2008年05月26日
5月24日、クロアチア代表にとってはユーロ大会前の最初の親善試合となる対モルドバ戦が、リエカのカントリーダ・スタディオンで行われました。
2年前のワールドカップでは大会前に4試合も親善試合を組んだことで、選手の疲労が溜まるだけでコンディション作りに失敗(かつ食中毒事件も発生しました)。その反省から今回は試合はモルドバ戦と31日のハンガリー戦のみに留めました。移動を極力減らすように、最初の合宿地ロヴィニュから一時間余りのリエカにて開催しています。
シーズンの疲れが残るMFクラニチャールとMFスルナ、また背中の怪我から完全に復調してないFWペトリッチ、膝を痛めているDFクネジェヴィッチが欠場しました。前回のスコットランド戦と同じく左SBにプラニッチを配置し、ボランチにはディナモ・キエフの移籍が明らかになったヴコイェヴィッチを初先発。初めてモドリッチが右MFに入り、ラキティッチが左、そしてツートップはオリッチとリエカ出身のブダンが並びました。スタメンは以下のようです(4-4-2)。
GKプレティコサ-(右から)DFチョルルカ、コヴァチ弟、シムニッチ、プラニッチ-MFモドリッチ、コヴァチ兄、ヴコイェヴィッチ、ラキティッチ-FWブダン、オリッチ
モルドバは格下とはいえ、ユーロ予選ではボスニア・ヘルツェゴビナをアウェーで、ハンガリーをホームで倒し、またトルコとも引分けていることから、試合前日の記者会見でビリッチ監督は
「モルドバは我々が予選で戦ったエストニアよりも強い相手だ。本物のテストとなるだろう。もしかしたらこの時期には強すぎる相手かもしれない…」
とまで評価していました。現役時代はオリンピアコス、ジェノア、アトレティコなどでプレーしていたドブロヴォリスキ監督は以下のスタメンを敷いてきました(4-4-2)。
GK St.ネマスコ-DFラスケノフ、ラベジャ、エプレアヌ、ゴロヴァテンコ-MFズメウ、Se.ナマスコ、ガティカン、コムリオノク-FWブガイオフ、フルンザ
合宿スタート以来、フィジカル強化のハードメニューをこなしたことや、シーズン疲れもあって、選手たちの足は極めて重かったわけですが、それでも終始ゲームを支配。右からはモドリッチとチョルルカ、左からはラキティッチとプラニッチがサイドアタックを仕掛けます。プラニッチはこの試合でもサイドバックの適応能力を見せ、チームとして左右の攻撃バランスが取れるようになりました。ユーロを最後に代表引退を表明しているコヴァチ兄の後継者とされるヴコイェヴィッチも、汚い仕事をこなしつつ、左右にパスを散らす役割を務めました。
3分、相手のパスミスをカットしたオリッチが左から対角線にシュートするも、ボールはポストの右へ。7分にはヴコイェヴィッチが左に展開し、ラキティッチが持ち込んでシュート。しかし、これもポストの左を逸れてしまいます。
モルドバは噛ませ犬だけに終わらず、パスを綺麗に繋ぎながらボールを運ぶものの、ゴール前で決定的な仕事をする選手が見当たりません。決定力不足はクロアチアも同様で、16分にモドリッチからエンドライン際から右クロスを通すと、ニアでブダンが合わせるもボールはクロスバーの上に。21分にはブダンが右サイドでキープして背後のモドリッチに戻すと、モドリッチはノートラップでクロス。フリーで待ち構えたオリッチがヘディングシュートしますが、GKの正面に終わります。29分にはラキティッチが相手陣内でエプレヌスのボールをカットし、そのままミドルシュートを放ちますが、GKネマスコは好反応でコーナーに逃れます。
その直後のコーナーでようやく試合の均衡が破れました。ラキティッチが右から正確でスピードのあるコーナーキックを蹴り込むと、ニアサイドでコヴァチ兄(写真)が捨て身でヘディングシュートを叩き込み、先制に成功します。
前半に放ったシュートは計9本。疲れがありながらも、それぞれが仕事をきちんとこなした45分間でした。
後半頭からセンターバックをヴェイッチとシミッチのコンビに代え、FWもオリッチからクラスニッチに交代します。前半はオリッチが積極的にフォアチェックを仕掛けていたのですが、クラスニッチ-ブダンのツートップは守備意識がそう高くないため、モルドバが楽に自陣でボールを回せるようになります。
クロアチアは57分、プラニッチの左クロスからGKの目の前に現れたクラスニッチがボレーシュートを放ちましたが、間に入ったDFにカットされます。その直後は先制点と同じようにラキティッチのCKからコヴァチ兄がヘディングシュートするもポストの左に。
59分にコヴァチ兄に代えて、この試合が代表デビューとなるポクリヴァチュを投入。左サイドバックにて彼をテストし、プラニッチが前方へシフト。ラキティッチが右MFに移り、モドリッチがボランチに入ります。また62分にはブダンに代わって、カリニッチが代表デビューを果たします。
