夢と現実 備忘録

杉山愛 引退までの軌跡

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10月3日 東京有明
東レパンパシフィックオープン、シングルス、ダブルスの決勝が行われた。
ダブルス決勝には今大会を最後に引退する杉山愛が、最後のパートナーとなったDaniela Hantuchova(SVK)と登場。
Kleybanova/Schiavone(RUS/ITA)組に4-6 2-6と敗れ、17年間のプロ生活を締めくくった。



彼女がプロの大会に初めて顔を出したのは、まだ15歳の中学三年生だった1990年のこと。
東京の大会にダブルスで同い年の道城まみと組んで出場、一回戦で1-6 2-6と敗れた。

その年、全日本選手権にも出場し、4回戦まで進出する。

シングルスでのプロの公式戦初挑戦は翌91年4月 サントリージャパンオープンに、予選ワイルドカードで出場。
予選一回戦で、この後、伊達、タナスガルンと並ぶ、アジアの中心選手となる、インドネシアのYAYUK BASUKI相手に、7-5 2-6 4-6と推しいところまで戦ったのだが敗れた。

この91年から、国内および東アジアのITFサーキットの転戦を始める。
そんな中で当たり前のように、インターハイでは一年生ながら決勝で、吉田友佳をストレートで破り優勝している。

92年 2月にランキング554位ながら、16歳にして大阪の大会で、予選から勝ちあがりWTAツアー本戦に初出場。
一回戦で雉子牟田直子に1-6 6-2 7-5と勝ち、WTAツアー初勝利。
二回戦では、すでにシングルス25位と日本のトップに上り詰めていた伊達公子と対戦。
セカンドセットを奪う健闘を見せたが、1-6 7-5 3-6 と惜しくも敗れた。
この年はその大阪の翌週にバンコクの1万ドル大会でダブルス初優勝、7月のアメリカの1万ドルで優勝と、単複それぞれサーキットレベルの大会での初優勝を果たした。
その流れで10月 プロ転向を宣言する。

93年 200位を切ってきたランキングを持って、杉山は四大大会の一つ、全豪オープン予選に始めて挑戦する。
一回戦をストレート、二回戦で予選シード選手をフルセットで破り、予選決勝まで駒を進めたがそこで敗れ、グランドスラム大会にシングルスでの初出場はならなかった。
しかし、ダブルスでは宮内美澄と組んで、グランドスラム初出場を果たす。

次の大会、東レパンパシフィックオープンでは、予選から勝ちあがり、本戦一回戦で、当時世界ランキング5位 36歳になっていた Martina,Navratilova(USA)と対戦した。
スコアは3-6 6-3 3-6 フルセットにもつれ込んだが敗れた。
ナブラチロワとの年の差19の対戦は、これが最初で最後となった。

その後順調にランキングを上げ、四大トーナメントへの挑戦を続けた三大会目となるウインブルドン。
予選を三つ勝ち、初めての本戦出場を果たす。
本戦一回戦では、ダブルススペシャリストとして名高いGIGI,FERNANDEZ(USA)と対戦し、ファーストセットを6-3で奪ったものの、あとの二セットを3-6 3-6と失い、グランドスラム大会初勝利はならなかった。

翌年はもう本格的にWTAツアーを転戦。
ウインブルドンでは予選を勝ちあがり二度目のシングルス本戦出場。
ここではランキング6位の伊達公子にストレートで完敗。まだまだ力の差を見せ付けられる。
シーズン終盤、11月のインドネシアの大会では、初のWTAツアー決勝進出を果たすが、第二セットを取られ1-1のイーブンとなったところで棄権を余儀なくされ、初タイトルはならなかった。
しかし、このポイントが大きく、初めてランキング二桁でシーズンエンドを迎える。

一方、ダブルスでは4月のジャパンオープンにで、道城まみと組んで決勝進出。
決勝ではダブルスの強いYayuk Basukiと、宮城ナナのペアに6-4 6-1のストレートで勝って、ダブルス初タイトルを18歳9ヶ月で獲得した。

95年、100位を切ったランキングで迎えたこのシーズンは、グランドスラムトーナメントに本戦から出場できる。
その後、杉山は引退するまでランキング100位を切ることなく、結果として、この95年以降、グランドスラム本戦に全て出場してきた。
実際には、予選を勝ちあがって出場した94年のウインブルドンが基点となり、2009年全米オープンまで、62大会連続のグランドスラム大会シングルス連続出場、となる。

