2011年07月13日

ユーロ2012開催でインフラ整備が進むポーランド

ヨーロッパで「ユーロ」(欧州選手権)はワールドカップと並ぶほどの盛り上がりをみせ、グループリーグからハイレベルな戦いとなる一大サッカーイベントです。ポーランド・ウクライナ共催となった「ユーロ2012」の開幕まで一年を切り、現地では着々と準備が進められています。

ウクライナは2008年に訪れ、ユーロ開催の準備が遅れている状況をレポートしていますが(「ユーロ開催は大丈夫? ウクライナの現状」、今回はもう一つの開催国ポーランドを取り上げます。私が滞在するリトアニアはポーランドの隣国にあり、6月中旬に友人訪問がてら同国のサッカーどころを巡ってきました。インフラ整備が着々と進むポーランド事情を写真と共にお伝えします。


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ワルシャワの文化科学宮殿前にはユーロの幟(のぼり)が立てられる。 開幕戦が行われるのが、ポーランドの首都ワルシャワ。ユーロ開催に合わせて改修が進められる中央駅の東に、高さ237mの文化科学宮殿が高くそびえています。宮殿の正面にはこうして幟が飾られていました。ポーランドの開催地はワルシャワのほか、ポズナン、ヴロツワフ、グダニスク。それぞれのスタジアムが花に見立てられています。
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文化科学宮殿の西側面には巨大なプラカードが。 この宮殿はスターリンから贈られた共産主義時代の象徴としてワルシャワ市民に嫌われた存在ですが、どこからも目に入るランドマークでもあることから、ユーロのプラカードがこうして掲げられています。
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建設が進められるワルシャワの国立スタジアム。 ポーランド語では「Stadion Narodwy」。老朽化して一時は闇市場と化していた「10周年スタジアム」(7万人収容)を取り壊し、ユーロ開催権を獲得した翌2008年から新スタジアムの建設が進められています。収容は58,145人。開幕戦を含むグループリーグ3試合、準々決勝と準決勝の会場となります。
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国立スタジアムの建設は半年の遅れ。 キエフの国立スタジアムは建設遅れが批判されていますが、ここワルシャワの国立スタジアムも建設が遅れ気味。設計ミスや死亡事故も発生し、本来は今年6月のフランス戦が柿落としとなるはずが間に合いませんでした。9月のドイツ戦すらも間に合わず、いずれもグダニスクで代替開催。遅れに遅れた工期は今年11月に終了する予定です。
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改修が終わったレギア・ワルシャワの本拠地「ポーランド陸軍スタジアム」。 レギア・ワルシャワはリーグ優勝8度、カップ戦優勝14度を誇る同国随一の名門。1916年、軍人によって創設された歴史の名残はスタジアム名から読み取れます。長年に渡って論議を重ねられたのち、2008年にスタジアム再建がスタート。半完成状態でも使用されながら、今年5月に最終的な完成となりました。真新しいのにもかかわらず、レギア・サポーターのシールが至るところに張られています。収容は31,103人。
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スタジアムに隣接されたファンショップ。 レギア・ワルシャワの人気の高さはグッズが充実したファンショップに入れば分かります。ディナモ・ザグレブでは地味な存在だったクロアチア人MFイヴィツァ・ヴルドリャク(27)が主将を務め、今や人気選手の一人として写真やユニフォームが店内に掲げられていました。隣接のミュージアムは入場無料。ミュンヘン五輪の得点王カジミエシュ・デイナの特別展示があります。スタジアム向かいにはサポーターショップもあり、ディープなマフラーやシャツも購入可能。レギア・サポーターは非常に熱狂的で、2007年のインタートトカップのヴァトラ戦(リトアニア)で2500人のサポーターが大暴れ(動画)。UEFAからレギアは欧州カップ追放の処分を受けました。ポーランドはフーリガン問題が未だに根強く残っており、国家的問題となっています。
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世界遺産に指定されたワルシャワ旧市街。 第二次世界大戦で徹底的に破壊された旧市街は昔と全く同じように再現され、1980年にはユネスコ世界遺産にも指定されました。広場にはカフェが並び、ユーロ開催中はサポーターで賑わうはず。私は売店で缶ビールを買い、飲みながら旧市街を歩いていたところ、ビラ配りのお姉さんに「気をつけなさい! 警察に見つかったら罰金よ」と忠告されました。新法律では公共の場所でアルコール飲料を飲むことは許されないそうで、大会開催中は多くのサポーターが罰せられるかもしれません。
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ポロニア・ワルシャワの本拠地「スタディオン・ポローニー」。 旧市街を抜けて北に10分ほど歩けば、1911年創立の古豪ポロニア・ワルシャワの本拠地に到着します。「スタディオン・ポローニー」は収容7,230人と小さいものの、戦時を連想させる迫力のこもった壁画に圧倒されました。木陰でこっそり飲んだ缶ビールで私はホロ酔い状態。レギア・ファンショップの土産袋を隠すのを忘れてスタジアム周辺をうろついたところ、ポロニアのサポーターと思わしき若者が「お前、こんなものぶら下げてここを歩くな! ボコボコに殴られるぞ!」と怒られてしまいました。宿敵レギアを侮辱する落書きも至るところに。サポーターは人種差別を嫌っており、のちにポーランド代表に登り詰めたナイジェリア人FWエマヌエル・オリサデベが活躍したクラブでもあります。
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王者ヴィスラ・クラクフの本拠地「スタディオン・ミエイスキー」。 21世紀になってから7度のリーグ優勝を誇り、昨季もリーグを制したヴィスラ・クラクフの本拠地。残念ながらユーロ開催地から漏れ、予備地止まりになってしまいました。2004年が増築・改修が始まり、私が訪れた際にはほぼ完了。残るは正面スタンド周辺の整備が残されていました。収容33,268人。かつてのヴィスラの名選手にちなみ、スタディオン・ヘンリク・レイマンという名前もあります。
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これまた最新のクラコヴィアの本拠地「ピウスツキ元帥スタジアム」。 ヴィスラの本拠地から1kmもない距離にも2010年完成の最新スタジアムがあります。ここを本拠地とするのがクラコヴィア。ヴィスラと宿敵関係にある中、1999年に4万人収容の共同スタジアム建設の構想が挙がったものの、両サポーターの反発によって流れてしまいました。ポーランド共和国建国の父の名前がついた最新スタジアムの収容は15,500人。ヴィスラの陰に隠れがちなクラコヴィアのサポーターは、同じくレギアの陰にあるポロニア・ワルシャワのサポーターと友好関係にあり、クラブそのものも1860ミュンヘンと提携を結んでいます。 この数年間でポーランド全土において13ものスタジアムが新築・再建されたとのこと。ユーロ開催が手伝って急速にインフラが向上しており、クラブ間の競争も激化しています。昨季のヨーロッパ・リーグでマンチェスター・シティに勝利し、ユベントスを差し置いてグループ突破を果たしたレフ・ポズナンが今季の欧州カップの出場枠を取れなかった事実一つとっても、その激しさが分かるというものです。リーグの関心も高く、レギア・ワルシャワで平均観客が2万人。またウクライナやロシアのように一部の選手年俸が突出せず、レギアで最高50万ユーロと、チーム経営も地に足がついています。現在のポーランド・リーグはUEFAランクで24位に甘んじていますが、ユーロ開催を契機に今後最も発展していく東欧リーグだと私は見ています。 最後にもう一枚、ワルシャワでの写真を。ユーロ2012のロゴでデザインされた花壇です。これからますますポーランドもユーロ一色になっていくでしょう。
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posted by 長束恭行 |21:21 | サッカーコラム | コメント(1) |
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2011年07月06日

