2007年04月26日

子供に素早い状況判断を求めてはダメですか?

「小学生からもっとチーム戦術を教えてみませんか?」「子供にコーチがたくさん指示を出すことは悪いことですか?」の続きです。
今回のお題は、、、、

【丸めがねさんからのご質問】
状況判断を素早くすることを求めると返って消極的なプレーを、例えば、FWがDFを背負った時にすぐにバックパスしてしまうというような消極的なプレーを誘発してしまうのでは?
素早く判断した場合、それが良い判断である場合とそうでない場合もあります。良い状況判断とはそのプレーがチームとして「得」であるか?を踏まえて「判断」することで、分かった上で早くやるのはイイことですが、よく周りの状況を把握していないで早くやるというのは、プレーの選択肢を奪うことになりかねないのでは?

です。


【A】
サッカーというのは不器用な足を使いますから、思い通りにプレーできずにとてもイライラするスポーツです。しかも、試合になるとこちらの事情に関係なく、相手は全速力でプレッシャーをかけてきます。そして、そのような環境では年齢に関係なく「素早い状況判断」が要求されます。つまり、「素早い状況判断」というのはサッカーをプレーする上で避けられないことなのです。

そう考えると、「素早い状況判断を求めない」ということは、サッカーの本質自体に逆行しているのではないでしょうか?
それに、例えば「小学生は素早い状況判断はできないから、素早い状況判断は要求しないことにしよう」とかいう考えは、小学生の秘めた才能を見くびっていることになりませんか?
子供は必要に応じて(子供なりのレベルで)素早い状況判断を学習するキャパシティを持ち合わせていると思いますよ。

また、適切な状況判断というのは、多くのエラーを積み重ねた選手のみが身に付けられることですから、子供が試合や練習で状況判断を誤ることは大いに賞賛すべきことだと思います。そして、そのミスを指摘してあげて、あるいは、ミスの発見の仕方を教えてあげて、同じミスを繰り返さないためのアドバイスをしてあげることが指導者の役割なのではないでしょうか?

問題なのは、「適切な状況判断をしよう」というコンセプトを持たずに、パスミスの(戦術的な)理由を考えることをやめ、同じ(戦術的な)ミスを意味もなく繰り返すことです。こういうプレーこそ学習能力を持たないロボットのようなプレーなのではないでしょうか?
自ら考える子供に育って欲しいが故に(戦術を軽視し)テクニック重視の指導をした結果、学習能力(=考える力)をフルに使わずに子供たちがサッカーをプレーし、その結果考えることを知らない子供に育っている可能性はありませんか? (なんだか極端な表現ですね、、、)
逆に、小さいころから戦術を含めたバランスの取れた指導をした方が、子供の考える能力を育てることができるのではないでしょうか?

サッカーはミスの塊です。子供だったらなお更です。そして、ミスを減らすために色々と(技術的にも戦術的にも)試行錯誤することがサッカーの最大の魅力だと思います。

私は日本で4年、スペインで11年子供たちの指導に携わってきましたが、日本人の子供もスペイン人の子供もとても賢いです。ビックリするほど賢いです。知的な刺激(=戦術的刺激)を与えてあげれば、ビックリするほど彼らは色々と学習していき、自分自身で考えて状況判断をすることを身に付けていきます。

ミスを怖がって消極的なプレーが増えてしまうのは子供でも大人でも普通のことです。その「恐怖心」を取り除いてあげるために、「サッカーはミスの塊だからミスしたって気にしない!」ということを教えてあげれば、子供は積極的にミスにチャレンジ(!?)すると思います。(もちろん、適切な状況判断をするための判断材料となる戦術的知識を提供してあげることが大前提です。そうでなければ、ミスを修正できませんから)

要は、子供の学習能力を見くびらずに、子供たちの秘めた才能を信じてあげることが大切なのだと思います。あと、サッカーが単なる遊び(ゲーム)であることを忘れないことはそれ以上に大切だと思います。そうしないと、選手も指導者も遊び心を失ってしまいますからね。




【同ブログ内の関連記事】
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・なぜスペインでは6人制でも8人制でもなく7人制なのでしょう?
・トーナメント戦形式は子供のチャレンジ精神を育むのでしょうか?
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posted by 村松尚登 |20:35 | バルサを越える為のヒント集 | コメント(7) | トラックバック(0)
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子供に素早い状況判断を求めてはダメですか?

