2008年09月29日
名古屋VS浦和の試合をテレビで見た。Jリーグの試合を見るのは久しぶりで、どのくらい久しぶりかというと今季第2節の同カードを見て以来だった。
言っておくが、私は別にグランパスのファンではない。プロフィールにあるように鹿島を応援している。グランパスはとにかく地元で人気がない。私の友達にグランパスを応援している人間もいない。圧倒的に中日ドラゴンズの方が人気があるし、地元メディアの扱いもそれが顕著だ。Jリーグ元年の頃のブームのとき私は小学校3年生で、そのとき、各チームのマスコットをあしらったスポーツキャップを被ってくるのが流行ったが、当時、お荷物と呼ばれたグランパスのキャップを被ってくる人間は皆無で、同じくお荷物と呼ばれたレッズのキャップを被ってくるやつがいたら、そいつはいじめの対象にさえされた。
ただ、それでもストイコビッチという存在はサッカーが好きな人間からしたら特別な存在で、今季のグランパスの動向には注目していたし、第2節で私が観たサッカーは、当時絶不調の最中にあった浦和を完全に圧倒していた。なので、その後グランパスの快進撃にはさほど驚かなかった。
昨日の試合、大まかに言えば前半がレッズペース、後半がグランパスペースという感じだった。レッズはアジア王者の恥も外聞もなく5バックに2ボランチで守って、攻撃はポンテに任せるという、オフトが監督でエメルソン・田中の2トップが機能していた頃の浦和に戻っていた。前半はそれに加えて厳しいプレスを名古屋に与え、そのせいで前半は名古屋のサイドバックはほとんど上がれなかった。攻撃の度にサイドバックが上がっていた第2節とは大違いで、ペースを握れず先制点を奪われた。
後半はその浦和に疲れが見えてグランパスが追いつきそのままドローで終わり最低限の結果を得るわけだが、グランパスの弱点は第2節の頃と変わっていなかった。
グランパスの弱点は、というかこれはJリーグ全体にいえるが、各選手のトラップが致命的に下手だということに尽きる。だから、昨日の試合のようにプレスが厳しいと、トラップミスによってボールを簡単に失ってしまう。トラップやダイレクトプレーに精度があれば、そういったプレスをいなすこともできるのだが、グランパスの選手にそういったことができる選手はいない。なので前半は中盤でためが作れず、サイドバックが上がって来れなかった。第2節の頃は浦和が徹底的にダメでそれが致命傷にならなかったが、ボールがしっかり収まらない場面は目に付いていた。おそらく今後の優勝戦線でこの点がグランパスのアキレスになるはずだ。
ただ、逆を言うとストイコビッチはそういった選手達をここまで活かせるだけにフリーランの質やサイドアタックの質を高めた手腕は流石といえるかもしれない。おまけにかつての師であるオシムやベンゲルのように若手の選手を育成しながら、である。私の知り合いの1人が彼を次期代表監督に、というか岡田監督を首にして今すぐにでも、という感じだが、押している人が出るのも当然かもしれない。だが、私は反対だ。
彼のように若手育成に長けた監督はクラブチームにいてこそ真価を発揮する。代表は選手を育成する場ではなく、「勝つ」場であるからだ。
確かにストイコビッチは「育てる」監督であると同時に「勝つ」監督でもある。選手育成やチーム作り以外の試合での交代起用の絶妙さも光っている。だが、それでも、である。おそらくオシムがドイツW杯後もジェフに留まっていたら、彼の元で成長できた選手はもっともっといただろう。いい加減代表至上主義の限界に気付くべきだ、オシムという前例があるの気がかりだ。
最後に犬飼会長がJリーグを秋・冬制に移行したいという考えを示したが、私は賛成だ。今季の高原、あるいは以前の大久保、柳沢のように、海外から戻ってきたばかりの選手のコンディションはどうしても悪く、今の制度のままでは、海外から戻ってくる選手は半シーズンから1シーズンを棒に振りかねない状態にある。また海外へ行く場合にしても、冬に行く場合はコンディション面で不安があるし、夏の場合チームはシーズン途中で主力選手が抜けることになる。おまけにメディアはサッカーの結果よりも野球の結果という感じで、百害あって一理なし。早期の秋・冬制移行に私は期待している。