伊野波が挑戦するハイドゥク・スプリトの実態

ご存知のように、日本代表DFの伊野波雅彦(25)が鹿島アントラーズからハイドゥク・スプリトに移籍しました。もちろん、彼には新たな場所での飛躍を願っているのですが、長年のクロアチアでの取材経験と情報蓄積から、私はツィッターを通してハイドゥクへの移籍に警鐘を鳴らし続けてきました。なぜ私が「サッカーのキャリアアップのためなら行くな」と言うのか。それはハイドゥク・スプリトが伊野波本人が期待するほど恵まれたクラブでも、踏み台になるクラブでもなく、むしろステップダウンに繋がる危険性があるからです。その理由をハイドゥクの実態を浮き彫りにしつつ、多角的に説明してきましょう。(長文注意)


●百年の伝統に見合わぬ素人経営
プラハ留学中の学生達による発案で地元スプリトにサッカークラブが誕生して100年。オスマントルコ支配時代に抵抗した義賊「ハイドゥク」にちなむクラブは激動の歴史を通して一度も名前が変わることなく、スプリト、そしてスプリトを主都とするダルマチア地方のアイデンティティそのものになりました。「スプリトの子供が最初に覚える言葉、それがハイドゥクだ」-ゴールを長く守ったGKトンチ・ガブリッチはそう述べています。ハイドゥクのエンブレムやハイドゥクへの愛情を綴った落書きが至るところにあり、スプリトの街そのものがサッカークラブなのでは、という錯覚を得るほどです(参考→今年2月13日の創立100周年の動画)。

nogomet-250286.jpgユーゴスラビア時代はツルヴェナ・ズヴェズダ(レッドスター)、パルチザン・ベオグラード、ディナモ・ザグレブと並ぶ四強の一角とされ、1970年代には先日亡くなった名将トミスラフ・イヴィッチの下で黄金時代を築きました。クロアチア独立直後の最初のシーズンも制覇。1994年にはチャンピオンズ・リーグ準々決勝に進出しています。日本でハイドゥクはまだまだ無名かもしれませんが、欧州ではきちんと名の通る名門クラブです。そうでなければ引く手数多のバルセロナを100周年記念試合(7月23日)に招待することはできないでしょう。

しかしながら、経営状況は決して芳しくありません。スポンサー難のこの時代、クロアチアでは選手売却を軸にしないとクラブ経営は成り立たないわけですが、ディナモと違って商売下手な彼らは選手価値が最も高いタイミングで売ることができません。移籍市場が冷え込んだ10年ほど前から主力選手を廉価、もしくはタダで手放す一方で、ユース上がりの生え抜きを重視せずに即席の補強を行う無計画経営で、借金がみるみる膨れ上がりました。登記上は「市民クラブ」だったハイドゥクを破産状態から救うため、2008年に借金を株式化してクラブを私有化。その株のほとんどをスプリト市と地元の富豪達が所有しています。すると今度は、スーパーマーケット経営で儲けてスプリト市長にまで登り詰めたジェリコ・ケルム氏、大口株主の富豪達が経営や補強に口出し始めてフロントは混乱状態に。代表歴のあるベテランや将来を嘱望される若手を高額年俸で獲得・契約し、個々が贔屓にするユース選手も次々プロ契約を結んだため、2010年初頭の契約選手は52人まで膨れ上がりました。再び借金体質となったクラブは主力を売らざるえず、この冬はMFセニヤド・イブリチッチ(→ロコモティーヴ・モスクワ、500万ユーロ)、DFイヴァン・ストゥリニッチ(→ドニプロ、400万ユーロ)ら代表クラスを売却する一方で、誰一人有力選手を補強せず。シーズン後半は首位ディナモに独走とリーグ六連覇を許すだけでなく、12試合で4勝しかできない無様な戦いぶりでした。

地元有力者の政治力が絡む会長職も2008年以降はころころ代わり、今のフルヴォイエ・マレシュ会長が5人目。32歳のマレシュ会長は今年4月に公募で選出された元銀行マンで、経営建直しの期待も寄せられています。一度は暗礁に乗り上げたバルセロナとの親善試合の話をまとめるべく、市場価値の最も高いFWアンテ・ヴクシッチ(20)を抵当にして銀行から招待料200万ユーロを調達。更に選手の年俸を歩合制にし、基本額の上限を10万ユーロに設定すると、契約変更を拒否した選手は否応が無しに二軍送りにしました。

昨季はメインスポンサー(胸スポンサー)すらなかったクラブのため、マレシュ会長はカールスバーグに続いてトヨタと交渉。ここで浮上したのが日本人の獲得案でした。つまり、マレシュ会長は「日本人選手=スポンサー」という一昔前の考えを持った浅はかなビジネスマンに過ぎません。トヨタとのスポンサー交渉は結局失敗に終わったようですが、会長自身が設定した上限とは反する年俸40万ユーロ(日本側報道)を伊野波に提示したという辺り、フロントにとって伊野波獲得は日本から何かしらの経済波及を期待していると言わざるえないでしょう。