コメント投稿者ID :

私は中学高校の数学の教員免許を持つ一般会社員ですが(汗)、当然、教育自習の経験や教育学の一部をかじったりはしております(昔)。

それで、大学時代のある講義(教育学系)の課題で、指定されたいくつかの本を読む機会がありまして、その内の1冊に、「思春期という節目」(八ツ塚実さん著)という本があります。八塚さんは、実際の現場の先生なのですが、その方がまだ教師になり始めのころに、ある生徒を叱っていたときに、年配の先生が近づいて来られて、その生徒に上手に諭されたのを見て、「グレードの違いを痛感した」みたいなことを書かれていたのですが、その本のキーワードとして、「みくびるな,かいかぶるな」ということを書いてあります。

私がこの本から得られたことの一つは、例え、こどもであっても、尊厳ある一人の人間として接しなければならない(でないと、こどもを伸ばすことはできない)ということです。「みくびらず、かいかぶらず」の姿勢で接しなければ、こどもをダメにすると書いてあったと思います(何年前の話か[笑])。

ちょっと話はそれたかもしれませんが、このスレの内容を読んだ時に、私なりにこの話を思い出しつつ共感しましたので、思い出しがてら、書き込みさせて頂きました。

posted by 紫敷布団 | 2007-11-03 10:20

紫敷布団さんへ

コメント投稿者ID :

紫敷布団さん、コメントありがとうございます。

私も「みくびらず、かいかぶらず」ということを忘れずに指導に携わり続けたいと思います。

posted by 村松尚登 | 2007-11-12 08:30

子供に素早い状況判断を求めてはダメですか?

コメント投稿者ID :

>私も「みくびらず、かいかぶらず」ということを忘れずに
>指導に携わり続けたいと思います。

おお、ありがとうございます。

村松さんのように、実際に、本場での指導経験の豊富な方に、私なんぞが何を語れるようなものではないのですが、例えば、この本は、純粋な内容の本でしたし、今思えば、確か、著者の八塚先生なりの成功体験・失敗体験を惜しまずに、参考資料としてご紹介されていたように記憶しております。

今思い出したのですが、確か、みくびったりかいかぶったりすることで、こどもとの信頼関係に亀裂が入るんだと思います。多分ですが、こどもにとって、みくびられると「自信喪失」や「無気力」状態にもなるでしょうし、かいかぶられ(過ぎ)ると、かなりの重圧(プレッシャー)になるからだと思います。

例えば、私の直感的偏見では、「アメとムチ」という表現は、何か道具を扱うみたいで良くないイメージもありますが、わかりやすく言えば同じことだと思いますし、また、それらのバランス(アメ>ムチ)も重要なんだろうと思います。

それとあとは(大人の)「本気さ」とか「愛情」でしょうかね。そういうのは、こどもは特に敏感でかつ、大人よりかなり繊細なのかなという気はします(当然ですよね。精神面も発達段階ですし、大人より素直で純粋ですからね)。

くどくなりますが、簡単に言えばほめられると嬉しいから頑張れたり、叱られるのが嫌だからいけないことをやらなくなるみたいな感じですかね。敢えて突き詰めて言えば、そういう成功体験・失敗体験を経て、人格も含めて成長していくのでしょうけれどね。

それで、その成長過程において、スポーツを経験したりもしながら、また、スポーツを通して成長していける部分もある・・・みたいな感じでしょうか。「鶏が先か卵が先か」ではないですが、「スポーツから学べる心の成長」と「心の成長に伴うスポーツ面での成長」の両方が双方向に相乗して作用していく(作用させられる)のかなという気がしました。

私なんぞが村松さんに偉そうに言える立場ではないのですが、日本サッカーの更なる発展を望むファンの一人としまして、もし、少しでもお役に立てたりしたらという思いから書かせて頂きました。

中国の古典の中(のどこか)に、例え話として、「愚かな者でも千に一つくらいはまともなことを言うこともある」という表現があったと思いますが、今はそのような心境で書かせて頂いております。

