2011年08月23日

ベンゲルという人を理解する

 さてさて。

 プレミアリーグが始まって早2週間。各ビッグクラブともまずまずのスタートを切る中、一人こけているのがベンゲルんとこのガナーズさん。シーズン開始早々、いきなり各方面から色々叩かれているご様子だ。
 ただ、ぶっちゃけまだ2試合終わって1分1敗。確かに褒められた成績ではないが、かといってそこまで叩かれる程の成績とも思わない。しかも1敗は強豪リバポー相手なんだし。なのにベンゲルはこの敗戦直後、「お先真っ暗なわけではない」とか「逃げるつもりはない」なんて、えらい大げさなことを言い出した。たった2試合しか行われていないのに、一体ガナーズに何が起きているのだろう。


 批判の一番の矛先はベンゲルの補強策にあるようだ。セスクがバルサに移籍し、ナスリのシティ加入も秒読みと言われる中、ベンゲルが獲ってくるのは例年通り、プレミアリーグ経験のない若い選手達ばかり。この間もアーセナルがFW獲得というニュースが流れ、一体誰だと名前を見てみればコスタリカリーグでプレーしていたジョエル・キャンベル君というまだ19才というピッチピチの若造だった。窮地なはずなのに、発揮されるのは相も変わらずのベンゲル節。そんな大将を見て「大黒柱が2人も抜けたってのに、そりゃないですよ…、ベンゲルさん」というのがガナーズ・サポーターや評論家の意見らしい。
 ただ客観的な立場からガナーズとベンゲルを観察してきた立場から言えば、ぶっちゃけ「今更、何言ってるの?」という思いは正直言ってある。


 先日、元ガナーズのマクリントックがこんなことを言ったそうだ。
 「ガナーズには芸術家ばかりで戦士が一人もいない」
 ってベンゲルがテクニックのないフィジカルやスタミナが武器の選手を獲るわけないじゃん!

 元ガナーズの選手で監督のジョージ・グラハムはこんな注文をつけたらしい。
 「若手の成長を促すためにも経験豊富な選手が必要だ」
 ってベンゲルがもうピークが過ぎて伸びしろのなくなった選手を獲るわけないじゃん!


 彼らはおそらく自分なんかよりよっぽどベンゲルのことを熟知しているだろう。ならもうちょっとベンゲルの変態的な独特な嗜好を把握出来ててよさそうなもんだけど。ベンゲルに戦士型の選手やベテラン選手の獲得を進言するなんて、こんな無駄なことはない。ぬかに釘、のれんに腕押し。
 ベンゲルが率いるガナーズはテクニックやスピードに秀でた若い選手だけでプレミアリーグを戦い抜こうとしている特殊なクラブである。この大前提を忘れてしまってはベンゲル・ガナーズを一向に理解することは出来ないし、先の2人のような解決しようのない憤りを抱いてしまうことにもなる。
 もちろん全くそうした選手を獲らないわけじゃない。数日前は中盤の潰し役・エムビラにオファーを出したそうだし、昔ユナイテッドからシルベストルを獲得したこともあった。ただそれはあくまで最小限。出来ることならあまり使いたくない。見ていてもっとうっとりさせてくれる、もっと成長を期待させてくれる選手だけで戦いたい。そんな選手たちにずっとずっと囲まれて暮らしたい。そうした特殊な性癖を隠すことなく堂々とさらけだし、世界一過酷なプレミアリーグで戦っている。ベンゲルとはそういう人なのだ。そんな変人物好きを一般のものさしで計ろうとするなんて、ある意味失礼というもんだ。


 ベンゲルに責めるべきところがあるとするならば、最後の最後、移籍が決まるギリギリのところまでセスクやナスリを引き留められると本気で考えていた節があるところだろう。2人の気持ちはとっくにベンゲルの下を離れ、バルサやシティの提示額も十分、お金が欲しいガナーズも出す気満々と、誰がどう見たって移籍するのは避けられない状況なのに、まるで2人の離脱を考慮してなかったようなベンゲルの対応には、確かに辟易するかもしれない。騒動の最中、セスクらの後継者となるべき選手を獲得しようという積極的な動きは見られなかった。よほど手塩にかけて育て上げた2人に抜けられるのが嫌だったんだろう。
 で、出て行った途端、ハッとして我に返ったかのようにルチョやエムビラに急にオファーを出す始末。普通こうした準備は時間をかけてじっくり行うもの。もう8月も中旬、彼らを軸にしたチーム作りをずっとしてきたクラブとしては、いきなりコンコンとドアを叩かれ「あんたんとこの中心選手を売って下さい。今すぐに」と言われたって、そりゃ「無理です」と答えざるを得ない。シティ等とは違ってその無理を可能にしたくなるような金を積めるわけでもない。案の定、むげに断られた。現実から逃げるとこうした痛い目に遭うという教訓。
 そうこうしている間に時間はどんどん過ぎてゆき、移籍市場の締め切り日が迫ってくる。日本のメディアの中には「本田にもチャンスか!?」なんて一見ご都合主義な記事を書く新聞社があるが、これは実は筋の通った見方だ。時間もないし、金もない。これまでの無策のツケをどうにかして払わなければならなくなった窮鼠ベンゲルにとって、テクニックがあって値段もそこそこの本田は、掴みたくなるようなワラの内の1本であることは確かだろう。


