2008年07月24日

考えるサッカーの神髄

 私は以前、スポーツ関係のことを調べていたことがあるのですが、その際に書いた論文を今回掲載したいと思います。

 あくまで論文なのでやや長文ですし、少し古い内容なのですが、もしよろしければ呼んでみてください。




 サッカー日本代表の監督にオシムが就任したことで「考えるサッカー」という語は確実に定着しつつある。Jリーグのジェフユナイテッド監督時代から氏が実践するこのサッカーは、日本人のわれわれにはどこか新鮮で、驚きと賞賛をもって全国のファンに迎えられた。

 しかしそのオシムが非常に残念なことに、志半ばで病の床に伏すことになってしまった。このこと自体は非常に痛ましく悲しいことではあるが、後任の監督が誰になろうとトルシエ-ジーコ-オシムと続いてきた代表監督の系譜を改めて考えるひとつの機会とすべきではないだろうか。

 そうした中で「考えるサッカー」の本質も見えてくる。サッカーで“考える”とは何か、引いてはスポーツの分野で考えることの大切さとは何か。それを明らかにできたとき、本当の意味での「考えるサッカー」がわかってくるはずだ。

 ただ、注意が必要なのは、この自ら考えることを求めていたのはオシムに限らず、ジーコはもちろんトルシエも同じだったことだ。ジーコが選手たちに“自由”を与えたのは、それぞれに自発的に考えて行動してほしかったからだろう。チームとしての規律を重んじたトルシエでさえ、自ら状況判断のできない選手を嫌っているふしがあった。それぞれの監督がまるで異なっているかのように見えるのは、実践の方法が異なっていたからにすぎない。

 トルシエは自身の戦術理論を重視し、選手に合わせた方法をとるというより、反対に理論に合う選手をえらんでいた。実際の練習や試合における指導の面でも、逐一こと細かに指示を与え、自分の思いどおりにならないと激怒することもしばしばであった。

 こうしたことから、トルシエは三監督の中でもっとも選手に与える“自由度”が低かったといえる。選手に自主性を求めてはいても、それは戦術の中という一定の枠内でのことにしかすぎず、個人に与えられた裁量は最小限であった。

 その対極に位置するのがジーコだ。氏はほとんどを選手に任せ、おおまかな戦術を授けることも珍しかったといわれている。選手は互いに話し合いながらチームを形づくり、試合中も常に各局面における自己判断を求められていた。ジーコの方法はまさに、選手に最大限の裁量を与えるものだったことは間違いない。

 トルシエのやり方もジーコのそれもひとつの方法論であることは事実であって、それ自体はいずれも全面的に否定されるものではない。しかし、一長一短があることは疑いようもなく、両者は驚くほどの対照をなしている。

 前者はいわゆるトップダウン型で、手っとり早いチームづくりにはもっとも威力を発揮する。選手の側からしても自身の役割が明確化されることで行動しやすく、各状況下における対応のしかたをひとつひとつ監督に確認できるというメリットがある。

 その一方で、チーム全体が硬直的になりやすく、まったく想定していない事態に陥ると混乱の度合いが高まることになる。仮に監督にもしものことがあった場合、チームはまるで機能しなくなるだろう。選手の自主性という観点からしても、チーム内での“縛り”が多いために、それはけっして選手の自立心を高める類のものではない。

 反対にジーコ流の方法は、明らかにボトムアップ型だ。チームの熟成に時間はかかるものの、実際にプレイする選手たち自身が自発的にチームづくりをしていくため、現状に即した(各選手の特性に合った)方向へチームを運営していける。当然、選手たちの自発性は高まり、「考えるサッカー」を実践できるようになるポテンシャルも最大化される。

“トルシエ後”、サッカー関係者もファンも求めていたのは明らかにジーコ流だった。ガチガチの戦術重視のサッカーに嫌気がさし、自由と創造性あふれる楽しいサッカーを誰もが期待していた。「トルシエはよくやった。しかし、もう結構」というのが、監督交代直後のファンや関係者の正直な思いだった。

 しかし皮肉にも、やり方の限界をよりはっきりと露呈したのはジーコのほうだった。いつまでたってもチームは基礎さえできず、就任後二年間は解任の話題が絶えなかった。試合では選手がバラバラに好き勝手に動いているだけで、トルシエ時代の連動性がまるで見られない。ピッチ外でも飲食店で代表選手がいざこざを起こすなど、あまりにも問題点が多く、何より結果がともなわなかった。アジア杯で優勝した後も、事態は好転しない。W杯予選では格下相手にも苦戦し、あわや一次予選敗退というところまで追い込まれたこともあった。親善試合では好勝負を演じることはあったものの、けっきょくW杯本大会では惨敗した。

 なぜ、こんなことが起きたのか。ひとつには前述のとおり、ジーコ流の方法論ではチームの形成に時間がかかるので、活動時間の限られている代表チームには向いていなかったことがあげられる。

