2006年07月28日
関西では大阪の天神祭りが終わり、一気に夏本番を迎えた。
夏の代名詞といえば、確実に出てくる名前が「甲子園」。
既に代表を決めた高校もあるが、ここから多くの高校が地元代表に名乗りを上げてくる。
この高校野球、一般的には「汗と涙の」高校野球ということになっているが、多くの問題点を含んでいることは、既に十年以上前から指摘され続けている。
投手の消耗など選手の体調管理、有名校を中心としたスカウト合戦による「職業化」、「五人組」制度のような連帯責任の取り方などさまざま挙げられているが、その中でもよく指摘されるのがが「職業監督」の存在だ。
しかし私は「職業監督」大いに結構だと思う。
むしろそこに学校の本気度を見る気すらしてくる。
高校の部活動とはいえ、学校が勝利のためにできる手段を取るのは至極当然だと思うからだ。
そこに「高校生の部活動なのに」などという理屈の裏側には「アマチュアリズムは美しく尊い」、「プロフェッショナルは金に汚い」という、間違えたイメージが影響しているように思う。
「アマチュアスポーツの祭典」と一部で呼ばれているオリンピックでも、「アマチュアらしく」なんていっている選手は、今どきどこを探したっているはずがない。
そんな選手は出場することすら適わないのだ。
都道府県から原則1校しか出られない大会に出場するため、優秀な専門的指導者を雇うのは当たり前のことだ。
野球を全く知らない(プレーしたことがないという意味ではない)教師が片手間にやって勝ち進めるのならば、最初から監督なぞ不要だ。
しかし「職業監督」を雇う学校の側にも問題がある。
それは、「職業監督」を批判された時に、「監督は人間的にも素晴らしい人物で、選手たちの人間教育にも大きく寄与してくれている」という言い訳をすることだ。
しかし、この言い訳はどうかと思う。
もっと堂々としていれば良いのだ。
大体、野球に人間教育を求めること自体に無理がある。
スポーツには「プレーして楽しい」「見て楽しい」「知って楽しい」などの係わり方があるが、人間が成長するからなんていうのは、それこそ高野連(日本高等学校野球連盟)あたりがおためごかしに言っているだけだろう。
むしろ「監督は卓越した野球理論の持ち主で、当校を必ず甲子園に連れて行ってくれるはずだから雇っています」といった方がよほどすっきりする。
大体の問題は「監督」を教育者として位置づけるから、生徒やその家族に対して大きな影響を持ってしまうのではないだろうか。
あくまで野球を教えてくれる人、という部分に徹しておけば良いのではないだろうか。
私立高校にとっては甲子園出場→入部希望者が集まる→受験生が増え、収入増になる、などのメリットを求めることは、学校経営の側面から見たら当然のことだ。
こう考えてくると、監督が能力さえあれば、大人である必要性もなくなってくる。
野球をプレーすることは出来なくても、マネジメントする能力を持った学生がいてもおかしくはない。
そうした学生が監督でプレーするのも同級生なんていうチームがあってもおかしくはないと思う。
むしろ、変な根性主義とは無縁で、野球の玄人には思いつかない「奇策」で、見ている私たちを思いっきり楽しませてくれるかもしれない。
むしろその方が、生徒にとっては思い出になるかもしれない。
今年も「甲子園」の季節がやってきた。
選手たちは「汗と涙の」なんていう大人が作った下らない価値観に囚われず、好きなように楽しんでプレーして欲しい。
予選を勝ち抜いた選手たちだけが味わうことのできる「美味」を大いに味わい尽くして欲しい。
posted by lovesportslove |17:29 |
高校野球 |
2006年07月25日
イエローカード11枚、レッドカード3枚。
この数字はある1試合の中で乱発されたカードの枚数だ。
Jリーグを見ている中で最も気になるものの一つが「審判」のレベル。
もちろん審判も人間であり、間違いは起き得ることだし、それをいちいち論っていては、人間が人間の行動を裁くことそのものが不可能になってくる。
しかし、あまりにひどいレベルのジャッジは、試合そのものの面白さをもスポイルしてしまう。
冒頭に挙げた数字は、2003年のJ2リーグ戦、アルビレックス新潟対川崎フロンターレの試合でのもの。
しかもその反則の大半が不可思議なものだった。
--ケース1--
新潟の選手が後半37分に3-0と勝負を決定付けるゴールを入れ、喜んで新潟サポに駆け寄ったところ遅延行為としてイエローカード、この選手はこの日2枚目となり退場処分というものもあった。遅延行為にイエローカードを出すのは、逃げ切りを計るチームが緩慢な動きで時間稼ぎをしたときだ。
川崎は既に一人退場処分になっており、残り8分で3点を追いつくことは、常識的には難しいと思うだろう。
件の新潟の選手の行為が、長時間にわたったのであれば、警告の意味も解るが、常識的なものに思えた。
しかもこの試合では驚くことに、ファールの数が実に40回を越えている。
計算上は2分に1回近くは笛でプレーを中断されてしまったことになる。
他の試合の例も紹介しよう。
--ケース2--
2005年のJ2リーグ戦、鳥栖対草津では、後半ロスタイムに草津の選手が、鳥栖DF陣との競り合いの最中にペナルティーエリア内で転倒。これに対し、プレー位置から遠く離れていた鳥栖選手の反則を取り、草津にPKを与え、これが決勝点になったものだ。
これの凄いところは倒れた草津の選手が試合後に「足がもつれただけで倒されていない。なんでみんなが(PKと)喜んでいるのか分からなかった」と話していることだ。
しかもこの試合では、鳥栖の選手がペナルティーエリアで倒されてPKを宣言されたものが、直後に取り消しとなり、駆け寄ろうとした鳥栖の主将が主審の10m手前でイエローカードが出された。
その際に、まだ「何も抗議もしていないのに」と抗議する鳥栖の主将に対し、主審は「こっちに来る必要がない」と言ったという。
それでも審判は権威者だ。
スポーツにおいて審判の判定が覆るということはあってはならないことだ。
しかし、権威者である審判は、こうした自分たちのミスを自省し、その後の成長に役立てているのだろうか?