 ただ一方で「これもベンゲルの計算の内かも」という考えも捨てきれない。周りはセスクやナスリの代わりが必要だと執拗に主張するが、果たしてベンゲルにとってそれは本当に必要なのだろうか。繰り返すがベンゲル・ガナーズは他のクラブと同じものさしでは測れない。
 ごく一般的に考えればチームを支える2人の選手がいなくなったのだから、彼らを売ったお金で代替選手を獲るのが当然だと思う。
 しかし、相手はベンゲルだ。サッカーセンスのあるピッチピチの若者が大大大好きなベンゲルさん。セスクらの代わりとなると既に完成され経験を十分積んだ選手でなければ務まらない。しかしそれは見方を変えれば、誰か別の監督の手垢がついた選手だということ。まだ何色にも染まってない無垢な青年に、自分のヨダレをべちゃべちゃツケながら自分好みの選手に仕立て上げるのが生き甲斐の変態奇特なお人だ。何が悲しゅうて誰とも知らない人間の匂いの染みついた選手を俺が育てなければならん。それならウィルシャーやラムジーみたいな俺色の選手だけで戦いたい、というのが本音かもしれない。
 これまでもそうだった。プレミアリーグの雄、コロ、ギャラスの穴を埋めたのはまだ無名だったフェルメーレンやコシールニー。アデバヨルが抜けても既存の選手でなんとか対応した。よくよく考えれば中心選手が抜けたからといって、他のビッグクラブの中心選手を連れてくる、なんてことは数えるほどしかない。投資するのはいつだって中小クラブの若手選手だった。
 と言う風に今回、特別にベンゲルが動いてないわけじゃない。ベンゲルさんはいつも通り通常営業しているだけなのだ。
 いくらサポーターがセスクの代わりを獲れ!と叫んだって、残念ながら馬の耳に念仏。ベンゲルはそんな真摯な願いを右から左へ受け流しながら、今頃チェンバレン君や宮市君をどう料理してやろうか、と舌なめずりをしているかもしれないのだ。ってか多分そうだ。急遽補強に動き出した姿勢も、批判を和らげるためのただのポーズ、なんてことも十分あり得る。あれだけの移籍金があればもっと獲りたいダイヤの原石があるはずだもの。でも即戦力を獲らなきゃ周りの不満は解消されないし...というジレンマに悩まされるベンゲル。長年連れ添ったサポーターもサポーターなら、ベンゲルの性癖ぐらい理解してあげてもいいように思うんだけれど、そうもいかないもんなのかな。


 一つ忘れちゃいけないのは、この特殊なベンゲル流はクラブ公認だということ。ベンゲルの若者好きという性癖と若者だけでプレミアリーグで上位争い出来ちゃう手腕は決して裕福でないガナーズにとってはなかなかにありがたいものだ。移籍金もそんなにかからないし、選手の年俸も安くなる。ある程度育てば別のビッグクラブが大金出して買ってくれるし、そういう選手が抜けてもなんとかCLには出場出来るレベルを保ってくれるなんて、こんなお財布に優しい監督さんはおそらく世界中探してもベンゲルぐらいなもんだろう。
 それは言い換えればクラブがガナーズの現状をも容認しているということ。確かにベンゲルは毎年上位4チームに入るという好成績を残してはいるが、タイトルは6年間で一つも取れていない。6年前のタイトルもFAカップで、プレミアからは7年間も遠ざかっている。ファーガソンとプレミアを取りつ取られつしていたのはもう昔の話、今やその位置にはチェルシーが座って、自分はその2人の争いを少し下から見上げるようになってしまった。
 ガナーズにとって代わったのがチェルシーというのは偶然ではない。金に物を言わせぶ厚くした選手層が、ガナーズの位置を相対的に低くした。ベンゲルがタイトルを獲れていた時期とは時代が変わった。プレミアリーグを制するにはそれに見合ったお金が必要となった。結果は如実にそれを示している。
 もちろんガナーズにそんなお金はない。クラブもベンゲルもそれを重々承知している。だからこそクラブは、他のビッグクラブだったら更迭もんの6年間無冠という成績を前にしても、ベンゲルに責任を追及したりはしないし、ベンゲルもそこそこの成績さえ出せれば己の特異な性癖も放置してくれるクラブに留まり続ける。持ちつ持たれつの関係なわけだ。
 ただガナーズにとって不幸なのが、おくびにもそんなこと口に出せないってこと。ガナーズはビッグクラブ、狙うは優勝です、とガワだけでも繕わなきゃいけない。敬虔なサポーターや選手の中にはその言葉を信じる人も大勢いる。だからこそベンゲルの補強が下手なんじゃないかとマクリントックやグラハムみたいに実直にアドバイスする人も出てくるし、ウォルコットみたいにベンゲルがセスクに変わるスターを絶対に補強してくれると信じる人も出てくるし、ラムジーみたいにガナーズなら全てを勝ち取れると心の底から思い込む人も出てくる。
 でも。でも。そういう人を見る度、ベンゲル・ガナーズってそんなクラブじゃないよって、とってもとっても特殊なクラブなんだよって言いたくなって仕方がなくなる。そのビッグクラブごっこに嫌気が差し、セスクとナスリはガナーズを去ったわけだし。