●計画性のないチーム作り
かつてのハイドゥクはイヴィッチ氏の功績もあり、優れたユースを持ったクラブでした。しかし、サッカーがビジネス化し、ユースのディレクターやコーチへの干渉が通常化してから没落の一途を辿っています。親や親戚、代理人や後見人が金や物品をちらつかせたり、起用を巡って暴力を揮う事件すら発生。また、安い奨学金や年俸では選手の囲い込みができず、西欧やディナモに選手を奪われることもしばしば。更にスカウトの見る目もなく、スプリトに近いザダール出身のルカ・モドリッチを発掘するどころかテストで烙印を押したほど。ダルマチア地方は才能の宝庫でありながら、ユース選手を育てて売却するシステムが一向に築かれないのです。

nogomet-250289.jpg芽のある若手がトップチームに上がって来ても、彼らを試合で辛抱強く使うことも稀。ハイドゥクはここ数年、成績不振でシーズン中に監督が二度三度交代しており、継続的に若手がプレーするのは難しい環境にあります。とりわけ20歳前後の選手がサポーターからも極度のプレッシャーにさらされ、ホームで萎縮する場面が見受けられます。今年4月にフロントが新規一掃された際、マレシュ会長の右腕となるスポーツディレクターとしてミロ・ニゼティッチ氏が就任しました。彼はGKコーチとしてスプリトやユナク・シニュといった下部リーグを率いた程度で、フロントの経験はほとんどない人物です。そんな彼がこう述べています。
「今のチームを何も変えないことができた。しかし、それではサポーターに対して無責任だろう。昨季後半のチームは自信を失い、恐怖に脅えてしまった。結論としては競争を高め、必要なポジションの選手を予算を考慮して購入することだ。チームの"血に染まった"イメージをマレシュ会長と変えていくのさ」
国内の監督を浪費してきたハイドゥクは、一昨年に招聘したイタリアのベテラン監督エドアルド・レーヤ(現ラツィオ監督)の成功にあやかって再び外国人監督を起用することに。連れてきたのはブルガリア人のクラシミール・バラコフ(45)でした。選手としては名声を博しても、監督としてはスイスやブルガリアでこれといった成功を収めていません。年俸20万ユーロと手頃だったとはいえ、手腕が不確かな外国人監督に任せるのは素人経営ならではでしょう。

"血に染まった"イメージ一掃のため行われたのは、容赦のない若手切りでした。移籍金を得られたMFマリン・リュビチッチ(22歳→タウリア・シンフェロポル、20万ユーロ)、CBヨシップ・ブリャト(24歳→マッカビ・ハイファ、100万ユーロ)はまだしも、昨季13得点でU-21クロアチア代表のレギュラーでもあるFWドゥーエ・チョップ(21)を契約解消して無償でRNKスプリトに放出。その理由はバラコフが二度の練習だけで彼を見切ったためでした。同じくバラコフ監督に見切られたユース代表のCBマテイ・ヨニッチ(20)、SBゴラン・ヨジノヴィッチ(20)もレンタル送りとなりました。

逆に連れてきたのが、クロアチア移民を含めた外国人選手ばかり。オーストラリア代表歴のあるCBリュボ・ミリチェヴィッチ(30歳、無償)とモンテネグロ・リーグで二度得点王になったFWイヴァン・ヴコヴィッチ(24歳、40万ユーロ)は多少なりとも計算できそうなものの、無償で獲得したMFスティーブン・ルスティツァ(20歳・オーストラリア)、FWニコラ・サリッチ(20歳・デンマーク)、SBルベン・リマ(21歳・ポルトガル)は未知数。そこに加わるのが、2000万円の移籍金(+次回に200万ユーロ以上の移籍が発生した際の15%)を鹿島に支払って獲得した伊野波になります。

外国人選手が適応し辛いクロアチア・リーグで、果たしてこれらの補強に即効性や将来性があるかは極めて怪しいところです。とりわけハイドゥクを取り巻く文化は特殊で、外国人が直ぐに理解するのは難しいのですから。歴史を遡っても外国人選手(ユーゴ系除く)をハイドゥクが移籍金を発生させて売却したケースは皆無。以前に「佐藤寿人のディナモ・ザグレブ移籍を考察する」というレポートでも触れていますが、国外のスカウトが注目するのはクロアチア人やユーゴ系の若手です。ようやく失敗に気付いたディナモは不良在庫になりがちな南米選手の獲得を止め、今季は国内選手(+ボスニア)を補強しました。その一方で、ハイドゥクは伝統を否定し、手頃な外国人獲得にひた走っています。一年半前、当時のシュヴァグシァ会長は
「これまでのフロントは勇気がなかったが、我々は若い選手、ユース育ちの選手でチームを作っていくつもりだ」
と宣言したにもかかわらず、です。


●いびつで脆弱な現有戦力
伊野波がハイドゥクでレギュラーを獲れるか?と訊かれたら「100%大丈夫」と答えます。なぜならば、ディフェンスの選手層が極めて薄く、優れたライバルが少ないからです。昨季のハイドゥクの弱点は、とりわけFWと右SBの不在でした。シーズン前半はユース出身のFWヴクシッチが覚醒し、チャンスメイカーのイブリチッチが自ら得点を奪うことで、よもやのヨーロッパ・リーグ本選出場にこぎつけました。しかし、イブリチッチが冬に移籍し、十代のヴクシッチが壁にぶち当たると得点力は激減。今季はその穴を埋めるべく、モンテネグロ・リーグの得点王ヴコヴィッチに加えて、昨季のボスニア・リーグ得点王FWイヴァン・レンドゥリッチ(19)をレンタルから帰還させました。燻った存在のアフマド・シャルビーニ(27)も含めれば、FWの枚数は充分にあります。

nogomet-250287.jpg右SBに関していえば、昨季は一年を通してCBマリオ・マロチャ(22歳・写真)とMFミルコ・オレムシュ(22)を代用してきました。しかし、どちらも「帯に短し、たすきに長し」で、攻守にバランスの取れたSBではありません。昨季はザグレブでプレーしたブラジル人、ジェームズ・デンス(24)を無償で獲得したものの、私がザグレブで見ていた限りは守備が疎かで攻撃に偏った右SB。よってフロントが獲得を考えた日本人は右SBをこなせる選手でした(サンフレッチェの森脇も候補の一人)。伊野波は右SBが専門ではないとはいえ、今のハイドゥクならばレギュラーは堅いはずです。しかし、実際のところは右SBではなくてCBでプレーする可能性が高いようです。バラコフ監督は「跳躍力と一対一に優れた伊野波は、鹿島と同様に左CBでの起用を考えている」と語っています。