posted by naaagi |17:57 |
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2008年09月08日
2点差がついた後のバーレーン選手のリアクションは、日本とバーレーンの格の差を表すものだった。要するに前回ホームで勝ったとはいえ、日本相手に2点以上とるのは難しい、とバーレーンの選手が思っていたということだ。その後のラフプレー、レッドカードはそれを如実に表している。
その後、日本が3点目を取った後、2点を返された訳だが、そのとき実況のアナウンサーは「最終予選では何が起こるかわからない」と何度も言っていた。そういう言い方はもう止めたほうがいい。
「何が起こるかわからない」
というのはサッカーの本質であり、核だ。だからこそサッカー観るといっても過言ではない。だが、それも時と場合、そして言う人による。
試合前の監督や選手が言う場合、それは自分達への戒めだが、例えば、リーグ戦で10連敗中の監督がこれを言ったらどうだろうか?ただの言い訳だ。
サッカーでは何が起こるか本当にわからない。イスタンブールの奇跡などはその際たるもので、どんなチームでも3点差がつけば油断する。ただ、言いたいのはあのとき、実況のアナウンサーには何が起きたかはわかっていたはずだ。特に2失点目は闘莉王の完全なミスだ。
どうもそういう身も蓋もないことはテレビでは言ってはいけないことになっているらしい。「何が起こるかわからない」と言っていれば、闘莉王のミスを指摘しないで済む訳だ。だが、言わないとその選手のためにならないのではないだろうか?ミスは起こりうるものだが、それは成長の糧にもなるものだ。デイビッド・ベッカムの事例を出すまでもなく、徹底的に叩いて、選手にあの借りを返さねば、と思わせた方が、日本のサッカーにとって利益になるのでないだろうか?
この先、日本が最終予選で負けるというのはそれほど低くない確率でありえることだが、「最終予選では何が起こるかわからない」という言葉が、乱用され悪用されれば、言い訳に使われても納得してしまうかも知れない。何が起こったかを解明し次に活かすのは、試合後の選手や監督の大きな仕事だ。
この試合でバーレーンはまた自信をつけただろう。あの試合観ていた他のチームだって日本を恐れる必要がないことを再確認したはずだ。ミランはイスタンブールの2年後ビッグイヤーを掲げたが、日本は果たしてどうなのだろうか?ちなみにミランはその前の年にデポルティーヴォに2試合かけてではあるが、同じ3点差をひっくり返されている。要は前年の失敗に学べなかった訳だ。
余談だが、その日の夜のやっべちFCで堀池氏に代わり、セルジオ越後氏が出ていて、カタールVSウズベキスタンでのPKになるかどうかの微妙な判定に対し、まわりが微妙微妙と繰り返す中で、一人だけこれはPKだとはっきり言っていたことに、私は好感を持った。
posted by naaagi |17:07 |
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2008年07月07日
もう1ヶ月以上前になるが、山に行く前に昔の友人2人と会った。話題は互いの近況の話などをしているうちに、最近の日本の食糧事情や燃料事情の話となった。
日本の食糧・燃料問題は何年も、下手したら何十年も前から指摘されている。
今現在の状況はそれに対して日本が何もしてこなかったということをただ証明しているだけだ。
そういった国に未来はない。
大体そんな話をして、3人ともそれに同意した。
そして、話題が移り、大学生と大学院生である2人の今後の話になると、2人は「良い会社に就職したい」、というようなことを言った。
私はそれに違和感を持った。前の話と後ろの話が繋がっていない、と思ったからだ。だが私は無職、ニート、フリーター、呼び方は何だって良いが、そういう状況にある私は2人に糾弾された。
私は友人2人を批判したい訳ではない。二人を批判するのはこんなところじゃなくて、直接言えばいい。ただ、今の大半の日本人の感覚が、彼らと大して差がないと思うから例としてあげたまでだ。
