2008年07月17日

憧れだった甲子園優勝投手

僕の人生で唯一憧れた高校球児、石田文樹さんが今月15日直腸がんのため横浜市内の病院で亡くなった。

同じ業界に籍を置きながら近況も全く知らなかった。
インターネットでこの話を聞いたときは一瞬、言葉を失った。
あまりにも早過ぎる悲報。まだ41歳だったそうだ。

石田さんの存在を知ったのは84年春のセンバツ大会。
僕が野球と出会って3年目の春だったと思う。
それまでの茨城県の高校野球は甲子園に出れば負け。全国制覇などまだ夢の夢だった。
それでも、この春の取手二高の水色のユニフォームはなんだか妙にまぶしかった。
初戦の松山商業戦を皮切りに、2回戦の徳島商業でも勝利。準々決勝で岩倉高校に惜敗するが、その後その岩倉高校は勝ち進みこのセンバツ大会を優勝。
大会終了後に行なわれた春季茨城大会は気がつくと友達4人と一緒に土浦市営球場へ応援に行っていた。
まるでプロ野球チームを応援するような感覚でだ。
後にも先にも、こんな感覚で高校野球を見たのはこのときをおいて記憶にない。
それだけ選手達がそのときの僕にまぶしく映った。

夏の大会は県大会初戦から球場に、そしてテレビにかぶりつきだった。
この頃には1番から9番までの打順はもちろん、ベンチ入りのメンバー全て覚えていた。それほどののめり込みようだ。

俊足でパンチ力ある主将の吉田さん、18歳なのになぜかいぶし銀の匂いを感じさせたセカンドの佐々木さん、頼れる主砲の中島さん、意外性のバッティングでチャンスに強かった下田さん、左の横手投げで貴重な戦力だった柏葉さん、みんながみんな個性的で、今考えれば一県立高校でよくもまあこれだけのメンバーが揃ったなっていう中心にエースの石田文樹さんがいた。

春のセンバツの無念を晴らすように、初戦の箕島高戦を8回に集中打を放ち逆転勝利。
3回戦の福岡大大濠戦は石田さんの力投に終盤、打線が応えて逆転勝ち。
準々決勝の鹿児島商工、準決勝の鎮西高に勝利する頃には「優勝」するようなオーラさえ漂っていた。

そして桑田、清原のKKコンビを擁するPL学園との激闘。
まるで漫画のような筋書きに僕はテレビの前ではしゃぎまくった。
自分が入学もしていない学校の校歌を何度唄ったことか…。

その後、取手二高は秋の国体でも優勝。
エースの石田さんは早大、日本石油を経て大洋(現在の横浜)へ、主将の吉田さんも近鉄へ入団した。

石田さんのプロ通算成績は25試合登板で1勝0敗、防御率4.59。
今振り返っても「あれだけ、凄かった石田さんがわずか1勝なんて…」と信じがたい部分もあるが、同時にプロで1勝するということがどれだけ大変か思い知らされる。
現役引退後は優秀な打撃投手として横浜の中心選手に慕われていた石田さん。
ミーハー心を出させてもらえるなら、ぜひ一度お話を伺いたいと思っていました。

お姿はもうこの世になくても、僕みたいなファンがいつまでも石田さんの姿を忘れることはありません。
僕にとっては歴代の高校野球優勝投手で一番の存在でした。




posted by 永田遼太郎 |22:44 | 今日のひとりごと | コメント(0) | トラックバック(1)
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