CBでの競争も伊野波は優位に立っています。ミリチェヴィッチ、マロチャ、伊野波、ユース出身のトミスラフ・グルマッツ(20)で回していくことになりますが、軸として期待されたミリチェヴィッチが左ふくらはぎの怪我で一ヶ月の離脱。グルマッツはワールドユースのクロアチア代表に召集されており、7月15日からチームを離れます。となると、この先一ヶ月はマロチャと伊野波のコンビで回すしかありません。マロチャは18歳でトップデビューし、190cmと高さがあるものの判断力の甘さが目立ちます。DFラインを統率するタイプではなく、言葉の壁もある伊野波といきなり上手くコンビが組めるか不安です。7月19日からクロアチア・リーグが始まり、7月28日からヨーロッパ・リーグ予選三回戦がスタートするため、8月末までの40日間で実に13試合をこなさねばなりません。チームの早い完成が望まれるものの、先のボスニア・ヘルツェゴビナ合宿では同国三部のトログラフ相手にすら2-3で敗れる始末。伊野波一人の獲得で解決する問題ではありません。GKのダニエル・スバシッチ(26)はクロアチア代表の第3GKをしばらく務めましたが、今年になってポカ癖が現れてスランプ状態。6月には代表からも外されてしまいました。

nogomet-250288.jpg中盤にも触れておきましょう。ハイドゥクの精神的支柱は主将のボランチ、スルジャン・アンドリッチ(31歳・写真)です。相手の攻撃を激しく摘むだけでなく、パスやミドルシュートにも優れたベテラン。ただ、問題は怪我がちなことで、昨季もシーズン前半の8~17節を欠場し、それと共にチームの勢いも低下していきました。彼とボランチを組む選手層も限られています。次代のプレーメイカーとして期待されるディンコ・トレボティッチ(20)、フランコ・アンドリヤシェヴィッチ(20)もシーズン通しての活躍は期待できず、ワールドユースにも召集される予定。マリオ・ブルクリャチャ(26)は怪我で離脱中。となると、ここも火の車状態で伊野波がボランチに借り出される可能性は充分あるでしょう。4-4-2の両翼を担当するのは個人技に優れたアナス・シャルビーニ(22)、マリン・トマソフ(23)、マリオ・ティチノヴィッチ(19)、クレショ・リュビチッチ(22)、そしてオレムシュになりますが、彼らはスター候補生に挙げられながら一向に覚醒しない選手ばかり。バラコフ監督は厳格な指導者のようですが、既に「ファンタジスタが欲しい」とこぼしつつあります。


●クロアチアは成長の場となるのか?
レベルの物差しとしてUEFAリーグランク(22位)を引き合いに出す人もいるでしょうが、これは欧州カップのポイントを基準としているため当てになりません。クロアチアより上位に位置するキプロス(20位)は外国人中心の年金リーグになってますし、下位に位置するポーランド(24位)はユーロ開催に伴うインフラ成長で上昇傾向にあります。本当に重要なのは、国内はどんなサッカーを志向し、どんな競争が行われているのか、です。

2011/12シーズンのクロアチア・リーグは、圧倒的な戦力を誇るディナモが優勝して七連覇を果たすでしょう。それだけの戦力差がリーグ内で存在し、それだけの政治力をディナモは持っているのです。来季は現行の16クラブから12クラブに削減されることで、今季の戦いで実に5クラブが二部落ちします。ディナモとハイドゥク以外は基本的に降格争いを強いられるため、リアリスティックな試合が続くはず。つまり、ディナモとハイドゥクと戦うチームはもっぱらカウンター戦術を敷き、数少ないチャンスで仕留めに行きます。守備が脆いハイドゥクは昨季、格下相手のカウンターの餌食になり、多くの勝点をこぼしてしまいました。そんな試合ばかりを通して伊野波自身がJリーグ以上の経験を得られるか私は甚だ疑問です。ディナモを除く小クラブのアタッカーよりも、Jリーグのブラジル人アタッカーが危険であり、彼らとのマッチアップで学ぶ方は多いはずです。概してクロアチア・リーグのサッカーは運動量は少なく、監督も次々と交代するために連携や戦術に深みはありません。

ならば欧州カップで経験を、と思うでしょうが、ヨーロッパ・リーグ予選三回戦を抜けたとしても最後の四回戦は格上を引くことになります。昨季は破産寸前のウニレア・ウルジチェニ(ルーマニア)を引いたお陰で本選出場を果たしたものの、今季もそんな幸運が訪れるとは限りません。とりわけ昨季前半のハイドゥクは、カップ戦を制したスタンコ・ポクレポヴィッチ監督とチームの骨格を前シーズンから引き継いでました。今回のバラコフ監督率いる新チームは、成熟しないまま予選で早々と散る可能性が充分過ぎるほどあります。

リーグ優勝も厳しい、欧州カップも2試合か4試合で終わり、監督が頻繁に変わって積み重ねは少ない、となると「代表で結果を残すためには、もう一段階レベルアップする必要がある」(鹿島公式より)と考える伊野波の甘い期待を裏切ることになります。ザッケローニの目からは遠くなるわけですし、ザッケローニも対岸国のリーグ事情は重々把握しているはずです。


●伊野波に待っているものとは?
日本人獲得を狙ったハイドゥクのフロント、海外挑戦を望む伊野波との利害が一致して生まれた今回の移籍劇。私が一番心配しているのは年俸の話です。前述の通り、ハイドゥクは緊縮財政のために年俸の基本額上限を10万ユーロとし、残る報酬は歩合制にしました。クラブ内の高給取りは契約変更を求められ、シャルビーニ兄弟、リュビチッチ、アンドリッチはこの条件を呑んだものの、代表歴のあるCBフルヴォイエ・ヴェイッチ(34)、SBマリャン・ブリャト(29)は受入れを拒否。合宿を前にして二軍送りとなりました。このようにフロント主導で年俸削減を選手に求める話は最初じゃありません。一年半前にも年俸20万ユーロを超える選手に契約変更を迫り、強硬手段として早朝と夕方に32kmグラウンドを走らせる罰を選手に強いました。ヴェイッチに関してはCBの層が薄くなったことで急遽、オーストリア合宿に合流することになりましたが、年俸削減の話合いは続けられる予定です。

