2006年08月27日

斉藤と田中の熱投から思う

駒大苫小牧のエースの田中、早稲田実業の鉄腕、斉藤の甲子園での投げ合いは、人々の興奮や感動などを呼び起こした。

その一方で、3連投や4連投はかわいそうとか言っている。考えても見てほしい。特に決勝の再試合で田中・斉藤の両エースが投げなかったとしよう。観衆は、体が大事だから残念と思い納得するだろうが、出場しないことに対して釈然としない、はっきり言ってしまえば不満に思うはずである。

だから、彼らが決勝の再試合で登板したときは、彼らの体がかわいそうと思っても喜んだのである。

まして日本人はこういう「体を張った」とか「チームのために身を削ってでも献身的に働く」というような、お涙ちょーだい的なものが大好きな民族である。

あらためて繰り返す。

連投をして彼らの体がかわいそうと思っても、本当は2人の投げあいが観たい。だからそれが実現して「うれしかった」のである。

そして2人のピッチングを観て、試合内容に満足し、感動したとか言っている。

はっきりいって、矛盾しているし、ようは自分に都合のいいだけのことを言っているのである(まあ、観客なんてもともと楽しむだけなので無責任であるともいえるのだが)。

両ピッチャーには2人には責任はない。
責任は、高野連、監督、そして観客にある。

高野連:とにかくがんばって予備日多くをとるなどして、余裕のある日程にしなければならない。最悪の場合、連投禁止条項を設けてもいいだろう。

監督:純粋にエースの体を考えてという人道的な立場でモノを考えるようにしなければならない。当然、周りからのプレッシャー(例:勝たなければいけない)もあるだろうが、エース以外の投手を起用し敗北するかもしれないという恐さに打ち勝つ勇気。負けたときに受ける非難を受け止める精神的な強さが必要だ。また、勝てば自分自身の監督としてのキャリアに箔がつくだろうが、この誘惑に勝ち、選手の将来を考えて起用しないという配慮が欲しい。

ファン:実は、最大の問題児は観客である。観客が世論を形成し、監督や高野連にさまざまな影響を与えるのだから。我々観客・視聴者が抱えている内面の矛盾、自己中心的な考えをを直す。これをなくさない限り「連投がかわいそうだ」などのいう資格はない。この問題点を修正すれば、監督は決勝を勝ちにいく采配の中で、ほかの投手を起用しやすい雰囲気になるであろう。


posted by Sports lover |13:54 | baseball | コメント(0) | トラックバック(0)
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