2006年06月30日
プロレスNOAH所属の小橋健太選手が癌の疑いが濃くなったようだ。
夕刊フジ⇒
絶対王者と呼ばれる小橋選手は、鋼のような身体を作り上げた努力の人として知られている。
その代名詞とも呼ばれる「豪腕ラリアット」は、相手を根こそぎ引っこ抜き、ねじ伏せる迫力満点の技だ。
今、プロレス不況と呼ばれる中、唯一無二の存在だけに、一日も早い回復を祈るばかりだ。
今、プロレスは未曾有の不況の真っ只中にあるという。
確かに新日本プロレス中継は、(大阪では)日曜日の深夜3時頃と殆ど視聴率を無視した時間帯に放送されている。
しかも画面の向こうには、さほど大きいとはいえない体育館で2階はほぼ空席、といった光景が見える。
なぜプロレス人気はここまで落ち込んでしまったのだろう。
私が子供の頃は、プロレス全盛期。
初代タイガーマスクを筆頭にプロレスラーは子供たちのヒーローだった。
教室では先生が週に一度は「プロレスごっこ禁止令」を出さなければならないほど、私たちはプロレスに熱中していた。
その当時は「アングル」などという言葉は知らなかった。
そのため「アントニオ猪木とジャイアント馬場はどちらが強い」といった議論で、数時間は熱くなれた。
今、プロレスはショーであるということは一般常識といっても過言ではない。
高田伸彦氏は「泣き虫」の中で「プロレス時代、結果を知らずにリングに上がったことは一度もない」と語っている。
あの北尾を破った試合も、腰中とのJr名勝負も、武藤、橋本(故人)などと戦った新日本vsUインター抗争も、全て結果は決まった上でのショーであったと認めているのだ。
よくK-1やPRIDEといった本格的な格闘技が一般化したために、ギミックたっぷりのプロレスのつまらなさが露見した、という意見を聞く。
これには私は納得できない。
アメリカのWWEなどは、最近は日本でも人気があるが、あれほどショーに徹したプロレスが連日大人気なのだ。
大体、上場している会社の株式の過半数を賭けて、レスラーとオーナーが殴りあうなんて本当に行われるわけがない。
株主代表訴訟どころの騒ぎでは済まないだろう。
日本でもハッスルという人気イベントがある。
あれを見て狂言師が本気で強いと思っている人など、まずいないだろう。
ではなぜプロレスだけが一人負けになっているのだろう、という最初の疑問を考えてみる。
一つには「テレ」の問題があるように思う。
かつてアントニオ猪木は、プロレスのことを「最強の格闘技」と呼んだ。
その言葉の呪縛が、プロレスというエンターテイメントを格闘技寄りにしてしてしまっていた。
そこにきて、ガチンコの格闘技がテレビなどに出てくると、そこに埋めようもない現実と理想の乖離がおきる。
ここに当のレスラーが「テレ」てしまったのだ。
ここで10年ほど前、プロレスは一気に格闘技寄りにスタンスを進めた。
具体的にはヒクソン・グレイシーとの対戦を始めてしまったのだ。
ヒクソンの強さがどの程度のものかは、正直解らない。
400戦無敗を売りにしていたが、いつになっても400戦無敗であることへの疑問があった。
大体、正確な対戦記録が残っていないのだから、調べようがない。
プロレス界は、ここを相手にすべきではなかった。
「あんなやつ3秒でやっつけてやる」と言いながら、本人の前に行き、一触即発の形だけ作り、実際には戦わない。
これで良かったのだと思う。
ジャンルは違うが、相撲取りはガチンコで喧嘩をしたら最強だ、という説は根強い。
これとても本当かどうかは解らないが、実際に相撲取りが喧嘩をせず、しかも何となく強そうに見える(体格をしている)が故に続く理論なのだ。
そこで、「ちゃんと証明しなきゃ拙いよな」なんてテレてはいけないのだ。
なぜならプロレスは、最後にアントニオ猪木が、ジャイアント馬場が勝つと解っていながら、熱狂する「大人のためのウルトラマンショー」なのだから。
そのときに「あいつなら負けねえよな」と思わせる雰囲気だけはかもし出し続けていて欲しいのだ。
実際に格闘技をやったらどの程度強いかは知らないが、強いはずさ!と思わせてくれる小橋選手の一日も早いリング復帰を願うばかりだ。
posted by lovesportslove |16:00 |
プロレス・格闘技 |
2006年06月29日
いよいよ日本代表監督選びが佳境に入ってきたようだ。
先日来、候補一番手となっているオシム監督(ジェフ千葉)は、今日チームと会談しているようで、数日中にも結論は出ると思われる。
私もオシム監督の手腕は十分だと思っているが、若干の不安がないわけではない。
オシムサッカーというと「走力」に重点を置いたサッカーといわれているが、ジェフをあそこまで体質改善できたのは、クラブチームだからこそ可能だったのではないだろうか?
