2008年07月28日
波紋を呼ぶフルゴヴィッチ(元ジェフ千葉)のディナモ入団
ジェフユナイテッド千葉を退団したDF/MFミルコ・フルゴヴィッチ(29・写真)が、18日、ディナモ・ザグレブと3年契約を結びました。年俸は30万ユーロと言われています。左サイドバックのポジションが手薄なディナモにとっては格好の補強なのですが、これが連日に渡って大きな波紋を呼んでいます。 ディナモの宿命のライバル、ハイドゥク・スプリト在籍時にはサポーターのトルツィダから「ハイドゥクの魂」の賞を授けられたことのあるフルゴヴィッチですが、その頃はディナモ憎しの態度をあからさまにし、フットサルの大会では乱入したディナモ・サポーター(BBB)の一員を蹴っ飛ばした事件もあり(動画)、今回の移籍劇にはBBBからの激しい拒否反応が出ています。 入団会見ではスポーツ・ディレクターのゾラン・マミッチが 「ミルコはハイドゥクから直にディナモに来たわけではなく、むしろジェフからやって来たのだ」 とまず制しました。フルゴヴィッチ本人は 「日本から僕が戻ってきた時、メディアは私のハイドゥクへの復帰話をまるで3ヶ月前にはキャプテンではなかったように、これまで決して僕がハイドゥクに在籍していなかったかのように取り上げていた。ハイドゥクからは誰も連絡を寄越してくれなかったしね。 ハイドゥクは新たなページを開くことに決め、特定の理由で僕を欲しないのだと理解した。とはいえ、僕はハイドゥクからの連絡と説明を期待していたんだ。そんな中、ディナモはきちんと具体的にコンタクトをしてきた。僕をこれまで支えてくれてきた家族と友人たちに相談し、ディナモへと来ることを決めたんだ」 とコメント。ちなみにハイドゥクがフルゴヴィッチの復帰に動かなかったのは、彼の代理人であるショショ氏が曰くつきの人物であり、FWルカビナに移籍をそそのかし、クラブに損害を加えたのが理由と言われています(ただし、今回のフルゴヴィッチの移籍にショショ氏は絡んでおらず)。ディナモへの移籍に関してはスプリトでも反発が出ており、契約前日に行われたUEFAカップ予備戦「ハイドゥク・スプリトvs.ビルキラカラ」の試合中にはトルツィダが10分間近く、フルゴヴィッチに対する抗議を行い、またFWカリニッチも「彼がディナモに行くなんて信じることができない」と怒りのコメントを残しました。 BBBのシャグド会長は 「誰も彼の入団を容認する気はない。一年前にトルツィダと一緒に"ディナモは嫌いだ。あれはセルビアの名前だ"と歌っていたのに関わらず、今は聖なるディナモのユニフォームを着て、30万ユーロの年俸を稼ごうとしている。クラブは彼の入団を可能にしたかもしれないが、我々にとっては間違いなく苦しみであり、諸手で喜ぶようなものではなんだ。同じく"ハイドゥクの魂"を受けたボシュニャクもディナモにやってきたが、彼はディナモのサポーターに対して原始的な振る舞いはしなかった。フルゴヴィッチは一年前にディナモを嫌っていたのに、今の奴は金のためにディナモに来やがった」 と表明。チーム練習にはBBBの妨害を防ぐために警官が立会っている状況ですが、23日のリンフィールドとのチャンピオンズ・リーグ予備戦では、BBBがフルゴヴィッチとズドラヴコ・マミッチ副会長への抗議の意味を込めて36本もの発炎筒を投げ込み、よもや試合中止に追い込まれる可能性もありました。 BBBの態度にはマミッチ副会長も激怒。25日に今季の欧州カップ戦とハイドゥク戦以外は全試合無料入場の約束を反古にしただけでなく、二日後に控える開幕戦の対リエカ戦を無観客試合でやることを表明。これに対してBBBは「こんなやり方はクロアチアでサッカーの死を意味する。ディナモはマミッチの保有物ではない」と反発。無観客試合の表明から2時間して、ディナモはマミッチ副会長の発言を撤回し、急遽チケットを刷ることで観客を入れることになりました。 しかし、BBBの怒りは収まらず、マクシミール・スタディオンにフルゴヴィッチに見立てた首吊り人形をぶら下げるまでに至りました(写真)。警察も動き出すというレッドゾーンに突入した状況で、27日のリエカ戦ではフルゴヴィッチは初めてディナモ・ザグレブのユニフォームを着て先発起用されました。