この年から上位選手にも勝ち始める。
全仏オープン、一回戦でランキング14位のHELENA,SUKOVA(CHZ)に勝ち、グランドスラム本戦初勝利、その勢いでベスト16まで駆け上がる。
8月のサンディエゴの大会では二回戦でランキング24位のAMANDA,COETZER(RSA)に勝利。
シーズン終盤、11月のオークランドの大会ではWTAツアー二度目の決勝進出を果たす。
ここではランキング7位、マレーバ三姉妹の三女、MAGDALENA,MALEEVA(BUL)に3-6 4-6で敗れ、またしてもWTAツアー初タイトルを逃した。

一方、ダブルスでは長塚京子と組んだホバートでの大会で優勝。
そのほかにも全米オープンベスト16 ジャパンオープン準優勝など、着実に結果を出していく。
結果的に、ダブルスでは94年の初タイトル以降、引退する2009年まで、必ず毎年最低1つは優勝、タイトル獲得をし続けることになる。

また、この年は初めてフェドカップメンバーに選ばれている。

96年 この年になると、もう上位選手に勝つことも日常茶飯事になってきた。
3月、マイアミの大会でランキング10位のJANA,NOVOTNA(CZE)にストレート勝ち。
ウインブルドンでは三回戦でランキング5位、第5シードのANKE,HUBER(GER)にストレート勝ちしてベスト16進出。
アトランタオリンピックにも出場し、二回戦で当時売り出し中の15歳 第15シードMARTINA,HINGISにストレート勝ちしている。

ダブルスでは、ジャパンオープンで伊達公子と組んで、第一、第二、第四シードと上位シードを次々破って、国内大会初タイトルを獲得。
さらにその翌週、フェドカップ、伝説の伊達-グラフ戦の後に行われた、チームとしての日本vsドイツの決着をつける、第五戦、ダブルス。
長塚京子と組んで、グラフ-フーバーというシングルストップ5ペアに、4-6 6-3 6-3と勝利。
伝説にチームとしての勝利の花を添えた。

この年のシーズンを最後に伊達公子が引退する。
沢松奈保子はまだ現役選手としていたものの、このあたりから急激に杉山の方に日本を引っ張る、という重責がのしかかってくる。

その重責はしっかり果たす、と言わんばかりの結果を97年には示す。
開幕戦、ゴールドコーストで早くも決勝進出。
三度目の挑戦のWTAツアーシングルス決勝だったが、ここは、その後ダブルスパートナーともなるELENA LIKHOVTEVA(RUS)にフルセットの末敗れた。

フェドカップでは初めてシングルス戦に出場、フランス戦ではMARY,PIERCE(FRA)を7-5 6-7(7) 6-4という大激戦の末下す金星を奪う。
4月、ジャパンオープンでWTAツアー四度目の決勝進出。
一回戦から決勝まで、全て米国選手との対戦、という不思議な山を勝ちあがり、決勝はAMY,FRAZIER(USA)をフルセットの末下し、初の栄冠を手に入れた。
さらに11月には、さらにグレードの高いTier1大会のモスクワでBRENDA,SCHULTZ-MCCARTHY(NED)、ARANTXA,SANCHEZ-VICARIO(ESP)といったトップ選手を次々撃破し決勝進出。
決勝ではJANA,NOVOTNA(CZE)に敗れたものの、この勝ちあがりでランキング30位の壁を突破する。

また、ダブルスでは、なんとMONICA,SELESと組んで、豊田プリンセスカップに出場し優勝を果たしている。

98年からは安定期に入ってきた。
シーズン開幕戦のゴールドコーストでいきなり優勝。翌週シドニーでベスト4
全豪オープンベスト16ともはや勝ちあがるのは当たり前と言う状態に。
ジャパンオープンも勝ち、シングルスタイトルを二つ取る。
また、サンディエゴの大会では二回戦ではあのSTEFFI,GRAF(GER)にも勝っている。
ダブルスではELENA,LIKHOVTSEVA(RUS)と組んでゴールドコースト、ルクセンブルク、ライプチヒ、フィラデルフィアと四勝。
ゴールドコーストは初の単複二冠、ルクセンブルクからフィラデルフィアまでは三大会連続優勝。
全豪でもベスト8と、グランドスラム大会初のベスト8進出を果たし、これら成績を引っさげて、初のシーズンファイナルもツアーチャンピオンシップへの出場も果たした。