私に言わせるならば、残念ながら答えは「NO」だ。
上記の二つの試合を裁いた主審は別人だが、今でも彼らの裁く試合においては問題がおきることが多い。
そして、最大の問題はこうした審判が彼ら以外にも、Jリーグには少なからず存在しているということだ。
過去にもこのブログに書いたことがあるが、審判の最大の仕事は、反則を取り締まることでなく、試合を成立させることにあるはずだ。
意味なく反則を取るのでなく、流すべきファールは流すなどの、試合を読む目が必要だと思う。
目立つことなく、しかし、試合が終わったときに、スムーズに流れたという感じを持てるよう試合をコントロールするのが、審判本来の仕事だと思う。
そして何よりも、こうした試合に順位をかけて戦っている選手・チームに正面から向き合っているかが問われる。
さらに、そうした試合を観戦に来ているファンに失礼をしていないか、審判はもう一度自問して欲しい。
だからこそ主催者も、こうした「誤審」を犯した審判の責任の所在ははっきりさせて欲しい。
もちろん、斡旋停止などの処分はあるのだろうが、それがファンには見えづらい形になっているのは事実だ。
衆議院選挙の際に最高裁判事が信任投票を受けるのは(機能していなくとも)、権威者は周囲に認められてこそ権威者たる、その場で安穏としていてはいけない、権威者たる努力をし続けろという意味が込められている。
別にファンの信任投票をしろとは言わないが、少なくともリーグとして各審判員に対してどのような評価をしているのかは明らかにしてもいいのではないだろうか。
そして審判も技術を伸ばしていくことで、その判定はより選手たちにとって権威をもったものになってくるはずだ。
ドイツワールドカップでは、日本人の審判員が非常に高評価を得た。
これはファンとしても嬉しい限り。
やれば出来るはずだ。
私の応援するヴィッセル神戸のスチュアート・バクスター監督が記者会見でこういっていた。
「審判は私たちコーチングスタッフと同じくらい、日本サッカー界の成長に責任を負っている。
もっと技術の向上を目指して欲しい」
正鵠を射た言葉だ。
posted by lovesportslove |15:37 |
Jリーグ全般 |
2006年07月24日
プロ野球オールスターも終了した。
WBCで優勝という快挙を成し遂げた後のオールスター、新庄剛選手(ファイターズ)のラストオールスターという話題が豊富だった訳だが、終わってみると、いわゆる「祭りの後」とは違う意味での虚脱感が残った。
その虚脱感の原因は清原和博選手(バファローズ)にある。
今回のオールスター2試合目では、藤川球児選手(タイガース)との対決が大きな話題となった。
これをスポーツ新聞は「名勝負」と位置づけたいようだが、ちょっと待って欲しい。
ここまで41試合出場(チームは90試合消化)、打率2割4分8厘、本塁打5本の打者が、チーム最多の45試合に登板、防御率0.32、勝率10割、奪三振率16.9という投手に三振に取られただけの話ではないだろうか。
今回は藤川投手が、清原選手に憧れていたから「ストレート一本で勝負したい」と公言し、これに清原選手が答え、「当て」にいかず「打ち」にいった。
このこと自体は素晴らしいプレーだが、オールスターの性質を考えれば、むしろ当然であり、藤川選手の個人的な思いは別として、取り立てて騒ぐほどのことではないと思う。
むしろ藤川投手との対決ということでいうならば、第一戦のカブレラ選手(ライオンズ)や小笠原道大選手(ファイターズ)といった「旬」の選手との対決の方が、どれだけ面白かったことか。
スポーツ新聞を中心に清原選手を語るとき、必ずと言っていいほど「圧倒的な存在感」、「数字には表れない存在」という形容詞をつける。
確かに高校1年生のときから全国の野球ファンの注目を浴び続けてきた、清原選手には、他人には真似の出来ない存在感はあるだろう。
しかし、そのことは、彼の野球選手の現時点の実力とは何の関係性も持つものではない。
もし、存在感というならば落合博満監督(ドラゴンズ)にでも現役復帰してもらい、オールスター限定1打席でも打席に入ってもらったらどうだろう。
下手すれば今でもバットには当てるかもしれないし、今の清原選手の三振よりは、よほど話題性もあると思う。
冗談はさておき、清原選手に話を戻す。
私は彼のファンだった。
高校時代の彼は、まさにマンガに出てくるような存在で、「ここで一発」という場面では必ず打ってくれていたような気がする(もちろん現実にはそんなことはないのだが、印象度の問題として)。
プロ野球に入ってからも1年目にいきなり「3割30本」を実現し、一体どれだけの選手になるのだろうと期待に胸を躍らせたものだ。
確かに、多くの人が批判するようにタイトルには無縁だった(おそらく今年も)。
しかし、これについては、批判する方が間違っていると思う。