 ということで。
 ベンゲルはさぞかしシティが恨めしいに違いない。かつてチェルシーにお金の力でトップ2の地位から引きずり下ろされた。そして今シティが同じくお金の力で自分をトップ4からも引きずり下ろそうとしている。しかも我がとこの愛する選手を強奪してまで。本当にここ数年でプレミアリーグはみるみるうちに変わってしまった。しかしガナーズは何年たっても昔のまま。
 チャンピオンズリーグにも出場出来なくなったなら、さすがにベンゲルもクラブから解雇させられてしまうのかな。ただ少ない資金でこれだけの結果を残せる監督が他にいなさそうなのも事実。なんでプレミアリーグはこんなにレベルが上がってしまったんだ…なんてガナーズとベンゲルの恨み言が今にも聞こえて来そう。
 数年後、少ない資金でより良い結果を求めたガナーズが、ベンゲルのクビを切り今からは想像もつかないようなスペクタクル度外視のガッチガチに守って固めるカウンターサッカーをやっているなんて未来は、そう荒唐無稽なもんでもないかもな、と思ったりする今日この頃。

posted by myrowka |12:59 | ひとり言 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2011年08月19日

Under Pressure

 BGMにでもどうぞ。
 つhttp://www.youtube.com/watch?v=xtrEN-YKLBM


 さてさて。


 先日行われたスーペルコパクラシコ。1stレグは2-2、2ndレグは3-2と大接戦で内容も白熱した闘いだった。それでも「両チームとも素晴らしい試合を見せてくれてありがとう!」ってカンジにならないのは、やっぱり最後に起こった大乱闘が原因だろう。あれのせいで何とも後味の悪い結末を迎えてしまった。
 そんな中、今メディアを騒がせているのが乱闘時のモウさんの言動。これは語るより見てもらった方が早いので、Youtubeのリンクを貼っておく。

 バルサアシスタントコーチ、ティト・ビラノバへの目つぶし行為
 http://www.youtube.com/watch?v=pEBsdC2viOs

 メッシ・アウベスへの「くっさ!お前らくっさ!」ジェスチャー
 http://www.youtube.com/watch?v=tCYqIwmVI1g

 海外ではとっくにいろんなところで取り上げられてるこの行為。日本でも今日になってようやく我らがスポナビさんが記事にしてくれた。が、記事にするにあたりスポナビさんは苦悩したはずだ。というのも、この記事の下の方、

 試合後の記者会見でこのことについて聞かれたモリーニョ監督は、「ビラノバだか誰だか知らないが、隠さねばならないことなど何もない」とうそぶいた。 
 
 の部分は実はある細工が施されている。実際のモウさんのコメントには「ビラノバだか誰だか知らないが」の前に「ピト」が入っている。正確には「ピト・ビラノバだか誰だか知らないが」と言ったのだ(参照)。ではなぜスポナビさんはこのピトを省略したのか。
 ビラノバの正しい上の名前はリンクのとこにも書いているように、ティト・ビラノバ。「モウリーニョが間違えてただけじゃないの?」なんて思うかも知れないが、現地の人なら絶対にそんな間違え方はしない。なぜならピトはスペイン語でちんこを意味するのだから。そりゃスポナビさんだって呆れて省きたくもなる。


 その行為の是非をここでとやかく語るつもりはない。見てもらえれば、知ってもらえればモウさんが何をしたかは分かる。自分が言いたいのはそんな分かりきったことじゃない。これらの行為を見てまず純粋に思ったは「モウさんの心は“持つ”のか?」ということ。


 世界に数多いるサッカー監督の中で、モウさんほど敗北をを恐怖している人間はいない。勝てば相手の上に立てる。みんなからももてはやされる。スペシャル・ワンなんて異名はモウの一番のお気に入り。そんな賞賛の言葉を浴びながら敗者を見下ろすことを何よりの至福にしているのがモウさんという人間。
 ただ勝負の世界は常に勝ち続けれるほど甘いものじゃあない。負けるときだって当然ある。しかしそれはモウさんにとって地獄でしかない。負けるということはすなわち相手から見下ろされるということ。褒められることもない。負ければいつだって飛んでくるのは批判や罵声、聞き心地の悪いものばかり。スペシャル・ワンたる俺様が何だってそんなもん聞かなきゃならんのか。
 ゆえにモウさんは敗北を頑なに拒絶する。志向するサッカーもより負けにくいものにこだわった。ポルト、チェルシー、インテルとステップアップするごとにその傾向を強めていく。09/10シーズンのCLでは「ポゼッション?何それ、食えるの?」とバルサに75%の支配率をプレゼントして勝利した。シャビの「アンチフットボールで勝って何が嬉しい」という負け惜しみも、モウにとっては絶品のごちそう。そしてその後ヨーロッパを制覇したモウさんはイタリアでの勝利の味は堪能しつくしたと舞台をスペインに移した。