私は切り離されていると思った。目の前の現実とテレビの向こうの出来事から。
別にNEWSの出来事一つ一つに感情移入しろとか、政府の一挙手一投足に注目しろ何て言わない。そんなことよりも例えば将来を見据えて資格を取ったり、外国語を習得したりといった、個人的な努力の方が今の社会では何百倍も大事だ。
マスコミの流す情報とは、日々の世界の変化を絶え間なく映す鏡である(ただし、今のマスコミはいささか凸凹の多い曲がった鏡だが)。そして、変化に対応できない種は必ず滅亡する。かつての貴族や武士も、世界の変化に対応できなかったのだ。
EUROは素晴らしい大会だった。素晴らしいサッカーをしたチームがいくつもあり、そしてもっとも素晴らしいサッカーをしたチームが優勝したからだ。ただ、日々のリーグ戦やUEFACLで行われる試合レベルを逸脱してレベルが高かった訳ではない。短期決戦特有のおもしろさと国同士の戦いというわかりやすさはあったが、日々の欧州サッカーの延長線上に今回のEUROはあった。
週刊サッカーマガジンでEUROに日本代表がどう学ぶか、といった特集がなされていた。だが、何か違和感を感じる。ただ試合を観るだけで、あるいはそうやって雑誌の提言に乗るだけで、サッカーが上手くなるならこんなに楽なことはない。今回のEUROは確かに素晴らしかったが、かといってサッカーが新しくなった訳ではない。雑誌に書かれているようなことは読者や編集者のガス抜きのような感じを受けた。
日本サッカーはEUROから切り離されている。単純に出れないという意味でも切り離されているが、それは置いとく。
EUROから日本代表がどう学ぶか、学ぶにはEUROに出場した選手達と一緒にプレーし、その中でサバイバルをする他ない。サバイバルとは、簡単に言えば変化に対応できるか否かだ。文化、言語、そしてもちろんサッカーの変化に。そのためには、海では生きていくことができないと感じた生物が陸に上がったような、陸で生きていくことができないと感じた生物が空を飛んだような、そういったある種の劇的な変化さえ要求することがある。
今、片手を少し越えるぐらいの海外組の選手達が、サバイバルを制しきちんと試合に出ている。それが言ってみれば日本サッカーの今回のEUROでの経験値になる。そして今回のEUROと直接繋がっている日本人は彼らだけだ。
posted by naaagi |19:29 |
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2008年06月26日
歯痛と足痛のため志半ばで山から下りてきました。治り次第また登る予定ですが、しばらくは(1ヶ月近く?)下にいるので、その間、記事を書こうと思います。今はEUROを見ている最中で、そのうちEUROについていろいろ書く予定です。
posted by naaagi |20:20 |
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2008年05月29日
初めに断っておくが今回を最後に、このブログをしばらくお休みさせてもらう。今までも特に理由もなく1ヶ月2ヶ月平気で休んでいたが、今回はそれ以上になる。というのも6月から11月まで山小屋で働くことが決まったのだ。なのでEUROもオリンピックも見れないが、まぁ仕方ない。
ただ、今回の記事はそれとは全く関係がない。
日本人の悪しき戦術的・メンタル的特性としてよく上がるのが、「監督が何かルールを決めると、それを徹底的に守りすぎるきらいがあり、また監督が何もいわないと何もできない」というのがある。どうしてか、と時折考えることが合ったが、それは別にサッカー選手に限ったことじゃない。
とにかくこの国には2つの価値基準しかない。