清原選手の全盛期であった20代の頃、彼が所属していたライオンズは常勝チームだった。
その中で秋山選手とデストラーデ選手に挟み込まれる形で4番を打っていた清原選手は、文字通り「4番の働き」をしていた。
自分のホームランを捨ててでも、for the teamを優先していた。
あの時代のライオンズの度重なる優勝の相当部分を清原選手が担っていることは間違いない。
そんな清原選手だから私はずっと応援してきた。
ジャイアンツに移籍してからも、それは変わることがなかった。
しかし、ここ数年は明らかに力が落ちている。
投手のまっすぐに明らかな振り遅れが目立つ。
だからこそ、彼には潔くバットを置いて欲しかった。
しかし、ここ数年間はマスコミの「別格の存在感」という言葉に乗せられるかのように、引き際を見失っているように見える。
確か村上春樹氏の一節だったと思うが、
「立派な王国が色あせていくのは、二流の共和国が崩壊する時よりずっと物哀しい」
清原選手を見るたびに、そんな言葉を思い出してしまい、寂しくなる。
posted by lovesportslove |16:44 |
プロ野球 |
2006年07月22日
今週の水曜日には、各スポーツニュースが「Jリーグ再開」と報じていた。
ここでいうJリーグとは「Division1」のこと。
しかしその裏では、私の応援するヴィッセル神戸の所属する「Division2」は、中断期間もなく、リーグ戦が続いている。
今日22日には早くも29節の試合が行われた。
ヴィッセル神戸は今年がクラブ史上初のJ2。
J2に所属する以上、目標は当然J1昇格。
J1昇格の条件は2つ。
1.年間順位2位以内
2.年間順位3位かつJ1の16位チームとの入替戦(H&A)に勝利すること
いわば13チームによる椅子取りゲーム。
現在29節終了時点での暫定順位は1.柏レイソル、2.横浜FC、3.ベガルタ仙台、4.ヴィッセル神戸、5.東京ヴェルディ1969となっている。
なぜ暫定順位なのか?
それはリーグが13チームのためだ。
実は今日の段階で1位の柏と2位の横浜は消化試合が1つ少ないのだ。
一言で言ってJ2のサッカーは「忙しいサッカー」(by三浦淳宏選手)のようだ。
例えば神戸がボールを支配している時間帯、相手のゴール前に8人が並んでいるなんていうのは珍しい光景ではない。
しかもそのときに相手FWも自陣内に下がっているため、要は完全な守備隊形、というか「引き過ぎ」なのだ。
では攻撃してこないか、というとそうではない。
相手のボールを自陣ゴール前でカットすると、そのままポンと縦に「長いボール」を蹴り出す。
そしてそこにFWが一気に走り込む。
そして得点すると、また下がる、といったサッカーだ。
J1でボールを回しながら組み立てていくサッカーに慣れ親しんでいた場合、このサッカーへの対応は決して簡単ではないようだ。
浦和レッズやサンフレッチェ広島、セレッソ大阪といったチームが降格した際に全て年間2位でJ1に復帰していることからも、その対応の難しさが伺える。
ここで一つ誤解して欲しくないのだが、私は決してJ2のレベルは低いと思っているわけではないということ。
年間で同じ相手と4回戦わなくてはならない(J1は2回)、きつい日程、地方都市も多く、遠征も多いということから、いかに一年間体力を温存しながら戦うか、ということを考えたときに、こうした戦法が主流になるのは止むを得ないと思う。
そして、同じプロがそれだけの人数をかけて守っていたら、そうそう点は取れない。
ここにはJ1とは違う面白さがある。
もちろん私はヴィッセル神戸にJ1復帰を果たして欲しいと本気で思っている。
しかし、J2に来てよかったと思っている部分もある。
アウェイのスタンドに行くと、客席に屋根もなく、通路も狭く、コンコースなども決してきれいとはいえないといった状況に接することが出来る。
しかし、応援している人からしたら「おらがチーム」なのだ。
人数は少ないかもしれないが、必死に応援している。
その姿はJ1の人気チームと何の違いもない。
必要以上に美化する必要はない。
そのまま同じJリーグの仲間として受け止めればよかったのだ。
しかし、J1にいるというだけで(成績が悪くても)、何となく我々ファンの側にも驕りのようなものはあったのかもしれない。
しかし、色々な場所でサッカーを見れた、そしてJ2のサッカーを楽しめた、これだけでもJ2を経験した価値はあると思う。
ヴィッセル神戸はチーム改革を行っている。
少し前の「元有名選手」の墓場ではない。
新しい才能が確実に芽吹いている(風に見える)。
だからこそ、一ファンとして、彼ら若い選手にはJ1時代、いかに恵まれた環境でサッカーをしていたか、ということをこの一年で痛感して欲しい。
そして、精神的に、肉体的にタフになって欲しい。
このJ2リーグをもっとマスコミも取り上げて欲しいと切に願う。
