2008年08月25日
12年ぶりのナイトゲーム~クラニチェヴィチェヴァ・スタディオン
クロアチアの首都ザグレブにはディナモ・ザグレブの陰に隠れた「NKザグレブ」というクラブがあります。クロアチアで取材を初めて以来、ディナモのマクシミール・スタディオンに次いで訪れるスタジアムが、ザクレブの本拠地クラニチェヴィチェヴァ・スタディオンです。8月24日、真新しい照明塔が立てられ、まばゆいばかりの光の下で試合が行われました。今季のクロアチア一部リーグは照明塔がないスタジアムでの試合開催が許されず、NKザグレブは第3節のハイドゥク・スプリト戦でマクシミール・スタディオンを間借りしていただけに、5節目にしてホームの試合を自らのスタジアムで初めて開催したことになります。 19世紀末から20世紀初めに活躍したクロアチアの詩人シルヴィエ・ストラフミール・クラニチェヴィッチの名前を冠した通りにあることから、クラニチェヴィチェヴァ・スタディオン(正式にはStadion Kraniceviceva)と呼ばれるこのスタジアムは、実に古い歴史を持っています。(写真はクラニチェヴィチェヴァ通り)
コンコルディアというクラブが今のクラニチェヴィチェヴァに本拠を構えたのが1914年。スタディオン・コンコルディエと呼ばれたスタジアムでしたが、第一次大戦には軍に接収されてバラックが建てられ、1919年に土地が返却された時にはまったくスタジアムとして使えないものでした。 戦後に再建が始まり、南東欧では初めての照明塔が設置された近代的スタジアムが1921年に作られます。当時としてはザグレブ最高のスタジアムであり、ユーゴスラビア代表や独立国クロアチア代表の試合をはじめ、数々の試合の会場となりました。 そして第二次大戦後はザグレブ・スポーツ同好会の本拠が構えられ、同時にNKザグレブの本拠地となりました。ピッチが芝となったのは1958/59シーズンとはいえ、木製の客席はマクシミールから持ちこれまたもの。しかしながら、1977年11月29日、新スタジアム建設計画の最中にその木製の客席が大火事に見舞われてしまいます。ユーゴ時代、そしてクロアチアが独立した以降も大規模なスタジアム建設が生まれるも全てが頓挫。最近はスタジアムを商業地区に変えて、本拠地をザグレブの南に移転する計画が出たのですが、これはクラブを支持する人たちによって大きな反対を受け、何とか生き延びてきたのです。
なぜかピッチの周囲にはトラックではなく、自転車用のバンクがある風変わりな造り。クラニチェヴィチェヴァ通りに面していた壁が倒れ、今ではそこが鉄柵なためにタダ見も可能です。かつては入り口の看板すらも壊れていたオンボロ・スタジアムですが、ここ最近はメインスポンサーであるザグレブ市の援助もあり、昨年には木製のベンチのような客席がプラスチックの背もたれ付きの椅子となり、穴が空いていた階段もトタンで覆われるようになりました。まだまだ他国のスタジアムと比べたら貧相とはいえ、ジャーナリスト用の席までも設けられるまで成長してきました。 収容人員8000人と言われていながら、きっと5000人も入らない小さなスタジアム。年金生活者の年間シートが100クーナ(約2250円。通常の年間シートは300クーナ)ということもあって、やってくる観客はコアなジイサンばかり。平均観客が1000人程度ながらマクシミール以上にクロアチアのサッカーがリアルに感じられる場所であり、やたらと馴染みの顔と会える場所ということで、個人的には大好きなスタジアムなのです。 そんな愛すべきクラニチェヴィチェヴァに8月21日、600万クーナ(約1億3500万円)をかけ、照明部分はフィリップス製という高さ36mの4本の照明塔が立ちました。クラニチェヴィチェヴァに照明塔が立ったのは初めてではありません。前述の通り、南東欧最初の照明塔が立ったのはこのスタジアム。また1987年にザグレブでユニバーシアード夏季大会が開催されたのをきっかけに、メイン会場だったマクシミールの照明塔が新たに建てられたのですが、マクシミールのお古をクラニチェヴィチェヴァが頂くことになりました。しかし、1996年に落雷に遭って故障し、使い物にならなくなった照明塔は倒れる危険性のため撤去されることになりました。以後、このスタジアムで試合が行われるのはあくまで日中だけに限られてきたのです。