 なんてったってスペシャル・ワンだ。当然、俺の歩く道には輝かしい未来が待っている、と思ってスペインまでやってきた。が、しかし。待ち受けていたのは厳しい現実。初のクラシコ、5-0、惨敗。世界一の負けず嫌いモウさんも、さすがにこの結果の前では素直に敗北を認めるしかなかった。
 ここでモウさんは頭を抱える。「あれ?バルサってこんなに強かったっけ?」前のシーズンではちゃんと倒せたし、レアルでも何とか出来るはずだった。でもちょって待て。あの強さは反則じゃない?事実、化け物レベルのサッカーを実践していたバルサ。あれだけ完成されたパスサッカーを実現できたチームは長いフットボールの歴史でもあるまい。そんな史上最高のチームとライバル関係になってしまうなんて、ある意味モウさんもツキがなかった。
 せいぜいCLで数年に一度しか当たらないイタリアやイングランド時代はまだよかった。しかしここスペインでは1年で最低2回も試合をしなきゃいけない。しかもコパ・デル・レイやCLで勝ち進めば進むほど対戦数は増えていく。何が悲しいって周りのレベルが低いばかりにその可能性が少なくないってこと。
 もちろん全力は尽くす。これまで負けないサッカーで数々のタイトル、名誉を手にしてきたんだ。自信もある。ただ、それでもあのバルサを目の前にしたら自分が惨めに敗れ去るイメージしか浮かんでこないんだ。5-0の悪夢が何度も脳裏に甦る。

 嫌だ。そんなの絶対に嫌だ。負けたくない。絶対に負けたくはない。あのバルサにも。でもどうあがいても勝てる可能性は低そうだ。どうすればいい?俺はどうすればいい?こうしてモウさんの心は何かに押しつぶされ、ひん曲がっていった。そしてモウさんが出した結論はみなさんご存じ、例のアレ。「そうだ、バルサに八百長疑惑をふっかけよう!」
 バルサの特長はその高いボール支配率。当然ファールされる回数も多くなり、自然と敵チームに退場者が増える。これをバルサが審判が買収しているおかげ、ってことにすればいいじゃないか。
 最初は徐々に「あれ、またバルサの相手に退場者出たの?」と遠回しににおわせていく。ゴシップ好きのスペインメディアはすぐに食いついた。これを繰り返し、じわじわとバルサを追い詰めていくモウさん。
 仕上げは当然モウさんが自ら行う。「バルサの対戦相手には退場者が出る」という自説を証明するのは至って簡単。選手にラフプレーを指示すればいいだけだから。実際にメッシやシャビらバルサのテクニシャンを止める有効手段でもある。監督の指示通り、ガンガン体を蹴りに行くバカ正直なレアルの選手達。当然の報いとして出されるレッドカード。そして我がとこの選手が退場になったのにモウさんはなぜか喜々としてこう語るのだ。「ほら見ろ!やっぱりだ!バルサは審判を買収してるんだ!ズルしてるんだ!だから俺は負けちゃいない!負けちゃいないんだ!」


 絶対に負けたくない。その姿勢はプロとして、監督として必要不可欠なもの。誰よりも強くその意志を持つというのはそれだけで立派な才能で、その点でモウさんは間違いなく世界有数の監督だと思う。でも強すぎるエネルギーに押しつぶされ、それを間違った方向に向けてしまった。負けたくないという一心でモウさんがたどり着いた境地。それは勝つことではなく、負けを認めないことだった。
 しかし結果は残酷に目の前に横たわる。モウさんがいくら「バルサはズルをした。だから俺は負けてない」と叫んでも、昨季レアルの優勝カップ陳列棚に飾られたのは国王杯の一つのみという事実に変わりはない。本当に欲しかったリーガとCLのカップはバルサのそれに並んでいる。確かに昨季はモウさんにとって負けてないシーズンだったのかもしれない。だってバルサはズルして勝ったんだから。でもそんなの、誰も認めちゃくれない。まるで子どもの屁理屈を聞いてるようだ。
 激しいプレッシャーから解放されたオフ。落ち着いた頭でモウさんは冷静に自分が置かれた状況を把握することが出来たのだろうか。今シーズンのリーガを占うスーペルコパクラシコ。モウさんの見せたサッカーはこれまでのような自陣を11人で固める消極的なものではなく、バルサと真っ向からぶつかりあうサッカーだった。引いてダメなら押してみろ。「守備的なサッカーをアンチフットボールと言い張るなら、お前らのお望み通り“正当な”フットボールで正面からぶっつぶしてやんよ!」と言わんばかりのレアルのサッカーは、敵ながら見ていてあっぱれと舌を巻いた。バルサが本調子でなかったものの、このままいけば今シーズンは良いライバル関係を築けるのかもしれない、なんて淡い期待をこのときは本気で抱いてしまった。
 そしてその3日後に見せられたが冒頭のアレである。