このリーグにはJリーグの理念が最も見え易い形で存在していると思うから。
posted by lovesportslove |21:28 |
JリーグDivision2 |
2006年07月19日
亀田興毅選手の世界戦が近づいている。
トレーナーを務める父親も含め、キャラ立ちしているため、普段ボクシングに興味のない人たちまで巻き込み、結構な注目度になっている。
辰吉丈一郎氏以来のスター誕生は、大変結構なことだと思っている。
この亀田兄弟を巡っては、週刊誌を中心に様々な報道がなされている。
巷間言われるように、「ヤラセ」があるのかどうか私には全くもって解らない。
しかし、この亀田兄弟(若しくは親子)を見ていると「礼節」について考えざるを得ない。
私はギミックたっぷりの「昭和プロレス」も愛している人間なので、試合前に睨みつける程度のことは、少なくともカメラの前では大いにやるべし!と思う。
かつてプロレスラーが電話帳を引き裂いたり、大型バスをチェーンで引きまわしたり、歯にヤスリをかけたりという無意味なパフォーマンスを繰り広げるのと同等に感じている。
試合に向けての雰囲気作りとしては、カメラに向かって悪態をつくのも良いだろう。
しかし、ここで重要なことは、カメラが離れたときにしっかりとした最低限のマナーを身につけているかということは問われるはずだ。
これに対して、極稀に「スポーツ選手はそんな一般人とかけ離れた価値観でいて欲しい」という意見を言う人もいる。
果たしてそうだろうか。
例えば王貞治監督は、なぜあそこまでのリスペクトを受けるのだろうか?
それはとてつもない実績に、素晴らしい人格があるからではないだろうか。
超一流のアスリートは、えてして人格者であることが多いように思う。
日本一のジョッキー武豊氏は、育ての親である武田作十郎師に「人に愛される人間になりなさい」とだけ教えられたという。
同じ武田門下生で武氏が「最も尊敬する先輩」と広言する河内洋師に、かつてとあるパーティーでお会いしたことがある。
立食パーティーの中で私は河内氏と話していたが、当時関西のトップジョッキーの一人だった河内氏はあらゆるところから声がかかる。
そして話の途中ではあったが、別のところに挨拶にいくことになった。
ああしたパーティーでは、通常そのままになるのだが、私自身も忘れた30分後位に河内氏が、わざわざ戻ってこられて「先ほどは失礼しました」と言って、話の続きを始められたのには、驚きを通り越して感動を覚えた。
亀田兄弟が本当に才能豊かな(スター性も含めて)ボクサーであるならばこそ、周囲の人間が礼節をしっかりと教え込み、本当に尊敬されるスターになって欲しいと切に願う。
そして、亀田兄弟に関してもう一つ気になるのが、TV等で見る限りは取材者の態度だ。
取材者はアスリートに対し、常にリスペクトを持って接する必要はある。
しかし、それは決して謙ることとイコールではない。
謙っているだけのインタビューは、見ている側にとっては、謙られているアスリートにも悪印象を抱きかねない。
しっかりとした態度でインタビューをしてこそ、そのアスリートも真剣に答えるのではないだろうか。
もし、それを拒むアスリートがいたら、それはしっかりとその人間を批判すべきだろう。
最後に大好きな話を紹介する。
巨人の前監督堀内恒夫氏が若手選手の頃。
非常に生意気で「甲府の小天狗」「悪太郎」といわれた堀内氏に、当時新聞記者だった故・新宮正春氏がインタビューを行った。
練習後だったが、部屋に入ってきた堀内氏は「疲れているから横になるよ」と言い放ち、いきなりソファに横になったそうだ。
新宮氏は「ならば俺も横になろう」と言って同じようにソファに横になり取材を開始、堀内氏はあっけに取られ「ごめん」といってきちんと座りなおしたという。
posted by lovesportslove |15:41 |
スポーツ全般 |
2006年07月18日
私の応援するヴィッセル神戸にはエメルソン・トーメという外国籍選手が在籍している。
昨年までプレミアリーグでプレーしていた彼は、プレミアリーグで、その高いDF能力への畏怖をこめて「The WALL(壁)」とあだ名されていたと聞く。
その彼が現在イエローカードを連発され苦しんでいる。
一昨日に行われた柏レイソル戦では2枚のイエローカードを受け、累積退場。
ここまでの26試合で早くも11枚のイエローカードを受けている。
スチュアート・バクスター監督は、様々な形で審判に対する意見を試合後の会見などで口にしているようだ。
そこでは、自チームに対する判定がどうこうという意見ではなく、Jリーグを初期から知る監督として、日本のサッカーのレベルを引き上げるためにも、レフェリーのレベルアップが必要だ、という非常にありがたい意見だ。
決して身贔屓で言うつもりはないのだが、トーメ選手が警告を受けることの中に、日本サッカーが抱える問題点が透けて見える気がする。