99年もシングルスで決勝進出一つ、ダブルス優勝二つ、準優勝二つと安定した成績を残す。
また、この年は、ミックスダブルスでMahesh Bhupathi(IND)と組んで、全米オープンを優勝。
初のグランドスラムタイトルを手に入れた。
このブパシは97年に平木理化とのダブルスで全仏オープンを制したあのブパシである。
ちなみにブパシは今も現役で、この後、ピアース、ハンチュコワ、ヒンギスといった名だたる女子選手たちとのダブルスでグランドスラムタイトルを取り、今年も全豪オープンでミルザと組んで優勝。
ミックスダブルスで7つのタイトルを持つという、ミックス男である(男子ダブルス自体もちろん十分強い)。



2000年、ついに全豪オープンで初めてシングルスベスト8を達成する。
また、ダブルスではなんとツアー合計六勝。
全仏で初のベスト4進出、さらに全英では初の決勝進出。
決勝は、その後天敵となるウイリアムズ姉妹にストレートで敗れ、栄冠はならなかったが、全米オープンでは、JULIE,HALARD-DECUGIS(FRA)との組で、前年のパートナー、ELENA,LIKHOVTSEVA(RUS)とダブルススペシャリストCARA,BLACK(JIM)の組に6-1 1-6 6-1で勝利。
ダブルスで初のグランドスラムタイトルを手に入れた。
最終的に、年間獲得ポイントトップでツアーファイナルに進出し、2000年末のダブルスランクは1位となった。

この2000年のダブルスランク一位獲得を期に、21世紀は今ひとつぱっとしない成績で幕を開ける。
2001年2002年、決して弱いと言うわけではなく、ランキングも大きく落とすわけでもなく、20位から40位の間をキープするのだが、今ひとつパッと目立つ活躍が出来ない時期が続く。
シングルスでの決勝進出は一つもなく、グランドスラム大会も2年続けて全て3回戦どまり。
ダブルスでも、2001年は二勝、2002年は一勝とタイトルが取れないわけではないのだが、ランキング1位となった2000年の結果からすると、満足行かない二シーズンになる。

そこから再度花開いたのが2003年である。
2月末、米国スコッツデールでの大会。
久しぶりにシングルスで準決勝まで残り、ダブルスでも準決勝まで残っていたのだが、雨で日程が遅れ、最終日に単複準決勝決勝を全て行うという、勝てば一日四試合、という強行スケジュールを強いられた。
そんな中、シングルス準決勝から、ALEXANDRA,STEVENSON(USA)に6-7(2) 6-2 7-6(7)という超タフマッチを強いられる。
何とか決勝に勝ちあがると、待っているのはダブルスパートナーでもあり、ランキング3位のKIM,CLIJSTERS(BEL)
これを、3-6 7-5 6-4とフルセットで下し、5年ぶりのシングルスタイトル獲得を果たした。
Tier2大会での優勝はこれが初である。
さらに残っているダブルス。準決勝を7-5 6-0 決勝を6-1 6-4と取り優勝。二度目の単複二冠を一日四試合を戦い抜いて果たした。
この日、彼女は6時間18分 103ゲームを戦っての栄冠である。

これがきっかけとなってか、その後、全仏、全英、全米、グランドスラム三大会連続でベスト16進出。
さらに10月のリンツの大会でツアー通算五勝目。
シングルスで初のツアーファイナル進出を果たし、ファイナルでは当時ランキング二位のJUSTINE,HENIN(BEL)に勝つなどの活躍も見せて、初めてランキングトップ10でのシーズンエンドを迎えた。
なお、ダブルスでは全仏オープン優勝、全英オープン優勝と二度目の黄金期を迎え、その二つを含めて一年間で八勝、ツアーファイナルも含めて、準優勝が四つと驚異的な成績を残した。