BBBが構えるゴール裏とバックスタンドからは「フルゴヴィッチ(もしくはマミッチ)のジプシー野郎、スヴェティニャ(スタジアムのある地区)から出て行け!」とのシュプレヒコールが上がり、フルゴヴィッチがボールを持つたびにブーイングの嵐。またして発炎筒が立て続けに放り込まれ、フルゴヴィッチがCKを蹴る際には携帯やライター、ガラス瓶などが投げつけられました。 とはいえ、良心的なディナモのファンが構えるメインスタンドや、バックスタントの一部からはBBBの振る舞いに対してブーイングを起こし、フルゴヴィッチに温かい拍手が送りました。またフルゴヴィッチは兵士だった父親を独立戦争で失っているのですが、一部の軍人協会はBBBを非難しています。 厳しい精神的プレッシャーだけでなく、チームメイトからボールをなかなか回してもらえないために、フルゴヴィッチは本来の出来とは程遠い内容だったのですが、試合後の彼はこのように述べています。 「このような歓迎があることに心構えはしていただけに、プレーのみを考えるようにしていた。最後は上手くいったと思う。私の人生においては何も楽なことはなかった。これもまたそう。唯一残念なのは家族だよ。クロアチア軍の服を着て亡くなった夫を持つ私の母親にとって、"フルゴヴィッチのジプシー野郎"と叫び声をテレビで聞くのは好ましくなかっただろう…」 フルゴヴィッチにはイバラの道がまだまだ待っているでしょうが、彼自身が言うようにハートあるプレーで支持を培って欲しいと思います。 そのディナモはチャンピオンズ・リーグ予備戦一回戦でリンフィールド(北アイルランド)と対戦しています。 初戦(7/16)のアウェーマッチは開始19分、DFドゥルピッチのロングボールが新加入のチリ代表MFモラレスに届き、一人交わしてから正確なスルーパスをMFマンジュキッチに通し、これを彼が決めて先制。その後は追加点が奪えない苦しい展開になりましたが、56分にこの試合が公式デビューとなるユース上がりの19歳MFバデリが登場。決定的なチャンスを作ったり、二度に渡ってシュートを放つなどフレッシュなアピールをします。 追加点は90分、ドゥルピッチが彼ならではの弾道の低い直接FKを決め、アウェーマッチであることを考えれば安全圏といえる2-0で試合を終えました。 しかし、雨中に行われたホームでの第2戦(7/23)は冴えない結果となりました。開始3分にMFチャゴのパスを受けたMFマンジュキッチが先制ゴールを決めたものの、以降はさっぱりの内容。モラレスが欠場し、ゲームメイクできる選手がいない中、FWバラバンは相変わらずのブレーキ状態。 54分にリンフィールドはFKからガールトがフリーでヘディングシュートを決めて同点に追いつくと、77分、途中交代のディナモのMFマレシュがペナルティエリアで明らかなハンドを犯しましたが、これはスペインのブルール主審が認めなかったことでディナモは救われました。試合は1-1でドロー、トータル3-1で一回戦を突破したとはいえ、昨年同様にほろ苦さを残したまま、またしてスロベニアのドムジャレと二回戦で対戦することになります。

ジェフユナイテッド千葉を退団したDF/MFミルコ・フルゴヴィッチ(29・写真)が、18日、ディナモ・ザグレブと3年契約を結びました。年俸は30万ユーロと言われています。左サイドバックのポジションが手薄なディナモにとっては格好の補強なのですが、これが連日に渡って大きな波紋を呼んでいます。
ディナモの宿命のライバル、ハイドゥク・スプリト在籍時にはサポーターのトルツィダから「ハイドゥクの魂」の賞を授けられたことのあるフルゴヴィッチですが、その頃はディナモ憎しの態度をあからさまにし、フットサルの大会では乱入したディナモ・サポーター(BBB)の一員を蹴っ飛ばした事件もあり(
BBBが構えるゴール裏とバックスタンドからは「フルゴヴィッチ(もしくはマミッチ)のジプシー野郎、スヴェティニャ(スタジアムのある地区)から出て行け!」とのシュプレヒコールが上がり、フルゴヴィッチがボールを持つたびにブーイングの嵐。またして発炎筒が立て続けに放り込まれ、フルゴヴィッチがCKを蹴る際には携帯やライター、ガラス瓶などが投げつけられました。
とはいえ、良心的なディナモのファンが構えるメインスタンドや、バックスタントの一部からはBBBの振る舞いに対してブーイングを起こし、フルゴヴィッチに温かい拍手が送りました。またフルゴヴィッチは兵士だった父親を独立戦争で失っているのですが、一部の軍人協会はBBBを非難しています。
