2010年08月31日
名門ハイドゥク・スプリト、16年ぶりの欧州カップ戦のリーグラウンド進出
欧州カップ戦のリーグラウンドに初めて2クラブが出場することで、ようやくクラブレベルで光明が差し始めたクロアチア・サッカー。前回のディナモ・ザグレブに続き、今回はハイドゥク・スプリトの近況のレポートです。来年がクラブ創立100周年。来年夏の記念試合にバルセロナを招待する、という事実一つとっても、ハイドゥクがこの年に賭ける意気込みを感じます。しかし、ここ数年は常にディナモの後塵を喫してきました。2008年にクラブを株式化することで借金を清算したにもかかわらず、放漫経営が祟って今季は補強たる補強もできません。フロントの一部には100周年にふさわしい監督を、という意見もあったようですが、昨季後半だけでカップ戦優勝を含む好成績で終えた地元出身のベテラン監督スタンコ・ポクレポヴィッチ(72・写真)を続投させたことが、結果的にも功を奏しました。ディナモと同じく何度も監督の首をすげ替えてきたハイドゥクですが、継続的なチーム作りがどれだけ重要かを思い知ったはずです。 (参考:シーズン前に書いたレポート「創立100周年を機に復権を目指すハイドゥク・スプリト) なぜ今季のハイドゥクが好調なのか? まず一つは10人以上の選手を手放した一方で、主力の多くを残してチームの骨格を崩さなかったこと。そしてもう一つは若手の成長と適応です。昨季はあれほど得点力不足が嘆かれたハイドゥクですが、6節を終えて総得点「20」はダントツのトップ(2番目はディナモの14得点)。どこからでも点が取れる証拠に、10人もの選手がスコアラーに名前を留めています。
4-2-3-1のワントップに入るのは、ユース出身の19歳アンテ・ヴクシッチ(写真)。ポクレポヴィッチ監督は昨季、未熟なヴクシッチにスタメン機会を我慢強く与えたこともあり、今季は一気に開花しました。思い切りの良さが光るゴールを連発し、6節を終えて6ゴール。現在はリーグで単独得点王に立っています。 そして、大きな期待を受けて移籍しながらも実力を発揮できずにいたMFマリン・トマソフ(22)、MFアナス・シャルビーニ(23)が一年かけてようやくチームにフィット。左利きのトマソフが右に、右利きのシャルビーニが左に入ることで、内に切れ込んでのシュートが決まるようになりました。 その勝負強さで絶対的な存在のセニヤド・イブリチッチ(24)も数ある高額オファーに関心を示さず残留。フロントは喉から手が出るほど金が欲しいものの、100周年をリーグ優勝で飾るためにルビン・カザンやガラタサライからの彼へのオファーを蹴り続けています。ちなみにスタメンの平均は23.3歳。経験は少なかれど、勢いに任せられる世代ともいえましょう。 ハイドゥクにとって欧州カップ戦は当初、至上命題じゃありませんでした。1994/95シーズンにチャンピオンズ・リーグ準々決勝進出という華々しい業績を残したものの、その後は低迷。良くて一回戦敗退、予備戦でアマチュアチームに敗退することもしばしば。これまで長期的プランなど持たず、夏に主力選手を次々に売却しては、穴埋めの選手を連れてきた直後に欧州カップ戦がスタートしたため、連携が整う前に早期敗退を繰り返したのです。それにもかかわらずフロントやサポーターによる重圧は大きく、早期敗退の責任を一人負った監督がクビになっていきました。