トーメ選手がただ単にラフプレーだけの選手であったとすれば、長きに渡ってプレミアリーグでプレーすることは不可能だっただろう。
その程度の選手であれば、あれだけの競争社会の中で淘汰されていくはずだ。
おそらくトーメ選手にとっては、日本におけるファールの基準が判らないのだと思う。
確かに私から見ていても「それはアカンやろう」と思う場面もあった。
しかし、幾つかは身体を寄せていき、ハイボールへの競り合いで身体を預けという、DFとしてはきわめて当たり前のプレーに対しての警告のように見える。
もちろん、間近で見ているレフェリーが判断すべき問題であり、レフェリーの判定は絶対であり、ビデオに判定を委ねるような愚挙は犯すべきでないと思うが、レフェリーも判定の基準を引き上げる必要がある風に感じられる。
レフェリーの最大の仕事は「試合を成立させること」だ。
そのためには、時には強く権威を見せ付ける場面も必要だろう。
しかし、どうも反則に対してエキセントリックになり笛を吹き続けるレフェリーがいるように感じられるのだ。
試合をコントロールするどころか、自分の感情すらコントロールできていないのだろう。
時に両チームの監督や選手が「審判が試合をぶち壊した」ということを口にする。
しかし、そうしたレフェリーがその後も審判として活動を続けているのも不思議でならない。
先のワールドカップを身ながら思ったのは、「これを日本のレフェリーが裁いたら、一体何枚カードが飛び交うんだろう」ということだった。
日本代表のDF陣が「当たりが弱い」という批判を受けていたが、全員がJリーグでプレーしていることとあながち無関係とは思えない。
そのためにもレフェリーの海外との交流を深めて欲しい。
日本のレフェリーは海外で笛を吹き、Jリーグの試合では海外のレフェリーに吹いてもらう。
この相互交換を頻繁にしていく中で、日本国内のファールの基準が世界とそろっていき、選手がセーフティープレーの基準を肌身に教え込むことも、世界を目指すために必要なことではないだろうか。
posted by lovesportslove |15:30 |
審判 |
2006年07月16日
昨日に引き続きオールスターサッカーの話。
15日に開催されたオールスターサッカーだが、内容については大いに不満の残るものとなった。
ここで言う「内容」というのは、真剣さと言い換えてもいいだろう。
敵のいないところでのシザースやら、中盤での無意味なリフティングやら、あれではとてもサッカーの試合を見たと言う感じではなく、悪い意味での「顔見世興行」になってしまう。
もちろん、オールスターという「ハレ」の場においては、選手には「外連味」たっぷりのプレーをして欲しい。
しかし、それは飽くまで真剣勝負というベースへの味付けであって欲しいと思う。
野球の話だが、かつて作家の安部譲二氏が子供の頃、野球場で投球練習中の下手投げの投手に「上から投げらんねーのか!」と野次を飛ばしたそうだ。
するとその投手は、安部少年のほうを向き、にっこり笑い指を一本立て1球だけ上手投げで快速球を投げ込んだという。
こうした外連味のあるプレーは、見ている人間に夢を与える。
しかし、昨日のサッカーオールスターで見せた数々のプレーは、そのようなものではなかった。
ましてやワールドカップ直後のオールスターだ。
一部の「中田(若しくはプラス数名)だけが勝利を渇望していた」などというふざけた意見に対するあてつけとしても、真剣に泥臭くプレーして欲しかった。
その上で各人が得意とする技を披露するのであれば、これぞ夢の祭典、ということになるのだろう。
技術的には今より劣っていても、Jリーグ初期のオールスターの方が面白く見れたのは、案外その勝負にかける真剣さに所以しているのかもしれない。
またまた野球の話だが、MLBのオールスターゲームは、勝利したチームの所属するリーグが、その年のワールドシリーズ(全米チャンピオン決定戦)の開幕開催権を持つ。
そのため(それがなくてもかもしれないが)、選手たちは勝負に執念を見せる。
やはりこうした「道楽事」は真剣にやってこそ道楽足りえるはずだ。
もう、昨日みたいな「ワーク」を見せられるのであれば、いっそのことオールスターなんぞ廃止してしまえ、そう思った。
posted by lovesportslove |17:05 |
サッカー全般 |
2006年07月15日
今日はオールスターサッカー。
何だか欠場選手が多いらしく、どの程度盛り上がるのか心配だ。
ワールドカップで惨敗、といわれている直後の大会だけに、本当に盛り上がって欲しいと思う。
ここでオールスターサッカーについて単純な疑問がある。
それは
何でJ2は無関係なんだ?
というものだ。
これは私の応援しているヴィッセル神戸が今年はJ2にいるために、初めて感じた疑問だ。
足を踏まれた痛みは、踏まれた人間にしか解らないみたいなものか。
少し違うか?