厳しい精神的プレッシャーだけでなく、チームメイトからボールをなかなか回してもらえないために、フルゴヴィッチは本来の出来とは程遠い内容だったのですが、試合後の彼はこのように述べています。
「このような歓迎があることに心構えはしていただけに、プレーのみを考えるようにしていた。最後は上手くいったと思う。私の人生においては何も楽なことはなかった。これもまたそう。唯一残念なのは家族だよ。クロアチア軍の服を着て亡くなった夫を持つ私の母親にとって、"フルゴヴィッチのジプシー野郎"と叫び声をテレビで聞くのは好ましくなかっただろう…」
フルゴヴィッチにはイバラの道がまだまだ待っているでしょうが、彼自身が言うようにハートあるプレーで支持を培って欲しいと思います。
そのディナモはチャンピオンズ・リーグ予備戦一回戦でリンフィールド(北アイルランド)と対戦しています。
初戦(7/16)のアウェーマッチは開始19分、DFドゥルピッチのロングボールが新加入のチリ代表MFモラレスに届き、一人交わしてから正確なスルーパスをMFマンジュキッチに通し、これを彼が決めて先制。その後は追加点が奪えない苦しい展開になりましたが、56分にこの試合が公式デビューとなるユース上がりの19歳MFバデリが登場。決定的なチャンスを作ったり、二度に渡ってシュートを放つなどフレッシュなアピールをします。
追加点は90分、ドゥルピッチが彼ならではの弾道の低い直接FKを決め、アウェーマッチであることを考えれば安全圏といえる2-0で試合を終えました。
しかし、雨中に行われたホームでの第2戦(7/23)は冴えない結果となりました。開始3分にMFチャゴのパスを受けたMFマンジュキッチが先制ゴールを決めたものの、以降はさっぱりの内容。モラレスが欠場し、ゲームメイクできる選手がいない中、FWバラバンは相変わらずのブレーキ状態。
54分にリンフィールドはFKからガールトがフリーでヘディングシュートを決めて同点に追いつくと、77分、途中交代のディナモのMFマレシュがペナルティエリアで明らかなハンドを犯しましたが、これはスペインのブルール主審が認めなかったことでディナモは救われました。試合は1-1でドロー、トータル3-1で一回戦を突破したとはいえ、昨年同様にほろ苦さを残したまま、またしてスロベニアのドムジャレと二回戦で対戦することになります。
トゥドールは引退会見にて
「この4~5年間に渡って蓄積してきた健康問題もあり、キャリアを終えようという考えが私の中に長きに渡って存在していた。昨日は何とか痛みを耐えながら練習をしたが、既に自分の中では以前より現役を退く決定を下していたんだ。痛みと常に生き、薬を飲みながらプレーすることで、もう健康を害することはできない。非常に残念だが、この先、現役を続けるのは不可能だ。
(最後の)トレーニングはチームメートのため、そして全てのために終わりまでやり遂げたかった。しかし、もう決めたことなんだ。引退の決心は楽ではなかったが、もう苦しみたくはないんだよ」
とコメントを残しています。
様々な怪我に苦しんだトゥドールでしたが、最後は2006年8月にユベントスのキャンプ中に痛めた右足首に雑菌が入り込んだのが致命的となりました。二度の手術を経てから2007年夏にハイドゥクへとやって来たものの、開幕前の親善試合で左足首を傷めて3ヶ月半欠場したのち、最後の公式戦となった3月8日のディナモ戦で右足首を痛めていました。
ハイドゥクのヴチェヴィッチ監督は
「私もまた同じく怪我のために30歳でキャリアを終えることとなった。それ以外の選択肢が見つからなかった時にね。健康のせいで、違う決定を下すことは許されなかったんだ。だからトゥドールのことは理解できるんだよ」
と同情のコメントしています。
イゴール・トゥドールは192cmの高さと正確なロングパスを持ち味にし、ストッパーだけでなく、右サイドバック、ボランチとしてもプレー。フランスW杯では最年少で代表チームに選ばれると、大会直後にユベントスに移籍。2000/01シーズンは25試合6ゴールの活躍を見せました。しかし、そのシーズンを境目に怪我で苦しむ日々が続き、日韓W杯も欠場。ユーロ2004とドイツW杯に出場したものの、精細のないプレーに終わりました。スプリトならではの気まぐれな性格も災いして、高いポテンシャルを最大限まで活かすことなく現役を終えてしまい、残念でありません。今後は指導者への道を考えているようです。
