2007年11月28日
バスケ部員の「将来の夢」
どうも、こんばんは。 半人前コーチ@25歳にして、明日から自動車学校です。 あ・・・内緒にしてようと思ってたのに。 ま、いいや。みんな、送っていくよ。 さて、みなさんは「スラムダンク奨学金」というものを ご存知でいらっしゃいますでしょうか? スラムダンクの著者、井上雄彦氏が設立した、 有望な若者をアメリカに留学させるための奨学金制度です。 10月24日。 福岡第一高の並里選手が、奨学金の第一期生に選ばれました。 以下は、それに関連する記事です。 http://www.asahi.com/sports/column/TKY200711080197.html
10月24日、出版社の集英社はある奨学金制度の合格者を発表した。 奨学金の第1期生に選ばれた福岡第一高の並里 「並里成(なみざと・なりと)」。福岡第一高3年の18歳。バスケットボール選手の米国留学を支援する「スラムダンク奨学金」のただ一人の第1期生が誕生した。 90年秋から6年弱にわたって連載され爆発的な人気を呼んだ、井上雄彦のバスケット漫画だ。連載終了後も単行本は売れ続け、04年夏に1億冊を突破した。集英社が販売するコミックでは井上を含めて過去4人しか達成していない。 その記念事業として井上と集英社が昨年、印税の一部などを充てて奨学制度を設立した。渡航費、米国内の移動費、学費、寮費、けがに備えた保険料まで必要経費をほとんど支給する。当初はバスケット教室の開催や全国の公園にバスケットリングを寄付する案が出た。だが、「日本のバスケの現状はさびしい。高校から先の目標が描けないので何とかしたい」という井上の考えから、奨学金という形になった。 スラムダンク人気はバスケット人気を生み、10代の競技人口は飛躍的に増えた。高校生の登録者数は95年に男子が11万3000人余、94年に女子が7万7000人余とこれまでの最多を記録した。 だが、90年代半ば以降、NKK、熊谷組など名門実業団が休廃部に。日本のトップのリーグも日本リーグとbjリーグに分裂。「高校から先」の環境は整わなかった。 日本バスケットボール協会理事の品田奥義は「せっかくのチャンスを生かせなかった。結局サッカーと比べると、バスケットは学校体育の枠から出られなかった」と話す。連載が終わると、高校の登録者数も少しずつ減り始めた。 現状を打破する突破口を米国留学に求めた井上は、派遣先として大学ではなく、大学入学の準備をする課程をもつプレップスクールを選んだ。大学に入っても語学ができなければ選手として生き残れない。プレップスクールで英語を勉強しながらプレーし、大学の奨学金獲得を目指す。いずれはNBA選手を誕生させたいという。「全くの奨学金の門外漢なのに、よくここまでつくり上げた」と集英社の初代編集者、中村泰造は語る。 昨年10月から今年3月まで募集し、1人の高校生が現地のコーチの目にかなった。今年10月、実際に米国で練習し、テストを受けた。それが、高校1年で全国高校選抜のベスト5にもなった並里だった。「NBAでプレーするという最終目標があったので、いいチャンスをもらった」。来春、米コネティカット州のサウスケント校に進む。 連載終了から11年。スラムダンクは本の中から現実の世界に飛び出して、続きを始めた。〈敬称略〉 ◇ スポーツ界で漫画の影響力は大きい。主人公へのあこがれから一流選手が生まれ、競技人口も左右する。バスケット漫画「スラムダンク」など人気作品がもつ現実を動かす力を連載で探る。 ◇ スラムダンク 不良の高校1年生の主人公・桜木花道が初心者でバスケットを始め、高校日本一を目指す漫画。全国大会の3回戦以降が描かれずに終わっている。90年秋から96年夏まで週刊少年ジャンプで連載。コミックは全31巻で1億285万部余が販売され、アニメ化もされた。漫画は海外17カ国でも販売された。 スラムダンク作者の井上雄彦が発案した奨学金制度。その第1号になった並里成(なみざと・なりと)がいる福岡第一高バスケット部は、スラムダンクがなければ、おそらく存在しなかった。 