2011年11月09日
クロアチアの強豪ディナモ・ザグレブにとって、12年ぶりのチャンピオンズ・リーグは厳しい舞台となってます。代表クラスを次々と補強し、クロアチア水準で「メガ化」したものの、いまだ勝点どころか得点もゼロ。3位に食い込んで年明けのヨーロッパ・リーグに回る、という目標も現実的じゃなかったようです。
3位争いのライバルに想定されたのが「アヤックス・アムステルダム」。過去にディナモとアヤックスは6試合対戦し、「2勝1分3敗」といい勝負。その2勝がいずれも敵地アムステルダム・アレーナでした。今のアヤックスに栄光時代の面影はなく、育成型クラブとしてはディナモもここ数年の売却収益でアヤックスと肩を並べる存在に。第3節でディナモはアヤックスにホームで0-2と敗れたものの、分の良いアレーナならば、とアムステルダムに出向いた私も淡い期待を持っていました。今回はその第4節「アヤックスvs.ディナモ・ザグレブ」のフォトレポートです。
会場となったアムステルダム・アレーナ。
「宇宙船」のような近代的スタジアムも築15年。完成から間もない1997年に見学へ訪れましたが、当時とは光景がすっかり変わっています。スタジアムを中心に開発が急速に進み、オフィスビルやショッピングモール、コンサートホールも新たに建てられました。
試合前日に行われたユルチッチ監督の記者会見。
「スタジアムは美しい。全員がいつのようにモチベーションを高めているよ」
穏やかな表情で語っていたディナモの指揮官ですが、オランダ人記者が発した"これまでのチャンピオンズ・リーグの結果を考えれば、勝点1でも満足できるか?"との質問には少しムッとして
「どの試合だろうと我々は勝利を求めている」
と言い返しました。
アレーナのピッチに足を踏み入れるディナモの選手達。
前節のアヤックス戦は4-4-2を採用したディナモは、今回はレアルやリヨン相手に使った4-2-3-1で挑みました。このシステムで鍵になるのが、ワントップの俊足FWルカビナ(55)とスルーパスが出せるブラジル人MFサミール(10)。フランク・デ・ブール監督は予想が外れたそうですが、蓋を開けてみれば両チームの実力差はシステム以前の話でした。
スタメン:GKケラヴァ-(右から)DFヴルサリコ、ヴィーダ、シムニッチ、イバネス-MFレコ、カレージョ-バデリ、サミール、コヴァチッチ-FWルカビナ
アヤックス・イレブン。
今季のエールディビジでは少し出遅れていたアヤックスですが、第3節のディナモ戦の勝利を契機に調子は上向き。今回も全く同じ先発メンバーを組んできました。対するユルチッチ監督は「ゼロトップのようなモダンなサッカーだ」と試合後に評しています。
スタメン:GKフェルメール-(右から)DFファン・デル・ウィール、アルデルワイレルト、ヴェルトンゲン、アニータ-MFエノー、ヤンセン-エリクセン-FWスレイマニ、デ・ヨンク、ブリフテル
右サイドを駆け上がるSBシーメ・ヴルサリコ(左)。
19歳でクロアチア代表メンバーに定着し、ビッグクラブも注目する右SB。しかし、マルメ(スウェーデン)とのプレーオフ第二戦でレッドカードをもらって3試合出場停止の処分を受けたため、このアヤックス戦がグループステージ初出場でした。対面するアニータの裏を取る場面があったものの、慌ててシュートを打って失敗するなどゲームを通して空回り。鍵を握る選手だったはずが、失点後は陰に隠れてしまいました。
ファン・デル・ウィール(右)の先制ゴールを祝うアヤックス。
中盤をコンパクトにしてカウンター狙いだったディナモに対し、アヤックスはプレスの届かないポジションにレシーバーが動くことによって次々とパスを繋いでいきます。先制点は20分、右サイドでボールキープするエリクソンがヒールパスでオーバーラップしたファン・デル・ウィールへ。そのままペナルティエリアに持ち込んでGKケラヴァの頭上にシュートを通しました。
エノーの厳しいマークを受けるサミール(右)。
