長田渚左の「考え中」

相原信行さんの「幻の大技」

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 7月16日、1960年ローマ五輪男子体操の団体総合と床の金メダリスト、相原信行さんが亡くなった。78歳だった。「床のスペシャリスト」といわれ、1956年メルボルン五輪でも、団体総合と床で銀のメダルを獲得している。
 相原さんには「幻の技」があった。彼がローマ五輪で成功させてから53年の歳月が流れたが、いまだ誰1人として実践していない。

 現在の体操は回転技、ひねり技が主流になっている。空中で回転しながら3回ひねる、4回ひねる。目にも止まらぬスピードに、審判でさえもカウントできないことがある。このように、最近はテレビ受けする派手なスピード技が求められている。
 新技が開発されると即座に映像化され、コンピューターで解析がなされて、その後、新技にさらにプラスアルファが加味され、ライバル国の選手によって披露されることも珍しくない。
 だから相原さんの秘技が、53年間もだれも実践していないというのはにわかに信じ難い。
 体操では新技には名前が付けられる。「トカチェフ」「ツカハラ」「モリスエ」など、初めて試合で実践した人物の個人名になるのが通例になっている。
 しかし、相原さんが実践した当時は、その習慣がなかった。技の解説書に「D難度、片手でゆっくり上げ、片手倒立2秒」と記されているだけである。

 ローマ五輪の男子体操種目別、床(当時は徒手)の演技を再現してみる。
 演技開始、相原さんは腕を大きく回すやいなや、左手一本で全身を持ち上げ、いとも簡単に片手で倒立。観客と審判の目をくぎ付けにした。
 左腕の上にある相原さんの体は、まるで風にそよぐ水辺の葦(あし)のようであり、閉じた傘を逆さに立てたような風情であった。驚異的な力技なのに、パワーというものが少しも表面に出てこない。日本のワビ、サビを漂わせたような静かさが特徴だった。
 体操の大技、見せどころは通常、演技のラストに演じることが多い。見ている者により強い印象を残すからだ。しかし、彼は〝幻の大技〟をスタートと同時に披露した。「演技後半で実践すると、かすかな呼吸の乱れや心拍数の増加が影響するから無理なのです」と、彼は生前に話していた。
 
 20年ほど前、この大技について相原さんに直接取材したことがある。
 コツは手のひらの付け根にある8つの骨と、最大限に広げた指の各3つの関節に均等に体重を乗せることだと語った。
 その神業ともいえる作業を実践するために、1日の大半を倒立のトレーニングに充てた。倒立したまま130㍍をダッシュした。夜、布団に入って眠るとき以外、逆立ちして片手のバランスを模索し続けた。人に何を言われようと、その信念を変えることはなかったという。
 「生卵だって立てられるのだからって、絶対にあきらめませんでした」。
 新技完成に約2年の時間を費やした。やがて、どんな姿勢からでも片手倒立が可能になり、バランスを崩しかけても、片手だけで体を立て直すことができるようになった。

 秘技は完成した。しかし、彼はある日、自らの肉体の重大な欠陥に気づいた。
 O脚だったのである。片手倒立をした時に、2本の足が真っすぐにスーッとどこまでも長く続くような印象にしたかった。O脚は致命的だった。練習で克服できるものでもない。苦悩した。
 外科手術で骨を削ることまで考えたが、やがてある秘策を思い付く。矯正パッドである。相原さんは自らパッドを縫い上げて、両膝の内側にくくりつけた。当時の体操のウエアは短パンではなく、スラックス型だったことも欠点をうまく覆い隠した。

 スピードや躍動とは対極にあった相原さんの片手倒立は、静かすぎるほどの沈黙の美を放っていた。今の体操が忘れてしまった、美しさ、ワビやサビを感じる名演技を懐かしく思い出す。
 心からご冥福をお祈り申し上げます。


※相原信行さんの秘技「片手倒立」については、「こんな凄い奴がいた」(文春文庫)に収められています。



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長田渚左(おさだ・なぎさ)
ノンフィクション作家。女性スポーツジャーナリストの草分け的存在であり、現在も旺盛な取材活動を続けている。
NPO法人スポーツネットワークジャパンおよび日本スポーツ学会代表理事。
スポーツ総合誌『スポーツゴジラ』編集長。
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(07月21日現在)

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