今季はヨーロッパ・リーグ予備戦3回戦から登場したハイドゥクは、ルーマニアの名門ディナモ・ブカレストとのアウェーの初戦に1-3であっさり敗北。早くも周囲に不穏な空気が流れ、スプリトの街中にはサポーターのトルツィダによる 『シュパッツォ(ポクレポヴィッチ監督の愛称)よ、チームが通過するか、お前が去るかのどちらかだ』 との横断幕が掲げられました。しかし、8月5日のホームゲームでチームは見違える戦いを演じます。3万人の観客に後押しされ、13分にヴクシッチがGKの逆を突くシュートを決めると、その10分後にはブルクリャチャのゴールで形勢を引っくり返します。トドメは38分、トマソフ(写真)の豪快なミドルシュートが突き刺さり「3-0」。見事なまでの逆転劇にポリュウド・スタディオンはトランス状態に陥りました。 (ダイジェスト動画はこちら) ヨーロッパ・リーグ予備戦プレーオフの相手はまたしてルーマニアのクラブ、ウニレア・ウルジチェニ。2008/09シーズンのルーマニア・リーグを制し、昨季はチャンピオンズ・リーグ本戦にも出場した新興クラブですが、極度の財政難で選手への給与が5ヶ月も遅れ、会長やディレクターなど次々と辞任。ハイドゥク戦を最後に辞任を決め込んだウニレアのレヴィ監督ですら「ハイドゥクはクジ運が良かった」とジョークを語るほどの崖っぷちクラブです。 ホームで迎えた8月18日の初戦のチケットはソールドアウト。サポーターがボイコットするディナモとは対照的に、ポリュウド・スタディオンは高揚感に包まれました。堅い立ち上がりで失点を喫したものの、エースのイブリチッチが39分に難易度の高いヘディングシュートを決めると67分にもコースを狙ったビューティフルゴールで逆転。途中交代で入ったブルクリャチャ(78分)、チョップ(83分)も追加点を挙げるなどポクレポヴィッチ監督の采配も光り、3点差のアドバンテージで初戦を終えました。 (ダイジェスト動画はこちら)
初戦の「4-1」は安全圏に見えながらも、実はハイドゥクにとって不吉な結果です。1974年のチャンピオンズ・カップ2回戦ではサンエティエンヌに第2戦で1-5に敗れて引っくり返されて敗退(サンエティエンヌは意図的に停電を利用)。1982年のUEFAカップ2回戦でも、審判の助けを借りたボルドーに第2戦で0-4と敗れて敗退した歴史があります。 ブカレストでの第二戦。一週間の間にレヴィ監督も去り、選手も次々と移籍していったことで瀕死状態とも言えるウニレアですが、開始1分20秒で先制点を挙げて望みを繋ぐと、その後もシュートがポストを叩くなど序盤からハイドゥクを圧倒。66分にはブルクリャチャが二枚目のイエローで退場し、またして歴史は繰り返されるかと思われました。しかし、82分に相手の選手のレッドカードで退場して数的にイーブンとなると、88分にヴクシッチが抜け出してシュートを決めて同点。トータルスコア5-2で16年ぶりの欧州カップ戦のリーグラウンド進出を手にしたのです。 ブカレストからのチャーター便がスプリト空港に到着したのは深夜1時。空港には1000人以上のサポーターが集結しており、英雄たちの帰還を待ち望んでました。興奮の余りにサポーターは選手バスの上に飛び乗り、また発炎筒も次々と炊き始める始末。ポクレポヴィッチ監督も「これはやり過ぎだ」とハンドマイクを手にしてサポーターに落ち着くよう訴えたものの、16年前にヨーロッパで戦ったハイドゥクを知らない世代のサポーターにはとっては初体験だった余りに「どこ吹く風」だったようです。 (空港の模様の動画1 動画2) 誰もが予想だにしなかったハイドゥクの本戦進出。創立100周年を飾るにふさわしい大舞台となりましょう。ノーシードで二度も勝ち上がったハイドゥクは組合せ抽選でも最終ポッドに入れられましたが、同じグループに入ったのはゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)、アンデルレヒト(ベルギー)、AEKアテネ(ギリシャ)と決して悪くない相手。スプリト市民だけでなく、ダルマチア地方全体、更に国外に散らばった移民さえもハイドゥクの欧州挑戦を気に掛けており、どの試合もソールドアウトになるのは間違いありません。ジャーナリスト達と抽選会の放送を見届けたポクレポヴィッチ監督は、チャレンジャーの立場としてこう語りました。