サミールはクロアチア代表入りも噂されるブラジル人司令塔ですが、これまでの三試合と同様に低調なプレーに終始。ここでの活躍で西欧のクラブの移籍を目指していたはずが、スカウトの評価を落とし続けています。飲酒癖が抜け切れず、これまで何度もトラブルを起こしたにもかかわらず、アヤックス戦後に再び夜遊びが発覚。無期限出場停止の処分を受けることになりました。
あっさりと追加点を奪われ、呆然とするディナモの主将ミラン・バデリ(中央)。
先制点から5分後、エリクセンからの縦パスが両CBの間を抜けたところに右サイドから俊足のスレイマニが。ワンタッチでGKケラヴァをかわし、シュートを流し込みました。アヤックスの攻撃スピードに打つ手なく、ディナモ陣営には絶望感が漂います。
左WGのデルク・ブリフテル(左)がゴールに向かって突進。
ディナモは前半で守備的MFカレージョを下げ、バデリをスライド。空いた右MFにはトメチャクを入れることで、右サイドは俊足二人が並びました。しかし、二人がかりでもブリフテルの高速ドリブルに追いつくのは不可能。ブリフテルはRKCヴァールヴァイクでの活躍が認められ、今季からレンタルバックされた25歳のウィンガーで、この場面でもシュートまで持ち込みました。
65分、アヤックスは決定的な3点目。
これまでスーパーセーブで何度もチームを救ったGKケラヴァですらアヤックスの勢いは止められず。65分、ファン・デル・ウィールの右からの折り返しにエリクセン(中央左)が再びかかとでボールを繋ぎ、デ・ヨンク(中央右)がシュート。更にリードを広げます。
応援を続けるアヤックスのサポーターたち。
アヤックスで最も熱いサポーターはアレーナの南東二階席に陣取ります。アヤックスはユダヤとの繋がりが語られるクラブだけに、ヘブライ語の横断幕やイスラエル国旗も見かけました。
諦めず選手を鼓舞するユルチッチ監督。
チャンピオンズ・リーグ本選に進んだ32クラブで、動きの多い監督の一人がユルチッチ。頻繁にテクニカルエリアに出てきて指示を送ります。点差が開こうとも必死に選手を励ましました。逆にアヤックスのフランク・デ・ブール監督(左)はクールです。
敗北を慰めあうケラヴァ(右)とヴィーダ(左)。
ロスタイム2分に途中交代のロデイロに左からシュートを叩き込まれて「0-4」。これはディナモにとってCL最大の敗北です。ムードメイカーの親友同士も試合後はすっかり落ち込んでいました。
ケラヴァは試合後、「0-3で終わっていればまだ響きは良かった。アヤックスはゲームをあっさりとコントロールしてチャンスを作た。僕ら全員がそんなアヤックスのプレーに感動したよ」と完全脱帽でした。
障害を抱えるサポーターに挨拶をするアヤックスの選手達。
北側のスタンド下に障害者向けの観戦スペースが設けられており、試合後に広告ボードまで接近した彼らに対し、一部の選手たちが一人一人手を取って挨拶。これぞ市民に愛されるクラブだ、と私も感動しました。選手達も実にいい笑顔を見せていましたよ。
これでディナモはチャンピオンズ・リーグ4戦全敗。他のグループでもビジャレアルとオツェルル・ガラツィが4連敗を喫していますが、未だ得点を決めていないのはディナモだけ。得失点差-9も全クラブ中最悪の数字です。次にサンチャゴ・ベルナベウでレアル・マドリッドと対戦することを考えれば、ディナモは「缶蹴りの缶」のようにボコボコにされ、得失点差を更に広げるのは目に見えています。チャンピオンズ・リーグがディナモにとって地位や名声を高める舞台になるはずが、現実を突きつけられる過酷な場所になってしまいました。クロアチアのメディアはこう毒づいています。
「ディナモは小学校から大学に飛び級を果たしたが、いつ卒業できるか分からない。チャンピオンズ・リーグがディナモにおける"学校"だって? そんな言い訳は信じないぞ。だって選手達は何も学んじゃないないか。単にレッスンを受けているだけだ」
