2007年07月31日
ドリブラーがボールを奪われると、ディフェンスが非常に疲れる件。
サウジアラビア戦や韓国戦のような膠着した状態が続くと、 最近のテレビ解説では よく、 「もっとドリブルで突っかけろ」と言う言葉を聞く。 98年のフランス大会で、中西が右サイドを切り裂き得点になりそうな チャンスを演出したシーンを記憶している人も多いと思う。 筆者もその時は岡田監督の弱気の采配に嫌気がさしていたものだ。 曰く「もっとドリブルで突っかけろ」と。 だが待てよと思う。 元来ドリブルを多用するチームカラーなら、前出の中西のように 見事な突破を図れただろうか。 流麗なドリブラーでも、相手チームの研究によってスペースを 潰され、木偶の坊のごとく振舞うしかないパターンだって 考えられる。日産の金田がそうだった。 我慢して我慢して、中西は千載一遇の機会を虎視眈々と 狙っていたのだと言うことは、ゲーム展開から見て取れる。 何故なら「ドリブルで突っかける」出入りの激しいサッカーは 攻め手に激しい消耗をもたらす。 それに、ドリブラーがボールを相手方に奪われたときのチーム心理は、 KGBの拷問(小林多喜二を殺した東京憲兵隊のでもよい)のように過酷だ。 特に、ディフェンスの落胆は救い様がない。 「なにやってるんだよ、このトンマが!」と怒鳴りたくもなる。 たまたま一回、ドリブル突破がそれなりに好機に結びついたとて、 単純に「もっとドリブルで突っかけろ」と絶叫するファンや、解説者の 気持ちも分からないでもない。 サッカーはだがしかし、人間がやっている以上できるだけ ボールをキープして安心していたいと誰もが思う。 そう言う、人間が心の奥底に持つ安寧さへの飢えを具現化しつつあるのが ジーコ時代から提唱されてきた日本流のサッカーなのではないだろうか。 ドリブラーにしても、フェイントやタイミングで抜く選手が 殆どであり、中東、まして世界レベルの爆発的スピードと脚前を兼ね備えた 選手など日本には皆無だ。 だが、器用さを持つ脚前の確かさと勤勉さ、持久力、教育レベルから 戦術を理解する能力。この点を日本人の特色とオシムは見抜き、 日本人のためのエクセレントサッカーを真に具現化しようと している。 そもそも「ドリブルで突っかける」サッカーは、悪魔の化身ガリンシャが 現役だった、もっとゲーム展開がスローだった時代に通用した戦術だった。 時代に逆行するかのような、短絡的感情的な論評は聞きたくはない。 前述の中西にしかり、南米選手権でドリブルシュートを放った 望月しかり、ああ言った宝のプレーは千載一遇の機会にしか生まれない。 訪れた少ない機会に繰り出すから、成功するのである。 それぐらいの戦術眼は、 現代の日本代表クラスなら誰もが持ち合わせている。 暑い東南アジアや中東で、常に「ドリブルで突っかける」サッカーを 標榜し、チーム作りをしようと指導者が考えるだろうか。 気候や、選手の肉体的コンディションに左右されないサッカーが 日本の目指しているサッカーだ。 オシムは、涼しくなったら松井を呼ぶかもしれない。 サッカーはウインタースポーツに他ならないからこその、 オフシーズンに開催されるアジアカップであり、W杯なのだ。 涼しくなったら松井を呼んで、少しずつ慣らしていく気だろう、 イビツィア・オシム?
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posted by lullaby |22:35 |
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