クラブチームは、毎日一緒に練習できるため、監督の指針をある程度の期間の中で実現化しやすいという利点がある。
しかし、代表チームは試合の数週間前に召集される。
その練習では、戦術確認やセットプレーなどが中心とならざるを得ず、体力トレーニングのような基礎練習に費やす時間は限られてしまう。
「じゃあ走力のあるやつだけ選べば」ということになってしまうが、次の日本代表監督は、まさに日本サッカーの浮沈を握ることとなる。
喪失した自信を回復させ、世界への挑戦を続けていくための体制をより確固たるものとすることが義務となってくる。
となると、仮にオシム監督が就任するのであれば、オシム監督とJチーム強化担当者とのミーティングを行って欲しい。
それも徹底した形で、どのようなサッカーをオシム監督が目指し、どのような選手を必要としているかということをJクラブに理解してもらい、各チームの戦術を守る中で、実際にどのような育成が可能なのか、その可能性を徹底的に追求してもらいたい。
クラブが代表のサッカーにあわせる必要は当然ない。
しかし、クラブは代表の可能性のある選手を大事に育て、代表へ送り出すことも、今の日本サッカー界では必要だと思う。
「代表チーム」というコンテンツが、最も人気のあるコンテンツである以上(ここにまだサッカーがナショナルスポーツになっていないことが表れている・・・)、代表選手を送り出すことはクラブにとっても大きなプラスだと思う。
この流れはU-23代表チーム、いわゆるオリンピック世代との連携にまで広げていく必要がある。
この4年間で日本サッカー協会が犯した最大の過ちは、オリオンピック世代とフル代表との間に「溝」を作ってしまったことにあると思う。
この話はまた別の機会に書きたい。
どの国でも附いて回る問題ではあるが、クラブと代表はその利害を一にすることはない。
しかし、ここまで順調に、しかも想像以上の速度で急成長を遂げた日本のサッカーが岐路に立っている今こそ、クラブと代表の幸せな関係が見たい。
posted by lovesportslove |17:35 |
サッカー日本代表 |
2006年06月28日
日本代表が早々と敗退したことで、ワールドカップブームも落ち着いたものになっている。
世間的には「オシムジャパン誕生へ」が最大の関心事であり、テレビのバカ騒ぎも収束に向かっているようだ。
しかし、本当にそれでいいのだろうか?
94年大会の予選から、今回の大会まで、テレビが日本が敗戦するごとに、毎回使っているフレーズは「このブームを一過性のものにしないこと、それが次のステップにつながるのです」「私たちはこれからも日本代表を応援し、サポートしていきます」
だったらそうしろよ!
何度こうテレビに向かって突っ込んだことか。
多くの日本人にとって、ワールドカップは、サッカーを知らなくても盛り上がりやすい、いわば導入口として最適なイベントと位置づけられている。
しかし、その導入口に辿り着いた人たちを、その先へ連れて行こうとしたマスコミがどれほどいるだろう。
スポーツ新聞などは記者そのものがサッカーをまともに知らないのでは、と思うことが多々ある。
今回の日本代表でも「日本のFWは前に出て勝負しない」と書き立てる。
それはその通り。
誰でも見れば解る。
しかし、少しでもサッカーを見てきた人ならば、日本人で強引な突破を図るFWなんて殆どいない。
今回やり玉に上がっている柳沢は、そういったタイプではないなんてことは百も招致だった。
むしろ柳沢がどこからでもゴールを狙ったシュートなんか打ち始めたほうが、腰を抜かすだろう。
(ヴィッセル神戸の近藤は珍しい強引なタイプです。よかったら注目してやってください)
結果を見て、そこで見えたことを勿体付けて書くのが今のスポーツ新聞。
他に書くことはといえば、「中田はチームで浮いていた」。
そりゃそうだろう。
別に中田選手が和を尊ぶタイプではないことなんか、誰でも知っている。
彼自身のプロ意識として、個々がしっかりと、自分のなすべきことをやるのがプロフェッショナル、と考えており、そうした発言を各所でして来たことも誰でも知っている。
周りの選手は、もっと良く知っているはずだ。
このように知っていることだけを、少しでもスキャンダラスにしようとするスポーツ新聞。
本当にスポーツ新聞って必要ですか?