残る2試合でせめて1点でも取ってくれれば、このチャンピオンズ・リーグが少しは想い出になるのでしょうが…。クロアチア・リーグでは首位を快走しているだけに、埋められないギャップに誰もが苦しんでいます。
posted by 長束恭行 |00:38 |
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2011年07月08日
7月7日、ハイドゥク・スプリトがキャンプを張るオーストリアのバード・クレインキルヘイムの宿舎で、伊野波雅彦(25)の入団記者会見が行われました。手にした背番号は阪南大学時代から愛着があり、愛娘の誕生日にもちなむ「19」。新たなクラブや環境での挑戦を前向きに語り、その姿勢にクロアチアのメディアも賞賛しているわけですが、どうも日本での報じ方は異なるようです。
現地取材しているのは4名。クロアチア人記者2名と私の友人であるカメラマン、そしてもう一人は共同通信ローマ支社から来たと思われる日本人女性記者のようです。いかんせん、その共同通信が配信した『伊野波がクロアチア移籍で会見 「早く次のレベルに」』という記事は見出しからも読み取れるように、まるで腰掛発言となっています。そして共同通信のニュースをそのまま配信したメディア各社も「早く次のレベルに」。記事の文字数が限られてるとはいえ、文脈の中からその部分だけ誇張するのは何かしらの作為が感じられ、入団会見で伊野波が話した本意とも食い違ってきます。
逆にクロアチア側の報道を読むと、いずれもポジティブなコメントが見出しに使われています。実際のところ、後で紹介する記事の中見出しでようやくイタリアが出てくる程度です。
「伊野波:ポリュウド(本拠地)での最初の試合を楽しみにしている」(Dalmacija News)
「伊野波がスプリトに:ハイドゥクは6年間王者になってないんだって? ならば、それを変えてやろうじゃないか!」(Jutarnji-list)
「紹介された伊野波:6年間王者じゃない? それを変える時だ!」(Slobodna Dalmacija紙)
「ハイドゥクの伊野波:ヨーロッパからまだオファーはあった。しかし、クロアチアは美しいし、スプリトはとても素晴らしい」(Index.hr)
「伊野波:ハイドゥクが王者になる時だ」(Sportnet)
会見は伊野波が日本語で話し、鹿島の元チームメイトで語学に堪能な笠井健太氏が英語に通訳。それをクロアチア人が書き取る、というものでした。つまり、現場にいた日本人記者は伊野波本人の言葉をそのまま聴き取ったにもかかわらず、取り上げた(切り取った)発言は「クロアチアでステップアップして、一年でも早く次のレベルにいくことが目標」だけで、それを日本に配信。逆に私が読んでいるクロアチアの記事は、日本語(伊野波)→英語(笠井)→クロアチア語(クロアチア人記者)を経て再び日本語にするため、あらゆるフィルターを介しているとはいえ、その記事の趣が大きく異なっています。伊野波が二枚舌を使ったり、通訳が機転を利かした可能性もあるでしょうが、やはりこれはどう考えても共同通信の記者の意図が働いたと私は見ています。これでは期待を胸に新たな挑戦に挑む伊野波が浮かばれません。
彼の名誉のためにも、現地に記者とカメラマンを派遣し、二面・三面の見開き記事で入団会見を報じたクロアチア最大のスポーツ紙「Sportske Novosti」を翻訳紹介したいと思います。前述した通り、3つのフィルターが掛かっていることを頭の隅に入れた上で読んでみて下さい。クロアチア側の報道が全てではありませんので。しかし、クロアチア側では伊野波の到来がどのように捉えられているかを知る機会にもなりますし、記者のちょっとした誤解や認識不足も一部ありますが、クロアチアが日本に抱くイメージも読み取れるはずです。
一面見出し
「僕がどこにいるかは解っている。ディナモをやっつけなければならないことも解っている」
本文見出し