72分、クラスニッチの右クロスにカリニッチがヘディングシュートを試みるものの、ボールに届かず。その直後にはヴコイェヴィッチに代わってレコがボランチに入ります。
シュートチャンスが無かったモルドバですが、75分にレコがペナルティエリア右で不用意にボールを奪われ、クロスに飛び込んだガティカンがボレーシュート。シュートはGKプレティコサの正面だったためにクロアチアは助かります。80分にはエリア内で繋がれ、途中交代のFWアレクセイエフが近距離でシュートするもプレティコサがセーブ。85分にはアンドロニッツがミドルシュートを放ちますが、ポスト左へと逸れていきます。
あわよくば同点で終わるところでしたが、コヴァチ兄の虎の子のゴールを守りきって1-0で勝利しています。モルドバ相手に1-0という数字だけ見れば悲観的でしょうが、この時点では結果はさほど関係なく、新たなオプションが生まれている分、ポジティブに捉えてもいいでしょう。
試合後、ビリッチ監督はテレビのインタビューで
「前半には満足している。不要なミスが幾つかあったとはいえ、選手たちはアグレッシブかつ正確なプレーをした。決定機や美しいアクションもあったしね。ただし、後半には満足してないよ。これまで一度も一緒にプレーしたことないチームだった。デビューを果たした選手たち(カリニッチ、ポクリヴァチュ)も少し不安定だったし、足も重かった。でも私は選手たちを信じているし、リフレッシュした後はもっと良くなるだろう。準備は三段階からなり、これからの第二段階は少し疲労も少なくなるはずだ」
とコメントしています。今後はスロベニアのブレジチェ/チャティジュにキャンプ地を変え、グループでの戦術練習を繰り返し、31日にブダペストでハンガリー戦。一日休暇を与えたのち、オーストリアのキャンプ地へ入ってからはコンディション調整の緩めの練習になります。
posted by 長束恭行 |07:32 |
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2008年05月24日
ユーロ開幕まであと半月となりました。
クロアチア代表も合宿が始まり、いよいよ本番が近づいていた感があります。
クロアチア代表の一番のスターはモドリッチでもなくクラニチャールでもなく、監督のスラヴェン・ビリッチ。UEFAの機関紙で掲載された記事によると、最もセクシーなサッカー界の人物として、ティエリ・アンリ、リオ・ファーデナンドに次いで三番目にランクイン。彼は法学部を卒業したインテリなのですが、優等生といった雰囲気がありません。ネクタイは緩めに結び、耳にはピアス、そして趣味はロックギター。このほど出版されたビリッチの自伝の副題も「サッカーとロックンロールの話」となっているほどです(写真・右中央)。
「音楽は私にとってバルブ(弁)のようなもので、それを通してフラストレーションを解消、もしくはエネルギーを貯めているんだ。音楽がこの世に無かったなら、私はサッカー選手もやっていなかったかもしれない。試合に行く際に自分の車に座ると、ラジオを回したり、好みのCDを掛ける。そうすると必要なアドレナリンが湧いてくるんだ。試合に負けた時は、ギターがいつも私を支えてくれる」
そう語るビリッチが自分に最も影響を残したバンドに挙げるのはGuns N' Roses。ハードロックを愛する彼は、Muse、Jet、The Strokes、Coldplayといったグループを今は好んで聞いているようです。ウェストハムでプレーしていた時には、ウェストハムの大ファンでもあるIron Meidenのベーシスト、スティーブ・ハリスと感激の対面をお互い果たしたなんてこともありました。
ビリッチは既にクロアチアでプロのギタリストとしてデビュー済み。最初は「NewEra」というバンドで演奏し、それからスプリトの仲間と結成したハードロックバンド「Rawbau」で2004年にCDデビューを果たしました。
その「Rawbau」がユーロ本大会に向けて、クロアチア・サポーターの応援ソングを作りました。作詞・作曲はもちろんスラヴェン・ビリッチ。世界広しといえど、代表監督が応援ソング、それもロック調で作ったのはビリッチ一人と言えましょう。
タイトルは「VATRENO LUDILO」(炎の狂気)。本人はあくまで「趣味の範囲で作った」と言いましたが、一日掛けてPVをスプリト旧市街に近い一角で撮影。そのCDは日刊紙Jutarnji-listの付録となり、後日にはギタリストとしてのビリッチ・ポスターまで付録につきました(写真)。
この「VATRENO LUDILO」のPVはYoutubeで見ることができます。もちろんビリッチ本人がギタリストとして出演しています。