そこまでチームメイトがシビアな状況に置かれている中、伊野波一人は特例が許されるのか、不協和音を生むのではないのかと心配です。マレシュ会長は違う額の情報を流しているようですが、こういう事実は直ぐに知れ渡るもの。金銭面は誰にとってもセンシティブな話です。言語的な障壁とは別に、新たな孤立を生むかもしれません。またハイドゥクで彼がセンセーショナルな活躍を見せ、他のヨーロッパのクラブが注目したところでもフロントは値段が釣り上がるまで待ちに待ちます(そしてタイミングを見逃します)。一度入ってしまったクラブを脱出することは決して容易いことではありません。

nogomet-250290.jpg生活に関していえば、スプリトはアドリア海岸に面したクロアチア随一の観光地で、気候も穏やかで食事も美味しく、人懐っこくも感情豊かな人々が多い土地です。「生き急ぐ必要はなく、今を楽しめ」という人生観を植えつけられるでしょう。もちろん、日本のようには整然としておらず、仕事っぷりも適当ですが、ハイドゥクと共に生き、ハイドゥクのために生きるスプリトっ子やダルマチア人から激励や刺激を受けることでしょう。有名なスローガンの一つ、「Hajduk živi vječno!」(ハイドゥクは永遠に生きる)を身をもって体感できるはずです。ただし、日本のようにサポーターが選手個々を応援することはなく、成績が落ち目になった時にはサポーターグループ「トルツィダ」の襲撃もあることを覚えておく必要があります。クロアチアは大の親日国家ではありますが、自分のことばかり気を掛け、ハイドゥクの名誉と誇りを賭けて戦う選手ではないと判断されると、執拗なブーイングを浴び続けることになります。

今月19日のシベニク戦でリーグは開幕し、23日の100周年記念試合バルセロナ戦はオマケみたいなもの。本当の山場は直ぐに来るヨーロッパリーグ予選であり、9月10日の第7節ディナモ戦です。ヨーロッパ・リーグ本選に進出できず、落とし穴になりそうな第5節ザグレブ戦、第6節スプリト戦で勝点を取りこぼしたならば、次のディナモ戦が早くもバラコフ監督の首が掛かる試合になります。それほど早いスピードで物事が展開していきます。海外移籍した事実に気分が浮つく時間もなければ、移籍したばかりなので、という言い訳する余裕すらもありません。ハイドゥクの選手になることは重圧であり重責なのです。


厳しいことをつらつらと書いてきましたが、海外挑戦、とりわけクロアチアの生活は人生観や価値観を変えるきっかけとなり、メンタルは必ずや鍛えられると思います。とかく即興性や適応力が問われ、感情を表にしなくては生きていけない国です。しかし、エゴ同士がぶつかるわけではなく、何かとコミュニケーションや横の繋がりを大事にします。クロアチアに渡った先人として三浦知良がいます。彼はディナモ・ザグレブでゴラン・ユリッチと出会ったのがきっかけで、「常に成長するため」に現役をどこまでも続けることを決意しました(プロフェッショナルより)。

現時点の私は伊野波のハイドゥク移籍に関して悲観的ですが、いずれはその経験がプラスに転じるものだと信じています。サッカー選手の人生は、サッカーを終えた後の方がずっと長いものですからね。私自身も一度切りの人生だと考え、好きだったクロアチアへ渡り、最初に抱いていた甘い幻想とは反する現実と日々戦いながら、あっという間に10年が過ぎました。そこで得た多くの友人、そして経験は今でも掛け替えのないものになっています。たとえクロアチアを離れてもクロアチア・サッカーは絶えずフォローしているので、これからの伊野波の挑戦を温かく見守ろうと思います。


(このレポートに関してリンクは自由ですが、メディアによる無断使用や転載、改竄は禁じます)


posted by 長束恭行 |06:00 | サッカーコラム | コメント(1) |
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2010年04月30日

クロアチア名選手のレストランを訪ねよう

たまにはクロアチア・サッカー界にまつわる小ネタを。

現役を終えた選手の多くが指導者の道に進むか、代理人業を営むことの多いクロアチア。中にはダヴォル・シュケルシルビオ・マリッチのようにサッカーアカデミーを経営する者もいます。
クロアチア人における最大の娯楽は、カフェでたむろし、友人とひっきりなしに談笑すること。それだけにカフェ経営やレストラン経営を始める元選手もいます。クロアチアも観光シーズンを迎えましたが、クロアチア旅行を機に彼らの店を訪ねてみるのもいかがでしょうか。

nogomet-156882.jpgまず日本のガイドブックにもよく紹介されているのが、ザクレブのカフェ・レストラン「ボバン」(Kavana-Restaurant "Boban")。ただ、ここはズボニミール・ボバン本人ではなく、父親のマリンコが経営者です。一階がカフェ、地下がレストラン。公式サイトでは「街で一番のイタリア・レストラン」となっていますが、スパゲティはちょっと…いただけませんね。
立地がとても良いため、旅行者だった頃は頻繁に行きましたが、ザグレブに住んでからというもの、さっぱりと行かなくなりました。ザグレブは同じくパスタやリゾット、もしくは肉料理を出すレストランが多く、もっと手頃で気軽に入れるところがあるからです。
また、ここでボバン本人と遭遇する率は高くないかも。街のど真ん中だけによく店の横を通るのですが、本人がカフェから出てきたところを見たのは一度だけ。ちなみに父マリンコは手広くレストラン経営をしており、郷土料理の「ヴィノドール」、魚料理の「コルチュラ」のオーナーだったりします。これらも中心部にあり、利用価値は高いレストランです。
時間があれば、レストランの南隣のブティック「レオナルダ」をちょこっと覗いてみて下さい。クロアチアでは知られたデザイナーのレオナルダ・ボバン、つまりズボーネの妻がデザインした女性服が売られています。男性の目から見れば、どこで着るの?と思うぐらい派手派手です(苦笑) ちなみにボバン家はなかなか子宝に恵まれず、4人の養子をもらっていますが、昨年11月に結婚15年目にしてレオナルダが娘ルージャを出産しています。