「伊野波雅彦 最初のビエリ(白:ハイドゥクの愛称)のユニフォームを着た日本人」
「ハイドゥクは僕にイタリアの扉を開くだろう」
記者:ユーリツァ・ラディッチ (ハイドゥク担当)
「日本人は最も正確な国民で、遅刻なんてないんだぞ」-伝説ともいえる話を使って親は僕たちを脅かしたものだけど、そう怖い話でもない。それが日本から最初に連想されるイメージだった。列車が数秒遅れるだけで日本の社長はハラキリした、なんて話も聞かされたけど、それも現実的なことじゃない。しかし、伊野波雅彦(25)が鹿島からハイドゥクにやって来るまで我々は一週間以上も待たされた。更に加えるのならば、バード・クレインキルヘイムで行われた昨日の記者会見でも20分待たされた。待ちに待った上で日本人はやって来た。ところが、伊野波は少しの時間を失っていたわけでなく、しっかりと練習をしてきたのだ。彼に怠惰などない。
「トレーニングが延長したんだ。仕方ない」-クラブ広報はそう弁解し、伊野波は笑うだけだった。
ハイドゥクの100年の歴史において最初の日本人だ。彼は自分の背中にどれだけ大きな責任が圧し掛かっているかを知りながら、その事実を受け入れている。
「信頼に応えていくつもりだよ。ハイドゥクの歴史についてはたくさん読んだ。長い歴史であり、成功した歴史だ」
伊野波は日本代表選手として世界を周った。ドイツ、オランダ、イタリアは訪れたが、クロアチアはまだ。オーストリア合宿でハイドゥクに加入したが、まだスプリトもクロアチアも見ていない。
「友人達と話をして、スプリトについて情報を集めたよ。誰もが僕に人生にとって美しい場所だと言ってくれている」
鹿島と比べればスプリトなんて伊野波にとって一区画みたいなものだろう。今まで彼が住んでいた鹿島は東京の近郊で、その東京はクロアチア全土の4倍の人口を抱えている(※ちなみにスプリトの人口は約20万人)。今から伊野波は新たなミクロコスモスに適応しなければならない。どれだけハイドゥクについて知っている?
「過去の栄光ある選手としてボクシッチ、ラパイッチ、ヤルニを知っている。ラパイッチは中田がペルージャでプレーした時に見た。だから彼のことは覚えている」
この3年間キャリアを過ごした鹿島を離れ、なぜハイドゥクに来ることを決めたのか?
「長きに渡って僕はヨーロッパでプレーしたいと思っていた。キャリアで一つステップを踏み出したかったんだ。ハイドゥクは僕にヨーロッパの扉を開いてくれたよ。全て話合いを済ませた上で、オファーを受けることにした。ハイドゥクで目標を達成することを信じている」
目標とは? もっとレベルの高いヨーロッパのリーグでプレーし、自分を証明することか?
「いつの日かはイタリアに行きたい。しかし、第一の目標はハイドゥクで結果を残すことだ」
どのポジションが最も自分に向いている?
「左のストッパー(センターバック)だ。生まれつき右利きとはいえね。大学ではボランチでプレーしたし、日本代表では左ストッパーでプレーしている。鹿島では左右のサイドバックもやった」
貴方達の前に置かれている目標を意識はしているか? 新たなチームにはスプリトにリーグタイトルを奪還することが期待されているのだが。
「新たな監督が来て、チームに新たな選手が来たことは分かっている。チームの連携が取れるまでは少し時間が必要かもしれないが、リーグタイトルの奪還が今季における僕達の重要な目標だと言われているよ」
最大のライバル、ディナモ・ザグレブについてどれだけ情報を持っているか?
「三浦(知良)が在籍したことが唯一僕が知っていることだ。クロアチア王者ということも読んだ。僕達は彼らをやっつけなければならない。チャレンジするよ。だから僕はこうして集まった。優勝するために」
ディナモとの戦いが始まる前に、伊野波はメガ・スペクタルなバルセロナ戦でスプリト市民にお披露目されるだろう。ガラマッチ、ビッグマッチでプレーする一人になることに貴方は興奮しているか?