井上雄彦さん 現監督の井手口孝が女子の強豪・中村学園女高のコーチを辞め、同校に赴任したのは94年。バスケット部はなかった。だが、毎週土曜日にある自主講座でバスケット講座を開いたら、100人以上が殺到した。どうにもさばけず、部をつくることになった。「スラムダンクの絶頂期だった。みんなその影響なんですよ」と井手口はいう。 05年に全国高校選抜で優勝するほどの強豪に成長した。その優勝メンバーに1年生で加わっていたのが並里だ。 身長172センチのポイントガード。沖縄・嘉手納基地の近くで育ち、米兵相手にストリートバスケットを楽しんだ。小柄でも当たり負けしない。井手口は、そのけた違いの才能に「日本の大学では育たない。米国に行かせてみたい」と感じた。 井手口は、並里の米国留学を現実にした奨学金に「井上さんがこういうことをしてくれるのは助かる」と感謝しつつも疑問がぬぐえない。「本来は協会が選手を派遣して強化することを考えるべきではないか」 日本バスケットボール協会理事で高体連を担当する品田奥義は「世界で通用する可能性を持った選手がいるが、高校から先の道が成熟していないのは事実」と認める。02年には、全国から有望選手を定期的に集めて指導する制度をつくるなど新しい試みも始まったが、外に開いた道はない。 10月、テストを受ける並里と一緒に米国に行った井上は、並里が米国選手に交じってプレーするのを見て「身長の高い米国選手に対しても、日本のバスケットが通用する部分がある」と感じた。 日本人初のNBA選手になった田臥勇太は、ハワイの大学を選んで、語学習得に苦労しながら独力で道を切り開いた。井上は「田臥くんが開いた道を参考にさらにいい道をつくる。敬意をもって後に続く」と話す。 日本のバスケット界はいま、目指すゴールが描けない状態だと井上の目には映る。「10年後、20年後のゴールを描くために、やれることをやらないと。奨学金はずっとやっていきたい。そして、米国で積んだ経験を日本に還元してほしい」
先日、あるミニバスのチームの男の子たちとお話をする機会が ありました。小学生でも、男の子はかわいいですねぇ。。。 そこで、「みんなの将来の夢は?」と聞いてみました。 すると、答えのほとんどがこれでした。 「NBAの選手」 上記の記事のお話からは、ちょっと外れてしまいますが、 たとえば少年野球のチームで同じ質問をしたらどうでしょう? 「大リーグ」もいるとは思いますが、多くは「プロ野球選手」と 答えるでしょう。もちろん、日本の。 例えば少年サッカーの子ども達に同じ質問をしたらどうでしょう? 「セリエA」などもいるとは思いますが、多くは「Jリーグの選手」と 答えるでしょう。 「大リーグ」と答えた子も、「セリエA」と答えた子も、 それでも日本のプロ野球やJリーグの選手やプレーを知った上で、 そう答えているのだと思います。 ミニバスのチームの男の子に聞いてみました。 「日本人で好きな選手は?」と。 半分くらいが答えました。 「田臥しかしらなーい。」 自分の国のサッカーの代表選手の名前はすらすら言えても、 自分がやっているバスケットの代表選手の名前は、一人しか 出てきませんでした。 「野球とサッカーしかテレビでやらないんだもん。」 記事中の言葉、 「日本のバスケット界はいま、目指すゴールが 描けない状態だと井上の目には映る・・・」 それを痛感した出来事でした。 NBAも、もちろんいいと思うのですが、 「将来の夢は、JBLの選手です。」 「将来の夢は、BJリーグの選手です。」 少年達がそんな夢を見れるような、 日本のバスケット界に、なって欲しいと思いました。
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posted by miyagi-jr |22:59 |
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