まあいいや。
とにかく日本のオールスターサッカーというものはJ1リーグだけが対象となっている。
しかし、JリーグとしてプレーしているのはJ1、J2あわせて31チームあるわけで、その全てから選んでいってもいいと思うのだが。
例えばU-23の試合などを設けることで、J2に多くいる若手の有望な選手が注目を浴びるかもしれない。
選手によっては注目されることで伸びていくことは、過去に多くの選手が証明している。
オールスターという「お祭り」には、華やかさはもちろん必要なのだが、それに加えて「一流のプロだけが集まることで生まれるスペクタクル」というものも見せて欲しいものだ。
だからこそJ1に限定するなどということではなく、J2まで含めた全ての選手から選んで欲しい。
またオールスターといえば、各Jリーグチーム(これもJ1限定だが)のマスコットキャラクターが勢ぞろいすることでも知られている。
J2のチームにもマスコットキャラクターは存在する。
そして意外に(と言ったら失礼だが)かわいいキャラクターが多い。
余談だが私のお気に入りは愛媛FCの「オーレくん」とザスパ草津の「湯太郎くん」だ。
彼らの存在は、地元ファンにとってはかけがえのないものだろうし、こうした部分にももっと光が当たることを願っている。
posted by lovesportslove |14:10 |
Jリーグ全般 |
2006年07月14日
巨人が不調に喘いでいるらしい。
今年の開幕は猛ダッシュをかけていたのに、気がついたら5位にまで転落している。
これではまるで弱かった頃のタイガースと一緒ではないか。
そんな最中に原辰徳監督が渡辺恒雄オーナーと会談、来年以降の監督も約束されたという。
巨人関連の話をするときに、大半のメディアは大きなトリックを駆使している。
「ワールドカップ人気などに押され、プロ野球の人気が低迷している」
「巨人戦の視聴率低下で懸念される野球人気」
といった言葉は、大半のスポーツ新聞が一度は使っているフレーズだ。
しかし、良く考えてみたら、落ち込んでいるのは巨人戦の視聴率だけなのだ。
そこに広島地区におけるカープ戦の視聴率や観客動員数、さらにはこれまでメディア露出の少なかったパリーグのデータは加味されていないのだ。
巨人戦だけを語り、プロ野球全体の論へとすりかえる。
これでは本当の人気スポーツは見えてこないだろう。
今年春のWBCにおいて、普段プロ野球を見ない人たちもが、プロ野球選手を目にした。
その中で西岡剛(マリーンズ)や川崎宗徳(ホークス)、青木宣親(スワローズ)といったスピード感十分な選手たちを初めて目にしたという人も多いと聞く。
マリーンズ戦などは、野球はよくわからないけれど西岡選手を見に来ました、という女性も少なくないようだ。
やはりプロ野球は、確実に一定以上のファンをつかんでおり、日常的に行われているプロスポーツとしては、まだ日本最大のエンターテイメントだろう。
これまでプロ野球界は巨人中心に全てが動いてきた。
その結果、FA制度の問題多き導入、ドラフト改悪が行われてきた。
それらはすべて巨人軍が、その時点で抱える悩みを解決させるために作り変えられたといっても過言ではない。
そして諸制度の改善を試みようとしても巨人軍の威光(意向)の前に潰されてきた。
巨人軍の無法を支えるもの、それは最大のファンと高視聴率に支えられた放映権料だった。
情けないことに、他球団のオーナーも、巨人が「脱退して新リーグ結成だ」と言うと、黙ってしまうどころか「ウチはついていきます」といった態度で、我先に、その利権にぶら下がろうとしていたことだ。
あのとき、他のオーナーが結束して「巨人は出て行っても結構。残った11球団でプロ野球機構を運営します」といえば、結局は相手なきリーグでは不成立となり、巨人が無法を取り下げることは目に見えていたのに残念でならない。
その意味では、現在の巨人の人気凋落は、日本プロ野球にとってはプラスに働く可能性がある。
放映権料がなくなれば、巨人に気を使う必要はない。
そのときに放映権料を機構が一括管理、ドラフトの完全ウェーバー制、FAにおける保証金の引き下げ、アマチュアとの交流(というより野球機構の一本化)など一挙に山積した問題を片付けることが出来るかもしれないのだ。
そのときには一時的に規模は縮小するかもしれない。
しかし、野球というスポーツの持つ魅力には変わりがないはずだ。
サッカーよりは世界基準の力を持っている。
そして何と言っても野球は「national pastime」なのだから。
野球本来の魅力には全く影響がないはずだ。
posted by lovesportslove |15:49 |
プロ野球 |
2006年07月13日
またまた長いこと間が開きました。