「VATRENO LUDILO」(炎の狂気)
(歌詞)
Zajedno smo bili 98. Svijet je cuo za nas,
I jos nam sjaji bronze sjaj, Kada padali su Japan, Nizozemska, Rumunjska, Njemacka
I sada deset godina posli, Opet ista nada, Isti imamo san,
Spremam stvari, ruksak, rebe, a na prsima sahovnica, sahovnica, sahovnica,
Vatreno ludilo kad krene, Vatreno,
Sve neka gori kad kroz vene Crven bijeli plavi krene
Crven bijeli plavi krene
(日本語訳)
1998年、俺たちは一緒だった。世界は俺たちのことを耳にしたのさ。
今でも銅(※1)の輝きは俺たちに輝いているぜ。日本、オランダ、ルーマニア、ドイツが倒れていった。
あれから10年が経過した。また俺たちは同じ希望、同じ夢を持っている。
荷物は準備した。リュックサック、ジーンズ、そして胸にはシャホヴニッツァ(※2)、シャホヴニッツァ、シャホヴニッツァ。
炎の狂気、動き出すぜ、炎よ(※3)。
レッド、ホワイト、ブルー(※4)が血管を流れ、全てを燃やしてしまえ。
流れるレッド、ホワイト、ブルー。
(※1) ワールドカップ・フランス大会で3位になったため
(※2) クロアチアのトレードマークである赤白チェック模様のこと
(※3) クロアチア代表のニックネームは「Vatreni」(炎)
(※4) クロアチアの国旗の三色を上から挙げたもの
個人的にはビリッチとは2年前に知り合っています。アサノヴィッチへのインタビュー取材のコーディネートで彼のレストランへと訪れると、ビリッチとボクシッチが一緒にいたのです。私がクロアチアに住み着いた経緯を話すと喜んでくれ、拳を差し出してくれました(ビリッチは仲間と拳をぶつけ合うのを好みます)。
それから間も無く、他の取材コーディネートで訪れたリエカのホテルで午前にばったりビリッチに会い、いきなりのインタビュー申し入れにも関わらず、夕方に時間を作ってくれました。当時の彼はU-21クロアチア代表監督で、「アサノヴィッチと一緒にJリーグで指揮してみたい」と言っていたのが印象的でした(写真)。
昨年の6月、今度はザグレブのホテルのロビーでばったり会い、ちょうどスプリトへと戻ろうとするところでした。一年前にインタビューしたことを記憶しており、「貴方が築いた代表のプレースタイルに熱狂している」なんてことを話した覚えがあります。ヴァトレニ世代、いわゆる98年組の選手に何人もインタビューをしましたが、その中でも一番スマートな人物という印象があります。
posted by 長束恭行 |04:21 |
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2008年05月17日
元名古屋グランパスのアンドレイ・パナディッチ(写真)が、来季のLASKリンツの監督になることが明らかになりました。
今季まで指揮したダクスバッヒャー監督が来季からオーストリア・ウィーンを指揮することで、LASKリンツは新たな監督を探していました。イヴィツァ・オシムやミロスラフ・ブラジェヴィッチらの名前も後任に挙がっていたのですが、白羽の矢が立ったのはパナディッチでした。パナディッチはトップチームのみならず、スポーツディレクターとしてユースチームやアマチュアチーム、アカデミー運営からスカウトまで全権を任されるそうです。
パナディッチは名古屋グランパスを退団後に怪我もあって引退(詳しくは私のHPのインタビューにて)。それから祖国クロアチアで監督ライセンスを取得し、昨季は自らキャリアをスタートした三部のラドニクを指揮。監督を離れてからは故郷のベリカ・ゴリツァのスポーツセンター運営に携わっておりました。LASKリンツには名古屋グランパス時代のチームメイト、イヴィツァ・ヴァスティッチが所属しており、シュトゥルム・グラーツ、名古屋グランパスに続いて同じクラブになるのは三度目、それも今度は監督と選手の関係になります。
LASKリンツのレイシェル会長は
「多くの監督候補と話し合いをしたけど、アンドレイを指名することに決めた。彼は特別なポテンシャルを持った指導者だという結論に至ったのだよ」
とコメントしています。
またクロアチアのメディアに事実確認を受けたパナディッチは
「そうだいよ。リンツは来シーズンに向けて大きな野心を持っており、一年契約で合意した」
と語り、主将ヴァスティッチの口添えがあったのかとの問いに