私がザグレブに移り住んだのが2001年9月。到着してから2日後、最初に見た試合会場がクラニチェヴィチェヴァでした。もちろん照明塔がなかった頃です。2001/02シーズン、ズラトコ・クラニチャール監督(前クロアチア代表監督)の指揮下、開幕以来6勝1分で首位をひた走り、第8節で迎えた相手はトシュク。現代表のFWイヴィツァ・オリッチをワントップにした4-2-3-1システムがズバリとはまり、オリッチの4ゴールもあって8-0で爆勝(詳しくは当時のレポートにて)。その後も彼らはクロアチア・リーグを席巻し、初優勝を果たしました。 1991年のクロアチア独立以来、クロアチア・リーグで優勝したのはディナモ・ザグレブ、ハイドゥク・スプリトの二強以外はザグレブのみ。二部降格も経験もしていない、クロアチアでは強い部類に入るクラブです。それなのに照明塔もないオンボロ・スタジアムを我が家としていました。リーグ優勝後は財政難に陥り、破産寸前の苦しい時代を経験しましたが、ここ2シーズンはブラジェヴィッチ監督の下、しっかりと若手も成長してきました。金にモノを言わせるディナモが巨人ならば、ザグレブは広島みたいなもの、という表現が分かりやすいでしょうか。東京ドームよりも広島市民球場がボールパークらしいように。
私がよく出入りする場所からはこのクラニチェヴィチェヴァ・スタディオンが一望できます。毎日ベランダからどんな風に照明塔が立てられるのかをチェックしてきました。まずは土台が築かれ(もちろん配線なども)、四本の照明塔が運び込まれると、クレーンを使って8月20日に三本が立てられ、そして21日正午に最後の一本が立ちました。四本が立った瞬間には労働者が抱き合って喜んだそうです。 そして木曜日、金曜日とテストが繰り返されると共に、サッカー協会のライセンス委員会の試合開催の認可を待ちました。マクシミールを間借りすると電気代以外に二倍の経費が掛かることもあって(7万クーナ…約45万円)、自分のスタジアムで試合を、とクラブ側も願っていたのです。 同じくクラニチェヴィチェヴァでの試合開催を望む人たちもいました。ザグレブのサポータークラブ「ビエリ・アンジェリ(写真・"白天使"の意)」です。彼らは先日のハイドゥク戦ではマクシミールでの応援をボイコット。ラジオを聴きながら無人のクラニチェヴィチェヴァで応援を繰り返したのです。照明が点いた木曜日の夜には歓喜の余り、スタンドへと忍び込み、静かな夜空に煌々と光る照明の下で応援のコールを繰り返す数人のビエリ・アンジェリがいました。そんな彼らのコールが聞こえてくると、スタジアムを通い続けた仲として何となく嬉しさを共感できる気がしました。
試合開催のライセンスを取得し、24日にオシエク戦を迎えることができました。かつての照明塔が壊れる以前、つまり1996年の最後のナイターもオシエク戦だったとのこと。12年ぶりのナイターに集まった観客は2500人ほど。それでもいつもより倍の観客です。スタジアムにはザグレブ市長に就任以来、やたらとインフラ整備や箱物建設にこだわる"土建屋市長"ことミラン・バンディッチ(左)も現れました。彼とクロアチア・サッカー協会事務総長ゾリスラフ・スレブリッチ、そしてザグレブのかつての名選手ズラトコ・シュコリッチとジェリコ・スモレクらによって照明塔にスイッチが入ります。
マクシミールでカメラを構えると照明の暗さに悩まされるのですが、クラニチェヴィチェヴァの照明は2000ルクス以上。いつもと違う感覚に心躍りながらファインダーを通して選手を追いかけました。試合は88分、ヴグリネツの逆転ゴールで2-1で勝利。試合後、メインスタンドで顔なじみの伝説的サポーター"爺さん"(写真・彼愛用のNKザグレブのユニフォームには100の背番号と共に"DEDA"-"爺さん"とある)に挨拶するとこちらの手をギュッと握りしめてこう語ります。 「あの照明を見たかね! マクシミールよりずっと美しかったじゃろ。わしゃ、12年も待っていたんだ…」 このような熱い想いをしたスタンドのオールドファンはきっとたくさんいたことでしょう。 次のクラニチェヴィチェヴァでのナイトゲームは、ディナモとのダービーマッチ(9月14日)。この試合ではもっと多くのザグレブ市民が訪れ、オンボロ・スタジアムに似つかわしくないクラニチェヴィチェヴァの美しい照明に感銘を覚えることでしょう。

クロアチアで取材を初めて以来、ディナモのマクシミール・スタディオンに次いで訪れるスタジアムが、ザクレブの本拠地クラニチェヴィチェヴァ・スタディオンです。8月24日、真新しい照明塔が立てられ、まばゆいばかりの光の下で試合が行われました。今季のクロアチア一部リーグは照明塔がないスタジアムでの試合開催が許されず、NKザグレブは第3節のハイドゥク・スプリト戦でマクシミール・スタディオンを間借りしていただけに、5節目にしてホームの試合を自らのスタジアムで初めて開催したことになります。