2004年もその勢いを持続し、ゴールドコーストで優勝し、ツアー通算六勝目。
2月には自己最高の8位までランキングを上げる。
また、ウインブルドンではベスト8進出を果たし、アテネオリンピックでもベスト8に進出する。
ダブルスではCLIJSTERSとのペアを解消したことなどもあって、ツアータイトルは二つにとどまったが、それでも、全仏、全英では決勝進出。
オリンピックでもメダルに後一歩の四位にまで迫った。


2005年あたりからは少しづつ下降線をたどり始める。
それでも05年、サンディエゴではランク4位のSVETLANA,KUZNETSOVA(RUS)に勝って決勝進出を果たしたり、06年もドーハでランク12位のANASTASIA,MYSKINA(RUS)に勝ちベスト4 ウインブルドンでMARTINA,HINGISを下しベスト16、全米オープンでもHENINとフルセット、ソウルでも決勝進出など活躍を見せる。
2007年には東京Tier1で当時ランク1位のMARIA,SHARAPOVA(RUS)と準々決勝でフルセットの戦いを演じるなど、随所で見せ場は作っていた。
ダブルスにいたっては2005年こそ一勝だけで、グランドスラム大会でもベスト8止まりであったが、2006年はドーハ、ローマと二勝を上げ、全仏オープンでは決勝進出。
2007年はトロントの一勝だけだったが、全仏、全英で決勝進出を果たし、6度目のツアーファイナル進出。
2008年もツアー三勝でファイナル進出と、勝って当たり前の選手であり続けた。

そして迎えた2009年
最後の見せ場は全豪オープンダブルス。
全豪では初の決勝進出を果たし、全仏、全英、全米とあわせて、ダブルスでのグランドスラムを果たすか、と期待されたが、天敵ウイリアムズ姉妹の前に3-6 3-6と敗れ、偉業達成はならなかった。
これを最後にシングルスではまったく勝てなくなり、8大会連続初戦敗退。
ダブルスでは7月に最後のタイトルを取るなど頑張ってはいたが、グランドスラム大会で勝ちあがることは出来ず。

最終的に9月、全米オープンでの敗退後、引退を発表。
東レパンパシフィックオープンを最後に、現役生活を終えた。


シングルス通算獲得タイトル6
97年 ジャパンオープン
98年 ゴールドコースト ジャパンオープン
03年 スコッツデール リンツ
04年 ゴールドコースト

シングルス準優勝7
94年 スラバヤ
95年 オークランド
97年 ゴールドコースト モスクワ
99年 ジャパンオープン
05年 サンディエゴ
06年 ソウル

グランドスラム最高成績 ベスト8
00年 全豪オープン 04年 全英オープン
グランドスラムベスト16進出 11回(ベスト8含む)
95年 全仏
96年 全英
98年 全豪
00年 全豪(ベスト8) 全仏
03年 全仏 全英 全米
04年 全英(ベスト8) 全米
06年 全英

グランドスラム シングルス62回連続出場


シングルス キャリアハイランク 8位

ダブルス通算獲得タイトル38
94年 ジャパンオープン
95年 ホバート
96年 ジャパンオープン
97年 豊田プリンセスカップ
98年 ホープアイランド ルクセンブルク ライプチヒ フィラデルフィア
99年 シドニー ストラスブール
00年 シドニー マイアミ イーストボーン ニューヘブン 全米 豊田プリンセス モスクワ
01年 キャンベラ インディアナウェールズ
02年 メンフィス
03年 シドニー アントワープ スコッツデール 全仏 全英 サンディエゴ チューリヒ リンツ
04年 モントリオール バリ
05年 バーミンガム
06年 ドーハ ローマ
07年 トロント
08年 マイアミ チャールストン リンツ
09年 イーストボーン

ダブルス準優勝 33

ダブルスグランドスラムタイトル3
00年 全米
03年 全仏 全英

ダブルスグランドスラム準優勝 7
00年 全英
01年 全英
04年 全英
06年 全仏
07年 全仏 全英
09年 全豪

ダブルスキャリアハイランク 1位(2000年および2003年)

シングルス通算 492勝419敗
ダブルス通算 566勝295敗

通算獲得賞金 8,153,126$


杉山愛公式サイト
WTA公式 Ai's Tokyo Blog
WTA公式 A Tribute to Ai Sugiyama
WTA公式 ニュース Sugiyama Calls It A Career
ITF公式 Flashback Ai Sugiyama Retires and carrer review



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