posted by lovesportslove |17:29 |
サッカー日本代表 |
2006年06月27日
プロ野球のオールスターファン投票の中間発表が行われた。
今年の目玉は何と言っても新庄選手(ファイターズ)。
シーズン序盤に、今年いっぱいでの引退を宣言したこともあり、お祭り男でもある彼の最後の晴れ姿を見たいというファンは相当数に上るだろう。
実は、私はこのオールスターというものに、いつも妙な居心地の悪さを感じてしまう。
それは妙な平等主義が、オールスター全体を取り囲んでおり、さらにお祭りムードというものが、スポーツ本来の持つ楽しさをもスポイルしているような気がするからだ。
具体的に考えてみる。
まず、オールスターの出場選手は各リーグごとに、各ポジションごとのファン投票最多得票選手と、監督推薦の合計で28名がベンチ入りする。
ここでの曲者は監督推薦だ。
ファン投票は、どうしても人気チームから多く選出されることになる。
恐らく、セリーグはタイガース、パリーグはマリーンズから大半は選出されるだろう。
そして、本来はリーグを代表する力はあるのに、人気投票ではトップになれなかったが、ぜひ野球ファンに見せたいという選手を選ぶためにあるはずの監督推薦が、なぜかバランスを取るためのものになっている。
例えば昨年でも、ファンの方には申し訳ないがパリーグの内野手にブレーブスの平野恵一選手が、そして投手としてホークスの吉武真太郎選手がそれぞれ選ばれている。
もちろん二人とも素晴らしい選手だ。
しかし、昨年のオールスターに出るほどの活躍をしていたか、となると疑問を抱いてしまう。
このオールスター選出においては、ご当地出身、ということが大きく反映されてきた。開催地が毎年持ち回りのため、その開催地付近の出身である選手が、何となく出てきて、地元の大声援を受けるというものだ。
これではまるでのど自慢大会だ。
オールスターは最高の選手が集まって、その技術を存分に見せ付ける物であって欲しい。
であればこそ、もう一つの苦言になるのだが、真剣勝負をして欲しい。
オールスターで三振を喫したバッターに、TVのアナウンサーがいう言葉は「まぁお祭りですから」、考えられないエラーをしたときなども「オールスターならではの」等等。
これは観客に非常に失礼なことだと思う。
こんな試合は外連味たっぷりのプレーが見たい。
そしてそれが真剣にやった結果の、普段のシーズンでは考えられないものであればこそ、オールスターの価値も上がろうかというものだろう。
MLBが全てにおいて最高のものとは思わないが、オールスターに臨む姿勢は素晴らしいと思う。
1戦限り。
選手たちはそこに選ばれたことを誇りとし、自らの最高のプレーを心がけている。
この点においては日本のオールスターはだめだ。
清原選手などは芸能人と談笑している姿ばかりが目に付く。
それよりも、見ているものが唖然とするくらいの飛距離の打球を見せて欲しい。
新庄選手のホームスチールが、本当の意味で喝采を浴びたのは、彼が自らの持ち味であるスピードを最大限活かし、シーズン中ではリスクが大きく出来ないプレーにチャレンジし、成功させたからこそ素晴らしいのだ。
このオールスターを報道するTV局も、女子アナウンサーを浴衣姿でベンチ裏に派遣して、選手と談笑させ、選手と仲の良い芸能人を呼んで、公共の電波で友達関係をアピールさせるような、質の悪い放送からは抜け出してもらいたい。
それくらいであれば、これまでの出場歴のある有名OBをゲストに迎え、後輩たちへの叱咤・激励などを聞かせてくれるほうがどれだけ楽しいことか。
「視聴率が取れなくなった」と嘆く前に、自分たちが素晴らしい素材を、最低の料理法で調理・提供し続けていることにも思い当たって欲しい。
posted by lovesportslove |16:54 |
プロ野球 |
2006年06月25日
今日、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
川渕キャプテンが記者会見の中で、今後の日本代表について語る中で、ジェフ千葉のイビチャ・オシム監督に、代表監督を要請していることを漏らしてしまったという。
報道を見る限り、本気での失言といわれている。
オシム監督の実績については、既に様々な場所で語られており、何の文句も付けようがない。
唯一気になるのは、現在65歳という年齢だけだ。
私がこの報道を聞いて思ったのは、川渕氏は確信犯ではないか?という邪推ともいうべきことだった。
以下馬鹿らしいかもしれないが、思ったことを書いてみる。
川渕キャプテンは、自分自身の最大の仕事は「日本にサッカー文化を根付かせること」と思っているのだろう。
それはJリーグのチェアマン時代から、様々な言動に感じられた。
例えば、読売新聞の渡邊恒夫氏とヴェルディを巡り様々にやりあったときでも、ことさらに週刊誌などに登場することで、世間の耳目をしっかりとJリーグに惹きつけていた。
あれほどの影響力を行使できる人間とやりあうときには、あえてマスコミには登場せずに、確執を否定しつつ、裏側で妥協点を探りあうのが、日本では一般的だ。
しかし、あのように川渕氏がマスコミに登場し、ことさらに渡邊氏を挑発することで、スキャンダラスな事件となり、通常サッカーを報道しないワイドショーなどの番組までもが、この事件を取り扱う。
当然、その中では「Jリーグ」という言葉が取り上げられ、多くの人がJリーグの存在を意識するようになっていく。
その広告効果たるや、計り知れないものがあった。
インタビューなどを見聞きする限り、川渕氏は非常にクレバーな方という印象を受ける。
その川渕氏が、軽々しく「オシム」などと口を滑らせるだろうか?
川渕氏は、今回のドイツワールドカップでの日本の惨敗に大きな危機感を持っていたのではないだろうか。
その危機感とは、今回のワールドカップでサッカーに興味を持った「にわか」と呼ばれるファン層が離れていくことに対してだ。
サッカーファンといわれる人の中には、この「にわか」ファンを嫌う人が少なからず存在する。
しかし、私はこの「にわか」といわれるファンが生まれるというのは素晴らしいことだと思っている。
スポーツの底上げを果たす上では、ファン層の拡大こそが必須条件であり、そのためには「にわか」ファンを少しでも多く生み出し、それをひきつけ続け、自然的な流れの中で「にわか」ではないファンに転化させることこそが王道だ。
だからこそ、川渕氏はこのワールドカップ報道が、日本の敗戦により、急速に萎んでしまうことを恐れたのではないだろうか。
そう考えると、今回のオシムという名前を「失言」で漏らしてしまったことは川渕氏の確信犯的行動に思えてくる。
そうであれば、川渕氏は素晴らしい日本サッカー界の指導者だと思う。
少しでもサッカーが日本人の興味を引き続けるように、そしてサッカーの底辺を拡大するように、そのことだけを考えているのだろう。
確かに今回の日本代表は惨敗した。
しかし、日本サッカーのワールドカップ出場はまだ3回目だ。
日本サッカーが世界の頂点に立つ、この意思が脈々と受け継がれていってこそ、初めてサッカーが日本人にとって特別なものでなくなり、その思いが形になるのかもしれない。
それは川渕氏が鬼籍に入った後かもしれない。
それでも、その思いを確実に次代に伝えること、これこそが彼に課せられた使命だ。
だからこそ、彼のようにメッセージを発信できるリーダーを簡単に挿げ替えるようなことをしてはならないし、私たちは彼を信じて付いていくべきなのだろう。
posted by lovesportslove |01:09 |
サッカー日本代表 |
2006年06月24日
ワールドカップがスポーツ界の話題を独占しているが、そんな中でもJ2リーグは続いている。(世界中でここだけじゃないかな??)