それでもめげることなく、こうして書いている自分の忍耐強さを誉めることとしよう。
昨日、Jリーグの試合が行われた。
J1リーグがワールドカップの中断期間明けに第11節の残り試合、ワールドカップ帰りの宮本、遠藤、福西、川口の登場するガンバ大阪対ジュビロ磐田というカードがあった為、世間の耳目はそちらに流れたようだ。
その裏ではJ2リーグもしっかりと行われた。
私の応援するヴィッセル神戸はザスパ草津との3回目の対戦だった。
ザスパ草津とはご存知の方も多いかもしれないが、昨年からJリーグに加盟したチーム。
選手は大半が地域リーグなどの経験者。
Jリーグ経験者は少ない。
昨年はJ2最下位。
ヴィッセルは主将で元日本代表の三浦淳宏、元韓国代表朴康造などJ1時代の選手の大半が、J2降格後もチームに残ったためその戦力差は如何ともし難いと思われていた。
しかし、ここまでの2試合は3-0、3-2で草津が2連勝。
番狂わせも2度続くと番狂わせではなく、相性と思うしかない。
昨日の試合は、神戸が先制、草津が直後に追いつき、勝ち越し。
後のない神戸が最後に粘りを発揮して再逆転、しかも後半ロスタイムでの逆転という薄氷の勝利だった。
試合結果
私が感心したのは、試合後のザスパ草津の植木繁晴監督のコメント
「点を取って、相手には最終的にシュートを打たせないようにすればいいという形でいったのだが、4回目の対戦ではもうこういう戦い方はできないだろう。相手の気持ちを楽にしてしまった」ということを言っていたそうだ。
最近では中田英寿氏を司令塔で起用したベルマーレ平塚(=現・湘南ベルマーレ)の監督として、様々なメディアでも取り上げられているようだが、この植木監督という方は「弱者の勝ち方」を知っている方なのだろうと思う。
戦力に差がある場合、弱者はいかに策を弄するか、ここに全てが集約されてくるわけだが、この場合植木監督は「ボールを支配することは不可能だ。なればこそゴール前だけをしっかりと固めて、カウンターであわよくば1点を取り、それを守り抜こう」と考えたのだろう。
こうした戦術は、他の監督でも考えつく。
この方法以外にも、もっと効果的な戦術はあるかもしれない。
しかし、植木監督の凄みは「4回目の対戦ではもうこういう戦い方はできないだろう。相手の気持ちを楽にしてしまった」という部分に現れている。
奇策は一度きりゆえ奇策たる。
しかし、そこに相手の「勝って当たり前」という精神状態を加味して考えると、もう一度奇策が奇策足りえる。そう考えたのだろう。
そして、奇策はタネを見破られ、相手にかかったプレッシャーという魔法が解けた瞬間に陳腐化する。
ここも十分に承知していればこその発言だと思う。
戦力差を十分に認め、それでも勝利するためには、を考え、さらにそれがどこまで継続できるか、という部分までも見据えていく。
これが監督の仕事というものだろう。
植木監督の発言を見て、この人はプロフェッショナルだ、と改めて思った。
なればこそ、植木監督の次なる奇策に期待してしまう。
とはいえ、次の対戦はシーズン終盤。
昇格争いも大詰めになっている頃と思われる。
心臓には悪そうな戦いがこれからも続く。
posted by lovesportslove |17:13 |
JリーグDivision2 |
2006年07月06日
中田英寿選手引退の衝撃はまだ続いているようだ。
ハーバードに行ってMBAを取得するとか世界中を1~2年かけて放浪するとか、報道を見ていると引退しても何だか忙しそうだ。
私は中田氏(元選手かな?)に対しては不満が残っている。
イタリアに渡って以降の報道陣に対する態度は、およそプロの態度ではないと思った。
スポーツ新聞がろくに取材もせずに、適当な推量で記事を書き、本質を見ることなく、取材対象者である選手に不愉快な思いをさせることがあるのは、あれだけ大勢の選手が口を揃えるのだから本当なのだろう。
しかし、彼らの報道(と呼ぶほどのものでもないかもしれないが)が、世間にとって、プロスポーツへの入り口であり窓口となっていることは事実だ。
であればこそ、中田氏には、自らの影響力を考えて、彼らとうまく付き合って欲しかった。
彼の本を読む限り、素晴らしい知性の持ち主だとは思う。
であればこそ、拒絶するのではなく、スポーツ報道を変えていく流れを作って欲しかった。
今回のワールドカップに関して、日本代表の4年間の報道の様子を大雑把にまとめていくと以下のようになる。
ジーコ就任。自由なサッカーで日本の新たな可能性切り開く
↓
ジーコ采配ズバリ、ワールドカップに夢つなぐ
↓
ワールドカップ出場!直前にはドイツとも引き分け。日本予選通過は確実
↓
日本惨敗、ジーコ監督失格、戦っていたのは中田と川口だけ!