続いては、ダルマチア地方最大の都市スプリト。世界遺産に指定されているディオクレティアヌス宮殿跡はクロアチア観光の目玉の一つです。
今から4年前、アリョーシャ・アサノヴィッチにインタビューすべく足を運んだのが、彼が経営するカフェ・レストラン「アニカ」(Kavana-Bistro "Anika")。ここに行けば本人に会える、という情報の下、アポなしで訪れたら、アサノヴィッチだけでなくスラヴェン・ビリッチとアレン・ボクシッチにも遭遇した場所です。アサノヴィッチはフレンドリーな人物で、その後も「アニカ」で二度ほどインタビューさせてもらいました。ライターの宇都宮徹壱さんや元日本代表の前園真聖さんともインタビュー後に食事をした場所です。
また、
「日本には"浅野"というポピュラーな苗字があります。それだけに日本人にとって貴方の苗字はとても親近感が湧くんですよ」
と小ネタをアサノヴィッチ本人に教えたのも思い出です(笑)
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店に至るまでは少し小道に入らねばなりませんが、旧市街から近距離にあります。一階がカフェ、二階がレストラン。カフェは奥行きのあるスペースで、テラスも広々。カフェではダルマチア名物のカスタードプリン「ロジャータ」がお薦め。アサノヴィッチはあらゆる国でプレーし、あらゆる料理を知っているはずですが、レストランはあくまでダルマチア料理で勝負しています。思いのほか良質なレストランが少ないスプリトではとても貴重な場所で、プライベートだけでなく観光仕事でも使わせてもらいました。お薦めはアンコウを使った料理で、グリルやメダリオンで戴きます。アペリティフとなる地元リキュールも飲み放題というのも他にないサービスです。
アサノヴィッチは更に二軒のカフェバー「ル・モンド」「ル・モンドⅡ」も経営しています。そんな中、本人の出現率が最も高いのが「アニカ」。家族一同で食事するだけでなく、厨房のために買いっ走りもするとか。ちなみに店の名前は、娘のアナマリアと息子のアントニオ、妻のカタリーナにちなんだものです。アントニオはハイドゥク・ユースに所属するも父ほどの才能に恵まれない一方で、アナマリアは新進気鋭のデザイナーとして注目されています。3年間ミラノで勉強し、先頃、21歳にして初めてコレクションを行ったとか。
「自分の苗字は誇りに思っているけど、そのせいで得をしてるとか思われたのはちょっとね…」
とぼやく彼女ですが、彼女自身はサッカーに無知で、オフサイドも知らないようです(笑)
(写真は店内で撮影したアサノヴィッチ。左隣はお兄さんで、なんと日本の船会社で航海士をしてます)


nogomet-156884.jpgボバン、アサノヴィッチと共に1990年代のクロアチア代表の中盤を支えたテクニシャンといえば、もちろんロベルト・プロシネチュキ。彼が2007年春にピザをメインにしたレストランをオープンさせたことは知ってたものの、余り足を運ばない地域に店があるため、なかなか来店できずにいました。昨年秋から私も車を運転し始め、ザグレブの道も把握したことから訪れたのが、レストラン「プロシキート」(Restoran "Prosikito")です。
オープン時は「プロシキート&カリメロ」(Prosikito & Kalimero)という名称でしたが、今は「プロシキート」のみ。バルセロナやレアル・マドリッドでも活躍したプロシネチュキは、スペインでの知名度が高く、現役引退後もスペインのCMに出演しました。プジョーのCMにも登場したプロシネチュキをモデルにした人形が「プロシキート」と呼ばれ、一部でカルト的な人気があるようです(CMその1CMその2CMその3CMその4)。
ピザを食べようと先週の土曜夜に初めて訪れた際は、"土日はピザ職人がお休み"ということで他のメニューを選択することに。パスタやリゾット、肉料理のほか、スペイン料理も扱っており、イベリコ豚のプルシュートもメニューに掲載されていました。店内は木材使用の凝った作りとなっており、一角にはピザ専用の炭窯もあります。プルシュート入り平打ちパスタ、子牛肉のリゾットは共に合格点の味。
nogomet-156885.jpgそして昨日、ピザを食べに再び足を運びました。すると、屋外のテラスにプロシネチュキ本人がいるじゃないですか。4年前にインタビューしたこともあり、食後に挨拶することに決め、まずはピザを食べようと屋内へ。幾つも種類がある中、ハムやサラミ、チョリソ、ハラペーニョがトッピングの「サンチャゴ・ベルナベウ」(写真・38クーナ=約650円)を選択しました。いわずもがな、レアル・マドリッドの本拠地にちなんだピザです。ボリュームがある上、生地がもちっとしており、ピッツェリアが格段多いザグレブでも上位に入る味でした。クロアチアでは珍しく、スープ・メイン・サラダの日替わりランチメニューも45クーナ(約780円・平日のみ?)であり、レストラン・ボバンよりもコストパフォーマンスの高いレストランかもしれません。
食事を終えた時にはプロシネチュキは帰ってしまっており、挨拶をしそびれてしまいましたが、ウェイターに聞いたところ、
「彼はほぼ毎日来ているよ。午前にはビリッチが来たし(前日にバルサvs.インテルのTV解説でザグレブ入り)、昨日はボバンが来てたね。ツヴィタノヴィッチ、マリッチ、ユルチェヴィッチ…。ああ、現役ではディナモのバデリもよく来るね」
オープン・セレモニーの写真を見ると、確かにボバンも来ているよう。プロシネチュキをはじめ、サッカー関係者の遭遇率が最も高いレストランと言えましょう。
ボバンやアサノヴィッチの店はリンク先からホームページに飛べますが、まだ「プロシキート」のホームページがないため簡単な行き方を。トラムは2番・3番・13番が走るDonje Svetice駅で下車(中央駅からは8駅)。そこから北に同名の通りを100mほど行った左手にあります(地図)。営業時間は月曜~金曜が9時~23時半、土曜が9時~24時、日曜が12時~23時半となっています。関心がある方は是非。


最後に私もまだ訪れたことのないディープな場所を。火曜日のチャンピオンズ・リーグ「リヨンvs.バイエルン・ミュンヘン」でハットトリックを決め、すっかり時の人となったFWイヴィツァ・オリッチ。彼の出身地はボスニアとの国境に程近いスラヴォニア地方のダヴォル(Davor)という村ですが、普通のクロアチア人も耳にしたことのない人口2500人の田舎がオリッチのお陰で注目を集めています。
ダヴォルでは「イヴィツァ・オリッチ・ファンクラブ」が結成されており、ビッグマッチになると「クルチュマ・ダヴォル」(Krcma Davor)というカフェに彼の兄や妹も含めたサポーターが集まります。店内にはオリッチがこれまで所属した全クラブ、クロアチア代表のユニフォームが飾られており、試合前にはオリッチのポケットマネーでバーベキューが無料で振る舞われるとのこと。そしてオリッチが得点を決める度に全員がタダで飲物を注文できるそうです。
故郷を愛し、有名になっても天狗になることのないオリッチは地元の英雄で、チャンピオンズ・リーグ決勝の地サンチャゴ・ベルナベウではダヴォルから多数のサポーターが駆けつけるとか。そして、オリッチのユニフォームをかたどった巨大な幕を準備しているそうです。
ちなみにここまでの公共交通機関は地元のバス(Autoprijevoz Davor)しかありませんが、時刻表すらも見つけられませんでした…。どんな場所かは動画をご覧になって下さい。


posted by 長束恭行 |03:45 | サッカーコラム | コメント(0) |
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2010年04月10日