「もちろん。イヴォはシュトゥルム以来のチームメイトだ。そして日本でもね。義務に対する私のプロ意識を彼はよく認識してくれている。クラブが監督を私に決める際には、彼の言葉が大きく後押ししたのは間違いない。」
とコメント。経験不足に関して触れられると
「私にとってこの仕事は新しいものではない。長きに渡ってサッカーのキャリアを築いたし、クロアチア、ドイツ、オーストリア、日本で最高級のコーチ陣と仕事をしてきた。ここ三年間はプライベートでもコーチをしたが、ベリカ・ゴリツァのラドニクでも指導した。とはいえ、今回が一部リーグにおける私の最初の仕事だ。成功を望んでいるし、信頼に応えられるよう努力するよ」
と前向きに答えています。
引退後のパナディッチを取材した際にユースチームを指揮する場面を見ましたが、試合中でも怒鳴ることはなく、しっかりと対話で指導する場面が印象的でした。初めてトップチームの監督を担当したラドニクを離れる際も選手たちは彼を引き留めたと言います。なかなか国外で活躍するクロアチアの指導者は少ないので、クロアチアよりも環境のいいオーストリアで是非とも国際的名声を高めて欲しいものです。
16日、クロアチア・サッカー協会にて一部リーグ参加のためのライセンス認可に関して発表をしました。
UEFAが定めるプロチームの基準が厳しくなったのにつれ、クロアチア国内でも厳しい基準が求められるようになりましたが、一部昇格の可能性があるフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツを含めた13クラブが来季の認可を得ました。
そんな中、興味深いのは、来季一部リーグで使用するスタジアムは9つしか認められなかった、ということです。照明灯がないスタジアムは一部リーグでは使用できないことになり、そのためにザグレブはディナモの本拠地マクシミール、チバリア・ヴィンコヴチはオシエクの本拠地グラツキ・ブルト、ザダールはシベニクの本拠地シュビチェヴァッツ、フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツはヴァルテクスの本拠地ヴァルテクス・スタディオン、また昇格を果たしたクロアチア・セスヴェッテはカメン・イングラッドの本拠地カメン・イングラッド・スタディンオンを仮住まいすることになりました。もちろん、経費やサポートの面からクラブにとってはマイナスであり、急速に照明灯を設置するスタジアムが増える予定です。
(写真はザグレブの本拠地クラニチェヴィチェヴァ・スタディオン)
国内二冠達成したディナモ・ザグレブに色々とオファーの話と噂が舞い込んでいます。昨日の記事で書いたように、グラスゴー・セルティックは正式にMFオグニェン・ヴコイェヴィッチに対して移籍金500万ユーロのオファーを送りました。このオフに売却は濃厚とはいえ、シャフタール、アヤックスに加えてフィオレンティーナも獲得競争に加わっているようです。
FWマリオ・マンジュキッチにはランスが冬以来、オファーを出しているもののクラブと代理人は拒否の方向。更にヴェルダー・ブレーメンが1000万ユーロを積んだという噂もあります。またDFフルヴォイエ・チャレには移籍金300万ユーロでヘーレンフェーンが獲得の噂があり、実力以上の移籍金だけに売却の可能性があり。またヴォルフスブルクはMFアンテ・トミッチに200万ユーロの移籍金を積んでいると言われています。トミッチは今季ギリシャ一部のザンティにレンタルされており、そこでヴォルフスブルクが眼をつけたようですが、この額ならば売却の可能性は十分にあります。更にMFミキッチにはパナシナイコスが300万ユーロで、DFエトーは200万ユーロでヘルタ・ベルリン、FWバラバンにもオランダのクラブからオファーの話があるとのこと。ここ一年でディナモが稼いできた移籍金は欧州のクラブでも五本の指に入り、選手売却で私腹を肥やすマミッチ副会長はまだまだ選手を売り続けるようです。
ラジェン・ラディッチ監督率いるクロアチアU-21代表は現在、マレーシアでのU-23代表の国際大会に参加しています。元々は北京五輪参加国向けの大会であり、北京五輪予選で早くに脱落したクロアチアはU-21代表を送りました。しかし、クロアチアはがディナモとハイドゥクが14日にクロアチア・カップを戦った関係で、初戦のオーストラリア戦にはわずか13人しか選手を送れずじまい。試合も0-3と敗北してしまいました。この後は18日にトーゴ、20日にチリと対戦予定です(ちなみにこの二ヶ国はカメルーン、アルゼンチンの代替出場)。
posted by 長束恭行 |05:14 |
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