あと、生意気なのですが、もしよろしければ、八塚さんの「思春期という節目」を一度直接読まれることをかなり真剣にお勧めさせて頂きたいと思います。なぜなら、私の言葉なんかよりも直接読まれた方が具体事例(著者の方の豊富な体験談)などにも触れて頂けると思うからです。村松さんもかなりお忙しいこととは思いますが、私のその本に対する印象としましては、文章に変な癖もなく、かなり読みやすかったと記憶しております(少なくとも私としては、力まずともすんなり吸収していけたような気がしています)。

多分、図書館とかにも置かれているのではないかと思います(この根拠は皆無ですが。それに著者の方から購入するようクレームがくるかもしれませんが)。ちなみに、私は当然購入していますし、あの本は、私の中では、これからもずっと手元に置いておきたい一冊になっています(笑)。

また長くなりましてすみません。

posted by 紫敷布団 | 2007-11-17 12:16

紫敷布団さん、コメントありがとうございます

コメント投稿者ID :

紫敷布団さん、コメントありがとうございます。一箇所だけ掻い摘んでご返答させていただきますね。

 > 簡単に言えばほめられると嬉しいから頑張れたり、
 > 叱られるのが嫌だからいけないことをやらなくなるみたいな感じですかね。

私もずっとそう思っていましたし、今もそう思っている部分もあるので、子どもにはなるべく「アメ > ムチ」というバランスで接するようにしています。

ただ、http://ebisukeiko.ld.infoseek.co.jp/019.htm のように、(真の)学習にはアメやムチの存在は必ずしも必要ない、という考え方もあるので、今自分の頭の中で整理している最中です。

posted by 村松尚登 | 2007-11-19 02:53

子供に素早い状況判断を求めてはダメですか?

コメント投稿者ID :

村松さん、こんにちは。レスが遅くなりました。

まず、私は、武術の心得なるものをどれだけわかっているのかは疑問ですし、それについて私がコメントを書くことも傲慢かもしれませんが、それを承知の上で、書ける範囲で私なりの見解を書かせて頂きます。村松さんご提示のリンク先の内容につきまして、まず、私が感じたことは、「自発性」とか「自発的であること」の重要性について説かれているのではないかと思われました。もし、違っていましたらすみません。フォローをよろしくお願いいたします。

そして、そのテーマに便乗させて頂きますと、やはり、何事においても(サッカーでも勉学でも他の事でも)、まず、「自発性」がなければ、「探究心」なり「忍耐力」なり「継続性」なりを維持・追求していくことは難しくなるのではないかと思われます。つまり、「まず、最低限、自発性がなければ、(あらゆる)ものごとを極めていけない」と言っても過言ではないかもしれないとすら思います。もちろん、「良き指導者や環境に恵まれることで伸びていく才能」という部分も否定しませんが、それ以前に、根底に「自発的な姿勢」がなければ、何をするにしても、「ほんもの」を身につけることは難しい(いや、多分、不可能)だろうと思われます。

ただ、その時に、独学となるとわからないことも多すぎて効率も悪いので、先輩方の経験(歴史)から学ぶことによって、その「道」なるものの本質を、少しでもより精確に(客観的に?)、しかも効率的に極めていきやすくなるのだという解釈につなげられるのではないかと思います。

このように考えますと、リンク先の内容は、私にとりましてはかなり高度な内容のようで、どこまで私が正しく意図を理解できているのかは自分ではよくわかりませんが、ただ、おそらくは、上記のような「自発的な姿勢が根底にあることによってこそ、体得しようとする者の意識も高まり、先人の成功・失敗体験を通してものごとの本質を見抜き、見極められるようになっていく」というようなことを書いているのではないかと感じられました。もし違っていましたら、フォローをお願いいたします。

ところで、前回私が上述していた「みくびらず、かいかぶらず」と「アメとムチ」につきましては、どうやら、私も少し解釈が違っていたように思われますので、ここで訂正させて頂きます。つまり、その2つは若干意味が違うという気が今はしています。その根拠は、「みくびらず、かいかぶらず」とは、純粋に「過小評価も過大評価もしてはいけない(等身大の評価で相手に接しなければならない)」という判断基準や評価、接し方でもあり、いわゆる消極的・内面的判断としての意味合いであると思われます。それに対して、「アメとムチ」とは、そういった評価に対する「対価」の方法の一つ(報いの表現方法の一つ)でもあり、また、積極的・対外的評価としての意味合いであろうかと思われます。今さらながら、ふと思い出したのですが、実際、「アメとムチ」という考え方は、言わば、信賞必罰の考え方であり、古くは、中国の韓非子や荀子(性悪説)に代表されるように、法支配(法治国家)的な考え方であり、いわゆる人間管理術的な要素・側面を持っていると思います。いずれにしても、前回は、上記2つのフレーズを同じものとして軽はずみに使ってしまいました。すみませんでした。

