2007年08月17日
熱心なほど、教育に失敗する
いやぁ、暑いですね。 埼京線、中央線にも徐々に人が戻ってまいりました。 そのため、車内も暑くなってましたね。 若干頭痛がしている半人前@大都会です。 先ほど日経ビジネスオンラインのバックナンバーを お昼休みに読んでいると、こんな記事がありました。 賛否両論出るかと思いますが、是非お読みください。
【熱心なほど、教育に失敗する】 「愛情を込めて作った料理は、おいしい」 この言葉は、食べる人が作る人への感謝の言葉であって、愛情 を込めた料理が本当においしいとは限りません。これは園芸職人 が「精魂込めて花を育てれば、必ず綺麗になる」とはまず言わな いのと同じです。腕の立つ園芸職人は、花をどのようにして育て れば綺麗になるのかを、理論と経験から熟知しているものです。 聡明な読者の方にあえて言うまでもありませんが、料理にして も園芸にしても愛情は必要なものですが、それさえあれば済むよ うな十分なものではありません。むしろ愛情に酔いしれて、冷静 な状況判断ができなくなる危険性さえあります。特に教育の場合 の愛情は、注意が必要です。 教育熱心の親御さんというのは、古今東西います。教育に無関 心な親よりは関心を持っている親の方がいいとは思いますが、注 意が必要なのは、教育熱心の親御さんというのは、往々にして自 分が熱心であることに満足してしまいます。「自分は、これだけ 子供に愛情を注ぎ込んでいる」と自己陶酔しているのです。 教育ママやパパには認めたくないことかもしれませんが、子供 を成長させるのは親の情熱というよりは、その子にとっての成長 する条件や場なのです。親がいくら熱心になっても、子供にとっ て感ずる体験がなければ、親の努力などは水泡にきしてしまうの です。逆に、親が何もしなくても、子供がどこかで感ずることが できれば、親の知らぬところで子供は成長していくものなのです。 --「何もしない」教育もある 先日、ある財界の人物を訪ねた時に、壁に掛っている力強い書 に僕は目を奪われました。筆者は世界的に有名なデザイナー、コ シノヒロコさんでした。 「小篠さんは、弘子さんのみならず3姉妹が、それぞれ立派な 方で、有名です」 その話を訪問先で聞いて、子育て最中の僕は思わず興味を持ち、 質問してしまいました。「小篠さんのご両親は、どうやって彼女 たちを教育したのでしょうかね」と。その人は小篠弘子さんの親 友だと聞いていたからです。 答えを聞いて驚きました。 「何もしないこと。弘子さんたちは片親で、お母さんが家族の 生活のために1日中ミシンを踏み続けたのです。その忙しさから、 ご飯の時はイワシを焼いたらそれだけ。姉妹で喧嘩をし始めて、 仲介はしない。弘子さんたちがどうやって大きくなったかを、お 母さんは思い出せなかったそうですよ」 この話を聞いて僕が感じたのは、小篠さんのお母さんはもちろ ん育児や教育を放棄したのではなく、子育てということを特別に 意識していなかったことだけなのだと。そして小篠さんたち子供 たちは、お母さんの生き方や、家族と一緒に積み上げてきた経験 を通じて自ら育ったのです。 「何もしない」の教育は放棄ではなく、親と共に、逆境を克服 していく意欲や忍耐力、感性を身につけさせているのです。子供 が育つのは、客観的な過程であり、親の主観的な思いではありま せん。 --愛情に満足してはならない 愛情とは形がないだけに、思い込みでいくらでも膨らんでいく ものになりやすいのです。恋愛で、片思いに悩んだり失恋して苦 しい時に「これだけ好きなのに、愛しているのに、なぜ」と思っ たことは、誰しも経験があると思います。悲しいことですが、自 分の思いが相手にとって、何の愛情にもならないことはあるので す。 ただならぬ情熱とエネルギーを注ぎ込んでも、教育に失敗する ことはあります。主観的な愛情に自信を持つあまり、教育の客観 性を忘れた結果です。 子供により良い教育を受けさせようと必死になっている親たち は、自分の生き方と日々の生活を軽視している傾向があります。 「自分たちはもう先が見えているから、あとは子供に人生をかけ て夢を託す」という親の姿は、最も教育によくないのです。子供 に自分が失敗した時の心境や、それを克服する心がけを教えたと しても、役に立つとは限りません。親子といえども別の人間であ り、その子の人生と親の人生は、全く別なものだからです。 中略 学校の由来はまさにこの親の限界を打破するための仕組みです 。古代中国ではこの親の主観的思い込みによる弊害を避けるため に、信頼のできる友人同士が子供を交換して教育しました。これ が学校の始まりだと言われています。 教育は自分以外の人に施すものだと思う時に人は教育にふさわ しくなくなっているかもしれません。熱心なほど。教育再生が叫 ばれている今、教育とは何か考えてみました。
私が上記の記事を読んで、最近のできことと共に感じたことは、 教育者(親も含む)の「客観性」、また子供達の「主体性」 (或いは、「主体性をはぐくむ場」)という点が重要である ということを感じました。 先日、失うことの重要性というタイトルでも記事に書きましたが、 http://www.plus-blog.sportsnavi.com/miyagi-jr/article/103 与えられているものが多い現代社会において、自分自身で何かを 発見させることの方が、重要になってきているように思えます。 そのためには、足りないものを与えることよりも、足りないときに どうやってそれを補うかなど、子ども自信に考えさせることが 大事になってくると思います。「何もしない」ということも そのためには、有効な手段なのかもしれません。 (自分の子どもがいない私が言うのもなんですが・・・) 客観性を欠き、教育熱心になってしまうと、子供達の 主体性を奪う結果になってしまいかねないですね。 技術を教える練習も必要ですが、ゲームライクなメニューを なるべく多くして、自分達で何ができるか、何が出来ないか、 どうやればできるかなど、考えさせることが必要かもしれません。 熱心であることは、私は良いことだと思います。 そこに客観性を持たせること、そして、自主性を持たせること。 常に客観的に見れる装置をつけながら、私は指導に 熱心に全力投球したいと思います。
posted by miyagi-jr |16:08 |
中学生 |
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