「このほどの大きな試合でプレーしたことがない。しかし、チームとして失うものは何もない戦いだ。どんなケースであれ、観客にとっては素晴らしいだろうね」
最後に我々の言葉で伊野波を笑わせようと試みた。"メッシーは来ないから、バルサ相手の仕事は楽になるんじゃない"。一瞬だけ笑ったが、プロフェッショナルに再び答えてくれた。
「常にバルセロナは強いよ。メッシーがいようといまいと」
伊野波は頭の先から足の踵まで日本人だ。プロフェッショナルであり、クラブのために自分がやれる全てを出してくれそうな選手だ。もしや時には巨匠の公演とまではいかないだろうが、最大限の力を発揮していれることは決して疑いはない。「2年+オプション1年」の3年契約を彼は結んだ。最後の年はハイドゥクが選択できる。伊野波はスプリトの人々に選択の権利を残した。だが、ビエリ(ハイドゥク)が彼と契約延長する理由は出てくるはず、とはっきり確信している。
以上です。伊野波はハイドゥクを単なる腰掛には考えておらず、新たな挑戦に立ち向かう意思が充分にあり、それにクロアチアの記者も快く思っていることは伝わってきます。近いうちにハイドゥクの公式サイトにインタビュー映像がアップされるでしょうから、本意は何か、そして彼の生の言葉が聴けるはずです。映像がアップされましたらツイッターで紹介させて頂きますね。
posted by 長束恭行 |23:50 |
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2011年06月27日
「サッカー界のイノベーター(革新者)」や「小さなナポレオン」と謳われ、「ショール」(紳士)との愛称でも親しまれた名将トミスラフ・イヴィッチ氏が24日、スプリトで77歳の生涯を閉じました。糖尿病を抱える彼は長期の闘病生活を送っており、かねてより容態が心配されていましたが、逝去の報に多くのサッカー関係者が嘆き悲しんでいます。
彼の輝かしい業績は、指揮したクラブや代表、そこで獲得したトロフィーだけでも読み取れます。ざっくり書けば14ヶ国で15タイトルを制覇。2007年にイタリアのガゼッタ・デロ・スポルト紙が「サッカー史上で最も成功した監督」にイヴィッチの名を挙げています。
現役時代のイヴィッチはハイドゥク・スプリトでのプレー経験はあるとはいえ、有名選手ではありませんでした。見切りをつけて指導者の道を選び、ベオグラードの監督学校を主席で卒業すると、1967年にユーゴスラビア二部リーグのRNKスプリトで監督を始めました。翌年にはハイドゥク・スプリトのユース監督に就任し、のちに黄金時代を築く世代を4年間に渡って指導。その熱血的な指導ぶりが当時のチトー・キリガン会長の目に止まり、1973年にハイドゥクの監督に正式就任しました(1972年には暫定監督としてカップ制覇)。
ボールに対するプレッシング、速い攻守の切り替え、オートマティズム、オフサイドトラップ、利き足と逆にウィンガーを配置……。あらゆるスポーツからサッカーに使える要素を汲み取り、当時ではアバンギャルドだった戦術を次々と生み出したイヴィッチは、ユース時代から鍛え上げた若手選手を中心に強豪チームへと仕立てました。強豪クラブがひしめくユーゴスラビアで初年度にカップ戦を制すると、二年目はリーグとカップの二冠を達成。三年目もリーグ二連覇を達成します。
彼が世界的名将の道を踏み出したのが1976年。チャンピオンズ・カップ準々決勝でPSVがハイドゥクと対戦する、ということでPSVのリーヴェルス監督が友人リヌス・ミケルスを伴ってスプリトを視察訪問。「トータルフットボール」の生みの親として知られるミケルスはバルセロナ監督から戻ってきたものの、主力を多く売却済みだった古巣アヤックスの監督就任を固辞してました。そのミケルスがイヴィッチ率いるハイドゥクのサッカーに感嘆し、アヤックスの会長に「後任監督を見つけてきたよ。彼の名前は知らないが、ハイドゥクに連絡を取りなさい」と進言。折角の機会だから、とハイドゥクのキリガン会長も快くイヴィッチを送り出しました。