 マシになって帰ってきたかと思ったら、暴力に侮辱のオンパレードなんて、こんなに悲しい話はない。
 バルサを押し込み続けた2ndレグ前半終了間際までのモウさんの恍惚な思いは想像に難くない。あのバルサを俺が抑え続けている。勝てる。このまま行けば確実に勝てる。
 しかし、バルサは強かった。メッシの勝ち越し弾を前にふつふつとふくれあがっていく憎悪。その発露が冒頭の2番目に紹介したあの行為である。
 しかし、頼もしい我が選手達はその後も攻勢を続け、やがてベンゼマのゴールで同点に追いついた。昨シーズンから堪えて使い続けたベンゼマがここぞで活躍という監督冥利に尽きる展開。チームも勢いに乗る。ベルナベウでは2点取られたが、カンプノウでも2点取ってやった。あとはこのまま逆転するのみ。昨季やつらに見下ろされた位置で今季は俺がお前らを見下ろしてやる!絶対に見下ろしてやるんだ!
 しかし、バルサはバルサだった。メッシがまたもや終了間際に勝ち越し弾。モウさんの夢は、にっくきメッシの鬼のような活躍により、またしても儚く脆く崩れ去った。
 攻撃的に出ても、これだけ有利に試合を進めても、バルサには勝てないのか。屈辱感がモウさんを包み込む。こうなりゃ昨季と同じ手段で...と思ったがそういやこの試合は真っ向から勝つ気でいたため、まだ退場者を出していない。バルサの対戦相手からは必ず退場者が出るはずなのに!バルサは審判を買収してるはずなのに!と錯乱していくモウさん。ということでマルセロがすかさずセスクに後ろからカニバサミ。
 しかし、あまりにも露骨にやり過ぎた。あれじゃ誰だって退場させられるだろ。もうちょっと分かりにくくやれよ、と思っても時既に遅し。あまりにひどすぎるファールに気がつけば両軍もみ合いに。あーあ、このままじゃまた負けちまう。またバルサに負けちまう。周囲の混沌にも促され、自らの中で蠢く黒いものを抑えきれなくなったモウさんが取った行動。それが冒頭1発目の目つぶしだ。
 こうなってはもうどうしようもない。この世のいったいどこに他人の目をつぶしておきながら「俺は正しいことをしたんだ」と納得させられる人間がいるだろう。いかに口達者なモウさんでも流石にそれは無理だ。じゃあもう開き直るしかない。もうどうなったっていいや、とやけばちになった結果、口走ったのがあのちんこ発言である。


 ということで。
 負けたくない。その余りに強すぎる気持ちをモウさんは抑えきれていない。今後彼がどんな行動に出るか、もう予想がつかない域に達してしまっている。
 そのプレッシャーが心身に及ぼす影響も少なくはないだろう。元リバポー監督のウリエをはじめ監督の重責に押しつぶされて体を壊した人もいる。普通に監督やってくだけでも大変なのに、モウさんはわざわざ舌戦をあちこちで展開して人並み以上に精神に負担をかけているんだし。口論時における興奮はSEXのそれを軽く上回るという。そんな過度な興奮状態に常に身を置いているってんだからその消耗度合いは想像もつかない。元々負けた悔しさを他人にぶちまけることでしか御すことの出来ない人だ、心が強い方でもなかろうに。
 モウさんはおそらくレアルの監督を担うことの重みを軽く考えすぎていたのだ。レアルの監督をするということはすなわちバルサとライバル関係で居続けるということ。でもバルサを相手に常に勝ち続ける、または負けても審判のせいにしつづける、なんてのはいくらなんでも無茶な話。
 ファンも当然厳しい。「審判が悪かったです。だから僕は、レアルは負けてないのです」なんて与太話を惚けて聞き入れてくれるような生やさしい人たちではない。他の誰よりも負けたくない人間が仕事を続けるには、レアル・マドリードはあまりに過酷すぎるクラブだ。
 理性で抑えきれなくなった蛮行のせいで職を追いやられるのが先か。それともプレッシャーに押しつぶされ体が壊れるのが先か。それとも危ういバランスのままレアルの監督であり続けるのか。試合後モウさんを批判したピケがこう話している。
 「最近はファンも異常な反応をするようになってしまった。リミットを超えているよ。なんらかの対応をしなければならない」 
 あの乱闘を見れば誰だっておかしいことぐらい分かる。超えてはいけない一線を超えてしまっている。昔のクラシコはこれぐらい激しかった、という見方も一部ではある。それは確かにその通りで、昔はロベカルやルイス・エンリケらがピッチ内外で激しい争いを繰り返していた。しかし、それでもくさいくさいと相手を侮蔑する人間なんていなかった。試合中に横からこそこそと近づいて不意に目つぶしをする人間なんていなかった。目つぶしした相手に試合後謝罪どころかちんこ呼ばわりする人間なんていなかった。
 何かが壊れている。誰かが対処しなければならない。それは果たして誰なのだろう。全く検討もつかない現実が、悲しい。

posted by myrowka |18:06 | ひとり言 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2011年06月23日

チーム The UK

 フットボール英国代表チームが誕生するらしい。ロンドン五輪限定の話だけど。

 このニュースを見た時、率直にこう思った。
 「ついにイングランドにギグスが加わる日が来たか!」
 喜び勇み色んなサイトで詳報を見てみるものの、ギグスの名は一向に出てこない。代わりに並ぶのはラムジーだったり、ベイルだったり。そしてふと我に返り、思わずため息をつく。気がつけば自分のよく知る時代はとうの昔に過ぎ去っていて、目の前では深くは知らない若々しい選手達が舞台の中心で瑞々しく活躍していた。