そのハイドゥク・スプリトは17日、UEFAカップ予備戦一回戦でビルキラカラ(マルタ)をホームに迎えました。ここ3シーズンはディナモの後塵を喫し、財政難に苦しんだハイドゥクですが、株式化に踏み切って以来は思い切った補強を進め、かつヴチェヴィッチ新監督も攻撃的なサッカーの信奉者であることから、その期待を寄せた20000人以上のサポーターがポリュウド・スタディオンに集まりました。
先制は3分、ザグレブから移籍したMFイブリチッチが18mの直接FKを決め、鮮やかなデビューを果たします。23分には同じく新加入の左SBストゥリニッチがグラウンダーでクロスを上げると、代表FWカリニッチが冷静に決めて2-0とリードを広げます。
後半55分には右SBルビルのクロスからFWブシッチがヘディングシュートを叩き込み、71分には「ハイドゥクのネドヴェド」とその才能を見込まれている16歳のMFティチノヴィッチ(写真)がデビュー戦ながらゴールを決め、4-0と順調に発進しています。
また同日にはスラヴェン・ベルーポもUEFAカップでマルタのマルサクスロックとアウェーで対戦。DFクルスティッチ(15分)、MFポルドゥルガチュ(29分)、FWテプリッチ(34分)、FWヴルチーナ(77分)のゴールで4-0と一蹴しています。
またハイドゥク・スプリトは21日、オーストラリア代表MFヨシップ・スココ(32)と契約しました。クロアチア移民である彼にとっては9年ぶりのハイドゥク復帰。1995年から99年までハイドゥクに在籍したのちは、ヘンク(ベルギー)、ゲンツレルビルリギ(トルコ)を経て、2005年からヴィガン・アスレチックとストーク(いずれもイングランド)でプレーしていました。セントラルハーフのプレイヤーで、オーストラリア代表歴は51試合。契約期間は2年となります。
リエカには右MFイゴール・ノヴァコヴィッチ(29)がトムスクから復帰。また代表歴のあるMFフィリップ・タパロヴィッチ(32)も1年+オプション1年で契約しました。
その一方で、昨季のトップスコアラーだったFWラドミール・ヂャロヴィッチ(25)がステアウア・ブカレストに4年契約で移籍しています。
私のホームページでも取り上げている元ディナモ・ザグレブのFWドマゴイ・アブラモヴィッチ(27)が、このほどフィンランド一部のFCインテル・トゥルクと年内いっぱいの契約を結びました。昨季前半は三部のロコモティーヴァでプレーし、冬にインテルのテストを受けて合格したものの契約交渉が上手くいきませんでした。改めて両者が接触し、入団の運びとなりました。
彼から入団が決まったとの連絡が届き、昨日は携帯メールで連絡を取り合ったのですが、まずはフィンランドで結果を残して、それからより良いオファーを待つとのこと。クロアチア・ユース代表の常連だった彼は困難なキャリアを送っていますが、まだ27歳ですので、北の地で花開いて欲しいところです(入団を報じるFCインテルの
昨日、お陰さまで無事に旅行から戻ってきました。旅行という意味でも、取材という意味でも興味深いバルト三国12日間となりました。それぞれに抱えるサッカーのお国事情というのがあり、またサッカーを通してでもメンタリティの違いを感じました。また想像以上にインフラが整備されており、ピッチに関してはどこも良好。サッカーのレベルも決して低くはなく、ラトビアのメタルルグ・リエパーヤやベンツピルスのように好チームと出会うこともありました。問題は国民の関心の低さで、エストニアでは一部リーグのトップチームなのに観客が70人、なんてこともありました。
ノートパソコンは荷物を軽くするために置いていったのですが、時間を持て余すこともそれなりにあったので、記事を書きながら随時アップしていけば良かったのかも、と反省する次第であります。またホームページのコンテンツなりで、写真と共にバルトのクラブシーンを紹介できれば、と思っています。
昨日はタリンから朝にヘルシンキへとフェリーで渡り、ヘルシンキ→ウィーン→ザグレブと飛行機で乗り継いで、試合開始10分前にクロアチア・リーグ開幕戦のカード「ディナモ・ザグレブvs.リエカ」に間に合わせました(タリンからでは間に合う便がないため)。フルゴヴィッチ(元ハイドゥク、ジェフ千葉)のディナモ・デビューとなったのですが、前日には彼に見立てた首吊り人形