さて、例示が長くなりましたが、上記のことをまとめてみますと、確かに、自発的な姿勢と良き環境(指導者や体験談も含む)があれば、(真の?)学習には、アメとムチは必ずしも必要でないかもしれません。そして、対人関係での接し方については、例えば、指導者の方々や保護者の立場としては、「みくびらず、かいかぶらず」の姿勢で接することが基本的に大切であり、不要であれば、「アメとムチ」なるものはここでも必ずしも必要ではないと思います(理想論)。ただ、人間とは時としてデリケートであり、また、心身発達途中のこどもたちにおいては、なおさら、うまくいかないときに挫折したり、うまくいって(いれば何をしてもよいと)調子に乗りすぎたりと、セルフコントロールは難しい(人間は必ずしも想定通りに動けるものではない)ですから、例えば、「真の学習(成果の向上)」などのような「目的」を(ある程度以上?)達成するための(あくまで)「手段」として、管理者側(指導者・保護者)が「アメとムチ」(信賞必罰)を上手に(公平平等・必要最小限に)用いる(活用・利用する)ことで、本来ムラがあり行動が予測不可能な人間の行動を、ある程度、上手にコントロール(管理)することが可能になってくる、ということでしょうか。

つまり、もう少しまとめますと、次のようなことが言えるでしょうか。

1.人間の成長には、自発的な姿勢がその根底に必要不可欠であり、いずれかの道を極めた先人の経験から学ぶにしても、そのような自発的な姿勢や努力が必要である。逆に、指導的・保護者的立場からすれば、いかに、本人の自発的意識を高めてやることが最重要課題である。

2.人はみくびられることで自信ややる気をなくしてしまう。また、かいかぶられ過ぎることで過度のプレッシャーに押しつぶされてしまう。だからこそ、指導的・保護者的立場からすれば、「みくびらず、かいかぶらず」の精神でもって、相手がこどもであっても、「一人の尊厳ある人間」として(対等に)接する姿勢が大切であり、その姿勢を貫き、それが相手に伝わることでこそ、相互の信頼(関係)を築いていけるものである。

3.人間は必ずしも完璧な存在ではなく、気持ちが疲れたり、良くない行動を取ろうとしてしまいかねないことも充分に想定され得る。そこで、管理的立場(指導者・保護者)からすれば、信賞必罰を平等にして、功に報い罪に報いることで、やる気を促したり、戒めたりする効果を持ち得る。但し、信賞必罰は常に客観的に平等である必要があり、また、最小限にとどめておかないと高い効果は得られにくい。そして、それより何よりも、相手との信頼関係がうまくいっているという前提がなければ、信賞必罰の効果が期待できない(機能しない)こともある。

4.ものごとを体得するために必要な要素の順位付けとしては、
「本人の自発性・努力」
 > 「みくびらず、かいかぶらず」の姿勢(指導者側)
 > 「アメとムチ」(公平かつ平等で必要最小限の信賞必罰)

このように考えますと、村松さんがおっしゃられる通りなのだろうと思われます。もし、不備などありましたら、フォローをよろしくお願いいたします。

鋭いご指摘、どうもありがとうございました。私自身、色々と考えさせられる貴重な機会となり、大変勉強になりました。

posted by 紫敷布団 | 2007-12-15 14:10

子供に素早い状況判断を求めてはダメですか?