本人やクラブの名声ではなく、チームのプレー内容で手腕を認められたイヴィッチ。それからの彼はあらゆる国を渡り歩き、その国々のサッカー界に影響を与えてきました。アヤックス、アンデルレヒト、ポルト、マルセイユでリーグ優勝を果たし、アトレティコ・マドリッドではコパ・デル・レイを制覇。1987/88シーズンのポルトではリーグ、カップ、スーパーカップ、トヨタカップの四冠を達成しました。
イヴィッチの戦術やサッカー哲学を学ぼうとあらゆる指導者が練習に訪れ、彼自身はそれを拒むことなく奨励し、意見交換をしていたと聞きます。イヴィッチがポルトガルで指導していた頃、その練習を若かりしホセ・モウリーニョがつぶさに見学に訪れており、チェルシー監督時代にイヴィッチが監督会見の場に現れたのを見るや少年のように顔を変え、二人でサッカー談義に話を咲かせた、というエピソードもあります。
また、ゾーンプレスでサッカー界を席巻したアリゴ・サッキも「私はイヴィッチのサッカーを追い、そこから自分のゾーンプレスのインスピレーションを得た」と語っており、イヴィッチは80年代にトータルフットボールとゾーンプレスのリンクとなった稀代の戦術家と言えましょう。
クロアチア代表ではユーロ1996予選にディレクター職に就いたものの、激情派のミラスラフ・ブラジェヴィッチ監督と理論派のイヴィッチの反りが合うことはありませんでした。そのブラジェヴィッチがフランスのTVで発した言葉が問題となり、UEFAに処分を受けたため、代わりにイヴィッチが一試合だけクロアチア代表を指揮したことがあります。それが敵地パレルモで行われた1994年のイタリア戦であり、シュケルの2ゴールで2-1で勝利した試合でした(動画)。
2006年にスタンダール・リエージュのユース学校のディレクター職を終えたのち、スプリトで余生を過ごした彼は自分の半生や経験、監督理論を綴った指導者向けの本を作ろうと試たものの、サッカー界の新たな潮流を常に吸収しようとする貪欲な性格もあって、その作業が終わることはありませんでした。解説者やご意見番として厳しい批判を浴びせることはあれど、悪意の欠片は微塵も感じさせず、サッカーに対して厳格な人物だからこそ言える批判でした。
そんなイヴィッチに直接話を聴けたことは今となっては良い想い出です。今から6年前、バイエルン・ミュンヘンと対戦するクロアチア・リーグ選抜の監督としてイヴィッチがザグレブに訪れた際、偶然にもホテルのロビーにあるソファーで向かい合わせになりました。緊張しながら挨拶し、雪でピッチが覆われた1987年トヨタカップ「ポルトvs.ペニャロール」の話を聞かせてもらいました。とても人当たりの良い人物で、名刺を頂いたのが縁で翌年にはテレビ局のインタビューに出演して頂きました。
ワールドカップで対戦する日本とクロアチアを分析してもらう、という依頼でスプリトのマリーナに現れたイヴィッチ。彼の手には一冊のノートブックがあり、前年のコンフェデレーションカップで日本代表の試合をつぶさに分析した内容が書かれていました。中田のチャンスメイクの才能を活かすために、ボランチじゃなく左MF(左WG)に置くべきだと主張。内へと切り込んでゴール前で危険な場面を幾つも演出してくれるはず、とのことでした。イヴィッチの存在価値を分からないテレビ局のせいで、あのインタビューはお蔵入りになりましたが、彼のレクチャーを実際に受けられたのは一生の財産だと思っています。彼の良さは誰が相手だろうが、何一つ隠すことなく、真摯にサッカーの核心を語ってくれることです。だからこそ「ショール」と呼ばれ、皆から愛された人物でした。
サッカーに全てを捧げた偉大なるショールのご冥福をお祈りします。
posted by 長束恭行 |20:31 |
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2011年06月16日
