2007年10月07日
今日が神宮球場での引退試合となった。CX系「新報道プレミアA」では最終打席と引退セレモニーの様子を生の映像で伝えてくれた。お抱えの球団が久々に優勝する様子を中途半端に伝える某局と比べると,プロ野球への愛や振興度の違いがよくわかる。
表題に「選手なのに」と書いたのは2つの意味を込めた。1つは,いち選手にもかかわらず労組日本プロ野球選手会の会長を長年務め,初のストライキを決断するなど,まさに闘うプロ野球選手だったことである。会社なんかではよくある話で,昔は労組の中心で闘っていたサラリーマンも偉くなって使用者に回ると組合のことなんて意にも介さない。プロ野球もそんな組織なんだと実感させられるとともに,闘う人間がいればあそこまで大きなうねりができるのかと衝撃を受けたことは記憶に新しい。未だに労組間で協議せねばならない課題が山積しているが,2004年のあの動きは大きなベンチマークになることは間違いない。
もうひとつは久々のプレイングマネージャー(選手兼任監督)となったことである。長年出てこなかった理由が古田氏の例でわかったような気がするし,今後しばらく出てこないだろう。投手の分業化は叫ばれて久しいが,他のポジションやベンチも分業化は進んでいるのではないだろうか。フロントへの補強要望が通らず苦しい人材でかつ自分も選手としては下り坂な中,結果は選手としても監督としても納得行かないものだったと思うが,今後は必然的に指導者の道が待っているだろうから一度勉強してもう一度さえる采配を見せて欲しい。
個人的には,選手交代を告げに行ったりマウンドのピッチャーを鼓舞する際に軽快にジョグしている姿がとても好きだった。
posted by lovingsports |22:01 |
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2006年12月17日
阪神タイガースで今季神懸かり的活躍をした唯一無二に近い選手と言えばやはり藤川球児しかいない。ただ,その活躍とは別に「あの涙」について考えたい。
「あの涙」とは,8/27の甲子園での讀賣戦でのヒーローインタビューでの涙のことだが,藤川が右肩の痛みと寝違えにより1軍登録抹消明けのことだった。二岡にホームランを打たれたものの,1点差を逃げ切り辛くも勝利。久々のマウンドと観客の温かい声援からの感激かと思ったら実は違ったそうである。
藤川自身,今のポジションと地位を得るきっかけになったのは,2004年にアテネオリンピックに中継ぎとして活躍していた安藤が派遣されて空いたところに彼が入ったことからだそうである。藤川はそこで中継ぎに目覚め,翌年以降のすばらしい活躍の礎にしているわけである。確かに,私も2004年夏以降藤川には個人的に注目していて,2005年ぜひ中継ぎで一年間やってほしいと思ったものである。シーズン登板記録を塗り替えてしまうほどのフル回転と驚異的な成績までは予測できなかったが。
藤川が何を言いたかったかと言うと,自分が登録抹消されていた10日間あまりをチャンスととらえて他の誰かに出てきて欲しかった,というわけである。自分がそうだったように,一軍で空いた席をきっかけに競争が起こって欲しい,そしてそこから自分のようなエースが出てきて欲しいと願っていたそうである。そのチームのふがいなさへの涙がこもっていたというのである。
「あの涙」以降,タイガースは28試合中6試合しか負けていない。実に勝率は7割5分(1引き分けを考慮)。しかしそれとは裏腹に藤川はあの時点である意味優勝をあきらめていたのかもしれない。
確かに,現在の阪神タイガースは常に優勝候補に挙がる常勝軍団になりつつある。しかしその直前には5位になることもままならないような時代が続いた。藤川はそのどちらも知っている選手であり,また個人的にもかなり苦しんだ選手人生を歩んでいた。このチームには競争意識が薄れている。このままベテランに頼り切るのではなく二軍から積極的に名乗りを挙げて欲しいというメッセージがあの涙にはあったのである。
オフシーズンに入り,注目度がますます増した藤川は不用意ともとれるような発言をしているようである。井川が抜けたチームでは優勝はとても無理だろう,などなど一選手としては本音が出過ぎている部分もある。こういう投手がただのわがままで終わらずにチームを引っ張る意味でそういった発言で鼓舞していくことができれば強いチームとしていられるかもしれないが,その逆もあるかもしれない。2007年は戦い方も変わってきて藤川自身のポジションも変わるかも知れないが,まずはマウンドで物語って欲しいものである。
posted by lovingsports |15:08 |
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2006年12月16日
まもなく2006年も終わる。来年2月のキャンプインを見据え,今年の日本プロ野球12球団の中で象徴的だと思われた選手を1名ずつ独断で選び出し,「12球団このオトコこの一年」と題して遺していくこととする。
まず今年日本一に輝いた北海道日本ハムファイターズからは,新庄でも森本でもなく「金村曉」を選んでみた。それはファンなら誰もが知っている2つの出来事からである。
1つは4/16の福岡ソフトバンク戦において,内角のきわどい投球でズレータを怒らせ,暴行を受けたという件である。
実はこの2日後に新庄剛志が東京ドームでの試合後に引退宣言を行ったことに大きな反響が向かい,事件が起こった当初のみ大きく注目されていた感があるが,私が思うに,ファイターズベンチをより発憤させた出来事は新庄ではなく金村だったのではないか。
というのは,私もキャンプを見に行ったときも,新庄を中心に明るい練習風景が印象に残っているもののどこか緊張感に欠けていた。ヒルマン監督が「今年はスモールベースボールをやるらしい」との情報を得て注目はしたが,それでもプレーオフ進出は厳しいと予想していた。また,2005年の対戦成績を見るとソフトバンクに対し10の借金があり,ここで収支改善が進めばおのずと3位確保は見えてくる。
後者のほうは後付けに過ぎないが,相手がたまたまソフトバンクだったこともあってベンチ全体にもしばらくは「ソフトバンクには負けられない」という気概があったに違いないし,結果的に今季4つの勝ち越しを得たのは大きいと考えられる。
もう一つの出来事は9/24の千葉ロッテ戦,金村は先発し4回まで好投していたが5回につかまり,大きなピンチを招く。ここでヒルマン監督は金村の降板を命じ,後続した投手は打たれゲームは負け。シーズン終盤の負けられない試合だったことと,何より金村自身が4年続けていた2桁勝利が止まったことで試合後ヒルマン監督を痛烈に批判。後日謝罪するもチーム内で重い処分が下された。
たまたまこのシーンをテレビで見ていたが,2アウトでピンチを背負った金村にコーチが寄ってきたところから雰囲気はおかしかった。降板するその途上も,悔しさ不満を隠すことはなかったように記憶しているが,まさかその後に監督批判が行われるとは衝撃的であった,
大事な時期にこういうことが起こればチームは一気に崩れるかその逆かである。金村事件の当日に敗れはしたものの,翌々日に行われたソフトバンク戦には八木→武田久→マイケルの完封リレーで圧勝しソフトバンクの3位を決めさせた。この一勝にちーむそして金村が誰より救われただろう。
そして日本シリーズでの熱投。いろいろあったシーズンの総決算とばかりにふっきれた姿がそこにはあった。
自らファイターズのエースであることを自負しているようだが,実際は次々に入ってくる即戦力の若手によりその座はあやしいものになっている。しかし今季見せてくれたこの精神力はチームにとって今後必ずや不可欠なものになるであろう。そういった意味でも2007年は大きな勝負の年である。
…ここまでいろいろあった選手が他の11球団にいたかどうかわからないが,2006年を振り返るにふさわしいまとめにしていきたい。
posted by lovingsports |17:19 |
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