「しばらくの間に我々はヨーロッパにおける戦いの経験を失ってしまった。組合せに満足しているかって? そもそも満足するってどんな意味なのかね? もしかしたらグループの二位以内に入って通過するかもしれない。もう一度言うが、本戦進出が我々にとっては大きなことなんだ。そこで経験を培い、進歩しようじゃないか。何が起こるなんて誰が知るものか。しかし、一年後にはきっと強くなっているだろうね」 多くの現ハイドゥク選手が生まれる以前の1985/86シーズン、ポクレポヴィッチ監督はハイドゥクを率いてUEFAカップを戦いました。メッツ、トリノ、ドニプロを倒して準々決勝に進出。そこでベルギーのヴァレゲムにPK戦で敗れたものの、ポクレポヴィッチ監督は欧州で強かった時代のハイドゥクを指導した数少ない人物です(ちなみに彼は第二戦を前に解任)。国内スポーツ紙、スポルツケ・ノヴォスティ紙が弾き出したグループリーグ突破の可能性は「35%」。ハイドゥクの歴史を知り尽くす老獪な監督、そして若さを武器にした選手が更に融合すれば、このパーセンテージの数字はもっと跳ね上がるはずです。
posted by 長束恭行 |04:54 |
サッカーニュース |
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来年がクラブ創立100周年。来年夏の記念試合にバルセロナを招待する、という事実一つとっても、ハイドゥクがこの年に賭ける意気込みを感じます。しかし、ここ数年は常にディナモの後塵を喫してきました。2008年にクラブを株式化することで借金を清算したにもかかわらず、放漫経営が祟って今季は補強たる補強もできません。フロントの一部には100周年にふさわしい監督を、という意見もあったようですが、昨季後半だけでカップ戦優勝を含む好成績で終えた地元出身のベテラン監督スタンコ・ポクレポヴィッチ(72・写真)を続投させたことが、結果的にも功を奏しました。ディナモと同じく何度も監督の首をすげ替えてきたハイドゥクですが、継続的なチーム作りがどれだけ重要かを思い知ったはずです。
(参考:シーズン前に書いたレポート
4-2-3-1のワントップに入るのは、ユース出身の19歳アンテ・ヴクシッチ(写真)。ポクレポヴィッチ監督は昨季、未熟なヴクシッチにスタメン機会を我慢強く与えたこともあり、今季は一気に開花しました。思い切りの良さが光るゴールを連発し、6節を終えて6ゴール。現在はリーグで単独得点王に立っています。
そして、大きな期待を受けて移籍しながらも実力を発揮できずにいたMFマリン・トマソフ(22)、MFアナス・シャルビーニ(23)が一年かけてようやくチームにフィット。左利きのトマソフが右に、右利きのシャルビーニが左に入ることで、内に切れ込んでのシュートが決まるようになりました。
その勝負強さで絶対的な存在のセニヤド・イブリチッチ(24)も数ある高額オファーに関心を示さず残留。フロントは喉から手が出るほど金が欲しいものの、100周年をリーグ優勝で飾るためにルビン・カザンやガラタサライからの彼へのオファーを蹴り続けています。ちなみにスタメンの平均は23.3歳。経験は少なかれど、勢いに任せられる世代ともいえましょう。
ハイドゥクにとって欧州カップ戦は当初、至上命題じゃありませんでした。1994/95シーズンにチャンピオンズ・リーグ準々決勝進出という華々しい業績を残したものの、その後は低迷。良くて一回戦敗退、予備戦でアマチュアチームに敗退することもしばしば。これまで長期的プランなど持たず、夏に主力選手を次々に売却しては、穴埋めの選手を連れてきた直後に欧州カップ戦がスタートしたため、連携が整う前に早期敗退を繰り返したのです。それにもかかわらずフロントやサポーターによる重圧は大きく、早期敗退の責任を一人負った監督がクビになっていきました。