 考えてみれば当然の話で。ギグスはとっくに代表チームを引退している。それどころか今は不倫問題で世間を大騒がせ。現地ではどのように報道されているか知らないけれど、今ギグスの名を報じても決して好意的にとられることはないだろう。今なおユナイテッドでは大きな影響力を発揮するものの、ウェールズという地方においてはその存在感は昔の比ではないかもしれない。それなら今やプレミアリーグの顔にまで成長したラムジーやベイルらがイングランドの新星に混じってプレーする方を想像する方が、よっぽどエキサイティングなんだろう。今となっては。

 でもね。数年前までは英国代表はイコールイングランド代表+ギグスのことを指した。そういう時代が確かにあった。それは昔のイングランドサポーターの苦悩と直結する。シアラー、オーウェン、ベッカム、スコールズ、ジェラード、ランパードなどなど、どこに出しても恥ずかしくない名選手を集めた代表チームは当然W杯やユーロの優勝候補の一つに挙げられた。しかし周知の通り成績は良くてせいぜいベスト8、2年ごとに行われる大きな大会でことごとく期待を裏切り続けた。そしてその度、サポーターは深いため息の後、同じ文句を繰り返す。
 「ギグスさえいてくれればなぁ」

 ポジションごとに世界レベルの選手を揃えていたイングランド代表ではあったが、唯一左サイドハーフにのみタレントを欠いていた。エリクソンは特にこの問題に頭を悩まされた監督の一人。左サイドを埋めるためスコールズやジェラードはよく慣れないポジションに追いやられ、その持ち味を消していた。SWPやレノンは無理矢理サイドを変更させられた。ベッカムが左サイドに回ったこともある。結局、エリクソンは答えらしい答えは最後まで見つけられぬまま、イングランドを去った。その後を受け継いだマクラーレンなんかはこの問題を解決するためだけに大胆にもイングランド伝統の4-4-2を捨て去り、3-5-2を採用し(左ウイングバックはアシュリー・コールが務めた)、代表を屈辱のユーロ予選敗退へと導いている。
 1990年代後半から2000年代にかけてのイングランド代表の歴史は「左サイドをどうするか」という問題と戦い苦しみ続けてきた歴史と言っても過言ではない。

 しかし全ては英国代表が存在すれば、ギグスがイングランド代表に混じってプレーしてくれさえすれば解決する悩みだった。同じ国英国に属するイングランドとウェールズ。良くは知らないが関東と九州ぐらいの違いしかないんじゃないか。多民族が暮らすヨーロッパだ。英国の他にもスペインを始め、独立意識を持った自治体を複数抱えて成り立つ国は山ほどある。なのになぜ英国だけが特別扱いされるんだ?FIFAよりも先にイングランドやウェールズがフットボール連盟を作っていたからという明確な理由が存在するのは分かっちゃいるけど、それでも大舞台でのイングランドのふがいない戦いぶりを見る度こう漏らさずにはいられなかった。
 「ギグスさえいてくれればなぁ」
 そう、英国代表は実現不可能だとは知りつつも夢想せずにはいられない、積年の悩みを解決しうる唯一の答えだったのだ。

 時は流れて。
 ジョー・コールや他の若手選手の台頭もあり、次第に左サイドのタレント不足は解消されていった。イングランド代表における問題は左サイドからジェラードとランパードの共存へと移行していく。そんな中で「ギグスさえ」夢想はいつしかしぼんでいき、同時に英国代表の夢も自分の中では消えていった。
 そして今、英国代表実現のニュースを見る。とっさに昔見た夢が蘇ったが、時既に遅し。昔のように胸はときめかない。そもそもU-23のチームでもあるし。キャロルやウォルコット、ウィルシャーに混じってラムジーやベイルがプレーすることに若干の興味は沸きはするけど、それ以上でもそれ以下でもない。ここに来てウェールズ、スコットランド、北アイルランドが反発しているというニュースも聞くし、どちらかといえばその顛末の方が惹かれるかなぁと思ったり思わなかったり。

 ファーガソンが五輪期間中だけ特別に監督に就任し、OA枠でベッカムとギグスを招集してくれるんなら、100%現地に行ってまで見るんだけれど、果たして今それを望む人がどれだけいるのか。
 年をとってしまったもんだ。

posted by myrowka |00:24 | ひとり言 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2010年06月21日

日本代表の行く末

 日本は今まで4回W杯に出場しているが、今大会でこれまでとは違う異質なフットボールを経験した。フランスW杯後、日本代表はトルシエ、ジーコ、オシム、就任当初の岡田監督の下でポゼッション・フットボールを志向してきたが、今大会のような極端に守りを固めてカウンターを狙うリアクション・フットボールをしたことはなかった。カメルーン戦、オランダ戦と試合が異常に長く感じられた人は多いだろう。退屈でつまらないと思った人も少なくないはずだ。耐えて忍ぶ戦い方に慣れていないんだから、それも当然。
 そして日本は耐え難い苦痛を乗り越えた後には、勝利という極上のご馳走が待ち構えていることを知った。これまでのパスを繋ぐフットボールは、見ている分にはそこそこ楽しかったが、後に残るのは苦々しい敗北の味ばかり。幾許かの楽しさを棄てたとしても、こんなに甘美な勝利の味が堪能出来るなら、退屈を受け入れるのもやぶさかではない。