劇的な逆転劇となったユーロ予選「クロアチアvs.グルジア」の取材から二週間近く。色褪せないうちに詳細なレポートを書こうと思いながらも、リトアニア帰国を挟んでついつい疎かになってしまいました。ということで、今回もフォトレポートという形で熱戦の雰囲気が伝わればと思います。
宮殿の中庭「ペリスティル」に集結したクロアチア・サポーター。
試合会場に選ばれたのは、クロアチア第二の都市スプリト。旧市街地にあるディオクレティアヌス宮殿はユネスコ世界遺産に指定され、遠方から来たサポーターは観光も楽しみました。
記念写真を撮るクロアチアとグルジアの両サポーター。
スプリトは外国人旅行者に寛容な土地であれど、アウェーサポーターに非寛容な人が多くいます。しかしながら、愛嬌のあるグルジアのサポーターは温かく迎えられました。グルジア本国からのサポーターは少なく、その多くはドイツやアメリカからのグルジア移民だったようです。
貴賓席にはクロアチア・サッカー界の著名人が並ぶ。
代表戦はビッグイベント。シーズン終了も重なって、現役選手やコーチの姿もちらほらありました。最前列でやたらと話し込んでいたのが、ディナモ・ザグレブの副会長ズドラヴコ・マミッチとサッカー協会入りしたダヴォル・シュケル。累積警告で出場できなかったニコ・クラニチャールも姿を現しましたが、皮肉にも彼をディナモから追い出したマミッチの背後に席が設けられてしまいました(さらにシュケルはニコの元代理人)。ニコの右は元ハイドゥク監督のスタンコ・ポクレポヴィッチ氏。
呪われた「ポリュウド・スタディオン」に並ぶクロアチアの選手達。
ホームでは圧倒的な戦績を残すクロアチア代表ですが、ここスプリトのポリュウド・スタディオンでは親善試合を含めて一勝もしたことがありません(9戦6分3敗)。縁起の悪さから「呪われたスタディオン」と呼ばれ、サッカー協会は公式戦開催をわざと避けてきました。お茶濁しとブラジルやスペイン、ドイツ、オランダといった強豪国を相手に親善試合を組んでは勝てず、呪いの伝統は続くことに。地元出身のスラヴェン・ビリッチ監督がスプリト開催を強く要望したこともあり、14年ぶりの公式戦開催となりました。
クロアチア代表の集合写真。
MFクラニチャールが累積警告、MFラキティッチ、FWオリッチ、FWペトリッチ、FWラキッチ、MFイリチェヴィッチ、DFストゥリニッチが怪我。DFヴィーダは帰国中に泥酔して暴力事件を起こして代表を追放され、MFガブリッチに至っては帰国直後に交通事故に遭って重体(その後、意識は回復)。これほどの選手が離脱する中、ワールドカップ予選後から選手層を徐々に広げてきたクロアチアは以下のスタメンを敷いてきました。
GKルニェ-(右から)DFスルナ、チョルルカ、シムニッチ、プラニッチ-MFマンジュキッチ、ヴコイェヴィッチ、モドリッチ、ペリシッチ-FWエドゥアルド、イェラヴィッチ
敵将ケツバイアとキックオフ前に抱き合うビリッチ。
3月26日のトビリシ決戦では、終了間際にMFコビアシュヴゥリのゴールでグルジアが1-0の大金星。グルジアのケツバイア監督は国民的英雄となる一方、ビリッチ監督は針のむしろに座ることに。二人とも1968年に生まれ、現役時代はプレミア・リーグで活躍しました。
行き過ぎたクロアチア・サポーター。
実質的な4トップで敵陣に攻め込むクロアチアですが、ゴール前に置かれた「バス」を崩す手段はクロスボールばかり。CBのカラーゼやハブティア、GKロリアを中心にことごとく弾かれます。クロアチア・サポーターは14年間スプリトで公式戦を開かなかったサッカー協会に抗議すべく「14分間の応援ボイコット」。その14分が過ぎて一斉に応援を始めたものの、発煙筒や爆竹を次々に投げ込む始末。ナチス旗を掲げる者もいて、いずれUEFAの処分も下されるようです。
先制点はまたしてグルジア。
