2008年11月01日

2008/10/28 春、名古屋、コンクリートの上で (高橋尚子引退から)

おそらくあの日、あの場所にいたものにしかわからないだろう。コンクリート
の上を、全盛期に遠く及ばないスピードで走っている彼女に、かけられるやむこと
のない声を聞いたものにしか。それに支えられ、とうの昔、何キロも手前で夢はつ
いえているにも関わらず、足を止めることのない彼女の姿を見たものにしか。

高橋尚子はこの春の名古屋国際女子マラソンを、トップから18分遅れの2時
間44分22秒(27位)でゴールし、北京への切符は手にすることができなかっ
た。引退がささやかれる中、その15日後、東京、大阪、名古屋の国内3大レ
ースの連続出場プランを明らかにした。年に1、2レースが限界と言われる、
トップレベルのマラソン競技において、過去に例がなく、驚きと懐疑の声が
多かったが、2週間前、名古屋の沿道にいた人は十分に納得していたと思う。

2008年3月9日、名古屋の街はマラソン一色だった。実質、最後の1枚と
なった北京行きのチケットを巡り、弘山晴美、坂本直子、原裕美子、大南
敬美と実力者が集まり、史上最も注目を集めるレースとなった。発着点の
瑞穂競技場には、2万人ほどがつめかけ、沿道には65万人(!)が押し寄
せた。マラソンコースに沿った地下鉄は観客の移動をさばききれず、駅で
は地上の出入り口にまで人がならんでいた。しかし、多くの人たちの興味
は、オリンピック、日本の代表決定ではなく、高橋尚子だった。

高橋の生まれ故郷はとなりの岐阜だが、名古屋の人たちは、ここは高橋の地元
と感じている。98年の名古屋を、残り10kmからの衝撃的なロングス
パート、当時の日本最高タイムで優勝を飾り、一躍日本のトップラン
ナーに躍り出た。00年には、前半より後半のラップタイムが上げてい
く、度肝をぬいた走りで勝ち、シドニー五輪の日本代表となった。高橋
尚子というランナーを生みだし、世界に送り出したのは、名古屋だと
自負している。それに、名古屋市営のバスには、高橋の顔がデカデカ
と描かれている(客員となっている新聞社の広告なのだが)

70万もの人たちは、代表のゆくえよりも高橋を気にしていた。8年振りの名
古屋でのレース、2年前の東京での惨敗、限界ではないかと言う声。はた
して、Qちゃんは復活できるのだろうか? またオリンピックの舞台にたてるの
だろうか? 9km過ぎ、スタートからわずか30分。最初の給水所から徐々に
ポジションを下げた高橋はトップ集団から遅れはじめた。遅いペースで進
む集団よりも明らかにスピードがなく、追いつく気配がない。早くも高橋と
沿道の希望がついえた。

しかし、ここから変わった光景が始まった。沿道を文字どおり埋め尽くした
観客は、トップ集団が通り過ぎても動かない。5分、10分を過ぎても、幾
重にもなった人垣はとかれることはなかった。自身でも経験のないほど遅
いスピードで、足を進める高橋が現れると、怒号のような声援が飛び交
った。「タカハシー!」「Qちゃーん!」「あきらめるなぁ!」「マラソン
やめるなぁ!」これが延々ゴール地点まで続く。叫び、悲鳴にも似た声は
途切れることなく高橋を追いかけ、その中を高橋はサングラスで目は
見えないが、淡々とした表情で駆けていった。

かつてあれほどの声援の中を走ったランナーがいただろうか。先頭から10
分、15分も遅れて、途切れることのない人垣の中を走ったランナーがいた
だろうか。沿道の声が一体となり、1人の選手の背中を押し続けたレース
があっただろうか。あのとき、速い、強いというだけでないプロのマラソン
ランナーとしての形を見たように思う。70万の人も、結果は残念だが、こ
んなマラソンをまた見たい、また走ってほしいと感じたと思う。高橋も失意
の中に、プロランナーとして充足感があったのではないだろうか。勝てな
くても、調子が上がらなくても、これだけの応援をいただける、また同じ
ようなマラソンをしたい。高橋は前から考えていたらしいが、その思いが
3大大会連続出場につながったと思う。

しかし、その夢もかなわなかった。プロとしての形が見えたところで、プロ
としての走りができなくなった。引退会見の中「精神的にも肉体的にも自
分を追い込めなくなった」と、身体の問題よりも、「心」を先にあげた。振り
返ると、アテネ五輪の代表を逃してから、小出監督からの独立、コーチを
つけないトレーニングなど、新しいことへの挑戦や、「あきらめなければ、
夢はかなうことを証明したい」と意味づけをしながら、気持ちを高め走っ
てきた。3大大会連続出場も、未知、困難な目標を掲げ、「たくさんの方々
にお礼をしたい」と意味づけをしたが、もう気持ちを高められなくなった。
あんなマラソンをもう見られないのは寂しいが、あんなマラソンをもう走
れない高橋はもっと寂しいだろう。


posted by moonwriter |18:00 | ATHLETICS | コメント(0) | トラックバック(1)
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Qちゃん、引退後初ラン! 【戀は糸しい糸しいと言う心】

                  高橋尚子選手参加決定!11月9日(日) 岐阜

2008-11-03 16:25 | 続きを読む
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