19世紀末から20世紀初めに活躍したクロアチアの詩人シルヴィエ・ストラフミール・クラニチェヴィッチの名前を冠した通りにあることから、クラニチェヴィチェヴァ・スタディオン(正式にはStadion Kraniceviceva)と呼ばれるこのスタジアムは、実に古い歴史を持っています。
コンコルディアというクラブが今のクラニチェヴィチェヴァに本拠を構えたのが1914年。スタディオン・コンコルディエと呼ばれたスタジアムでしたが、第一次大戦には軍に接収されてバラックが建てられ、1919年に土地が返却された時にはまったくスタジアムとして使えないものでした。
戦後に再建が始まり、南東欧では初めての照明塔が設置された近代的スタジアムが1921年に作られます。当時としてはザグレブ最高のスタジアムであり、ユーゴスラビア代表や独立国クロアチア代表の試合をはじめ、数々の試合の会場となりました。
そして第二次大戦後はザグレブ・スポーツ同好会の本拠が構えられ、同時にNKザグレブの本拠地となりました。ピッチが芝となったのは1958/59シーズンとはいえ、木製の客席はマクシミールから持ちこれまたもの。しかしながら、1977年11月29日、新スタジアム建設計画の最中にその木製の客席が大火事に見舞われてしまいます。ユーゴ時代、そしてクロアチアが独立した以降も大規模なスタジアム建設が生まれるも全てが頓挫。最近はスタジアムを商業地区に変えて、本拠地をザグレブの南に移転する計画が出たのですが、これはクラブを支持する人たちによって大きな反対を受け、何とか生き延びてきたのです。
なぜかピッチの周囲にはトラックではなく、自転車用のバンクがある風変わりな造り。クラニチェヴィチェヴァ通りに面していた壁が倒れ、今ではそこが鉄柵なためにタダ見も可能です。かつては入り口の看板すらも壊れていたオンボロ・スタジアムですが、ここ最近はメインスポンサーであるザグレブ市の援助もあり、昨年には木製のベンチのような客席がプラスチックの背もたれ付きの椅子となり、穴が空いていた階段もトタンで覆われるようになりました。まだまだ他国のスタジアムと比べたら貧相とはいえ、ジャーナリスト用の席までも設けられるまで成長してきました。
収容人員8000人と言われていながら、きっと5000人も入らない小さなスタジアム。年金生活者の年間シートが100クーナ(約2250円。通常の年間シートは300クーナ)ということもあって、やってくる観客はコアなジイサンばかり。平均観客が1000人程度ながらマクシミール以上にクロアチアのサッカーがリアルに感じられる場所であり、やたらと馴染みの顔と会える場所ということで、個人的には大好きなスタジアムなのです。
そんな愛すべきクラニチェヴィチェヴァに8月21日、600万クーナ(約1億3500万円)をかけ、照明部分はフィリップス製という高さ36mの4本の照明塔が立ちました。クラニチェヴィチェヴァに照明塔が立ったのは初めてではありません。前述の通り、南東欧最初の照明塔が立ったのはこのスタジアム。また1987年にザグレブでユニバーシアード夏季大会が開催されたのをきっかけに、メイン会場だったマクシミールの照明塔が新たに建てられたのですが、マクシミールのお古をクラニチェヴィチェヴァが頂くことになりました。しかし、1996年に落雷に遭って故障し、使い物にならなくなった照明塔は倒れる危険性のため撤去されることになりました。以後、このスタジアムで試合が行われるのはあくまで日中だけに限られてきたのです。
私がザグレブに移り住んだのが2001年9月。到着してから2日後、最初に見た試合会場がクラニチェヴィチェヴァでした。もちろん照明塔がなかった頃です。2001/02シーズン、ズラトコ・クラニチャール監督(前クロアチア代表監督)の指揮下、開幕以来6勝1分で首位をひた走り、第8節で迎えた相手はトシュク。現代表のFWイヴィツァ・オリッチをワントップにした4-2-3-1システムがズバリとはまり、オリッチの4ゴールもあって8-0で爆勝(詳しくは当時の