一つは「ルールや常識、あるいは社会的価値観に徹底的に従う」というもので、学校のルールを守り、会社のルールを守り、社会のルールを守る、とここまで書くといいことのようだし、実際日本の社会ではそれはよしとされているが、逆にいえば、常に決められたルールや常識を疑うことをせず、ルールに依存するということになる。依存という状況はわかりやすくいえば、「人」という漢字そのものだ。これを人と人が支えあっている、と言ったバカな教師がいたが、違う。この字は依存しあっているのだ。この字体ではわかりにくいが、小学校のときに習う正式な書き方では右側の人が左側の人を支える形になる。だが右側の人が倒れれば、当然のことながら、左側の人も倒れることになる。それが依存だ。ルールだけを守ってきた人間は、ルールの崩壊と共に倒れる。そういった教本は、歴史上幾度となく繰り返されてきたし、バブル以降の日本にもあふれている。ルールを守るのは楽だ。ルールを疑うのは疲れるし、孤立する危険もある。学校や会社以外にも日本には仲良しグループでのルール、と言うよりはこれは空気と呼ぶべきものかもしれないが、があり、またその仲良しグループに所属しないと友達ができず独りぼっちになってしまう、という状況に非常なストレスのある社会なので、孤立や孤独は最も嫌われる。性質の悪いことにこの仲良しグループ内でのルールは、他のものに比べて圧倒的に強い。
もう一つの方は一つ目より単純だ。それは「自分の価値観は絶対に間違っていない」というものだ。ただ、これだけを聞くと別に何ということもないが、要は自分の価値観は間違っていないので、人の言うことなんか聞く耳持たない、というものだ。
あと、局面で両者がちょくちょく入れ替わる人間もいる。
前者は何も考えないという点で極めて奴隷的だし、後者はチンピラか、もしくはオタクだ。
マフィア、といういわゆる犯罪を生業とするグループには必ず、優秀な弁護士がついている。なぜなら自分たちのしていることが法を犯していてで、それが発覚すれば重大なペナルティを受けることになるからだ。つまり彼らは「自分達のしていること(後者)」と「法(前者)」が決定的に対立していて、それに対抗する手段としてそういった弁護士を雇っている訳だ。別に私はマフィアを賞賛している訳ではない。単に前者のように社会的価値観に吸収されず、後者にように端から社会的価値観を無視しているわけでもなく、マフィアは自分の価値観と社会的な価値観が違うということに自覚的で、それゆえに対処の方法を知っている、と言いたいだけだ。
ちなみにオタクが忌み嫌われるのは、アニメやゲームや萌えのせいではない、とはいえないにしても、それ以上に問題なのは、先に書いた社会の価値観と自分の価値観の距離に無自覚な部分が大きいと、私は思う。
話が長くなったが、要はフィールド内でも同じことが起こっているということだ。「監督の言うことと(ルール)」と「自分の考え」を対立させてどこに妥協案を持っていくのか、という思考回路がほとんどないのだ。
posted by naaagi |22:07 |
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2008年05月22日
テリーがPKを外したとき、マンチェスター・Uの勝利を確信したのは私だけではないと思う。そして、勝敗が決したとき、私は涙が出そうになった。
奇妙というか珍妙なことだと思う。私はマンチェスター・Uのファンでもチェルシーのファンでもない。それにテレビの向こうで行われていた試合は、欧州で一番強いサッカーのチームを決める試合で、戦っていたのはイングランドの2チーム、そこに所属する選手は全てが外国人なのだから。
私はテリーがPKを外した瞬間、そのほんの20分程前に、ギッグスが撃ったシュートを、体はボールから離れていく方向に向かっているにも関わらず、頭だけを残してテリーがクリアしたシーンを思い出した。それはマンチェスター・Uのエブラが2人を抜いて、マイナス方向にフリーでいたギッグスにパスを出すまでの一連の素晴らしい流れと、それを瀬戸際で防ぐディフェンスという、ある意味得点シーンなんかよりもサッカーというスポーツが詰まったシーンだった。
そして試合が決まった瞬間、なんて残酷なんだ、と私は思った。
敗者は忘れ去れてしまう。去年の決勝でミランのインザーギが2得点したことは、CLの歴史の中で未来永劫語り継がれるだろうが、試合終了間際に得点を決めた選手がリヴァプールのカイトであったことをいったいどのくらいの人が覚えているのだろうか?