私の応援するヴィッセル神戸は横浜FCをホームに迎えての一戦。
結果からいうと0-0のスコアレスドローだったが、素晴らしい試合だった。
何といっても今日素晴らしかったのは監督の采配。
少々読みにくいかもしれないが、以下に状況を説明する。
ヴィッセルは4-3-3のフォーメーションを基本としているが、前半は中盤をMF栗原をシャドーの位置に置き、ホルヴィと田中を底とする三角形の配置。
しかし、栗原の動きに切れがなく、相手のバイタルエリアの中でボールが収まらず、攻撃が寸断されていた。
それを見てバクスター監督は栗原に替えて、守備的なMFである小森田を投入、ワンボランチとして、ホルヴィと田中を前に上げる逆三角形にしたのだ。
さらに前線の左右を構成する三浦と朴をより高い位置に入るよう指示することで、前線にスペースを作り、そこに二人のMFが入ることでより攻撃的な形となり、後半は横浜を圧倒する試合内容となった。
ハーフタイムにこうした的確な指示を送り、それに選手が結果で応えるというのは、当たり前かもしれないが、サッカーの面白さの一つだ。
当然、好ゲームとは相手あってのこと。
横浜FCもゴール前で体を張っての素晴らしいディフェンスで、神戸の決定的チャンスを何度も防いでいた。
文字にしてしまうと、何てことのない普通のサッカーに思えるのだが、昨年までのヴィッセルにはない「組織立ったサッカー」、「意思の感じられるサッカー」を見せてもらった。
ワールドカップはもちろん素晴らしい。
世界最高峰の技がそこかしこに散りばめられており、ため息をつくような素晴らしいプレーが続出している。
しかし、ファンにとっては、レベルこそ違えど、代表戦に劣らぬ面白さがそこにはある。
チームが成長していく楽しみ、これは応援するチームが身近にあればこそ、日常的に味わえる。
そして自分の応援するチームから代表選手に選ばれる選手が出る。
こんな希望を持って応援できることは、サッカー観戦を一段と楽しいものにしてくれる。
posted by lovesportslove |23:58 |
JリーグDivision2 |
2006年06月23日
やはり奇跡はめったに起きないから奇跡だった。
日本代表がブラジルに完敗、ワールドカップ2大会連続決勝トーナメント進出は叶わなかった。
それにしても各マスコミ(主にスポーツ新聞)の手のひら返しには、予想されていたことだが、改めて驚かされる。
早くも「神様」ジーコは「貧乏神」呼ばわりだし、「日本の誇る天才レフティー」中村俊輔は「体力不足を露呈したワーストMF」だし、「日本サッカー界の改革者」川淵三郎キャプテンは「独裁者」になっている。
もちろん、今回の敗戦、そして4年間の総括は行わなければならない。
この4年間で進歩したもの、そして進歩し切れなかったものそれぞれを明確に洗い出し、それが誰の責任に帰すべきものなのか、それぞれを関係者が認識することで次の4年間の指針が決まる。
この作業に時間をかけることは許されない。
どうやら8月には次の日本代表が動き出すようだ。
次の監督候補として様々な人の名前が挙がっている。
誰がなるにしても、4年間でどういったサッカーを日本にもたらすのか、オリンピック世代、ユース世代との連携はどのように取っていくのか、Jリーグとの関係はどのように保っていくのかなど根底となるべきことをしっかりと話し合い、協会、関係者がしっかりと早急に話し合い、認識を一にして欲しい。
責任を認めることと辞任をイコールのようにするのはどうかと思う。
人数合わせのためだけにいるような代議士が、秘書給与疑惑で辞任するのは大勢に影響を与えないが、サッカー協会の重要ポストにいる人が、今回負けたというだけでの責任として辞任するというのは、どう考えてもおかしい。
勝つことを求められたプロの監督が、その結果に対して続投を拒まれるというのは解る。
しかし、サッカー協会の役職というものはそうしたものではなく、日本においてサッカーをどのように根付かせるか、ここにこそ主眼をおいて行動すべきであり、勝敗の責任論となる話ではないはずだ。
勝敗に対しての責任を、背広組みにも詰め腹のように切らせるとしたら、それ自体が現場に対する冒涜となるはずだ。
川淵氏は、解り易くするために掲げた「2050年までにワールドカップで優勝する」という目標に向かい、自身の後継者を作り、組織を一枚岩にすることこそが責任のはずだ。
93年のJリーグ発足を契機に3回のワールドカップに挑戦、アメリカ大会はアジア予選敗退、フランス大会ではワールドカップ初出場、日韓大会では決勝トーナメント進出とここまでが順調すぎたのだ。
毎回以前よりも上に行くのだったら、2014年の大会で優勝してしまう。
日本人が特別サッカーに向いている特殊な肉体を持っているのでもない以上、
当然時間はかかる。
あのオランダですら手にしていない世界一の称号。
それを手にするためには、じっくりとサッカー文化を育てながらそこに向かっていくしかない。