↓
世界の知将オシム登場。日本再建へ
こうしてみると、改めてスポーツ新聞の節操の無さに呆れるを通り越して、笑いすらおきる。
常に目の前の事象だけを捉え、そこに対する見識も無く、その事象をいかにセンセーショナルな言葉に置き換えるか、という作業だけを繰り返している。
そこにはジャーナリストとしての矜持など微塵も感じ取ることが出来ない。
これに対して最も報道されやすい中田氏が戦って欲しかった、というのが正直な思いだ。
後輩たちがプレーしていくために、少しでも良い環境を作る努力を続けて欲しかった。
そして日本のスポーツ報道が変わったとき、初めてスポーツがエンターテイメントから産業になりうると私は信じている。
中田氏はこれからも様々なメディアで取り上げられるだろう。
おそらく2年後のワールドカップ予選開始時には、独占手記など依頼が殺到するだろう。
それを引き受けるのかどうかは解らないが、影響力のあるうちにこのメディアのレベルの低さに対しての警鐘を鳴らし続けて欲しい。
それが出来る数少ない人だと思う。
そしてもう一つ大事なことは、中田氏自身、望む望まざるとに係わらず、メディアがあったからこそ、今の位置にいるということだ。
メディアが取り上げてくれればこそ、中田氏には様々な価値が生まれ、広告塔としての価値なども持つようになる。
ただサッカーが巧いだけであれば、今のポジションにはいなかっただろう。
だからこそ、中田氏はメディアに対して責任がある。
そういう風にも思う。
posted by lovesportslove |17:20 |
サッカー全般 |
2006年07月05日
ずいぶん更新をサボってしまった。
まぁ、私は元来が3日坊主なので、ちゃんとここに帰ってきて更新しようとしていることで良しとしよう。
中田英寿引退はニュース速報にまでなったらしい。
彼自身の評価とは無関係な部分で、ワールドカップ前に大騒ぎ(バカ騒ぎ?)したテレビ・スポーツ新聞にとっては絶好のタイミングでの引退なのではないだろうか。
「不甲斐ない戦いをした日本チームにあって、唯一人気合を前面に戦い続けたSAMURAIがスパイクを脱ぐ。我々は彼の戦う意思を受け継いでいかねばならない」っていうストーリーに置き換えて、自らのワールドカップ報道最終章とするんだろうと思う。
そこで今日考えて見たいのは、中田が最後まで独りで見せ続けていたといわれる「気合」という代物。
日本のスポーツも、ここ10年位の間に大きく様変わりした。
中でも「精神第一主義」から「現実直視型合理主義」への転換は、大きな変化といえるだろう。
私もかつては体育会的世界に身を置いていたことがあり、その上で思うことだが、一部の人間のストレス発散のための言い訳として「気合」という言葉が使われてしまったために、本来スポーツにおける大きなウエイトを占めるべきテクニック「気合」が、ともすると戦前の精神主義の遺物のようにとらえられてしまっていることは悲しい限りだ。
気合と聞くと、多くの日本人は「夕日の中重いタイヤを腰に縛り、汗でフラフラになりながらも走る」こんな光景を思い出すだろう。
しかし、気合というのはそんなものではない。
毎度のことで恐縮だが、私の応援するヴィッセル神戸には栗原圭介という33歳になるベテラン選手が在籍している。
彼は相手ライン裏へのポジショニングや、前線での早いチェックなど随所にベテランの味を見せてくれている(ゴール前での精度はちと低いが・・・)。
しかし、栗原の最高に素晴らしいのは「気合」だ。
彼は途中交代ではいることも少なくないが、ピッチに降りた最初の段階から、ものすごい気合を発揮している。そして途中交代にもかかわらず、ゲームの流れにきっちりと入り込んでいるのだ。
逆に若い選手で、栗原よりは技術では勝っているであろう選手も、交代でピッチに出ても、ゲーム自体がキックオフから数十分かけて、両チームの選手を使いながら作り上げてきたテンションに乗り切れずに、どこかチグハグナプレーに終始してしまうことも珍しくはない。
また、もう一人ヴィッセル神戸の選手を紹介しよう。
エメルソン・トーメ選手。
彼はチェルシーやボルトンといったプレミアリーグで長くプレーしていたセンターバックで、プレミアではその高さを評して「WALL(壁)」と呼ばれていたらしい。
普段、練習場やピッチ外で見かける彼は、非常に気さくで我々ファンの声援にも気軽に応えてくれるナイスガイだ。
しかし、ピッチに入るとものすごい気迫で、相手FWの侵入を潰していく。
文字通り潰していくのだ。
そのハードなプレーには、警告も出され、相手FWとガチでにらみ合いになっている(ように見える)ことも少なくない。
しかし、いつしかその周囲の選手を巻き込んで、スタンドをも巻き込んでいくテクニックはベテランならではのものだ。
このようにガッツを巧く使いこなすベテランは、ここ一番で期待通りの仕事をしてくれることが多い。
ガッツあふれるプレーというのは、歯をむき出しにして走り続けることではないだろう。
陸上の故フローレンス・ジョイナー選手などは、笑顔で100mを世界記録で走り抜けたが、スタート寸前の彼女の周囲は、その気合で空気が薄くなったような錯覚に襲われたという話を聞いたことがある。
ガッツを出してプレー、というと周囲は楽だが、怒鳴っていればガッツがある。下を向いていたらガッツがないなんていう単純な二元論で見るのは止めたほうが良い。
ガッツとは誰にでも仕えるものではなく、それを身につける努力をした人だけが使いこなせるテクニックなのだから。
posted by lovesportslove |16:17 |
サッカー全般 |