 だがそれ以上に、自由を与えられた選手たちがかえって迷ってしまったことが大きかった。監督から命令されることに慣れた選手たちは“自ら考え、自ら行動する”という状況に戸惑い、試行錯誤をくり返すしかなかった。これはもしかしたら、管理統制型のトルシエ時代に四年間どっぷり浸かってきてしまったことの反動だったのかもしれない。旗艦(フラグシップ)に付いていけばよかったのが、突然、各戦闘艦が明確な指揮系統もなしに大海原へ放り出されたようなものだ。護送船団方式に慣れた日本代表の選手たちが困惑するのも無理はない。

 サッカーの代表選手に限らず、悲しいかな、日本人は命令されることに慣れている。命じられることは驚くほどそつなくこなすものの、その反動として総じて自発性は低い。

 トルシエの方法論はこの状況にマッチした。性格が強烈で、各所で問題を起こしてきた同監督のわがままともとれる指示をきわめて素直に受け入れ、たいして逆らうことなく淡々とチームづくりを進めてきた。その結果が、アジア杯優勝、オリンピック・ベスト8、コンフェデ杯準優勝、W杯ベスト16という業績となって表れている。

 この決定的な差が出た要因は二つ。ひとつは、現代日本人の自主性がおそろしく低かったことだ。ジーコのやり方は、他の国ではうまくいった可能性がある。現に氏が現在率いているフェネルバフチェというクラブチームは、国際舞台でも一定以上の成果を上げている。

 だが、ジーコのやり方に問題があったことはまぎれもない事実だ。氏は結局のところ、“自由なサッカー”というスローガンを掲げるだけで、それを実践するための方法をまるで提示できなかった。これは、監督として問題があるといわざるをえない。極論だが、旗を振るだけなら誰にでもできる。目標を実際に可能にしていくためにチームを運営するのが監督の役割ではなかったか。

 残念ながら、ジーコ監督は失敗したと断言するほかないだろう。W杯前にファンの熱が過度に高まったが、現実には惨敗し、思いきり冷や水を浴びせかけられたことが、かえってファンも関係者も、選手の自主性を重視したサッカーを実践することの難しさを、より強く思い知ることにつながったのかもしれない。

 そんな中、登場したのがオシムである。氏の目標は明確で、ジェフ時代から続く「考えて走るサッカー」を日本代表で行うことだった。選手に自ら考えさせるという点ではジーコと共通しているが、決定的に違うのは、オシムが一方ではチームという組織の形成にこころを砕いていたことだった。実践する方法のないスローガンは、ただの飾りでしかない。しかし、オシムは監督としての豊富な経験から、選手の自主性を引き出しつつチームをひとつにまとめるための方法をすでに知っていた。

 アジア杯では残念な結果に終わったが、それでも苦しいスケジュールの中、ベスト4という結果を残している。少なくとも以前の日本代表よりはここまで順調に来ており、選手個々の意識の面でも確実に変わりつつあることは、多くの人が実感していることだ。オシムはまさに、現在の日本のサッカー界が求めていた逸材であった。

 だが、そのオシムでさえ理想と現実のギャップに苦しみ続けていた。監督がいくら自主性を引き出そうとしてもなかなか選手もチームも変わらず、かえって選手たちの困惑する姿が目についた。試合でも“考えているようで考えていない”プレイが散見され、いったい何度オシムが頭を抱えていただろう。

 その原因となったのは疑いようもなく、元からの選手たちの自主性・自発性・自立心の驚くべき低さであった。目標の自発性を10として現在のそれが5ならば、その達成には見込みがある。しかし、初期値が1や2ではおそろしく時間がかかり、場合によってはその取り組みがまったく裏目に出ることもあるだろう。

 ジーコは実に、この罠にすっぽりとはまってしまったのだ。前代表チームは自由を与えられたがゆえに、かえっておかしくなってしまった。自由裁量を与えられても、それを活かせるだけの資質がなければ逆に混乱してしまうという悲しいパラドックスがそこにはある。

 前代表がアジア杯の優勝とW杯の予選突破を除いて総じて失敗してしまった責任の大半は、確かに監督であるジーコにある。しかし、選手の技術面はともかくとしても、精神面の未熟さが監督のビジョンを崩壊させたことは否定のできない事実だ。

 日本人選手の自主性や自発性の弱さは以前から指摘されてきたことだが、改めて考えてみるとそうなることが必然であることが見えてくる。

 最大の要因のひとつが指導者である。日本の指導者はとかく熱心で、練習メニューをこと細かに組み、実際の練習や試合でもひとつひとつ律儀に指示を与える。これまでの日本では、そうしたことが“熱心で素晴らしい”ことだという、指導者としての美徳のひとつとされてきた。

 だが、その帰結は何だったか。子供の頃から与えられた練習をただ淡々とこなし、自分で判断すべき場面でも命令どおりに動いてきた選手たちは自主性が極限にまで下げられ、海外では自ら考えて当たり前のことさえできなくなる。

 英語では、こうした指導のしすぎによる選手たちの自主性や想像力の退化が起こることをオーバーコーチング(over-coaching)と呼んでいる。読んで字のごとく「教えすぎ」である。特にドイツでもこれが問題となっているのが象徴的なように、指導者の生真面目さが裏目に出ているのだ。

