて一切耳に入れたくない。完全に話がまとまった時に俺を呼んでくれ!」
と本人はおかんむり状態。遅れてチームの合宿に合流することとなりました。フロントは"エディン・ジェコがミランに移籍すれば、ヴォルフスブルクがゼッツを欲しがる"などと淡い期待をしたようですが…。
似たような迷走はオシエクにも言えます。ユースから育ててきた若手達が花開き、魅力的な攻撃サッカーでシーズン前半で4位につけたオシエクですが、実は財政難で昨年8月から選手達に給与を払えていません。元在籍選手からも未払給与を巡って訴えられており、現有戦力を誰か売らねば破産に追い込まれます。
そんな中、チーム内で最も市場価値が高いのが、U-21クロアチア代表で主将のDFドマゴイ・ヴィーダ(20)。彼に対してはディナモがリヨンに移籍したDFデヤン・ロヴレンの後釜として獲得に動いたものの、ディナモが考える移籍金(100万ユーロ)とオシエクが設定する移籍金(200万ユーロ)に開きがあり、その溝が埋まることはありませんでした。ならば彼を外国のクラブへ、と目論んだオシエクですが、どこからもオファーは届かず。ポテンシャルを考えれば、リヨンが850万ユーロの価値をつけたロヴレンよりもヴィーダの方が上。しかし、外国のクラブの大きな判断基準となるのは所属クラブの格であり、欧州カップにおける活躍度です。
ヴィーダ本人も移籍を急がないことから、オシエクのフロントは現在の彼の契約を厚くし、移籍金も高く設定しようと試みていますが、ヴィーダ側の条件として未払給与の解決がサインの大前提。中には未払給与を諦めることでオシエクとの契約を破棄し、退団した選手もいます。FWカルロ・プリモラッツ(25)はそのようにしてディナモへ、DFスロボダン・ストゥラナティッチ(23)はイストラへ去りました。
これだけ厳しい財政下なのに今年のオシエクはトルコのアンタルヤ合宿を敢行しました。理由は一つ、アンタルヤに集結するクラブに自前の選手を売却するためです。実際に使えるか判断してもらうため、交渉相手のチームの練習や試合に選手を直接参加させることも可能です。しかし、オシエクのフロントは"売却"命で、選手の気持ちまで思いやれるフロントではありません。
オシエクのスポーツ・ディレクター、ドラガン・ヴコヤはFWアントニオ・フルンチェヴィッチ(25)をカザフスタンのシャフチョール・カラガンダへ売却する話をまとめました。しかし、辺境地でプレーしたくないフルンチェヴィッチは、シャフチョールのテストマッチでわざと監督に気に入られないプレーをすることで移籍話を潰してしまいました。これにはヴコヤ・ディレクターも"クラブに恥をかかせやがって!"と激怒。重い罰則を科す、なんて顛末も起きました。
この冬に唯一移籍がまとまった選手が、ヨシップ・クネジェヴィッチ(21・写真)。左足の技術に優れ、昨季は7アシストで同ランクのリーグ2位につけ、今季は5ゴールも決めている司令塔です。当初はアンタルヤ合宿に来ているロシア一部のFCモスクワと70万ユーロの移籍金で移籍に合意しました。しかし、FCモスクワはメインスポンサー撤退のため、一部リーグ参加を急遽諦めたことで移籍話は頓挫。チームメイトが去った後もアンタルヤに残ったクネジェヴィッチは、最終的にアンタルヤに来ているロシア一部のアムカル・ペルムへ50万ユーロで移籍することが決まり、4年契約を結びました。それに対するヴコヤ・ディレクターのコメントが何とも印象的です。
「彼がFCモスクワに移籍することで我々が得るはずだった金よりも少ないが、これも悪くはない」
最後にもう一つのケースを紹介しましょう。
クロアチアの超名物監督、
しかし、上海空港に到着するや、僕はホテルに泊るのではなく、地元選手が寝泊りする合宿所へと連れていかれることを知った。そんな話は当初なかったよ。"中国人はそんな感じで、時間が幾らか必要である人種だから"とベセクは私を宥め、初日は彼も一緒に合宿所で寝泊りしてくれたんだ。
すると、この移籍をまとめたはずのブラジェヴィッチJr.(チーロの息子で代理人)は、"まだ移籍話が完全にまとまっていない。翌日まで我慢してくれ"と渡しに言ってきた。そして彼は"契約書はできており、中国語から英語に訳すだけだ"と説明したんだ。
3日目にようやくホテルに移ったが、もらったカードキーは全く使えない。レセプションに聞くと、僕が宿代を払わないと駄目だと言われた。ブラジェヴィッチJr.に連絡したものの、またして言い訳だ。しかし、彼は"会長との交渉の席がもたれることになった。それから契約書にサインだ"と説得してくれたのさ。
しかしながら、その後、中国人が僕に提示した年俸がかなり少なくなっていることをブラジェヴィッチJr.が伝えてきた。僕は聞く耳を持たず、荷物をまとめ、国に戻ろうとしたよ。ベセクはもう少し我慢するよう頼んできた。ブラジェヴィッチJr.も僕のために戦うと約束してくれた。けれども日々は過ぎるだけで何も起こらなかった。
最初の時点から他の誰かが金銭の一部を奪おうとしているのがハッキリした。あそこではフロントで働く人々が報酬を得る代わりに、選手の移籍から金をかすめ取るんだ。その輪に4人の人物がいて、奪った金額が70万ユーロにも上る一方で、僕への年俸は価格破壊を試みる。それを知った僕は怒り狂ったよ。許すことができず、もうサインなどしないと伝えたのさ。
クロアチアでは4回に渡る練習試合で、僕が得点を決められなかったことでチーロが構想外にしたとも報じられているそうだが、第一、僕は4試合も出ておらず2試合のみ。それもチーロならではの3-5-2システムで、2試合とも右アウトサイドでプレーした。中央へ行けないのにどうやって点を取るのと言うのだね?!
僕に中国に来るよう勧めたことをベセクは最後に謝罪をした。目に涙を溜めながら。もう誰にも苦情を言うつもりはない。ブラジェヴィッチ親子に対してもね」
これぞ中国。サッカー界の幹部が八百長に携わる国ならではのエピソードです。上海では毎日2~3人の選手がテストに来たそうですが、合否の判定は監督やコーチではなくフロント。そこでは代理人が対戦相手のDF陣に賄賂を渡し、テスト対象の選手にゴールを決めさせることで契約に導かせるとか。なにしろ、ムヤノヴィッチが上海で見た6試合の練習試合全ての相手が同じだったそうで(笑)
この話を聞くと、移籍金を高く吊り上げるだ、給与が未払いだ、フロントが勝手に移籍がまとめるだ、といったクロアチアのサッカー界はまだまだ可愛いものに思えてしまいます。
ちなみにムヤノヴィッチはレギヤ・ワルシャワのテストを受けるべく、合宿地のキプロスに渡っているようです。