そのためにも、代表ファンの皆さんはJリーグにも目を向けてください。
posted by lovesportslove |17:10 |
サッカー日本代表 |
2006年06月22日
今でこそ冷静に見ることが出来るようになったが、以前はかなりの競馬狂だった。
まだ学生だった91年の宝塚記念は、アホな友人の記憶とともに私の中では存在している。
この年の古馬戦線(4歳以上の馬、当時は数え年制だったので5歳以上と呼んでいた)は3頭の馬が主役となっていた。
その3頭とはメジロマックイーン、メジロライアン、ホワイトストーンだ。
春のグランプリ宝塚記念は、事実上この3頭で決まり、と言われており、馬券的な妙味は全くないと思われていた。
その頃私には、毎週末馬券を共に買いに行く友人が2名いた。
そのうちの一人Mくんは、大学の先輩でもあったのだが、恐ろしいまでに馬券下手の馬券好き、というおよそギャンブルの負け組みとなるべくして生まれてきたような男であった。
彼にとってはこの91年の宝塚記念は厄日の集大成のような一日となった。
レース前日の土曜日、私は、バイト先の友人でもあり、前述の競馬仲間2名の残り1人であるKくんと午後3時にバイトを終え、後楽園WINSに向かった。
そこにはすでにMくんは来ており、その日のメインであったエプソムカップの予想を終えていた。
購入締め切りまで残り5分もなかったため、私たちは「どう?」と聞くと「5,6,7で決まりだね」と自信たっぷりにいうのだ。
まあ、運試し程度の感覚で私たちは5,6,7をグリ(三角)買いした。
結果は見事に6-7(だったと思うのだが)で的中。
私:「良かったじゃん!」
M:「良くねぇよ!」
私:「??」
M:「抜け目だよ」
そう彼は5-6、5-7と2点だけ買っていたのだ。
その上彼は(一人暮らしの学生にありがちだが)かなりの貧乏だった。
飲み会の帰りなどは、電車代が払えないといって、東京の御茶ノ水から千葉の松戸まで歩いて帰っていたものだ。
その彼が、またしても馬券をはずした。
笑いをこらえきれない私たちに「まぁいいや」と、およそ彼には似つかわしくない発言。
しかも「何か食いに行こう。奢るよ」というのだ。
理由はすぐに判明した。
前日、彼に神が光臨したのだ。
何とパチンコで7万円勝ったというのだ。
溜めていた家賃などを払っても、まだ手元に3万円はあるという。
そんな彼が当時欲しがっていたものはビデオデッキ。
帰りにそれを買って帰るつもりだという。
私たちは、食事をしながら「だったらその金を宝塚に突っ込めばいいじゃん。鉄板だし、全部突っ込めばテレビも大きいのに買い直せるんじゃねえの」と軽く言ってしまった。
次の瞬間、Mくんの目の色が変わった。
「そうだな」
それから場所を移しての馬券検討会。とはいってもどう考えてもメジロマックイーン、メジロライアン、ホワイトストーンの3頭。
私たちがメジロの2頭でに絞り込むまでは15分もかからなかった。
しかしMくんは、それこそ穴が開きそうに競馬ブックを見つめている。
翌日私は所要で馬券を買いに行けなかったため、Mくんに金を渡し、メジロマックイーンとメジロライアンの連勝複式(当時はそれと単勝、複勝しかなかったのだ)の購入を託しておいた。
翌日、メジロライアン1着、マックイーン2着で決着はついた。
夜Mくん電話を入れた。
「おめでとう」
「おめでとうじゃないよ」
「??」
「お前は当たりだよ」
「違うの買ったの?」
「買ったのならまだいいよ。買えなかったんだよ」
「????」
暫く話して状況が飲み込めた。
彼は、持ちつけない3万円というお金を懐に窓口に向かった。
マークシートのない時代だ。
私の分を買い、自分の分を買おうとしたその瞬間、彼の目にパドックで暴れるメジロライアンの姿が飛び込んできた。
もう少し様子を見よう、彼は一瞬の間を取った。
本馬場に登場したときにはライナンは既に落ち着いていた。
しかし彼の中で「これが外れたら元も子もない。願望が確信に変わるまで待とう」という気持ちが湧いてきた。
そして数分が経過した。
彼は意を決して窓口に向かった。
「宝塚、1-8を3万円」こう告げる彼に窓口のおばちゃんは一言「締め切ってるよ」。
そう彼は締め切りのベルにも気付かなかったのだ。
呆然とする彼に、同行していたKくんは「ならば札幌日経賞はどうだ?」と囁く。
そして彼は断トツ一番人気のメインキャスターという馬の複勝(3着まででOK)を購入。
しかし、ここまで運を逃した男に、起死回生の可能性など微塵も残っているはずはなかった。
メインキャスターは4着。
出来すぎた話のようだが、これは紛れもない事実。
彼はビデオ&テレビどころか、帰りは浅草から千葉県松戸市まで歩く羽目になった。
しかも残っている金を持って入った、パチンコ屋で全てを失った。
これが全てだ。
今年も宝塚記念がやってくる。
ディープインパクトが再び、大きなインパクトを与えてくれるのか、それとも穴党を歓喜させる馬が出現するのか?