テリーのあのプレーを、1年後も覚えている人が果たしていったい何人いるだろうか?おそらく、PKを撃つ瞬間、軸足を滑らせて無様に転ぶシーンは、これから何度となくリプレイされるはずだ。あんなに素晴らしいプレーも敗北の二文字の前では無力なのだ。
posted by naaagi |17:23 |
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2008年03月27日
3月に入ってからずっと体調が悪いせいかも知れないが、昨日の試合について、書くことが思い浮かばない。
完全に機能不全に陥っていた中盤を責めればいいのだろうか?
失点シーン以外も一貫して精彩を欠いていた川口を責めればいいのだろうか?
それともオーストラリア人の主審を責めればいいのだろうか?
結局、岡田監督批判をしなければいけないのだろうか?
とにもかくにも、昨日の試合は酷い内容で結果だった。それで十分な気もする。
前代表監督のオシム氏は、「日本は経済大国だが、サッカーではそうではない」といったニュアンスのことを言った。正しいと思う。だが、同時にそれはとても情けないことのようにも思える。
先進国はサッカーでも一流でなければならない、ということではもちろんない。
私が言いたいのは、そういった経済力を背景にして、アジアでも有数のサッカー施設を持ち、代表のバックアップにも金のかかっているチーム(多分アジアでは群を抜いている)が、この程度のサッカーしかできないということが情けない、と言っているのだ。もちろん、昔のように環境が整っていなかった頃がよかったなんて、絶対に言わない。昔に比べたら今のほうが絶対にいい。だが、しかし、である。
マスコミは今後、
「日本代表は他の国比べて、こんなにも金がかかっているのですよ。あなた達はとても恵まれているのですよ。それなのにこの程度のサッカーしか出来ないのであれば、こっちが恥ずかしいから、サッカーなんか辞めてしまったほうがいい。日本代表の試合なんかなくったって、本当にサッカーが好きな人は欧州のサッカーを観ますから、特に問題はありません」
というような形で、サッカー番組を作ってみたり、報道をして、代表やサッカー協会にプレッシャーを与えてみてはいかがだろうか?
posted by naaagi |18:16 |
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2008年02月19日
日本サッカー協会の川渕会長が北朝鮮戦での日本代表の戦い振りを批判した。内容は、いつもの通り、その試合を観たサポーターやマスコミや解説者が思いそうなことだったが、それを言った人間に問題がある。
川淵三郎というのは言うまでもなく、日本サッカー会の最高権力者である。なので、日本代表が現在のような状況にあるのは、間接的ではあるが少なくない責任が彼にはある。例えばフル代表からオリンピック代表、さらにそれ以下の各年代の代表監督人選やマッチメイクによって選手たちのメンタルの形成ということもできる。
もちろん「各年代の日本代表」、といっても日本人の若者の一人なので、日本社会によって形成されるメンタルの部分までは手におえる訳がないのは百も承知だし、また監督の人選やマッチメイクなどは彼が担当するわけではなく担当者がいるはずなので、彼らの責任もある。
日本のサッカーの全てが、トップダウンで何もかもが決まるわけでも、もちろんない。
ただ、私が違和感を感じるのは、日本サッカー会の最高権力者で、その他の日本人に比べて、日本のサッカーにさまざまな方法で関われる(はずの)人間が、ああいったサポーターやマスコミや解説者が言いそうなことを言うのは、彼自身の甘えに見えるのに、そういったことを平気でし、またマスコミもそれを許しているところだ。
「あなたは日本代表に気合を持たせるため、これまでに何をしましたか?」
という質問を川渕会長にした人間は皆無だったが、もしもそう聞かれたとき彼はどのように答えるつもりだったのだろうか?もしかしたら、あの会見こそがそうだといったかもしれないが、試合はもう終わってしまっている。
また、昨日の記事で岡田監督の解任条件がわからないと書いたが、その最大の要因もマスメディアだ。