 そもそもこれまでポゼッション・フットボールしかしてこなかった日本が異常とも言える。ようやくW杯に出れるようになったのが12年前。自国開催以外のW杯では1勝もしたことがなかった。そんな弱小国が採用するのはリアクション・フットボールと相場が決まっている。敵のプレスをかいくぐりながらパスを繋ぎ、引いているディフェンスを崩すフットボールでW杯を勝ち抜こうなんて、歴史の浅い国には難易度がちと高すぎる。
 「それでもやってやろうじゃないの」という心意気はヨシ。しかし勝負は勝ってナンボ。いくら志が高くても結果が出なければ、誰も評価してくれない。インテルの監督に就任したベニテスが実に的を射たコメントを残している。
 「目指すところは、常に“良いサッカーをして勝つ”ことだ。しかし、これはチームのレベルによっても左右される問題だ。もしトップレベルの選手がそろっていれば、美しいサッカーをしながら勝つこともできる。しかし、それができない場合には、まず勝利を第一に考えることだ。良いサッカーは、その後から学べばいい」 (一部抜粋。全文はこちら)
 その通り。まずは勝つ。面白いフットボールが見れないのは残念だが、負けるのはもっと嫌だし、もっとダメだ。勝って勝って力をつけて、面白いフットボールを目指すのはそれから。勝てないのに内容を求めるってのはおこがましくすらある。

 日本はなぜ勝ちやすいリアクション・フットボールではなく、難しいポゼッション・フットボールを選んできたのか。それは地域柄に因るところも大きいだろう。日本がW杯予選を戦うのはアジア。ライバルはバーレーンやカタール、インドなど日本よりも国際経験のない超弱小国ばかり。サウジアラビアやイランなど実力のある国も中にはいるが、数は少ない。
 アジアレベルでは強豪国の日本。当然相手はリアクション・フットボールを選んでくる。必然的に日本はポゼッション・フットボールを強いられる環境にあった。しかしレベルの低い相手にいくらパスを繋げてもあまり意味はない。W杯常連の国に通用するフットボールを鍛えていかなければいけないのに、それがなかなか適わない状況であったことは確かだ。

 岡田監督はW杯本番前のテストマッチ韓国戦での完敗を機に、急遽それまでのポゼッション・フットボールを捨て、リアクション・フットボールへと切り替えた。岡田さんが代表監督に就任したのが2007年12月。2年5ヶ月かけてアジアでの試合を中心にコツコツ積み上げてきたポゼッション・フットボールは世界では通用しない、早い話無駄だったと判断した瞬間だった。
 その2年5ヶ月を現路線の熟成に費やせていたら、と思うと歯がゆくなると共に日本の新たな可能性にも心が弾む。イングランド戦からたった3試合のテストマッチでW杯で勝利できるチームを作り上げる事が出来たんだから。だがオフェンス陣の不振などにやはり準備不足が窺える。もう少し時間をかけて前線の選手の連携を深めたり、組み合わせを試せていたら、どんなフットボールが出来ていただろう。無駄になった2年5ヶ月。この月日の意味は重い。

 今大会でつまらないが、しかし勝てるフットボールを体験した日本。今後日本代表はこのままリアクション・フットボール路線を続けるのか、ポゼッション・フットボールに回帰するのか。日本サッカー協会の決断を待つことになる。個人的には複雑な気持ちだ。やっぱりボールを繋いで相手を崩す面白いフットボールは観たい。ただそれはW杯で勝てるレベルにまでなることが条件だ。そんな高難度のミッションを達成出来る監督を連れてこられるのか、それが疑問ではある。
 W杯で勝てるならリアクション・フットボールを受け入れる必要も出てくるだろう。やっぱり勝たなきゃ。それにこれまではそうは思わなかったのだが、リアクション・フットボールこそ日本に合っているのでは、と思い始めている。きっかけはガゼッタ・デロ・スポルトのオランダ戦の日本評だ。
 「岡田監督のチームは組織立っており、見事なまでに犠牲を払う用意ができていた。やはり日本だ。彼らはクレイジーなまでに走り、オランダのプレーの鍵となる 瞬間、そのプレーを中断させた。」 (一部抜粋、全文はこちら)
 やはり日本だ。守備に専心し、90分間走り続ける戦い方が海外の眼にはそう映る。バカンスをとらず勤勉に働き続ける日本のイメージが重なるのだろう。確かにその通りだ。これまではポゼッション・フットボールしかしてこなかったから気づかなかったけど、パスを華麗に繋いで崩すというイメージは日本にはあまり合ってないかもしれない。
 選手層の問題もある。日本にはなぜかパサー型の選手が多い。ポゼッション・フットボールを志向してきた要因の一つでもある。それにひきかえ、リアクション・フットボールに必要なレベルの高いドリブラーやアタッカーは少ないという頭でっかちな国、日本。
 どちらを選ぶにしろ、もっとW杯本番を想定した準備も必要になるだろう。日本が無駄にした2年5ヶ月は大きかった。同じ過ちを繰り返しちゃいけない。「だってアジアだし・・・」なんて弱音をはいてる場合じゃない。W杯予選は仕方ないとして、昨年秋に行った欧州遠征を増やしたり、キリンカップにはキッチリ1軍を連れてきたりと、出来ることはたくさんあるはずだ。