今季はヨーロッパ・リーグ予備戦3回戦から登場したハイドゥクは、ルーマニアの名門ディナモ・ブカレストとのアウェーの初戦に1-3であっさり敗北。早くも周囲に不穏な空気が流れ、スプリトの街中にはサポーターのトルツィダによる
『シュパッツォ(ポクレポヴィッチ監督の愛称)よ、チームが通過するか、お前が去るかのどちらかだ』
との横断幕が掲げられました。しかし、8月5日のホームゲームでチームは見違える戦いを演じます。3万人の観客に後押しされ、13分にヴクシッチがGKの逆を突くシュートを決めると、その10分後にはブルクリャチャのゴールで形勢を引っくり返します。トドメは38分、トマソフ(写真)の豪快なミドルシュートが突き刺さり「3-0」。見事なまでの逆転劇にポリュウド・スタディオンはトランス状態に陥りました。
(ダイジェスト動画は
初戦の「4-1」は安全圏に見えながらも、実はハイドゥクにとって不吉な結果です。1974年のチャンピオンズ・カップ2回戦ではサンエティエンヌに第2戦で1-5に敗れて引っくり返されて敗退(サンエティエンヌは意図的に停電を利用)。1982年のUEFAカップ2回戦でも、審判の助けを借りたボルドーに第2戦で0-4と敗れて敗退した歴史があります。
ブカレストでの第二戦。一週間の間にレヴィ監督も去り、選手も次々と移籍していったことで瀕死状態とも言えるウニレアですが、開始1分20秒で先制点を挙げて望みを繋ぐと、その後もシュートがポストを叩くなど序盤からハイドゥクを圧倒。66分にはブルクリャチャが二枚目のイエローで退場し、またして歴史は繰り返されるかと思われました。しかし、82分に相手の選手のレッドカードで退場して数的にイーブンとなると、88分にヴクシッチが抜け出してシュートを決めて同点。トータルスコア5-2で16年ぶりの欧州カップ戦のリーグラウンド進出を手にしたのです。
ブカレストからのチャーター便がスプリト空港に到着したのは深夜1時。空港には1000人以上のサポーターが集結しており、英雄たちの帰還を待ち望んでました。興奮の余りにサポーターは選手バスの上に飛び乗り、また発炎筒も次々と炊き始める始末。ポクレポヴィッチ監督も「これはやり過ぎだ」とハンドマイクを手にしてサポーターに落ち着くよう訴えたものの、16年前にヨーロッパで戦ったハイドゥクを知らない世代のサポーターにはとっては初体験だった余りに「どこ吹く風」だったようです。
(空港の模様の
「しばらくの間に我々はヨーロッパにおける戦いの経験を失ってしまった。組合せに満足しているかって? そもそも満足するってどんな意味なのかね? もしかしたらグループの二位以内に入って通過するかもしれない。もう一度言うが、本戦進出が我々にとっては大きなことなんだ。そこで経験を培い、進歩しようじゃないか。何が起こるなんて誰が知るものか。しかし、一年後にはきっと強くなっているだろうね」
多くの現ハイドゥク選手が生まれる以前の1985/86シーズン、ポクレポヴィッチ監督はハイドゥクを率いてUEFAカップを戦いました。メッツ、トリノ、ドニプロを倒して準々決勝に進出。そこでベルギーのヴァレゲムにPK戦で敗れたものの、ポクレポヴィッチ監督は欧州で強かった時代のハイドゥクを指導した数少ない人物です(ちなみに彼は第二戦を前に解任)。国内スポーツ紙、スポルツケ・ノヴォスティ紙が弾き出したグループリーグ突破の可能性は「35%」。ハイドゥクの歴史を知り尽くす老獪な監督、そして若さを武器にした選手が更に融合すれば、このパーセンテージの数字はもっと跳ね上がるはずです。