私がよく出入りする場所からはこのクラニチェヴィチェヴァ・スタディオンが一望できます。毎日ベランダからどんな風に照明塔が立てられるのかをチェックしてきました。まずは土台が築かれ(もちろん配線なども)、四本の照明塔が運び込まれると、クレーンを使って8月20日に三本が立てられ、そして21日正午に最後の一本が立ちました。四本が立った瞬間には労働者が抱き合って喜んだそうです。
そして木曜日、金曜日とテストが繰り返されると共に、サッカー協会のライセンス委員会の試合開催の認可を待ちました。マクシミールを間借りすると電気代以外に二倍の経費が掛かることもあって(7万クーナ…約45万円)、自分のスタジアムで試合を、とクラブ側も願っていたのです。
同じくクラニチェヴィチェヴァでの試合開催を望む人たちもいました。ザグレブのサポータークラブ「ビエリ・アンジェリ(写真・"白天使"の意)」です。彼らは先日のハイドゥク戦ではマクシミールでの応援をボイコット。ラジオを聴きながら無人のクラニチェヴィチェヴァで応援を繰り返したのです。照明が点いた木曜日の夜には歓喜の余り、スタンドへと忍び込み、静かな夜空に煌々と光る照明の下で応援のコールを繰り返す数人のビエリ・アンジェリがいました。そんな彼らのコールが聞こえてくると、スタジアムを通い続けた仲として何となく嬉しさを共感できる気がしました。
試合開催のライセンスを取得し、24日にオシエク戦を迎えることができました。かつての照明塔が壊れる以前、つまり1996年の最後のナイターもオシエク戦だったとのこと。12年ぶりのナイターに集まった観客は2500人ほど。それでもいつもより倍の観客です。スタジアムにはザグレブ市長に就任以来、やたらとインフラ整備や箱物建設にこだわる"土建屋市長"ことミラン・バンディッチ(左)も現れました。彼とクロアチア・サッカー協会事務総長ゾリスラフ・スレブリッチ、そしてザグレブのかつての名選手ズラトコ・シュコリッチとジェリコ・スモレクらによって照明塔にスイッチが入ります。
マクシミールでカメラを構えると照明の暗さに悩まされるのですが、クラニチェヴィチェヴァの照明は2000ルクス以上。いつもと違う感覚に心躍りながらファインダーを通して選手を追いかけました。試合は88分、ヴグリネツの逆転ゴールで2-1で勝利。試合後、メインスタンドで顔なじみの伝説的サポーター"爺さん"(写真・彼愛用のNKザグレブのユニフォームには100の背番号と共に"DEDA"-"爺さん"とある)に挨拶するとこちらの手をギュッと握りしめてこう語ります。
「あの照明を見たかね! マクシミールよりずっと美しかったじゃろ。わしゃ、12年も待っていたんだ…」
このような熱い想いをしたスタンドのオールドファンはきっとたくさんいたことでしょう。
次のクラニチェヴィチェヴァでのナイトゲームは、ディナモとのダービーマッチ(9月14日)。この試合ではもっと多くのザグレブ市民が訪れ、オンボロ・スタジアムに似つかわしくないクラニチェヴィチェヴァの美しい照明に感銘を覚えることでしょう。
後半に入り、イヴァンコヴィッチ監督に渇を入れられたディナモの選手たちが目覚めます。55分、バラバン(写真)が左20mの位置でFKを得ると、ボールはワンバウンドして右ネットへと突き刺さって1点差。バラバン曰く、トレーニングでもこなしてきたセンタリングのパターンのはずが誰に触れることもなく、かつザダールGKイェジーナが判断を誤ったことで生まれたゴールとのこと。
その6分後にはロングパスを左サイドでもらったMFマンジュキッチがDF二人を引っ張りながらペナルティエリアへ侵入し、右足で右隅にシュートを決めて2-2と振り出しに。
71分にはDFフルゴヴィッチの縦パスをもらったバラバンがトラップでマーカーを外して縦へと突進し、角度のない左からシュートを決めて逆転に成功。これまでスランプでサポーターの槍玉に挙げれていたバラバンでしたが、この試合は覚醒した感がありました。一方、ザダールのイェジーナにとっては3失点いずれも反応のまずさによるものでありました。
そのイェジーナとU-21代表で正GKのポジション争いをしているケラヴァはトマソフの強烈なミドルシュートを止めると、終了間際も素晴らしい飛び出しでゴールを救い、ディナモの勝利に貢献しました。
水曜日にチャンピオンズ・リーグ予備戦三回戦で、2点ビハインドの状態にてシャフタール・ドネツクを迎えるディナモにとっては2点差を繰り返す縁起の良い試合となりました。