クロアチア前代表監督ズラトコ・クラニチャールとの再会

昨日の早朝、友人の見送りでザグレブ空港に行ったのですが、そこでばったり元クロアチア代表監督のズラトコ・クラニチャールと再会しました。クラニチャールも家族の見送りだったようで、挨拶をするや直ぐに私のことを思い出してくれ、「元気だったかい? まだザグレブにいるの?」と声を掛けてくれました。

nogomet-152510.jpg彼との最初の出会いは2005年11月、某テレビ局の取材の通訳で親善試合の行われるポルトガルまで足を運んだことでした。彼が率いるワールドカップ予選や親善試合はほぼ全試合、カメラマンとして取材していたものの、実際に話すのはこの時が初めて。酒好きの彼は二日酔いの状態でしたが、ワールドカップ出場を決めたスウェーデン戦で、スルナがPKを蹴る場面を見ずに後ろを向いたシーンを回想してくれ、喜んで再現してくれたものでした。

あれから一ヶ月後、抽選会で日本とクロアチアが同じ組となり、私は数多くのメディアの通訳コーディネーターとして何度も何度も彼のもとに足を運ぶことになりました。思い返してみればストーカー同然でしたね(苦笑) クロアチア、香港、スイス、スロベニア、オーストリア、ドイツ…。クロアチア代表が行く先はどこにでもついていきました。メディア側の要望でわざと宿泊先を代表チームと同じにすることもあり、実に迷惑だったと思います。そして日本のメディアが準備する彼に対する質問もほとんど同じでした。
「日本代表にはどんなイメージを持っているか?」
「日本代表で警戒している選手は誰か?
「クロアチアのキープレイヤーは誰か?」
「息子のニコのことをどう思っているか?」
「親子で戦うワールドカップは?」
回数を重ねる度に私も申し訳なくなりましたが、「クロアチア・サッカー界の良心」とも言うべきクラニチャールは嫌な顔一つせずに応えてくれたものです。たまには"前にも君に話したように…"と始まることもありましたが(苦笑)
意図的に曲解して彼のコメントを報道した一部メディアのせいで、"日本のことを舐めている"と誤解を抱いた方もいるかもしれません。先日のセルビア代表の来日でもそうでしたが、"戦う前から舐められる"ことを極度に嫌う日本人をそうやって煽る手法は一部メディアの常套手段です。そんな間違ったイメージを与えないよう、インタビュー前から彼をリラックスさせようと当時は努めたものでした(それでも日本で改めてつけられる日本語訳や、吹き替えで悪いイメージを与えるのは可能だったりします)。またクラニチャールも私を可愛がってくれ、お酒を一緒にすることもあれば、代表練習に加わったこともありました。

今だから明かしますが、春頃になると取材攻勢は段々とエスカレートしてしまい、クラニチャールの携帯番号を入手した日本メディアは深夜だろうが構わず連絡したがため、番号を変えるハメになってしまいました。私はクラニチャールに直接連絡を取ることなく、正規にクロアチア・サッカー協会の広報を通して取材を申し入れていたものの、私が知らないところで日本の某メディアがインタビューの謝礼金を広報に払ったがため、以降はクラニチャールのインタビューが有料になってしまい、取材に障害をきたすようになったことも。また私自身、メディア間の摩擦にも巻き込まれ、心身共に疲労していたのが事実です。

nogomet-152513.jpgクラニチャールも本大会が近づくと、重圧から避けるかのようにアルコールに走っていた感があります。元来、明るくフレンドリーな性格で誰とでも杯を交わしながら、サッカー談義をする人物ですが、国民全体の期待を一身に集めたワールドカップは当事者をそれほどに追い込むビッグイベントです。
しかし、クロアチア・サッカー協会が収益を上げるためにワールドカップ前に親善試合を組みすぎてしまい、選手達は移動ばかりが続いて疲労が重なってしまいました。6月に入ってからは食中毒も発生し、劣悪なコンディションで迎えた初戦のブラジル戦。最初から初戦を捨て試合にし、日本とオーストラリアの試合で勝点6を得るシナリオが現実的だったのですが、ブラジルとのガチンコ勝負に挑み、好試合ながら0-1で敗北。そして灼熱のニュルンベルクにおける日本戦と繋がったわけでした。

「私も日本戦はニュルンベルクのスタジアムで観戦しました。クロアチアにとっては残念な結果でしたよね」
4年が経過した今、ザグレブ空港にてクラニチャールに聞くと、
「ああ、私も残念だったよ」
と悲しげでもなく、既に遠い過去のように振り返りました。
ワールドカップ後はメディアや世論の総叩きに遭い、追い出されるかのようにクロアチア代表監督の座を退く羽目に。一年間の休養ののち、UAEのアル・シャーブに契約したもののオーナーと選手起用を巡って半年間で退団。その後はザグレブ郊外のセスヴェッテ、スロバキア一部のドゥナイスカ、イランのペルセポリスと渡り歩き、2009年1月からは再びセスヴェッテの指揮を任されたものの一試合も戦わずに退団。同クラブのズバク会長から退団の理由がアル中だと暴露され、再び表舞台から遠ざかることになりました。
その代わりに彼の情熱はサッカー・アカデミー創立に向けられ、「クラニチャール・サッカー学校」を親子で立ち上げました。そして今年2月、モンテネグロ・サッカー協会のデヤン・サヴィチェヴィッチ会長から打診を受け、同国の代表監督に就任したのです。