 もっとも、自主性弱化の原因はこれだけではない。もうひとつは、他では例が見られない日本特有の“しごき”、そして“過剰な練習”の問題だ。過度にきつい練習は、選手たちの思考力を奪う。さもありなん、選手の側からすれば練習をこなすのがやっとで、それにどんな意味があるのか、自分はいま何をなすべきかといった思考のほうにエネルギーを回せない。やがて自ら考える能力が低下した選手は周りからの命令に盲目的に従うようになり、選手として以前に人間として駄目になっていく。

 このしごきが常態化してしまった原因については、いろいろなことが言われている。武道などにおける伝統的なやり方がスポーツと結びついてしまったためであるとか、軍国主義時代の名残であるとか諸説あるものの、実際のところは定かではない。

 ただし、確かに日本におけるスポーツ練習の方法は、軍隊の訓練に類似する面がある。軍隊が兵士に過剰なまでの訓練を課すのは、極限状態に慣らすためというのもあるが、それ以上に、まさに兵士の思考力を低下させ、上官からの命令に絶対服従を強いるためなのだ。

 日本のスポーツ界では、呆れるほどの“上下関係”がその場を支配している。指導者-選手という縦の関係はもちろん、選手間でも上級生-下級生、ベテラン-若手といった上と下との力関係ができあがっている。

 いわゆる儒教精神がおかしな面で出ているのが原因なのかどうかはわからないが、この関係を維持するためには、下の存在に反発してもらっては困る。上からの命令に服従してくれなければ関係が崩壊してしまう。だから、指導者らが意識的にやっているのかどうかはともかく、こうした関係性のうえでは、しごきはむしろ必要なものになるのである。

 目には見えにくいこれら種々の要因が、選手たちの自主性・自発性を必然的に低下させていく。その帰結が“命令受動型人間”の大量生産である。

 次のようなエピソードがあるのだが、これは日本ではけっして珍しいことではない。ジーコが日本代表での活動の際、選手たちに「シュート練習をしよう」と指示した。すると、そこへひとりの選手がやってきて、こう問うた。



「シュート練習をどうやったらいいですか」



 ジーコは唖然としたそうである。無理もない。練習メニューを指示されただけでは飽き足らずに、さらにその練習をどうやるかを聞くなどということは、海外ではまず考えられない。命令に命令を重ねられなければまったく自発的に行動できないというのは、もはや異常でしかないだろう。

 しかもこのエピソードからわかることは、日本代表クラスの選手でさえ、つまり国内最高峰の実力をもった選手でさえ、ひどい“命令受動型人間”になり果てているということだ。そこから類推するに、その下のレベルではさらに酷い状態にあってもけっしておかしくはない。

 日本ではサッカー界に限らず、みずから考えて自発的に行動することができる人は、悲しいくらいに少ない。上からの命令を待つ人間が多く、これは現在、民間の企業などでも切実な問題になっている。

 サッカー日本代表の根深い課題は、それ自体が日本の社会を象徴することであった。実際、たとえばオーバーコーチングは学校教育の面でも見られ、家庭でも学校でも子供たちは過保護にされすぎている。その帰結が、自発性の欠落であった。代表チームの問題は、社会問題のひとつの表層でしかない。

 そうした中、自ら考えることを重視し、かといって選手をほったらかしにするのでもないオシムが、日本の“代表”チームの監督に就任したことは素晴らしいことだった。

 過去、監督交代の際には「脈絡がない」と方々から批判され、実際に日本サッカー協会には監督選びの一貫性がまるでなかった。

 しかし今一度振り返ってみると、トルシエで組織偏重の限界と利点を悟り、ジーコで放任の限界と利点を悟り、そして両方を融合できる実績のあるオシムを呼んだ。これは、驚くほど意味のある経過をたどっている。半分は偶然だが、半分は必然だ。「限界を悟った」、要するに過去の結果から反省をしたことで意外にも次へと着実につないできたのである。日本のサッカー界は歴史が浅い、経験が不足していると言われ続けてきたものの、着実に前へと進んでいるようである。

 オシムは常日頃から、選手だけでなくサポーターやマスメディアにもレベルアップを望んでいた。それは、氏が代表チームの問題が、実はサッカー界やスポーツ界に限らず、日本の社会問題であることに気付いていたからではないか。日本人それぞれが問題点を自覚し、最終的に日本の社会そのものが変わらなければ“日本代表”はけっして強くならないという強烈なメッセージだったように思えてならない。

 だが、そのオシムは倒れてしまった。短期での復帰は難しく、後任を選ばなければならない。これまで半分は偶然にせよ、連綿と続いてきたいい流れが切れるも切れないも後任人事しだいだ。サッカー協会は、“ジーコ後”以上に困難な判断を迫られている。

 そうはいっても、代表チームの問題が究極的には根っこでこの国の社会問題とつながっている以上、本当に強いチームをつくるにはわれわれ日本人ひとりひとりが身近なところから問題点を改善していくしかない。それだけははっきりとしている。そして、それこそが日本のサッカー界に貢献してくれたオシムに報いる道ではないだろうか。

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posted by 鳴神 |13:01 | サッカー |
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