2006年07月05日

1997年のフラミンゴ打法

王貞治 福岡ソフトバンクホークス監督が、手術の為戦線離脱を決めた。
きっと王さんにとっは苦渋の選択だったと思う。

1997年、
まだ王さんがホークスの監督になって、まもない頃。
ホークス番の記者を中心とした、マスコミ連合 対 ホークスコーチスタッフチームの草野球が福岡ドームで開催されたことがあった。当時オナー代行だった、中内正さんの発案だったと記憶している。
残念ながら、ぼくはどちらにも所属していなかったので、スタッフチームのベンチで応援をしていた。それに、現役コーチや、現役バッティングピッチャーたちとプレー出来るほど野球が上手くかった。
もし、マスコミチームが敗けたら、記者の責任で、98年シーズン中にホークスの記事で1面を埋めること。もしマスコミチームが勝ったら、豪華焼肉食べ放題。という罰ゲーム付きだった。

試合は、予想通りコーチチームの圧勝。
4回を終わって6-0でリードしていた。
そこでマスコミチームはなんと、予想もしない暴挙に出た。
5回の先頭バッターにピンチヒッターを送った。
福岡ドームにアナウンスがこだまする、

「一番ファースト王」

草野球なので、スタンドには関係者しかいなかったが、大きなどよめきが起こった。
コーチチームの監督をやっていた中内さんは
「ずるいぞ!、バッティングピッチャーが監督に打ちにくいボール投げられるハズないだろう!」
確かにその通りだ。王さんに気持ち良く打ってもらえるボールしか投げられない。

しかし一方で、そこにいた全員が、王さんの華麗なヒットを見たがっていたと思う。
マスコミチームからは「ホームラン!、ホームラン!、ホームラン!、」とコールが起こった。
僕も同じ思いだった。もしここで王さんのホームランが見られたら、身体中の穴という穴が全部開いちゃうんじゃないか、と。

王さんは89番のユニフォームを着て、左バッターボックスに入った。
そして、あの伝説になっている一本足打法を見せてくれたのだ。
いやああああ。生で王さんの一本足が見られるとは思っていなかった。正直感動だった。
しかも、至近距離で。

そりゃ現役の時とは全く比べ物にならないが、
日本プロ野球界の宝物。王貞治の一本足打法。
それだけで、価値があった。

晩年のジャイアント馬場社長の、16文キックと同じだ。
両手を会わせて拝みたくなるほど、それはそれは貴重な体験だった。

そこにいる全員の期待に反して、王さんの一本足打法は、ボールを捉えることは無かった。
バッティングピッチャーは、打ちやすいところにストレートを投げていた。
結果は3球三振。全部空振りだった。
打席の後、王さんは照れることもなく、満面の笑みでバッターボックスを離れていった。
その姿を見て
「本当に野球が好きな人なんだなあ。」と心から感じたことを覚えている。

「監督相手に変化球なんて絶対に投げられませんよ、だって世界の王貞治がバッターボックスに立っているんですよ、これは家族に自慢出来ます。ハイ」と後で興奮気味にベンチの中で話していた。
試合は結局、マスコミチームの惨敗、全てのスポーツ誌で1面を獲得したのだった。

王さんという人は、
本当にとても素晴らしい人で、マネージャーの加藤さんや、球団職員の安住さんにもいつも笑顔で話しかけ、僕みたいな小僧の名前まで覚えていてくれた、人望の厚い人だ。
どんな病気で、どんな症状なのか正式な発表はまだだが、1日も早くユニフォームを着て、グラウンドに戻ってきてくれるこを心から祈ってやまない。

posted by marketing |01:40 | プロ野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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