コメント投稿者ID :

本人の自発性は思い入れであったり、情熱だったり、そのことが好きだからといったものがあって、はじめて、生まれるものではないかなと思います。
また、試合をやって負けてくやしがり、勝って喜び、そういった気持ちがあれば、ますます、自主性がうながされるのかなと思います。

また、そういうくやしいと思うためには、普段からそのことに対して一生懸命、努力していないとそういう気持ちにならないと思います。

子供たちは指導者をみています。
言葉ではなかなか伝わりませんが、
指導者の熱い気持ちや楽しもうとする気持ちは必ず、伝わると信じています。

わたしはアメ、ムチの捕らえ方として、本当に子供たちとどれだけ向き合って、どういう言葉をかけられてあげるのか?
そんなことかなと思います。
練習にいいかげんに取り組んでいれば、他の人の迷惑になるから、怒る。よいプレーをすれば、誉めてあげる。元気がなければ、元気付けてあげる。
どれだけ、細かく観察できるのか? 変化を感じとってあげられるのか?
ほめられたいと思っているときにほめてあげられるのか。
そうかなと思います。

posted by つかたろう | 2007-12-21 11:43

子供に素早い状況判断を求めてはダメですか?

コメント投稿者ID :

つかたろうさん、こんにちは。コメント頂きありがとうございます。
私の書き込みが遅くなりました。

自発性については、基本的には他人が強要できるものではないと私も思います。それは、サッカーに対しての自発性についても例外ではないと思います。ですから、指導者や保護者などの監督的立場として、サッカーに限らず、あらゆる(良い)ことに、関心や知識を持つ機会を少しでも多く、こどもたちに対しておとなたちが提供できたら、こどもたちも彼らなりに興味を持ったり魅力を感じたりする機会が増えるでしょうし、そういう機会をおとなたちが色々と提供できたらいいなと私も思います。


>また、そういうくやしいと思うためには、普段からそのことに対して一生懸命、
>努力していないとそういう気持ちにならないと思います。

まさにその通りだと思います。素晴らしいご指摘ですね。
客観的に分析する一つのバロメータになり得ると思います。
(本人自身にとっても他者が判断するにしても)


>子供たちは指導者をみています。
>言葉ではなかなか伝わりませんが、
>指導者の熱い気持ちや楽しもうとする気持ちは必ず、伝わると信じています。

ここでの「指導者」とは、広い意味で解釈して、親(保護者)や大人(社会人全般)としても当てはまりますよね。色々な社会問題もそうですが、大人たちの在り方をこどもたちは見ていると思います。上から目線で目先のことを注意することも時には必要ですが、それ以前に、まずは、「堂々と背中を見せつけられる大人」であることが重要(理想)だと思いますし、この機会に改めて、私も自分自身を見直そうと思います。

つまり、このことは、サッカーや勉強を教える教えられるという範疇のことだけでなく、広く、しつけ(家庭・社会)の問題とか、自発性の問題など、諸問題の基本(解決の糸口・ヒント)だと思います。


>わたしはアメ、ムチの捕らえ方として、本当に子供たちとどれだけ向き合って、
>どういう言葉をかけられてあげるのか? そんなことかなと思います。
>どれだけ、細かく観察できるのか? 変化を感じとってあげられるのか?
>ほめられたいと思っているときにほめてあげられるのか。

アメとムチの概念は、あくまで性悪説に基づいたものと思いますので、
性善説の側面で解決できることに対しては、必要ではないと思いますし、
むしろ、その方が根本であり、大切であり、理想的だと思います。

そして、つかたろうさんもおっしゃられています通りに、どれだけ心から
向き合えるかが最も重要なことだと思います。信頼関係を築くには、それが
必要なことだと思いますし、指導者側には必要不可欠なことだと思います。


>練習にいいかげんに取り組んでいれば、他の人の迷惑になるから、怒る。

他の人の迷惑になるからだけでなく、指導的立場の責任として、いい加減な態度
で挑んでいいのかを本人に自問自答させる意味でも、叱ってみせることは必要
だと思います。感情的に「怒る」のではなく、客観的立場から「叱る」。
世の中では、人格否定してしまうことがよくあるようですが、そうではなくて、
「いけないことに対して注意している。期待と信頼を込めているからなんだ」と
いうことを上手く伝えられたらいいなぁと私自身も自問自答しております。


>よいプレーをすれば、誉めてあげる。元気がなければ、元気付けてあげる。

そういうアンテナをどれだけ張れるか・・・。私自身、自問自答しております。


ありがとうございました。また何かフォローがありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。長くてすみません。

posted by 紫敷布団 | 2008-01-19 10:39

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