nogomet-152511.jpgまだクラニチャールは53歳。指導者としても一旗も二旗も挙げられる年齢です。ワールドカップ後の4年間は紆余曲折だったようで、当時と比べるとかなり老け込んだ感はあります。しかし、クロアチア代表監督だったあの頃のエネルギッシュさを表情に取り戻していました。ユーロ予選ではイングランド、スイス、ブルガリア、ウェールズと同組。ランキングでは最弱国となります。
「モンテネグロには非常に優れた選手がいる。ヴチニッチ、ヨヴェティッチ、ヴクチェヴィッチ…。この代表監督の仕事は大きな挑戦だよ。ワールドカップ予選でモンテネグロは10試合のうち6試合を引分けたが、情熱と勝利のメンタリティがあればどの試合も勝利できたはずだ。ディシプリン、とりわけ守備面のそれを修正すれば、モンテネグロは非常に危険なチームとなるはずだ!」
そう就任時に語っていたクラニチャールは、初陣となるマケドニアとの親善試合を1-2で落としたものの、ゲーム内容には監督の彼もサヴィチェヴィッチ会長も満足する内容だった模様。クロアチアとモンテネグロは戦争当時国ですが、旧ユーゴスラビア時代から名FWとして誉れ高いクラニチャールをモンテネグロ国民は温かく迎え入れており、また親善試合でマケドニア記者陣とも長くサッカー談義を交えたらしく、「なんて素晴らしい人間だ。うちの前任者のスレチコ・カタネッツ(元スロベニア、マケドニア代表監督)とは全く反対だ」と言われていたそうです。

「モンテネグロでの成功を祈っています!」
そう別れ際にクラニチャールに語ると
「ああ、私もね!」
と4年前と変わらぬ笑顔を見せ、ぎゅっと右手を握手して踵(きびす)を返し、愛妻と仲睦まじく去っていきました。
執拗にメディアに追われることなく、アルコールにも溺れることなく、新たなチャレンジに立ち向かうクラニチャールの背中を見て、4年前のことを感謝すると共に、スウェーデン戦のような喜び勇む姿をもう一度見てみたい気になりました。


posted by 長束恭行 |06:16 | サッカーコラム | コメント(1) |
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2010年03月21日

キプロス取材に来ています

nogomet-148352.jpg現在、半分取材を兼ねた旅行でキプロスに来ています。地中海でキプロスはクロアチアと負けず劣らずの観光国ですが、こちらは更に温暖な気候な土地だけにプレシーズンだろうが多くの観光客が訪れています。日本からの観光客はまだまだ少ないものの、海洋リゾートや遺跡好きならば気に入る国のはず。とりわけ旧宗主国だったイギリスからの観光客(とりわけ年配組)が多いようで、移住向けに随分とお手頃に不動産物件が売買されているようです。

人口100万人にも満たない国ながら、アノルトシス・ファマグスタ、APOELニコシアと二シーズン連続でキプロスのクラブがチャンピオンズ・リーグ本選に出場しています。ちょうど手頃な航空券を手に入れたこともあって、この快挙の背景の裏にあるのは何か知るべくキプロスにやって来た次第です。メインは日曜日のAPOELニコシアvs.オモニア・ニコシアの首位決戦ですが、土曜日にAELリマソールでプレーする元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表MFドゥシャン・ケルケズ(33・写真)にインタビューすることに成功しました。彼は2005~2007年にリエカでプレーしたこともあって、どんな選手かは知っていたのですが、今ではキプロスで3番目に人気のあるAELリマソールで常時レギュラーかつキャプテンを務めています。アポなしだったとはいえ、練習後に30分以上に渡って話を聞けました。

また詳しくはレポートで書けたらと思っているのですが、キプロスという国がスポーツに投資した者(つまりスポンサー)に対して税金優遇を施しているのと、高額な放映権がクラブに入ることで潤沢な資金を抱えており、あちらこちらから外国人が流入しています。キプロスはEU加盟国であり、EU圏外の選手でも1年プレーすればEU圏の選手扱いを受けることから、11人全てが外国人になることは稀ではないようです。とりわけ最近は安い価格で若いポルトガル人を獲得するのがブームとなっており、彼らも更に有名なクラブに移籍するためのステップアップの場と考えている、と教えてもらいました。
ただし、フロントに辛抱強さがなく、成績が悪いと直ぐに監督のクビを切ってしまうのが問題のようです。結局は指導者も選手も外国人次第のところがあり、結果的にはインフラを含めた長期プランを実行してきた上位のクラブが着実に力をつけ、選手も売却せずに長くチームに留めてきたことで、欧州クラブシーンにおけるキプロス旋風に繋がっているそうです。

nogomet-148370.jpgしかし、なぜキプロス代表が比例して強くならないかと言うと、直ぐに強化を施したいクラブが外国人頼りになってしまうのと、キプロス人選手そのものが自惚れ屋で自己努力を励まないのが要因のよう。キプロス人は「自分は最高だ」と練習後に居残りすることなく、さっさとカフェに行ってしまう、とこの日も練習後に追加で筋トレを行っていたケルケズは嘆いてました。あとは北キプロス(占領したトルコ人勢力)の脅威から若い選手も2年間の兵役を行かねばならず、それが選手の成長に大きく阻害していると政治的な側面からも理由を教えてくれました。ちなみにケルケズはセルビアの首都ベオグラード生まれでパルチザン・ベオグラードのユースを経たのち、父親がボスニア生まれのセルビア人ということからボスニア・ヘルツェゴビナのリーグ、そして同国代表でプレー、更にクロアチアのリエカでもプレーしたという変り種です。各民族に友人がいるだけに、政治的テーマはキプロスでも好まないようでした。

ちなみにキプロスには旧ユーゴ系の選手が30人ほどプレーしています。同じくAELに所属するマケドニア現役代表MFヴラトコ・グロズタノスキからも同じ話を聞きましたが、気候に恵まれ、人々もフレンドリーで、給与も本国以上のキプロスはサッカー選手にとって天国のようです。人口が少なくともサポーターはギリシャ人やトルコ人と同じくサッカーに対して熱狂的で、ケルケズは"病的"とすら形容してました。また自分以上に家族がこの土地を好んでくれていることが夫として本望らしく、将来もキプロスでコーチ業に進む道を考えている、とも述べていました。

スタンドで行った彼へのインタビュー中に12位のアリス・リマソールと8位のエトニコス・アチナスの公式戦がありましたが、プレーそのものはクロアチア・リーグの同ランクのチームよりもレベルは高く、となると日曜の首位決戦はどんな戦いになるか楽しみであります(APOELとオモニアは政治的理由で分裂したこともあり、ライバル意識も強かったりします)。

旅行そのものは、ホテルがオーバーブッキングだったり、レンタカーが山中でパンクしたり、と何かとトラブル続きではありますが、月曜日には帰国する予定です。


posted by 長束恭行 |02:12 | サッカーコラム | コメント(0) |
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