長田渚左の「考え中」

再び見た、オシムの闘い

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 日本サッカー界は日本代表のアギーレ監督が解任されて、指揮官不在の非常事態が続いている。昨年のワールドカップ1次リーグ敗退に続く試練に、こんなときこそ、もう1度、あのイビツァ・オシム氏が再登場してくれたら…という幻想を私は抱いてしまう。  彼からは日々の戦術や技術指導だけにとどまらず、人間として教わることがまだまだ沢山あったと思っていたからだ。

 オシム氏は日本代表監督だった8年前、千葉県内の自宅で倒れた。急性脳梗塞だった。手術で一命は取りとめたが、左半身に麻痺が残った。しかし、現場から離れた現在も、その明晰な頭脳と求心力に変わりはない。昨年、彼にしかできない大きな仕事を成し遂げた……。  そのことを木村元彦氏は著書『オシム 終わりなき闘い』で見事に描いている。  「民族の浄化」をはかろうとムスリム系、クロアチア系、セルビア系の市民が殺し合ったボスニア・ヘルツェゴビナは、1995年に和平協議によって内戦に終止符が打たれた。しかし、和平後も隣人同士が殺し合った時代の記憶はさまざまに尾を引いた。  サッカー協会も他民族への不信感から統合が先送りされ、3民族の代表が交代で会長を務めるという異常事態が続いた。その結果、FIFA(国際サッカー連盟)から加盟資格を剝奪され、国際大会出場不可というペナルティーが科せられた。  そこでオシム氏が後遺症のある身体を引きずるようにして、3民族それぞれの協会幹部や政治家を説得して回った。そして短期間のうちに協会内をまとめ、正常化させた。まさにオシム氏にしかできない仕事だったといえる。  著者の木村氏は過去に旧ユーゴスラビア紛争とサッカー人を織り交ぜた3部作『誇り』『悪者見参』『オシムの言葉』を上梓しており、当初は新たな著作を出版する予定はなかったという。  しかし、2013年秋、木村氏はテレビクルーを伴って再びボスニア・ヘルツェゴビナを訪れる。ブラジルワールドカップの欧州予選で初出場をかけて闘う同国代表の試合を見届けるオシム氏を追った。そこでオシム氏はいつも以上に飾らない姿を見せる。ボスニア・ヘルツェゴビナがワールドカップ初出場を決めた瞬間、巨大な背中を小さく丸めて右手だけで頬の涙をぬぐい、ひと言だけこうもらした。「やっとだ」。

 当然、テレビ番組制作には時間という厳しい制約がある。木村氏はテレビクルーの一員だけでは満足できず、あらためて書き手であることに火がつき、この本を執筆したようだ。

 本書の終盤には日本の外務省とJICAからオシム氏へ素晴らしい提案がされる。あえてここで内容は書かないが、私はこの提案を誇らしく読ませてもらった。そして、これに対するオシム氏の返答こそが、彼が対立する民族からも信頼を得ている理由なのだと知る。  今の時代、世界中でさまざまな対立が表面化している。互いを理解するということが、以前よりも難しく感じられる。  しかし、オシム氏のようにどんなときにも熟考し、互いの心情を慮り、誠意を持って事態に当たる姿勢が、いつの時代にも必要なのだとあらためて考えさせられた。  この本はサッカー、民族、紛争……といったものに興味のある人はもちろんのだが、特別なこだわりも持たずに日常を過ごしている人にこそ読んでほしい。



 NPO法人スポーツネットワークジャパンが刊行するスポーツ総合無料誌『スポーツゴジラ』は、おかげさまで創刊10年目を迎えました。  第27号は『嘉納治五郎 Who?』と題して、柔道を発明し、1940年の幻の東京オリンピック招致に尽力し、アジアで初めて国際オリンピック委員会の委員を務めた嘉納治五郎の特集です。77年前に77歳で亡くなった嘉納の先見性と現代性を今、あらためて考えてみてください。  3月中旬に都営地下鉄106駅のラックに配置されます。  また今回のコラムで取り上げた『オシム 終わりなき闘い』の著者・木村元彦氏にも現代の嘉納治五郎といわれる人物を取材していただいています。ご期待ください。

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長田渚左(おさだ・なぎさ)
ノンフィクション作家。女性スポーツジャーナリストの草分け的存在であり、現在も旺盛な取材活動を続けている。
NPO法人スポーツネットワークジャパンおよび日本スポーツ学会代表理事。
スポーツ総合誌『スポーツゴジラ』編集長。
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(05月26日現在)

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