「岡田監督はどんなときに解任されますか?」
という質問をしたマスメディアを、私は今のところ知らない。またマスメディア自身の手でその条件を定め、サポーターを煽り圧力をかけていくメディアも今のところ見あたらない。あるのは勝っても負けても他人事のように報道する、本当はサッカーに興味のないのが見え見えのメディア達だけだ。
「岡田監督が解任されたとき、協会で最も責任のある人間は誰ですか?またその人は岡田監督とともに解任されるのですか?」
この質問の答えになるようなことは、自分達の首を締めることになるので、協会関係者が自ら言うはずがないが、聞かれたら答えざるを得ないはずだし、実際に岡田監督が解任されれば、その人を解任せざるを得なくなる。
ただ残念ながら、マスコミと日本サッカー協会の甘えあいという関係は他分野でも珍しくない光景なので、今後もまだまだ続くはずだ。
posted by naaagi |17:46 |
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2008年02月18日
ここ数ヶ月間、私は1日の半分以上を英語だけを聞き、英語だけを読み、英語だけを音読する(英語を喋る相手がいないので会話ではない)、という生活を続けている。大学を辞めたということで、これから自分が食っていく方法を得るためであり、将来的に海外に行くことをにらんでのことなのだが、特に最近の1ヶ月間はその傾向が増してきた。だがその分、自分のエネルギーをそちらに向けることになるので、ブログを書くモチベーションは削がれてしまった。
もちろん日本代表の試合は観ていた。ただ、それらがわざわざ、少なくない時間と労力を割いて記事を書こうという気にさせるような試合ではなかったのは確かだ。得点を入れた選手を取り上げてスター扱いする記事を書くのは簡単だが、そんなの大手マスコミが散々やっている。
昨日、東アジア選手権が開催された。今回の日本代表はけが人が多く、海外組みも召集されていない、またJリーグも開幕していないため、岡田監督にとって非常にエクスキューズの多い大会である。なので、おそらく日本が最下位になっても岡田監督が解任されることはないだろう。実際、過去2回の東アジア選手権を戦ったジーコは一度も優勝できなかったが、解任されることはなかった。
何でこんなことを書いているかというと、日本サッカー協会がどんなときに岡田監督を解任するのかということがわからないからだ。それは前任のオシムの時もそうだったし、その前のジーコのときもそうだった。
私は別に岡田監督を解任して欲しくて、そういった解任条件を知りたいわけではない。ただ解任条件がはっきりしているほうが、単純に岡田監督の有能さ無能さがはっきりするのではと思うだけで、有能なら使いつづければいいし、無能なら首を切ればいい。また、そういったものはっきりさせておかないと、結局はドイツW杯の二の舞になる危険がある。
もちろんそういった解任条件を、言葉や数字で示すことは簡単ではない。クラブの監督はともかく、代表の監督を長く続ける一番の方法は、ここで絶対に負けてはいけないというところで負けないことだが、そういった監督が必ずしも名監督とは限らない。それはジーコ然り、またドイツW杯で準優勝までしながら、フランス国民の信頼を得られないドメネクもそうだ。(ちなみにジーコにとってW杯は、結果に関わらず退任が決まっていたので、絶対に負けてはならない試合ではなかった)
解任条件がわからない、というのはそのまま、日本サッカー協会の日本代表に対するビジョンのなさも物語っている。なぜなら日本代表に関して何かしらのビジョンがあるなら、そのビジョンに合った監督をどっかから引っ張ってきて、その監督がそのビジョンに合わないことがわかれば、さっさと首を切ればいいからである。岡田監督はオシム監督の急病による後任なのだからビジョンがないのは仕方がない、というのは言い訳にならない。なぜならオシムの頃からそんなものはなかったからだ。常に日本サッカー協会は日本代表のビジョンを、務めてきた代表監督に丸投げしてきた。
