2006年06月21日
ラグビー界頑張れ!
今月17日、日本ラグビー界の大功労者である宿沢広朗氏が亡くなった。 宿沢氏といえば、私の世代にとっては何と言っても89年のスコットランド戦を勝利に導いた監督、という印象が強い。 もう少し上の世代になると73年の大学選手権決勝で明治大学と激闘を繰り広げた早稲田の主将という印象かもしれない。 三井住友銀行の専務でもあった宿沢氏が、自行のことと同様に気にかけていたのが「日本ラグビーの低迷」だったという。 私が学生の頃は正にラグビーブームだった。 早明戦ともなれば、学生がチケットの予約券を取るために1週間以上徹夜で並んだり、試合当日ともなれば、両校の学生で国立競技場が、文字通り立錐の余地もないまでに埋め尽くされていた。 スポーツ新聞も、当時は早明戦などは1週間以上前から、両校に密着取材し、試合翌日は全紙1面はラグビーというのは当たり前であった。 トップリーグの試合であっても秩父宮はおろか花園すらも満員にならない最近とは、隔世の感すらある。 ではなぜラグビー人気はここまで落ち込んでしまったのだろう。 スポーツ新聞などの外的要因は別とすれば、そのターニングポイントは1995年の第3回ラグビーワールドカップにあると思う。 第2回大会でジンバブエにワールドカップ初勝利を上げ、しかもそのときのトライは、パスをつなぎながら展開していく見事なもので、地元マスコミに大会一美しいトライとも絶賛されたと記憶している。 このときに日本を率いていたのが宿沢氏だった。 そして問題の第3回大会では、当時世界最強といわれていたニュージーランド代表、通称オールブラックスに145-17(!)という、正に記録的大敗を喫した。 ちなみにこの記録は当時、テストマッチ史上最多得点差としてギネスブックにも掲載されたはずだ。 そして日本は第5回大会まで毎回出場こそしているが、トータルでは1勝15敗となっている。 やはりこの記録的大敗は、それまでラグビーを見ていた人にとっては衝撃だった。 自分たちが強いと思っていたチームは、実は世界の足元にも及んでいなかった、といおう事態に直面してしまったのだ。 学生の試合は、学生の「行事」的意味合いが強いので、強かろうが弱かろうが、その当事者間での盛り上がりには何の影響も与えないだろうが、トップリーグと呼ばれる社会人にとってはそうは行かない。 まだ、人気が学生ラグビーからちょっと波及しただけの状態で、完全に根付いてはいなかったときに、この敗戦を見せてしまったのは拙かった。 私はオールブラックスとガチンコで当たるのが、あと15年遅かったら、ラグビー人気はもっと定着していたように思い、真に残念だ。 最近はトップリーグというカテゴリーを設立し、様々なファンサービスも導入しているが、まだファン増につながっていないようだ。 しかし、元日本代表の大八木氏が全国で普及させようとしているタグラグビー(子供でも出来るようにラグビーから危険なタックルなどを取り除いたような競技)には大きな可能性を感じる。 ラグビーは、体の大きな人間だけの専売特許ではない(元日本代表の堀越正巳氏は156cm)、そして誰にでもプレーできるポジションがあるんだ、ということを伝えていくことで、競技人口=裾野が少しづつでも広がっていくのではないか、と期待している。 学生主導で人気の出たスポーツといえば、野球もそうであるが、こうした波及を遂げたスポーツは、共通した問題点を抱える、が、それはまた別のお話。 それにしても、ワールドカップの招致も、国民的関心事にはならずに、しかも落選したことについては報道すらされない、という状況はあまりに寂しすぎる。 ルールがわからなくても大丈夫! 大男たちがぶつかり合うときに発する、骨の軋むような音をぜひ間近で聞いてみて欲しい。 最後に宿沢さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
posted by lovesportslove |13:50 |
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