 ということで。長々と書いてて思ったが、結局は日本代表の未来は、日本サッカー協会の手の中なんだな、ということに改めて気づいた。彼らが良い仕事をすれば日本は良くなるし、悪い仕事をすれば日本も悪くなる。そして自分はその日本サッカー協会についてほとんど何も知らないということにも気づいた。どういう基準で会長は選ばれているの?会長の働きぶりを判断して、ダメな時は責任をとらせる構造はちゃんと出来てるの?組織として不透明な部分が多いと思う。日本フットボール界の未来はそんな組織にかかっているのかと思うと、スゴくもどかしい。

posted by myrowka |01:34 | ひとり言 | コメント(0) | トラックバック(1)
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2010年06月17日

理想を追って散る1敗よりも、現実を認め掴み取る1勝

 金子達仁氏のコラムを読んだ。なんというかこう、すごく胸クソが悪くなる内容だった。読んでいてこんなに不快になるコラムも正直珍しい。



 金子氏はさながら貧乏画家を父に持つこどものようだ。
 彼の父親は絵を売りながら、生計を立てている。売れ行きはあまり芳しくなく生活も苦しいが、いつか日の目を見る日を夢見て努力を続ける父親を彼は心から尊敬していた。僕の父さんは上司に怒鳴られ、客にへこへこ頭を下げ、金を稼いでるそこらへんの父親とは違うんだ!
 しかし彼は知らない。父親が最近彼に内緒でアルバイトを始めたことを。絵を売るだけじゃメシは食えない。愛する妻と息子達を養うため、父親は苦渋の末に忌み嫌っていた労働を始めていた。
 ある日、彼は駅前でティッシュを配る父親の姿を発見する。街行く人々に頭を下げながら必死にティッシュを配る父。彼は困惑する。なんで父さんがそんな仕事をしているの?街に絵を売りに行ってるんじゃなかったの?そういえば昨日久しぶりに家族みんなでレストランにご飯を食べに行った。あんなにおいしいごちそうは食べたことがなかった。てっきり絵が高く売れたと思っていたのに。あれはこんな情けない仕事で稼いだお金で食べたごちそうだったのか・・・。そう思うととても悲しく惨めな気持ちになり、彼は吐き気をもよおした。誇りをぐしゃりとつぶされた彼は、父親に激高し、罵倒し、軽蔑した。
 一方で、彼の母親と兄弟は父親の変心を心から歓迎していた。正直なところ、彼女たちは父親にうんざりしていた。夢を追い続けることは結構だが、少しはそのために貧しい思いをしている自分たちの身にもなってほしい。妻は長く夫に働くよう説得していた。子供達が母親に離婚を迫ったのも一度や二度の話ではない。
 そんな妻や息子達のプレッシャーを背中で強く感じていた父親は、画家人生を懸けて描いた大作が全く売れなかった現実を素直に受け止め、一転働く決心を固めた。先日初めてもらった給料で家族を久々にレストランに連れて行った。汗水流して稼いだお金で食べたごちそうはこの上なく美味かった。 父親が働き始め少し裕福になった幸せを家族はみんなで噛みしめていた。ただひとり、一方的に理想を押しつけ、裏切られたと憤る彼を除いて。
 彼は夢を一旦諦め労働を始めた父親だけでなく、それを勧めた母親や兄弟をも軽蔑した。しかし家族はみんな幸せそうで、ひとり彼だけが現状を嘆いている。これが現実だった。彼が頭に描いていた「夢を追う父を懸命に支える立派な家族」は幻でしかなかったのだ。



 金子氏の気持ちはよく分かる。自分も攻撃フットボールの信奉者だ。願わくはパスを繋いで相手を崩す日本代表の姿を見たかった。しかしそれはかなわなかった。5月の韓国戦の状態でW杯本番に臨んでいたら、ペシャンコにされていただろう。それでも負けて良いからとにかくつなげ、などとは思わない。勝利より必要なものがある、などと自惚れることは出来ない。日本代表はそんな偉そうなことを掲げられるほど高尚な存在ではない。
 日本フットボール界の未来のためだといって、パスをつなぐことにとらわれ3連敗をするよりも、泥水すすってでも勝利にしがみつき、W杯で1勝することの重みを体験することの方が日本にとってよほど大きな前進だ。その上で日本は今後どういう道を歩めばいいか決めればいい。その選択が金子氏の言うアンチフットボールだったとしても、それが日本の決断だ。
 日本のフットボールの歴史はまだ浅い。トルシエ、ジーコ、オシム、就任当初の岡田監督とパスフットボールを選択する監督が続いたから日本はそういう国だと見えるだけで、新監督が日本には堅守速攻が合っていると判断すれば、当然日本はそっちの道を歩むことになる。あのブラジルが遅攻を捨て速攻を選び、ドイツがパスフットボールをする時代。代表のカラーなんて案外そんなもんだ。
 要は好みの問題なんだろう。だから金子氏も心の中でそう思ってるだけなら何も問題はなかった。しかし、あの日本フットボール界が必死こいて掴み取った勝利を、メディアを通して「苦く悲しい勝利」と断言され、日本フットボール界は大切なものを失ったと言われる筋合いは、粉微塵もない。

posted by myrowka |16:39 | ひとり言 | コメント(10) | トラックバック(0)
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