春競馬のフィナーレはもうすぐだ。
最後に。
微妙に法律に抵触している話がありそうですが、まあ若気の至りということで流してください。
posted by lovesportslove |18:13 |
競馬G1 |
2006年06月21日
今月17日、日本ラグビー界の大功労者である宿沢広朗氏が亡くなった。
宿沢氏といえば、私の世代にとっては何と言っても89年のスコットランド戦を勝利に導いた監督、という印象が強い。
もう少し上の世代になると73年の大学選手権決勝で明治大学と激闘を繰り広げた早稲田の主将という印象かもしれない。
三井住友銀行の専務でもあった宿沢氏が、自行のことと同様に気にかけていたのが「日本ラグビーの低迷」だったという。
私が学生の頃は正にラグビーブームだった。
早明戦ともなれば、学生がチケットの予約券を取るために1週間以上徹夜で並んだり、試合当日ともなれば、両校の学生で国立競技場が、文字通り立錐の余地もないまでに埋め尽くされていた。
スポーツ新聞も、当時は早明戦などは1週間以上前から、両校に密着取材し、試合翌日は全紙1面はラグビーというのは当たり前であった。
トップリーグの試合であっても秩父宮はおろか花園すらも満員にならない最近とは、隔世の感すらある。
ではなぜラグビー人気はここまで落ち込んでしまったのだろう。
スポーツ新聞などの外的要因は別とすれば、そのターニングポイントは1995年の第3回ラグビーワールドカップにあると思う。
第2回大会でジンバブエにワールドカップ初勝利を上げ、しかもそのときのトライは、パスをつなぎながら展開していく見事なもので、地元マスコミに大会一美しいトライとも絶賛されたと記憶している。
このときに日本を率いていたのが宿沢氏だった。
そして問題の第3回大会では、当時世界最強といわれていたニュージーランド代表、通称オールブラックスに145-17(!)という、正に記録的大敗を喫した。
ちなみにこの記録は当時、テストマッチ史上最多得点差としてギネスブックにも掲載されたはずだ。
そして日本は第5回大会まで毎回出場こそしているが、トータルでは1勝15敗となっている。
やはりこの記録的大敗は、それまでラグビーを見ていた人にとっては衝撃だった。
自分たちが強いと思っていたチームは、実は世界の足元にも及んでいなかった、といおう事態に直面してしまったのだ。
学生の試合は、学生の「行事」的意味合いが強いので、強かろうが弱かろうが、その当事者間での盛り上がりには何の影響も与えないだろうが、トップリーグと呼ばれる社会人にとってはそうは行かない。
まだ、人気が学生ラグビーからちょっと波及しただけの状態で、完全に根付いてはいなかったときに、この敗戦を見せてしまったのは拙かった。
私はオールブラックスとガチンコで当たるのが、あと15年遅かったら、ラグビー人気はもっと定着していたように思い、真に残念だ。
最近はトップリーグというカテゴリーを設立し、様々なファンサービスも導入しているが、まだファン増につながっていないようだ。
しかし、元日本代表の大八木氏が全国で普及させようとしているタグラグビー(子供でも出来るようにラグビーから危険なタックルなどを取り除いたような競技)には大きな可能性を感じる。
ラグビーは、体の大きな人間だけの専売特許ではない(元日本代表の堀越正巳氏は156cm)、そして誰にでもプレーできるポジションがあるんだ、ということを伝えていくことで、競技人口=裾野が少しづつでも広がっていくのではないか、と期待している。
学生主導で人気の出たスポーツといえば、野球もそうであるが、こうした波及を遂げたスポーツは、共通した問題点を抱える、が、それはまた別のお話。
それにしても、ワールドカップの招致も、国民的関心事にはならずに、しかも落選したことについては報道すらされない、という状況はあまりに寂しすぎる。
ルールがわからなくても大丈夫!