最後に東アジア選手権に関して少し書くと、東アジア選手権を制する上で、北朝鮮戦は絶対に勝たねばならない試合だった。それは初戦だから、というのもあるがもっと大事なのは北朝鮮が対戦相手の中で一番力の劣るチームと思われるからである。一番弱い相手から確実に勝ち点を取る、というのはリーグ戦では鉄則で、各国のリーグ戦やJリーグ、あるいはW杯やオリンピックの予選や本戦を見てもそれは明らかだ。
ただ今後W杯予選を戦う上で格下から勝ち点を取りそこなう、ということはいくらでもありうることなので、この大会はそのいいシミュレーションにはなるかもしれない。
posted by naaagi |18:15 |
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2008年01月25日
明日、岡田JAPANの初陣がある。前にも書いたが、私は岡田監督に期待していないが、前回はこの「期待しない」という言葉がきちんと伝わっていなかったようなので、今回はその説明をさせてもらう。
初めに言っておくが、「期待しない」というのは「(結果なんて)どうでもいい」とか「どうせだめだ」とか「応援しない」という意味ではない。大体、言葉が違う。
「期待を裏切られる」という言葉がある。2年前のドイツW杯や4年前のアテネ五輪などでよく聞かれ、今年の北京五輪でも、もしかしたら言われるかもしれない。
ただ、北京はともかく、ドイツやアテネの結果は戦前からある程度、予想がついていたというか、サッカーにはありがちな結果だ。なぜなら、どちらのチームの実力も、実力を全て出し切れば十分予選突破は可能だったが、出し切れなければ予選敗退する、という実力だったからだ。そして、それは他の強豪国も(予選突破の確率はその国の自力にも左右されるので変わるが)変わりない。
じゃあ何でドイツやアテネの結果が期待を裏切られる結果といわれるのか。
ドイツW杯の初戦の相手は、今さら説明するまでもないが、オーストラリア。戦前の力関係は大体互角といわれ、人によってやれ日本が上だ、やれオーストラリアが上だといわれていて、結果はみなさん知ってのとおりだが、とにかく互角だったのでああいった結果は、どちらにも同じ確率で起きる可能性があった。なので、期待を裏切られたというのは筋違いというか、予想さえできていれば(ああいう逆転負けを予想しろとは言わない。あくまで敗戦のことだ)期待を裏切られるという感情は起きない気がする。
あの当時のマスコミやサポーターは、自分のチームの実力と相手チームの実力を正確に把握しておらず、またサッカーというスポーツの特性、すなわちどんなチームも実力を出しければ勝つ可能性があるし、出し切れなければ負ける可能性があること、もまた正確に把握していなかったように思える。
そしてそれは甘えだ。期待という言葉と雰囲気で、そういったことを正確に把握しようとしなかったのだ。
また、期待という言葉には自分が特に何も言わない、もしくはしなくても、相手が自分の思うとおりにしてくれる、というニュアンスがあるが、それももちろん甘えだ。
なので、私は期待するぐらいなら、その分も応援したほうがいいと思う。応援には期待と違って少なくとも行為が付属する。その分だけましというか、それによって選手が力を出し切る手助けにもなるので、期待なんかするよりも1万倍いい。
だから私は岡田監督に期待なんかしない。岡田監督がチームをこうするといっていることを、本当にそうなっているかを自分なりに把握し検証するだけだ。
あと明日の試合後、マスメディアは岡田JAPANの初陣に点数などをつけたがるだろうが、その点数はどうやって採点するのだろう。学校のテストなら先に答えと配点が決まっているし、論文やレポートの採点にしたって、あらかじめ採点基準がある。そういったものをマスコミは持っているだろうか?私にはそもそも問いするないような気がする。そういったものなしでつけられる点数や、あるいはいわれる批判に意味があるようには思えない。ちなみに私の採点基準はシーズンが始まったばかりで、体も重いだろうから、いい試合もしなくていいし、勝っても負けてもどちらでもいい。ただ、それ以降のコンディションは上がる以外にないはずなので、以降の試合で出来が悪いのは考え物だと思う
posted by naaagi |17:23 |
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