無茶すぎるサポーターの応援再開で、もしや緊張感が切れたかもしれないクロアチア・イレブン。16分、MFシラーゼが右クロスを上げると、スルナは背後から突っ込んできたMFカンカヴァの存在に気付かずにハイボールに競り負け、ヘディングシュートを叩き込まれました。これがグルジアにとって唯一のシュートで、クロアチアにとっては重く圧し掛かります。
激高するモドリッチ。
このところ代表でのパフォーマンスが批判対象になっていたモドリッチですが、この日の彼は別格でした。チームの推進力となり、攻守に貢献。25分、カラーゼのクリアボールに食いついてボレーシュートを放ちますが、GKロリアのワンタッチ後にポストに阻まれます。即席な4トップの連携が上手くいかず、スローインしようにも誰一人アプローチしないことにモドリッチが珍しく激高しました。
後半、エドゥアルドのヘディングシュートはクロスバーを叩く。
後半頭からFWイェラヴィッチに代えてFWカリニッチを投入。もうクロスボール頼みではなく、連携面の高さで勝負に挑んだわけですが、グルジアの堅い守備をこじ開けられません。58分、エドゥアルドが絶好のポジションでヘディングシュートを試みたものの、またして枠に弾かれます。
カリニッチの二度に渡るシュートもセーブ。
69分、スルナの右クロスがファーサイドのカリニッチに届き、右足のシュートはGKロリアがセーブ。こぼれ球を左足で押し込むも、これまたGKロリアに防がれます。その2分後にもスルナのFKがゴールポストを叩き、「これが真の呪いか」と誰もが天を恨めしく思いました。
交代策がずばりと当たって同点。
70分、ビリッチは一気に二人を代えてカードを使い切ります。その二人が期待に応えました。76分、MFドゥイモヴィッチが左サイドから縦にドリブル。FWクラスニッチを使ってのワンツーで一気に抜け出すと、エンドラインからの折り返しにマンジュキッチが。ニアに走り込んだ彼は右足で合わせて同点に追いつきます。クラスニッチ(写真)は追加召集での代表復帰でしたが、その能力は錆びついてません。
その2分後、カリニッチのゴールで逆転に成功!
フラストレーションを断ち切る同点ゴールで興奮冷めやらぬムードの中、GKルニェからボールをもらったエドゥアルドがドリブルで一気にペナルティエリアに持ち込むと、わずかな隙間を狙って中央へクロスボール。そこに走り込んだカリニッチが名誉挽回の逆転ゴールを叩き込みました。わずか2分間における電光石火の逆転劇でした。
逆転ゴールでクロアチア・ベンチも騒然。
ユーロ予選を勝ち抜くため。ポリュウドの呪いを断ち切るため。盟友ガブリッチのため。あらゆるプレッシャーを跳ね除けた瞬間に、クロアチアのベンチはまるで優勝したかのような大騒ぎでした。
ビリッチ監督は指示を忘れず。
ユーロ2008準々決勝のトルコ戦。クロアチアは延長117分の決勝ゴールで勝利を手中にしながら、喜びすぎたが余りに審判への交代アピールが遅れ、ラストのワンプレーで失点、そしてPKで敗れるという悲劇を味わいました。教訓を得たビリッチ監督は逆転にぬか喜びすることなく、ピッチに戻る選手達にすかさず指示。しかし、余りに前に出すぎてしまい、審判に怒られてました。
精根尽き果てた試合後のビリッチ監督。
引分け以下だったら辞任すら考えていたビリッチ監督にとって、このグルジア戦は「最もストレスフルな試合」(本人談)でした。ホイッスルと同時にガッツポーズを見せたものの、消耗し切っているのは一目瞭然。メディアから辛辣な批判を浴び続けてきたビリッチ監督ですが、これで首の皮一枚繋がり、秋から続く予選終盤に勝負を賭けます。
呪いが解けたポリュウド・スタディオンに雨が。
過去にクロアチア代表が一度も勝てなかった会場で、ようやくの初勝利。これで「呪い」が語られることは金輪際ないことでしょう。今後はスプリトでもザグレブと同頻度で代表戦が開催される予定です。憑き物が取れたかのように、試合後はスコールのような雨が降ったのが印象的でした。
posted by 長束恭行 |01:28 |
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