大男たちがぶつかり合うときに発する、骨の軋むような音をぜひ間近で聞いてみて欲しい。
最後に宿沢さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
posted by lovesportslove |13:50 |
ラグビー |
2006年06月20日
4日間も更新を忘れてしまった。
その間にもワールドカップはしっかりとスケジュールを消化していた。
日本が起死回生を狙ったクロアチア戦は引き分け。
その中には柳沢の「ワールドカップ史に残る」とまで言われている(らしい)シュートミスもあり、日本はまたしても「決定力不足」と言われる問題を抱えてしまった。
この「決定力」という言葉を考えるときに、日本サッカーの抱える問題点を直視せずにはいられない。
日本サッカーは93年のJリーグ発足をきっかけとして、実力を急速に伸ばしてきたことは間違いない。
ただ、Jリーグも勝利を目指すクラブ同士のぶつかり合いであるため、手っ取り早いチーム強化策として、FWに外国人を置いてきた。
リネカー、ディアス、スキラッチなど世界でも名を知られた錚々たるメンバーがFWとしてプレー、その結果、日本のDFやパスまわしといった部分は文字通り、実戦の中で鍛えられていった。
これはサッカーに限った話ではないが、どれだけのハードな練習よりも、実力を伸ばす上で効果があるのは実戦だ。
生活のかかった実戦だけがもつ緊張感は、プレーヤーに練習では醸し出されることのないシビアな選択を常に迫る。
そうした中での失敗こそが、次のステップへ行くための確かな階段となりうる。
では今回のワールドカップでの日本人FWは?というと、高原、柳沢ともに日本国内では一定以上の結果を出し、それを裏付けるだけの実力の持ち主だとは思うが、海外の一流どころを相手にしたときには、と考えると、高原はブンデスリーグの強豪チームで控えの1番手、そして柳沢はセリエAの下位チームでスタメンとベンチの狭間の選手であり、3年間で0ゴール。
悲しいかなこれが現実だ。
ではどう考えるべきなのだろうか?
そもそも世界中で、決定力のある、といわれるFWって何人いるのだろう?
例えばフランスのアンリ、オランダのファンニステルローイ、ブラジルのアドリアーノ、スウェーデンのイブラヒモビッチ、ウクライナのシェフチェンコなど誰もが認める超一流はいるだろうが、こんなレベルの素材は「強豪国」に一人いればいいほうのはずだ。
こうしたストライカーが誕生するのを待っているよりは、日本人の得意とするパスまわしやセットプレーといった流れの中からの得点パターンを作り出すべきではないだろうか?
FWとストライカーを、一度分けて考えてみる必要があると思う。
スーパープレーヤーに頼らないサッカーだって、それ自体が熟成していけば十分に鑑賞に堪えるものになると思う。
レベルこそ違えどJ2リーグにはそうしたチームがある。
それはモンテディオ山形だ。
先日、ヴィッセル神戸と対戦したのを見たが、正直個々のタレントは劣っていても、高い位置でのプレス、そしてラインを常に押し上げとにかく2バックで攻める。そしてSH、SBもあがり神戸の守備を左右に振り続け、その隙間にスピードのある選手が走りこんでいくサッカーは、見ていて敵ながら惚れ惚れするものだった。
こうした統一された意思が見えないから、今の代表には不甲斐なさを覚えてしまうのかもしれない。
まあそれ以上に、サッカーを全然知らないスポーツ新聞の記者が、結果だけから、適当な記事を書き、それが「新聞に書いてあった」という一言で世間で流通していく悪循環を断ち切ることのほうが先かもしれないが・・・
posted by lovesportslove |17:51 |
サッカー日本代表 |
2006年06月15日
私の応援するヴィッセル神戸は、現在J2で戦っている。
昨年4勝9分21敗という、ある意味他を圧倒するペースで負け続けた結果だ。
さらに昨年は東京ヴェルディ1969と柏レイソルという名門チームも一緒に陥落した。
現在は13チームでのリーグ戦、H&Aを各2回のため年間で48試合という、過酷なリーグを戦っている。
余談だが13チームという奇数のために各節とも休みのチームが1チームあり、そのため年間では52節という少々計算上面倒なことになっている。
J2に入った当初は、何だか自分たちのいる場所ではないような気がして(といってもプレーするのは選手だが)、どうにも尻が落ち着かない感じがあった。
例えるならば、子会社に左遷されたサラリーマンが、出向先の会社に馴染めないようなものだ。
しかし、いざリーグが進んでいくと、これがどうにも癖になりそうな面白さだった。
試合内容そのものと同じくらい、「昇格に向かっての勝ち点計算」が面白いのだ。
試合ごとに胃が痛くなるような思いをして、他チームの結果を異常なまでに気にして、落ち込む間もなく次の試合がやってくる。
本当に退屈している暇がないのだ。
リーグが始まるまでは受験のようなものかな?と思っていたが、よくよく考えると受験においては、過程と結果は一致していない。模試でA判定のやつが落ち、E判定の記念受験組が受かるなんて話は、それこそ枚挙に暇がない。
プロ野球ほど試合数が多いわけでもないため、いわゆる捨て試合が作りにくい。
勝利という過程を積み上げ、2位以内という結果に辿り着けば、自動昇格。3位であればJ1の16位と入れ替え戦、というこのシステムは、落ちてくる側、上がろうとする側双方にとって面白い。
MLBのプレーオフ制度も面白いと思うが、降格がないために下のチームは早い段階から翌年以降へのシフトが可能になる。しかし、降格のあるシステムでは下も何とか踏ん張りきることが求められる。
昨年私は降格のための勝ち点計算を必死にした。しかし、ほぼ状況が絶望的になってからは、どのチームを道連れにしたいかという、半ばヤケクソの予想になってしまった。おそらく全身から負のエネルギーが出ていたことだろう。
今年は昇格に向けてという正のエネルギーに突き動かされ、応援している毎日だ。
願わくばJFL、地域リーグと連なる組織の中で、自動入れ替え、という制度が果てしなく続くことを希望する。
元J1のチームが河川敷で地域の草サッカーと戦っていたなんて、不謹慎だがちょっと物悲しくて面白いかもしれない。
posted by lovesportslove |15:37 |
JリーグDivision2 |
2006年06月14日
世界中がワールドカップに注目している陰で、かつて私の愛していた東京巨人軍が怒っているらしい。
内容はありがちな、誤審をめぐっての騒動であるようだ。
ここで気になるのは、巨人軍の主張の中にある「ビデオ判定の導入」だ。
勝敗を決する以上、中立的立場で、公平に判断する第三者が必要になるというのは極当たり前の話だ。しかし、審判はそれだけでいいのだろうか?