またザダールの司令塔であり、ビッグチャンスを作ったMFトマソフに対して、ディナモの副会長ズドラヴコ・マミッチは200万ユーロの移籍金を提示したとのこと。ザダールの実権は外部協力者のレノ・シノヴチッチ(代理人業にも手を染めるビジネスマンで、いわゆるサッカーマフィアの一人)に握られているのですが、試合前、ハーフタイム、試合後の三度に渡ってシノヴチッチにトマソフを譲るよう説得したようです。しかし、シノヴチッチは
「トマソフを売ることに問題はないが、彼に関するオファーを私は5つ持っている」
としてオファーを拒否。マミッチは
「これほどの額のオファーを拒否するなど、私にとって理解不能だ」
と愚痴をこぼしています。
また前の記事で、ディナモのMFフランク・マンガ・グェラが退団に際して、MFアンテ・トミッチ(写真)が練習中に人種差別発言をしたという話に触れましたが、昨日、トミッチがディナモのクラブハウスで公式記者会見をしました。
自動車の修理を巡ってグェラと喧嘩をしたことは認めたものの、人種差別発言に関しては否定しています。
「人生を通して決して"黒んぼ"なんて言葉を発したことがないんだ。グェラにも言ったことはないし、誰に対しても言ったことはない。そんな教育を僕は受けていないよ。両親が僕に人種差別的な考えを植えつけたことなんてなかった。彼が車をぶつけたことは許したとしても、彼の重い批判は許すことはできない。練習中の衝突に関しては、グェラが僕を殴ってきた。チームメイトが止めなかったら、もちろん僕もやり返すつもりだった」
グェラとトミッチのどちらが本当のことを言っているかは分かりませんが、昔からトミッチは私に対してフレンドリーに接しているだけにグェラのインタビューを最初に聞いた時には正直辛いものがありました。ちなみに3年の契約を残していたグェラの退団に関しては、代理人とマミッチ副会長の間で合意に達しており、人種差別に関しても訴えることはないと報じられています。
10位に甘んじるハイドゥク・スプリトは、2位スラヴェン・ベルーポをホーム、ポリュゥド・スタディオンに迎えました。
開始7分、DFチャバルの左FKからあっさりとFWユリッチのヘディングシュートを許し、ハイドゥクは先制点を奪われてしまいます。
とはいえ、ハイドゥクはホームの意地もあって主導権はしっかりと手中に。20分、FWカリニッチ(写真)が相手をかわしながら中央突破し、左サイドに走り込んだFWバルトロヴィッチにスルーパス。しかしながら、バルトロヴィッチのシュートはGKロディッチの正面を突いてしまいました。
34分にはカリニッチがMFビレンをかわしてGKと一対一の形を作るものの、ロディッチの飛び出しで防がれてしまいましたが、40分、MFアンドリッチの右CKのボールにバルトロヴィッチがヘディングで触れ、それからゴール前のカリニッチが右足で合わせて同点に追いつきます。
後半もハイドゥクがチャンスを作れど、なかなかゴールが生まれない状況でしたが、70分に縦パスに抜け出したカリニッチがペナルティエリアでボールをカットしようとしたDFログリに倒された形となりPK。これを右に蹴り込んで勝ち越すと、その7分後にも右クロスに飛び込んだカリニッチをログリが引っ張り倒したとしてPK。これもまた右に決めてハットトリックを達成しました。
カリニッチの活躍で3-1で勝利を収めたハイドゥクは、第1節のザダール以来の勝利となり、7位に浮上しています。
ザダール同様、照明塔が設置されて今季初めて本拠地クラニチェヴィチェヴァ・スタディオンで試合を行ったザグレブはオシエクと対戦。私も今季初めてザグレブの撮影取材をしてきました。
前半はお互いが組織立った攻撃ができず、またシュートミスやパスミスの連発でに閉塞状態にはまった試合でしたが、後半から試合が動きます。
53分、オシエクのMFクネジェヴィッチが左サイドから突破し、エリア内でポストとなるFWプリモラッツに当てようとしたボールがザグレブのDFメフメダギッチに跳ね返され、それがワンツーの形になって貰い返したクネジェヴィッチが右下隅にシュートを決め、オシエクが先制に成功します。
しかし、ザグレブも60分に俊足FWピシュコールを投入するとエンジンが掛かり、71分、DFチュトゥラが得意のミドルシュートを放ち、オシエクGKスケンデルのキャッチミスもあって同点に追いつくと、88分、MFペイッチの左クロスにFWヴグリネツ(写真右)がヘディングシュートを叩き込んで逆転に成功。ここぞという仕事をこなすベテランの助けもあって、ザグレブが2-1で勝利し、3位へと浮上しています。
全試合の結果はこちらです。試合名をクリックするとクロアチア国営放送のダイジェスト映像が見られます。