例えば今回のケースでも3塁を踏まなかったことを、野球の場合は審判から指摘することはありえない。あくまで今回はマリーンズの3塁を守っていた今江のアピールによるものだ。
もし、今江がアピールせずに、投手が1球でも投げてしまったら、それ以降はどんなアピールをしても判定が覆ることはない。
一方サッカーでは、先日J2リーグの東京ヴェルディ対ベガルタ仙台で、PKの際、仙台のGKが2度までも止めたにもかかわらず、動き出しのタイミングが早い、という理由で都度やり直しを命じられ、3度目に得点された。そして仙台の側ではその判定に不服を唱えた控えのGKまでもが退場を命じられたと聞く。
どちらも判定を巡って揉める訳だが、確かに不利になった方とすれば「絶対にこいつ(審判)間違えとるんちゃうか」といった感情を持つのは解る。
私もヴィッセル神戸が不利な判定を下されたときは、そうした感情に襲われるからだ。
しかし、だからといってビデオ判定の導入などということをやると、テレビゲーム的二元論の世界になってしまうのではないだろうか?
実はこうした二元論は、反論できない分、考える隙間もなく、楽だったりするのだが、確実にゲームの楽しみを奪っていくことも事実だ。
例えば、かつて天覧試合となった巨人対阪神の一戦で長嶋さんの放ったサヨナラホームラン。村山さんは死ぬまで「あれはファールだ」と言っていたと聞く。
これがビデオ判定があったらどうだろう。阪神が抗議して、審判団が集まって協議の結果・・・というだけのことになってしまう。
となるとディエゴ・マラドーナの「神の手」も生まれなくなってしまう。
いつまでも語り継いでいくだけの「隙間」って実はスポーツ観戦を楽しくしてくれる大きな要素だと思うのだが。
とはいっても、ヴィッセル神戸がJ1復帰をかけた大一番で誤審を下され、その結果復帰できなかったとしたら・・・。隙間を楽しむ余裕はきっと持てないだろう。
でも持つようにすることで、スポーツを楽しめるのではないか、なんて最近は自分に言い聞かせている。
結局観るだけのファンも余裕を身につけるように成長しなければいけないのだろう。
posted by lovesportslove |20:02 |
審判 |
2006年06月13日
日本3度目のワールドカップが幕を開けた。
結果は誰もが知っているように1-3の完敗。
早くも新聞やネット上では「犯人探し」が始まっている。
最も多いのが「ジーコ」犯人説だ。
曰く交代のタイミングが遅い。
曰くヒディングとの差が表れた。
曰く監督経験のなさが響いた。
だがちょっと待って欲しい。
スポーツ新聞、テレビ、雑誌などのメディアの大半はジーコのことをどう取り上げてきただろう。
曰くジーコ黄金の四人復活だ
曰くブラジルサッカーの自由さを持ち込んでくれる
曰くトルシエは認めなかった選手の自主性が育つ
結局、日本のスポーツマスコミといわれる人たちは、そのスポーツの魅力ではなく、結果とそれに伴うスキャンダラスな部分にのみ関心があるのだろう。
日本のサッカーには(露出の部分において)代表を頂点として、以下J1、J2、JFL、地域リーグと続くヒエラルキーが存在している。
例えば宮本恒靖は、その人気ぶりで少年マガジンにマンガが掲載されるほどの露出だが、彼が自分の所属するガンバ大阪では、絶対的なレギュラーでないということは意外にも、殆ど報道されない。
サッカーにおいてはクラブチームがあり、そこで日々鍛えられたものが代表へと上っていく。しかし、代表に入っていないからといって、それが一流選手でないということにはならない。
例えば、現在好調の川崎フロンターレには我那覇和樹というFWの選手がいる。彼は現在J1リーグ戦で8得点しており、日本人FWとしてはトップに位置する(全体では3位)。
彼は今回の代表選出に当たっては名前も挙がらなかった。
しかし、このことは彼のFWとしての評価にはいささかの影響も与えないはずだ。
また私の応援するヴィッセル神戸には三浦淳宏という選手がいる。
彼はFKの名手としても知られており、その回転しない「ブレ球(本人命名)」は、魔球とさえ言われる。
そんな彼も最終的には代表メンバーにはエントリーされなかった。
しかし、彼が国内で屈指の選手であることには異論はないと思う。
結局テレビ主導の視聴率を取れるコンテンツとしての代表サッカーがあり、そこでは極めて表層的な部分だけを取り上げるために、サッカー本来の楽しみ方を伝えることはない。
芸能人が代表選手と友達で云々という図式にはいい加減飽きている人も多いと思うのだが。
98年に日本が始めてワールドカップ出場を決めた直後の、中田英寿の「代表は大丈夫だから、今度はJリーグをお願いします」という台詞は、悲しいことに未だに輝きを放ってしまっている。
posted by lovesportslove |18:41 |
サッカー日本代表 |